いろいろな場で通訳のワークショップをしたり、大学院で通訳を教えたりと、
通訳の講義をしている。
ただ自分が話すだけでなく、受講者に通訳をしてもらい、それに対してあれこれコメントをしている。
結局、毎回、同じようなことを言ってるんですよね、僕。完全にイコールではないにせよ、重複が多い。で、講義のたびにそれを垂れ流している。記録していない。
せっかくだから、そしてどうせ同じようなことを言っているなら、その内容をここで共有していったらいいかな、と思いました。で、今後、ワークショップをする度に新たな項目を書き足していけばいい。誰かの役に立つかもしれない。
ということで、まずは先日行ったとあるワークショップで言った内容です:
話し手の話をちゃんと聞くw
メモを取るw
リプロダクションが大事
ビリヤードで、手玉(白い玉)をまっすぐに打つことすら出来なかったら、手玉を使って目標の玉をポケットに落とすことなんて無理。まずは手玉をまっすぐに打てないといけない。
リプロダクションもそう。話し手が言ったことを正確に再現出来なければ、それを訳すなんて無理。
ーー
リプロダクションする際、話し手が言ったことをまるで鏡のように、なるべくその通りに再現するのも一興。
それが出来るようになったら、今度は「改良版のリプロダクション」に挑もう。
言っている内容は変えずに、でもより良くしてしまうリプロダクション。それが訳の下準備になる。
通訳は料理と似ている。発言者の発言そのものは、野菜や肉、米など、素材。それをそのまま料理してもまあ食べられるのだろうが、小さく切って食べやすく、スジや苦いところを取ったり、といった下ごしらえをすることでより美味しい料理になる。その下ごしらえに相当するのが「改良版のリプロダクション」。
冗長なところを整理する。言い間違いを直す。対比を明らかにする(*後述)など、出来ることはいろいろとある
電子辞書を用意し、使う
電子辞書は「分からない・訳せない」から使うのではない。そういう時ももちろん使うが、『分かるし訳せるが、他にいい訳、より良い訳が無いか』を調べるために電子辞書を使う。訳に広がりを持たせるために活用する。
電子辞書を単に「用意」するだけでなく、実際に本番中に「使う」ことが重要。
本番中に使えるようにするためには、電子辞書にある程度慣れないといけない。電子辞書の使い方、というテクニカルな慣れも必要だし、より重要なのは、話を聞きながらそれと同時進行で電子辞書を操作出来るいわば「脳のパーティション化」が必要となる。
間が空いてOK
訳出時、「何か言わなきゃ」という間違った認識を改める。(通訳学校の先生で、「間を空けてはいけない。とにかく何か言え」と教えている人たち、今すぐやめてくださいw)
「何か言わなきゃ、間を埋めなきゃ」と思うから“So ***”みたいに、ムダというか有害なFillerで訳を始めてしまったりする。
余計なことを言うぐらいなら、何も言わない方がいい。飛行機の機内アナウンスを反面教師としよう。
間があってもOK。OKどころか、間はいいこと。我々の日常会話にもたくさんの「間」があるし、それがよかったりするでしょう?
訳のみならず、人が発する言葉は、多ければ多いほど、各フレーズ、各発言あたりの重みは失われていく。我々が言葉を発すれば発するほど聴き手は集中力を失い、言葉は刺さらなくなる。
訳出は、多ければ多いほどいいのではなく、その逆。少なければ少ないほどいい
なんなら、ひと言も言わずに訳せてしまえばそれがベスト。でも、何も言わなければ訳せないからやむを得ず通訳者は発言をするが、必要最小限に収めるべき
会議参加者の関係を訳に反映
(注:この時使った教材は親しい者同士の対談だった)
今回は会議参加者同士が「仲がいい」ことが分かるので、突っ込んだ訳をしてもOK
会議の趣旨を理解し、それを訳に反映する
(注:この時使った教材はインタビュー形式)
インタビュワーの「振り」を理解し、それを強調した訳にする。インタビュワーは「この中期経営計画、ホントに実現出来るの(笑)?」と振った上で、親しい間柄である社長に「出来ます」と言わせたがっている。結構壮大な「振り」をしている。
社長の「出来ます!」を効果的にするためには、最初に「ホントに出来るの?出来ないんじゃないのw?」という振りを大きくしないといけない。だから、そこを淡々と訳してはいけない。もっとドラマチックに。口語調でもいいから(対談者同士は親しいんだから)。
対比を大事に
今年 VS 来年
自社 VS 他社
Aspiration的な中計 VS 現実的な中計
訳において、対比を立体的に浮かび上がらせる
誤魔化さない
英語のキレイさ
訳のスピード早口さ
ムダなFiller
そういったもので誤魔化さない。誤魔化せてないから。
ゆっくり訳し、基本的な通訳力で勝負する
上手に訳せるようになったら、その後、徐々にスピードを早くしていけばいい
サインを立てる
「この後、話がこっちに行きますよ」というのを聴き手に知らせる。
逐次通訳においては、通訳者は一度話を聞いた上で訳を開始出来る、というアドバンテージがある。だから、話がこの先どっちに行くのかを分かった上で訳せるんだから、そのアドバンテージをちゃんと活かす
ロジックの矢印「→」が大事
「○○である → だから□□である」みたいなロジックの矢印はしっかりメモに描き、訳でもそれを強調する
概念の抽象化
話し手がいろんな表現を列挙し始めたら、その話は抽象化出来る可能性が高い。
例:「今日のお昼、何食べようかなぁ、、、ラーメン、カツ丼、パスタ、いろいろあるなぁ、どうしようかなぁ・・・」
各表現(この場合はラーメン等)をいちいち再現することよりも抽象化の方が大事
なんなら、各表現は訳から落としちゃっても、抽象化された概念さえ訳せればいいぐらい
例:「今日のお昼、何食べようかなぁ、、、ラーメン、カツ丼、パスタ、いろいろあるなぁ、どうしようかなぁ・・・」という発言を訳す際、「ラーメン、カツ丼、パスタ」の3項目は一体何か?それを抽象化するとどう表現出来るかというと、「今日のお昼に食べたい食事の候補」。それが抽象化された概念。だから、それさえ言えればよくて、「カツ丼」を訳で再現することは実はそれほど重要ではない。だから、(カツ丼ってどう英訳するの??)とパニクる必要は無いし、聴き手にとっても、通訳者にカツ丼の訳をあれこれ考えられるぐらいなら、話を抽象化し分かりやすくしてくれた方が付加価値が大きい
訳は
「今日のお昼、何食べようかなぁ、、、ラーメン、カツ丼、パスタ、いろいろあるなぁ、どうしようかなぁ・・・」
↓
「今日のお昼、何食べようかなぁ、、、食べたいものがいろいろある(だから迷う)、どうしようかなぁ・・・」
でもいいのだ。
逐次通訳の着地を大事に
訳が終わったことを聴き手にしっかりと伝える
訳に自信が無い時ほど訳の終わりをゴニョゴニョして誤魔化したくなるが、何も誤魔化せていない。むしろ悪影響
「以上です!」と言わんばかりの華麗な着地を。