通訳の料金・価格・プライシングについて、通訳者として + エージェントとして10年間考えてきたこと

今はコロナ危機ですが、干支で今からひとまわり前の2008年。そう、金融危機のときに、私は会社をクビになり、通訳という全く新しい道を志すことにしました。

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通訳者として開業するのに、資格など要りません。「私は通訳者です」と思った瞬間がデビューです。
自宅でひっそりとデビューし、さっそく通訳エージェントに登録しに行きましたが、「通訳の経験がゼロなのでちょっと難しい」と言われ、まあ確かにそうか、とスゴスゴと家に帰ろうとしたとき、「あ、そう言えば・・・」的な感じで呼び止められました。



「通訳業務ではないんですけど、当社が運営を任されている国際会議がありまして、その受付の仕事があります。受付スタッフはあいにくもう確保済みなんですが、受付スタッフのサポート要員が必要でして、もしよかったらどうですか?」



スケジュールがまっさらだった私は、二つ返事で引き受けました。念願の通訳業務ではないけれど、会場には本物の(笑)通訳者もいるだろう。一歩でも、なんとしても通訳というものに近づきたいと思っていた自分にとっては、ワクワクするようなチャンスです。

当日。
港区内の、現場となる大きな国際会議場みたいなところに出掛けて行ったんですが、ちょっとした手違いで会場に入ることが出来ませんでした。担当者の携帯に電話しても出ない。やむを得ず、近くのタリーズで2時間待機。その間、会場内にいるはずの担当者に何度も電話をするも結局連絡が取れず、エージェントの本社の方と話をした結果「今日はもうお帰り下さい」となり、私の通訳デビューもとい受付サポートデビューはあえなく終了しました。

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お金の話で恐縮ですが、記事のテーマがプライシングということもあり、やむなく(?)話させていただきます。
その日の私の収入は、時給1,200円 X 2時間待機したということで、2,400円。そこから源泉徴収された2000円ちょっとのお金が後日振り込まれました。
受付スタッフの時給は確か1,500円だったんですが、私は受付スタッフではなくそのサポート要員ということで、それよりも少し低い時給1,200円で事前にエージェントと合意していたんです。

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せっかく張り切って出向いたのに現場に入れてもらえずちょっと悲しかったわけですが、こんなインシデントは単なる手違いであり、別にそのエージェントやその担当者を恨んだり(笑)は全くしていません。きっとよくある話でしょう。むしろ、結局仕事をしていないと言えばしていないのにちゃんとお給料をくれたのは、当然と言えば当然なのかもしれませんが、結構良心的だな、と当時思ったし、今でも思います。

でも、この日の経験が、別の意味でものすごく口惜しかったんです。もっと高い次元で口惜しかったんです。
そのとき私は34歳だったんですが、それまでの人生で感じたことの無いような、口惜しさと、惨めさと、そして「やばいやばいやばいどうしよう・・・」という気持ちが入り交じった、えもいわれぬ不思議な気持ち。今でもカラダが鮮明に覚えています。

それまでの10年間、「超」を付けてもおかしくないような一流企業2社に勤めて来て、毎年かなりの年収を得てきて(注:でも浪費癖のため貯金は無し)、ヘンなプライドも人一倍高かった者としては、フリーランス通訳者としてデビューしたものの実質無職で、その日たまたま職にありついたが現場には入れず、待機していた時間の給料が2,400円というのが骨身にしみてこたえました。
(これがオレのキャリアの底なんだな)と思ったし、(今、サラリーマン時代の同僚と街でばったり会ったらなんと言えばいいんだろう・・)と、麻布十番の交差点のところのタリーズで、次の予定も無く、ワン・モア・コーヒー的な制度を使って安く購った何杯目かのコーヒーをすすりながら途方と悲しみに暮れたのを覚えています。

今思えば、もっともっと苦境に立たされている人なんていくらでもいるし、コロナ渦にあっては尚のことそうでしょう。そう考えればその時の私なんてかなり甘々な状況ですが、でも人は自分のおかれた現況をそれまでの自分の経験とくらべて判断せざるを得ないところがありますから、それまでの自分の大甘な人生と比べればかなりのピンチだったのは事実です。しかも、前年までのプチバブル状態が続いていたときに調子に乗って買ってしまったタワマンの住宅ローンが9000万円残っていて(筆者注:貯金ゼロ、日給2,400円)、前の年の稼ぎに対する住民税の延滞金が払えずに喘いでいたので、確かにピンチはピンチだったんです。


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多くの人が、このような口惜しかった経験、転機となった経験を持っているでしょう。私にとってはこの日がそれだった、ということです。

上述した通り、この日、いろいろな想いが胸を去来しましたが、一番強く思ったことは

1.自分は弱い
2.強くなる

ということでした。

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前置きが長くなりましたが、今日は通訳のプライシングについて書いてみたいと思います。
すぐ上に書いた「弱い」とか「強い」とかいった話は、プライシングと大いに関係があると思うんです。

プライシングは通信簿です。
プライシングはバロメーターです。
弱さも強さも、すべてプライシングに出ます。

自分は弱い。弱い通訳者だ。
世にはいろんな通訳者がいる。強い通訳者もいるだろう、知らんけど。でも自分は弱い。だから現場にも入れてもらえないし(注:恨んでません)、だから日給2,400円なんだ。

強くなる。強くなれば、プライシングも引き上げられる。
100倍返しだ!と思ったかどうかは覚えていませんが、でも、稼げる通訳者になってやる、と決めました。



その後数年が経ち、2014年頃から一日25万円という海外IRの料金を設定し、それでも仕事が来るところまで持って来ました。
一応100倍ですね、あの日の。
もっとも、その後のコロナで仕事はストップしていますが(爆)。



ということで、プライシングは大事です。
自分の場合、弱かったときも、強かったときも、そして今また少し弱っているときも、一貫して「プライシングが大事」と言い続けています。高値で売れている時だけ言ってるんじゃないんです。

大事に思うからこそ、当ブログにおいても、「プレミアムな通訳」的な切り口で記事をいくつか書いてきましたが、でも、プライシングを重視している割には「プライシングそのもの」についてのダイレクトな記事を書いたことが無かったかも、と気付き、今回ペンを取るに至りました。

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プライシングについての私の信条は以下の通り:

1.人様のプライシングについてとやかく言わない

2.自分の「売り値」を重視する

3.通訳者とエージェント間のレート交渉は、ほとんどのケースにおいてゼロサムゲームである

4.「あなたに通訳をお願いしたい」と「(値段が高くても)あなたに通訳をお願いしたい」は異次元

5.提言: 通訳者は、エージェントと共に栄える方法を考えよう

6.提言: 通訳エージェントは、通訳者に対し、その通訳者の売り値(つまり、ある意味その通訳者の価値)を開示せよ


ちなみに2〜6はシリーズものというか、かなり関連しています。
では行きます。

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1.人様のプライシングについてとやかく言わない

プライシングというのは、その人の人生観を表します。
だから、アドバイスするのはいいにしても、人様のプライシングを否定するのはよくないと思っています。

「値段を安く設定しすぎだ!業界全体が迷惑する」
「値段が高すぎる!ボッタクリだ」

どちらも人様のプライシングを批判することばですが、これは口にすべきではない。もっと言うと、口にする必要が無い

私は経済学部出身ですが、経済について、恥ずかしいほど何も学んでいません。それを認めた上でですが、市場は(最終的には)効率的に動くと考えていまして、通訳業界についても、多少の例外はあるでしょうが大きな方向性としては「いいものは高い、安いものはクオリティもそれなり」という傾向に実際なっていると思います。

だから、通訳であれ翻訳であれ、それを低料金で売る個人あるいは会社が業界内にいたとしても、クライアントは一時的にはそちらになびくかもしれませんが、もしそのクライアントが(世のほとんどのクライアントがそうであるように)一定のクオリティを訳に求めるのであれば、かなり早いタイミングで「なんじゃこりゃ」となり、値段が高いサービスに戻ってくるでしょう。

一方、質が悪いのに高値を設定している売り手については、別に周りがとやかく言わなくても、いずれ売れなくなり、値段を下げるでしょう。一時的にはなぜかうまく行くかもしれませんが、長続きしません。だから、いいものを高く売っている自負がある人たち(私もそうです)は、どっしり構えていればいいんです。ギャーギャー騒がなくて言い。そして、値段を戦略的に下げたいと思う日が来れば下げればいい。さらに上げていけるのであれば上げていけばいい。

稀に、いいものを安く提供する個人あるいは会社もいるでしょう。我々同業他社にとっては目の上のたんこぶでしかありませんが、お客さんは大喜びです。大いに結構。

というか、結構も何も、そもそもがプライシングの設定はその人あるいはその会社の自由なんですから、公正取引法(?)やアンチ・ダンピング法(?)に反するケースを除き、安かろうが高かろうが、他人がとやかく言うことではないですよね。

という考えで私はやっていますが、人様のプライシングをとやかく言う人もいます。そういう人は、もしかしたら「いや、私は自分一人のことを気にしているのではなく、業界全体のことを・・・」みたいな感じなのかもしれませんが、うーん、どうなんでしょうね。そのような心配をするよりも、自分のウデをさらに上げて、自身のプライシングをさらに引き上げるということを志向し実践していけばいいのでは、と思うし、その方が結局業界のためじゃん、って思っています。

ということで、人様のプライシングに対しとやかく言うべきではないし、そもそも言う必要が無いと思っています。
別に私が何か言われたわけではないんですが、業界を見回していて(ほっとけばいいのに・・)、そう感じるときがあります。



2.自分の「売り値」を重視する
通訳者(+翻訳者)のみなさんに聞きたいんですが、自分の「売り値」って知っていますか?意識していますか?考えたことありますか?
ここで言っているのは、みなさんがエージェントから受け取るいわゆる「レート」のことではなく、通訳案件のクライアントが、あなたの通訳(翻訳)に対しいくら支払っているのか、という大元の「売り値」のことです。
昔から、それを意識するべきだと思っています。


業界関係者ではない方のために簡単に説明しますと、多くの通訳・翻訳案件の商流は以下のようになっています。あとでまた詳しく述べますが、とりあえずご参考まで:


通訳の料金・価格・プライシングについて、通訳者として + エージェントとして10年間考えてきたこと_d0237270_11513108.png




冒頭で紹介した散々な「通訳デビュー」(詳細はこちら)を経て、その後フリーランスの通訳者として一応の活動をし、何回か仕事をさせていただきました。
それはよかったんですが、それらの案件において、クライアントが(通訳エージェントに)いくら支払っているのかが気になったのでエージェントに聞いたところ、教えてもらえませんでした。

なんで?
なんで教えてくれないの?
別に、それを全部ください、と言いたいのではありません。エージェントにはちゃんとマージンを取ってもらって、その残りを私にくれればいい。ただ、大元のクライアント支払額がいくらなのかを参考までに教えてください、と言っているだけです。でも教えてくれない。なんで?

例えばメジャーリーガー。彼らにも「エージェント」がついていたりします。そんなメジャーリーガーが「オレの年棒?球団がオレにいくら払ってるか?そんなの知らない。エージェントからは毎年10億円が振り込まれてるけど、球団はエージェントにいくら払ってるんだろうね?100億かもね(笑)。全然知らない、分からない」なんて、そんなバカな話がありますか?それと同じぐらいおかしな話に感じたんです。

自分の通訳がいくらなのか。クライアントは自分の通訳をいくらと評価し、いくら払っているのか。そんな貴重な情報を通訳者から隠すのはおかしい、許せん(笑)、ということで、(こうなったら自分でエージェントをやるしかないな・・・)と思いました。元々エージェントをやるつもりでしたが、その決意がさらに強まった、ということです。

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エージェントは、なぜ通訳者にクライアント支払額を教えてくれないのか。いや、正確には、IRIS以外にもクライアント支払額をちゃんと通訳者に伝えているエージェントはいますから、あくまでも一部のエージェントなのですが、その一部のエージェントは、なぜそれを通訳者から隠すのか。
それは商流と関係しています。

通訳業界における典型的な商流は
クライアント → 通訳エージェント → 通訳者
となっており、お金の流れもそう動きます。図にするとこうです。


通訳の料金・価格・プライシングについて、通訳者として + エージェントとして10年間考えてきたこと_d0237270_04144929.png

(70という数字はテキトーに置いています。もっとも、通訳におけるマージンというのは大体3割ぐらいが適正なのかな、と思っているので、あながちテキトーでもありません)



商流はこうなっている。だから、通訳者が気にすべきは、エージェントと通訳者を結ぶ②の矢印だけであり、①ではないのだ、①はクライアントと通訳エージェント間の問題だ、ということなのかもしれません。

これ、契約上・商流上は確かにその通りなんですが、ものすごく違和感+不快感を感じました。今も感じています。そう感じる根拠を文字にすると、
① クライアントに対し「通訳サービス」を提供しているのは、(契約上はあくまでも通訳エージェント単独になるのかもしれないが)実質的には「通訳エージェントと通訳者」のチームである。その両者がタッグを組んで通訳サービスを提供している。そして、通訳サービスの要となるのは、エージェントによる営業活動や事務作業ではなく(それも大事ですが)、通訳者が提供する通訳そのものである。それが一番の価値の源泉である。だから、契約・商流がどうであれ、その肝心の通訳サービスに対しクライアントが支払った額というのは、通訳者に大いに関係があることだし、もっと言えば、その大部分を通訳者が生み出しているわけだから、当然それを通訳者に対し開示すべきだ、と思ったんです。

エージェントがクライアント支払額を通訳者から隠すことに対し、私が強い違和感を感じるもう一つの理由は、もっとロジカルというか、理屈的な理由なんですが、
② まともなエージェントであれば、クライアント支払額を隠したいどころか、むしろ積極的にアピールしたいはずでしょう?と思ったんです。エージェントである自社が(通訳者に対し)提供している様々なサービス内容に自信があり、でもその割にチャージしているマージンが適切、という自負があれば、むしろそれを開示したいはず。だから、クライアント支払額を通訳者に伝えない(それは「隠す」と同義でした、私にとっては)ということは、自分が提供している価値の割にマージンを取り過ぎているという後ろめたさがあることの証左ではないか、そう思ったんです。

興味深いことに、クライアント支払額を通訳者から隠すエージェントほど「クライアントとの直接取引はモラル違反です、厳禁です」と言います。まあ、当然そうなりますよね。直接やり取りされたら、エージェントにとって都合の悪いことがいろいろと明るみに出ちゃうから。
(ちなみにIRISはその逆で、通訳エージェントが、通訳者とクライアントとの直接取引を禁じることこそモラル違反だと考えています。)



そんな経緯もあり、自分が将来エージェントをやる際は必ずクライアント支払額を通訳者に開示するぞ、とフリーランス時代から心に決めていて、実際IRISでは2012年2月の開業以来、これまでの全ての通訳案件1つ1つについて、担当してくれた通訳者に対しその売り値、つまりクライアントがIRISにいくら支払っているかを開示しています。

これ、自分としては結構重視している点で、IRISの(対通訳者の)大きなアピールポイントになるかと思ったんですが、どうなんですかね、そこまでささっているわけでもないようです(笑)。開示を喜んでくれている人もいると思いますが、それほど気にしていない人もいるかもしれません。だとしたらもっと気にしてほしいものです。
あ、あと、IRISがそれを開示することを「当然のこと」と思っている通訳者もいるかもしれませんね。だとしたら本望です。この後述べる通り、まさに当然のことだと思っているので。

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ちなみに、、、
通訳の商流って、要はこういうこと↓じゃないかな、と思っているんです。


通訳の料金・価格・プライシングについて、通訳者として + エージェントとして10年間考えてきたこと_d0237270_13154911.png


通訳者はエージェントから(例えば)70を受け取るわけですが、大事なのは70ではないんです。70は単に結果でしかない

何の結果かというと、
1.大元のクライアント支払額100から、
2.エージェントのマージン30を差し引いた額、
それが70です。
大事な変数は100と30であって、70はその引き算の結果でしかない。

我々通訳者は、2つの大事な変数
1.クライアント支払額
2.エージェントのマージン
これを意識すべきだと思うんです。

ーーー

通訳者が自分の売り値、つまりクライアント支払額を気にしないとどうなるか。悪いエージェントにとって、まさに望み通りのハッピーな状態になります。そういうエージェントは、グロス(クライアント支払額)ではなくネット(エージェントが通訳者に渡す額)だけに注目してほしいと思っていることでしょう。そうすれば、自分が発揮している付加価値の割にマージンを取り過ぎていることがバレないから。IRISは悪徳ではないので分かりませんが、恐らくそういうことなのだろう、と思います。
そうしたエージェントの思い通りにさせないためにも通訳者は積極的にグロスの金額、つまりクライアント支払額の開示を求めていきましょう。「開示出来ません」と言われたら、なんで?とたずね、そして「ご参考まで」ということで、このブログ記事へのリンクをエージェントの担当者に送りましょう(笑)。

そのエージェントにチャージされているマージンが果たして適切なのか、を継続的にモニターしていきましょう。
マージンは、通訳者がエージェントに対して払っている「料金・価格」です。それを買い手である通訳者から隠して取引することは道義上許されません。




3.通訳者とエージェント間のレート交渉は、ほとんどのケースにおいてゼロサムゲームである
よく通訳のセミナーやフォーラム的な場で、「通訳者のレートアップ術」といったテーマで話がされています。大事だと思います。通訳者はみな関心がありますし、確かにフリーランスの通訳者にとっても派遣の通訳者にとっても重要なテーマです。

ここで言う「レート」というのは多くの場合、通訳エージェントから通訳者に支払われる料金のことを指します。この図で言うところの②です。


通訳の料金・価格・プライシングについて、通訳者として + エージェントとして10年間考えてきたこと_d0237270_04144929.png


それをいかにして上げていくか。
いかにエージェントと上手く交渉し、レートアップを獲得するか、というのが「レートアップ術」です。

このテーマについてまず思うのは、レートアップの交渉というのは実に正当な行為であって、それが出来るのであれば大いにやるべきだ、ということです。まあ当たり前ですね。つまり、その通訳者の実力、あるいはその通訳者が提供している付加価値があって、一方でその通訳者がエージェントから受け取っているレートがあって、両者の間に乖離/Discrepancyが存在するのであれば、それはぜひ正すべきだし、それを正すことがレートアップ交渉だと思うので、大いにやるべきだと思います。
一方、実力・価値等が伴っていない通訳者がレートアップ交渉をしてもなかなかうまく行かないでしょう。それでもトライしてみる価値はあると思いますが。

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やや余談。私が経営するIRISは日本と欧州で通訳エージェント業を行っていますが、いずれにおいても「レート交渉」というものが基本的に無いような仕組みにしています。

まず欧州については、全通訳者一律、クライアント支払額の70%(指名案件の場合は80%)という報酬比率を適用しています。レートを上げたいと思ったら、まずは指名案件の比率を上げればいい、という仕組みです。

一方日本についてはもっとドラスチック(?)で、レートは各通訳者が自由に決める、という仕組みにしています。つまり、IRIS(日本)においてレート交渉ということはあり得ず、通訳者がレートを上げたく(あるいは下げたく)なったらいつでも自由に上げ下げ出来る、ということです。
それを受けIRIS側としては、案件をアサインする際に各通訳者のレートの一覧表を見ながら声がけする順番を決めています。実力が同程度であれば、IRISの収益が大きくなる方の通訳者(つまりレートが低い通訳者)に先に紹介しています。

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さて、通訳者が「レートを上げたい」と思ったら、通訳エージェントに対しこうこうこういうことを踏まえ、レートを上げてほしい」と交渉します。
「こうこうこういうこと」には、例えば

・他のエージェントでは、自分のレートはこれぐらい上がっている
・指名案件が増えている
・○○業界の通訳経験が増えている
・経験年数が何年に達した
などさまざまです。

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こうしたレートアップの要望というのは実に悩ましいというか、イヤなものです。単純に、エージェントである自分の取り分が減る、ということなので。

そして、エージェントの人間として、通訳者からレートアップの要望が出たときに思うのは、「レートを上げるのはもちろんOKです。でも、最終的な売り値も意識しましょうね、上げていきましょうね」ということです。

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どういうことか説明します。
今、Aさんという通訳者がいるとしましょう。で、私はエージェントとして、Aさんの通訳をクライアントに対し100円で売っているとします。そして、その内の70円を通訳者Aさん本人にお渡ししているとしましょう。
先程から何度も登場していて恐縮ですが、この図の通りです。


通訳の料金・価格・プライシングについて、通訳者として + エージェントとして10年間考えてきたこと_d0237270_04144929.png


さて、通訳者Aさんがレートアップを要望してきたとしましょう。いろいろと根拠があって80円にアップしたい、と。その根拠がもっともだったので、80円へのアップに合意しました。私の取り分は30円→20円に減ります。

その1年後。同じ通訳者Aさんが、今度は90円へのアップを要望してきました。あなたならどうしますか?
OKしたいのはやまやまなんですが、その要望を受けるとなると、私の取り分は20円→10円へと半減します。昔は30%取れていたのに、実に3分の1への激減です。自分は何も悪いことはしていないのに(笑)。

こうなってきたときにエージェントである私が思うだろうなぁ、ということは、「Aさん、分かりました。レートアップしましょう。そして、それと同時にクライアントに対する売り値を上げましょう」ということです。
クライアントへの売り値を100円から例えば125円に上げることが出来れば。通訳者が希望する90円を支払っても、まだ私(エージェント)の手元に35円が残ります。収入減どころか、逆に収入アップです。Aさんも収入アップ。Win-winです。

と思い、はり切ってクライアントのところに行きました。
「通訳者Aさんについて、今までは100円でお出ししていましたが、今後は125円に上げさせてください」と。
するとクライアントは即座に「じゃあ、他の人でいいです」と言うかもしれません。あるいは、そもそも「Aさんって誰でしたっけ?」状態かもしれません。料金アップどころではありません。

何を言いたいかというと、エージェントとのレートアップ交渉は大いに結構なんですが、それがエージェントとのゼロサムゲームになっていないか、を意識した方がいいと思う、ということです。そして、ほとんどのケースにおいて、それはゼロサムゲームです。クライアントから受け取る額を増やせない中での、通訳者とエージェントのぶんどり合いです。あっちを立てればこっちが立たず。通訳者のレートを上げればエージェントの取り分が減るし、逆も然りです(逆は無いんですけどね)。

ゼロサムゲームだからダメ、と言いたいのではありません。でもゼロサムゲームなんです。やや不毛なんです。



4.「あなたに通訳をお願いしたい」と「(値段が高くても)あなたに通訳をお願いしたい」は異次元
これ↑、何年にも渡る苦闘(笑)の末、料金をある意味100倍に上げてきた実績を踏まえ、心の底から自信を持って言えることです。

通訳者として駆け出しの頃、私は「指名」を取ることに夢中になっていました。いい通訳をし、会議参加者を喜ばせ、「次回もあなたがいい」と言ってもらう。その場でそうリップサービスしてもらうだけでなく、実際に次回の依頼を勝ち取る。それを目指していました。

でも、それを何年か続けていたあるとき、ふと気付きました。

「他の通訳者と料金が同じなら丹埜さんがいい」
っていうのは、
「他の通訳者より料金が高くても丹埜さんがいい」
とは全く違うんだな、と。両者は完全に異次元の話だと気付きました。

振り返って思うのは、「あなたがいい」と思ってもらうのは、まあ簡単なんです。料金が同じならあなたを選びます、と言ってもらうのは。
難しいのは、追加料金を取ることです。プレミアムをチャージすることです。これが本当に難しい。追加料金を、エージェントから取るのではありませんよ、クライアントから取るんです。それが大事なんです。

クライアントに「値段が高くてもいいからあなたにお願いしたい」と言わせて/思ってもらってナンボだな、と気付いてしまってからしばらくの間は悩みました、その難しさに(笑)。
でも、「難しい」ということは「不可能ではない」という意味でもあります。現に、それを出来ている人たちが業界内に存在するわけですから。



5.提言: 通訳者は、エージェントと共に栄える方法を考えよう
さて、さきほどの通訳者Aさんのレートアップの事例の話に戻しますが、クライアントのところに行ったときに、クライアントが
「ああ、Aさんですね。Aさんにはいつも本当にお世話になっていて、余人をもって代えがたい通訳者です。ぜひこれからも弊社の通訳をお願いしていきたいので、どうぞ値上げしてください。」
と言ってくれるような、そんな通訳者になる。そうすれば、エージェントと不毛なゼロサムゲームを繰り広げるのではなく、逆にエージェントを儲けさせてあげるありがたい通訳者になれます。
クライアントにそんなこと言わせられるわけないじゃん!ですって? → だとすれば、レートアップも出来ないんですよ、本当は。そこに気付いてください。



6.提言: 通訳エージェントは、通訳者に対し、その通訳者の売り値(つまり、ある意味その通訳者の価値)を開示せよ
これは全通訳エージェントに呼びかけたいことですが、通訳者に対し、グロスの金額を隠すのはやめましょう。モラル違反です。
前述の通り、貴社が良心的な、いいエージェントであればあるほど「隠したくない」と思うはずです。大事なのでもう一度書きますが、そういう「いい」エージェントであれば、通訳者に対し提供している付加価値の割には適正なマージンを取っているはずですから、隠すどころかむしろそのことを積極的にアピールしたいはず。「ほら、いつもあんなにサポートしているのに、その割にはこれしか取ってないんですよ」と。

よく考えてみれば、クライアント支払額は、本来は通訳者のものだとも言えます。我々エージェントは、そこからマージンをいただいているわけです。
以下の図で言えば、右側の考え方です。

そうそう、図の下に書いた仕訳もよーく見てみてください。



通訳の料金・価格・プライシングについて、通訳者として + エージェントとして10年間考えてきたこと_d0237270_07284154.png



ここで、興味深いことが一つあります。
あくまでもThought experimentとして、お金の流れを右側の流れに変えてみると、それに伴う会計上の仕訳がおもしろいことになります。

従来の考え方で行くと、通訳者はエージェントにとって「コスト要因」です。Cost △70です。これは、通訳者からゼロサムゲームのレート交渉を申し込まれた際にエージェントが受ける印象と一致しています。

でも、右側の考え方で行くとどうでしょうか。仕訳を再度見てみてください。この場合、通訳者はコスト要因などではなく大事な「収益源」的存在であることに気付きます。つまり、エージェントにSales 30の収益をもたらしてくれる源泉、それこそが通訳者、ということです。エージェントにとって、ありがたがるべきは実はクライアントではないのかもしれませんね、クライアントも大事ですが。


通訳者に対するグロス金額の開示は、通訳者に「ゼロサムマインド」から「エージェントと共に栄えるマインド」になってもらうためにも重要なステップです。自分のグロスの金額を知らされなければ、通訳者だって「どうすればグロスを上げられるか」という建設的なマインドになかなかならず、いつまでも「レート上げてください、レート上げてください」というゼロサムゲームを続けてしまうのも当然の帰結と言えます。通訳者をそうしたマインドにさせているのは、実はエージェントです。そして、それでは業界が栄えない。
だから、自社に登録してくれている通訳者に「この通訳案件のクライアント支払額を教えてください」と言われたら、むげに断る前に「なぜ断るのか、なぜ開示しないのか」を、胸に手を当てて考えてみてください。そして、もっともな理由が思い付かなかったら、ちゃんと開示しましょう。結局その方がエージェントにとっても得ですから。



<まとめ>
プライシングは、通訳者にとって通信簿となる、大事なバロメーターです。
そして、通訳者と通訳エージェントから成る通訳業界全体が真に栄えるためには、通訳のクオリティを上げ、それを売り値に適正に反映し、エージェントと通訳者が力を合わせてプライシングを引き上げていくことが肝要です。コロナ渦のリモート通訳全盛の時代、価格の引き下げ圧力が強まる中ではそういった努力が尚のこと求められます。

ぜひ、通訳者・エージェント共に今まで以上にプライシングを意識し、業界一丸となってグロスの金額を引き上げていきましょう。IRISはその先陣を切ります。

# by dantanno | 2021-02-10 06:40 | IRIS・経営 | Comments(2)

読書記録(2021/01/17): "A Year in the Art World" - アート界の住人たちの日常を垣間見る

今これらの本を同時進行で読んでいて、

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その中の主な作品をご紹介していきたいんですが、まずはバナナが印象的なコレです。
"A Year in the Art World" by Matthew Israel.


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(↑の写真をココにはりつける作業をしているときに改めて、、っていうか、初めて思いましたけど、このバナナ、やけにリアルですね(笑)。
まるで本当に本にはっつけてあるみたいに見える。)




アートに興味があって、ときどき観に行くし、ちょいちょい買ったりもしているんですが、まったくよく分かっていない。味わい切れていない。
モダンアートはとても好きで東京都現代美術館とかはよく行くんですが、印象派(?)とか宗教絵画とか、要するに通常のアート、王道のアートがまったくピンと来ない。
つまり、こういうの↓とか、
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こういうの↓とかがピンと来ない。
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アートの好みについては、もう「モダンアートが好き」でいいや、という気がしています。だって、今後いろいろ勉強(?)しても、↑のような絵を好きになるとは思えないから。
でも、アートというのは本当に奥が深そうで、もっともっと知りたい、その深みにはまって楽しんでみたい、と思っています。そうすれば、人生観も変わったりして、という期待もどこかにあります。そんなことを考えながら、アムスでのお気に入りのモダンアートの美術館をブラブラしていたときにMuseum Shopで手に取ったのが本書。




アート界にはさまざまな住人がいます。絵描きの人はもちろん、彫刻家も写真家もいます。



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そして、アーティストだけでなく、
美術館の職員
キュレーター
ファブリケーター(Fabricators)
ギャラリー関係者
コレクター。(アートを買う)お金持ち
アート・ライター
アート・アドバイザー
Conservators(美術作品の補修・管理をする人)
作品の保管・輸送業者
といった人たちもいます。みな、アート界の住人です。

この本の著者のマシューさん自身もアート界の住人で、キュレーターであり、ライターであり、Art historian(アート史家?美術史家?要するにアートの歴史を研究する人ですね)だそうです。そんな著者が、上記さまざまなアート関係の職種を紹介し、それがどんなことをする仕事なのかを説明した上で、実際にその仕事をしている人のところに行ってインタビューした結果を紹介・共有する、という本です。その人の仕事のどういう部分が大変だったり、やりがいがあったりするのか、とかも伝わってきます。

(ちなみに、本のタイトルにある「A Year in」という部分。アムステルダムの美術館のショップで本書を手にしたとき、僕は勝手に(アート界に1年間潜入(?)するのかな?)と解釈したんですが、そういうわけではなく、「A Year in」はあまり関係ありませんでした。一応、章立てが春夏秋冬になっていて、季節毎にグループ分けされています。1年かけて取材して回った、ということなのかもしれませんね。)




さて、この本を読んでいて感じたことですが、まずは(ありがたいな)ということでした。助かるな、と。

<ありがたい。助かる>
僕がもし、アート界について理解を深めたいと思ったとしましょう。っていうか、こういう本をわざわざ買って読んでいるわけですし、そういう気持ちがあります。そして、アート界についての理解を深める手段として、その世界の様々な人たちに会ってインタビューをしたい、と思ったとします。確かに、そのような取材をすれば、かなり理解が深まるでしょう。その後、絵を観に行ったとき、以前よりも楽しく鑑賞できそうです。でも、あいにく僕はアート界の住人ではない。コネクションも無く、知り合いもいません。そこで、アート界にいろいろとコネクションを持つ著者が、僕の代わりにいろいろな人にインタビューをし,その結果を僕と共有してくれている、という印象を受けました。A person with good connections doing the interviews for youという感じ。
これで1000円とか2000円とかなわけですから、つくづく本っていうのはおトクな話ですね。

<受け手目線の作品>
本であれ絵画であれ映画であれブログであれ何であれ僕は、受け手目線の発表者・発表物がかっこいいな、と昔から思っています。つまり、作者/発表者の独りよがりではなく、本であれば読み手、演劇であれば観客、そういう「受け手」がおもしろかった、ためになった、元気が出た、などの付加価値を感じる作品を創り発表するのがかっこいいと思うんです。そうあるべきだとか、そうでないもの(例えばほぼ誰も観に来ない映画を撮り続ける映画監督)を否定したいのではありません。そうでないものについての話ではありません。ただ、受け手目線で作られたものをかっこよく感じ、その作者をかっこよく感じるわけです。
ブログを書いていて、よく思います。気を付けないと、すぐに独りよがりの内容になる。でも、そういうことを書いていても、誰のためにもならない、誰も喜ばない。もちろん、それでお金を稼ぐなんて無理です。読者目線でないと。
でも、あまり読者目線にし過ぎてもしょうがない。「自分が書きたいこと」を完全にそっちのけにして、ただ単に「何を書けば読者は喜ぶか」を意識するだけなら、それはそれでやる意味が無い。本当に、ただ単に「商売」でやるならそれでもいいんでしょうが、そうではなくある程度「作品」のような(?)位置付けにしたい場合、多少は「自分」を入れないといけない。しかも、おもしろいことに、作品にある程度作者の「自分」が込められているからこそおもしろい、という面もありますよね。要するに、月並みですが、自分・自我と「受け手目線」のバランスが大事、ということで、そのバランスがうまく取れているこのA Year in the Art Worldはいい作品だな、と思うわけです。


「受け手目線」には恐らく2パターンあって、
1.「受け手のことを一生懸命考えて、意識して、ときには自分を殺してというか、自分のことだけを考えたらそうは創らない/発表しないのにそこをあえて少し修正して、その結果受け手目線のモノが出来上がっている」というパターンと、
2.「天性のものなのか、あるいはたまたま波長、時代、etc.が合ったのかは分からないが、自分が言いたいこと、書きたいこと、思ったことをそのまんま発表したら超「受け手目線」に仕上がっちゃいました」というパターンもあるでしょう。どちらもかっこいいと思います。前者は職人タイプ、後者は天才タイプという感じもします。ちなみに自分が通訳において目指しているのは間違いなく前者です。

話がちょっとそれましたが、本書はかなりの受け手目線になっていて、そしてタイプ的には恐らく1.前者の「職人」タイプ。入念な構想と、丹念な取材の結晶だと感じました。


<アート界のいろいろな職種について勉強になった>
例えば「ファブリケーター(Fabricators)」とか、耳慣れない職業なわけです。それが本書で紹介されていました。本書を読み終えた今でもよく分かってないんですが(ダメじゃん)、要するにアートの作成をいろいろな形で支援する人、のようです。技術的な助手、みたいな人を指す場合もあるし、プロデューサー的な人のことを指す場合もあるようです。

アート・アドバイザーとかも興味深かった。「アート」の「アドバイザー」。ことばの意味は分かるけど、誰に対し、なんのために、どのようなアドバイスをするの?と。
これ、要するにアートを集めるコレクター(えてしてお金持ち)に対し、どのようなアートを買うべきか、今後どういうアーティストが伸びそうか、購入して5年後・10年後に値上がりしていそうな作品はどれか、あるいは、値上がりとかは関係無く、とにかくおさえておいた方がいい作者は誰か、といったことをアドバイスする人のことをいうんだそうです。そんな仕事があるんですね、おもしろいですね。


<アートの修復について>
以前、情熱大陸だったかプロフェッショナル・仕事の流儀だったかで、絵画の修復家の女性を取り上げた回を観ました。そのとき、何かとてもピンと来るというか、ひっかかるものを感じ、自分にしては珍しく2-3回観たのを覚えています。そして今回、この本でも、一つのセクションを割いてConservatorsが取り上げられていました。
Conservatorというのは、例えば美術館に勤めていて、美術作品の補修・管理をする人です。修復家、と近い気がします。
本書のConservatorsのセクションを読んでいて思ったんですが、(ああ、これは通訳に似てるな)と。絵画の修復は通訳に似てるな、と。だから前にTVで観たときにやたら気になったんだな、と。
この点については、話が大きくなるので、もう少し考えた上で、別の記事で取り上げてみたいと思います。

とりあえずこの本についてはこれで終わり。

# by dantanno | 2021-01-18 06:37 | Books | Comments(0)

新年の読書

今読んでいる本です。

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この10数冊の本を、同時進行で読んでいます。

ーーー

本は好きだし、本を読むのも好きなんですが、読み始めるとすぐに苦しく/しんどくなってしまうんです。
(本当に好きなんでしょうか)
あるいは、読みながら何か別のことを考え始めてしまうんです。

一つの本を一定時間読み続ける、ということがどうしても出来ない。
1時間とかはもちろん無理。
1章、とかも無理です。
もって3分とか、その程度しか読み続けられません。

でも本は好きなので(本当です)、結局どうなるかというと、複数の本を同時進行で読む、ということになります。



本①を手に取って読み始める。
で、何らかの区切りまで読んだら、すぐに本②に移行します。

その「区切り」というのは、章の終わりとかはもちろん、そうではなく、段落と段落の間が数行空いている、あのライトな区切りとかもすべて含みます。
1ページに1メッセージずつ書いてある格言集(?)みたいな本であれば、1ページが区切りになります。
とにかく、区切れるだけ細かく区切った最小単位だけを読み、すぐに次の本に行く。で、次の本も最小単位を読んだらその次の本に行く。
イメージ的には、1冊の本にかける時間はほんの数分で、せわしなく本をとっかえひっかえするイメージです。



「一冊の本を最初から最後までじっくり読む」という方々からすると信じられない/考えられない読み方だと思います。
でも、自分にはこのやり方しか無いんです。もちろん、デメリットもいろいろあると思いますが、しょうがないんです。



このやり方の(数少ない?)メリットとしては、読み進めている本同士がときどきつながることがある、ということでしょうか。
例えば哲学の本を読んでいて、「昔の賢者はこう言っていた」みたいな記述があったとして、その次に手に取った、最新のプログラミング技術についての本の中で、コンピューターが情報を整理する際の仕組みとして、先程の哲学的考え方に似たやり方が紹介されていた、とか。そういう瞬間があるとうれしくなります。

ーーー

そんなわけで今同時進行で読んでいる本がたくさんありまして、すごく気に入っている本と、そうでないものもありますが、そのいくつかをご紹介していきたいと思います。

<つづく>


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# by dantanno | 2021-01-05 15:45 | Books | Comments(0)

通訳の「編集」について

今度、ひさしぶりにワークショップをやろうと思います。
気付いたら2年ぶりでした。

テーマは通訳の「編集」について。

ーーー

今まで、無数の通訳者の通訳を聴いてきました。
案件の本番で、あるいはIRIS登録に向けた面談で。大学院で、あるいはプロ向けの通訳ワークショップで。



多くの通訳者は、話し手が話した内容をそのまま訳出(やくしゅつ)します。
ここで言う「そのまま」というのは、おおむね話し手が話した順番通りに、そして特に加工のようなことをせず、ストレートに訳出することを意味しています。これが一般的な通訳です。



通訳においては、「何も足さない、何も引かない」という原則があります。
(一部の例外を除き)話者が言っていないことを通訳者が勝手に付け加えてはいけないし、せっかく話者が言ったことを通訳者が勝手に訳から落としてはいけない。足したり引いたりした方が付加価値が高まるケースもあるにはありますが、その場合、それは「通訳」ではなく、何か別のものになる。
私も通訳者として、そして翻訳者として、「何も足さない、何も引かない」を大事にし、日々それを意識して訳しています。



さて、冒頭で書いた通り、世の通訳者の多くが「そのまま」の訳をするという現実があるわけですが、その背景には、この「足さない・引かない」という原則の存在も関係していると思います。
何も足してはいけないし、何も引いてはいけない。だから「そのまま」訳すんだ、と。
これは確かに一理あると言えば一理ある考え方です。

しかし、自らの通訳を高付加価値化したいと考えたとき、ちょっと視点を変えてみるのもおもしろいと思います。
「何も足さない、何も引かない」の原則はちゃんと守りつつ、訳を高付加価値化する方法は無いものか。

言い換えると、「何も足さない、何も引かない」を隠れ蓑にし、付加価値を付けることを諦めていないか。そこから逃げていないか。
駆け出しの頃、自分の通訳について、強くそう思ったんです。

通訳者になってまだ3年目のときに書いた記事で、今の自分から見ると(青いな・・)というか、今の考え方とちょっと違う点もありますが、でも今も概ねこの考えのままです。



2012年にIRISを設立しましたが、設立当初から「プレミアム」ということを意識してきました。

フツーの通訳者ではなく、プレミアムな通訳者になりたい、そういう通訳者だけに集まってほしい。
フツーの通訳ではなく、プレミアムな通訳を提供したい。
フツーの案件ではなく、プレミアムな案件をやりたい、紹介したい。
フツーの料金ではなく、プレミアムな料金をチャージしたい。
ただの通訳エージェントではなく、プレミアムな通訳会社。

とにかく一貫して「プレミアム」を目指しています。
では、その肝心の、言うは易しの「プレミアム化」をするにはどうすればいいのか。プレミアムな通訳とは一体何か。



世の中には、「そのまま」訳すのではなく、話された内容に少し手を加えて訳すことで人気を得る通訳者もいます。
例えばIR通訳であれば、投資家の気持ちがよく分かり、投資家寄りの訳をすることが出来る通訳者。企業が言ったことに少し手を加え、より投資家に刺さる/腹落ちする訳出をすることで、投資家は喜び、そのIRミーティングも「成功」するのかもしれません。これは正直、結構付加価値だと思っています。でも、僕が目指す姿ではないんですよね。。
あるいは、ちょっと口下手でおとなしめのIR担当者の話を、多少盛って、ちょっと付け足したりなんかして、聴き手である投資家に分かりやすいように「改変(改良)」する通訳者もいるでしょう。
あるいは、長かった話をギュッと要約して訳すことで、「分かりやすい」と聴き手を喜ばせ、ミーティングをより効率的に進める、というシーンもあるかもしれません。

でも、私はそういったことをやりたくない。やっぱり「何も足さない、何も引かない」を守りたい。
でも、通訳をプレミアム化させたい気持ちは強い。強いというか、それをしないと意味が無い、自分が訳す意味が無くなる、と思っている。
ではどうすればいいのか。
こんな堂々巡りをしばらく続けた時期がありました。「プレミアム化」なんて、ほんと言うは易しです。



その結果思い至ったのが「編集」です。
「そうか、編集か!」みたいなアハ・モーメントがあったわけではなく、IRミーティングを何千回と通訳する内に少しずつ少しずつ、自分でも気付かないうちにちょっとした編集を入れるようになり、今はそれを意図的・戦略的にやっている、という感じです。




<「編集」とは何か>
以前、同時通訳と逐次通訳(と翻訳)を比較するブログ記事を書きましたが、その中で挙げた例を使い回します。

投資家が
How much revenue (売上) are you expecting this year? And what about operating profit (営業利益)?
と質問したとしましょう。実際にはこんな質問はしませんが。

それを「そのまま」訳すと、
今年の売上はどれくらいを見込んでいますか?あと、営業利益についてはどうでしょうか?
みたいになるかもしれません。

一方で、「編集」をすると、
今期の業績見通しですが、売上と営業利益、それぞれどれくらいになりそうですか。
みたいになります。

投資家の質問の「テーマ」、つまり何についての質問なのかを考えると、それは「今期の業績見通し」であることが分かります。なので、それを訳の冒頭に持って来て、「○○についての質問ですよ」というのを聴き手(企業の方々)に伝える。私はそれを「サイン/看板を立てる」と呼んでいますが、「今から何の話が来ますよ」と聴き手にAnticipationさせることで、聴き手にとってはグッと話が聴きやすくなる。あと、これはIRで結構大事なんですが、企業の方々は0.1秒早めに回答準備に取り掛かることが出来る、というメリットもあるんです。

また、投資家が「売上」と「営業利益」について散発的にバラバラと質問したわけですが、それを「そのまま」訳すのではなく、因数分解(?)のように、「売上と営業利益」とくくってあげることで訳がスッキリする。実際、ほんの少しですが、上記ピンクと青を比べると、青の方が訳が少しだけ短くConciseになっていますよね。しかも、青の訳においては、投資家が、その質問では省いているテーマ設定(業績見通しですが、の部分)を加えているのにもかかわらず、全体では青の方が短くConciseになっています。




さて、ここで一番ポイントとなるのは、青の訳が「何も足さない、何も引かない」の原則を守っているかどうか、です。

投資家は、その質問の中で「業績見通し」などとは言っていない。でも、青の訳にはそれが入っている。そういう意味では、「何かを足している」と言えば足しています。
また、投資家は2つ質問をしました。メインの質問の後に、補足的な質問がありました。でも、青の訳では、質問の数は1つになっています。そういう意味では、「何かを引いた、落とした」と言えなくもありません。少なくとも「集約した」とは言えそうです。

しかし、その発言を手がかりに投資家が知りたがっていること、質問していることは何か、を考えてみると、青の訳は、実は何も「足して」はいないし、何かを「落として」もいないことに気付く。言い換えると、企業の方がこの通訳(青の訳)を受けて、「売上はいくら、営業利益はいくらを見込んでいる」と答えれば、QとAが噛み合っており、投資家は満足するはずです。自分が聞いたことに対する答えが返ってきた、と。ということは、この訳でよかった、という証左でもあります。



「編集」の英語訳は"edit/editing"とかですが、私の言っている「編集」は、どちらかというと"rearrange"の方が近いかもしれません。



通訳の「編集」について_d0237270_09033001.png



<編集とは(再)>
改めて、私の言う通訳の「編集」とは何か、を考えると、
話し手が言ったことを、さまざまな切り口に基づいてrearrangeし、「何も足さない、何も引かない」の原則は忠実に守りつつ、通訳をプレミアム化させる手段
ということになろうかと思います。



<何をどう編集するのか>
編集にはたくさんの切り口があります。代表的なものを紹介します。

話の順番を入れ替える: 話の順番入れ替えは、一般的にも結構行われている「編集」だと思います。こうした順番入れ替え系の編集で一番典型的なのが、結論を前に持ってくるという操作です。
「結論を前に」は、日本人の話を英語に訳す際によく行われますが、逆のパターン、つまり外国人による英語での質問を訳す際に結論を前に持ってくることもあります(ただ、注意が必要なのが、発言者が例えばロンドンのベテランの投資家で、かなりの日本通の方で、その方が起承転結型の、結論が後の方に来る話(質問)をした場合、それは意図的にそうしている可能性が結構あります。で、そういう方は通訳者の日本語訳を聴いている可能性もあり、「あ、話の順番を入れ替えた」と気付くことがありますから、そういう場合はオリジナルの話の順番を尊重し「そのまま」訳すのもいいかもしれません。)

ポジティブ・ネガティブのメリハリを付けてストーリー仕立てにする: 例えば企業の方が淡々・粛々とあれこれ話した内容が、要するに「昨年は良くなかったけど、今年は良くなりそう」みたいな内容だったとしましょう。で、通訳者として「これ、ストーリーになる!(There's a story here!)」と感じたとしましょう(新聞記者が「これは記事になる!」と感じる瞬間と似ているかもしれません)。しかも、ポジティブなStoryに出来そうです。ウソをつかない範囲で話をポジティブな方向に持って行くのは、IR通訳において重要な要素だと思っています。ポジティブ・チャンスは必ず拾いたいんです。
話し手である企業の方が淡々と話した内容をそのまんま淡々と訳していってもいいんですが、それだともったいない。じゃあどうするか。
まず、話を前半と後半に分けます。前半は「昨年は厳しかった・・・」というネガティブな話にし、寂しそうに、元気無さそうに訳す。その上で、"However, this year,,,"と大きくためて、この後、話の大きな転換があることを聴き手に予感させた上で後半、すなわち「☆今年がいかに素晴らしい年になるか☆」という話をする。そうすることで、情報の無機質な羅列だったものが、実にドラマチックなStoryになるわけです。何も足していないのに。
尚、ここでの注意点は、ドラマチックが過ぎると参加者全員が引く、ということです。特に、企業の方が意図的に淡々と話していた可能性もあって、それを勝手に盛り上げてしまうことは、(たとえ情報量は足していないにせよ)結果的に何かを「足している」ことになってしまい、例の基本原則に反することになります。

分かりにくい話を分かりやすくして差し上げる: この辺、詳しくはワークショップでやろうと思うのでここでは割愛しますが、要するに、足したり引いたりするのではなく、でも話の内容を分かりやすくすることはいくらでも出来るので、それをやる、ということです。話し手の話が分かりにくい(+ついでに聴き取りにくい、なまりが強い、etc.)と辟易する通訳者もいるようですが、私は「大チャンス到来!」と興奮します。分かりやすい話を分かりやすく訳すなんて、誰にでも出来る。全くおもしろくない。そうじゃなくて、このおじさんの分かりにくい話を分かりやすく訳せたら大きな付加価値だし、本人 and/or 周りから褒められる可能性があるし、リピートのお客さんになってくれる可能性が高い、燃える(笑)んです。
ここでの注意点は、分かりやすくするのはいいんだけれども、その過程で話を歪曲/Distortしていないか、ということです。編集は大いに結構ですが、改変は良くないので。良くないというか、通訳の基本原則に沿った通訳ではなくなるので。
(あと、例えば採用面接の通訳であれば、候補者の「話が分かりにくい」は採用側にとって貴重なネガティブ情報ですから、そこは分かりやすく編集せず、分かりにくいまま訳す方がいいかもしれません。)



<どういう切り口で編集をすればいいのか>
編集の切り口は、ハッキリ言っていくらでもあります。

テーマとオチを明確にする
「事実・データ」と「想い・希望」を整理する
過去・現在・未来のタイムラインを頭の中に描き、話を時系列に整理する
Story仕立ての訳にする
ポイントや理由がいくつあったかを数え、コンサルのプレゼンみたいに「ポイント(あるいは理由)は○つあります」とやる
因果関係を元に訳を組み立てる
一コマ前のIRミーティングと言っていることが微妙に違うな、、と思ったら、それが意図的なのかどうかを察知して、意図的だと思ったらそのまま、話し手のミスあるいは疲れによるズレだと判断したら補正して訳す
etc. etc.

全部、「何も足さない、何も引かない」の基本原則を忠実に守りつつ、訳を高付加価値化させる手段です。そして、それはとてもSubtleな微調整なんですが、見ている人は見ているし、気付く人は気付きます。それが次につながります。



<編集のタイミング>
通訳者は、話し手が話し終わった瞬間に訳を開始したい。
そのためには、編集作業は、話し手の話を聴きメモを取っているときから始める必要があります。そして、(そろそろ話が終わり、通訳者へのバトンタッチが来るな・・)という頃、編集作業はピークを向かえます。

また、通訳者は、実は訳が始まってからも(!)編集作業を行っています。
「本日はお時間をいただきありがとうございます。」みたいなラクな箇所、あまり考えずに訳出できる箇所を訳している間、思考は発言後半部分の編集に向いています。



<編集とメモ取りの関係>
編集をするためには、メモ取りを工夫する必要があります。
編集しやすいメモを取る、ということでしょうか。
よく言われる「縦に取るメモ」だと編集作業がしにくい。
そこで、メモは四角く取るようにしています。あと、2色で取っています。


通訳の「編集」について_d0237270_08494517.jpg



メモした内容を「文字」として捉えていると間に合いません。編集は一瞬で行わないといけないので。文字ではなく「絵」、いや、より正確に言うと「図」としてとらえることにより、それをパッと見て、すぐにその発言に適した編集の切り口を見出し、その切り口に従って編集作業を行った上で訳を開始します。そうすると喜ばれるんです。


<編集は「怒らせたら負け」。っていうか、「怒られない」>
編集は、すればいいというものではありません。しない方がいいときもあります。あります、というか、多いです。
本番中、複数の話し手が入れ替わり立ち替わりいろいろなことをいい、それらを通訳者が訳すわけですが、通訳者にとって「何をどう編集するか」以上に重要なのが、「そもそも編集すべきか否か」です。
せっかく編集したのに、その結果怒られてしまってはしょうがありません。

これは大事な点なので繰り返しますが、「編集」は会議参加者を喜ばせるために行う作業なので、それをやった結果怒られる、ということがあっては絶対にいけない。
「編集をしたら怒られちゃった」ということはあり得ないわけです。それは「編集」ではない。やったら怒られることはしない。それが私の言う「編集」です。

よくあるクレームが「通訳者が話の内容を勝手に変えた(落とした、あるいは盛った)」というもの。あるいは、「話し手が長々と話したのに、通訳者の訳がとても短かった(つまり、落としすぎ)」というもの。これは、私に言わせれば「編集をした結果怒られちゃった」のではなく、そもそもそういった作業(改変・付け足し・落とし)は「編集」ではないんです。編集では「何も足さない・何も引かない」を守るので。

話し手や聴き手の性格や立場。その場の雰囲気、目的。その発言の意図、etc. etc. そういった要素を複合的に考慮し、そもそも編集をすべきか、を決め、その上で「どう編集するか」を考えるのが通訳者の役割です。
この辺は、もはや「うまいこと立ち回ってください」としか言いようが無い面もありますが、それを言っていてもしょうがないので、この辺についても今度のワークショップで考えていきたいと思います。



<今後、通訳の高付加価値化はマスト>
コロナになって思うのは、通訳に付加価値を付けられるかが大事だな、ということ。今までだって大事だったわけですが、今それが特に求められている気がします。
そして今後、ウイルスの脅威に加えてAI・自動通訳の脅威と戦わないといけない通訳業界としては、「フツーの訳」ではなく「プレミアムな訳」が出来た方がいいし、むしろそれが新たなベースラインになっていくのかな、という気もします。付加価値のある訳が出来て当たり前で、そこをベースにした勝負になっていくのかな、という気がします。

そしてそのためにも、訳の「編集」は大きな武器になります。

練習の場で、じっくり時間をかけて訳していいのであれば編集はある程度しやすいんですが、実戦では、ほんの一瞬で編集作業を実行・完了させることが求められます。
その辺のやり方を、今度のワークショップで考え、共有していきたいと思っています。

「編集みたいなことは普段やっていない」という通訳者の方: それでも合格点は取れるかもしれません。でも、昔の私みたいに、「何も足さない、何も引かない」に逃げていませんか。本当はもっと高付加価値な、一段上の訳が出来るかもしれません。一度、編集のメカニズムに触れてみて、その後訳が変わるかどうか、試してみてください。
「私は既に編集をしている」という通訳者の方: 「編集」をしていて思うのは、(これ、正解が無いなぁ・・・)ということ。でも、正解が無い→人それぞれでいい、なんでもいい、ということではないですよね。自分以外の「編集」系の通訳者(つまり私)が、一体何を考え、どうやって編集しているのか。自分が普段使っていない切り口は無いか(きっとあるはずです)。そういったことを考え、ご自分の編集作業をさらに一段上に引き上げるきっかけになるかもしれません(あと、私にも新しい編集のやり方・考え方をぜひ教えてください。)

2021年1月、新春の開催です。来年は、いろいろな意味でブレークスルーの年にしましょう。

興味がある方は、ぜひ事務局まで!
iris@iris-japan.jp

# by dantanno | 2020-12-25 18:28 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

スパッツ陰謀論

ランニングしている人
速そうなロードバイク(自転車)に乗っている人
山ガール

その共通点は何か。

そう、スパッツです。みな、スパッツをはいています。全員必ず。
あと、たまにサングラス。それも黒や茶ではなく、オレンジ?だか緑?だかに光るやつ。それをつけています。

かく言う私も、昔なぜかロードバイクを買ったときに、「ロードバイクに乗るなら、当然ツール・ド・フランスな服装をしないといけない」ということで、いわゆるウェアと呼ばれるグッズ一式を何万円も出して買いました。パッツンパッツンのスパッツみたいなのとか。その後、ロードバイクは数回乗り、今は飾ってあります。


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「オレも、運動でもするかー・・・」と思い立って走ったりチャリ乗ったり山登ったりするわけですが、なんでスパッツを買うのか。
運動はTシャツとジャージですればいいのに、なぜ七色に光るサングラスを買い求めるのか。

昔は、業界の陰謀だと思っていました(笑)。
ランニング雑誌、自転車雑誌、山登り雑誌。表紙を見てください。全員スパッツをはき、楽しそうに笑っています。それを見て、何も分かっていない僕のようなHaplessな消費者は知らず知らずの内に洗脳され、スポーツ用品店に吸い寄せられ、「ス、スパッツください・・・」→「はい、まいどあり〜」ということになるんだ、と思っていました。今でもこの思いはちょっと残っていて、我々ユーザーが「実はTシャツとジャージが一番いい」という事実に気付いたとき、スポーツ用品業界の売上がどうなるのか、興味深く見守っています。今のところ、売上が激減する気配はありません。

あるいは、業界の陰謀などではなく、我々消費者がそれを求めているのかもしれません。
確かに、ロードバイクを買い、それに合わせて「ウェア・グッズ一式」を買ったとき、本当にワクワクしたんですよね。自転車雑誌やWebを見ながら「どれにしようかなぁ。。。」とやっているときも至福だったし、実際にお店に行ってあれこれ見て回る時間は無上の楽しみでした。
スパッツと七色サングラスを持ってレジに向かう途中(これ、一度着ただけで終わるかも・・・)という思いも一瞬脳裏を去来するんですが、桜やミンミンゼミ同様、そのはかなさがまたいいんですよね。

店員さんも、またうまいんですよ。
「このシューズ(注:靴とは言わない)、軽くて走りやすいですよ」

そもそもなんでランニングやチャリを始めたいと思ったんだっけ?トレーニングのため、フィットネスのためですよね。だとしたら、ちょっとぐらい負荷をかけるのはむしろウェルカムなはずで、「極力軽く、空気抵抗が少なく、走りやすい」は主旨に反するはずなんですが、でも買っちゃうんですよね、そういういいグッズを(笑)。僕だって、ロードバイクなんかに乗ってる場合じゃなくて、壊れかけのママチャリに乗るべきなんです、健康になりたいのであれば。ロードバイクなんて、フィットネスを求める人が一番乗ってはいけない乗り物です。でもスパッツはいて七色サングラスつけてロードバイクを買いに行ってしまう。

「ヒザの負担を軽減」?
ちょっと考えてみれば分かることなんだけど、昨日まで毎日家でビール飲みながらゴロゴロしてた僕が、ヒザを故障するほど走り込む予定ですか?いえ、その予定はありません。でも、なんか買っちゃうんですよね、スパッツ。


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結論。
ランニング? TシャツとジャージでOK。家に転がってるスニーカーで走ればOK
自転車? TシャツとジャージでOK。パッツンパッツンは着心地が悪いだけ
山登り? TシャツとジャージでOK。延び縮みするあの棒だかステッキだかは不要

運動するならTシャツとジャージ。スパッツは不要。
物置にしまいっぱなしの高価なウェア一式に思いを馳せるたび、そう思います。


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# by dantanno | 2020-12-23 20:18 | 提言・発明 | Comments(0)