我々自営業者は、会社などから定められた「休み」が無いため、自分で休みを設定する必要がある。
飲食店とかはいいですよね、定休日を設ければいいから。
我々通訳・翻訳者の場合、定休日的な概念は無い。通訳者にとって、クライアント≓会議参加者が休みのため土日が休みのケースが多いが、イベント等の通訳を主な業務とする通訳者であれば土日も平日も関係無い。
また、売れっ子の翻訳者であればほぼ常に翻訳案件を1つあるいは複数抱えている。
じゃあ翻訳を抱えていない時はどうかというと、次いつ依頼が来るか分からないからなんとなくスタンバっている。依頼が来たらすぐ取りかかるわけだし。そして依頼が来なければ来ないで(依頼来ないなぁ・・)と気にかかる。因果な商売だ。
我々訳者の場合「○曜日が休みです」ではなく仕事が無い時が休みという運用になっているケースが多い。だから売れっ子ほど休みが無くなる。休みが無いことを嘆きつつ誇る芸能人と似ている。
しかも、訳者業に加えてエージェント業や講師業などもやっているとますます休みが無いというか、訳がお休みの時に他の仕事(経営や講義準備/講義)を行うようになり、常に働くようになってしまう。それがもう10年以上続いている。
矛盾するようだが、休みが無いからといって、常に仕事をしているわけではない。「結果的に何もしなかった」「結果的に休めちゃった」ことはいっぱいあるのだ。でも、それは「さあ、今日は休みだ!何して遊ぼう」と思いながら休みを楽しむのとはわけが違う。仕事モードでスタンバってたけど仕事が入らなかった(だから結果的に「休み」になった)という方が近い。
問題は、それでは心が休まらない/安まらない、ということだ。結果的に仕事が休みだったとしても、心が休まっていない。
じゃあ、家族旅行に行く時は?あれは「休み」でしょう、という気もするが、違う。
例えば自分の場合、以前家族でハワイに行ったはいいもののその時期になんかのディール案件が動き出してしまい、結局ホテルのビジネスセンターにこもって翻訳していた、みたいなこともあった。馴染みのバンカーから「ダン、今仕事頼める状態?何してるの?」と問い合わせが来て「家族でハワイに来てます」と答えると「そう。で、この翻訳、いつまでに納品出来る?」と聞かれる。なんのための前振りだったのか。
あるいはまた、イタリアの漁港で、パラソルで日を遮りながら(*そうしないとPCの画面が見えないw)デットIRの通訳をしたこともある。
家族旅行中、仮に仕事が無いとしても電車の切符がどうとかコロナのなんとか証明書がどうとかキッズの相手やらなんやらで、結局気が安まらなかったりするのだ(*じゃあなんのための家族旅行か、という点はとりあえず置いておく)。
だから我々訳者は、意図的に休みを作る必要がある。しかも、どうせやるなら徹底的にやりたいものだ。
以前「半年休もうかしら」と画策したことがある。
通訳や翻訳のクライアントに対し、「来年の○月から○月まで、半年間休みます」と宣言し、休むのだ。
でも、それで切れてしまう仕事があるだろう、ということと、そんなに休んで結局何するんだろう、、、きっと仕事の例外対応を少しずつ作り始め、気がついたら元の木阿弥になっていた、みたいなことになるんだろうな、と思い、休み計画は未だ実現していない。
半年は無茶だったが、2-3日なら出来る。どこかの温泉にでも行って、通訳しない、翻訳しない、その他の仕事も一切しない、という夢のようなバカンスを送ってみたい。スマホも見ない。
かえっていろんなことが気になって気が休まらないかもしれないが、それでもいいから一度やってみる価値はありそうだ。