たんのだんのブログ

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カテゴリ:子育て( 13 )

子供をバイリンガルにするかどうか

日本がだんだん国際化していく中で、この悩みを抱える親はさらに増えていくのではないでしょうか。

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僕は「教育」とか、子供の「バイリンガル化」といった問題について、完全な門外漢ですが、僕自身、
「子供を絶対にバイリンガル・バイカルチュラルに育てる!」
という親の元で生まれ育ち、その結果どうにかこうにかバイリンガルになり、今は通訳を生業としています。

あくまでも一サンプルとしての意見・感想を書いてみようと思います。
何かの参考になればうれしいです。



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「バイリンガル化」を成功させるには

当たり前な気もしますが、以下の条件が揃えば揃うほど、成功の確率が高まると思う:

1. 両親、あるいはどちらかがバイリンガル

2. 両親が共に(どちらか一方だけではなく)、子供のバイリンガル化に強い情熱を持っていて、カネと労力をかける準備がある

3. 子供を海外の現地校(日本国内のインターでも、まあ代用可)に数年間通わせる




僕の場合、小中の9年間、ほぼ1年おきに
日本の学校 → 英語の学校 → 日本の学校 → ・・・
を繰り返し、計8回転校しました。

そこまでやる必要はないと思うけど、小学校で2年以上 + 中学校で1年以上、海外の現地校に行かせるといいと思います。

「1回長期間」ではなく、短くてもいいから複数回行かせるのがミソ。
日 → 英 → 日 → 英、と繰り返すことで、頭のスイッチ操作に慣れさせるのがミソ。



親が仕事で赴任するなら連れていけばいいし、そういう予定が無いのであれば、子供を一人で行かせればいい。
僕たち兄弟は小学校時代、何度も一人で「海外留学」させられました(涙)。



僕の場合、小学校時代の「外国の学校経験」は約3年ですが、それだけであれば不十分だったかも。
中2のときに1年間イギリスの全寮制の学校に通いましたが、これが決定的だった気がします。

そこまで徹底的にやっておけば、その後は高校+大学+社会人と、計15年ぐらい完全にドメドメで、英語からすっかり遠ざかっていても、あまり錆びつきませんでした。



一方、弟は中学校以降ずっと日本でしたが、今でもびっくりするほど英語力が高いので、現地校に通わせるのは案外小学校時代の数年だけでもいいのかも。
この辺は、子供によって個体差があるはずです。



人によって、「ことばのセンス」は決定的に異なると思う。
自分の子供がそのセンスを欠いているようであれば、無理をさせない方がいいかも。。。

大丈夫、その分必ず他の面でセンスがあるから!

例えば、僕がよく同行する投資家はしょっちゅう日本に来ていて、いつも日本語を学びたがりますが、いつまでたっても全く覚えません。
しかもなんと、母国語である英語も分かりにくい(爆)。

その代わり、数字・投資のセンスはすごいです。



目標は「バイリンガル」なのか、「バイリンガル + バイカルチュラル」なのか、をハッキリさせるといいかも

この2つは似て全く非なるものなので。
結果的にどう仕上がるかは別として、両親で相談し、意向を決めておくといいと思います。

最終的な意志決定権者は子供本人かも。

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「バイリンガルに育てたいが、日本語・英語が両方中途半端になってしまうのが心配」

分かります。よく言われますよね、コレ。



今仮に、両親がバイリンガル化に挑戦した結果、日本語・英語が両方中途半端に育った人がいるとしましょう。

英語はひとまず脇に置いておいて、まず日本語について考えてみます。



その人の日本語は、一体なぜ中途半端になったのか?



僕は、犯人は
「親が子供をバイリンガルにしようとしたこと、英語を学ばせようとしたこと」
ではない気がします。

じゃあ、真犯人は誰か?
それは、、、



日本語をちゃんと学ばなかったこと



ではないか。



そして、母国語である日本語をちゃんと学ばなかった子は、えてして外国語である英語もちゃんと学べていない、だから「日本語と英語、両方中途半端」になるのではないか。

そう考えると、その人の日本語・英語だけでなく、理科、社会、算数などもちょっと心配になってきます。



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2つの言語を同時に学んだからといって、子供の頭の中は混乱しないと思います。

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バイリンガルに育つ過程での一時期、日本語と英語が混ざってしまう時期があるかもしれません。
(僕も子供の頃、卵を「エグも」と呼んでいたそうです。)
ですが、普通の(バイリンガル化を目指していない)家庭の子供の日本語が幼い頃は未熟なのと同じで、すぐに卒業すると思います。
僕も今は、吉牛でエグもください」なんて言いません。



一方、「中途半端な英語」について。

これもまた、犯人は「バイリンガル化」ではなく、英語をちゃんと学ばなかったことではないか。
なので、ちゃんと学べばいいと思うわけですが、そもそも「中途半端な英語」って、「英語全くしゃべれません」っていうのと比べてだいぶマシですよね。



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百歩譲って、「バイリンガル化は、言語の中途半端化につながるリスクがある」としましょう(そうは思わないけど)。



So what?





「日本語・英語が両方中途半端」っていうけど、世界のほとんどの人は「母国語中途半端、外国語不可」。

母国語を完璧に、、、
例えば日本語だったら難しい漢字を辞書見ずにたくさん書けて、書き順も間違えず、敬語を完璧に操れる人なんてほとんどいません。
日本語75点の人が65点の人を「中途半端♪」と笑っているわけで、金田一先生からすれば「お前らみんな中途半端」です。

そして、これは何語にもあてはまると思うけど、もし「中途半端」なのがイヤなのであれば、大人になってからでも必ず直せる。
「中途半端」とされるほどヘンなのであれば、その分「どこがどうおかしいのか」の解明も容易で、カイゼンも容易なはず。



語学の勉強は、人を魅力的にする

例えば、あなたが今から
フランス語ペラペラになりたい!
と思ったとしましょう。

一体何をしますか?



考えられる方法として:

・ フランス一周の旅に出る
・ パリのアパルトマンに1年間住む
・ フランス人のイケメン/美人と付き合う
・ フランス映画を観まくる
・ フランスの本やマンガを楽しむ
・ フランス人の友人をたくさん作る



楽しくない??


いずれも、単に「フランス語を身につける」だけでなく、人生をステキにすることばかりのような気がします。

そして、フランス語を身につけた結果得られるものは「フランス語」だけでなく、フランス語を話す人たちとの友情であり、視野の広さ思いやりだと思います。



「語学なんて、所詮ツール」とみんな言っています。
確かにその通りなんだけど、「なんて」と「所詮」は余計。
すっっごいステキな、魔法のツールだから。



だから、
「子供をバイリンガルにしたい!」と思うのはステキなことだと思います。
「ウチの子はトライリンガルにする!」とか、
「ウチの子には、日本語を極めさせる!」と同じぐらいステキ。



ぜひチャレンジしてほしいです。
by dantanno | 2013-09-17 13:40 | 子育て | Comments(0)

ヒメを迎える準備: 部屋編

もう間もなく。。。

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片付け前。

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ちゃんと、まず自分で試します(笑)。

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奥さんが一目惚れしたカーテン。

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バイリンガルに育てます。

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結婚式で使ったWelcome board.
今回の趣旨にも合致するメッセージなので、部屋に飾っています。

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引き続き作業をする奥さん。
すぐに書斎に戻る僕。。。

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by dantanno | 2013-09-11 22:03 | 子育て | Comments(0)

「店員さんに敬語」の、ロジカルな説明を試みる

以前、「コーヒーとタメ口」という記事を書きました。

その記事に対し、
読者 「なんでオレが店員に敬語使わなきゃいけないんだよ」
(ほぼ原文ママ)

というコメントがあったので、
D 「いや、別に敬語を使うも使わないも、人それぞれでいいと思いますよ」
と返しました。

その後ほどなくして、コメント受付をやめました(笑)。



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「人それぞれでいい」と思うけど、でも、、、
自分の子供は、ちゃんと店員さんに敬語を使う人間になってほしい。
だから、将来もし子供に

「ねえねえ、なんでお店で敬語使わなきゃいけないの?
ボクはお客さんで、お金を払ってるのはボクなんだから、ボクの方が偉いんでしょ?」


と聞かれた場合、ちゃんとロジカルに説明出来るようにしておきたい。



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お金(貨幣)が生まれる前の、物々交換(barter)の時代。

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漁師が

(今日、肉食べたいな・・・)

と思ったら、
1. 肉を持っていて、かつ、
2. (今日、魚食べたいな・・・)と思っている人を見つけ、
3. 自分が持っている魚と、相手が持っている肉を物々交換していました。



この場合、、、
お金を払っているのはどっちか?
どっちが客か?
エライのは漁師、肉屋のどっちか?
タメ口をきいていいのはどっちか?


どっちでもありません。



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その後、貨幣が生まれました。

漁師が
(今日、肉食べたいな・・・)
と思ったら、
1. 肉を持っている人を見つけ、
2. 自分が持っている貨幣と、相手が持っている肉を交換するようになりました。

(ちなみに、相手が(今日、魚食べたいな・・・)と思っている必要がない分、取引が成立しやすくなり、すごくラクです。)



この場合、、、
お金を払っているのはどっちか?  → 漁師

どっちが客か?  → 「お金を払っている方=「客」という定義からすると、漁師サイドが客


ここまではOK。



じゃあ、
エライのはどっちか?
タメ口をきいていいのはどっちか?


どっちでもない。
なぜなら、、、
同じ肉を手に入れるのに、魚を提供しようが、魚を売って手に入れた貨幣を提供しようが、それはいずれにせよ対等な交換であって、どっちかが「エライ」わけではない。

また、for argument's sake, 仮に「交換において、貨幣を提供した側がエライ」というのであれば、上記取引とは逆に「肉屋が貨幣を魚と交換する」という取引の場合は肉屋の方がエライことになり、漁師と肉屋が交互にエラそうに/ペコペコし合うという、怪奇現象が起きてしまいます。

魚と肉を直接交換する場合、両者は対等なのに、
貨幣で媒介する場合はかわりばんこにエラくなるのはヘン。



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結論としては、
・ 物々交換の時代における、魚と肉の交換に「エライ」も何もない。
・ その後、取引が貨幣で媒介されるようになったけど、それは物々交換をより効率的に行っているだけで、原理は一緒。
(例えば僕の場合、「通訳」を食料や住む場所など、いろいろな財・サービスと交換して生きています。)
・ 貨幣が介在する分見えにくくなっただけで、やっていることは物々交換なんだから、どっちがエライとかは無い。
・ よって、貨幣を提供する側(=客)がエライ、とする根拠は無い。



こんなことをグチャグチャ説明しなくても、ちゃんと店員さんに敬語を使う子供に育ってほしい。
そのためには、親である自分が日々ちゃんとしていればいいんだと思う。

一方、もし説明を求められたら、
「そういうものなの!」
的なテキトーなごまかしではなく、(なぜそう思うのか)をちゃんと説明出来るようにしておきたい、と思ってグチャグチャ考えてみました。
by dantanno | 2013-07-15 08:04 | 子育て | Comments(0)