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カテゴリ:プレミアム通訳者への道( 48 )

会議参加者にとっての「体感通訳力」を上げる

昔、山登りにハマっていた時期がある。

もちろん、山に登ったりなんてしない。
登山系の本や雑誌を眺め、ビクトリアみたいな店に行って各種登山グッズ・キャンプグッズを物色し、タフな山男な自分を想像して悦に入るのである。いい趣味だったと今でも思っているし、将来また時期を見て再開してもいいな、と思っている。

その頃学んだ概念として、「体感温度/体感気温」というのがある。
山頂での実際の気温がマイナス10度だとして、そこに強風が吹いていたり日陰だったりすると、それよりも寒く、例えばマイナス15度とか20度に感じるものだ、みたいな意味だったと記憶している。


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で、これって通訳にもそのままあてはまるなあ、と思うのだ。

ーーー

通訳力は定量化・数値化出来ないが、仮にそれが出来たとしよう。
で、ある通訳者の通訳力が80点だとする。

実際の実力は80点なわけだが、その通訳者のやりようによっては、会議参加者に(あの通訳者の力は85点だ。いや、90点だ!)と思わせることも出来るし、あるいは逆に(あの通訳者は70点だ。。。)と思わせることも出来る。実際の通訳力はあくまでも80点なのに!

以下、「実際の通訳力」と、会議参加者が感じる「体感通訳力」という、2つの通訳力があるという前提の元、論を進める。



<どっちの「通訳力」がより重要か>
実際の通訳力は80点なわけだから、ある意味そっちの方が大事な気もする。
でも、肝心の「会議参加者」がどう感じるか、もすごく大事だ。そして、会議参加者による評価が「次の案件につながるかどうか」とか、「今後の自分の通訳料金や条件」を左右することを考えると、そっち(会議参加者の体感通訳力)の方が大事だ、とも言える。

「私は通訳が上手なんです!」と会議室の中心で叫んでみたところで、会議参加者がそれを「体感」出来なければ意味が無いのだ。



<なぜ「実際の通訳力」と「会議参加者の体感通訳力」とでズレが生じるのか>

バイアスだ。

会議参加者は人間である。
そして、人間はバイアスの生き物だ。
このバイアスを上手に使いこなせば、実際の通訳力が80点なのに会議参会者には「90点だ!」と感じてもらうことが出来る(かもしれない)。



1.人柄バイアス

例えば、その通訳者がすごく愛想がよく、会議中もいろんなことに気付いて行動してくれ、案件終了後の対応も気持ちよく、実に好感が持てたとしよう。
その通訳案件が終了した後、会議参加者が「今日の通訳、いかがでしたか?」とフィードバックを求められた場合、「よかったですよ」となる可能性が高い。

さて、興味深いのはここからだ。

このとき、会議参加者の頭の中では「通訳者の通訳力」と「通訳者の人柄」がゴッチャになっている。そして、両者は連動しており、後者が前者を引き上げるものなのだ。つまり、会議参加者が「よかった」と思ったのは、実は通訳者の人柄だけで、通訳力ではなかったのかもしれないが、人柄がよかったおかげで、その会議参加者が体感した通訳力も(無意識のうちに)ほんの少し「よかった」サイドに引っ張られるものなのだ。

そして、いつのまにか「(人柄が)よかったですよ」「(通訳が)上手でしたよにすり替わるのだ。



2.向上心バイアス

人は、過去や現在のことを考えるのと同時に、未来のことも(無意識のうちに)考えている。

今、ある通訳者(Aさん)が目の前にいるとしよう。
Aさんがミーティングを通訳してくれて、ミーティングが無事終わった。その一連の過程で、Aさんに「向上心」が見られたかどうか。
見られなかった場合、「実際の通訳力」=「体感通訳力」となる。両者の間にズレは生じない。

でも、会議参加者がAさんに強い向上心を見出したらどうなるか。

会議終了後、「今日の通訳、いかがでしたか?」と聞かれた際、会議参加者は、無意識のうちに、Aさんの現在(80点)だけでなく今後の実力アップも勝手に織り込んでしまい、「85点でしたよ」となることがあるのだ。今の話をしているのに。



3.「通訳力評価は山頂ではなく谷底に引っ張られる」バイアス

上記2つはややマイナーというか、まあどうでもいい項目。でも、この3.は結構本質的だと思う。

ある会議において、合計100フレーズ(100の発言)が行われ、それを通訳者が逐次通訳したとしよう。
通訳者は計100回、通訳パフォーマンスを披露したことになる。

さて、その100回の通訳パフォーマンスのうち、90回はほぼ完璧な、立て板に水のような、実にすばらしい通訳だったとしよう。
でも、何らかの理由により、残りの10回については、クオリティの低い訳(つまりヘタな訳)だったとしよう。

会議参加者の体感通訳力は、
上手だった90回ではなく、
上手だった90回とヘタだった10回の平均値でもなく、
ヘタだった10回によって定まってしまうものなのだ!

だから、浮きを90個つけて浮かび上がろうともがいても、評価は10個のオモリによって水中に押し下げられてしまうもの。
理不尽な話だが、ヒトはバイアスの生き物なんだからしょうがない。

だから、通訳者は必ず、毎回、絶対に80点以上の、つまり合格点の通訳パフォーマンスをする必要がある。
税理士だったか中小企業診断士だったか忘れたが、「どの科目もまんべんなく80点以上を取らないと合格できない」みたいな資格があった気がするが、あれと一緒なのだ。

100点 100点 60点 100点 100点

ではダメなのだ。

90点 95点 80点 90点 90点

を目指すべきなのだ。
頂を極めることではなく、谷を無くすことが重要だ。



ミーティング中の「通訳力の平準化」は、会議参加者にとってのノイズ逓減にも役立つ。
1回のミーティングの間に、通訳力が100点と60点をジェットコースターのように乱高下することは、会議参加者にとって大きなノイズになる。
となりんちのお姉さんのピアノの練習で、途中までうまく弾いてきたのにある音を大きく外したときに我々が感じるあのズッコケ感を想起していただければ、会議参加者の落胆が分かるであろう。

ーーー

以上、会議参加者の「体感通訳力」というテーマについて考察してきた。

これは、芸能人の「好感度」とも似た考え方だ。
芸能人にとって「好感度」は非常に重要な指標だ。それによって今後のCMやドラマのオファー数が左右される。

その好感度だが、それが高いからといって、必ずしもその芸能人がすばらしい人格者、超善人とは限らない。
「好感度」というのは、あくまでも世間がその芸能人をどう見ているか、を表す数字で、その芸能人が実際にどういう人なのか、とイコールではない(強い相関はあるだろうが)。

我々通訳者も、好感度を上げる取り組みをするといい。
会議本番中はもちろん、その前後のチャンスも活かし、会議参加者にとっての「体感通訳力」を高め、次の案件、そしてさらなる高みを目指していきたいものだ。山登りは疲れるし危険なのでようしませんが、通訳の山はいくらでも登り放題。疲れないし、危険はゼロだし、山頂の気温は氷点下どころか、かなり暖かい、すばらしい場所なのではないかと楽しみにしています。

by dantanno | 2018-10-26 10:46 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

通訳のトレーニングについて、思うことすべて

今日は、通訳トレーニングというものについて、自分が思っていることをすべて書いてみます。



<この記事を書く背景>

今まで、いろいろな通訳者と、通訳トレーニング(以下「通訳トレ」)について話し合ってきた。


やるかやらないか。

何をやるか。

どれぐらいやるか。

効果をどう計測するか、などなど。


みな、実にさまざまな意見を持っています。


また、IRでご一緒する企業や証券会社の方々、そして外国人投資家から、我々通訳者が日頃どんなトレーニングをしているのか、聞かれることも多い。みな、我々が行っているクオリティコントロールに関心があるんですね。それはそうだ。


そして、私が教えている大学院の講義、主宰しているプロ通訳者向けワークショップ、あるいはたまに行う(通訳イベントでの)講演後のQ&Aセッションなど、実にさまざまな場で、通訳トレについて意見を求められてきた。「何をトレーニングすればいいのか」とか、「どうすれば効率的にレベルアップ出来るか」といった質問も多い。

一方、別に意見など求められていないにもかかわらず、私から勝手に通訳トレに関する自説を開陳し、顰蹙を買ったり買わなかったりもしています。


通訳トレについて、いろいろな場で断片的に意見を述べてきましたが、この辺で、自分が思っていることをどこか一箇所に全てまとめて書いておくことも有意義であろう、と思い、この度筆を取りました。




<この記事の想定読者。誰のために書いているか>

誰のために、と問われればまあ自分のため、ということになるのでしょうが、でも、通訳力を上げたいと本気で思っている、そんなやる気のある通訳者(特に駆け出しの通訳者)の参考になればとてもうれしいです。




ーーー



<通訳トレとは何か。通訳トレをどう定義するか>

通訳トレを、「通訳力を高めるための取り組み」と、まずは仮に定義する。




<「通訳力」とは何か>

では、「通訳力」とは何を指すのか。これはなかなか深い問題である。

それを考えるために、通訳をする際のプロセスを思い返してみる。


通訳する際、通訳者が経ているプロセスは:


①インプット:    話し手の話を聴き、それを理解・解釈すること

②プロセッシング: (①で聴いたその発言内容を)編集・整理・加工すること、そして

③アウトプット:  (②で処理した内容を)口に出し、聴き手に伝えること


大きくこの3段階に分けられる。

実際に「訳す」作業、つまり日本語を英語にしたり、英語を日本語にしたり、という狭義の通訳作業は、上記②と③にまたがる、と言えるかもしれない。




そして、通訳力は:


①インプット系の力:  話をちゃんと聴き取り、それを理解・解釈する力

②プロセッシング系の力: 話の内容を整理・編集する力。言語を変換する力

③アウトプット系の力:  聴き手にとって分かりやすいよう、ちゃんと出す力


に分けられる。

(余談だが、「話を理解・解釈する力」は、インプット系の力とプロセッシング系の力の狭間に位置するとも言える。)


こうしたインプット系、プロセッシング系、そしてアウトプット系、いずれかの力を高めるために行う取り組み、それをこのブログ記事では「通訳トレ」と呼ぶことにする。





<通訳トレに含まれないもの>

一つ上のセクションで、通訳力がインプット系、プロセッシング系、アウトプット系の力に分けられる、と書いた。では、それだけなのだろうか。他に通訳力と言えるものはないのだろうか。


例えば「通訳経験」はどうか。通訳経験が豊富であればあるほど、各種シチュエーションでうまいこと立ち回れるようになるだろう。それは立派な「通訳力」だ。

また、「知識」も間違い無く含まれるだろう。ある分野の会議の通訳をする際、その分野に精通していれば、その分「いい通訳」が出来る。そういう意味では、知識を豊富に有していることも間違い無く「通訳力」と言えるだろう。

もっと広い概念で行くと、「人間力」も通訳力の大事な一部分だ。人間的な魅力。会議参加者を安心させるおだやかさ。話し手が言いたいことを推し量る思いやり。その場のキーマンが誰かを見定め、うまく立ち回る力、などなど。こういうのも立派に「通訳力」だ。

つまり、通訳力というのは全人格的な能力なのだ。


ーーー


通訳経験を積むためには、数多くの通訳現場を体験する必要がある。

知識力を高めるためには、次の通訳案件に向けた予習を熱心にやったり、日頃からいろいろなテーマについて勉強しておくことが求められる。

そして、人間力を高めるためには、いろいろと人生経験を積むのがいいかもしれない。映画を観たり本を読んだり、また、友達と飲みに行くのもいいだろう。


しかし、このブログ記事では、こうした取り組みについては「通訳トレ」に含めない。


・通訳案件の本番

・案件に向けた予習、および背景知識習得のためのお勉強

・人間力を高めるためのいろいろな取り組み


こうしたものは「通訳トレ」と呼ばないことにする。



それぞれ理由がある。


・通訳案件の本番  通訳案件の本番を経験することは、基本的・普遍的な通訳力のアップにあまり効果が無いと思っている。駆け出しの通訳者ならともかく、通訳をもう3年もやっている人が新たに通訳案件を経験したからといって、そこから得られる「基本的な通訳力の向上」は非常に限定的だと思う(後述するように、応用力は身につくと思う)。

これは大きなテーマなので、この後セクションを分けて、詳しく考えてみたい。


・案件に向けた予習、そして背景知識習得のためのお勉強  これらは要するに「お勉強」と総称できる。通訳者は、真面目な人が多いんだろう、こうしたお勉強が大好きだ。

お勉強は、特定の通訳案件、および特定のテーマの通訳の際はもちろん役立つだろう。しかし、どの分野の、どの通訳案件においても役立つ普遍的な通訳力とは言えない。

例えば今度、原子力関係の会議の通訳をすることになっているとしよう。その日使われる予定の資料を入手し、それを読み込んで予習をしたり、そもそも原子力についてよく分かっていないから紀伊國屋に行って「原子力の基礎」という本を買ってきてお勉強したり、といった作業は、本番当日の通訳パフォーマンス向上に役立つであろう。でも、その通訳案件の翌日に予定されているエンターテインメント系の会議の通訳には(直接的には)役立たない。


・人間力を高めるためのいろいろな取り組み  これはこれで非常に大事だが、「通訳トレ」と呼ぶにはあまりにも時間がかかりすぎる。私がイメージしている通訳トレというのは、1年、、、いや、3ヶ月で効果が出るような取り組みなのである。




<確認: 「通訳トレ」の定義>

ということで、このブログ記事において「通訳トレ」は:

どの分野の、どんな通訳案件で通訳をする際も活用出来る、そんな基本的・普遍的な通訳力を、比較的短期間で向上させるための取り組み

これを「通訳トレ」と定義する。



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<なぜ通訳トレが大事だと思うのか>


通訳という仕事をより楽しむために大事だと思うんです。


ーーー


先日、ハワイで体験サーフィンのレッスンを受けたんですよ。結論から言うと、自分にはバランス感覚が全く無いことが確認出来たのと、ボードに飛び乗ったときにグキッと脇腹を痛め、日本に帰国した後もまだ痛いから病院に行ったら「あばら2本折れてるよ。あんたよくこれでレッスン続けたね(笑)」とあきれられたことが主な収穫でした。


それはさておき、サーフィンを体験して文字通り「痛感」したのが、沖に出る際のパドリングの大変さ。あの、ボードの上に寝そべりながら、手でバシャバシャ水をかいて前に進むアレです。初めて沖に出るときはいいんだけど、その後波に乗って浜の近くまで打ち寄せられて、それで再度沖に向かうじゃないですか。その度にまたパドリングが必要になるわけですが、それを何度も何度も繰り返す内に、だんだんウデの感覚が無くなっていく、、それほど疲れました。もう、波に乗れるとか乗れないとか以前の話。ウデが疲れたのでもう上がらせてください、とマジで先生に言おうかと思ったぐらい。


ちなみにパドリングは、実際に波に乗る瞬間も行います。後ろから来ている波にうまく乗れるよう、勢いを付けるためにバーッとパドリングして、それでスックとボードの上に立つわけです、うまい人は。



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ちょっと強引な例えですが、パドリングをする力というのは、通訳における「基本的な力」に相当するのかな、と思いました。


そして、実際に波に乗って、

(あっちに行こうかな)とか

(ここらでちょっとターンしてみようかな)とか、さらにうまい人になると

(ジャンプでもしてみるか)とか、

そうやっていろいろ遊べる、そういう楽しい世界が多分あるんだろうな、と思うんですよ(僕には夢のような話)。それが通訳における各種「遊び」に相当するのかな、と。


通訳における遊びというのは、例えば

(今の発言、ああも訳せるけど、こうも訳せるな。今回はどっちの訳し方で行くかな)とか、

(この投資家は結構せっかちっぽいから、結論を前の方に持って来て、訳をちょっと短めに編集してみるかな)とか、

(今のジョークを、ちゃんと笑いが起きるようにするにはどう料理したらいいかな)とか、

そういう楽しい作業のことを指します。


パドリングで疲れ切っちゃっていると、なかなか「波に乗る」というサーフィンの真の楽しさに行き着けないのと同様、

「話を聴き、理解し、訳出する」という一番基本的な力作業で脳のキャパを使い切っちゃっていると、通訳の真の楽しさをなかなか味わえないんじゃないかな、と思うんです。それではもったいない。だから、もっと通訳で遊んで楽しむためには、通訳トレがすごく大事だと思うんです。





<遊び = 高付加価値>

通訳における遊びは、単に通訳者にとって楽しいだけでなく、会議参加者にも喜ばれます。

ただ訳すのに精一杯の通訳者が多いのに対し、(今の発言はどのように料理しようかな)と遊ぶ余裕のある通訳者は、①そもそもゆとり・余裕があるから会場に安心感をもたらすのに加え、②訳がより分かりやすく、伝わりやすくなりますから、とても喜ばれるんです。


実際、そういう例をたくさん見てきました。





<通訳トレは、ゼネラリスト通訳者にとって特に重要>

僕のように、例えば「IR通訳」とか、分野をかなり限定して通訳をしていく人は珍しい。

多くの通訳者は、ゼネラリストとして、日々いろいろな分野の通訳に挑戦している。きっとその方が楽しい(笑)。ゼネラリスト通訳者を目指すのであれば、なおのこと、特定分野の、特定の案件にだけ役立つ力ではなく、どの分野の、どの通訳案件にも活かせる「普遍的な、基本的な通訳力」を身につけた方がいいのではないか。




<通訳者は通訳トレをしているのか>

では、そんな大事な通訳トレを、果たして世の通訳者たちはやっているのかどうか。

当たり前の話ですが、やってる人はやってるし、やってない人はやってない。

大きな傾向で言うと、駆け出しの通訳者であれば結構やっているのかもしれませんが、だんだんベテランになってくるにつれて、通訳トレの量が減ってくる、そんな傾向があるかもしれません。


ーーー


通訳系のイベントなど、通訳者の集まりで、通訳者たちに

「みなさん、ご自分の通訳力をさらに高めたい、と思いますか?」

と聞くと、全員がまっすぐに手を挙げます。


「では、通訳力を向上させるためには、何らかのトレーニングをした方がいいと思いますか?」

と聞くと、みな手をしっかり挙げたままです。


「じゃあ、昨日、1時間以上通訳トレーニングをした、っていう人はどれぐらいいますか?」

と聞くと、さっきまで屹立していた全ての手が瞬時に降ろされます。





<通訳トレをしない通訳者は、なぜ通訳トレをしないのか>

駆け出しの通訳者はきっとトレーニングしているでしょうから、一旦脇に置いておきましょう。また、ベテラン勢の中にもしっかりトレーニングしている人もいるでしょうから、そういう人も一旦脇に置いておきましょう。

ここでは、通訳トレを「(あまり)していない」という通訳者について考えます。


彼ら・彼女らは、一体なぜ通訳トレをしないのか。

野球の練習をしないプロ野球選手などありえないのに、なぜ通訳トレをしないプロ通訳者が存在するのか。


ーーー


プライオリティーが低いんだと思うんです、通訳トレの。


通訳案件(仕事)や、それに向けた予習が優先される。

案件を数多くこなせば疲れます → 休養も必要になる。

そして、もちろん家族のイベントとか、子供の送り迎えとか、そういった時間も必要。

マジメだから、お勉強もします。


そういったことを全てこなした上で、もし時間が余っていたら通訳トレでもするか、、みたいに思うのかもしれませんが、当然時間なんて余るわけがない。そしてこれは、(きっと時間なんて余らないだろうな・・)って、最初から心の中のどこかで確信犯的に、分かってやっているわけです。


他の諸々の用事と比べ、「通訳力を上げるためのトレーニング」のプライオリティーが低いんです。


では、なぜ通訳トレのプライオリティーが低いんでしょうか。結構大事なはずという気もしますが。


それは恐らく、通訳トレするインセンティブを感じていないからだと思います。





<なぜ通訳トレをするインセンティブを感じないのか>


1.既に仕事がある程度回っているから


・仕事がそこそこ取れている

・エージェントからもらえているレートも悪くない

・お客さん(クライアントや会議参加者)は別に文句を言ってきていない


この三拍子が揃ってしまうと、自分の通訳力をさらにアップさせるインセンティブが薄れてもまあしょうがないと思う。そして、仕事がそこそこ入っていると、それをこなすだけで疲れるから、その後に通訳トレする気なんて起きないし。


2.さらに上があることが見えにくい


通訳力アップの必要性とは別の問題として、そもそもそれが可能であるということに気付かない、という面もあるかもしれない。通訳の世界には実はもっと上の次元があるのだが、自分がまだその次元にいないので、当然それが見えないし、実感が湧かない。自分と同じ次元にいる通訳者は見えるが、「上の次元」にいる人たちは見えないものだ。日頃、現場でも会わないし。

そして、今の次元でもらえているレートもそんなに悪くない。


また、幸か不幸か既にある程度の実力を有しているだけに、どうすればそれを、何年後とかではなく比較的短期間の内に、今のレベルからさらに上達させられるのかが見えない。そんな通訳者も多いと思う。だから(ま、長い目で考えよう・・・)みたいな話になり、結局日々の通訳案件をこなす以外はほとんど何もしない、という状態が何年も何年も続くことになる。


通訳トレをするインセンティブを感じない、という問題については、この2つの要因が大きいと思う。





<通訳トレを「戦略的・意図的」にしない通訳者もいる>


中には、確信犯的にというか、戦略的・意図的に通訳トレーニングしないという通訳者もいる。

「しようよ(笑)」という話だが、しないのだ。なぜしないのか。


そのような通訳者は、「日々の通訳案件が一番の通訳トレーニングになっている」と考えている。

それは、本気でそう考えているのか、心のどこかで(実は違う)と思いながらも、通訳トレしない言い訳に使っているだけなのかは分からないが、とにかくそう思っている。


このブログ記事の最初の方で書いた通り、この記事では「通訳トレ」の定義に「日々の通訳案件」は含めていない。また、これも最初の方で書いた通りだが、私は日々の通訳案件が、基本的な通訳力のアップにはあまりつながらない、と思っている。以下でその理由を考えてみる。


● 分からなくもない

確かに、通訳案件をする際は「通訳」をしているわけだし、家でのぬるま湯環境ではなく本番環境でやっているわけだから、トレーニングするよりも効率的に力がつくのではないか、という気もする。直感的には。それを毎日毎日こなしていれば、通訳力がグングン上がりそうな気もする。直感的には。


では、通訳案件をこなすことで得られるものは何か、考えてみた。


・経験

・知識

・持久力/スタミナ

・自信(大事だが、通訳トレーニングをしなくなる、という副作用あり・・)

・ごまかす力(←重要!だがこれも、ごまかすのがうまくなればなるほど通訳トレーニングの必要性を感じなくなる、という副作用あり。何かを「感じなくなった」からといって、それが「無くなった」わけではない。)


もちろん、「通訳者になって初めて」の、一番最初の通訳案件はすごくためになるだろう。2回目の現場もためになろう。でも、それが3回目、4回目、5回目、とどんどん数を重ねていく内に、1回の現場経験から得られるレベルアップがどんどん逓減していく。これは当然のことだ。

(例えば今日の現場がその通訳者にとって5000回目の現場だったとしよう。その現場を経験した結果、通訳力が如実にアップしていたとしたら、それは逆の意味でヤバイ気がする。もちろん、何かためになる知識が得られたとか、その日の経験で新たな視点が身についた、といったことはあるだろう。でも、5000回目の通訳現場で「基本的な通訳力」が大きくアップしていたとしたら、それは何か別の問題があることを意味するし、現実にはそんなことは起こりえない。)



そして何よりも、通訳案件をこなすことで得られるものは、「基本的な通訳力」とは少しズレているのだ。

経験も知識もスタミナも自信もごまかす力も、全部大事だ。でも、それは「基本的な、上手に訳す力」とは別のものだ。


● 見てみたい

もし、日々の通訳案件をこなすことが本当にレベルアップにつながるのであれば、本当にすばらしい。そんなに効率的なことはない。ぜひそれを見てみたいものだ。

日々の通訳案件をこなすだけの通訳者が、例えば半年とか1年経った時点で、(あ、この前よりもかなり上手になってる、すごい!)ということがあるのであれば、それを楽しみに待ちたい(今のところ、そのような現象を目の当たりにしたことは一度も無い)。経験年数とプライドとレートだけが高まってしまい、実力がついて行っていない通訳者を見るのは痛々しいし、その仕組みは長い目で見るとサステーナブルではないのではないか、と思ってしまう。基本的な通訳力を上げる方がベターだし、結局近道だ。


● 「試合」と「練習」のバランス

通訳を、他の分野のプロフェッショナルと比較してみた。


例えばスポーツ選手。

野球選手や体操選手は、「試合」と「練習」をどの程度の割合でこなしているのだろうか。

野球選手の場合、「シーズン」というものがあり、その間は多くの試合をこなしている。でも、シーズン中でもいわゆる「練習」はするだろう。例えば夕方から試合だとしたら、日中は練習をしているわけである。

また、シーズン以外の期間は、キャンプを行ったり、自主トレを行ったりと、練習に勤しんでいるだろう。


体操選手の場合、4年に一度のオリンピックとか、大きな大会とか、そういった「試合」的な場ももちろんあるが、日頃、一番多くの時間を「練習」に費やしているのではないか。


それに対し、「日々の通訳案件をこなしていればいいんだ」という通訳者は、極端な話、試合10、練習ゼロだ。

どうもアンバランスなような気がする。


「自分は、試合・大会に出るだけで十分ためになるから、日頃の練習などしない」というスポーツ選手がいるだろうか。考えられない。でもそれが、通訳の分野では日常的に起きている。(幸い、そうでない通訳者もいる。)


<Performance zone と Learning zoneという切り分け方>

このブログ記事を読んだ翻訳者(友人)が、こんな動画を送ってくれた。

How to get better at the things you care about

僕が言っている「試合」と「練習」の関係は、この人が言っているPerformance zoneとLearning zoneという考え方にとても近い。




● 案件本番と、トレーニングのときでは、メンタリティーが真逆

私が一番ポイントだと思っているのはこの点である。

通訳案件本番に臨む際、通訳者は自信を鼓舞して臨むものだ。「自分は世界で一番上手な通訳者だ」と思い込むようにして現場に臨む通訳者もいる。いいことだと思うし、大事だと思う。

そして、現場でちょっとミスをした場合。もっとうまく訳せたであろうに、それが出来なかった場合。そんなことでクヨクヨなんかしていられない。どんどん前に進むことが大事だ。


それに対し、トレーニングをしているときはどうか。

自分の通訳力を謙虚に、冷静に見つめ、どこが強みなのか、どこが弱みなのか、を分析する。

そして、特に弱みについて(本番では見過ごされがちな弱みについて)注目し、それを克服するためのトレーニングを行う。


つまり、本番に臨むときと、トレーニングをするときとでは、自分の通訳に向き合うメンタリティーが完全に真逆なのだ。自信過剰 VS 謙虚、なのだ。

だから、本番ばかりこなしていてトレーニングをしない通訳者は、なかなか自分の通訳というものを謙虚に、冷静に見つめる機会が無く、いつもワッショイワッショイで前に進んでいる(気になっている)のではないか、と思うのである。


以上、「日々の通訳案件は、基本的な通訳力アップにはあまりつながらないのではないか」という問題について考えて来た。

このセクションの最後に、IRISの、今やどの現場にでも安心して出せるエース級の通訳者が言った一言を紹介したい。


「私、フリーになって1年ぐらいで、案件を経験することによるレベルアップが止まって、しばらく伸び悩みました。」





<筆者の通訳トレ経験>

じゃあお前はどうなんだ、と思う方もいるかもしれない。


私は、2008年にフリー通訳者になった。

通訳者になって数ヶ月がたち、ほとんど仕事がなくてブラブラしているときに証券会社に拾ってもらい、インハウス通訳者になり、IR通訳を始めた。

IRには年間を通しての波があり、忙しい時期は忙しいんですが、ヒマな時期はとてもヒマ。で、インハウス通訳者が4人もいたので、なおのことヒマ。

(これだったら出社しなくてもいいんじゃないか?)と思うぐらいだったが、一応出社はしないといけない。

そこで、毎日朝から晩まで通訳のトレーニングばかりしていた。


真面目だからではなく、ヒマだからトレーニングをしたのだ。

そして自分の場合、「インハウス」という特殊環境だったのが幸いした。とにかく9時−5時で会社にいないといけない。証券会社ということもあり、会社のPCからはFacebookとかブログとか、そういう楽しい場にはつながらない(最初はYoutubeにもつながらなかった(笑)。これだと通訳トレが出来ない、と言い張って情報システム部に泣きつき、つながるようにしてもらった)。


つまり、他にやることがないからしぶしぶトレーニングをせざるを得なかったのが幸いした。


ーーー


さて、日々トレーニングをしていると、2〜3ヶ月ぐらい経ったときに、明らかに変化を感じた。

もちろん、通訳に「慣れた」というのもあっただろうが、それだけではないような気がした。

とてもラクに通訳が出来るようになった。

もっと具体的に言うと、それまでは多少話を要約したり落とさざるを得なかったのが、全部拾って再現出来るようになった。そして、それまではアップアップで気付かなかったいろいろなことに気付けるようになり、それに対処することで、通訳を少しずつ高付加価値化できた。その後は、「全部写真のように再現するのではなく、もっと絵のような通訳が出来ないか」という課題にも取り組めた。全部通訳トレのおかげだと思っている。




そんな頃、社外の、つまりフリーランスの通訳者たちの通訳パフォーマンスを見せてもらう機会もよくあった。みな、自分よりも大先輩の人たちばかりだ。

フリー通訳者たちの通訳を見ていると、必死になって、アップアップになってやっている人たちが結構いた。見ていて楽しそうではなかったし、あまりステキでもなかった。思うに、基本的な通訳力が無いのだ。基本的な通訳力を欠いた状態で、日々案件をこなしているから、ヘンな応用力(?)とか、ヘンなごまかし方とか、そんな変化球なスキルばかり身についてしまっているのではないか。


興味深いことに、通訳が終わった後、

「やっぱり半導体セクターは難しい(苦笑)」

とか

「この会社、ひさびさにやったから、やっぱりしんどかった(笑)」

とかなんとか言っているのだが、僕は(きっとそうじゃないだろう)と思っていた。知識とか、応用力の問題ではない。基本的な通訳力が無いのだ。



そんな通訳者がいる一方で、余裕をもって、楽しそうに通訳している人たちもいた。雰囲気だけでなく、実際訳も上手で、会議参加者から喜ばれ、指名を取っている。月とすっぽんだなあ、と思ったし、通訳者になるのであればかくあるべし、、、と強く思った。





<具体的に何をトレーニングするのか?>

では、具体的に何をすればいいのか?これはもちろん人それぞれなわけですが、例えば以下のような項目です。


・脳のトレーニング: スピードアップ、記憶力

・物理的なこと: 口の回りをよくする。腹から声を出す

・単語/表現力

(単語力というのは、「試合」と「練習」の対比がしやすい分野だ。試合(すなわち通訳案件)に向けた予習の際、単語帳を作る。その単語帳には、その会議で出そうな専門用語が並ぶわけだが、例えば “Incidentally, 〜” とか、 "cohesive" とか、特定の案件に紐つかない、基本的な単語力アップにつながる単語は載らないのが普通だ。こういう面でも、試合では得られない効果がトレーニングで得られると思う。)

・(狭義の)通訳力: Shadowing、要約、逐次、同通、パラフレーズ(固い訳にならないように)

・メモ取り: 記号化、メモの整理の練習

・英語力: 単語帳、読書、音読

・日本語力: 読書、音読

・その他: 時事ネタ、業界知識・専門用語 (←注:通訳トレの範囲外!)



通訳のプロセスを

Input系、Processing系、Output系

に分けて、それぞれのプロセスにおいて通訳者に必要な能力を細かくリストアップしてみて、それぞれの項目において、自分の能力がどれくらいか、を分析し、「で、自分は何をすればいいのか」を考えるといいと思います。




たまにあるのが、「何をトレーニングすればいいのか分からない」という相談。

相談してくれるのはうれしいんですが、これに対して思うことは大きく2つあります:


1.何をやっても効果あるはず

神レベルの通訳者は別として、ほとんどの通訳者はスタート地点が低いわけだから、ある意味、何をやってもためになっちゃうというか、効果出ちゃいますよね、きっと。だからあまり心配しなくてOK。とにかくやればOK。


2.センスの問題

思うんですけど、自分の通訳を聴いて、それを客観的に分析して、「どこがダメなのか、何をどうすればよくなるのか」が分かる/分からない、って、通訳者にとっての一番基本的な「センス」のような気がするんです。それが分からないのであれば、通訳者としてのセンスが無い、ということ? → 辞めた方がいいのかも。





<「通訳トレーニングしているのに、なかなか効果が出ません」> 

思うことは4つ。

① 「効果が出ていない」というモニタリングがちゃんと出来た点はすごいと思うし、見習いたい。
② 本当にトレーニングしているのか?(司法試験を目指す人は1日10時間とかザラに勉強するらしいが) 
③ 効果が無ければ意味が無い。通訳トレは「通訳力アップにつながる活動」。言い換えると、一生懸命トレーニングしても通訳力アップにつながらないのであれば、それは通訳トレーニングではなく、何か(Whatever else it is,)別のことをやっている、ということ。
④ トレーニング・メニューを変えたらいい。

あと、駆け出しの通訳者が特にそうですが、「通訳案件が無い(つまり、なかなか場数を踏めない)」ことを「レベルアップ出来ないこと」の言い訳にしないでほしい。
通訳案件が無いということは、通訳トレーニングに専念できるわけで、サボっているベテラン勢に対し、大変なアドバンテージ(笑)。

早晩、案件は入るから。そして、そのときにウデが良ければ、エージェント、クライアント、会議参加者、関係者一同「おっ??」って思って、その後は芋づる式に案件が増えていくから。もう、これは間違いありません。こっちだってビジネスでやっているわけで、優秀な駆け出し通訳者に飢えていますから。目を皿のようにして探しています。基本的な通訳力があれば、必ずレーダーに乗るから、安心してください。




<オススメの通訳トレーニングは?>

いくつかあります。


・センテンスずらしのシャドーイング

通訳学校で、シャドーイングというのを教わった。誰かが話しているのを、言ってるそばからすぐにShadowして、同じように話すトレーニングだ。

シャドーイングを毎日やるようになってすぐに、(これは、すぐにShadowしちゃうのはもったいない。タイミングをずらした方がいいんだろうな)と思い、話し手が話したあと、だいぶ待ってからShadowするようにした。最終的には、1センテンスぐらいずらしてShadow。これは、同時通訳をする際の「タメ」の練習に効果的だった。

通訳学校で「同通は聴いたそばからどんどん、とにかく何かを出し続けなさい」と教わったが、教わった瞬間に(それは違うな、きっと)と思った。ひねくれているのだ。

すぐに出しちゃうのは、そうせざるを得ないからそうしているのであって、本当はなるべく「タメ」た方がいいんだろう、と思った。なんなら1センテンスぐらい話し手とズレていても、その方がちゃんと意味を踏まえた、文末までしっかりと聴いた上で編集した訳(逐次通訳に近い訳)が出来るのであれば、その方が会場のためになるだろうな、と思って始めたのがセンテンスずらしのシャドーイング。すぐ出すのは通訳者のため、タメて出すのは会場のため。


他にも、「言い方を変えてのシャドーイング」みたいなバリエーションもあり。

話し手が言ったのをそのまま繰り返すなんてラクしすぎ(笑)。そうじゃなくて、あえて言い方を変えないといけない、というルールを作り、負荷をかけるようにした。


例: "Operating profit will grow 50% this year." → "Our OP will increase to 1.5 times in this fiscal period."


とか、なんでもいいけど、とにかくなるべく表現を変える、というルールで。表現の引き出しを探しに行くスピードを高めるのに役だった気がします。


ちょっと余談ですが、大事な点。

通訳学校でヘンなことを教わり、それに縛られている通訳者のなんと多いことか。

通訳学校で教わったことをいかにDe-learn、Unlearnするかが、プロの通訳者として一段上に行けるかどうかの、かなりカギだと思います。

(これはプロデビューしてから知ったことですが、通訳学校の先生って誰でもなれるというか、(えっ、あなたが?)みたいな人が立派に先生として教えていたりする。もっとも、通訳が上手だからといって教えるのが上手だとは限らないし、Vice versaですが、I'm sure it helps (and vice versa)。そして、通訳学校の先生は、自分がまだ通訳の右も左も分からないときに通訳学校で教わったことを盲目的に生徒に継承しているだけの時もあるから、とにかく要注意。話半分ぐらいで聞いておくのがいいと思います。)




・「熟成再生」


1.何らかのネタを用意し、再生し、逐次通訳する。

2.自分の逐次通訳を録音する。


(1ヶ月熟成させる)


3.1ヶ月後、元ネタの内容を忘れた頃に、通訳を聴く。その際、元ネタは再生せず、自分の通訳だけを再生する

4.会場にいる人の気持ちになって、自分の通訳を聴き、「分かる」かどうかを品定めする → どの辺がダメか、を考える

5.元ネタを再生する。さっき聴いた自分の通訳がそれをちゃんと訳せているかどうかチェック → どの辺がダメか、を考える


4.と5.であぶり出された欠点を克服するためには何をすればいいか、を考え、その後実行する


これ、ポイントは3.です。

しばらく寝かせた後に訳を聴く際、「元ネタ+通訳」ではなく、通訳だけを聴くことが大事です。元ネタも合わせて聴いてしまうと、頭の中で、元ネタで言っていることと自分の通訳との間でのつなぎ合わせ作業が行われてしまい、自分の通訳がダメダメでも、(まあ、そこそこ訳せてるんじゃないの?いい感じ)と思ってしまいます。

そうではなく、①元ネタの内容を忘れた頃に、②あくまでも「自分の通訳」だけを聴くことにより、会場にいる、自分の通訳の聴き手(=真のお客様)と同じ立場に立てる。そうすると、いかに自分の通訳がダメか、意味不明か、が如実に分かり、(日々現場に出てる場合じゃないな・・・)と気づける。




・「定点観測」


1. 何らかのネタの通訳を録音する(録音A)


3ヶ月間、通訳トレーニングをする。


2. 同じネタを再度通訳し、それも録音する(録音A')

3. AとA'を聴き比べ、どう変化したかを確認する。変化していなければ、3ヶ月何していたんだ、ということになる。




・「聴く」練習

当たり前だが、通訳者の仕事は「訳す」ことだ。

だから、本番中、話し手の話を聴きながら、出来る通訳者ほど「訳す」準備を頭の中で始めてしまい、実は話を聴いていない、という皮肉な現象が起きる。

だから、あえて訳の準備に気を取られずに、ただ聴く、ただひたすら聴くことに集中する、というトレーニングをする。何度でも聴いていい。訳の準備をしちゃダメ!とにかく聴け、と自分に言い聞かせながら。

意外と難しいものだ。つい「訳の準備」とか、スマホ見ようかな、とか、余計なことを考えたくなってしまう。


(もう十分聴いた)と思ったら、今度は本番同様、訳の準備をしながら聴く。

普段、いかに「聴いて」いないかに気付ければ効果あり。




などなど。

こういうトレーニング・メニューはいくらでも考えられると思うので、ぜひオリジナル・トレーニングを考案してください。おもしろいのがあったら教えてください。




<通訳トレの効果はどれぐらいで出るか?>

通訳者と、通訳トレの話をしていて、こう言われたことがある。

「通訳力は、そんなに急には変わりません。長い目で見てください」


通訳トレをやった結果、どれぐらいで効果が出るものなのか?


通訳には、その人の人柄が出る。そして、通訳力は、その人の人柄とか、通訳スタイルと密接につながっている面もある。そういう根本的な面は、確かに短期間では変わらない(っていうか、長期間でも変わらない。変わらなくていいことだ)。


でも、テクニカルな側面は3ヶ月あれば変わると思う(経験者談)。


ゴルフに例えると、その人の基本的な姿勢・考え方は何十年経っても変わらないかもしれないが、スイングを多少改良させることは(やろうと思えば)短期間で出来る。スタート地点の実力が低いのであれば特に。


既に上手な通訳者だって、短期間で通訳を「変える」ことはできると思う(今の95点を96点にするのは確かに難しいだろうし、時間がかかるかもしれない。でも、通訳のやり方をちょっと変えてみる、視点をちょっと変えてみる、ということは、極端な話、Overnightで出来るはず)。


「そんなに急には変わりません」と言われて思うこと:


① じゃあ、いつ変わるの??? 

20代のキャピキャピな通訳者ならともかく、我々おじさん・おばさん通訳者の多くにとって、「10年後には多少上達してるといいな♪」では遅すぎるのだ。

そして、「急には変わりません!」と言いつつ、毎日しっかり通訳トレしていれば説得力があるが、99%そうではない。


② ちょっとおこがましい?

一見謙虚な発言が、実はおこがましい、ということはよくある。「そんなに急には上達しない」という発言もまさにそれ。

確かに、既に実力が神の域に達している通訳者にとっては、そこからさらに目覚ましく実力をアップさせるのは無理だろう。でも、世の通訳者のほとんどは「まだまだ」である。実際、僕を含む世の通訳者に「あなたは通訳が上手ですか」とぶしつけに尋ねれば、半分謙遜、半分本気で「いやいや、私なんてまだまだです」という答えが返ってくるだろう。もし、例え半分だけでも「自分なんてまだまだ」と信じるのであれば、その「まだまだ」の状態からウデを目覚ましくアップさせるのは無理、というのはどういう理屈か。「私には目覚ましい通訳力アップなんて無理」と口にすることを許されるのは、ごく少数の、本当に通訳が上手な通訳者だけだろう。基準をどこに置くか次第だが、通訳が本当に上手な通訳者は、僕を含め、僕の周りには一人もいない。だから、どの通訳者も自身の通訳力を「目覚ましく」向上させることは十分出来るはず、というのが僕の考え方です〜。


③ 通訳は3ヶ月あれば劇的に変わる

経験者談。


④ 目線を「ウデのいい通訳者」のさらに先に置くことで、Fast Trackを歩む

これは言うは易し、なんですが、、、

目標を「ウデのいい通訳者になること」にしてしまうと、それが目標になるので、なんと言いますか、(ま、ボチボチやるか)みたいな感じになりがちだと思うんですよね。でも、もし「ウデのいい通訳者になること」というのを最終目標ではなく、単なるマイルストーンに落とせれば、2倍速、3倍速でうまくなる気がします。つまり、「ウデのいい通訳者になること」の先の、何らかの最終目標を設定する、ということですかね。。まあ、言うは易しです。





<極論: 仕事を断ってでも通訳トレした方がいい??>

例えばみなさんに大学生の息子がいるとします。

彼は、大学4年間、ろくに勉強もせず、体育会もサークルもやらず、異性(同性でもいいけど)との健全な交際もせず、ただひたすらマックでハンバーガーを引っ繰り返すバイトに4年間明け暮れたとしましょう。

「ヒロシ、なにやってんだ?」と聞けば、「父ちゃん(母ちゃん)、オレ、お金貯めたいんだ」とのこと。


せっかく大学にやってやったのに、もったいない、、、って思いませんか?


確かに、勉強したり、体育会をやったりするよりも、ずっとバイトしていた方が、とりあえずお金は貯まるでしょう。でも、大学時代をもっと有意義なことに使っていれば(筆者注:耳が痛い)、その後社会人になったときに、そのときもまだ「お金を稼ぎたい」と思うのであれば(大学時代の各種経験に基づき)Goldman Sachsに入社する方がマックでハンバーガー引っ繰り返してるよりも効率的に稼げるだろう。

また、大学時代にいろいろ経験したおかげで、「お金を稼ぎたい」以上のすばらしい夢が見つかるかもしれない。そしたら、マックにもGSにも行かず、その夢を追いかけたらいい。


ーーー


さて、通訳者。


僕は、順番で行くと、

1.通訳力アップ

2.現場に出る

の方がいいと思うんです。


まずグーーーンと通訳力を上げて、その上で現場に出まくった方が、最初から現場に出まくるよりもいいと思うんです。

(でも、ほとんどの通訳者は1.と2.を並行してやろうとする。そして、気付かないうちに1.には目もくれず、2.ばかりやるようになる)


極端な話、最初は仕事を断ってでもトレーニングした方がいいと思います。


「仕事を断ったら、その後仕事が来なくなるじゃないか!」 → 通訳がうまかったら来ますよ、大丈夫。それよりも、ヘタな通訳で現場に出たら仕事が来なくなることを心配した方がいい。

「仕事を断ったら、収入が減ってしまうではないか!」 → ずっとマックでバイトする大学生の話ご参照。トレーニングして、ウデを上げてから現場に出た方が、はるかに高いレートを設定出来ますよ。


通訳者は「仕事を断る」ことに異常なまでにセンシティブですが(笑)、別にフツーのことですよ、断るのなんて。

大学生が、マックでのハンバーガーひっぺり返しのバイトの勧誘を断って勉強する、ってだけの話。依頼が目の前に転がっているからついついBig dealに感じがちですが、「○○をやらない」というのは我々が日々、まったく気付かないうちにいくらでもやっていること。


そして、「仕事を断ってでも・・」っていうか、そもそも通訳のJob marketに自分を乗せるのが早すぎると思うんです、通訳者は。まだウデが低い内からエージェントが「この案件で通訳者が足りません」とか「今までの講師が続けられないと言っているから、あなた通訳学校で教えてみませんか」とか余計なことを言ってくるから、ついつい勘違いしてしまう。そんなの、実はエージェントの都合です。あなたの都合ではありません。


そういうノイズに振り回されず、自分をJob marketに乗せるタイミングを冷静に、もう少し遅らせれば、断るも何も、その時期は依頼がそもそも来ないから、余計なことを悩まずに通訳トレに専念できる。


まあ、極端な話ですけど、あながち極端なつもりで言っているのではなく、本当に、最初は仕事をしないでトレーニングしていた方が結局かなりおトクだと思います。そして、ウデが上がるにつれて、「練習」と「試合」のバランスを逆転させていけばいいんです。通訳者はみんな、最初から焦って案件を入れようとしすぎに見える。




<一人で行う通訳トレと、グループで行う通訳トレ>

いろんな通訳トレがあり、いろんなやり方があります。

通訳トレは基本的に一人でやるものかもしれませんが、グループでやるのもいいですよね。IRISでも、登録者(ここのところ、非登録者との方が多い)とワークショップ、そして最近は合宿もやっています。楽しいですね。


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ワークショップであれ合宿であれ、グループでやる場合に意識するといいと思うのは、


1.単なる「お勉強会」にしてしまわないこと

それはそれでやったらいいと思うんですが、それは「通訳トレ」とは別物なので。「フィンテックについて勉強しましょう」は大事だが、それで「基本的な通訳力」は向上しない。


2.「グループならでは」のことをやる

家で、一人でも出来ることをみんなで集まってやっても意味が無い。グループならではのメニューを考えるといいと思うし、そのメニューを考えるプロセスがまたためになったりするんですよね。



僕の場合、グループで行うワークショップとは別に、リスペクトする通訳者と2人で「鬼合宿」をやったりもしました。地方に行って、会議室借りて、とにかく徹底的にやろう、と。「もうイヤ!!!」と叫びたくなるまでやろう、と。逐次、同通、とにかくメッタメタにやりました。



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終わった後風呂に入り、飲んだ酒の味が忘れられません(笑)。意識の高い通訳者との取り組みは楽しいものです。





<通訳エージェントは、登録してくれている通訳者の通訳トレに口を出すべきか否か>


私は、2012年から小さな通訳エージェントを経営している。


通訳エージェントは、登録してくれている通訳者に対し、通訳トレーニングすることを要求していいのか、あるいはいけないのか。

要求していいどころか、要求「すべき」なのか、

あるいは逆に「すべきではない/してはいけない」のか。

もしくはどっちでもいいのか。


これまでずっと考えて来て、今も考えている。

* なぜそんなことを考えるのか?と疑問に思う人もいるかもしれませんが、とりあえず読み進めていただけるとありがたいです。

ーーー

まず、話の大前提として、通訳トレーニングに関する一切は、完全に各通訳者の自由である。

ー そもそも「通訳トレーニング」という概念をどう解釈・定義するか。

ー 通訳トレーニングを、実際にやるかどうか。

ー もしやらないのであれば、なぜやらないのか。不要だからやらないのか、単に面倒だからやらないのか。

ー やるのであれば、どう戦略を立て、何をやるのか。


当然のことながら、それらは全て各通訳者の自由である。クライアントにも、通訳エージェントにも、他の通訳者にも、かあちゃんにも、とやかく言われる筋合いは無いし、実際、言ってくれる人もいない。我々フリーランス通訳者は悲しいほど自由だ。


通訳トレーニングに関する一切が各通訳者の自由であるならば、通訳エージェントが、自社に登録している通訳者に対し「通訳トレーニングをしましょう」などと言うのはおかしい。通訳者から「余計なお世話です」と不満がられるに決まっている(and rightly so)。IRISで、過去に何度かそのような働きかけを試みてしまったことがあるが、(僕の知る限り)ほぼ失敗に終わっている。


では、通訳エージェントは登録通訳者に何も言うべきではないのか。通訳力アップのためのトレーニングについて、そもそもそれをする/しないを含め、完全に各通訳者に任せきりでいいのか。それはそれで、ちょっと考えてしまう。以下で説明する。


ーーー


IRISはもちろんのこと、どの通訳エージェントも「高い通訳クオリティ」を売りにしている。各社のウェブページを見てみてください、一目瞭然です。


このように高い通訳クオリティをウリにしつつ、一番肝心な「通訳クオリティの管理」は各通訳者に任せきりでいいのか。


ーーー


この問題をどう考えるかは、「通訳エージェント」というビジネスモデルをどう考えるか次第でもある。言い換えると、エージェントと通訳者の関係をどう考えるか次第でもある。


1.紹介業だ、という考え方


エージェントは、クライアントに対し通訳者を、そして通訳者にクライアント(≓通訳案件)を、互いに「紹介」しているだけ。

通訳クオリティについて、エージェントは全く、あるいはあまり、責任を負わない。


2.元請け業だ、という考え方


エージェントは、クライアントから来た通訳案件を元請けとして引き受け、それを(下請けである)通訳者に紹介し、担当させる。

その通訳案件における通訳クオリティについて、元請けとして責任を持つ。


ーーー


もし通訳エージェントが1.単なる紹介業なのであれば、登録している通訳者にあれこれ言うのはおかしいのかもしれない、いや、きっとおかしいでしょう。紹介しているだけなんだから。


しかし、もし我々エージェントのビジネスが「2.元請け業」であり、通訳案件で提供される通訳のクオリティについての一義的な責任を我々エージェントが負っているとなると、話は少し変わってくる。そうなると、通訳クオリティを向上させるための取り組み(つまり通訳トレーニング)を通訳者に任せきりにするのはかなり問題があるような気がする。少なくとも、クライアントはよく思わないでしょう。

でも、だからといって登録通訳者にあれこれ言ってもなかなかうまく行かないのは上記の通りだし、私も一通訳者として通訳者の立場に立てば、登録先のエージェントからゴチャゴチャ言われるのは、例えそれが正論であっても、いや、正論であればあるほど?、不快に感じるだろう。ゴチャゴチャ言ってくるその相手のことを心底リスペクト出来ているのであれば聞く耳を持つかもしれないが、なかなかそこまでリスペクト出来る人はいないし、この僕が、誰かにとってそのようなリスペクタブルな存在であることはさらに輪をかけて珍しい。


(余談だが、私を含め世の通訳者は、エージェントに下請け扱いされると腹を立てがちだし、エージェントが(元請けヅラして)我々の通訳クオリティに口を出してきたら腹を立てる。一方で、エージェントが「1.単なる紹介業」に徹してしまうと「サービスが不十分だ、もっと手厚く!」と、これまた腹を立てるわけである。)


実際には、エージェント業は「紹介業」と「元請け業」の間のどこかの点に位置するのであろう。それをどこに置くかはエージェントによって、そしてそれを見る通訳者によって異なる。


ーーー


難しい問題だが、今のところの僕の結論は「通訳トレーニングについては各通訳者の自由であり、周りがとやかく言うべきではない」というものだ。For argument’s sake、もし仮に「エージェントが通訳者に対してとやかく言うべき」だったとしても、それを言われて(なるほど、エージェントよ、よくぞ言ってくれた、今日からがんばって通訳トレしよう)と通訳者に思われることはごくごくごくごく稀なので、言っても意味が無い、だから何も言わない方がいい」というのが僕の意見である。


ちなみに、そうなると、エージェントによるクオリティコントロールについては、通訳者が登録した後はもうほぼ出来なくなるので、最初の入り口の所でしっかりコントロールするしかなくなる。だから、登録するために通訳者が超えないといけないバーが上がるわけだ。だから、世の多くのエージェントでは「実績が無いと登録させられません」とか、駆け出しの通訳者に対し「通訳の経歴書を提出してください」となる。

結果的に、通訳が「日本の大学」化する。入るのは難しいが、入った後は・・・、っていうアレである。そして、エージェントの中には、登録するのも簡単、その後も「通訳トレしてください」とか言って来ない、そんなパラダイス学園のようなエージェントもあるかもしれません、分かりませんが。


まあ、意識の高い通訳者は登録後も継続的に通訳トレしているでしょうから、実力だけでなく意識も高い通訳者を選んで登録してもらっていれば大丈夫なはずです。


ということなので、IRISに登録していない通訳者にはもちろんのこと、登録してくれている通訳者に対しても「ああすべき」だとか「こうした方がいい」といったことを言うつもりは全く無いが、自分が一通訳者として通訳トレーニングについてどう考えているか、を記すことには一定の意味があるかもしれないと思ってこのブログ記事を書いた。




<まとめ>

世の通訳者から、そして通訳を学んでいる学生から、通訳トレーニングについて意見を求められたことも(それほど多くはないが)複数回ある。幸い、通訳トレーニングというものに興味を持っている通訳者は一定数存在するようだ。


通訳トレは、より楽しい通訳が出来るようになるために必須のプロセスだと思う。

そして何よりも、通訳トレ自体がかなり楽しい。

そんな楽しい通訳トレを、ぜひ日々の生活に少しでも取り入れてみてほしい。通訳トレのプライオリティーを一段でもいいから上げてみてほしい。何かが変わるかもしれない。


この記事を読んで何かの参考に、あるいは多少刺激になったと感じる通訳者がいないとも限らない。それがこの記事を書いた理由であり、長い記事をここまで読み進めてくれたあなたのお役に少しでも立てば、通訳仲間として、とてもうれしい。


(完)


by dantanno | 2018-09-22 07:52 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

通訳にとってのお笑いの重要性

いくつかの点で、お笑いが通訳の参考になると思っている。

1. ボケとツッコミ

お笑いの基本形はボケとツッコミだ。
簡単に言えば、何かアホなことを言い(←ボケ)、それに対して相方が「なんでやねん(笑)」とか言ってツッコむ。

これがどうして通訳と関係するのか。

まず、ボケ。
ボケは、拡散系のプロセスだと思う。いろんなおもしろいアイデアを出し、それを(「これっていいアイデアなのかな、どうなのかな」)なんて考えずに出してみる。もちろん、実際にはお笑い芸人は練りに練ったボケを、練りに練った結果であることを分からないように(一見テキトーに)出し、笑いを取るわけだが。

ボケは、ブレインストーミングで言えば、とにかくいろいろなアイデアを出すプロセスに似ている。そのプロセスをやっているときは、「そんなの無理に決まってるじゃん」とか、「予算どうすんの」とか、そういった現実的かつネガティブな、ある意味、そう、ツッコミだ、そんなツッコミをせず、まずはとにかくアイデアを出すのが大事らしい、ブレストをするときは。

話を戻すと、なぜボケが通訳と関係あるか。
それは、話し手が言ったことを「こういう意味かな?いや、ああいう意味かな?他にどんな解釈がありうるだろう・・・」と考えるプロセスに似ている気がする。また、いろいろな問題により、話し手の発言がよく聞こえないときもある。そういう場合に、「Aって言ったのかな、あるいはBって言ったのかな、他に何か候補は無いか」と考える拡散系のプロセス、これがボケと似ている気がする。

それに対してツッコミは、収束系のプロセス。いろいろ出たアイデアを「なんでやねん」とか「ちゃうやろ」とか言ってバッサバッサ斬っていって、最後に残った一番いいアイデアを「こちらです、どうぞ」という形で、通訳の結果として通訳者が口に出し、会場にいる観客に届ける。

結局、通訳というのは拡散と収束の繰り返しなのだが、その波のようなうねりが、お笑いにおけるボケとツッコミによく似てるなあ、と思う。

2. 「分かりやすく説明する」能力

通訳者にとってすごく大事なのは、分かりやすく説明する能力だ。

分かりやすく説明するためには、自分の発言の1行1行を頭の中のどこかで客観的に(会場にいる人の身になって)聴き、(今のなら分かる)とか(これじゃ分からない)とか、そういった判定を常に、冷酷に下し続ける必要がある。

その力を磨くには、松本人志(いや、人志松本か)の「すべらない話」などのお笑いを研究するといい。
ロジック、滑舌、事前説明、声の出し方、途中の軌道修正、、、
おもしろくあるためには、まず分かりやすくないといけない。この人たちの話はなぜ「分かりやすい」のか。いろいろと参考になる。

3.「健全な逆ギレ」をする能力

これもツッコミ系の話だ。

話し手の話が分かりにくいときに、(今の話が分かりにくいのは、自分(通訳者)のせいではない)という健全な開き直りをする能力、これが通訳においてとても大事だ。健全な逆ギレが出来ないと、いつまでたっても自分の通訳に自信を持ちにくく、モジモジした通訳を続けることになる。

そうした開き直りが出来るようにするには、お笑いの「なんでやねん、何の話やねん、何言うてんねん、ワケ分からんわ、もうええわ」を、頭の中で日々繰り返すといい。文字通り繰り返すのだ。

その日自分が通訳している相手が大統領であれCEOであれ、心の中での(ワケ分からんわ・・・)という冷たいツッコミと、(任しとき!よう分かるよう、ワイがうまいこと説明したるわ(ニセ関西弁注意)という暖かさが求められる。通訳は「言語変換業」ではなく、「代理説明業」だ。

ーーー

ということで、通訳力を上げるためには、人情の機微に満ちた「お笑い」がとても参考になる。
特に日・英間の通訳においては、お笑いの各種テクニックが超有効なツールではないかと思っている。

by dantanno | 2018-09-19 10:48 | プレミアム通訳者への道 | Comments(2)

読んでいない本について堂々と語る方法

ピエール・バイヤール著、大浦康介訳の「読んでいない本について堂々と語る方法」を今、読んでいます。

先日ジャケ買いし、まだ読んでいない(笑)、翻訳家の岸本佐知子さん他の「『罪と罰を読まない」に続く「読まない」シリーズ第2弾。

ーーー

本を「読まない」ことについては、昔からかなり興味(と自信)があります。
今はだいぶ「読む」ようになりましたが、昔の僕は積ん読専門。「○○の経済学」とか、それっぽいタイトルの本を見かけるととりあえず購入し、それを本棚に飾る、ということを繰り返して来ました。

それが、あるときふと「読むべき」だと思う本ではなく、「読みたい」と思う本を買うことにしよう、と決めました。いざ気持ちをそのように切り換えてみると、実は「読みたい」と思う本がほとんどなく、(あれ?オレは自分が読書好きだと思って来たけど、実は読書なんて好きじゃないのか???)と愕然としたのを覚えています。本を読まない、本なんて興味無い、って、現代の社会で相当タブーですよね。

その「タブー」は、何らかの意味で「知的」なイメージが漂う職業についている人であればなおさらです。
飲み屋のおっちゃん(No offense whatsoever)が「オレは本なんて読まねえよ」とうそぶくのは許されますが、大学教授とか弁護士とかがそういうことを言うと周囲は(えっ。。)となるでしょう。

ーーー

本書(「読んでいない本について堂々と語る方法」)ですが、著者は大学の教官であり、仕事の性質上、いろいろな本についてコメントする必要にちょくちょく出くわすそうです。そんな著者はこう言っています(一部中略):

「読まずにコメントすることについて語ることは、確かに一定の勇気を要する。

読書をめぐっては、暗然たる強制力を持つ規範がいくつもある。
・第一は、読書義務とでも呼ぶべき規範である。我々は、いまだ読書が神聖なものとみなされている社会に生きている(こうした社会が滅びようとしていることも事実だが)。
・第二は、通読義務とでも呼ぶべき規範である。これによれば、本というものは始めから終わりまで全部読まなければならない。飛ばし読みや流し読みは、まったく読まないのとほとんど同じぐらいよくないことであり、とりわけそれを口外してはならない。
・第三は、本について語ることに関する規範である。ある本について多少なりとも正確に語るためには、その本を読んでいなければならない、という考えがある。ところが、私の経験によれば、読んだことのない本についておもしろい会話を交わすことはまったく可能である。会話の相手もそれを読んでいなくて構わない。むしろそのほうがいいくらいだ。」

という具合。

これ、真面目な本なのか、ふざけた本なのか。そこがなかなか判断しにくい(笑)。正確には、その両極を行ったり来たりしている。

例えばこんな感じ:
「読んでいない本と、それに対するコメントについて考えることは容易ではない。そもそも「読んでいない」とはどういうことなのか、よく分からないからだ。「読んでいない」という概念は、「読んだ」と「読んでいない」とをはっきり区別出来るということを前提としているが、テクストとの出会いというものは、往々にして、両者のあいだに位置付けられるものなのである。」

本気で言っているのか、冗談で言っているのか。
恐らく両方なのであろう。大浦氏の訳のトーンがまた楽しい。

「読まない」にもいろいろある。もっともラディカルなのは、本を一冊も開かないことだろう。ただこの完璧な非読状態というのは、全出版物を対象として考える場合、実は近似的にはすべての読者が置かれた状態であって、その意味では書物に対する我々の基本的スタンスだと言える。」

うーん、いいですねー。

ーーー

特に説得力があったのは、
「大事なのは、しかじかの本を読むことではなく、すべての書物について、「全体の見晴らし」をつかんでいることである」
という一節。

一冊一冊の本を読むのは、いわば「木をよく見る」こと。それに対し、より重要なのは「森を見る」、つまり世に無数に存在する本たちの全体像を把握し、それぞれの本がどのような位置関係にあるのかを把握すること、そちらの方がはるかに重要だ、という考え方。読むのを面倒くさがる自分を正当化するための屁理屈なのか、あるいは実にすばらしい理論なのか、よく分からず腑に落ちないところがまたおもしろい。

ーーー

本書を読んでいて思ったけど、通訳も、「読んでもいない本について堂々と語ること」とかなり似ている。

その分野の専門家たちの中に、ド素人(=通訳者)ひとりポツンと混じっている、というのは我々の日常においてよくあるシチュエーション。
全く分かっていない内容について、さも詳しいかのように訳す必要がある。今、初めて聞いた単語について、さも「当然昔から知っていた」かのように訳す必要がある。


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例えば会議で「やっぱり、カギを握るのはPCOですよね〜」という発言が出たとする。そのとき、
通訳者 「PCOってなんですか?」
と言うべき時も確かにあるんだろうが、それを言ってしまったら
会場 (えっ、、知らないの??)
と絶句されるであろうケースも多い。特に、その「PCO」とやらが「カギを握る」とか言っているわけだから、事態は深刻だ。だから通訳者は、(ああ、PCOね(笑))と、さも昔から知っていたかのようなフリをして "PCO is the key issue here" とかなんとか言って訳しながら、その後、本番中、あるいは本番後にスキを見て大急ぎでWikipediaに「PCOとは」と打ち込んで調べる必要がある。

要するに知ったかぶりである。

知ったかぶりはよくない。昔からそう教わってきた。だから、当然通訳案件に向けて一生懸命予習するし、日頃から知識の習得に余念が無い通訳者も多い。また、あまりにも門外漢のテーマについての通訳案件は受けない、というのも有効であろう。でもやっぱ一番有効なのは知ったかぶりだ。

ーーー

知ったかぶりは、通訳者自身を守るためでもあるが、客(つまり会議参加者)のためでもある。

通訳者は、自信が無さそうにしてはいけないのである。正確に言うと、自信の無さを客に悟られてしまってはいけないのである。
客は、ドキドキビクビクしながら運転するタクシー運転手の後部座席には乗りたくないものである。実はまったく自信がなくても、さも自信ありげに、これは毎日通っている道で、オレはこの道30年だ、だから大船に乗ったつもりでいてください、ぐらいのハッタリをかまして運転してくれた方が、乗客もありがたいのである。

by dantanno | 2018-09-11 15:37 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

新たな通訳道具を購入し、気合いを入れ直す

通訳において、メモ取りというのはとても大事なプロセスです。

簡単に言うと、話し手が言ったことを記録・記憶するために使うわけですが、それだけが目的ではありません。いろいろな側面的な効果があります。例えば・・・

・聴いた内容ではなく、「理解した内容」をメモすることにより、理解の一助とすると共に、話を再現しやすくする
・何をメモるか、を取捨選択する過程で話の重要性を判断する

話し手が話し終わり、いざ通訳をする段になって、メモを頼りに話し手のメッセージを再現します。

通訳者によってスタイルは異なりますが、僕の場合、メモを四角(横6 X 縦4ぐらいの大きさ)に取り、全体を一枚の絵、あるいは地図として眺めた上で、それを聴き手にどう伝えるかの戦略を立てます。
(一方、業界で推奨されている方法は、メモを縦長に取り、訳す際は一番上から順々に訳していく、というスタイル。)

たまに、通訳者ではないものの、バイリンガルでかつインテリジェントな人がいて、そういう人が、通訳の訓練を受けたわけでもないのに、かなりいい通訳をしたりします。例えば、企業のバイリンガル社員が自社のミーティングにおいて通訳をする、といったケースがあります。そういう人はシロウトなのにびっくりするぐらい通訳が上手なのですが、それでもやはり一流のプロ通訳者には劣る(でも、普通の通訳者よりはずっと上手)。その差を生み出す一番の理由が「メモ取り」だと思います。
シロウトは、メモを取らない、あるいは取るのに慣れていない。それに対し、プロはメモ取りが上手なんです。

そんな、とても大事なメモ取りの作業。
それに必要となるのは、ノート/紙、そして筆記用具です。

ーーー

一時期(ほんの一時期)、裏紙をメモとして使っていた時期がありました。

確かに資源のリサイクル、いや、正確にはリユースか、、、資源のリユース的には裏紙を使った方がいいんでしょうが、なんだかこう、通訳に対する冒涜のような気がして、早々にやめました。裏紙の切れっ端に、1本100円のボールペンを使って仕事をしていると、自分の仕事がその分「安く」なる気がしたんですよね。気持ちが少しだけ荒み、だらけているのを感じました。

当時も今も「通訳のプレミアム化」ということをずっと言っていて、いかにクオリティの高い通訳を提供し、それに見合った高い対価を取っていくか、を考えたときに、安物を使って通訳をするのはもうやめよう、と思いました。

それ以来、ずっと「いいもの」を使うようにしています。

ーーー

最近買って、まだ一度も使っていないのに、既にとても満足しているのがこれ。

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イタリアのFabrianoというブランドです(買ったのはロンドンだけど)。


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オレンジという色が、いろいろな色のスーツに合う気がしました。グレーでも、ブルーでも、茶色でも。

中には大きなノートがあって、ペンホルダーがあって、そしてA4のプレゼン資料やMacbookを入れた上でジッパーで全体を閉じられる点が気に入りました。

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ノートもついてきました。

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ノートについては、横線が入っているものを使うのが業界では一般的(?)とされているようですが、横線がノイズとなり訳に干渉する気がするので、必ず白紙、あるいは目立たないグリッド/点々が入ったノートを使っています。


電車のチケットとか、

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名刺とか、

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それはそれで通訳に干渉しそうな余計なモノを差し挟める隙間もあり便利。

店員さんに乗せられ、ついでにペンも購入。

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LAMYのペンは、一度ヘンなのに当たって以来避けてきたんですが、このペンのインクの出の滑らかさがハンパない。とても気に入ったので、別の色のペンをもう1本と、Refillも4本買いました。

ノートが通訳者にとっての盾ならば、ペンは剣。
いずれも大事な道具です。

こういういい道具を、文具に対する愛着を感じさせる文具店で買うのが大好きです。
そして、せっかくこういういい道具を使っているのに、クオリティの低い通訳をすることは決して許されないな、という戒めになるんです。

明日からこの武具・防具一式で仕事に臨みます!


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by dantanno | 2018-06-18 05:03 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

第55回「宣伝会議賞」、あえなく選に漏れる。。

昨年に続き、第55回「宣伝会議賞」に応募した。
結果は、(昨年に続き)あえなく一次審査での落選だった。



この賞は、要するにコピー(キャッチコピー)を考え、応募する賞。
応募出来る部門としては、「コピー部門」や「CM部門」があり、いくつもの企業に何通でも応募出来る。

おもしろいのは、多くの企業がこの賞に協賛しており、それら企業の実際のコピーを考える賞である、という点。単なるアカデミックなイベントではなく、ビジネス、実務、実社会と密接につながっている点が好きだ。



プロのコピーライターはもちろんのこと、我々シロウトの中にも、いろんな商品やブランドのコピーを夢想して楽しんだ経験がある人はいると思う。

また、実際にCM等で使用されているコピーを見聞きし、不遜にも
(これで通用するの?だったら自分の方がいいコピーを思い付きそうだ・・・)などと妄想する人もいるかもしれない。僕もそう思ったりすることもたまにあるが、実際にコピーの賞に応募するとなると、いいコピーを思い付くのはなかなか難しいことに気付き、不遜だった自分へのいい戒めにもなる。



グランプリ作品はもちろんすごい。でも、それだけではない。

一次審査の入選者の一覧を見ていて(すごいなあ)と感心するのは、同じ応募者が、複数の企業のコピー部門やCM部門に多数入選している、そんな猛者がいること。
その人の名前をググってみると、プロのコピーライターだったりするのだが、それにしても実にすごい。

賞に参加している企業を一社選び、その会社やその会社の商品・ブランドについて、長い間考えに考え抜いて、その結果いいコピーをひとつ、あるいはいくつか思い付く、というのであればまだ分かる。それもすごく難しいことなのだが。

でも、この人たちがすごいのは、その作品が複数の企業で選ばれている、という点だ。
(一社で入選するのも大変なのに!)



ーーー



なぜ、自身がコピーライターではなく、コピーライターを目指してもいない僕(=通訳者)がこのような賞に年々応募しているのか。
それは、いい通訳者になるためだ。



この点については、通訳者になった頃に一度、結構考えた時期がある。
僕の場合、10年とか20年とかそういった悠長なスパンではなく、3年ぐらいで通訳のウデをかなり上げる必要があった(3年後に独立してエージェントを立ち上げる,という無謀な目標を持って証券会社のインハウス通訳者になったからだ。ちなみに、結果的に3年以上かかった。)



通訳のウデを一刻も早く上げるためには、

1.通訳の本番、およびそれに向けた予習、および通訳のトレーニング(リテンション、リプロダクション、メモ取りの練習、逐次・同通演習など)に専念するのがいいのか、

あるいは、通訳というものをもう少し広く捉え、

2,上記「狭義の通訳」関連の取り組みに加え、ことばに関連する他のいろいろな取り組みもした方がいいのか、

の2点で揺れ動いた。

通訳者の中には、1.寄りの人も2.寄りの人も、あるいはその中間のどこかの地点に位置する人もいるだろう。



「揺れ動いた」と書いたが、まあハラは最初から決まっていて、僕は断然2.のルートを選ぶことにした。一見遠回りでも、3年ぐらいのスパンで考えたとき、この適度な回り道(Detour)がちょうど良いだろう、と判断したのだ。

そして、何よりも僕は飽きっぽいので、通訳をあまり狭義に捉えてしまうと早晩飽きるだろう、という達観もあった。



では、「通訳そのもの」以外に、一体何をするのか。

絵本の翻訳コンテストがその一つだ。
これについても毎年熱心に応募し、毎年あえなく撃沈している。かすりもしない。(でも、今年は元教え子が見事入選したのでとてもうれしい。)



このブログを書くこともそうだ。

頭の中に何か伝えたいこと、相手に説明したいことがある場合、どうすればそれを分かりやすく説明出来るのか。それを日々トレーニングすることは、「話し手が言っていることを分かりやすく説明すること」とも定義出来る「通訳」という仕事をする際にきっと役に立つと感じた。

これは、直接的には実感しにくいが、きっと役に立っている、と思う。
話し手が話し終わった、その一瞬の間に(うーんと、今の話はどうやって説明すればいいかな・・・)と考える、そういう瞬間があるが、その作業を日々ブログ書きで経験しているのは多分役に立っていると思う。



コピーの賞である「宣伝会議賞」への応募も、この活動の一環だ。

コピーの対象(この場合は企業だったり、あるいはその製品やサービス)を説明する際、どうすれば「刺さる」のか。自分の思い上がりで放つことばは刺さらない(僕が毎年身をもってお示ししている通り)。やはり、聴き手の心に刺さらないといけないわけで、(このことばは、聴き手にどう伝わるだろうか・・・)を考える作業は,通訳力に直結する気がする。

毎年,優勝どころか一次審査さえも通らないということは、僕が放つことばがいかに独りよがりであるかの現れだ。(オレはコピーライターじゃないし(笑))などとうそぶいていてはいけない。ことばの専門家なんだから、グランプリとまでは行かないまでも、せめて一次審査を通る作品を1つでいいから作れないと恥ずかしい。

実際、落選が分かってから、自分が応募したコピーたちを改めて眺めてみて、かなり恥ずかしく思った。よくこんなので、(もしかしたら一次審査ぐらいは通過するかも♪)と思っていたなと、部屋で一人赤面した。。。
(そして、思い付いたことば/コピーをしばらく寝かせておく必要性も改めて痛感した。)

来年もぜひまた応募したい。



これからも、通訳というものをなるべく広く捉え、あらゆる「ことば関連の取り組み」に貪欲に取り組んでいきたい。それは通訳力アップのため、という口実もあるが、実のところ、単に楽しいからというのが大きい。

by dantanno | 2018-03-21 12:24 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

大事な話は右耳から?

Wall Street Journalに載っていた記事。

One way to get your child to listen
https://www.wsj.com/articles/hint-to-parents-your-kids-process-words-better-in-their-right-ears-1517580001
(リンクがうまく開かない場合、当ブログ記事の一番下の記事のコピペをご参照ください。)

子供に言うことを聞かせたいなら、、、いや、僕の解釈では「子供に話をちゃんと聞いてほしいなら」、左耳ではなく右耳に聞こえるように話した方がいい、という内容。

right-ear advantage (右耳の優位性?)という現象だそうです。

なぜそういうことになるかというと、
左耳から聞いた情報は、まずは右脳に行き、そこから左脳に転送されるが、
右耳から聞いた情報は、直接(言語を処理する)左脳に行くので、理解が早い、ということらしい。

気のせいかもしれないが、そう言われてみると確かにそういう気がする。
右耳で聞いた情報はスッと入ってくるけど、左耳から聞いた情報は一度プロセシングが必要な気がする。もっとも、これはこの記事を読んだからそう思い込み始めただけかもしれないけど。

ーーー

右耳優位の傾向は、大人でも見られるものの、子供においての方が強く出る、とのこと。それは、子供は(左耳から入った情報を)右脳から左脳に転送する仕組みがまだ十分確立されていないから。

子供が全然言うことを聞いてくれないとき、それはもしかしたら親の立ち位置が悪いのかもしれない(苦笑)。

ーーー

多くの人が電話を右耳で受けるのは、「右利きの人が多いから」というのもあるかもしれないけど、「右耳で聞いた方が理解しやすいから」というのもあるのかもしれませんね。

運転しているときに助手席の人が話しかけてきた場合、(運転に集中している分)話を聞くのがちょっと上の空になりがち。
日本車の場合は右ハンドルの車がほとんどで、運転者は左耳で助手席の人の話を聞くことになるから、その分「上の空」度が外車と比べてちょっと高いのかもしれない。


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通訳をするとき、事務局の方々から「ダンさんはどっち側に座りますか?」と聞かれるシチュエーションがときどきある。IRで、どこかの会社の社長さんに同行している場合、社長の右側に座るか、左側に座るか、ということ。

今までは「あ、どっちでも大丈夫です」と即答し、左右についてこだわりが全く無いことを(心のどこかで)誇りに思ってきた気がするけど、本当は気にかけた方がよかったのかも。社長に僕の通訳(日本語訳)を分かりやすく聞いてもらうためには、右耳から訳を聞かせてあげた方がいいわけだから、ええっと、、、僕が社長の右隣に座ればいいのか。そして、(左脳に直接届け〜)と思いながら訳せばいい。一方、社長が話をして、それを僕が聞く(そして訳す)とき、僕は社長の話を左耳から聞くことになってその分ちょっと理解面で不利になるわけだが、それも含めて通訳という仕事なんだろう。

次からはスピーカーの右隣に座るようにしてみよう。

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One Way to Get Your Child to Listen
Children process words better in their right ears; information reaches the language-processing side of the brain faster


Say what?

When speech funnels into your right ear, the initial signal reaches the side of the brain that processes language in about 20 milliseconds.

But if the information is captured by your left ear, it travels a longer, more circuitous route.

That’s not a problem if both ears hear the same words, but when each receives competing messages—think about being on the phone while someone is talking nearby—the information captured by the right ear will be processed more efficiently.

The phenomenon is known as the right-ear advantage

It helps explain why children, in particular, have trouble handling information when competing signals bombard each ear, and new evidence suggests it also may affect adults when they’re trying to absorb complex information.

“In children, the right ear has a huge advantage,” said Aurora Weaver, a professor in communication disorders at Auburn University. “It’s not that the left ear isn’t hearing. It’s that the brain can’t make use of the information and respond to it.”

Audiologists test the ability to process competing messages by presenting different material simultaneously to each ear, then asking the person to repeat it.

Traditionally, two digits are presented to each ear.

A typical 7-year- old child will accurately repeat the information presented to the right ear approximately 70% of the time, according to Frank Musiek, a professor of speech, language and hearing sciences at the University of Arizona. The same child will accurately repeat information presented to the left ear approximately 55% of the time.

“It’s part of what’s going on when you think a child is not paying attention,” Dr. Weaver said. “If a classmate is talking in the right ear, it’s harder to attend to what is being discussed in class.”

When speech is captured by the right ear, it generally travels directly to the left hemisphere of the brain, where, for most people, language is processed.

But speech collected by the left ear typically travels first to the right hemisphere. From there, it must be relayed to the left hemisphere through a broad band of nerve fibers that facilitates communication between the hemispheres and is known as the corpus callosum.

“When you have a direct shot from the right ear to the left hemisphere, you don’t have to cross the entire width of brain to get to other side,” Dr. Musiek said. “The signal from the left ear is put at a disadvantage.”

The relay could take as little as three to five milliseconds or as much as 300 milliseconds. “We’re talking about a definite difference,” Dr. Musiek said.

The right-ear advantage is more evident in children than adults because myelin, an insulating sheath that allows nerve impulses to move more quickly through the corpus callosum, hasn’t fully developed. As the myelin forms over a series of years, the relay of information from the right hemisphere to the left improves, and the right-ear advantage fades.

A 9-year-old receiving competing information in each ear will be approximately 80% accurate in the right ear and 75% accurate in the left, Dr. Musiek said. Children 11 and older will be approximately 90% accurate in each ear—about the same as an adult.

In adults, the right-ear advantage is generally considered clinically insignificant, but Dr. Weaver and her colleagues, who shared their findings in December at the annual conference of the Acoustical Society of America, tested this by presenting adults with complex streams of material.

“We included more pieces of information, from two digits in each ear to up to nine digits in each ear, which would be close to a phone number or social security number,” Dr. Weaver said.

The study, including 41 adults ages 19 to 28, found that as cognitive demand increased, the right-ear advantage persisted.

The ability among the test group to repeat information that exceeded their basic memory capacity was, on average, 7% greater in the right ear, and in some individuals, it was as much as 40% greater.

Other things could contribute to the results. For example, traditionally in tests like this, streams of competing information are kept brief to avoid confusing auditory processing with memory tasks, Dr. Musiek said.

But if you have an important message to deliver to someone, you might want to begin like this:

Lend me your ear. No, not that one. The other one.



by dantanno | 2018-02-03 06:14 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

クレームを避けつつ恐れない、そんな通訳者になりたい

通訳をしていると、残念ながら受けてしまうことがある「クレーム」というものについて考えてみる。

流れは以下の通り:

1.クレームについての基本的な考え方
クライアントを傷つかせる「クレーム」というものは、絶対に避けなければならない
「クレーム」よりも「不満」に目を向けることが大事
クレームは通訳エージェントの責任でもある
クレームは一方通行ではない
クレームをよく見てみると・・・
なぜクレームが入るのか

2.クレームを受けたときの考え方・対処法
「通訳そのものに対するクレームじゃなくてよかった・・・」というとらえ方について
クレームはアテにならない。クレームをする人よりも厳しいはずの「自分の目」
クレームは「一つの情報」として受け止める

3.その他の項目
クレームが来やすい雰囲気作り
通訳エージェントは、通訳者に対し、クレームがあったことを伝えるべきか

最終項: 「クレームゼロ」は可能か?



一通訳者として、そして一通訳エージェント運営者として、クレームについては思うところがいろいろあって、ついつい大業な章立てになってしまった。

上記章立てを見ると、互いに相反するというか、矛盾する項目もある。それは僕の頭の混乱の現れかもしれないが、それよりも、クレームというものがいかに千差万別で、ケースバイケースであるか、いかに難しいものであるか、の現れでもあると言える。

ーーー

さて、通訳に限らずほとんどのサービスについてあてはまると思うが、がんばって仕事をしていても(がんばっているからこそ?)クレームが入ってしまうことは必ずある。クレームが来た場合、それについてどう考え、どう対処するのがいいのか、以下で考えていく。



<1.クレームについての基本的な考え方>

● クライアントを傷つかせる「クレーム」というものは、絶対に避けなければならない

確か本田宗一郎の本だったと思うが、「(製品を買った後に)クレームをしてくるお客さんは、怒っているんじゃない、傷ついているんだ」というようなことを言っていて、
(なるほど、確かにそうだなあ・・・、偉大な経営者はいいことを言うものだなあ・・・)と感銘を受けたのを覚えている。

通訳案件終了後、クレームをしてくるクライアント、あるいは会議参加者(以下広義の「クライアント」に含める)は、怒っていることは怒っているのだが、それよりも、傷ついている。悲しんでいる。口惜しがっている。

クライアントの表面的な「怒り」に気をとらわれてしまうと、クレームの受け手たる我々もついつい身構え、逆ギレの一つもしたくなってしまうかもしれない。あるいは、とりあえずヘイヘイと頭を下げ、嵐が過ぎ去るのを待つという、非本質的な対応を取るかもしれない。だが、クレームの裏側にある傷、悲しみ、口惜しさ、そういったものに目を向ければ、我々の対応方法も変わってこよう。

せっかく楽しみにしていたイベントだったのに。。
1年以上も前から、満を持して企画した会議だったのに。。
必ず会議参加者に喜んでもらえるだろう、と思っていたのに。。。

それが、通訳の出来が不十分だったために不成功に終わったことによる、クライアントの心痛は計り知れない。ちょっと大袈裟だが、でも実際にそうだ。

だからこそ、クライアントを傷つかせるクレームというものは絶対に避けなければならない、と改めて思う。



● 「クレーム」よりも「不満」に目を向けることが大事

「クレームが入ったかどうか」は、実は表面的なことだ。
それよりもはるかに大事なのは 「クライアントが満足したかどうか」 だ。こっちが本質であり、こっちを重視することで、「クレームには至らなかったが、クライアントが不満を感じたケース」、つまり目に見えない部分をしっかりと捕捉することが出来る。

世の中はクレームで溢れているが、実はそれは氷山の一角。クレームには至らなかったけど、でも実は問題が存在する、そんな見えない部分が実は怖いのだ。



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クライアントは、何らかの不満を感じたからクレームをするわけだが、「不満を感じたのにクレームをしない」ことだってたくさんある。

「クレームするほどではない」パターン:  不満は不満だが、クレームをするほどではない
勇気パターン:  クレームをする勇気が無いクライアントだっているでしょう
サイフ・パターン: 会議に参加していても、通訳代を支払っているのが自分ではない場合、クレームするのを躊躇することがある
あきらめパターン: 「クレームしてもしょうがない。もういいや別に。」 ある意味これが一番怖い。

特にIR通訳の場合、ミーティングの形態上、クレームが入りにくい仕組みになっている。だからなおさら「クレーム」ではなく「不満」に目を向ける必要がある。(この点については過去記事「IR通訳のジレンマ」ご参照)



● クレームは通訳エージェントの責任でもある

「でもある」というか、責任の過半はエージェントにある、とも言える。

通訳者が、ある個性を持ち、ある一定の通訳能力を有すること、それ自体は「悪いこと」ではない。それが多少変わった個性であれ、それほど高くない通訳能力であれ、それ自体は悪いことではない。それは単なる事実であり、しょうがないことであって、悪いのは、その通訳者をその案件/そのクライアントにはめ込んだ通訳エージェントである、という考え方だ。

これもケースバイケースだよなあ、、、と思うが、クライアントからクレームが入った場合、それが「通訳者」に対するクレームだからといってエージェントは責任ゼロということでは決してない、ということは少なくとも言える。僕のようなエージェントは、その当たり前を自覚して通訳者をアサインする必要がある。

一番よくないのは、エージェントがテキトーにアサインした通訳者にクレームが入り、それに対し

エージェント 「ああ、すみません〜。もうその通訳者は御社にはアサインしませんので〜」

と、罪の無い通訳者を、本人知らぬ間に(まあ、知らせればいいという問題でもないけど)、勝手にブラックリストに載せてしまうことである。

ときには「アサイン出来るのにアサインしない勇気」も必要だなあ、と思う(難しいんですけどね)。

尚、この記事においてはエージェントの視点ではなく、通訳者の視点からクレームというものを考える。



● クレームは一方通行ではない

「クレーム」というと、どうしても「お客様→業者サイド」という流れをイメージしてしまう。つまり、我々通訳者の場合は「クライアント→(エージェント経由)→通訳者」という流れだ。しかし、我々通訳者サイドだって不満を感じたり、クレームをしたりする権利は当然ある。だから、クライアントだからといってあまり威張っているといいことありませんよ(笑)、という話。
必ずしもお金を払っている方がエライとは限らない、という点については過去記事ご参照。)

クレームが入る通訳案件はどういう案件かというと、案件を終えた通訳者がなんだか首をかしげながら、肩を落としながら帰ってくる通訳案件だ。通訳者が「今日のミーティングはとてもよかった!」という通訳案件はなかなかクレームにはならない。これは当たり前のようだが、意外と深い話だと思う。通訳者が気持ちよく通訳出来れば、クライアントだって満足するものなのである。

IRISではあまりそういう事例は無いが、世のいろいろなクライアントを見ていると、中には(自分で自分のクビを絞めてるなあ・・・)と感じさせるクライアントもある。通訳者に対して威圧的な態度を取り、ミーティング中もずっとプレッシャーをかけ続ければ、たいていの通訳者は、その通訳パフォーマンスが悪化する。それに対し、クライアントがクレームをする。まるで、通訳者のミスや焦りをクライアント自ら誘発しているようなものだ。悪循環である。

クレームをしたくなければ、まずは通訳者を大事にするところから始めてみるのもいいかもしれない。



● クレームをよく見てみると・・・

クレームをよく見てみると、実はいろいろな種類があることに気付く。いわゆる「クレーム」と呼べるものから、それよりも少し軽めの「ネガティブ・フィードバック」的なもの。そして、「要望」に近いものだってある。今後もっといい通訳をしてもらうための「提案」めいたものだってある。だから、あまり「クレーム」と十把一絡げにしないことだ。

例えば、クライアントが「通訳者が「○○」を A と訳していたが、今後は A' と訳してほしい」と言ってきたとしよう。(これぐらいの軽いフィードバックであれば、通訳案件終了後というよりも、現場で直接通訳者に伝えられる可能性が高いだろう。)
このフィードバックは「文句」すなわちクレームととることも出来なくはないが、それよりも「改善のための提案」と受け止める方が正しいと思う。そしてそれは、その通訳者が気に入ったから、今後もその通訳者に仕事を依頼したいからこそなされる提案だろう。ということは、これは落ち込む対象ではなく、喜ぶべき対象、とも言える。
 
この記事を読んでくださっていて、改めて感じられた読者もいるかもしれないが、「クレーム」ということばにはとてもネガティブな力が宿っている。クライアントのその反応を「クレーム」と定義した時点で、それに対する我々の見方、および対応方法がある程度固まってしまう。だから、あえて「ネガティブ・フィードバック」とか「提案」とか「お客さんは傷ついている」とか、なんでもいいけど、ちょっと視点を変える必要があると思う。
(このブログ記事では、クレームというものをすごく広義に捉え、便宜的に「クレーム」という一語でまとめている。)



● なぜクレームが入るのか

さて、通訳案件において、クライアントからクレームが入るのはなぜか。

例えば、IR通訳の分野で比較的よくあるクレームは、「業界特有の用語に精通していなかった」というものだ。この場合は前述の通り、間に入るエージェントの調整力不足が大きいだろう。

「通訳力が決定的に不足していたから」、だからクレームが入った、ということも中にはあろう。これについてもエージェントの調整力不足と言えそうだが、こういうケースは例外的だと思う。

クレームを誘発する原因で一番大きいのは、「通訳者がフレキシブルに対応出来なかった」ということだと思う。通訳力は十分あっても、「余裕」が無いと、いい立ち回りが出来ない。周囲を見回したり、機転をきかせたり、訳し方を調整してみたり、といった「遊び」が出来ないと、場がギクシャクし、通訳者も不満、クライアントも不満→クレーム、という流れになりやすい。

前述の本田宗一郎ではないが、オートバイのチェーンにしっかりと遊びをもたせてやり、潤滑油を塗っておかないと、チェーンがピンピンに張り詰めて切れてしまうのと似ている(かもしれない)。



さて、これまでクレームというものについての基本的な考え方を整理してみた。ここからは、実際にクレームが来たときの受け止め方という、これまた大いに正解の無いテーマについて考えてみる。



<2.クレームを受けたときの考え方・対処法>

● 「通訳そのものに関するクレームじゃなくてよかった・・・」というとらえ方について

恥ずかしながら、私も当然クレームと無縁ではない。

以前、証券会社でインハウス通訳者をしていたときのこと。
ある海外投資家と、ある日本企業の電話会議を通訳していた。投資家は複数人、海外のオフィスの会議室から参加していた。日本企業は、日本にある自社のオフィスから参加。私は証券会社の会議室から、3拠点をつないでの電話会議である。

ミーティングの途中、投資家・企業の間で「これはちょっとプレゼン資料を見ながら話した方がいいですね〜」ということになった。
そこで、海外投資家数名の内、若手の1名が資料をプリントアウトしに行く間、ちょっとブレイクしましょう、ということになった。

僕は証券会社に通訳者として入社してまだ間もない頃で、自分が属している部の顧客である海外投資家に対し挨拶をしたかったし、間を持たせた方がいいのかな、とも考え、その4-5分の中断時間の間、海外投資家の内、先方の会議室に残っていた人と軽く挨拶/雑談をした。その雑談もすぐに終わり、その後2-3分の中断時間を経て、会議は無事再開された。

ーーー

ミーティング終了後、上長に呼ばれた。

「今のミーティング、どうだった?」
「いや、特に問題無かったと思いますけど・・・」

そうしたやり取りの後、日本企業の方からクレームがあったことを明かされた。
「電話会議が中断している間、通訳者が投資家と親しそうに話をしていた」ことに対するクレームだった。

ーーー

このクレームに対し、私自身の心境の変化を「実況中継」してみる。

クレームを受けたその日: ただただショック

2日目〜3日目: クレームが入ったことは残念だし、申し訳ないが、通訳そのものに対するクレームじゃなくてよかった

つまり、「通訳のレベルが低すぎる」とか「誤訳がとても多かった」とか、通訳そのものに対するクレームじゃなくてよかった〜、と思ったんです。もしそうだったら本当に落ち込んでいただろうと思います。本質的なクレームではなく、表面的(?)な、テクニカル(?)なクレームだったのが不幸中の幸いだったな、と思ったんです。

4日目〜5日目: 「通訳そのものに対するクレームじゃなくてよかった」と胸をなで下ろしている場合じゃないだろう!

やっぱ負けだなあ、と思ったんです。「それも含めて通訳だろうが、お前」と思ったんです。
あと、通訳者は基本的に中立ですが、そのとき僕の「顧客」は海外投資家。だから海外投資家に対し挨拶をした。それに対して日本企業(Not 顧客)が多少不満を感じてもしょうがない、みたいなヘンな気持ちもそのときまであったんですが、全員満足させられなくて何が通訳者だよ、と思ったんです。それに、会議の一当事者である日本企業が(自分のせいで)不満を感じてしまっていたら、それはミーティングの成否に直結し、(自分の大事な顧客である)海外投資家にも悪影響を及ぼすじゃないか。何やってんだよお前!という具合です。

この時の実に苦い経験から、僕は「通訳そのものに対するクレームじゃなくてよかった、ホッ」と絶対思わないようになりました。自分に対するクレームについても、他の通訳者に対するクレームであっても。どんな不満でも負けは負け。それを潔く認めた上で、次はどうすれば勝てるかを考えればいい。

その後設立した通訳会社の社名を
「IRI」  IR Interpreting(IR通訳)
ではなく
「IRIS」  IR Interpreting Services(IR通訳サービス
としたのも、このときの忸怩たる想いがベースにあります。あと、語呂が良かったというのもあります。



● クレームはアテにならない。クレームをする人よりも厳しいはずの「自分の目」

我々にクレームをしてくるのは誰か。クライアントです。会議参加者です。
つまり、通訳のシロウトです。
だから、クレームが来ると(シロウトに何が分かる)という気持ちも正直ゼロではありません。限りなくゼロに近いですけど。

クライアントはシロウトであり、クライアントからのクレームはそれほどアテにならない。だからこそ、プロである我々が、クライアント以上に厳しい目で、自分自身の通訳を日々見つめる(監視する?)必要があると思っています。

言い方を変えると、クライアントが大絶賛していても自分的には撃沈であれば、全然うれしくないですよね。
その逆も然りで、クライアントから大ブーイングがあったとしても、自分的には会心の通訳であれば、その晩はうまい酒を飲めばいい、そう思っています。



● クレームは「一つの情報」として受け止める

耳が痛いからといって、クレームに耳を傾けないのはもったいない。的外れだ!とか「それを言われてどう対応しろというのか!」と逆ギレしてしまうのももったいない。「一つの情報」として。それ以上でもそれ以下でもない「一つの情報」として、しっかりと受け止めればいい。

といいつつ、一つ前のセクションで論じた通り、クライアントのクレームはそれほどアテにならない。あくまでも「一つの情報」に過ぎない。だからいちいち大慌てしない。そんなに落ち込まない。(ふーん、そう感じたんだ、なるほどね・・・)と、単なる「一つの情報」として受け止めればいい。

そのクレームを受けて、「落ち込む」以外に何か対応を取るのか取らないのか。
今後、現場での立ち回り方を変えるのか。通訳のウデを上げるためにトレーニングをするのか。案件の受け方について、量 AND/OR 質・内容を今後調整するのか、しないのか。
それらは重要な判断である。
「一つの情報」でしかないクライアントからのクレーム、しかもシロウトの意見を、そういう大事な判断の根拠にする必要など無いと思う。
あくまでも、プロの通訳者である自分自身が、自分に対して下す自己分析・自己評価、それを今後の活動の判断根拠にすべきだと思う。

(ちなみにインハウス通訳者であれば、問題があった後、不満を感じてしまった人のところに行って何らかのフォローアップをするとか、そういった事後対応が可能なケースもありますよね。フリーランスだとそれがしにくいケースがほとんどなので、じゃあそのクレームを受けて今後の自分の通訳者としてのあり方を何かしら調整するのかしないのか、という話になることが多いと思います。)



さて、これで第2部も終わりました。以下では、ちょっとコラム的に第3部です。

<3.その他の項目>

● クレームが来やすい(気安い?)雰囲気作り

(この人にクレームをしたら、超落ち込みそうだなあ・・・)
(この人にクレームをしたら、逆ギレしそうだなあ・・・)
(この人にクレームをしても、プラスの効果は生まれないだろうなあ・・・)

そう思われてしまったら、貴重な「一つの情報」であるクレームから遮断されてしまいます。だから、日頃からクレームが来やすい雰囲気作りをしておくことが大事だと思います。

今、ちょうど漢字を変換していて思ったんですが、何でも気軽に言える「気安い」雰囲気、それが現場でも、そして現場以外でも大事なのかもしれませんね、通訳者にとって。



● 通訳エージェントは、通訳者に対し、クレームがあったことを伝えるべきか

これはとても大きなテーマで、もしかしたら後日一つの記事で書いてみたいと思います。

IRISでは、それがポジティブな場合はもちろん、ネガティブだった場合でも、クライアントからのフィードバックは基本的にそのまま通訳者に伝えることにしています。
その勝率はまあ75%ぐらいで、中には(言わなきゃよかった・・・)と深く後悔するケースもあります。通訳者を無意味に傷つけてしまったと感じるときとか、「それを言われて、私にどうしろと言うんですか!」みたいな反応があるときです。まあケースバイケースなんでしょう、これも。

一応、僕がなぜ「基本的に伝える」方針をとっているかを書いておくと、「一つの情報」として貴重だと思うからです。クライアント、あるいは会議参加者は「そう思った」んです。クライアントがそう思ったことは、まぎれもない事実なんです。だから、それは「一つの情報」として、あくまでも「一つの情報として」、一定の重要性を持っていると思うんです。

僕がラーメン屋のオヤジだったら、僕のラーメンを食べて「まずい」と感じた客がいれば、それは情報として僕は知っておきたいだろうな、と思うんです。聞くのはイヤだし、しかも仮にその情報をもらってもスープの味や麺のゆで方を変えないんだったらそんな情報不必要じゃないか、という気もしますが、やはり情報として一応持っておきたい。

それと同様に、僕が通訳者であれば(通訳者ですが)、自分に対しネガティブ・フィードバックが入ったら、やっぱりそれを知りたい。イヤだけど知りたい。出来ることなら、実際にクレームがあった場合だけでなく、クライアントや会議参加者が心の中で不満に思った内容についても全部のぞき見したいぐらい。でもそれは無理だから、せめてそれが表面化した「クレーム」については必ず知りたい、と思うんです。

僕はそう思うけど、でもそう思わない通訳者もいるだろうし、僕の人間力を高めたり、伝え方ももっと工夫した方がいい面もあるでしょう。日々反省、日々精進です。



● 最終項: 「クレームゼロ」は可能か?

最後に、そこそこ大事なテーマを持って来てみました。
絶対にクレームが入らない、そんな「クレームゼロ」の通訳は可能か。



僕は可能だと思います。現に僕だって、前回クレームが入ってから今日まで「クレームゼロ」です(爆)。

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冗談はさておき、実際「絶対にクレームが入らない通訳」は可能だと思います。いくつか条件がありますが。

1.自分が精通した分野であること。
2.通訳力がそこそこ高いこと。
3.かなりフレキシブルに対応する心づもりがあること。
4.クレームをしにくい雰囲気を漂わせていること(笑)。

などなど。

ーーー

最近の自分を振り返ると、「絶対にクレームが入らない通訳」を目指してしまっている気がします。(それでもクレームは入るのがとんだお笑いぐさですが)。
訳す際も、(その場のキーマンは誰か、その人の英語力はどの程度か、どういう訳し方をすればその人は不満に思うだろうか)、みたいな、本質から外れたことばっかりに神経をすり減らしている、と感じることがときどきあります。そういう通訳は疲れるし、会場に感動も生まれにくい。やっててあまり楽しくない。

まだ駆け出しの通訳者だった頃は、そんな余計なこと考えていなかった。考える余裕が無かったわけですが、でもその方が自由でのびのびとした、いい通訳をしていた気もする。

クレームは、クライアントの「傷」だと冒頭で書きましたが、通訳者自身が受ける「キズ」でもあります。そして、挑戦しているときはキズがつきもの。
藪に飛び込んでツタや笹を刈れば、体にたくさんのキズがつくけど、でも、そのおかげで道が開け、次の次元に行けることもあるでしょう。



自戒の念を込めて。

通訳者は、クレームを絶対に避けなければならない。会議参加者を絶対に傷つけてはならない。

でもその一方で、通訳者はクレームなど恐れなくていい。クレームしてくる相手はシロウトです。
自分がそのとき、その場にとって一番いいと思う訳を、堂々と、のびのびと、大きく追究すればといい。

そして、クレームが入ったら、それは「一つの情報」として大事にし、そういう情報を蓄積しつつ、試行錯誤しながら自分の通訳を完成させていけばいい。

それこそが、一流の通訳者への、一番の近道だと思うんです。

by dantanno | 2017-12-12 12:01 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

超繁忙期は、通訳者にとって超大チャンス

毎年この時期(12月頭ぐらい)、日本の通訳業界は超繁忙期を迎える。
われらがIR業界において大きなイベントがあり、多くの通訳者がそれに駆り出されるためだ。

このイベントに駆り出される通訳者は、もちろん忙しい。
イベントに参加しない通訳者も、多くの通訳者がイベントに行っているのでよそで通訳者が不足し、結果的に忙しくなる。

今週の通訳案件について、IRの、そしてIR以外のいろいろなクライアントから何度
「誰かいませんか??」

と聞かれ、それに対し何度
「すいません、もう誰もいないんですよ〜」

と答えたか分からない。

ーーー

毎年この時期に超繁忙期を迎え、思うことが2つ。

1.なんでピーク時に値上げしないんだろう

旅行業界であれば、GWに値上げするのは当たり前。通訳業界では、毎年この時期が超絶的に忙しくなるのが分かっているのに、なんで値上げしないんだろう。
IRISでは、昨年から部分的に「繁忙期値上げ」を始めています。繁閑にかかわらず、通訳料金のプレミアム化につとめたい、とIRISでは思っていて、その一環です。
来年からはさらに拡大していく予定です。



2.通訳者不足がもたらす「大チャンス」

こっちが本題。

超繁忙期に通訳者が不足すると、興味深い現象がいろいろと起きる。

ーーー

IRのイベントで、誰もが知る超大企業の、しかも社長が登場する大事なIRミーティングに、
「IR通訳ほぼ初めてなんです〜、よろしくお願いします〜」

みたいな通訳者があてがわれたりと、平時であれば考えられない出来事が起きる。

これは、その企業、およびそのミーティングに参加する外国人投資家にとってはある意味悲劇だが、その場にいる駆け出し通訳者にとっては大チャンスである。

ーーー

IRイベントに多くの通訳者が行っているため、IR以外の分野でも大チャンスが頻発する。
平時であれば、いつもその案件を担当しているベテラン通訳者が担当するであろう重要案件(取締役会、海外の大型案件、などなど)が、一見さん通訳者にぐるっと回ってくる。大チャンスである。

こうした大チャンスは、日頃から通訳力を上げるための取り組みを続けている駆け出し通訳者にとって、下克上のいい機会である。

会議参加者、クライアント、あるいは通訳エージェントに
(あれ?この人今回初めてお願いしたけど、意外といいじゃん)

と思わせられれば勝ちである。

特に、日頃その案件を担当しているベテラン通訳者が、もはや惰性で仕事をするだけで進歩を放棄しているタイプの通訳者であれば、今後その案件の担当をひっくり返すのはそう難しくはない。

ーーー

通訳者になりたての頃、チャンスが全然巡ってこなくて焦った時期があった。
自分を証明したい。でも、案件の引き合いが行く先は「いつもその案件を担当している馴染みの通訳者」ばかりで、自分には全然チャンスが回ってこない。一生このままなんじゃないか、一生浮かばれなかったらどうしよう。

今から振り返れば杞憂にすぎないことが分かるが、当時はそう思ったものである。
そうした悶々とした駆け出しの通訳者にとって、超繁忙期は自分を証明し、状況を完全に引っ繰り返すすばらしい機会になるだろう。トランプゲームの大貧民でいうところの「革命」を起こせる。


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超繁忙期は、駆け出しの通訳者にとってはもちろん、我々ベテラン通訳者にとっても実は大チャンスである。

クライアントは、日頃の我々の通訳レベルにもう慣れてしまっている。
(このレベルが当たり前)と思ってしまっている。特別感が薄れている。
そして、馴染みのクライアントほど、我々の通訳に「馴染んで」しまっている

それが、超繁忙期になるとどうなるか。

馴染みのクライアントから依頼が来る。ぜひ担当したいところだが、超繁忙期のため、自分には別件が入ってしまっている。優秀な通訳者はもう軒並み押さえられている。
そこで、平時であれば自分(あるいは優秀な通訳者)が担当するはずのその案件に、一般的な通訳者がピンチヒッターとしてあてがわれる。

その通訳者のパフォーマンスを見た会議参加者やクライアントに
(ああ、**さん(=あなた)はやっぱすごいんだ。あれぐらいが当たり前、と思っちゃいけないんだな、ありがたやありがたや・・・)

と思わせられれば勝ちである。

その後、その案件/そのクライアントとあなたの結びつきはきっと強固になり、料金のプレミアム化(要するに値上げ)などもしやすくなるだろう。

ーーー

超繁忙期に我々通訳者が気にかけるべきは、いかに手帳を埋めるか、ではないと思っている。
超繁忙期なんだから、ある程度の通訳者であれば、ほっといても予定は埋まる。
ポイントは、いかに予定を埋めないかだ。

予定を空けておけば、直前になるとやってくる「大チャンス案件」を引き受けられる余地を残せる。

駆け出しの通訳者であれば、いかに案件を絞り、下克上案件でハチの一撃をかますかを考えるといい。超繁忙期を毎日朝から晩まで案件で埋めてしまうと、せっかくのハチも疲れ果て、ハエに見えてしまう。

一方、ベテランの通訳者にとって超繁忙期は、少しゆっくりと時間を過ごし、日頃自分が担当している常連クライアントをちょっと「泳がせる」いい機会だ。
平時にクライアントを泳がせるとそのままどこかに行ってしまうリスクがあるが(笑)、そこは超繁忙期。どんな通訳者があてがわれているか分からない。
超繁忙期が終わった頃、あなたの良さに再度気付いたクライアントからの連絡が複数来れば、日頃自分がやるべきことをやって来た証明になるだろう。



駆け出しであれ、ベテランであれ、日頃がんばっている通訳者にとって、超繁忙期は大チャンス(逆も然り)。
ぜひ戦略的に取り組んで、キャリアの次元を上げていきたいものです。

by dantanno | 2017-12-01 12:32 | プレミアム通訳者への道 | Comments(1)

通訳をする際の「自信」と「不安」のいいバランス

まずは、何はともあれこの3分の動画を観てもらえませんか、とてもいいから。




American Idolという、日本の「スター誕生」みたいな番組の一シーンです。
Joshua Ledetという若手/駆け出しの歌手が「イマジン」を歌っています。

ーーー

音楽は好きなものの歌とか演奏について全く造詣は深くない僕ですが、それでもこの人のこの歌は何度聴いても鳥肌がたちます。

で、なんでなのかな、なんで鳥肌がたつのかな、なにがそんなにすごいのかな、とずっと考えてきたんですが、行き着いた結論は、この人の歌は「いい通訳」に近いんじゃないか、自分の仕事と関係してるんじゃないか、だからグッとくるんじゃないか、という結論でした。

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何ごとも、自分に甘く、人に厳しくするのが好きです。
自分自身の通訳に対しては評価がとても甘い僕ですが(汗)、人様の通訳、特に「IRISに登録したい」と言ってくださる通訳者の通訳を聴くときは、厳しい外国人投資家、および日本企業の厳しいIR担当者の気持ちになってそれを聴こうとします。実際には厳しく聴く、というよりも楽しみに聴くわけですが。

時折「おおおおお」と感動する通訳を目の当たりにすることがあって、しかもそれがベテランとか大御所な通訳者ではなくごく一般的な、あるいはときにはまだ駆け出しの通訳者による通訳だったりして、その通訳の一体何がそんなに感動を呼び起こすのかな、と考えます。

ーーー

思い至った結論は、その通訳者の 自信(強さ) VS 不安(優しさ)のバランス なのかな、ということです。

ーーー

通訳は英語では"Interpreting"といい、文字通り解釈(Interpret)をする仕事です。
何を解釈するかというと、話し手が話す話の内容です。

話し手が何か言う。それを、「なるほど、きっとこういう意味だな」と解釈し、それを別言語で再表現するわけですが、訳し始めてしまう前に、まずは一旦網を広げる必要がある。



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「今の発言を、私はこういう意味だと思ったが、はたして本当にそうか。もしかしたら別の解釈もあり得るんじゃないか」と、なるべく解釈・理解の網を広げる必要があります。

解釈の網を広げる一方、表現の網も大きく広げます。「今のを説明するのに、この表現を使ったらどうか、それで聴き手に伝わるか、別の表現は無いか」と。

網を広げる上で大事になるのは(自分の解釈および表現ははたして正しいんだろうか・・)という不安であり、優しさだと思います。

ーーー

「こういう解釈もあり得る、ああいう表現もあり得る、etc. etc.」と網を広げきった上で、今度はその網を思いっきり狭めていかないといけない。いつまでも「こうかも、ああかも」と言ってたら訳せないから。

無限の可能性を思い浮かべた上で、「でも、今の発言はきっとこういう意味だ。よし、それをこう表現するぞ!」と、ハラを括って自分の解釈を観客(聴き手)に披露するしかない。

網を広げるときと対称的に、網を狭める上で大事になるのは自信です。表面的にではなく、根底で自分を好きである力です。

つまり、不安と自信が両方大事ということで、いい通訳者はこの自信(強さ)と不安(優しさ)のバランスが優れているんだろうと思うんです。

ちょっと余談になりますが、最近の自分はどうかと言うと、このバランスがやや崩れてしまっている気がします。
自信と不安の黄金比は8:2ぐらいかな、と思っています。9:1だと思い込みが強くなりすぎるし、6:4だと通訳がちょっと弱く、背骨の無い状態になりがちです。
最近の自分は自信:不安が7:3ぐらいで、ちょっと不安側に片寄ってしまっていると感じます。特にいけないのが、訳す際、聴き手ではなく話し手のことばかり意識してしまい、聴き手にちゃんと伝わっているかがおろそかになってしまう点です。これは、例えば企業の社長さん(日本人)の話を英語に訳す際、その社長さんが結構英語が分かる人だったりすると顕著に表れます。自分の英訳が、話し手である社長さんにどう伝わっているかばかり気にしてしまい、外国人投資家にどう聞こえているかはそっちのけになることがあるので、それは改めないといけないと反省しています。でも、それってある程度原文から逸れた訳をする、ということでもあり、かなり勇気がいるんですよね。。

ーーー

冒頭のJoshua Ledetの話に戻ります。

この人のパフォーマンスを観ていると、その軸の強さに心を打たれます。
音楽的に言えば、例えば歌唱力とかリズム感とかがきっとものすごいんでしょうし、確かにそれは間違いなくすごいんですが、僕が一番感銘を受けるのはこの人が自分のことが好きで、自分に自信があり、自分の解釈や表現に誇りを持ち、それを観客の前で披露する勇気を持っている、という点です。

でもその一方で、観客に対する配慮を忘れないし、そして何よりもジョン・レノンの原作に対するリスペクトを保ち続けている気がします。
原作を一度咀嚼し、それを自分なりに解釈し、観客に披露していると思うんです。
To break the rules, you must first master them的な考え方にも少しカブるでしょうか、カブらないでしょうか。

ーーー

通訳の仕事も全くそうで、話し手(原作者)に対するリスペクトを絶対的に保ち、その人の発言に「何も足さない、何も引かない」の原則を忠実に守りつつ、でもそこに自分の解釈、自分の色を出していくのが「いい通訳」なんじゃないかと思います。

通訳という仕事が言語と言語を飛びこえる仕事である以上、どうしても「そのまま機械的に訳す」ということは出来ないと思うんですよね。

リンゴ であれば Apple と機械的に訳すことも出来るでしょうが、"I love you"とか「出前一丁」とか"Just do it"とかになってくると途端に通訳者というフィルターを通して解釈する必要が生じてきて、それが(我々通訳者が日頃相手をしている)より長い発言になればなおさらです。

いい通訳者というのは、根底で自分のことが好きで、自分に対する自信をしっかりと保ちつつ、でもそんな自分を疑ったり、笑ったりする勇気を合わせ持った人のことをいうんだと思います。そしてそれこそが本当の意味で「自分に自信がある」ということの現れだと感じます。

自信と不安、強さと優しさ、プライドと謙虚さ、そうした通訳において必須のバランスに想いを馳せつつ、もう一度動画を観てみてほしいです。




何度観ても、やっぱり「いい通訳」を目の当たりにしたときと同じ感動を覚えます。
この人の目線、間の取り方、全てに強さと優しさの両方を感じます。この場にいた観客はなんと幸せだろう、と思います。

ーーー

いい通訳を通して観客(それは聴き手はもちろん、話し手も含む)を感動させることはきっと可能で、僕もJoshua Ledetのような通訳を目指し続けたいと強く思います。

by dantanno | 2017-07-11 23:44 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)