たんのだんのブログ

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カテゴリ:プレミアム通訳者への道( 44 )

新たな通訳道具を購入し、気合いを入れ直す

通訳において、メモ取りというのはとても大事なプロセスです。

簡単に言うと、話し手が言ったことを記録・記憶するために使うわけですが、それだけが目的ではありません。いろいろな側面的な効果があります。例えば・・・

・聴いた内容ではなく、「理解した内容」をメモすることにより、理解の一助とすると共に、話を再現しやすくする
・何をメモるか、を取捨選択する過程で話の重要性を判断する

話し手が話し終わり、いざ通訳をする段になって、メモを頼りに話し手のメッセージを再現します。

通訳者によってスタイルは異なりますが、僕の場合、メモを四角(横6 X 縦4ぐらいの大きさ)に取り、全体を一枚の絵、あるいは地図として眺めた上で、それを聴き手にどう伝えるかの戦略を立てます。
(一方、業界で推奨されている方法は、メモを縦長に取り、訳す際は一番上から順々に訳していく、というスタイル。)

たまに、通訳者ではないものの、バイリンガルでかつインテリジェントな人がいて、そういう人が、通訳の訓練を受けたわけでもないのに、かなりいい通訳をしたりします。例えば、企業のバイリンガル社員が自社のミーティングにおいて通訳をする、といったケースがあります。そういう人はシロウトなのにびっくりするぐらい通訳が上手なのですが、それでもやはり一流のプロ通訳者には劣る(でも、普通の通訳者よりはずっと上手)。その差を生み出す一番の理由が「メモ取り」だと思います。
シロウトは、メモを取らない、あるいは取るのに慣れていない。それに対し、プロはメモ取りが上手なんです。

そんな、とても大事なメモ取りの作業。
それに必要となるのは、ノート/紙、そして筆記用具です。

ーーー

一時期(ほんの一時期)、裏紙をメモとして使っていた時期がありました。

確かに資源のリサイクル、いや、正確にはリユースか、、、資源のリユース的には裏紙を使った方がいいんでしょうが、なんだかこう、通訳に対する冒涜のような気がして、早々にやめました。裏紙の切れっ端に、1本100円のボールペンを使って仕事をしていると、自分の仕事がその分「安く」なる気がしたんですよね。気持ちが少しだけ荒み、だらけているのを感じました。

当時も今も「通訳のプレミアム化」ということをずっと言っていて、いかにクオリティの高い通訳を提供し、それに見合った高い対価を取っていくか、を考えたときに、安物を使って通訳をするのはもうやめよう、と思いました。

それ以来、ずっと「いいもの」を使うようにしています。

ーーー

最近買って、まだ一度も使っていないのに、既にとても満足しているのがこれ。

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イタリアのFabrianoというブランドです(買ったのはロンドンだけど)。


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オレンジという色が、いろいろな色のスーツに合う気がしました。グレーでも、ブルーでも、茶色でも。

中には大きなノートがあって、ペンホルダーがあって、そしてA4のプレゼン資料やMacbookを入れた上でジッパーで全体を閉じられる点が気に入りました。

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ノートもついてきました。

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ノートについては、横線が入っているものを使うのが業界では一般的(?)とされているようですが、横線がノイズとなり訳に干渉する気がするので、必ず白紙、あるいは目立たないグリッド/点々が入ったノートを使っています。


電車のチケットとか、

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名刺とか、

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それはそれで通訳に干渉しそうな余計なモノを差し挟める隙間もあり便利。

店員さんに乗せられ、ついでにペンも購入。

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LAMYのペンは、一度ヘンなのに当たって以来避けてきたんですが、このペンのインクの出の滑らかさがハンパない。とても気に入ったので、別の色のペンをもう1本と、Refillも4本買いました。

ノートが通訳者にとっての盾ならば、ペンは剣。
いずれも大事な道具です。

こういういい道具を、文具に対する愛着を感じさせる文具店で買うのが大好きです。
そして、せっかくこういういい道具を使っているのに、クオリティの低い通訳をすることは決して許されないな、という戒めになるんです。

明日からこの武具・防具一式で仕事に臨みます!


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by dantanno | 2018-06-18 05:03 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

第55回「宣伝会議賞」、あえなく選に漏れる。。

昨年に続き、第55回「宣伝会議賞」に応募した。
結果は、(昨年に続き)あえなく一次審査での落選だった。



この賞は、要するにコピー(キャッチコピー)を考え、応募する賞。
応募出来る部門としては、「コピー部門」や「CM部門」があり、いくつもの企業に何通でも応募出来る。

おもしろいのは、多くの企業がこの賞に協賛しており、それら企業の実際のコピーを考える賞である、という点。単なるアカデミックなイベントではなく、ビジネス、実務、実社会と密接につながっている点が好きだ。



プロのコピーライターはもちろんのこと、我々シロウトの中にも、いろんな商品やブランドのコピーを夢想して楽しんだ経験がある人はいると思う。

また、実際にCM等で使用されているコピーを見聞きし、不遜にも
(これで通用するの?だったら自分の方がいいコピーを思い付きそうだ・・・)などと妄想する人もいるかもしれない。僕もそう思ったりすることもたまにあるが、実際にコピーの賞に応募するとなると、いいコピーを思い付くのはなかなか難しいことに気付き、不遜だった自分へのいい戒めにもなる。



グランプリ作品はもちろんすごい。でも、それだけではない。

一次審査の入選者の一覧を見ていて(すごいなあ)と感心するのは、同じ応募者が、複数の企業のコピー部門やCM部門に多数入選している、そんな猛者がいること。
その人の名前をググってみると、プロのコピーライターだったりするのだが、それにしても実にすごい。

賞に参加している企業を一社選び、その会社やその会社の商品・ブランドについて、長い間考えに考え抜いて、その結果いいコピーをひとつ、あるいはいくつか思い付く、というのであればまだ分かる。それもすごく難しいことなのだが。

でも、この人たちがすごいのは、その作品が複数の企業で選ばれている、という点だ。
(一社で入選するのも大変なのに!)



ーーー



なぜ、自身がコピーライターではなく、コピーライターを目指してもいない僕(=通訳者)がこのような賞に年々応募しているのか。
それは、いい通訳者になるためだ。



この点については、通訳者になった頃に一度、結構考えた時期がある。
僕の場合、10年とか20年とかそういった悠長なスパンではなく、3年ぐらいで通訳のウデをかなり上げる必要があった(3年後に独立してエージェントを立ち上げる,という無謀な目標を持って証券会社のインハウス通訳者になったからだ。ちなみに、結果的に3年以上かかった。)



通訳のウデを一刻も早く上げるためには、

1.通訳の本番、およびそれに向けた予習、および通訳のトレーニング(リテンション、リプロダクション、メモ取りの練習、逐次・同通演習など)に専念するのがいいのか、

あるいは、通訳というものをもう少し広く捉え、

2,上記「狭義の通訳」関連の取り組みに加え、ことばに関連する他のいろいろな取り組みもした方がいいのか、

の2点で揺れ動いた。

通訳者の中には、1.寄りの人も2.寄りの人も、あるいはその中間のどこかの地点に位置する人もいるだろう。



「揺れ動いた」と書いたが、まあハラは最初から決まっていて、僕は断然2.のルートを選ぶことにした。一見遠回りでも、3年ぐらいのスパンで考えたとき、この適度な回り道(Detour)がちょうど良いだろう、と判断したのだ。

そして、何よりも僕は飽きっぽいので、通訳をあまり狭義に捉えてしまうと早晩飽きるだろう、という達観もあった。



では、「通訳そのもの」以外に、一体何をするのか。

絵本の翻訳コンテストがその一つだ。
これについても毎年熱心に応募し、毎年あえなく撃沈している。かすりもしない。(でも、今年は元教え子が見事入選したのでとてもうれしい。)



このブログを書くこともそうだ。

頭の中に何か伝えたいこと、相手に説明したいことがある場合、どうすればそれを分かりやすく説明出来るのか。それを日々トレーニングすることは、「話し手が言っていることを分かりやすく説明すること」とも定義出来る「通訳」という仕事をする際にきっと役に立つと感じた。

これは、直接的には実感しにくいが、きっと役に立っている、と思う。
話し手が話し終わった、その一瞬の間に(うーんと、今の話はどうやって説明すればいいかな・・・)と考える、そういう瞬間があるが、その作業を日々ブログ書きで経験しているのは多分役に立っていると思う。



コピーの賞である「宣伝会議賞」への応募も、この活動の一環だ。

コピーの対象(この場合は企業だったり、あるいはその製品やサービス)を説明する際、どうすれば「刺さる」のか。自分の思い上がりで放つことばは刺さらない(僕が毎年身をもってお示ししている通り)。やはり、聴き手の心に刺さらないといけないわけで、(このことばは、聴き手にどう伝わるだろうか・・・)を考える作業は,通訳力に直結する気がする。

毎年,優勝どころか一次審査さえも通らないということは、僕が放つことばがいかに独りよがりであるかの現れだ。(オレはコピーライターじゃないし(笑))などとうそぶいていてはいけない。ことばの専門家なんだから、グランプリとまでは行かないまでも、せめて一次審査を通る作品を1つでいいから作れないと恥ずかしい。

実際、落選が分かってから、自分が応募したコピーたちを改めて眺めてみて、かなり恥ずかしく思った。よくこんなので、(もしかしたら一次審査ぐらいは通過するかも♪)と思っていたなと、部屋で一人赤面した。。。
(そして、思い付いたことば/コピーをしばらく寝かせておく必要性も改めて痛感した。)

来年もぜひまた応募したい。



これからも、通訳というものをなるべく広く捉え、あらゆる「ことば関連の取り組み」に貪欲に取り組んでいきたい。それは通訳力アップのため、という口実もあるが、実のところ、単に楽しいからというのが大きい。

by dantanno | 2018-03-21 12:24 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

大事な話は右耳から?

Wall Street Journalに載っていた記事。

One way to get your child to listen
https://www.wsj.com/articles/hint-to-parents-your-kids-process-words-better-in-their-right-ears-1517580001
(リンクがうまく開かない場合、当ブログ記事の一番下の記事のコピペをご参照ください。)

子供に言うことを聞かせたいなら、、、いや、僕の解釈では「子供に話をちゃんと聞いてほしいなら」、左耳ではなく右耳に聞こえるように話した方がいい、という内容。

right-ear advantage (右耳の優位性?)という現象だそうです。

なぜそういうことになるかというと、
左耳から聞いた情報は、まずは右脳に行き、そこから左脳に転送されるが、
右耳から聞いた情報は、直接(言語を処理する)左脳に行くので、理解が早い、ということらしい。

気のせいかもしれないが、そう言われてみると確かにそういう気がする。
右耳で聞いた情報はスッと入ってくるけど、左耳から聞いた情報は一度プロセシングが必要な気がする。もっとも、これはこの記事を読んだからそう思い込み始めただけかもしれないけど。

ーーー

右耳優位の傾向は、大人でも見られるものの、子供においての方が強く出る、とのこと。それは、子供は(左耳から入った情報を)右脳から左脳に転送する仕組みがまだ十分確立されていないから。

子供が全然言うことを聞いてくれないとき、それはもしかしたら親の立ち位置が悪いのかもしれない(苦笑)。

ーーー

多くの人が電話を右耳で受けるのは、「右利きの人が多いから」というのもあるかもしれないけど、「右耳で聞いた方が理解しやすいから」というのもあるのかもしれませんね。

運転しているときに助手席の人が話しかけてきた場合、(運転に集中している分)話を聞くのがちょっと上の空になりがち。
日本車の場合は右ハンドルの車がほとんどで、運転者は左耳で助手席の人の話を聞くことになるから、その分「上の空」度が外車と比べてちょっと高いのかもしれない。


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通訳をするとき、事務局の方々から「ダンさんはどっち側に座りますか?」と聞かれるシチュエーションがときどきある。IRで、どこかの会社の社長さんに同行している場合、社長の右側に座るか、左側に座るか、ということ。

今までは「あ、どっちでも大丈夫です」と即答し、左右についてこだわりが全く無いことを(心のどこかで)誇りに思ってきた気がするけど、本当は気にかけた方がよかったのかも。社長に僕の通訳(日本語訳)を分かりやすく聞いてもらうためには、右耳から訳を聞かせてあげた方がいいわけだから、ええっと、、、僕が社長の右隣に座ればいいのか。そして、(左脳に直接届け〜)と思いながら訳せばいい。一方、社長が話をして、それを僕が聞く(そして訳す)とき、僕は社長の話を左耳から聞くことになってその分ちょっと理解面で不利になるわけだが、それも含めて通訳という仕事なんだろう。

次からはスピーカーの右隣に座るようにしてみよう。

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One Way to Get Your Child to Listen
Children process words better in their right ears; information reaches the language-processing side of the brain faster


Say what?

When speech funnels into your right ear, the initial signal reaches the side of the brain that processes language in about 20 milliseconds.

But if the information is captured by your left ear, it travels a longer, more circuitous route.

That’s not a problem if both ears hear the same words, but when each receives competing messages—think about being on the phone while someone is talking nearby—the information captured by the right ear will be processed more efficiently.

The phenomenon is known as the right-ear advantage

It helps explain why children, in particular, have trouble handling information when competing signals bombard each ear, and new evidence suggests it also may affect adults when they’re trying to absorb complex information.

“In children, the right ear has a huge advantage,” said Aurora Weaver, a professor in communication disorders at Auburn University. “It’s not that the left ear isn’t hearing. It’s that the brain can’t make use of the information and respond to it.”

Audiologists test the ability to process competing messages by presenting different material simultaneously to each ear, then asking the person to repeat it.

Traditionally, two digits are presented to each ear.

A typical 7-year- old child will accurately repeat the information presented to the right ear approximately 70% of the time, according to Frank Musiek, a professor of speech, language and hearing sciences at the University of Arizona. The same child will accurately repeat information presented to the left ear approximately 55% of the time.

“It’s part of what’s going on when you think a child is not paying attention,” Dr. Weaver said. “If a classmate is talking in the right ear, it’s harder to attend to what is being discussed in class.”

When speech is captured by the right ear, it generally travels directly to the left hemisphere of the brain, where, for most people, language is processed.

But speech collected by the left ear typically travels first to the right hemisphere. From there, it must be relayed to the left hemisphere through a broad band of nerve fibers that facilitates communication between the hemispheres and is known as the corpus callosum.

“When you have a direct shot from the right ear to the left hemisphere, you don’t have to cross the entire width of brain to get to other side,” Dr. Musiek said. “The signal from the left ear is put at a disadvantage.”

The relay could take as little as three to five milliseconds or as much as 300 milliseconds. “We’re talking about a definite difference,” Dr. Musiek said.

The right-ear advantage is more evident in children than adults because myelin, an insulating sheath that allows nerve impulses to move more quickly through the corpus callosum, hasn’t fully developed. As the myelin forms over a series of years, the relay of information from the right hemisphere to the left improves, and the right-ear advantage fades.

A 9-year-old receiving competing information in each ear will be approximately 80% accurate in the right ear and 75% accurate in the left, Dr. Musiek said. Children 11 and older will be approximately 90% accurate in each ear—about the same as an adult.

In adults, the right-ear advantage is generally considered clinically insignificant, but Dr. Weaver and her colleagues, who shared their findings in December at the annual conference of the Acoustical Society of America, tested this by presenting adults with complex streams of material.

“We included more pieces of information, from two digits in each ear to up to nine digits in each ear, which would be close to a phone number or social security number,” Dr. Weaver said.

The study, including 41 adults ages 19 to 28, found that as cognitive demand increased, the right-ear advantage persisted.

The ability among the test group to repeat information that exceeded their basic memory capacity was, on average, 7% greater in the right ear, and in some individuals, it was as much as 40% greater.

Other things could contribute to the results. For example, traditionally in tests like this, streams of competing information are kept brief to avoid confusing auditory processing with memory tasks, Dr. Musiek said.

But if you have an important message to deliver to someone, you might want to begin like this:

Lend me your ear. No, not that one. The other one.



by dantanno | 2018-02-03 06:14 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

クレームを避けつつ恐れない、そんな通訳者になりたい

通訳をしていると、残念ながら受けてしまうことがある「クレーム」というものについて考えてみる。

章立ては以下の通り:

1.クレームについての基本的な考え方
クライアントを傷つかせる「クレーム」というものは、絶対に避けなければならない
「クレーム」よりも「不満」に目を向けることが大事
クレームは通訳エージェントの責任でもある
クレームは一方通行ではない
クレームをよく見てみると・・・
なぜクレームが入るのか

2.クレームを受けたときの考え方・対処法
「通訳そのものに対するクレームじゃなくてよかった・・・」というとらえ方について
クレームはアテにならない。クレームをする人よりも厳しいはずの「自分の目」
クレームは「一つの情報」として受け止める

3.その他の項目
クレームが来やすい雰囲気作り
通訳エージェントは、通訳者に対し、クレームがあったことを伝えるべきか

最終項: 「クレームゼロ」は可能か?



一通訳者として、そして一通訳エージェント運営者として、クレームについては思うところがいろいろあるようで、ついつい大業な章立てになってしまった。

上記章立てを見ると、互いに相反するというか、矛盾する項目もある。それは僕の頭の混乱の現れかもしれないが、それよりも、クレームというものがいかに千差万別で、ケースバイケースであるか、の現れでもあると言える。

さて、通訳に限らずほとんどのサービスについてあてはまると思うが、がんばって仕事をしていても(がんばっているからこそ?)クレームが入ってしまうことは必ずある。クレームが来た場合、それについてどう考え、どう対処するのがいいのか、以下で考えていく。



<1.クレームについての基本的な考え方>

クライアントを傷つかせる「クレーム」というものは、絶対に避けなければならない

確か本田宗一郎の本だったと思うが、「(製品を買った後に)クレームをしてくるお客さんは傷ついているんだ」というようなことを言っていて、
(なるほど、確かにそうだなあ・・・、偉大な経営者はいいことを言うものだなあ・・・)と感銘を受けたのを覚えている。

通訳案件終了後、クレームをしてくるクライアント、あるいは会議参加者(以下広義の「クライアント」に含める)は、怒っていることは怒っているのだが、それよりも、傷ついている。悲しんでいる。口惜しがっている。
クライアントの表面的な「怒り」に気をとらわれてしまうと、クレームの受け手たる我々もついつい身構え、逆ギレの一つもしたくなってしまうかもしれない。あるいは、とりあえずヘイヘイと頭を下げ、嵐が過ぎ去るのを待つという、非本質的な対応を取るかもしれない。だが、その裏側にある傷、悲しみ、口惜しさ、そういったものに目を向ければ、我々の対応方法も変わってこよう。

だからこそ、クライアントを傷つかせるクレームというものは絶対に避けなければならない、と改めて思う。



「クレーム」よりも「不満」に目を向けることが大事

「クレームが入ったかどうか」は表面的なことだ。
それよりも大事な 「クライアントが満足したかどうか」という本質 を重視することで、「クレームには至らなかったが、クライアントが不満を感じたケース」、つまり目に見えない部分をしっかりと捕捉することが出来る。


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クライアントは、何らかの不満を感じたからクレームをするわけだが、「不満を感じたのにクレームをしない」ことだってたくさんある。

「ほどではない」パターン:  不満は不満だが、クレームをするほどではない
勇気パターン:  クレームをする勇気が無いクライアントだっているでしょう
サイフ・パターン: 会議に参加していても、通訳代を支払っているのが自分ではない場合、クレームするのを躊躇することがある
あきらめパターン: 「クレームしてもしょうがないだろうから、もういいや別に。」ある意味これが一番怖い。

特にIR通訳の場合、ミーティングの形態上、クレームが入りにくい仕組みになっている。だからなおさら「クレーム」ではなく「不満」に目を向ける必要がある。(この点については過去記事「IR通訳のジレンマ」ご参照)



クレームは通訳エージェントの責任でもある

「でもある」というか、責任の過半はエージェントにある、とも言える。
通訳者が、ある個性を持ち、ある一定の通訳能力を有すること、それ自体は「悪いこと」ではない。それが多少変わった個性であれ、それほど高くない通訳能力であれ、それ自体は悪いことではない。それは単なる事実であり、しょうがないことであって、悪いのは、その通訳者をその案件/そのクライアントにはめ込んだ通訳エージェントである、という考え方だ。
これもケースバイケースだよなあ、、、と思うが、クライアントからクレームが入った場合、それが「通訳者」に対するクレームだからといってエージェントは責任ゼロということでは決してない、ということは少なくとも言える。僕のようなエージェントは、その当たり前を自覚して通訳者をアサインする必要がある。

一番よくないのは、エージェントがテキトーにアサインした通訳者にクレームが入り、それに対し

エージェント 「ああ、すみません〜。もうその通訳者は御社にはアサインしませんので〜」

と、罪の無い通訳者を、本人知らぬ間に勝手にブラックリストに載せてしまうことである。

ときには「アサイン出来るのにアサインしない勇気」も必要だなあ、と思う(難しいんですけどね)。

尚、この記事においてはエージェントの視点ではなく、通訳者の視点からクレームというものを考える。



クレームは一方通行ではない

クレームというと、どうしても「お客様→業者サイド」という流れをイメージしてしまうが、我々通訳者サイドにだって不満を感じたり、クレームをしたりする権利は当然ある。だから、クライアントだからといってあまり威張っているといいことありませんよ(笑)、という話。
必ずしも客がエライとは限らない、という点については過去記事ご参照。)

クレームが入る通訳案件はどういう案件かというと、案件を終えた通訳者がなんだか首をかしげながら、肩を落としながら帰ってくる通訳案件だ。通訳者が「今日のミーティングはとてもよかった!」という通訳案件はなかなかクレームにはならない。これは当たり前のようだが、意外と深い話だと思う。通訳者が気持ちよく通訳出来れば、クライアントだって満足するものなのである。

IRISではあまりそういう事例は無いが、世のいろいろなクライアントを見ていると、中には(自分で自分のクビを絞めてるなあ・・・)と感じさせるクライアントもある。通訳者に対して威圧的な態度を取り、ミーティング中もずっとプレッシャーをかけ続ければ、たいていの通訳者であれば、通訳パフォーマンスは低下する。それに対してクレームをする。まるで、通訳者のミスや焦りをクライアント自ら誘発しているようなものだ。悪循環である。

クレームをしたくなければ、まずは通訳者を大事にするところから始めてみるのもいいかもしれない。



クレームをよく見てみると・・・

クレームをよく見てみると、実はいろいろな種類があることに気付く。いわゆる「クレーム」と呼べるものから、それよりも少し軽めの「ネガティブ・フィードバック」的なもの。そして、「要望」に近いものだってある。今後もっといい通訳をしてもらうための「提案」めいたものだってある。だから、あまり「クレーム」と十把一絡げにしないことだ。

例えば、クライアントが「○○を A と訳していたが、正しくは A' なので、今後そう訳してほしい」と言ってきたとしよう。(これぐらいの軽いフィードバックであれば、通訳案件終了後というよりも、現場で直接通訳者に伝えられる可能性が高いだろう。)
このフィードバックは「文句」すなわちクレームととることも出来なくはないが、それよりも「改善のための提案」と受け止める方が正しいと思う。そしてそれは、その通訳者が気に入ったから、今後もその通訳者に仕事を依頼したいからこそなされる提案だろう。ということは、これは落ち込む対象ではなく、喜ぶべき対象、とも言える。
 
この記事を読んでくださっていて、改めて感じられた読者もいるかもしれないが、「クレーム」ということばにはとてもネガティブな力が宿っている。クライアントのその反応を「クレーム」と定義した時点で、それに対する我々の見方、および対応方法がある程度固まってしまう。だから、あえて「ネガティブ・フィードバック」とか「提案」とか「お客さんは傷ついている」とか、なんでもいいけど、ちょっと視点を変える必要があると思う。
(このブログ記事では、クレームというものをすごく広義に捉え、便宜的に「クレーム」という一語でまとめている。)



なぜクレームが入るのか

通訳案件において、クライアントからクレームが入るのはなぜか。

比較的よくあるクレームは、「業界特有の用語に精通していなかった」というものだ。これについては前述の通り、間に入るエージェントの調整力不足が大きいだろう。

通訳力が決定的に不足していたから、ということも中にはあろう。これについてもエージェントの調整力不足と言えそうだが、こういうケースは例外的だと思う。

クレームを誘発する原因で一番大きいのは、「通訳者がフレキシブルに対応出来なかった」ということだと思う。通訳力は十分あっても、「余裕」が無いと、いい立ち回りが出来ない。周囲を見回したり、機転をきかせたり、訳し方を調整してみたり、といった「遊び」が出来ないと、場がギクシャクし、通訳者も不満、クライアントも不満→クレーム、という流れになりやすい。
前述の本田宗一郎ではないが、オートバイのチェーンにしっかりと遊びをもたせてやり、潤滑油を塗っておかないと、チェーンがピンピンに張り詰めて切れてしまうのと似ている。



さて、これまでクレームというものについての基本的な考え方を整理してみた。ここからは、実際にクレームが来たときの受け止め方という、これまた大いに正解の無いテーマについて考えてみる。



<2.クレームを受けたときの考え方・対処法>

「通訳そのものに関するクレームじゃなくてよかった・・・」というとらえ方について

恥ずかしながら、僕も当然クレームと無縁ではない。

以前、証券会社でインハウス通訳者をしていたときのこと。
ある海外投資家と、ある日本企業の電話会議を通訳していた。投資家は複数人、海外のオフィスの会議室から参加していた。日本企業も、日本にある自社のオフィスから、僕は証券会社の会議室から、3拠点をつないでの電話会議である。

ミーティングの途中、投資家・企業の間で「これはちょっとプレゼン資料を見ながら話した方がいいですね〜」ということになった。
そこで、海外投資家数名の内、若手の1名が資料をプリントアウトしに行く間、ちょっとブレイクしましょう、ということになった。

僕は証券会社に通訳者として入社してまだ間もない頃で、自分が属している部の顧客である海外投資家に対し挨拶をしたかったこともあり、その4-5分の中断時間の間、海外投資家の内、先方の会議室に残っていた人と軽く挨拶/雑談をした。それもすぐに終わり、その後2-3分の中断時間を経て、会議は無事再開された。

ーーー

ミーティング終了後、上長に呼ばれた。

「今のミーティング、どうだった?」
「いや、特に問題無かったと思いますけど・・・」

そうしたやり取りの後、日本企業の方からクレームがあったことを明かされた。
「電話会議が中断している間、通訳者が投資家と親しそうに話をしていた」ことに対するクレームだった。

ーーー

このクレームに対し、僕自身の心境の変化を「実況中継」してみる。

クレームを受けたその日: ただただショック

2日目〜3日目: クレームが入ったことは残念だし、申し訳ないが、通訳そのものに対するクレームじゃなくてよかった

つまり、「通訳のレベルが低すぎる」とか「誤訳がとても多かった」とか、通訳そのものに対するクレームじゃなくてよかったな、と思ったんです。本質的なクレームではなく、表面的(?)な、テクニカル(?)なクレームだったのが不幸中の幸いだったな、と思ったんです。

4日目〜5日目: 「通訳そのものに対するクレームじゃなくてよかった」と胸をなで下ろしている場合じゃないだろう!

やっぱ負けだなあ、と思ったんです。「それも含めて通訳だろうが、お前」と思ったんです。
あと、通訳者は基本的に中立ですが、そのとき僕の「顧客」は海外投資家。だから海外投資家に対し挨拶をした。それに対して日本企業(Not 顧客)が多少不満を感じてもしょうがない、みたいなヘンな気持ちもそのときまであったんですが、全員満足させられなくて何が通訳者だよ、と思ったんです。それに、会議の一当事者である日本企業が(自分のせいで)不満を感じてしまっていたら、それはミーティングの成否に直結し、(自分の大事な顧客である)海外投資家にも悪影響を及ぼすじゃないか。何やってんだよお前!という具合です。

この時の、実に苦い経験から、僕は「通訳そのものに対するクレームじゃなくてよかった、ホッ」と絶対思わないようになりました。自分に対するクレームについても、他の通訳者に対するクレームであっても。どんな不満でも負けは負け。で、次はどうすれば勝てるかを考えればいい。

その後設立した通訳会社の社名を
IRI IR Interpreting(IR通訳)
ではなく
IRIS IR Interpreting Services(IR通訳サービス
としたのも、このときの忸怩たる想いがベースにあります。あと、語呂が良かったというのもあります。



クレームはアテにならない。クレームをする人よりも厳しいはずの「自分の目」

我々にクレームをしてくるのは誰か。クライアントです。会議参加者です。
つまり、通訳のシロウトです。
だから、クレームが来ると(シロウトに何が分かる)という気持ちも正直ゼロではありません。限りなくゼロに近いですけど。

クライアントはシロウトであり、クライアントからのクレームはそれほどアテにならない。だからこそ、プロである我々が、クライアント以上に厳しい目で、自分自身の通訳を日々見つめる(監視する?)必要があると思っています。

言い方を変えると、クライアントが大絶賛していても自分的には撃沈であれば、全然うれしくないですよね。
その逆も然りで、クライアントから大ブーイングがあったとしても、自分的には会心の通訳であれば、その晩はうまい酒を飲めばいい、そう思っています。



クレームは「一つの情報」として受け止める

耳が痛いからといって、クレームに耳を傾けないのはもったいない。的外れだ!とか「それを言われてどう対応しろというのか!」と逆ギレしてしまうのももったいない。「一つの情報」として。それ以上でもそれ以下でもない「一つの情報」として、しっかりと受け止めればいい。

といいつつ、一つ前のセクションで論じた通り、クライアントのクレームはそれほどアテにならない。あくまでも「一つの情報」に過ぎない。だからいちいち大慌てしない。単なる「一つの情報」として受け止めればいい。

そのクレームを受けて、「落ち込む」以外に何か対応を取るのか取らないのか。
今後、現場での立ち回り方を変えるのか。通訳のウデを上げるためにトレーニングをするのか。案件の受け方について、量 AND/OR 質を調整するのか。
それらは重要な判断である。
「一つの情報」でしかないクライアントからのクレーム、しかもシロウトの意見を、そういう大事な判断の根拠にする必要など無いと思う。
あくまでも、プロの通訳者である自分自身が、自分に対して下す自己分析・自己評価、それを今後の活動の判断根拠にすべきだと思う。

(ちなみにインハウス通訳者であれば、問題があった後、不満を感じてしまった人のところに行って何らかのフォローアップをするとか、そういった事後対応が可能なケースもありますよね。フリーランスだとそれがしにくいケースがほとんどなので、じゃあそのクレームを受けて今後の自分の通訳者としてのあり方を何かしら調整するのかしないのか、という話になることが多いと思います。)



さて、これで第2部も終わりました。以下では、ちょっとコラム的に第3部です。

<3.その他の項目>

クレームが来やすい(気安い?)雰囲気作り

(この人にクレームをしたら、超落ち込みそうだなあ・・・)
(この人にクレームをしたら、逆ギレしそうだなあ・・・)
(この人にクレームをしても、プラスの効果は生まれないだろうなあ・・・)

そう思われてしまったら、貴重な「一つの情報」であるクレームから遮断されてしまいます。だから、日頃からクレームが来やすい雰囲気作りをしておくことが大事だと思います。

今、ちょうど漢字を変換していて思ったんですが、何でも気軽に言える「気安い」雰囲気、それが現場でも、そして現場以外でも大事なのかもしれませんね、通訳者にとって。



通訳エージェントは、通訳者に対し、クレームがあったことを伝えるべきか

これはとても大きなテーマで、もしかしたら後日一つの記事で書いてみたいと思います。

IRISでは、それがポジティブな場合はもちろん、ネガティブだった場合でも、クライアントからのフィードバックは基本的にそのまま通訳者に伝えることにしています。
その勝率はまあ75%ぐらいで、中には(言わなきゃよかった・・・)と深く後悔するケースもあります。通訳者を無意味に傷つけてしまったと感じるときとか、「それを言われて、私にどうしろと言うんですか!」みたいな反応があるときです。まあケースバイケースなんでしょう、これも。

一応、僕がなぜ「基本的に伝える」方針をとっているかを書いておくと、「一つの情報」として貴重だと思うからです。クライアント、あるいは会議参加者は「そう思った」んです。クライアントがそう思ったことは、まぎれもない事実なんです。だから、それは「一つの情報」として、あくまでも「一つの情報として」、一定の重要性を持っていると思うんです。

僕がラーメン屋のオヤジだったら、僕のラーメンを食べて「まずい」と感じた客がいれば、それは情報として僕は知っておきたいだろうな、と思うんです。聞くのはイヤだし、しかも仮にその情報をもらってもスープの味や麺のゆで方を変えないんだったらそんな情報不必要じゃないか、という気もしますが、やはり情報として持っておきたい。

それと同様に、僕が通訳者であれば(通訳者ですが)、自分に対しネガティブ・フィードバックが入ったら、やっぱりそれを知りたい。イヤだけど知りたい。出来ることなら、実際にクレームがあった場合だけでなく、クライアントや会議参加者が心の中で不満に思った内容についても全部のぞき見したいぐらい。でもそれは無理だから、せめてそれが表面化した「クレーム」については必ず知りたい、と思うんです。

僕はそう思うけど、でもそう思わない通訳者もいるだろうし、僕の人間力を高めたり、伝え方ももっと工夫した方がいい面もあるでしょう。日々反省、日々精進です。



最終項: 「クレームゼロ」は可能か?

最後に、そこそこ大事なテーマを持って来てみました。
絶対にクレームが入らない、そんな「クレームゼロ」の通訳は可能か。



僕は可能だと思います。現に僕だって、前回クレームが入ってから今日まで「クレームゼロ」です(爆)。

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冗談はさておき、実際「絶対にクレームが入らない通訳」は可能だと思います。いくつか条件がありますが。

1.自分が精通した分野であること。
2.通訳力がそこそこ高いこと。
3.かなりフレキシブルに対応する心づもりがあること。
4.クレームをしにくい雰囲気を漂わせていること(笑)。

などなど。

ーーー

最近の自分を振り返ると、「絶対にクレームが入らない通訳」を目指してしまっている気がします。(それでもクレームは入るのがとんだお笑いぐさですが)。
訳す際も、(その場のキーマンは誰か、その人の英語力はどの程度か、どういう訳し方をすればその人は不満に思うだろうか)、みたいな、本質から外れたことばっかりに神経をすり減らしている、と感じることがときどきあります。そういう通訳は疲れるし、会場に感動も生まれにくい。

まだ駆け出しの通訳者だった頃は、そんな余計なこと考えていなかった。考える余裕が無かったわけですが、でもその方が自由でのびのびとした、いい通訳をしていた気もする。

クレームは、クライアントの「傷」だと冒頭で書きましたが、通訳者自身が受ける「キズ」でもあります。そして、挑戦しているときはキズがつきもの。
藪に飛び込んでツタや笹を刈れば、体にたくさんのキズがつくけど、でも、そのおかげで道が開け、次の次元に行けることもあるでしょう。



自戒の念を込めて。

通訳者は、クレームを絶対に避けなければならない。会議参加者を絶対に傷つけてはならない。

でもその一方で、通訳者はクレームなど恐れなくていい。クレームしてくる相手はシロウトです。
自分がそのとき、その場にとって一番いいと思う訳を、堂々と、のびのびと、大きく追究すればといい。

そして、クレームが入ったら、それは「一つの情報」として大事にし、そういう情報を蓄積しつつ、試行錯誤しながら自分の通訳を完成させていけばいい。

それこそが、一流の通訳者への、一番の近道だと思うんです。

by dantanno | 2017-12-12 12:01 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

超繁忙期は、通訳者にとって超大チャンス

毎年この時期(12月頭ぐらい)、日本の通訳業界は超繁忙期を迎える。
われらがIR業界において大きなイベントがあり、多くの通訳者がそれに駆り出されるためだ。

このイベントに駆り出される通訳者は、もちろん忙しい。
イベントに参加しない通訳者も、多くの通訳者がイベントに行っているのでよそで通訳者が不足し、結果的に忙しくなる。

今週の通訳案件について、IRの、そしてIR以外のいろいろなクライアントから何度
「誰かいませんか??」

と聞かれ、それに対し何度
「すいません、もう誰もいないんですよ〜」

と答えたか分からない。

ーーー

毎年この時期に超繁忙期を迎え、思うことが2つ。

1.なんでピーク時に値上げしないんだろう

旅行業界であれば、GWに値上げするのは当たり前。通訳業界では、毎年この時期が超絶的に忙しくなるのが分かっているのに、なんで値上げしないんだろう。
IRISでは、昨年から部分的に「繁忙期値上げ」を始めています。繁閑にかかわらず、通訳料金のプレミアム化につとめたい、とIRISでは思っていて、その一環です。
来年からはさらに拡大していく予定です。



2.通訳者不足がもたらす「大チャンス」

こっちが本題。

超繁忙期に通訳者が不足すると、興味深い現象がいろいろと起きる。

ーーー

IRのイベントで、誰もが知る超大企業の、しかも社長が登場する大事なIRミーティングに、
「IR通訳ほぼ初めてなんです〜、よろしくお願いします〜」

みたいな通訳者があてがわれたりと、平時であれば考えられない出来事が起きる。

これは、その企業、およびそのミーティングに参加する外国人投資家にとってはある意味悲劇だが、その場にいる駆け出し通訳者にとっては大チャンスである。

ーーー

IRイベントに多くの通訳者が行っているため、IR以外の分野でも大チャンスが頻発する。
平時であれば、いつもその案件を担当しているベテラン通訳者が担当するであろう重要案件(取締役会、海外の大型案件、などなど)が、一見さん通訳者にぐるっと回ってくる。大チャンスである。

こうした大チャンスは、日頃から通訳力を上げるための取り組みを続けている駆け出し通訳者にとって、下克上のいい機会である。

会議参加者、クライアント、あるいは通訳エージェントに
(あれ?この人今回初めてお願いしたけど、意外といいじゃん)

と思わせられれば勝ちである。

特に、日頃その案件を担当しているベテラン通訳者が、もはや惰性で仕事をするだけで進歩を放棄しているタイプの通訳者であれば、今後その案件の担当をひっくり返すのはそう難しくはない。

ーーー

通訳者になりたての頃、チャンスが全然巡ってこなくて焦った時期があった。
自分を証明したい。でも、案件の引き合いが行く先は「いつもその案件を担当している馴染みの通訳者」ばかりで、自分には全然チャンスが回ってこない。一生このままなんじゃないか、一生浮かばれなかったらどうしよう。

今から振り返れば杞憂にすぎないことが分かるが、当時はそう思ったものである。
そうした悶々とした駆け出しの通訳者にとって、超繁忙期は自分を証明し、状況を完全に引っ繰り返すすばらしい機会になるだろう。トランプゲームの大貧民でいうところの「革命」を起こせる。


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超繁忙期は、駆け出しの通訳者にとってはもちろん、我々ベテラン通訳者にとっても実は大チャンスである。

クライアントは、日頃の我々の通訳レベルにもう慣れてしまっている。
(このレベルが当たり前)と思ってしまっている。特別感が薄れている。
そして、馴染みのクライアントほど、我々の通訳に「馴染んで」しまっている

それが、超繁忙期になるとどうなるか。

馴染みのクライアントから依頼が来る。ぜひ担当したいところだが、超繁忙期のため、自分には別件が入ってしまっている。優秀な通訳者はもう軒並み押さえられている。
そこで、平時であれば自分(あるいは優秀な通訳者)が担当するはずのその案件に、一般的な通訳者がピンチヒッターとしてあてがわれる。

その通訳者のパフォーマンスを見た会議参加者やクライアントに
(ああ、**さん(=あなた)はやっぱすごいんだ。あれぐらいが当たり前、と思っちゃいけないんだな、ありがたやありがたや・・・)

と思わせられれば勝ちである。

その後、その案件/そのクライアントとあなたの結びつきはきっと強固になり、料金のプレミアム化(要するに値上げ)などもしやすくなるだろう。

ーーー

超繁忙期に我々通訳者が気にかけるべきは、いかに手帳を埋めるか、ではないと思っている。
超繁忙期なんだから、ある程度の通訳者であれば、ほっといても予定は埋まる。
ポイントは、いかに予定を埋めないかだ。

予定を空けておけば、直前になるとやってくる「大チャンス案件」を引き受けられる余地を残せる。

駆け出しの通訳者であれば、いかに案件を絞り、下克上案件でハチの一撃をかますかを考えるといい。超繁忙期を毎日朝から晩まで案件で埋めてしまうと、せっかくのハチも疲れ果て、ハエに見えてしまう。

一方、ベテランの通訳者にとって超繁忙期は、少しゆっくりと時間を過ごし、日頃自分が担当している常連クライアントをちょっと「泳がせる」いい機会だ。
平時にクライアントを泳がせるとそのままどこかに行ってしまうリスクがあるが(笑)、そこは超繁忙期。どんな通訳者があてがわれているか分からない。
超繁忙期が終わった頃、あなたの良さに再度気付いたクライアントからの連絡が複数来れば、日頃自分がやるべきことをやって来た証明になるだろう。



駆け出しであれ、ベテランであれ、日頃がんばっている通訳者にとって、超繁忙期は大チャンス(逆も然り)。
ぜひ戦略的に取り組んで、キャリアの次元を上げていきたいものです。

by dantanno | 2017-12-01 12:32 | プレミアム通訳者への道 | Comments(1)

通訳をする際の「自信」と「不安」のいいバランス

まずは、何はともあれこの3分の動画を観てもらえませんか、とてもいいから。




American Idolという、日本の「スター誕生」みたいな番組の一シーンです。
Joshua Ledetという若手/駆け出しの歌手が「イマジン」を歌っています。

ーーー

音楽は好きなものの歌とか演奏について全く造詣は深くない僕ですが、それでもこの人のこの歌は何度聴いても鳥肌がたちます。

で、なんでなのかな、なんで鳥肌がたつのかな、なにがそんなにすごいのかな、とずっと考えてきたんですが、行き着いた結論は、この人の歌は「いい通訳」に近いんじゃないか、自分の仕事と関係してるんじゃないか、だからグッとくるんじゃないか、という結論でした。

ーーー

何ごとも、自分に甘く、人に厳しくするのが好きです。
自分自身の通訳に対しては評価がとても甘い僕ですが(汗)、人様の通訳、特に「IRISに登録したい」と言ってくださる通訳者の通訳を聴くときは、厳しい外国人投資家、および日本企業の厳しいIR担当者の気持ちになってそれを聴こうとします。実際には厳しく聴く、というよりも楽しみに聴くわけですが。

時折「おおおおお」と感動する通訳を目の当たりにすることがあって、しかもそれがベテランとか大御所な通訳者ではなくごく一般的な、あるいはときにはまだ駆け出しの通訳者による通訳だったりして、その通訳の一体何がそんなに感動を呼び起こすのかな、と考えます。

ーーー

思い至った結論は、その通訳者の 自信(強さ) VS 不安(優しさ)のバランス なのかな、ということです。

ーーー

通訳は英語では"Interpreting"といい、文字通り解釈(Interpret)をする仕事です。
何を解釈するかというと、話し手が話す話の内容です。

話し手が何か言う。それを、「なるほど、きっとこういう意味だな」と解釈し、それを別言語で再表現するわけですが、訳し始めてしまう前に、まずは一旦網を広げる必要がある。



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「今の発言を、私はこういう意味だと思ったが、はたして本当にそうか。もしかしたら別の解釈もあり得るんじゃないか」と、なるべく解釈・理解の網を広げる必要があります。

解釈の網を広げる一方、表現の網も大きく広げます。「今のを説明するのに、この表現を使ったらどうか、それで聴き手に伝わるか、別の表現は無いか」と。

網を広げる上で大事になるのは(自分の解釈および表現ははたして正しいんだろうか・・)という不安であり、優しさだと思います。

ーーー

「こういう解釈もあり得る、ああいう表現もあり得る、etc. etc.」と網を広げきった上で、今度はその網を思いっきり狭めていかないといけない。いつまでも「こうかも、ああかも」と言ってたら訳せないから。

無限の可能性を思い浮かべた上で、「でも、今の発言はきっとこういう意味だ。よし、それをこう表現するぞ!」と、ハラを括って自分の解釈を観客(聴き手)に披露するしかない。

網を広げるときと対称的に、網を狭める上で大事になるのは自信です。表面的にではなく、根底で自分を好きである力です。

つまり、不安と自信が両方大事ということで、いい通訳者はこの自信(強さ)と不安(優しさ)のバランスが優れているんだろうと思うんです。

ちょっと余談になりますが、最近の自分はどうかと言うと、このバランスがやや崩れてしまっている気がします。
自信と不安の黄金比は8:2ぐらいかな、と思っています。9:1だと思い込みが強くなりすぎるし、6:4だと通訳がちょっと弱く、背骨の無い状態になりがちです。
最近の自分は自信:不安が7:3ぐらいで、ちょっと不安側に片寄ってしまっていると感じます。特にいけないのが、訳す際、聴き手ではなく話し手のことばかり意識してしまい、聴き手にちゃんと伝わっているかがおろそかになってしまう点です。これは、例えば企業の社長さん(日本人)の話を英語に訳す際、その社長さんが結構英語が分かる人だったりすると顕著に表れます。自分の英訳が、話し手である社長さんにどう伝わっているかばかり気にしてしまい、外国人投資家にどう聞こえているかはそっちのけになることがあるので、それは改めないといけないと反省しています。でも、それってある程度原文から逸れた訳をする、ということでもあり、かなり勇気がいるんですよね。。

ーーー

冒頭のJoshua Ledetの話に戻ります。

この人のパフォーマンスを観ていると、その軸の強さに心を打たれます。
音楽的に言えば、例えば歌唱力とかリズム感とかがきっとものすごいんでしょうし、確かにそれは間違いなくすごいんですが、僕が一番感銘を受けるのはこの人が自分のことが好きで、自分に自信があり、自分の解釈や表現に誇りを持ち、それを観客の前で披露する勇気を持っている、という点です。

でもその一方で、観客に対する配慮を忘れないし、そして何よりもジョン・レノンの原作に対するリスペクトを保ち続けている気がします。
原作を一度咀嚼し、それを自分なりに解釈し、観客に披露していると思うんです。
To break the rules, you must first master them的な考え方にも少しカブるでしょうか、カブらないでしょうか。

ーーー

通訳の仕事も全くそうで、話し手(原作者)に対するリスペクトを絶対的に保ち、その人の発言に「何も足さない、何も引かない」の原則を忠実に守りつつ、でもそこに自分の解釈、自分の色を出していくのが「いい通訳」なんじゃないかと思います。

通訳という仕事が言語と言語を飛びこえる仕事である以上、どうしても「そのまま機械的に訳す」ということは出来ないと思うんですよね。

リンゴ であれば Apple と機械的に訳すことも出来るでしょうが、"I love you"とか「出前一丁」とか"Just do it"とかになってくると途端に通訳者というフィルターを通して解釈する必要が生じてきて、それが(我々通訳者が日頃相手をしている)より長い発言になればなおさらです。

いい通訳者というのは、根底で自分のことが好きで、自分に対する自信をしっかりと保ちつつ、でもそんな自分を疑ったり、笑ったりする勇気を合わせ持った人のことをいうんだと思います。そしてそれこそが本当の意味で「自分に自信がある」ということの現れだと感じます。

自信と不安、強さと優しさ、プライドと謙虚さ、そうした通訳において必須のバランスに想いを馳せつつ、もう一度動画を観てみてほしいです。




何度観ても、やっぱり「いい通訳」を目の当たりにしたときと同じ感動を覚えます。
この人の目線、間の取り方、全てに強さと優しさの両方を感じます。この場にいた観客はなんと幸せだろう、と思います。

ーーー

いい通訳を通して観客(それは聴き手はもちろん、話し手も含む)を感動させることはきっと可能で、僕もJoshua Ledetのような通訳を目指し続けたいと強く思います。

by dantanno | 2017-07-11 23:44 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

アカパカーフィください!

脳研究者の池谷裕二氏が書いた本を読みました。

日本人が英語を話す際、例えばニューヨークのカフェでコーヒーを飲みたいとして、どうしても
”A cup of coffee”を
「ア・カップ・オブ・コーヒー」と言ってしまいがちなわけですが、それをね、もういっそのこと
「アカパカーフィ」って言っちゃえばいい、むしろその方が通じる!っていう本です、簡単に言うと。

著者自身が留学時代、大変な想いをした経験が本書の元になっていて、実におもしろい。

ーーー

アカパカーフィ以外にもいくつか例を紹介しますね。

I have to do my best.
× アイ・ハフ・トゥー・ドゥー・マイ・ベスト。
◎ アイハフタドゥマイベスッ。

Can you take our picture?
× キャン・ユー・テイク・アワ・ピクチャー?
◎ ケニュテイカワペクチョ?

I got it!
× アイ・ゴット・イット!
◎ アイガーレッ!

一事が万事、この調子。

ーーー

著者がこの本で言っていることは、別にそんなに「新しい」ことではありません。
昔、What time is it now? → 掘った芋いじるな?が流行った時期があったのを覚えている方もいるかもしれません。あれと同じ考え方ですよね。

でも著者が称賛に値するのは、そこに法則性を見出している、という点です。

単に「よく使う英語のフレーズをいくつか持って来て、それらを著者提唱の「カタカナ読み」つまりアカパカーフィ読みした場合どうなるか」を列挙しているだけでもおもしろいんだけど、それだけじゃないんですよ。その裏にある普遍的な法則をいくつか見出し、まとめている点がすばらしい。やっぱり頭いいんですね。

一見それぞれ個別に存在する現象の、その裏にある共通の法則性を見出す、というプロセスは、我々通訳者が行う「ことばの抽象化・概念化」と似ていて、それが上手に出来る人に憧れを感じます。会議の場で、ある人が話した内容が一見○△×と個別バラバラだとしても、それらに共通する点や、それらが向かっている方向を察知し「要はこういうことですよね」を瞬時に見抜き、それを訳の背骨に位置付けた上で訳の構成を考えられる通訳者がたまにいて、そういう通訳を聞いているとすごく意思を感じるし、会議参加者にとってもありがたい存在だろうなあ、と思います。話が逸れました。

ーーー

この本を読んで、僕の感情は
1.(笑)
2.驚き
3.怒り
と三段階で推移しました。

1.最初のリアクションは爆笑でした。著者提唱のカタカナ英語(すなわちアカパカーフィ)がいちいちおかしくて、笑いっぱなし。

2.次に来たのが「でも、確かにアカパカーフィの方が通じる!」という驚きです。実際、この本に書いてあるいろいろなフレーズを口にし、自分の中のスイッチを「外国人」側にして聞いてみると、確かにそっちの方が分かりやすい、というものばかりなんです。

3.怒り。なんで日本の学校では「ア・カップ・オブ・コーヒー」と発音するように教えるんだ!。
言い方を変えると、なんで"A cup of coffee"という英語を(実際の発音方法とかけ離れた)「ア・カップ・オブ・コーヒー」というカタカナに落とし込もう、と決めたのか!

ーーー

この本が指摘しているのは、ローマ字表記の弊害なんですよね、要するに。

Coffeeという英語をカタカナにする際、2つやり方があって、

1.「カーフィ」: 外国人がCoffeeと言う際、実際にどのような発音をしているかを聞き、それを一番近いカタカナに落とし込む方法

2.「コーヒー」: 本場の外国人がCoffeeをどのように発音しているかなんてどうだっていいから、Coffeeという表記を、ローマ字表記のルールに従ってカタカナに落とし込む方法

どう考えても1.の方がいいのに決まってるのに、なんで2.のやり方でやってるんですかね。100年ぐらい前にどこかの会議室で専門家のおじいちゃんたちが決めたルールなんでしょうが、なんでそんなヘンなルールにしたのかをあれこれ考えていてもしょうがないので、この本に書いてある法則に従い、一刻も早く「カーフィ」的な発音に移行した方がいいと思います、日本の人たちは。

実際、日本企業のマネジメントの方々と一緒にIRで海外に行って、その人たちがレストランでがんばって自分で英語で注文するケースもあるんですよ。いいな、すばらしいな、と思って眺めていると、せっかくちゃんと「コーヒー」とか言ってるのに店員さんが???みたいになることが結構あって、これってやっぱり(英語から)カタカナへの落とし込み方がおかしいんだろうなあ、、、と漠然と感じていたところに本書に行き当たったものですから、非常にうれしかった。

ーーー

本書後半の、
バイリンガルの人の頭の中がどうなっているかとか、
日本人の英語下手は関税以上の効果がある、とか、
ことばは外的やり取りだけでなく「内的思考のツールでもある」、
といったセクションも非常に興味深い。

ことばに興味ある人におすすめです。

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by dantanno | 2016-11-21 01:16 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

滝行通訳

先日、一風変わった同時通訳案件を担当しました。IRISの通訳者と2名体制で。

その会社のマネジメントの方々が行うプレゼンを英語に同時通訳したんですが、おもしろいことに、プレゼンが行われているその間は誰も我々の同時通訳を聞いていないんです。係りの人たちが録音をしているだけ。

で、どうするかというと、プレゼン終了後別室に行き、関係者みんなで

1.マネジメントのプレゼン(日本語)と
2.我々の同時通訳の録音(英語)

を聞き比べ、
「社長が言ってる**の箇所が抜けてるよね」とか
**って訳してるけど、ちょっとニュアンス違うかな〜」
みたいに指摘いただいたり、ときには通訳者が自分で
「**の箇所は訳が違いますね、すみません」
みたいに指摘し合う。

で、そこで出た指摘に基づき該当箇所の通訳を録音し直して、それを編集した音声がファイナル版の通訳としてその会社のWebページにアップされる、という案件でした。

ーーー

ややこしいのでプロセスを整理すると、

1.プレゼン本番を英語に同時通訳
2.プレゼン(日本語)と通訳(英語)をみんなで聞き比べ → 修正すべき箇所を指摘
3.その指摘に基づき、通訳し直す。通訳し直した音声を再度録音
4.3.で録音した音声を、元々の同時通訳に上書きし、係りの人が編集
5.編集後の通訳(ファイナル版)をWebにアップ

聞き比べの際に部屋にいる「関係者」は、プレゼンを行った会社の社員の方々と、音声の収録を担当する技術の方々。

ーーー

そういうエグい案件であることは元々分かっていたので、せめて自分がより難しいパートを取ろうと立候補しました。でもフタを開けてみると実は逆で、僕が取った方がラクなパート、もう一人のIRIS通訳者がやってくれたパートの方が難しく、申し訳ないことをしたと反省。。。

でも、難しいパートを担当してくれたからこそ、その通訳者の通訳がすばらしいことを改めて確認出来ました。

ーーー

そしてもう一つ意外な収穫だったのは、収録を伴う通訳案件としてこうした形式もアリで、これはこれでなかなか優れていることを実感出来たことです。

日本企業による発表(例えば決算説明会)の通訳を収録する場合、よくあるやり方は事前に日本語の読み原稿が通訳者に渡され、事前に翻訳した英文を発表当日に通訳者が読み上げ、それを収録する、というもの。
この方法だと、訳の正確性は担保されますが、デメリットとして、訳のライブ感が無くなることや、翻訳をしてくれる通訳者を見つけないといけない、という点があります。まあ翻訳者の方にお願いする、という手もあるのでしょうが。

一方、本番で話される日本語をぶっつけ本番で英語に同時通訳し、それをそのままWebに載せてしまう方法だと、スピードとライブ感は抜群ですが、同時通訳ゆえ、どうしても訳の正確性は落ちます。

でも、一旦同時通訳をした上で修正したい箇所だけを後から上書き修正する方式だと、後述するように通訳者が針のむしろ状態になる、という欠点はあるものの、スピード、ライブ感、そして訳の正確性のバランスがとてもよく保たれると思いました。

ーーー

多くの通訳者が同意してくれるだろうと思うんですが、自分の通訳を録音して後から自分で聞くことは、多大な心理的苦痛(笑)を伴います。いい例えが思い付きませんが、例えばタレントの人が後日自分の出演番組を見返すときのようなものなんでしょうか、分かりません。芸人にとって、自分がスベってるシーンを見返すようなもの?苦痛です。

一人で聞き返すだけでもイヤなのに、それを関係者全員が精一杯耳をこらし、間違いを見つけ指摘する、、、なんて想像しただけでもつらいです。針のむしろ(bed of nails/thorns)です。でも、それをやることで、とてもいい刺激を受けました。


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自分の通訳を改めて冷徹に分析する機会を得て、いいところと悪いところが浮かび上がった気がします。

通訳者になりたての頃はボイスレコーダーを駆使し、こうした心理的苦痛を伴う通訳トレーニングをずいぶんしていたような気がするし、それがとても役に立った記憶があります。

その後何年も経ち、なんとなく仕事に慣れてきて、(少なくとも表面上は)案件が火を噴くことも無く、火消しの必要も感じない日々を送っていると、どうしてもComplacentになりがちです。こんな感じでいっか、と思いがちです。

そんな自己満足しがちな自分に冷や水を浴びせかけるとともに、高い料金を取って通訳しているわけだから、「後から聞き返すのは恥ずかしい」などと言ってられないなと痛感させられる、とても厳しくかつすがすがしい通訳案件でした。



by dantanno | 2016-10-24 23:10 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

サイマルのインターネット講座で「ノートテイキング」を学ぶ

サイマル・アカデミーのインターネット講座で、谷山 有花さんの「通訳のためのノート・テイキング」を受講した。

自分のノート・テイキング(以下「メモ取り」)は、やり方が既にある程度確立されている。特にIR通訳に関しては。
「確立されている」というと聞こえはいいが、悪く言えば「固まってしまっている」ということでもある。それをぶち壊すことで、文字通りブレイクスルー出来るのではないか、というのが今回この講座を受講した動機である。
自分以外の通訳者(谷山さん)がメモ取りについてどのように考え、実際どのようにメモを取っているのか、を学びたかった。また、通訳を教えている者として、他の方の指導法を参考にし、そこから学びたい、という動機もあった。

ーーー

受講してよかった。以下、感想をいくつか。

<いいショートカット>
メモ取りについての、講師役の通訳者による単なる好みの押しつけではなく、このような理論に基づく体系だった指導は、全ての通訳者が初期段階で経るべきだと思う。自分の場合、通訳学校に途中から編入(?)したこともあり、そういうプロセスが抜けてしまっている。

自分が今の時点で受講してもためになったが、駆け出しの頃に受講していたらもっとよかったと思う。メモ取りについてはいろいろ試行錯誤しながら自己流で確立して来た。キャリアの初期の段階でこのような講座を受けていれば、もう少しショートカット出来ただろう。

ショートカットには「いいショートカット」と「悪いショートカット」があると思う。

いいショートカット: 「包丁は危ないから、もう少しお兄ちゃんになるまで触らないようにね。」
悪いショートカット: 「この問題の答えは○○だよ。あ、まだ解いてる途中だった?ゴメン、ゴメン(笑)。」

メモ取りについてのこうした指導は、いいショートカットだと思う。

<絵の多用がすばらしい>
講義では、例えば「話す」というメモを取るときに口の絵を描いたり、「〜と聞いた」をメモするときは耳の絵を描いたり、というように絵が多用されていた。この辺は、もしかしたら女性ならではのセンスなのだろうか。自分からはあまり出ない、いい発想だと感じた。
これは、自分のメモでも取り入れる余地が大きい。さっそく明日の逐次トレーニングの際、絵を使ってメモることを自分に強制してみて、どのような結果になるのか試してみたい。

<ロジックの取り方も参考に>
自分は、例えば「前年比3%増」という発言を「LY比+3%」とメモっている。
一方、講義での参考例は「+3%/前」みたいな感じだった。そっちの方がいいな、と思った。
コンパクトであることに加え、英語の順番になっているから。自分のメモだと、仮にそのままの順番で訳すと
"last year compared to up 3%"
と意味不明になってしまうので、訳す際に順番を入れ替える必要がある。でも、講義の参考例であれば、そのまま訳してしまっても
"up 3% from last year"
と、そのまま訳として使える。下ごしらえが自分よりも一歩進んでいる、いいメモだと思った。

<「メモは縦方向に取る」という原則・・・>
講義の中で谷山さんは、「ノート・テイキングの方法は、講師のやり方が唯一の正解というわけではない。最終的には、各通訳者が自分で考え、自分のやり方を確立していくべきだ」的なことをおっしゃっている。まさにそうだと思う。

その前提があった上で、講義の中で何度も「メモは縦方向に取る」というメッセージが登場する。これは、この講義に限ったことではなく、あらゆる場面で唱えられている「通訳の原則」であり、常識である。自分も、通訳学校で、そしてそれ以外の場面(本など)で何度も繰り返し「メモは縦に取る」と教わり、実際メモを縦に取って来た。

でも、最近は横に取ることも多い。2色で。
青で横にバーッと取り、次の発言は赤でその右側に取っていく。紙の端まで行ったら折り返し、次の行に行く、という感じ。

(色を変えることにあまり深い意味は無いが、これから訳す箇所と既に訳し終えた箇所との区別を付けやすくするためにやっている。1色だけでメモを取ると、訳し終えた箇所のメモをシャーっと消す必要が生じるが、その時間と労力を「戦略的な訳」に振り向けたい。)

もしメモを「縦方向に取る」べきなのであれば、他の取り方(例えば横とか、斜め(?)とか、それ以外の方法)に対し、縦方向のメモが何らかの面で具体的・客観的に優れている必要がある。そうでなければ、「縦でなくてもいい」という指導になるはずだから。でも、少なくとも自分は今まで、「縦方向以外に、どのような取り方があるのか」、そして「それらの各方法と比べ、なぜ縦方向が優れているのか。他はどのような面で劣っているのか」について、教わった記憶は無い。

「メモは縦」の根拠でよく言われるのが「話の展開や、論理の流れを分かりやすく/見やすくするため」という点がある。でも、完全にランダムにあっちこっちにメモってしまうのであれば別だが、例えば「横向き」のメモであっても、話の流れを分かりやすく追うことは出来る。目をスクロールさせる向きが異なるだけのような気もする。

恥ずかしながら自分は、海外の大学院等で通訳を学んだり、外国人の通訳者と接する機会がそれほど多くないので分からないのだが、「メモは縦に」は世界共通なのか、あるいは日本人通訳者特有の話なのか?
日本では文字を縦に読むことに慣れているから、通訳時のメモも縦に取った方が「目で追いやすい」のだろうか。それに対し、例えば欧米の文化であれば、目は縦ではなく「左から右」に動くことに慣れている、という違いがあるのだろうか。今度、内外の通訳者に聞いてみよう。

話を自分に戻すと、メモを横に取ることもあれば、初期の頃のように縦に取ることもある。
でも、一番多いのは、「四角に取る」パターン。

縦でも横でもなく、「縦 X 横 = 四角」に取る。面で取る、という言い方も出来るだろう。
「いい通訳」は、言葉に囚われずに「メッセージ」を訳すことである、という観点からすると、メモを縦でも横でもなく四角に取り、一つのメッセージを一つの「絵」、あるいはパワポのスライドのようなものとして捉える、というのはおもしろい方法だと思っていて、目下多用している。

メモを縦(横でもいいけど)に取る問題点は、一番上の箇所を訳しているとき、「先が見えにくい」という点にあると思う。もちろん目を大きくスクロールして一番下まで行けば「見える」わけだが、本番中、余裕があまり無い状態の中、それを毎回やるのはなかなか難しい。だからこそ、メモを縦に長く取ると、結果的に編集作業があまり行われず、メモの一番上からそのまま順番に訳していくことになりやすい。それ以外の訳し方が難しいからだ。

定量的/客観的に分析したことはないが、通訳学校で「正統派」の通訳教育を何年にも渡って受けてきた通訳者ほど、メモの一番上から順に、悪く言えば機械的に、訳していく傾向があるかもしれない。
それに対し、メモを縦にではなく四角に取ると、全体を一つの絵として把握しやすくなる。そして、発言のロジックの各アイテムがひとまとまりに近寄っていれば、起承転結も把握しやすくなり、自分が好む「戦略的な訳」がしやすくなる。

最近、自分が特によくやるのが、メモを大まかに4つのブロックに分けること。左上、左下、右上、右下と、大きく4象限に分け、それぞれのブロックの間の関係を考えながら訳を構築すると、やりやすい。(例: 左上の部分はイントロダクション、左下の部分が問題提起。右上が裏付けとなるデータで、右下がオチ、みたいな感じ。)

縦、横、四角、その他の方法。。。この辺は好みの問題でもあるだろう。冒頭の「メモ取りに唯一の正解無し」の通りだ。

いずれにせよ、メモは(必ずしも)縦に取らなくてもいい、というのが今のところの自分の実感である。もちろん、どの先生も「縦に取れ」と押しつけてはいない。「メモは縦に」という点に限らずだが、谷山さんのように「自分の指導内容が唯一の正解ではない」とわざわざ前置きしてくれている先生も多いし、仮にその前置きをしていなくても、それは前置きを省略しているだけで、通訳を教える人はほぼ全員そういうつもりで教えている。
そういう大前提があるのはよく分かる。でもそれにしても、どこを向いても「メモは縦」の大合唱の中、駆け出しの通訳者は他のメモ取り方法を試すどころか、それが存在することに気付くのも難しいだろうな、ということで、ちょっと一石を投じさせてもらいました。

by dantanno | 2016-02-09 00:15 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

もし同時通訳が好きなのであれば、それを前面に出してもいいと思う

今まで、いろいろな同時通訳案件を、いろいろな通訳者と組んでおこなってきた。

IRISの通訳者と組んだこともある。一方、他のエージェントから派遣された通訳者と組むことも多く、今日はそれについて書く。

<通訳の分担決め>
ペアで行うことが多い同時通訳においては、通訳をどのように分担するかを決める必要がある。分担は、事前に通訳エージェント等が決めておいてくれることもあるし、その場で通訳者間で決めることもある。決め方は、例えば「15分交替」といったように時間に基づいて決めることもあるし、スピーチが原稿に基づいて行われる場合、原稿の分量(最初の何ページ分を通訳者1が、残りを通訳者2が、など)で決めることもある。

その日組む通訳者と対面し、挨拶を終えた後、相手から
「分担を決めていただけますか?」
と言われることが多い。僕が昔社員をしていた証券会社の仕事のときなど、特にそうだ。

「分担を決めていただけますか?」
の後に
「なるべく多くやってください。」
と言われることがある。今まで数多く同時通訳をして来たが、その内の、恐らく半分以上の案件でこう言われてきた。中には
「なんだったら全部やってもらっても構わないんですけど(笑)。」
のように言われることもある(笑)。

言われるタイミングは、ブースの中で相手の通訳者と二人きりの時もあるし、クライアントを交えた事前打ち合わせの際に言われることもある。

これを言われるとなんだかちょっと萎えるというのが今日のブログ記事のテーマ。

ーーー

まず、相手の通訳者が何を考え、どういう思いでこれを僕に言っているのか、を考える。

<本気?冗談?>
本気で言っていることもあるだろう。
冗談で言っていることもあるだろう。
多分、本気と冗談が入り交じっている場合が多いのではないか。

<上から/下から>
「私の方が上(?)なんだから、あなたが多めにやって、より多く汗をかきなさいよ」という意味なのか。「私はあまり疲れたくないのよ」とか、「午後の案件に向けて、スタミナを温存しておきたいのよ」ということなのか。こういうこともあるにはあるだろうが、多分、ほとんど無いと思う。

「私の方が下(?)なので、(上である)あなたが多めにやってください」という意味なのか。上記証券会社の仕事の場合など、相手の通訳者の方が謙遜/遠慮し、このように下手に出てくださっていることもあるだろう。僕が知らないだけで、もしかしたら通訳学校などで「同時通訳の際、相手通訳者に対する礼儀として「多めにやってください」と言いなさい」と教わるのかもしれない。そんなことはないか。

ーーー

どのような考えや思いがあるかにかかわらず、
「あなたがなるべく多くやってください」
というのは、良くて中立的、ともすれば周囲に対しネガティブなメッセージとして伝わると思う。その言葉を額面通りに受け取れば、「自分はなるべくやりたくない」という意味にも取れてしまうから。

同時通訳の現場に来ている通訳者は、同時通訳を含む「通訳」という仕事がきっと好きなはずだ。だとしたら、それと正反対の印象を残しかねないメッセージを、特にクライアントの前で発するのはもったいない。

ーーー

同時通訳の分担の話から少し離れ、もっと広く「通訳」全般について考える。

他の業界の方からすると信じられないかもしれないが、「通訳がイヤでイヤでしょうがない」という空気をまき散らしながら日々活動している通訳者もいる。


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その対極には「通訳が大好き」というポジティブな雰囲気をいつも醸し出している通訳者もいて、その差は一目瞭然だ。通訳ブース内の雰囲気も、組む相手の通訳者次第で極寒のシベリアからうららかなお花畑ぐらいの振れ幅を行ったり来たりする。

もし本当に通訳がイヤなのであれば、受ける案件の種類とか、仕事の受け方とか、自分の実力とか、レートとか、何かを根本的に見直すのがいいと思うし、そうすれば楽しめるようになる可能性が高いと思う。そして、中には本当に通訳に向いていない人もいるだろう。僕が商社マンに向いていなかったのと同様に。であれば、早く他の道を追及した方がハッピーになれると思う。

一方、実は通訳が好きなのであれば(そうであることを切に願う)、その「好きな気持ち」をもっとストレートに出してしまってもいいと思う。

ーーー

<プロ意識の現れ?>
イヤそうに、、、  より適切な表現もあるのかもしれないが、他の形容のしようが今は思い付かないので引き続きこの表現を使う。イヤそうに通訳している通訳者の中には、
「自分はプロなんだ」
という自負・意識が強い人もいるのではないかと思う。プロなんだから、仕事を紹介されたときに喜びを見せるのはおかしいし、本番中も務めてプロフェッショナリーに粛々と物事を進めようとしているのかもしれない。案件終了後も、「楽しかった」「ありがたい」「ぜひまたやってみたい」といった浮かれたところを見せるのを自制しているのかもしれない。こうした職人気質は、それはそれで理解出来るし、尊重するべきなのも分かる。だから、今後尊重するようにする。

でも、自分の仕事を好きである人こそ「プロフェッショナル」である、という見方もきっと出来て、このような考え方に基づき我々通訳者を評価しているクライアントや通訳エージェントもいるだろう。それを考えると、通訳に関する我々の言動が周囲(特にクライアント)にどう映っているかを意識し、通訳が好きなのであれば時折その一端を覗かせたり、少なくともその逆の印象を与えないようにするということは、プロ意識の高い通訳者こそやるべきことであるとも言える。

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by dantanno | 2016-01-06 13:00 | プレミアム通訳者への道 | Comments(1)