たんのだんのブログ

irisjapan.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

イギリスの「問題」を考える⑦: ポジティブな面

最初の記事はこちら

「問題」というのは不思議なものです。

それにポジティブな気持ちで向き合おうと思い、「問題点は何か」そして「なぜそのような問題が起きるのか」みたいなことを考え、言い始めると、途端にネガティブなトーンになりがちです。
それに対し、「いろいろ問題があってもいいじゃないか!気にせず、前を向いていこうぜ!」と言えば、ものすごくポジティブな感じがします。それだと問題は解決しませんが。

そう考えると、確か坂上忍がどこかで言ってたんだけど、「僕はネガティブな人間です。そして、ネガティブなのは必ずしも悪いことではないと思う」というのが(本当にそうだなあ・・・)と思います。

ときどき思うんですが、ポジティブ/ネガティブって例えば「北半球/南半球」とか、「白人/黒人」とかみたいに、なんかたまたまそうなっただけなのと、あと実はどっちがよくてどっちが悪いみたいな話でもないのではないか、と思います。実はどっちでもいいんじゃないか、と思います。レストランに食べに行って、「このレストランのここがすばらしい!」みたいなことばかり思い付く人と、「ここをもっとこうした方がいいのに・・・。あ、床が汚れてる」みたいに感じる人の間に優劣は無く、単に視点のベクトルが違う方向を向いているだけのような気がします。どっちも社会には必要であり、一方がもてはやされて一方がけなされるのだとしたら、それはおかしい。

d0237270_16432032.jpeg

実際、「こんな戦争、もうやめよう!」はすごく「ネガティブ」だし、「ガンガン他国に攻め込もう!」はすごく「ポジティブ」ですからね。世の「ポジティブ礼賛、ネガティブは悪」という風潮は行きすぎており、なんとかしたいものです。

とは言いつつも、問題点を扱うこのブログ記事は確かにネガティブ・センチメントになりがちで、それだとせっかく読んでくれている読者に悪いので、ここでちょっとポジティブな話をしようと思います。

イギリスの交通機関の「いい面」は何か。

  • 地下鉄がすぐに来る。日本だと、ちょうど電車が行っちゃったときにホームに着くと、次の電車は7分後、とかは全然普通にあることですが、こっちだとすぐに次の電車が来る。だから駆け込み乗車が少ない、なんてこともあるんでしょうか。ラッシュ時でもないのに次の電車がすぐ来る、っていうのは一体どういう仕組みなんだろう。すごいなあ、と思います。

  • バス網が便利。都内だとなかなか「バスを使って移動」ということになりませんが、ロンドンではかなり便利な交通手段です。例によってすぐ来るし(笑)。

  • イギリスの国鉄。総じてイギリスの国鉄はステキです。座席が、京浜東北線とかではなく、東海道線(結構好き)や横須賀線(超大好き)のボックス席みたいになっていて、ちょっとした移動でも「旅する感」を存分に味わえます。

ということで、珍しく「ポジティブ」な内容を書いてみました。
書き始める前の予想通り、書いていて(+読んでいて?)多少気持ちよくはなるものの、まあ毒にも薬にもならないというか、あまり意味の無い記事に仕上がりましたね。そりゃそうだ。通訳だって、「あなたの通訳のここがいい」と言い合うのは気持ちいし楽しいけど、一番重要なのは「今の訳だと聴き手にはよく伝わらない」とか、「改善出来る点はここだ」を指摘し合うことだと思います。やはり「ポジティブ」は礼賛されすぎている。

d0237270_16430905.jpeg

さて、次は終章「トラブルへの対処法」という、これもややポジティブ目な内容で締め括りたいと思います。

<続く>

# by dantanno | 2018-07-17 17:01 | 提言・発明 | Comments(0)

イギリスの「問題」を考える⑥: 不思議に思うこと

最初の記事はこちら

前回と前々回の記事(連載の④と⑤)で、職員サイドのメンタリティーについて考えた。
今回は、それに対し自分が乗客サイドとして不思議に思うことについて書いてみたい。



1.なんで飛行機が(もっと)落ちないんだろう

ロンドンのヒースロー空港で飛行機に乗り込む度に思うこと。
職員たちがこんなにいい加減なのに。こんなにテキトーなのに。こんなにチームとしての統率が取れておらず、とにかく早く仕事を投げ出してパブに行くことだけを考えている(?)のに、なんで飛行機がガンガン落ちないんだろう。

自動改札機はぶっ壊れてるし、エスカレーターもエレベーターもぶっ壊れてるし、電車そのものや、それを運行するための信号機をはじめとするシステムもいつも壊れている。と考えると、飛行機も「すみません、壊れちゃいました」となっても不思議ではない。それが地上で起きてくれる分には構わないが、空中で「壊れちゃいました」だと困るんだよな〜、と思うんですけど、特に目立ったトラブルも無く運行出来ているのが不思議。

いくつかの仮説が考えられる:
・こっちの人は基本的にいい加減だが、命にかかわることについてだけはいい加減ではなく、ちゃんと対応している?
・僕が街で目にする「いい加減」な職員はごく一部であり、例えば飛行機の整備士の人たちとか、その他大勢の人たちはちゃんと、日本と同じような仕組みのもとで働いている?
・飛行機のメーカーが元々ちゃんと作ってくれているので、メンテナンス側があまりちゃんとメンテしなくても大丈夫なようになっている?

分かりませんが、飛行機に乗る度に毎回不思議に思っています。



2.イングランド戦のときはあんなに燃えるのに

昨日、ワールドカップ準決勝の、イングランド 対 クロアチア戦が行われました。
試合見たさのあまり、電車の運転手たちがこぞってサボってしまい、電車の運行に支障が出たとか出ないとか。そして、ちょうどその時間帯にロンドンのオフィス街と官庁街を通ったんですが、心なしか街はいつもよりも閑散としている気がしました。で、みんなどこにいるかというと、そう、もちろんそうですよね、パブです。パブでパブリック・ビューイングしているわけです。
そして、イングランドが点を決めたときときたら、その歓声、その盛り上がりはハンパない。
イングランド戦だけでなく、地元チェルシーとかリバプールとかマンチェスターのサッカーの試合での盛り上がりぶり+フーリガンぶりもハンパない。

それを見ていて思うのは、(自分が所属する会社にはこれっぽっちも愛社精神、チーム意識を感じず、例えばBritish Airwaysの職員であれば、他部門が起こしたシステムトラブル等の問題についてつゆほどの責任も感じないのに、なんで「国」あるいは「町」という単位になるとここまで一体感を感じられるんだろう、この人たちは)ということ。「国」というのは、その人がたまたまそこに生まれただけで、自分でその国を選んだわけではない(少なくとも多くの人にとっては)のにたいし、「会社」というのは自分が選んでそこに入ったわけで、そういう意味では会社の方が国よりも「そこに所属している感」を感じやすいのではないか、と思うんですけどね。

これは単に単位というか大きさの大小の問題で、「会社」という単位では一体感、所属している感を感じにくいけど、「国家」という単位だとそれを感じやすい、イギリス人はそういう性質なんだ、ということかもしれませんね。一方日本人は「会社」みたいな単位だとしっくり来るけど、イギリスほどは「国家」という単位がピンと来にくい、という面もあるのかもしれません。

あるいは、国への忠誠心、所属している感などについては幼少期からの「洗脳」ですり込まれているのに対し、会社に対するそれは大人になってからの話なので、すり込まれにくいのかもしれませんね。



3.これが、結構いいヤツだったりする(笑)・・・

「何日に行く」と言ってたのにその翌日にノコノコやって来る配管修理のおじさん。
(なんていい加減なんだ!)と腹が立つわけですが、会って話してみると、これが結構いいヤツだったりして、憎めないんですよね(笑)。

地下鉄でも、ぶっ壊れた自動改札機にもたれかかってスタバ飲んでる職員を見て腹が立つわけですが、その人が "Good morning, have a good day♪"みたいに言ってくるとついつい "You too♪"みたいになって、全て結果オーライな感じになってしまう。



4.プライドは無いのか?プロ意識は無いのか?

って思いますよね、日本人からすると。
自分の仕事に誇りを持てて、それを「自分のこと」と思えるのは、実はとても幸せなことなんだなあ、と感じます、ロンドンにいると。

一方、1.で書いた通り、仕事に対する責任感の無さは、いわゆるブルーカラーの、それもごく一部の人たちだけにあてはまることなのかもしれません。それがたまたまユーザーとして頻繁に目にしやすい駅の職員とか、空港のチェックインカウンターのスタッフだったりするのかもしれない。そして、忘れてはいけないことですが、そうした職員/スタッフの中にもちゃんと責任感をもって、いい仕事をしている人たちがいる、ということ。たまにそういう人に出くわすと感動を覚えます。そういう80/20の法則ではありませんが、そういう一部の人たちが残りの(大部分の)人たちのいい加減さを補って余りある働きをしているのかもしれません。



さて、次回の記事(ラスト)では、こうした故障、トラブル、遅延、そしてその根底にある職員サイドのメンタリティーを受け、我々利用者、特に日本人の利用者がどう対応すればいいのかについて考えてみます。

<続く>

# by dantanno | 2018-07-13 15:04 | 提言・発明 | Comments(1)

ロンドンで起業しました

日本でIRISを起業して6年目となる今年、ロンドンでも起業しました。
https://www.iris-japan.jp/
日本は日本で、引き続き業務を行っていきます。

2012年に起業して以来、日系、外資系問わずあらゆる証券会社から「ロンドン/欧州のIR通訳をなんとかしてくれ」と言われ続けて来ました。最初はなんとなく受け流していたんですが、あまりにも言われ続けるので、今年重い腰を上げて起業。

一度それを経験した結果思うのは、起業というのは「起業ありき」ではいけない、ということ。Entrepreneurship for entrepreneurship's sakeであってはいけない、ということ。自分の最初の起業は「起業ありき」な側面が多々あって、そのために、登録してくれた通訳者たちを無駄に振り回してしまった側面があったと反省しています。今はもう振り回していないつもりですが。

そうではなく、何かやりたいこと、実現したいことがあって、そのためのやむにやまれずの起業であるべきだし、その方がうまく行く、と感じています。あるいは、別に自分が起業したいわけでもないのに、お客さんから強く求められてなんとなく起業してしまう、そういったズルズルとした起業も非常に健全だと思います。そういう意味では、今回の起業は全く「起業ありき」ではなく、周りがあまりにも言い続けるのでやむにやまれず起業、という感じで、個人的には結構しっくり来ています。

通訳エージェントにとって一番重要となる「通訳者」については、日本での起業時同様、最高のメンバーが集まったと思います。ロンドン、そして欧州在住の方々です。世に通訳者は数多くいますが、実力と人柄を両立させた通訳者は本当に、本当に、ほとんどいない。なんでこんなにいないんだ、とびっくりするぐらいいない。通訳は上手だけど性格が怖すぎたり、人柄サイコーなんだけどウデがいまいち、という通訳者ばかりの中、希有なメンバーが集まりました。

日本で起業した際は、こちらから熱心に、なるべく多くの通訳者たちに働きかけ、1年間毎月勉強会をやって、IRISに興味を持ってくださった方の中から選考を行い、初期メンバーを選びました。
今回、ロンドンでは完全に受け身に徹しました。IRISのウェブサイトを見て、「(日本への一時帰国時に)ワークショップに参加したい」というように、向こうからアプローチしてきてくれた物好き(?)な通訳者の方々と一人一人向き合い、実力と人柄、そして向上心を兼ね備えた人たちを厳選し、小さなチームを組みました。

こういうプロセスはワイン作りに似ています。作ったことないけど。ものすごい手間と時間とコストをかけないといいものに仕上がらないわけですが、言い換えると、それだけの手間と時間とコストをかければ、かけだだけの、かなりいいものに仕上がる。絶対に急いではいけないし、妥協してはいけない。今回、それが出来た気がしています。

日本でそうしているのと同様、IRISロンドンの通訳者たちに対しては、クライアント支払額を全て透明に開示しています。その上で、クライアント支払額の70%を取ってもらっています。指名案件の場合は80%。

元々IRISを立ち上げる際、「指名の好循環」ということをしきりに言っていました。
1.通訳者がいい通訳をする
2.クライアントが喜ぶ → 通訳者に指名が入る
3.通訳者が喜ぶ。さらにウデを上げるインセンティブになる → さらにウデが上がる → より良い状態で1.に戻る

最初は「エージェントが通訳者に案件を紹介する」でいいけれど、いつまでもそれではいけない。いずれは「通訳者が仕事を獲得し、それをエージェントに流してやる」ぐらいの流れに持っていかないと、プロフィタブル かつ サステーナブルなエージェント業は成り立たないと思っています。

商流上、そしてマーケットの特性上、日本でその流れを創り上げるのはなかなか難しいですが(まだ挑戦中だし、部分的には実現出来ています))、欧州ではその流れを比較的創りやすいのではないか、と思っています。だからこそ、通常案件と指名案件で報酬比率を多少なりとも分けるのはとても大事なことだと思っています。

細々と船出したIRISロンドンですが、今週、なんと「登録通訳者全員稼働」を実現しました。日本のIRISでそれを達成した日のことも昨日のことのようによく覚えています。丹精を込め、厳選して作ったワインがお客さんに喜ばれている感じ。実にうれしいマイルストーンです。

コーディネーターもとてもがんばってくれています。
事業立ち上げ時には混乱やゴタゴタがつきものですが、その中で一生懸命案件を仕切り、通訳者たちに対するケアをしてくれています。Yさんありがとう。
そして今月からは業務拡大に伴いコーディネーターを一人増員する予定。事業の伸びに伴う健全な拡大だと思っています。

「いいIR通訳で、日本のIRと通訳業界を共により良くしていく」が創業の理念。その目標を掲げ続けながら、今年からは日本に加えて欧州でもがんばっていきます。
どうかご支援の程、よろしくお願いします!

# by dantanno | 2018-07-03 05:56 | IRIS | Comments(0)

イギリスの「問題」を考える⑤: 職員サイドの証言に見る、彼ら・彼女らのメンタリティー(後編)

(最初の記事はこちら

このテーマについて、毎日ブログを連載するつもりが、なにせ半分イギリス人なもので、ついちょっと間が空いてしまった。再開します。

前回の記事で、利用客が職員に意見/文句を言った事例、そしてその意見/文句に対する職員側の反応と名語録を紹介した。日本では、職員サイドのこのような対応・反応は考えられない。イギリスの職員のこうした対応の裏にある背景や考え方は何なのか。それら事例に共通するメンタリティーとは何か。

いくつか、共通項的な、カギとなるポイントがある気がするので、それらについて考えてみる。
重複する内容もあるが、構わず書いてみる。
ちょっとグチっぽくなるが、今回の連載の目的はあくまでも「グチ」ではなく、ポジティブに考えることであることを忘れずに読んでいただきたい。




<謝らない>

とにかく謝らない。もう、逆に感心するほど謝らない。

なぜ謝らないのか。
悪いと思っているけど謝らないのか、あるいは、悪いと思っていないから謝らないのか。

1.悪いと思っているのに謝らないケースもあるだろう。謝ったら負けだと思っているのか?謝ってしまったら、非を認めたことになるから?(っていうか認めようよ、って話だが(笑))、だから謝らないのか?日本であれば、悪かったときに「ちゃんと謝ることができる人」がかっこいい/男らしい、とされているが(注:戦争中にやった「悪いこと」はちょっと例外)、イギリスではそうではないのか?

2.悪いと思っていない? → 悪いと思っているのに謝らないのではなく、そもそも悪いと思っていない可能性がある。なぜ悪いと思わないのか、については以下の各項目でそのメンタリティーを考える。



<言い訳をする。逆ギレをする>

「謝らない」と関連する項目。
英語でDefensiveという表現があるが、まさにそれ。客から何か意見/批判を受けたとき、「そうか、客はそう思うのか、なるほどなあみたいに参考にすればいいものを、そうではなく、客からの意見/批判を「攻撃」と感じ、それに対して必死に防戦してくる。「なにを?!こっちの立場はこうだ!!」と反論してくる。クレームは改善のチャンス、という意識はみじんも感じられず、いかに批判を受け流したり、あるいは上手に反論するかに命をかけているかに見える。



<Defensive>

空港の入国審査ゲートとか、いろいろなところに We will not tolerate abuse みたいな張り紙がしてある。tolerateは「許容する」、abuseは「侮辱、ののしり, 悪態, 暴言」といった意味だ。つまり「ことばの暴力」のような意味だが、abuseにはphysical abuse、つまり肉体的な暴力も含まれる概念だ。
いろんなところにペタペタと貼ってある We will not telerate abuse は要するに、怒った乗客が職員に対し罵詈雑言をはいたり、ときには肉体的な暴力をふるうことを事前に阻止する狙いがあるのだろう。腹を立てた利用客が職員をAbuseすることは許されませんよ、ということ。確かに攻撃的な客もいるのだろう。職員もかわいそうだ。

もちろんAbuseはいけないが、でも、相当強い不満があるからついつい攻撃的になってしまうわけだ。それだけ傷ついている、それだけ怒っている、ということだ。攻撃的な客を責めるのもいいが、まずは自分たちの非を認め、客をそこまで怒らせないための対策を考えるべきではないか。



<組織への帰属意識の無さ → 自分の責任の範囲外>
例えばブリティッシュ・エアウェイズのシステムトラブルで大量のキャンセルが出たとき、「すみません、ウチのIT部門がヘマをしまして・・・」とは絶対にならない。そんなこと言わないし、全然思っていない。むしろ、オレたちだって被害者だ!ぐらいに思っている(笑)。「本当だったら、もうとっくにパブに行けていたはずの時間なんだ。それなのに。。。オレだって困ってるのに、そんなオレに文句を言うとは何ごとか!」ぐらいに思っている。
上記「言い訳/逆ギレ」の項目とも関連。

同じ組織だから連帯責任だ、という意識は皆無。手は、足がやったことに責任を感じない。サッカーのイングランド戦とか、地元のFootballクラブの試合では「組織の一員」としてあんなに燃えるのに(笑)、なぜ仕事においては組織/チームへの帰属意識を感じないんだろう。

そして興味深いのが、「それは自分の責任の範囲外だ」というのであれば、じゃあ、自分の責任の範囲内のことは責任をもってしっかりやるのかと言えば、意外とそうでもないからタチが悪い(笑)。



<他人事>
以前、アムステルダムからロンドン(ヒースロー空港)に向かうフライトが出発直前になってキャンセルになり、その1時間後の、かつ予定されていたヒースロー空港ではなくロンドン・シティ空港行きに振り替わったときがあった。多くの乗客がフライト・キャンセルの影響を受けていたこともあり、乗った機内のアナウンスで、CAさんがそれについて一言言ってくれた。それはいいのでが、その内容がWe are sorry to hear that your flight has been cancelled、つまり「フライトがキャンセルになって残念でしたね、大変でしたね」みたいな内容。ここでの”We are sorry”は「ごめんなさい」ではなく「ご愁傷様」に近い意味で、謝罪ではなく同情の“Sorry”だ。つまり、「ウチの会社(この場合はKLM社)がご迷惑をお掛けしてすみません」とは思わないのだ。だから、悪びれもせず、謝りもしないのだ。

労働者意識なんですかね。自分はしがない一労働者で、「会社」とはまったく別物です、と思っているような印象を受けます。




<We are doing our best。 仕組み化しよう、という発想の欠如
その場しのぎの対症療法短期志向なのだ。喉元過ぎれば熱さを忘れる、なのだ。

今、自分にできることは何か。それを考えるのはすばらしいが、それだけではいけない。再発を防ぐには、仕組みから変えることが必要だ。でも、仕組みの問題点を指摘しても、「今それを言ってもしょうがないでしょ、今は目の前の問題に集中しましょうよ」と、一見もっともなことを言ってくる。「今はとりあえず目の前の問題に対処して、来週のスタッフミーティングで今後の対応策を考えよう」とはならないのだ。「目の前の問題に対処して、定時になったら近くのパブに行こうとしか考えないのだ。




<There is nothing we can do>

無常感ですよね。
村上春樹さんが、自身の作品の授賞式で行ったスピーチで、日本人は無常と共に生きている、といった話をしています。確かにそうだな、と思うわけですが、イギリス人だって無常感がハンパない。これは There's nothing I can do を繰り返す職員サイドもそうだし、それを受け「ま、しゃないか・・」とあきらめる乗客サイドもそうです。

職員の、「システム上、今の自分に出来ることは何も無いのだ」という姿勢。これで完全にDoneです。完全なる思考停止。他に何かすべきことがあるなんて思いもよらない。前の項目とも関連するが、「翌週のスタッフ・ミーティングで、、、」とはならない。スタッフ・ミーティングなんてやっていないんじゃないか(笑)、そもそも。

確かに「今出来ること」は限られているのかもしれないけど。だったら、今はもういいから、明日以降、根本的な対応を考えましょうよ、そうしないとまたこういうことが起きますよ、と言いたいのだが、言っても伝わらないだろう。




<We value your feedback。 ご意見をお寄せください>
これはもう笑っちゃうしかないのだが、こっちの提言・意見・不満に対し全力で逆ギレをしたくせに、 We value your feedback(ご意見をお寄せください) などとしおらしく言ってくる。トラブル続出のくせにアンケートを強要してくる(笑)。こちらからすると、(いやいやいや(苦笑))という話だ。「フィードバックくれ」って言うけど、さっき駅で「フィードバック」を駅員に伝えたら、逆ギレ・言い訳・責任転嫁のオンパレードだったじゃないか。それが今さら「フィードバックしろ」なんて、一体どの面下げて・・・、っていう話です(笑)。

これ、思うんですけど、恐らくシステム上は「乗客のフィードバックを吸い上げる仕組み」というのは組み込まれているんだろうと思うんですよ。会社の方針としてはそういうタテマエになっているし、きっとそういう部門もあるんだろうし、マニュアルももしかしたらあるのかもしれない。問題は、その仕組みが個人レベルで全く機能していない、という点です。

一方日本の場合、会社のタテマエ的な仕組みが、個人のレベルでもある程度機能している。シンクロしてるんですね。それが大きな違い。




以上、トラブル時の乗客からの不満の声に関する、職員側の逆ギレ集から抽出できる職員らのメンタリティーについて考えて来た。

本連載もそろそろまとめに入る。

<明日以降に続く>

# by dantanno | 2018-07-02 22:52 | 提言・発明 | Comments(0)

パスポートなんていらない

アムステルダムで、アンネフランク・ミュージアムを訪問。

「ユダヤ人だから」という理由(いや、「理由」になんかなっていない)で迫害を受け、殺された人たちのことを思い、多くの訪問者がそう感じるであろうように、「こんなことは絶対に繰り返してはいけない」と誓う。

その足で空港に。

出入国審査カウンターに行くと、持っているパスポートによって、2つのグループに分けられる。
一方はスイスイ進む列。
そしてもう一方は、「それ以外のパスポートの人はみんなこっち」と、長時間待ちの列に並ばされている。

どのパスポートか次第で、全く異なる扱い。なんだ、全然歴史から学んでないじゃないか(笑)。やってることが同じ。


d0237270_17132547.png


世の中は間違いなくいい方向に向かっていますが、まだまだ出来ること、改善すべきことは多い。

とりあえず出入国審査に関して言うと、「クルー最優先 → 次に自国民 → 最も悪く扱うのは外国からのお客様」という構図を逆転させるべき。それが「おもてなし」。やろうと思えば明日からでも出来る。

あ、順番を逆転させただけだと、不平等のままか。
じゃあ、全員一列で。

# by dantanno | 2018-07-02 17:02 | 提言・発明 | Comments(0)

カンマとピリオドの正しい使い方

先日、ある会社に同行して海外IRをしていたときのこと。


一日の行程が終わり、ホテルにチェックイン。そしてその晩は、証券会社主催のディナーが予定されていました。ホストは、僕がまだ会ったことのない、証券会社のちょっとエラ目の方。その方とホテルのロビーで合流し、みんなでレストランに向かうことになっていました。




チェックインを済ませ、部屋で着替えて、ホテルのロビーに戻りました。すると、今回IRに同行している証券会社のバンカーが、その「エラ目の方」と話していました。僕は初対面だったので、「どうも、通訳者のタンノです」と挨拶。先方も「どうも初めまして、○○です」と返す。


そのわずか数秒後。エラ目の方が僕の方にちょっと歩み寄り、「あの、、、」とのこと。


たった今互いに挨拶をしたわけですが、ホテルのロビーが結構ザワザワしていたのと、僕があまりハッキリとしゃべらなかったのとで、「タンノ」がハッキリと聴き取れなかったようで、






エラ目の方 「カ、カンマさん、、、ですか?」






せっかく「いえ、ピリオドです」と返すチャンスだったのに、そのときは機転も利かず、「タンノです」とフツーに答えてしまいました。。。




d0237270_14424330.jpeg


# by dantanno | 2018-07-01 14:41 | ことば | Comments(0)

イギリスの「問題」を考える④: 職員サイドの証言に見る、彼ら・彼女らのメンタリティー

(最初の記事はこちら


筆者はチキンである。小心者である。

だから、ロンドンの交通機関において故障や遅延などのトラブルに直面した際(つまり毎日)、内心憤っていても、表面上はおとなしく受け流している。文句を言う勇気など無い。

しかし、そんな筆者でも、ときどき、勇気を出して、職員に何かしら「言ってみる」ことがある。

また、筆者が何か言いたいのに言えずモジモジしていると、他の、筆者よりもはるかに勇気ある乗客らが職員に抗議をしたり、疑問の声を投げかけたりするのを多々目撃もしてきた。

ーーー

そうした乗客からの声に対する職員側の反応が、これまた実に興味深い。その反応から、彼ら・彼女らのメンタリティーが垣間見える、そんな貴重な「資料」のような気がするし、そのメンタリティーが「原因Y」、つまり故障時の初期対応、再発防止策および日頃の点検・整備の欠如につながっている気がするので、ここでいくつか事例を紹介した上で、そのメンタリティーを分析する。



<事例紹介>

事例① ヒースロー空港での自動チェックイン機

自動チェックイン機は結構便利なので、よく使っています。日本にもありますよね。特に、預ける荷物が無いときに便利ですよね。

この事例が起きた時は、自動チェックイン機が10台ぐらい並んでいて、たまたま僕が選んだ機械が調子が悪くて、うまくボーディングパスを出せなかったんです。で、隣の台に移って再度やってみたら、スムーズに発券できました。

ちょうど、近くにエアラインの担当者のおじさんが立っていたので、あくまでも親切心で、僕が最初に当たった機械が調子悪いことを教えてあげたんです。結局無事に発券できたし、僕としては全然不満に思ってもいなかったので、クレーム的な言い方ではなかったと思います。あくまでも「ご参考まで」的に、親切心で教えてあげようとしたんですよ。

僕 「あの〜、この機械、調子悪いみたいですよ」

それに対するおじさんの返しがふるっている:

「You can use the other machines (だったら他の機械を使えばいい)」

いや、まあそうなんですけどね。。。
これが事例①。



事例②: バスの「突然全員降りて」

これ、ロンドン・バスに乗っていると結構よくあることです。
どこどこ行きのバスに乗っていると、まだぜんぜん目的地(終点)に着いていないのに、突然アナウンスが流れ、「このバスはここで停まることになった。全員降りて」と言われるんです。返金とかも別になし(降ろされたバス停で次のバスを待ち、乗り込んだ際、「前のバスに降ろされた」と言えば無料で乗れる仕組み)。
恐らくダイヤの都合とかだと思うんですが、そういうことがよくある。

僕を含め、ほとんどの乗客は「えーーー」とか言いながらしぶしぶ降りるわけですが、中には運転手に食ってかかる乗客もいます。
先日、一人の女性が食ってかかっていました。

女性 「急に「突然降りろ」なんてひどいじゃない。そういうことなら、乗るときとか、もっと前に言っといてくれれば心づもりも出来るだろうに。いきなり言うなんておかしい!」

と、実にごもっともなことを言い出しました。筆者を含め、乗客たちはみな心の中で(そうだそうだもっと言ってくれ・・・)とうなずきながら、見て見ぬフリをしながら運転手さんの対応を見守ります。すると、

運転手 「オレだって今知らされたばかりなんだ!There's nothing I can do (どうしようもないじゃないか)」

それで一件落着(笑)。

(ちなみに、運転手のその回答を受け、女性に言ってほしかったのは、「別にあなた個人を批判・攻撃してるんじゃないのよ」ということ。
「あなた個人ではなく、あなたが属している会社、そしてそのシステム、仕事のやり方、それを批判してるの。それをなんとかしてちょうだい」と言ってくれればよかった。
まあでも、それに対し運転手は「会社に対する文句をオレに言われても困る。オレは一運転手にすぎない、There's nothing I can do」と返すに決まってますけどね。結局ナッシング・アイ・キャン・ドゥという、脱力系の結論になるわけです。)



事例③: ブリティッシュ・エアウェイズの大量キャンセル事件

以前、結構大きなニュースにもなったんですが、ブリティッシュ・エアウェイズ(BA)でシステムトラブルが発生し、その日と翌日のフライトのほとんどが大幅な遅延、あるいはキャンセルになるというハプニングがありました。
僕はちょうどその日、幸運にも(?)BAのフライトに乗ることになっていて、混乱のピークのさなか、ヒースロー空港のBAのラウンジにいました。幸い、僕のフライトは奇跡的に多少の遅延ですみ、ほぼ定刻通りに出発予定でしたが、他の乗客たちは大変です。ラウンジ内の画面を見ると、ほとんどのフライトがCancelledと表示されています。ラウンジ内のBAカウンターに詰め寄る客たち。それに対し、BA職員が執拗に繰り返していたアナウンスが以下の2つ:

"There is nothing we can do"
"We are doing our best"

"There is nothing we can do"は、一つ前のバスの運転手さんが言っていたことと一緒で、「自分らにはどうしようも無いんです」みたいな意味。

そしておもしろいのが "We are doing our best"だと思いました。「我々だってベストを尽くしてるんだ!」みたいなニュアンスでしょうか。

以前、日本で食品系のスキャンダルがあって、問題となった会社の社長が「私だって寝てないんだ!」と叫んで相当叩かれていましたが、それと同じ系統の発言でしょうか。当時、僕はすごくその社長にシンパシーを感じたものですが、日本の世間様からの叩かれようはすごかったですね。そういう意味では、僕も "We are doing our best"的な、イギリス的な考え方を理解する側面があるのかもしれません。




事例④: ホテルの朝食込み?別?事件

エジンバラのホテルに宿泊したときのこと。
そこはIRでよく泊まるホテルなので、ある程度勝手が分かっていました。で、いつも朝食は料金に含まれていないので、今回もそうだろうな、と思っていたら、フロントの女性が "Breakfast is included" みたいなことを言う。で、彼女が見せてくれた僕の宿泊台帳(?)みたいな紙のBreakfast欄を見てみると、「Included(込み)」の横の四角いボックスが蛍光ペンでしっかり塗りつぶされており、Not included(朝食別)の四角は空欄のままになっていました。

(へえ、朝食込みなんだ、珍しいな、うれしい♪)と思い、翌朝朝食を食べ、チェックアウトしようとすると、朝食代を払え、と言う。

いや、朝食「込み」って言われたから食べたんだけど、と説明(朝食代が「別」だったら食べなかった、というのも我ながらなんだかせこい話だな、と思いつつ)。それに対し、いや、込みなんて言ってません、込みじゃないです、の一点張り。
「ほら、宿泊台帳を見て」と言われたので見てみると、やはり、"Breakfast (included)"の真横の四角が蛍光ペンで塗りつぶされています。「朝食「込み」の四角が塗りつぶされてますよね、昨日これを見ながら説明を受けました」と(チキンながらも)一定の自信をもって僕が言うと、

 「この蛍光ペンは、朝食(込み)の四角が空欄であることを強調するために塗ってあるのよ。ほら、実際、四角にチェックは入っていないじゃないですか」

と猛反発。頼むからまぎらわしいことはしないでほしい(笑)。

その後も、ホテル側の主張をひたすら繰り返すだけ。

僕としては、別に大した金額じゃないし、払うのがイヤなわけでもないんですよ、別に。ただ、チェックイン時に「朝食込み」という印象を受けたこと、結局それは違っていたわけですが、実際そういう印象を受けたのは事実であること、を伝えたいだけなんですよね。だから、ホテル側が「分かりました、ウチの説明の仕方も分かりにくかったかもしれませんね」とかなんとか、それっぽいことを言ってくれればこっちもおさまるし、それで僕がホテル側の要求通り代金を支払えば、僕的にはそれでよかったわけです。でも、譲歩は一切なし

僕も、なんだかアホらしくなってきたし、もしかしたらチェックイン時に僕が聞き間違えた可能性ももちろんあるわけだし、要求通り朝食代を支払って一件落着。

ーーー

さて、4つの事例を紹介しましたが、いかがでしょうか。
日本で、職員・店員側のペコペコ対応に慣れているクレーマーやモンスター・ペアレントたちが目の当たりにしたら、驚愕すること間違い無し。

そうだ!
クレーマー化、モンスター・ペアレント化してしまった自分をなんとかしたい、もう一度正常に戻りたい、と思っている人は、ロンドンの地下鉄に乗ったらいい。全てが壊れているから。で、そのことについて駅職員に文句を言ってみたらいい。僕が通訳するから。あまりのカルチャーショックに、それまでの(日本での)クレーマーぶりはふっとび、一気に仏の心を手に入れられるでしょう。

ーーー

余談はさておき。
↑で見て来た職員サイドの発言・対応から透けて見える、その根本的メンタリティーは何か。それをいくつか抽出してみたいと思います。

(明日に続く)

# by dantanno | 2018-06-26 00:32 | 提言・発明 | Comments(0)

イギリスの「問題」を考える③: 「なぜ?」を繰り返す

(最初の記事はこちら

イギリスの、機械の故障や交通機関のトラブルは、なぜ起きるのか。

なぜ故障するのか。
なぜトラブルが発生するのか。

故障やトラブルは、言ってみれば表面的な問題である。そうした表面的な問題を引き起こしている、その裏にある「原因」が何か存在する。その「原因」が、より本質的な問題。それをXとする。

そして、その本質的な「問題」Xにも、それを引き起こしているさらなる原因「Y」がある。「なぜXなのか」に対する解Yである。これはさらに本質的な問題である。

で、さらに「なぜYなのか」と考えると、実はYの裏にもZという、さらなる問題があったりする。


d0237270_20082827.png


こうやって「なぜ?なぜ?」と考えるプロセスは、トヨタでの問題改善プロセスと似ている。
なぜ故障・トラブルといった問題が起きるのか? → Xだから → なぜXなのか? → Yだから → なぜYなのか? → Zだから、といった具合に。

ーーー

さて、イギリスで発生する故障・トラブルそのものについての概観は済んだので、さっそく、1つめの「なぜ」にとりかかろう。
表面的な問題である故障・トラブルを直接引き起こす、最初の原因Xは何なのか。故障・トラブルはなぜ発生するのか。

ーーー

「故障・トラブル」は必ず起きるものだ。それは仕方がない。大事なのは、

1.故障・トラブルが起きてしまったときにどう対応するか、そして
2.今後、再発しないようにはどうすればいいのか、だ。(2.には、再発防止策の策定はもちろん、日頃の、故障が起きる前からの予防的メンテナンスなども含まれる。)

イギリスにおける「故障・トラブル」というものを考えてみると、上記2つのステップ、その両方において「問題」があることが分かる:

1.故障・トラブルが発生する (表面的な問題)
2.(発生した故障・トラブルが)なかなか解決しない。解決されないまま放置されている。解決に時間がかかる (その場での対応上の問題)
3.仮にその場では何らかの対応が取られたとしても、その後の本質的な再発防止策が取られない。また、日頃からの点検・整備などもちゃんと行われない。 (そのあとの対応上の問題)
だから、
4.(一旦解決した故障・トラブルが)再発する。再発どころか、それ以降もずっと頻発し続ける → 1.に戻る

ーーー

ロンドンの地下鉄の自動改札機を見ていると、なるほど、実に分かりやすい。

1.自動改札機が壊れる。
2.壊れた自動改札機が、修理されず、壊れたまま放置される。駅職員が、壊れた自動改札機にゆったりともたれかかり、同僚と楽しそうに談笑している
3.再発防止策?点検・整備? What is that? I don't know 四字熟語 (笑). Hahahahahahaha!
4.3日かけてようやく修理された自動改札機が、3秒後にすぐまた壊れる → 1.に戻る

ーーー

イギリスですさんでしまった僕の心を癒すために、再び、日本における「問題」への対処法を振り返りたい。何か問題が起きると、

1.その場での短期的な対応(応急対応)
2.その後の長期的な対応(再発防止策)

の両方が行われる。
一方イギリスは、その両方が実に弱い。

さて、それでは次の「なぜ」に映る。
もう一段思考を進め、原因Xの次の原因「Y」について考えてみる。

なぜ応急対応がすぐに行われないのか。なぜ再発防止策がとられないのか。なぜ日頃の点検・整備がおろそかになるのか。

(明日に続く)

# by dantanno | 2018-06-25 04:55 | 提言・発明 | Comments(0)

イギリスの「問題」を考える②: 日本との比較

(前回の記事はこちら。)

こうしてイギリスでは故障や遅延などのトラブルが日常茶飯事的に頻発・続発するわけだが、これは日本だったら考えられない。
日本は、その辺は実に「ちゃんとしている」。

故障/遅延はそもそもあまり起きないし、起きても速やかに解決する(ことが多い)。

以前、外国人投資家と話していたら、例によって「日本はスバラシイ」的な話になった。
「食事はおいしいし、安いし(注:ロンドンは高い)、安全だし、キレイだし、、、」
のあとに、
"In Japan, things just,,,, work(笑)"

と言っていた。

この"Things just work"はなかなか深くて、訳しにくいなあ、と思うが、「物事がスムーズに、うまく行く」といった意味にも取れる。

<ミクロ>
機械は正常に動き、電車はダイヤ通りに動く。
宅配便が「何時頃に行きます」と言えば、その通りに来る。(ロンドンの場合、水道配管業者が「何日に行く」と言ってもなぜか来ないことが多い)

<マクロ>
世の中のシステムや仕組みが、大きな問題無く、スムーズに機能している

ーーー

確かにそう、日本では物事が「うまく行く」、すなわち "Things just,,, work(笑)" なのだ。

イギリスを考える前に、まず我らが日本について考えてみたい。なぜ日本では物事が「うまく行く」のか。なぜ機械の故障や、交通機関の運行上のトラブルが少ないのか。

ーーー

日本では、何か「トラブル」が起きると、こう考える:

1.まずは問題に対応する。それがなぜ起きたのか、そして今何をすればいいのか。

そして、あとで(事態が落ち着いてから)

2.今後の再発防止策を考える。なぜ問題が起きたのか、を再度、今度はより詳細に分析し、その上でどうしたら今後再発を防げるのか、を考える。

また、

3.そもそも問題が起きないよう、日頃から点検・整備を怠らない


日本では、このような考え方、そして対応が当たり前。実際、どこまでちゃんとやるかは別として、少なくとも上記のような考え方が「あるべき姿」だという共通認識があると思う。そのおかげで、日本では故障、遅延、フライトキャンセルといったトラブルが少ない。

この前、日本にいるとき、イギリスから来日していた投資家と新幹線に乗った。たまたま数分の遅れが生じていて、そのことを駅員さんが執拗にアナウンスしていた。投資家が「これ、何言ってんの?」と聞くのでその旨伝えると、「数分遅れただけなのにこんな大騒ぎになるなんて、やっぱ日本はすごい」と改めて感心された。「イギリスだったら、遅延や突然のキャンセルは当たり前」とのこと。確かにそうだ。

日本がすごいのか、あるいはイギリスがおかしいのか。いずれにせよ、日本と比べて相対的に、(僕の第二の祖国である)イギリスには何か「問題」がある、と言える。
イギリスの、一体何が問題なのか?

(明日に続く)

# by dantanno | 2018-06-24 05:38 | 提言・発明 | Comments(0)

ロンドンの地下鉄の故障から、我々はなにを学べるか

ロンドンで地下鉄に乗ることにしましょう。

d0237270_17253228.jpeg



切符売り場に来ました。

d0237270_17593893.jpg


例えば切符売り場の機械が3台あれば、そうですねえ、、、1-2台は壊れています。



「壊れていない」機械で切符を買おうとしてみましょう。
  「システムトラブルにより、ただいまクレジットカードは使えません」
  切符の送出口(?)が壊れていて、うまく出てこない。見えてるんだけど出てこない
  "Need a receipt?" にYesを押したのに用紙切れ。


駅事務所に相談してみますか → ご不在。

d0237270_17584794.jpeg



幾多の苦難を乗り越えて切符を買い、自動改札機までやって来ました。

自動改札機が5台あったとして、そうですねえ、2-3台は壊れています。

d0237270_17250269.jpg


稼働している台をなんとか見つけ、無事通過。

すると、エスカレーターが故障中。

d0237270_17592625.jpeg

もちろんエレベーターも壊れています。



階段でホームまでたどり着きました。
すると、「電車が壊れたので遅れています」とのこと。当然ですよね。



だいぶ遅れて到着した電車に乗り込みます。
アナウンス 「エアコンが壊れているので、ガマンしてください。水を飲むといいです。」



なんとか目的地の駅にたどり着きました。
そこでも、壊れたエレベーター、壊れたエスカレーター、壊れた自動改札機を通り過ぎ、ようやく地上に着く、という具合。

ーーー

ここイギリスでトラブルが発生するのは、なにも地下鉄においてだけではありません。

バスに乗っていると、急に車内アナウンスが流れ、「このバスはここで停まることになりました。ここが終点です。みんな降りてください。さあ、今すぐに」と言われることがちょいちょいある。
飛行機が遅れたり、フライトがキャンセルになるのは日常茶飯事。
国鉄も、故障はもちろん、遅延・運行停止が当たり前。

イギリスに入国する際のeパスポートレーンもすごい。
イギリスのパスポートを持っている人はもちろん、日本人でも事前に登録しておけば使える自動入国審査ゲート。その機械が何台か並んでいるのだが、故障中で使えないものが散見される。
故障していないものを見つけ、いざパスポートを読み取らせようとすると、「うまく読み取れません。係に相談してください」となる。パスポートに何か問題があるのかと思い係員に相談すると、「隣の機械でやってみろ」と言われるのでやってみると、今度はスッとゲートが開く。そして、今自分が通れなかったゲートに次の「犠牲者」(笑)が並ぶ。歩きながら振り返って見てみると、パスポートがうまく読み取られず、係員となにやら話をしている。

ーーー

こうした故障、遅延、キャンセル、読み取り不能。これらは、すべて「トラブル」の一種です。
こうしたトラブルがとても多いんです。



トラブルを嘆いたり怒ったりするだけでは実にもったいない。今回のブログでは、こうしたトラブルから何を得られるか、を考えてみます。



# by dantanno | 2018-06-23 18:34 | 提言・発明 | Comments(0)

新たな通訳道具を購入し、気合いを入れ直す

通訳において、メモ取りというのはとても大事なプロセスです。

簡単に言うと、話し手が言ったことを記録・記憶するために使うわけですが、それだけが目的ではありません。いろいろな側面的な効果があります。例えば・・・

・聴いた内容ではなく、「理解した内容」をメモすることにより、理解の一助とすると共に、話を再現しやすくする
・何をメモるか、を取捨選択する過程で話の重要性を判断する

話し手が話し終わり、いざ通訳をする段になって、メモを頼りに話し手のメッセージを再現します。

通訳者によってスタイルは異なりますが、僕の場合、メモを四角(横6 X 縦4ぐらいの大きさ)に取り、全体を一枚の絵、あるいは地図として眺めた上で、それを聴き手にどう伝えるかの戦略を立てます。
(一方、業界で推奨されている方法は、メモを縦長に取り、訳す際は一番上から順々に訳していく、というスタイル。)

たまに、通訳者ではないものの、バイリンガルでかつインテリジェントな人がいて、そういう人が、通訳の訓練を受けたわけでもないのに、かなりいい通訳をしたりします。例えば、企業のバイリンガル社員が自社のミーティングにおいて通訳をする、といったケースがあります。そういう人はシロウトなのにびっくりするぐらい通訳が上手なのですが、それでもやはり一流のプロ通訳者には劣る(でも、普通の通訳者よりはずっと上手)。その差を生み出す一番の理由が「メモ取り」だと思います。
シロウトは、メモを取らない、あるいは取るのに慣れていない。それに対し、プロはメモ取りが上手なんです。

そんな、とても大事なメモ取りの作業。
それに必要となるのは、ノート/紙、そして筆記用具です。

ーーー

一時期(ほんの一時期)、裏紙をメモとして使っていた時期がありました。

確かに資源のリサイクル、いや、正確にはリユースか、、、資源のリユース的には裏紙を使った方がいいんでしょうが、なんだかこう、通訳に対する冒涜のような気がして、早々にやめました。裏紙の切れっ端に、1本100円のボールペンを使って仕事をしていると、自分の仕事がその分「安く」なる気がしたんですよね。気持ちが少しだけ荒み、だらけているのを感じました。

当時も今も「通訳のプレミアム化」ということをずっと言っていて、いかにクオリティの高い通訳を提供し、それに見合った高い対価を取っていくか、を考えたときに、安物を使って通訳をするのはもうやめよう、と思いました。

それ以来、ずっと「いいもの」を使うようにしています。

ーーー

最近買って、まだ一度も使っていないのに、既にとても満足しているのがこれ。

d0237270_04325069.jpg



イタリアのFabrianoというブランドです(買ったのはロンドンだけど)。


d0237270_04295002.jpg

オレンジという色が、いろいろな色のスーツに合う気がしました。グレーでも、ブルーでも、茶色でも。

中には大きなノートがあって、ペンホルダーがあって、そしてA4のプレゼン資料やMacbookを入れた上でジッパーで全体を閉じられる点が気に入りました。

d0237270_04325069.jpg

ノートもついてきました。

d0237270_04305449.jpg

ノートについては、横線が入っているものを使うのが業界では一般的(?)とされているようですが、横線がノイズとなり訳に干渉する気がするので、必ず白紙、あるいは目立たないグリッド/点々が入ったノートを使っています。


電車のチケットとか、

d0237270_04315378.jpg

名刺とか、

d0237270_04303141.jpg

それはそれで通訳に干渉しそうな余計なモノを差し挟める隙間もあり便利。

店員さんに乗せられ、ついでにペンも購入。

d0237270_04313757.jpg

LAMYのペンは、一度ヘンなのに当たって以来避けてきたんですが、このペンのインクの出の滑らかさがハンパない。とても気に入ったので、別の色のペンをもう1本と、Refillも4本買いました。

ノートが通訳者にとっての盾ならば、ペンは剣。
いずれも大事な道具です。

こういういい道具を、文具に対する愛着を感じさせる文具店で買うのが大好きです。
そして、せっかくこういういい道具を使っているのに、クオリティの低い通訳をすることは決して許されないな、という戒めになるんです。

明日からこの武具・防具一式で仕事に臨みます!


d0237270_04321044.jpg

# by dantanno | 2018-06-18 05:03 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

「生臭い」社員

IR通訳をしていると、いろいろな会社の、実にいろいろな話を訳すことになります。

ーーー

先日、ある会社のIRミーティングで通訳をしていたときのこと。人材育成とか福利厚生とか、従業員周りの話になりました。その流れで社長さんが

「ウチは先日フリーアドレス制を導入しましてね。」

とおっしゃいました。固定席を廃止し、みな、毎朝出社したら好きな場所に座り、コラボレーションをしたり個人作業をしたり、というアレです。

社長の話が続きます。

「社員たちも喜んでいるみたいです。もっとも、当初は生臭い社員とかはフリーアドレス制をイヤがったんですが(笑)。」



d0237270_22433217.jpeg


聞き間違いではなく、社長は確かに「生臭い社員」と言ったんです。

ーーー

最初、その発言を聞いたときは、

(社員の中には生臭い人もいて、その匂いを敬遠し、その人の周りには誰も座りたがらないから、フリーアドレス制がなかなか定着せず、困ったものでしたよ、ハハハ)

みたいな意味かな、と思いました。確かに僕も、漁船からオフィスに直行したかのような匂いの人の隣で長時間仕事したくない。

でも待てよ、、、社長の発言を再度確認します。

「社員たちも喜んでいるみたいです。もっとも、当初は生臭い社員とかはフリーアドレス制をイヤがったんですが(笑)。」

「イヤがった」の主語は「他の社員」ではなく、「生臭い社員」本人です。
生臭い社員が、フリーアドレス制をイヤがっている。。。ピチピチと。
これはどう考えればいいのか。


d0237270_22433217.jpeg


上記は「意味」をどうとらえるか、という問題ですが、それと並行して、テクニカルな「訳し方」の問題もあります。

僕の手元のメモには「生臭い」を表すお魚のマークが書かれています。さっき、社長の話を聴き、首をかしげながらも僕が描いたお魚マークです。

通訳者である僕にとっての問題は、これをどう調理、、、じゃなくて、どう訳すか、それが問題ですよね。

生臭い社員 → employees that smell like fish でいいでしょうか。
いや、ダメだ。もっと「生臭さ感」を出すためには、raw fishの方がいいかな。employees that smell like raw fish。うん、いい感じ。


d0237270_22433217.jpeg


いろんなことを考え、紆余曲折を経て、

(ああそうか、フリーアドレス制への移行をイヤがったのは、「生臭い」ではなく、「ものぐさ」な社員か・・・)

と気付きました。
「ものぐさな社員」と言おうとして、つい感極まって「生臭い社員」と言ってしまったのだろう、と解釈しました。

通訳をしていて、今回のようにスピーカーが言い間違いをしたり、「上がる」を「下がる」と言ってしまったり、単位や年を間違えたり、というのはよくあることです、人間ですから。そういうときに、さりげなく修正をするのがいい通訳だと思いますが、もしかしたら言い間違いなどではなく、通訳者サイドの理解不足、知識不足である可能性も常にあるわけで、そうした瀬戸際の判断を求められることになります。迷ったとき、王道は「スピーカーに確認をする」ですが、それが出来ない/しにくいこともままあります。

社長に恥をかかせなくてよかったです。
ほら、社長に対し「あの〜、生臭い社員、っていうのは、やっぱあれですか、あの、築地とか、そういうことですか?」と確認を入れなくてよかった。
もっともこの場合、恥というよりは笑いで済みそうだから、徹底的に生臭問題を追究してもよかったのかもしれませんが。

ーーー

結局、僕は「ものぐさ」を lazy と訳しました。
正確には、「生臭い」を lazy と訳しました。誤訳でしょうか、、意訳です。

でも、後から考えると、lazyよりも例えば unwilling to change とかの方が、フリーアドレス制に反対する社員を指すこの場合の「ものぐさ」の訳としてはいいなあ、と思いました。もっとも、本番中は「生臭い」魚のウロコ取りでそれどころではなかったので、smelling like raw fishと訳さなかっただけでもよしとしなければいけない、と自分をなぐさめつつ、家路についたのでありました。

<完>

d0237270_22433217.jpeg

# by dantanno | 2018-06-12 23:01 | IR通訳 | Comments(1)

男の育児は、「いいこと」から「当然の義務」にシフトし、そして義務から「権利」に昇華する

今日は「男の育児」について考えてみる。

僕は昔10年ほどサラリーマンをしていた。でも、今は自分の時間を自由にコントロール出来る自営業(通訳者)をしている。そういう背景もあり、2人の子供と多くの時間を過ごしている。まあ、言ってみれば「イクメン」である。

自分のサラリーマン時代のこと、特に外資系証券会社で昼も夜も無い生活を送っていた頃のことを思い返すと、(もしあの頃に子供がいたら、決してイクメンではなかっただろうなあ・・・)と思う。だって無理だったから。そう考えると、男がイクメンかそうでないかは、もちろん本人の考え方次第でもあるが、イクメンであることがそもそも「物理的に可能かどうか」にもある程度よることが分かる。

日本とイギリスを行ったり来たりする生活を送っている。日本にいる時間の方が長いのだが、日本で乳母車を押して街を歩き回っていると、心のどこかで(オレってイクメンだなあ。。。)と、自分に酔っている部分を感じる。認めるのがかなり「イタい」が、実際そう感じていると思う。
でも、不思議なことに、イギリスで乳母車を押したり、(男一人の状態で)公園とかで子供の世話をしていても、日本で感じるあの(オレってイクメンだなあ・・・)感は全く無い。自分は今いいことをしている、という気持ちに全くならない。当然のことをしている、としか感じない。それはそうで、街を見渡せば至る所で男が(一人で)乳母車を押し、幼児をあやし、子供と公園で遊び回っている。それが当たり前なのだ。


d0237270_04454394.jpeg


知らないけど、きっとイギリスには「イクメン」ということばすら無いのではないか。仮にあったとしても、それが大きなムーブメントというか、もてはやされるような現象にはなっていないのではないかと思う。イギリスでさえそうだから、こういう面で先進国(?)である北欧とかではもっとそうなのかもしれない。今度行ったとき、そういう目で街を歩いてみよう。

ちょっと余談だけど、先日ロンドンで地下鉄を降り、地上に上がる階段にさしかかったときのこと。自分の前を、乳母車を抱えて階段を上がろうとする男性がいた。(手伝おうかな・・、でも、男だし、大丈夫かな・・)と僕がほんの一瞬躊躇したスキに、すぐ近くにいた女性が「わたし手伝います!」と言って乳母車の片方をスイと持ち上げ、男性と2人がかりで階段を上がっていった。それを後ろから眺めながら、すぐに手を差しのべなかった自分を恥じると共に、女性が男性の手助けをスッと申し出てしまうこの国の文化ってすばらしいな、と思いました。これはちょっと余談。

ーーー

イギリスでは、男が育児をするのは「いいこと」でもなんでもなく、当然のこと。そして、義務なのだ。当然の義務なのだ。だからイクメンをしていても(イクメンなオレ・・・)に全然酔わないんだ、そう思いました。イギリスの人からすれば実はそんなことないのかもしれないけど、外部の人間である自分はそう思いました。

一方で世には、これは日本はもちろんのこと、きっとイギリスにもあてはまると思うけど、「自分は育児をしない」という男性もいるだろう。仮にやるとしても、ほとんどやらない男性、そういう手合いも含め「育児をしない男性」、略してイクメンならぬ「イクジナシメン」と呼ぶ。

思うんですが、イクジナシメンはもはや「古い」とか「古風」とか、そんな生やさしいものではなく、単なる義務違反だと思う。

確かに昔はそれでも許されたのかもしれない。だから、「オレは育児をしない」と昔言っていたのであればまあいいのかもしれない。でも、今や時代は変わった。変わりつつあるのではなく、もう変わってしまったのだ。それに気付いていない人がいる、ってだけの話。


d0237270_04453179.jpeg


育児に限らず、何かに対する世の見方がガラリと変わることはよくあって、しかもそれは結構びっくりするほど短期間の内に起こる。

奴隷制と、それに対する世の見方、がいい例だ。昔は奴隷制は「いいこと」だった。「良いこと」ではなかったかもしれないが、「許容される」という意味での「いいこと」だった。現に聖書にも奴隷制を容認する記述がたくさんある。奴隷商人、そして奴隷の使用者たちの中には、それほど罪悪感を感じていなかった人もいただろう。そしてこれは、それほど遠い昔の話ではないのだ。
それが、今やどうか。奴隷制を容認するような考え方の人は全くいない、あるいはほとんどいないだろうし、奴隷制を肯定・容認するような発言をしたらはじきものにされるに違いない。それほど短期間に世のZeitgeist(時代精神)は変わるものなのだ。

「男の育児」というものに対する時代精神も、急速に「しないもの」から「いいこと」に、そして「いいこと」から「当然の義務」にシフトしていると思う。シフトしつつある、というよりも、もうシフトしてしまった、という方が正確かもしれない。繰り返しになるが、そのシフトに気付いていない人が一部いるだけ。

ーーー

「自分も、出来ることなら育児をしたいのだ。でも、会社が、今の仕事が、それを出来なくしているのだ」という男性もいるだろう。きっとそうなんでしょう。現に、昔の僕がそうだった。
でも、そんな会社に頭を下げて入れてもらったのは他ならぬその人自身だ。自らすすんでその仕事を選択したのも他ならぬその人だ。いまや、そういうことまで考えた上で会社選び、仕事選びをする時代なんだろう。

ーーー

ちょっと話がそれるが、僕はごくたまに料理をする。

一番の得意料理はバター醤油スパゲッティー
スパゲッティーをゆで、バターと醤油を入れておいたどんぶりに放り込むだけの、男の料理だ。料理と言えるのだろうか。

でもときどきもっと手の込んだ、ちゃんとした(?)料理をすることもある。2品とか、3品とか。

そういうときに必ず思うのは、「料理って、なんて楽しいんだ!!!」ということ。そして、「これを女性に独占させておくものか(笑)!」と思う。これからは週に一度ぐらいはオレも料理をするぞ!と意気込む。「週に一度」とかじゃなくて、もう「毎週何曜日は料理の日!」って決めた方が続くんだろうな、何曜日にしようかな・・・と悩む。そして、次に料理するのは半年後。

育児も、料理と一緒だと思う。楽しいのだ。大変だけど楽しい。

ちなみに、ここで言う「育児」とは、たまに子供をあやすとか、そういうことを指して言っているのではない。それも確かに育児の一部に違いないが、そんなの100億万分の1だけだ。

男はもっと、育児の大変さを知るべきだと思う。
丸一日、子供1人、2人、あるいは3人と過ごすとヘトヘトになる。自分のことは何も出来ない。家がぐちゃぐちゃになる。大変だ。
でも、「一日だけ」とか、奥さんが出掛けている「一晩だけ」とかは、実は超簡単なのだ。これが今日も、明日も、そして明後日も、、、、、となって初めて本当の「大変さ」が分かる。育児の大変さ。これは正直、イクメンのはしくれである僕も、まだ全然よく分かっていないと思う。でも、かなり多くの時間を子供と過ごしているおかげで、その大変さの片鱗を垣間見ることが出来るというか、いかに大変かを一定のリアリティーをもって想像することが出来る。奥さんがいかにがんばってくれているかをイメージ出来る。

男もみんな、しつけのためなどではなく単に自分のイライラを解消するために子供にあたってしまった後の自己嫌悪(笑)を、女性並みにもっと頻繁に感じるべきだ。ハードだと思っていた出張が、「家で子供たちと過ごす」ことと比べると100億万倍ラクであることを経験すべきだ。カラダ一つで、2人以上の子供の寝かしつけを同時に行うことのめまぐるしさ。こやつにパンツをはかせる間にあやつにボディークリームを塗ってやり、あやつにパジャマを着させている間にこやつを歯磨き用に押さえつけ、、、の理不尽さ(笑)を体感すべきだ。それが奥さんに対するリスペクトにもつながり、夫婦円満をもたらすだろう。

ーーー

育児は大変だけど楽しい。そして、男女問わず多くの人が言うように、自分自身の学びになる。

育児は、実は「義務」などではなく、「権利」なのだ。男もそれに気付くべきだ。
いや、正確に言えば義務でもあり、権利でもあるのだ。

ーーー

「自分は育児が好きではない。だから(あまり)やらない」

女性に聞きたいのは、一体なんでそんな男と子供を作ったの???ということ。まあ、今さらそれを言ってもしょうがない。だったら前を向こう。

育児が好きではない、という男性。そして、育児が権利?だとしたら、そんな権利などいらない、とうそぶく男もいるだろう。
もちろん好みの問題でもあると思う。でも義務なわけだから、「子供を作る」という判断を下してしまった以上、イクジナシメンであることなど許されない。それは奴隷を売ったり使ったりするのと同罪(?)なのだ。

そして何よりも、育児嫌いは単なる食わず嫌いである可能性が高い。
だって、「オレは育児が好きではない」とか言っているぐらいだから、ちゃんと育児と向き合い、それを体感したことが無いんだろう、きっと。まずは一度ちゃんとやってみたらいい。



ブラックコーヒーしかり。

d0237270_04460216.jpeg


蒙古タンメン中本しかり。

d0237270_04403952.jpeg

最初は苦みや辛さしか感じないかもしれないが、やがておいしくなる可能性が非常に高い。まずはやってみることが肝要だ。

僕は、言ってもそれほどのイクメンではない。まあフツー。単にヒマなだけだ。
一方、世にはすごいイクメンがいる。育児を楽しんでいる男たちがいる。でもそういう人たちだって、子供が産まれる前は「自分は育児好き」であることに気付いていなかった可能性だってある。

ぜひ一度育児を、一晩だけとかではなくちゃんとやってみて、その大変さ、そしてその楽しさ、素晴らしさを体感してほしい。「してほしい」っていうか、まずは僕自身がそれをもっと体感してみたいものだ、と思っている。

会社が、仕事がそれをさせないのであれば、会社とケンカしてでも、転職してでもそれを勝ち取ればいい。育児をするために転職なんて、、、って思う? だから、、、時代はもう変わったんだ、っていう話。

ーーー

ついでに言うと、「子供」というものはそれを作る・産むことももちろん大変だが、本当に大変なのはその後ですよね。何十年もかけて育て、慈しみ、寄り添っていくわけだから。つまり、大変なのは「作る・産む」ことよりも「育てること」。
そして、子供というものに伴う楽しさ・素晴らしさも、実は「作る・産む」ことよりもその後に来る「育てる」という部分にその多くが含まれている。子供を作るだけではあまり多くの学びにならないが、育てることはとてつもない学びになる。

だから、あまり「作る・産む」にこだわりすぎず、子供が出来ないことを嘆くのではなく、もっと養子という選択肢を真剣に考えるのもいいと思う。自分が「作った・産んだ」子供でなくても、子育てに伴う楽しさ・素晴らしさ、そして多くの学びをもたらしてくれるだろうから。ウチの奥さんが続けている児童養護施設に関連する仕事を見ていて、本当にそう思う。

ーーー

奴隷制に疑問を感じていなかった時代のことを、我々は幾分かの恥ずかしさと共に思い返す。
それと同様、男の育児を「いいこと」などといってもてはやしていた時代を振り返って恥じるときが来るだろう。それを義務ととらえていた時代も過去のものになるだろう。

育児は、我々男性の(そしてもちろん女性の)正当な、かつすばらしい、ぜひとも行使すべき「権利」なのだ。

d0237270_04445390.jpg


# by dantanno | 2018-06-09 04:49 | 子育て | Comments(0)

「都心に注力します!」について

昔、不動産系の仕事をしていたこともあって、不動産系の人たちと話すことが多い。

デベロッパーやリートの人たちと話していると、みんな

「地方ではなく、(人口の流入が続く)都市部に注力する」

とおっしゃる。

実際、各社のウェブサイトやIR資料を見れば、みな「都市部都市部」と言っています。

要するに、地方は今後人口が減少するし、将来性が乏しいし、(不動産の)流動性も低いので、リスクが高い。
一方東京、そしてまあ大阪、名古屋、福岡、札幌、仙台などの都市部は、人口の流入もしばらく続くし、流動性も高く魅力的、というような趣旨です。



d0237270_02181125.jpg



不動産関係者がみな一様に口にする「都市部に注力する!」についての考察。



・一理ある。特に需要サイドを考えると。

以下↓で多少批判的というか、ネガティブ目な項目もありますが、基本的には「都市部に注力する!」というのはいい戦略なんだろうな、と思います。特に、需要サイド、つまり人口、経済活動、そういったものが都市部に集中するのであれば、不動産会社としても当然その波に乗って都市部に注力するのはまともな戦略だと思います。
言い換えると、不動産会社たちの「都市部に注力する!」というフレーズを聞いていて全くサプライズが無いのは、世の中全体がその方向に向かっていて、もはやそれがコンセンサスになっているから、というのもあると思います。

・全員が同じことを言っている状態って、何かおかしいのではないか

僕が偏屈だからなだけかもしれませんが、みんなが同じ方向を見て、全く同じことを言っている状況に多少の気味悪さを覚えます。大丈夫かな、、と。

不動産ビジネスというのは、それが不動産投資の場合はもちろん、賃貸業であっても、かなり「投資」的な側面がある。だから、不動産デベロッパーもリートも、どちらも「投資家」的な側面を強く有している。

その「投資家」たちが、みな一斉に「都市部に(投資を)注力する」と言っている。全員そう言っている。「いや、ウチは都市部ではなく地方に投資します」と言っている人は一人も、一社もない。

本来、投資で儲けようと思ったら、みんなが「こう」と言っているときにあえてその逆を行く、そうした逆張り(Contrarian)をする必要がある。実際、リーマンショックの直後、不動産価格が暴落し、不動産株が下がったときに買った人たちはすごいリターンを出している。一方、みんなと同じことを言い、同じことをするのが僕みたいなシロウト投資家で、そうするとえてして「高値づかみの安売り」をしてしまいがち。それが投資のセオリーだと思う。

では、今の不動産業界の「都市部都市部」というトレンドについてはどう考えればいいのか。みんながそう言っているから、あえてその逆を行くべきなのか。あるいは、みんながそう言っているから、実際に都市部の魅力が高まる(高まってしまう?)ので、結果的に都市部に賭けるのが正解なのか。そして、日本の「地方」は本当にそんなにダメなのか(不動産の投資対象として)。

この後プライシングについて考察しますが、
みなが都市部に注力すれば、当然その分都市部の不動産の価格は上がり、地方の不動産価格は下がる。みなが「都市部」と言わなくなるまで、その価格の調整は続く。そしてどこかのタイミングで「あれ?地方の方が(魅力度合いに応じた価格調整後も)安い!」というタイミングが来るはず。



・都市部の魅力は価格に織り込まれているはず?

都市部の方がいろいろな意味で魅力的。それはまあ分かります。でも、当然その分価格も高いわけですよね。
「高級品の方が低級品よりも「いい」んだ!」って、確かにそれはそうかもしれませんが、でも高級品の方が低級品よりも価格が高いわけで、それとの見合いで考えないと一概に「いい!」とは言えないですよね。例えばエルメスのバッグがすばらしいのは分かるけど、その素晴らしさが例えば100だとして、一方価格が100万円だとしたら、(価格調整後の)実質的な価値は100/100=1です。
それに対し、1万円で売られているバッグに2の価値があるとしたら、価値の絶対量はヘルメス100 VS 安いバッグ2とボロ負けですが、価格で調整してみると、実は安いバッグの方が2÷1=2と、エルメス様の倍の「実質価値」がある、と言えます。

不動産もそれと同じではないか、と思うんです。
みんなが「都市部がいい!」と言っている今、それが正しく価格に反映されていれば、都市部の価格がつり上がり(実際つり上がっています)、「魅力度合い調整後のプライス」は地方と均衡するはずですよね。

今「都市部都市部」と言っている人たちは、当然そういうことは分かった上で「都市部」と言っているわけです。ということは、都市部と地方の「魅力 対 価格」の調整はまだ均衡点に達しておらず、都市部に投資することでアービトラージをし、メリットを享受出来る、と考えているわけですよね。

・都市部と地方のミスプライスを定量化出来ないものか

都市部の魅力が正しく価格に反映されていない、織り込まれていない。
仮にそうなのであれば、それを反映させるとどうなるのか、に興味があります。現在存在するミスプライスをなんとか定量化出来ないものかなあと思います。それはもちろん主観的な計算になるでしょうが、それでも興味がある。

例えば、オフィスでも商業施設でも住宅でもなんでもいいんですが、全く同じ物件が、地方であれば10億円、都市部であれば15億円の市場価格を付けられているとします。その場合、(表面上の)「都市部プレミアム」は50%ということですよね。
全く同じ物件が、地方であれば(都市部と比べて)かなり安く買えるわけで、そこだけを見れば「地方の方が投資先として魅力的」となる。でも、実際には都市部の方がいろいろな意味で「魅力的」であり、50%もある都市部プレミアムを払ってでも都市部に投資をしたい、そう言う人が多い、ということですよね。

であれば、都市部のその「魅力」をなんとか定量化し、
「表面の価格だけを見れば地方の方が当然安いですが、ほら、魅力を考えると、むしろ都市部の方が「安い」んです」
という説明を聞いてみたいし、それを訳してみたい。

・全員が同じことを言っている状態って、何かしら「チャンス」ということではないんだろうか

僕は投資家ではないし、自分の資産もちゃんと運用していないのでエラそうなことは全く言えませんが、いい投資って要するに、全員が同じことを言っているときに、あえてその逆を行く(逆張り、Contrarian)のが基本だと思うんですよね、多分。そう考えると、全員が全員「都市部に注力する!」と言っている現在、その逆を行くのはもしかしたらおもしろいんじゃないか、と思うし、1社ぐらいはそういうことを言う会社がいてもいいのではないか、と思います。「都市部ではなく、日本の「地方」に注力します!」というフレーズを訳したくてウズウズしています。


d0237270_02194175.png



実際、みんなが都市部に注目している今、地方ではいろいろなチャンスが生まれているはずです。そこにうまく目を付け、マネタイズする企業も登場するでしょう。僕がIRで同行している会社は、デベロッパーであれリートであれ、みな上場企業であり、スケールやリスクなどを考えるとなかなか地方にベットすることは出来ないのかもしれませんが、中小のプレーヤーがそれをやってくれることを期待しています。いや、僕が知らないだけで、既にいろいろと行われているでしょう。

・「地方」という言い方について

これはうまく説明出来ないんですが、(もっといい言い方があるんじゃないかなあ・・・)と思うときがあります。

ある友人が、「インバウンドということばが好きではない」と言っていました。外国から日本にやってくる人たちをひとまとめに「インバウンド」と呼ぶのはなんだか失礼だし、違和感を感じる、とのこと。

最初は(ふーん、そんなものかなあ・・)ぐらいにしか思いませんでしたが、その後だんだん(うん、なんか分かる。確かにそうだ!)と思うようになりました。それ以降もIRミーティングで「インバウンド」ということばを100万回ぐらい訳していますが、いや、正確には"inbound"と言い換えているだけなので訳してはいないのかもしれませんが(笑)、それを言う度に多少の健全な違和感を感じるようになりました、その友人のおかげで。

それと同じような違和感を、「地方」ということばにちょっと感じています。「都市部ではない」という意味で確かに「地方」なんですが、日本の「地方」がいかに素晴らしいかを知っているだけに、なんかこう、もっといい言い方が無いものかなあ、きっとあるような気がするんだけどなあ、と思ったりします。まあ、これは確とした意見ではないですし、代替案があるわけでもないので、単なるぼやきですが、そういうことを感じたりもします。

ーーー

以上、「都市部に注力する!」について感じていることをまとめてみました。お読みいただきありがとうございます。

# by dantanno | 2018-05-30 02:20 | IR通訳 | Comments(0)

通訳における「仮」案件について

通訳エージェントを立ち上げてみて、いろいろと発見がありました。
その内の一つが「仮」案件というもの。

もちろん、エージェントを立ち上げる前から仮案件のことは知っていました。
仮案件というのは要するに、まだ案件実施の確度が見えない、あるいは低いため、クライアントが「しばらく「仮」としておいてください」みたいに言ってくる案件。

その存在を知ってはいたのですが、通訳者から
「この案件は仮ですか、確定ですか?」
と聞かれたとき、恥ずかしながら、最初はどう答えていいのか分かりませんでした。

クライアントが特に明確に指定していない場合、その案件は「仮」なのか、あるいは「確定」なのか。
通訳者から確認を求められた時点で、あるいはその前から僕が自主的に、クライアントに対し「この案件は仮ですか、それとも確定ですか?」と尋ねるべきなのか。
あるいは、クライアントとIRIS、IRISと通訳者はそれぞれ別個に「確定」とか「仮」とかを決めて行くべきなのか。つまり、通訳者に対し「仮」と答えるか「確定」と答えるかは僕次第なのか。
この辺がよく分かっていなかったんです。

ーーー

仮と確定がどう違うかというと、要するに「キャンセル料がかかるかどうか」が大きな違いだろうと思います。

確定案件であれば、そのエージェントが規定するキャンセル規定が適用されます。
でも、仮案件は文字通り「仮」なので、キャンセル料がかからない。キャンセル規定の対象外。

もっとも、通訳業界におけるキャンセル規定はかなり緩いのが現状で、それが適用されようがされまいが、実はそれほど大きな差にはならないこともある。
例えばIRISの場合、設立時に大手エージェントの規程にならい、5営業日前から段階的に発生する仕組みにしました。今でもその仕組みで運用しています。
確定案件であれば、この「5営業日前からキャンセル料が発生」という決まりが適用されるわけですが、言い換えると6営業日前まではおとがめ無しでキャンセル可能なわけです。だから、確定案件か仮案件かは実はそれほど決定的な差は無いのが実情。
(もちろん、「確定」案件を6営業日前にキャンセルすることを繰り返せば、そのクライアントはエージェント and/or 通訳者から敬遠されるようになるでしょうが。まあでも理論的にはそれが出来てしまうし、実際たまにそういうことが発生する、ということ。
一方、前日キャンセル→キャンセル料100%、という僥倖もまれに起きるのも事実。)

通訳者からすると、当然確定案件の方が仮案件よりもいいし、ありがたい。
それは「キャンセル規程が適用される」という面でもそうですし、それと並んで、「案件実施の確度が高い」という面でもそうでしょう。

通訳者が「この案件は仮ですか、確定ですか?」と聞いてきた場合、要するに何を聞いているかというと、「キャンセル規定は適用されますか?」ということでもあるわけですが、一方で「この案件が実施される確度はどれぐらいですか。私としては、どの程度心づもりしておけばいいんでしょうか。今後同じ日程で他の引き合いが来た場合、それをどう考え、どう捌けばいいんでしょうか」という意味合いもかなり強いのではないかと思います。
(特に、前述の通りキャンセル料発生期日までは確定案件であってもノーペナルティーでキャンセル出来てしまうことを踏まえると、キャンセル規程適用の如何よりも案件の確度を知りたがっている可能性が高い。)

ずっと仮で引っ張られた上、いとも簡単にリリースされてしまうことだって多々あるわけです。通訳者はそういう苦い経験を経て、そう聞いてきているわけです。
まあ、仮ではなく確定で引っ張られた上で、(キャンセル料無しで)リリースされるよりもマシ、とも言えますが。

ーーー

一旦仮予約を受けると、それが「仮」だからといって、通訳者の都合で勝手に日程をリリースし、別の案件を受ける、ということは出来なくなります。
一応、クライアントにお伺いを立てないといけない。そして、お伺いを立てた時点で期限を(例えば2日後とか)に決めて、それまでに「確定」としてもらうか、あるいは予定をリリースしてもらうか、を選んでもらうことになります。
クライアントはいつでも(一方的な通知だけで)自由に仮案件をキャンセル出来るのに、通訳者サイドはそれが出来ない。まあ、通訳案件の性質を考えると当然そうなりますけどね。通訳者サイドがいつでも自由に仮予約を外すことが出来れば、そもそも仮予約の意味が全く無くなりますから。

ーーー

さて、この「仮」案件というものについてずっと考えて来て思うことは以下の通り。

1.原始時代には、「仮」案件など無かった
2.仮案件は、キャンセル規定の適用除外であり、実質的に「値下げ」と同様の効果を持つ
3.仮案件がイヤなら、つっぱねればいい
4.現実的な解

ーーー

1.原始時代には、「仮」案件など無かった

原始時代(?)に遡れば、全ての通訳案件は「確定」だった。その頃は、キャンセル料に関する規定がしっかりと適用されていました(だって、そのためのキャンセル規定ですよね)。
「確定だった」っていうか、そもそも「確定」ということばすら無かったはずです、原始時代には。だって全部「確定」だから。それが普通だったわけです。


d0237270_18225554.jpg

そこに、あるクライアントが「この案件、実施するかどうかがちょっとまだ見えていなくて、「仮」でお願い出来ないでしょうか」とヘンなことを言ってきた。
全ての通訳エージェントおよび通訳者がそれをつっぱねればよかったわけですが、どこかのエージェント and/or 通訳者が「いいですよ、仮で」、つまり「キャンセル規定の適用を免除してもいいですよ」と言ってしまった。そこから、この「仮と確定」の長い歴史が始まったんだと思います。

言い換えると、「仮」案件というのは、クライアントが我々通訳サイド(エージェント+通訳者)に押しつけているのではなく、我々がそれを受け入れた、と認識することが大事だと思います。確かに、最初にそれを提案して来たのはクライアント側でしょうが、それを受け入れたのは我々側だということです。
この点をしっかりと認識しておかないと、いつまでも「クライアントが理不尽なことを言っている・・・」という行き場の無い不満を抱えながら通訳をしていくことになってしまいます。まずは潔く「これは我々の責任(でもある)」と認めるのがいいと思います。その上で、どうするかを考えればいい。

2.仮案件は、キャンセル規定の適用除外であり、実質的に「値下げ」と同様の効果を持つ

仮というのは、要するに(通常かかるはずの)キャンセル料がかからない、ということです。
そういう意味では、通訳サイド(エージェント and/or 通訳者)による、対クライアントの「条件緩和」です。

例えば通訳における海外出張案件を考えてみます。
そのエージェントの決まりが「通訳者のチケットはビジネスクラスでお願いします」だとしましょう。IRISでもそうしています。
それに対し、クライアントが「今回は予算が限られているので、あるいは飛行距離が短いので、エコノミーでお願い出来ないでしょうか」と言ってきたとします。
それをつっぱねることも出来ますし、あるいは「はい、エコノミーでもOKです」と、それを飲むことも出来ます。
突っぱねれば「条件維持」、エコノミーを飲めば「条件の緩和」ということになろうかと思います。

仮と確定の話も同じ考え方ができます。
「あくまでも確定で」とクライアントの要求をつっぱねればよかったものの、我々通訳サイドが「仮でいいですよ」と折れたから、つまり条件の緩和に同意したから、仮というものが生まれたし、今でもはびこっているわけです。

通訳の「仮」案件について嘆くことは、「通訳料金の相場が低い/安い」と嘆くことととても近いと思います。どちらも「条件緩和」の結果です。
そして、それは確かに嘆かわしいことではあるものの、なんとかならないかというと、そうでもない。

3.仮案件がイヤなら、つっぱねればいい

一度受け入れてしまったからといって、二度とそれから自由になれないわけでもありません。今からでも、仮案件を無くすことは出来る。
世の中全体から無くす(Eradicate)することは出来ないでしょうが、少なくとも自分の予定表からは仮案件を無くすことが出来る。

(エージェント経由)クライアントに対し、「私は確定案件しか受けません」と言えばいいだけの話です。

こう言うと、通訳者からは「そんなこと出来るわけがない」という反応が返ってくるでしょう。確かに、IRISでも仮案件というものを受け入れている以上、「そんなのつっぱねればいいじゃないか」という僕の意見は無責任だな、と自分でも思います。でも、決して不可能なことではない。

上記2.で論じたように、仮案件というのは要するに条件の緩和であり、実質的に値下げしたのと一緒です。
だから、それがイヤなら「値上げ」すればいい。
クライアントに「この通訳エージェントのサービスは素晴らしい」と思わせたり、「この通訳者は超優秀だ!ぜひまたお願いしたい!!」と思わせることが出来れば、それ以降、仮案件は全てつっぱね、確定案件だけを受けることは、可能は可能です。

そうした場合、もちろん仕事量は減るでしょう。値上げしたのと同じですから、当たり前の話です。
スケジュールをびっしり埋めたければどんどん条件を緩和して予定を埋めればいい。
一方、案件をSelectiveに受けたいのであれば、予定がある程度空いてしまうことは覚悟しないといけない。当たり前の話です。

4.現実的な解

上記3.がどうしても「非現実的」だと言うのであれば(僕はそう思いませんが・・)、現実的な解は何なのか、ということになります。
それは、「仮案件でもOK。ただし、こちらが求めた場合には、その瞬間以降、キャンセル料100%にしてください」というやり方ではないか、と今の時点では思っています。

クライアントがここまで「仮案件」というものに馴染んでしまった以上、確かに仮案件の依頼を頭からはねつけてしまうのは難しいかもしれない。だから、一旦は受ける。

その後、別の依頼が来たり、あるいはその日程を家族との時間にあてたくなったりした場合、クライアントに対応を迫ればいいわけですが、大事なのはこのとき単に「確定してください」と言わないことです。単に「確定してください」と言うのではなく、「確定してください。その場合、今からキャンセル料100%です」と迫るのがいいのではないか、と思っています。

前述した通り、通訳業界のキャンセル規定はゆるゆるで、「確定」と言えどもペナルティーは結構甘い。キャンセル規定適用期限まではキャンセル料無料キャンペーン中!超甘い。例えば航空券をキャンセルした場合と比べると超ゆるいです。

だから、「確定にしてください」と迫るだけでは不十分です。「確定」の定義をさらに厳しくし、「現時点からキャンセル料100%」とすればいい。
そして、通常のキャンセル規定は、それはそれとしてちょっと脇に置いておいて、
「本件については今からキャンセル料100%。それなら受けます。さあ、確定 OR リリース、どっちですか?」と迫ればいい。

IRISではこのやり方を部分的に導入していて、今のところとても上手く行っています。
これなら、「仮案件は全てつっぱねる」の非現実感も無いし、一方で「仮でも何でも全て受け入れる」に伴う悲壮感もありません。

ーーー

仮と確定。
僕はもちろん、通訳業界全体を長く悩ませてきて、そしてこれからも悩ませるであろう、この不思議な仕組み。

でもそれを嘆くばかりでなく、Proactiveに対応して行く余地はいろいろとあります。僕の考え方は上記の通りですが、他の通訳者の中にはそれぞれ独自の考え方を持っている人がいて、中にはそれを聞いていて、今後の通訳業界が楽しみに思える、そういう考え方の人も結構いることが僕にとっては大きな救いになっています。嘆いているだけでは全く意味無いです。

それぞれの持ち場で、それぞれのやり方で、「仮」案件というものとこれからも対峙していきましょう。

# by dantanno | 2018-05-08 18:23 | 通訳 | Comments(0)

GW、断食合宿に挑戦中!

前からずっと、「断食」というものに興味がありました。

念願叶って(?)、今、3泊4日の合宿に参加中。今日が初日。


d0237270_20101464.jpg


日頃、決して暴飲暴食する方ではないんですが、でもずっと(必要以上にモノを食べてるよなあ・・・)と気になってきました。

例えばラーメンを食べるとします。
半分ぐらい食べ進んだところで、ときどき自問自答してみるんです、(まだ食べる必要あるか?)って。
そういうときに返ってくる答えは(いや、もうお腹的にはほぼ満足)
でも、気持ち的に食べたいんですよね。。つまり、不必要に食べている。 まあ、そういう楽しみも人生に彩りを与えていいと思いますけど。

さらに、ハタチの頃からコンスタントに続けている飲酒も。。 量はそれほど飲まないんですが、「継続は力なり」で、ほぼ毎晩飲んでいます。

ーーー

ダイエットに苦心している人に怒られそうですが、、どんなに飲んでも食べてもまったく太らない体質ということもあり、食べ過ぎの問題は、少なくともカラダ的にはあまり気にしていません。
(でも、当然見えないところでの影響はあるわけで、本当は気にした方がいい。)

僕が一番気になっているのは、マインドとか、気の持ちようとか、やる気とか、元気さとか、そういうメンタルな面への「食べ過ぎ」の影響です。
過食によって脳・アタマが疲れてしまっていないか。通訳パフォーマンスへの影響は無いか。
食べたり飲んだりする量を減らせば、きっともっとポジティブで元気になるような気がする。。。

そんなにそう思うなら、食べたり飲んだりする量を減らせばいいわけですが、目の前にラーメンがあるとどうしても全部たいらげてしまう。ときにはライスをつけてしまう。ついつい気が大きくなって生ビールを飲んでしまう。

そういう「食」そして「飲」の楽しみもとても大事だと思うから、正直まだ断食とか粗食とか玄米とかそういうキーワードに対し抵抗感が強い。
でも一度体験して、そういう世界を垣間見てみたい。

そんなわけで、ネットでちょっと調べた結果一番良さそうだった合宿に参加しています。

こういうのって、みんなは興味があるのかどうか分かりませんが、もしかしたらちょっと興味ある人もいるかもしれないから、実際どんな感じなのか、レポートしていくつもりです。

<続く>


# by dantanno | 2018-04-30 20:14 | プライベート | Comments(0)

再生不可能エネルギー

d0237270_08470764.jpg

# by dantanno | 2018-04-21 08:47 | 提言・発明 | Comments(0)

すごくないからこそ、秘書

秘書を雇いました。


d0237270_21235288.jpeg


この僕が「秘書」なんて、、、と思う方。お気持ち分かります。

秘書というのは、エライ人、忙しい人、お金持ちの人、大企業の幹部などなど、およそ僕とは無縁のすごい人たちが雇ったり、あるいは会社から付けてもらうものだと思っていました。

でも、あるとき、もしかしたら逆の考え方もアリかも、って思いました。

つまり、僕みたいに「すごくない」人こそ秘書が必要、という考え方もあるのではないか、と。

自分のことをちゃんと自分でできる人は、ある意味、秘書などいらない。
でも、ちゃんと出来ない人もいて、ちゃんと出来ないから秘書が必要、という考え方です。

ーーー

人生において、いろいろやりたい(けどまだ出来ていない)ことがあります。
それは仕事面、すなわちProfessionalな面においてもそうだし、プライベートな面においてもそうです。

そして、出来ていない理由の一端は、日々雑務に忙殺されているから、というのもあります。
だったら、その雑務を手伝ってくれる人を雇ってみたら、、、そうしたら自分の人生はどうなるだろう、という好奇心が出発点でした。

「雑務」というとちょっとことばが悪いですが、要するに事務です。大事なことではあるけれど、僕(本人)じゃなくても出来るし、僕の人生において一番のコアとなる部分ではない業務。これを手伝ってもらうことにしたんです。

ーーー

実際に秘書(Yさん)に付いてもらい、仕組みを回し始めて数ヶ月。
僕の心の平静に大きく貢献してくれています。

Yさん、これからもよろしくお願いします!


# by dantanno | 2018-04-19 21:24 | 経営 | Comments(0)

「女人」ではなく、「根拠レスなルール」こそ禁制にすべき

相撲協会、人命より「女人禁制」優先が物議…「土俵下りて」謝罪で若手行司に責任押し付け


この騒ぎを機に、「そもそもなんで女性は土俵に上がっちゃいけないんだっけ?」という、当たり前の議論が巻き起こることを期待する。
「ブレない」ことも大事だが、ときには「すみません、全然根拠ありませんでした!!」といさぎよく認めることも重要。



僕が大好きな奈良に、女人禁制の山がある。
実際に登山してきて、この目で確かめてきたが、確かに女人禁制と書いてあった。

奈良、大峰山の女人結界門! この先「女性」立ち入り禁止!!

もし夫婦でこの山をのぼりに行ったら、奥さんをこの門の外側に残し、僕一人でのぼらないといけない、ってことですよね。

女人禁制という「ルール」も、土俵も、この門も、どこかのおっさん(たち)が、自分たちの都合に基づき勝手に+人為的に作っただけのもの。
世の中にはこうしたおかしな「ルール」が結構あって、そんなものは守らないのはもちろん、むしろ積極的に壊していかないといけない。
(そうだ、登山に行ったとき、門を少しだけ壊して来てもよかったかも。。)

「今」を生きる我々としては、先人達が残してくれたいいものはちゃんと受け継ぎつつ、おかしなものはどんどん壊していくべきだと思う。
何が「いい」のか、何が「おかしい」のか、を見極めるのは難しい面もあるが、「ちゃんとした根拠があるかどうか」はとても有効なクライテリアだと思う。


d0237270_22265875.jpg




# by dantanno | 2018-04-05 22:46 | 提言・発明 | Comments(0)

「ゴミ持ち去り隊」

昔から不思議に思っていること。


ごみ持ち去り監視強化

資源物 春日部市と署28日協定

http://www.yomiuri.co.jp/local/saitama/news/20180327-OYTNT50052.html?from=yartcl_outbrain1



そこまでしてゴミを「持ち去」ってくれる人たちがいるのであれば、いっそのことその人たちにゴミを(無料で)渡した方が、税金をかけて指定業者に回収を委託するよりも、いろんな意味でベターなのではないか。

「ゴミ持ち去り隊」の人たち、まるでどろぼう扱いされているが、実はすごくありがたい存在な気がする。僕はいつも、心の中で応援しています(笑)。

# by dantanno | 2018-03-29 20:02 | 提言・発明 | Comments(0)

矛盾

d0237270_16183075.jpg
写真左: とびっきりの笑顔で、道行く人に聖書の素晴らしさ、神の偉大さと慈悲深さについて説く若者たち。

写真右: そのわずか7-8メートル先で、殺処分されるワンちゃん・ネコちゃんを一匹でも減らそうと寄付を募る若者たち。

「全知全能の神が存在するならば、なぜ悲劇は起きるのか」は宗教の分野でよく議論される論点だが、確かにそう思わずにいられない。なぜ、全知全能の神様(仮にそれが存在するとして)はワンちゃん・ネコちゃんたちを救わないのか。っていうか、救うも何も、なぜ罪の無い動物たちをそのような境遇にそもそも陥れるのか。神が陥れているのではないにしても、神がそれを防げるのに防いでいないとしたら、実質的に神がそうさせているのと同じではないのか。

なぜ動物チームの若者たちは、聖書チームの若者たちに対して怒らないのか。神様がポンと一億円寄付してくれたら、無数の命が救われるのに。ビル・ゲイツや孫正義に出来ることが、神には出来ないのか?

聖書チームのメンバーたちの頭の中では、これらの問題はスッキリと整理されているのかもしれない。だとしたら、それがどういう整理なのか知りたい。例えば、「これは神が与えたもうた試練なのです」とか?だとしたら、誰にとっての試練?人間?動物?疑問は尽きない。
駆け寄って聞いてみたいけど、勇気が無い。

もう一杯飲みながら考え、動物チームにわずかばかりの寄付を渡して家路につくことにする。

d0237270_16340647.jpg

# by dantanno | 2018-03-24 16:34 | プライベート | Comments(0)

第55回「宣伝会議賞」、あえなく選に漏れる。。

昨年に続き、第55回「宣伝会議賞」に応募した。
結果は、(昨年に続き)あえなく一次審査での落選だった。



この賞は、要するにコピー(キャッチコピー)を考え、応募する賞。
応募出来る部門としては、「コピー部門」や「CM部門」があり、いくつもの企業に何通でも応募出来る。

おもしろいのは、多くの企業がこの賞に協賛しており、それら企業の実際のコピーを考える賞である、という点。単なるアカデミックなイベントではなく、ビジネス、実務、実社会と密接につながっている点が好きだ。



プロのコピーライターはもちろんのこと、我々シロウトの中にも、いろんな商品やブランドのコピーを夢想して楽しんだ経験がある人はいると思う。

また、実際にCM等で使用されているコピーを見聞きし、不遜にも
(これで通用するの?だったら自分の方がいいコピーを思い付きそうだ・・・)などと妄想する人もいるかもしれない。僕もそう思ったりすることもたまにあるが、実際にコピーの賞に応募するとなると、いいコピーを思い付くのはなかなか難しいことに気付き、不遜だった自分へのいい戒めにもなる。



グランプリ作品はもちろんすごい。でも、それだけではない。

一次審査の入選者の一覧を見ていて(すごいなあ)と感心するのは、同じ応募者が、複数の企業のコピー部門やCM部門に多数入選している、そんな猛者がいること。
その人の名前をググってみると、プロのコピーライターだったりするのだが、それにしても実にすごい。

賞に参加している企業を一社選び、その会社やその会社の商品・ブランドについて、長い間考えに考え抜いて、その結果いいコピーをひとつ、あるいはいくつか思い付く、というのであればまだ分かる。それもすごく難しいことなのだが。

でも、この人たちがすごいのは、その作品が複数の企業で選ばれている、という点だ。
(一社で入選するのも大変なのに!)



ーーー



なぜ、自身がコピーライターではなく、コピーライターを目指してもいない僕(=通訳者)がこのような賞に年々応募しているのか。
それは、いい通訳者になるためだ。



この点については、通訳者になった頃に一度、結構考えた時期がある。
僕の場合、10年とか20年とかそういった悠長なスパンではなく、3年ぐらいで通訳のウデをかなり上げる必要があった(3年後に独立してエージェントを立ち上げる,という無謀な目標を持って証券会社のインハウス通訳者になったからだ。ちなみに、結果的に3年以上かかった。)



通訳のウデを一刻も早く上げるためには、

1.通訳の本番、およびそれに向けた予習、および通訳のトレーニング(リテンション、リプロダクション、メモ取りの練習、逐次・同通演習など)に専念するのがいいのか、

あるいは、通訳というものをもう少し広く捉え、

2,上記「狭義の通訳」関連の取り組みに加え、ことばに関連する他のいろいろな取り組みもした方がいいのか、

の2点で揺れ動いた。

通訳者の中には、1.寄りの人も2.寄りの人も、あるいはその中間のどこかの地点に位置する人もいるだろう。



「揺れ動いた」と書いたが、まあハラは最初から決まっていて、僕は断然2.のルートを選ぶことにした。一見遠回りでも、3年ぐらいのスパンで考えたとき、この適度な回り道(Detour)がちょうど良いだろう、と判断したのだ。

そして、何よりも僕は飽きっぽいので、通訳をあまり狭義に捉えてしまうと早晩飽きるだろう、という達観もあった。



では、「通訳そのもの」以外に、一体何をするのか。

絵本の翻訳コンテストがその一つだ。
これについても毎年熱心に応募し、毎年あえなく撃沈している。かすりもしない。(でも、今年は元教え子が見事入選したのでとてもうれしい。)



このブログを書くこともそうだ。

頭の中に何か伝えたいこと、相手に説明したいことがある場合、どうすればそれを分かりやすく説明出来るのか。それを日々トレーニングすることは、「話し手が言っていることを分かりやすく説明すること」とも定義出来る「通訳」という仕事をする際にきっと役に立つと感じた。

これは、直接的には実感しにくいが、きっと役に立っている、と思う。
話し手が話し終わった、その一瞬の間に(うーんと、今の話はどうやって説明すればいいかな・・・)と考える、そういう瞬間があるが、その作業を日々ブログ書きで経験しているのは多分役に立っていると思う。



コピーの賞である「宣伝会議賞」への応募も、この活動の一環だ。

コピーの対象(この場合は企業だったり、あるいはその製品やサービス)を説明する際、どうすれば「刺さる」のか。自分の思い上がりで放つことばは刺さらない(僕が毎年身をもってお示ししている通り)。やはり、聴き手の心に刺さらないといけないわけで、(このことばは、聴き手にどう伝わるだろうか・・・)を考える作業は,通訳力に直結する気がする。

毎年,優勝どころか一次審査さえも通らないということは、僕が放つことばがいかに独りよがりであるかの現れだ。(オレはコピーライターじゃないし(笑))などとうそぶいていてはいけない。ことばの専門家なんだから、グランプリとまでは行かないまでも、せめて一次審査を通る作品を1つでいいから作れないと恥ずかしい。

実際、落選が分かってから、自分が応募したコピーたちを改めて眺めてみて、かなり恥ずかしく思った。よくこんなので、(もしかしたら一次審査ぐらいは通過するかも♪)と思っていたなと、部屋で一人赤面した。。。
(そして、思い付いたことば/コピーをしばらく寝かせておく必要性も改めて痛感した。)

来年もぜひまた応募したい。



これからも、通訳というものをなるべく広く捉え、あらゆる「ことば関連の取り組み」に貪欲に取り組んでいきたい。それは通訳力アップのため、という口実もあるが、実のところ、単に楽しいからというのが大きい。

# by dantanno | 2018-03-21 12:24 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

「単身渡米」について考える

「単身渡米」という言葉が、昔からものすごく気になる。

情熱大陸や「プロフェッショナル・仕事の流儀」のような番組で、
「田中は、23歳の時に単身渡米」
とかいうアレだ。

d0237270_23163669.jpg

時計の「たんしん」は「短針」、
IRの世界で「たんしん」といえば「(決算)短信」、
でもここで言っているのは「単身」、つまり alone, by himself/by herself ということだ。

ーーー

「単身渡米」の、いったい何がそんなに気になるのか。

まず思うのは、「渡米」「単身渡米」どう違うのか、ということ。
番組を演出するスタッフは、何を伝えたくて「渡米」の前に「単身」をつけているのか。

「田中は、23歳の時に渡米」
「田中は、23歳の時に単身渡米」

並べて分析してみると、確かに、、確かに何かが違う

「渡米」だけだと、なんだか「ふーん」という印象を受ける。アメリカに行ったのね、という感じ。

一方、後者「単身渡米」だと、なんだか「おおおおお」という印象を受ける。
荒波に勇ましく挑み、アメリカの地を踏む、、みたいな感じ。

なるほど、やっぱり「単身」には何かがある。

ーーー

そして、次に僕が考えたのは、「単身渡米」の反対語は何か、ということ。

最初に思い付くのは「単身不渡米」、つまり「一人で日本にいる」ということだ。
これは、「渡米」と言われたとき以上の「ふーん」感が漂う。「だから何?」みたいな。

もう一つ思い付く「単身渡米」の反対語、それは「大勢で渡米」だ。
「家族を連れて渡米」だったり、「当時付き合っていた恋人を連れて渡米」だったり、「三丁目住民みんなで渡米」だ。


d0237270_23174804.jpeg

「単身渡米」という言葉について、ずっと考えて来た結果思うのは、

単身渡米 よりも 大勢で渡米 の方がよっぽど大変で、すごいことだ!

ということ。

「単身」は、勝手気ままである。フーテンである。
日本から、経済的に、そして心の支え的にサポートしてくれる人がたくさんいるからこそ、自分のやりたいことをやるためにアメリカに行く。周りの助けがあってこそ出来る「単身渡米」だ。
もちろん、一人で行く寂しさはあるだろうし、家庭の事情などで「一人で行かざるをえない」こともあるだろう。でも、独り身の気楽さは間違い無くある。

一方、大勢を引き連れての「渡米」は、多くの責任を伴う。

出発前、連れて行く人たちを説得しないといけない。
連れて行ってからは、現地でみんなを守らないといけない。
買い物をしないといけない。学校に行かせないといけない。コメや醤油をGetしないといけない。諸々の問題に直面し、対応しないといけない。
リスク的にも、経済的にも、ロジ的にも、一人で身軽に行くのの何倍ものコストと手間がかかる。
実に大変だ。

これは、自分の経験からも間違い無くそう言える。
僕はしょっちゅう仕事で海外に行っているが、一人で出張したり、一人で海外に長期滞在するのは実に簡単。
一方、家族を連れて海外に長期滞在するのはかなりハードルが高い(得るものもすごく大きいけど)。

家族連れで海外に出張するのと比べると、一人で出張するのなんて、「こんなんでお金もらっていいの??」って後ろめたく思うほどラクで簡単。

ウチのように短期滞在ではなく、3年とか、5年とか、あるいはそれ以上の期間、家族を連れて海外に行き、そこで子供たちを学校に通わせ、生活を成り立たせる人たちが大勢いる。そういうお父さんやお母さんたちの方が「単身渡米」よりもはるかにすごいし、リスペクトに値すると思います。

ーーー

もちろん、「単身渡米」が全くすごくない、というわけではない。

今の時代でもそうだし、昔であればなおさら、海外に出て勝負をする、というのはすばらしいこ
とだと思う。だから、23歳の時に勇気を出して「渡米」したことは大いに称賛に値する。
(また、この記事を書いた後、ある人から指摘いただいたのが、「単身で行く」ということは、日本にいる仲間(家族や友達)との交流を犠牲にしてでもそこに行きたい、という強い想いがあるわけで、それを表すための「単身渡米」なのかもしれない、ということ。確かにそういう面はあるかもしれない。)


「単身」は、それほどアピールに値しないと思う。
アピールするなら「大勢で渡米」した場合だ。一人で身軽に海外に行くことが出来た場合は、それを支えてくれている家族、友人、そして仕事上のパートナーやお客さんに感謝することの方がアピールよりも先決だ。





# by dantanno | 2018-03-13 23:14 | ことば | Comments(0)

映画 "Three Billboards Outside Ebbing, Missouri"を観て

とてもいい映画だった。

d0237270_22462422.jpg

娘を事件で失った母親が、警察の怠慢に怒り、家の近くのビルボードを3つ使って抗議をする、という話。それに伴い、一連のドタバタが起きる。

主演はFargoで婦人警官役を好演したFrances McDormand(フランシス・マクドーマンド)。

d0237270_22463216.jpeg

ちょうど最近(2018年3月)、U.S.でのGun violenceに対してTeenagersが立ち上がって抗議していて、タイムリーな映画。

子を亡くした親の捨て身の執念。失うものが無い強さ。

全編を通して流れる、救いの無い感じと、それにマッチした音楽。でも、救いの無さの中にどこかコメディーがある。それが人生なのか?と考えさせられる。後味は不思議と悪くない

一番印象に残ったのは、物事の二面性、ということ。この映画は、一見
「警察(悪)に立ち向かう母親(善)」
というありがちな構図なのだが、観ている内に、物事はそうシンプルではないことに気付かされる。

d0237270_22471470.jpeg

映画は、警察のマトモな面も描いているし、母親のおかしな面もあらわにする。一見「こう」としか思えない、「そう」としか見えないことにも、実は別の側面があり得る、ということに気付かされる。その「別の側面」が自分には見えていないだけに非常にイメージしにくいが、それは(見えていないだけで)実は存在するわけだから、それに想いを馳せることが重要。

最後のセリフの訳「道々考えればいい」がステキだと思った。

一人でじっくり観るも良し、大事な人と観て、その後飲みながら感想を話し合うのも良しな、貴重な作品。

# by dantanno | 2018-03-12 22:47 | プライベート | Comments(0)

芥川賞受賞作全文掲載の文藝春秋を読む

いつもうれしく思うことだけど、文学賞の全文掲載版の文藝春秋は結構おトクだと思います。受賞作品を単行本で買うよりも安い値段で、受賞作品以外のコンテンツもおまけに付いてくる。しかも今回は2作品も!

d0237270_11092687.jpg


受賞作と全く関係ない通常の文芸春秋の記事が付いてくるのはもちろん、受賞作品の著者インタビューや、選者による評が特におもしろい。

「おトク」と書いたけれど、ここで読んだ受賞作品があまりにも良くて結局単行本も買う羽目に陥るケースもある。「コンビニ人間」とかがまさにそうだった。トクさは減じるものの、それはそれでうれしい誤算。

d0237270_11094867.jpeg

# by dantanno | 2018-02-13 11:10 | プライベート | Comments(0)

大事な話は右耳から?

Wall Street Journalに載っていた記事。

One way to get your child to listen
https://www.wsj.com/articles/hint-to-parents-your-kids-process-words-better-in-their-right-ears-1517580001
(リンクがうまく開かない場合、当ブログ記事の一番下の記事のコピペをご参照ください。)

子供に言うことを聞かせたいなら、、、いや、僕の解釈では「子供に話をちゃんと聞いてほしいなら」、左耳ではなく右耳に聞こえるように話した方がいい、という内容。

right-ear advantage (右耳の優位性?)という現象だそうです。

なぜそういうことになるかというと、
左耳から聞いた情報は、まずは右脳に行き、そこから左脳に転送されるが、
右耳から聞いた情報は、直接(言語を処理する)左脳に行くので、理解が早い、ということらしい。

気のせいかもしれないが、そう言われてみると確かにそういう気がする。
右耳で聞いた情報はスッと入ってくるけど、左耳から聞いた情報は一度プロセシングが必要な気がする。もっとも、これはこの記事を読んだからそう思い込み始めただけかもしれないけど。

ーーー

右耳優位の傾向は、大人でも見られるものの、子供においての方が強く出る、とのこと。それは、子供は(左耳から入った情報を)右脳から左脳に転送する仕組みがまだ十分確立されていないから。

子供が全然言うことを聞いてくれないとき、それはもしかしたら親の立ち位置が悪いのかもしれない(苦笑)。

ーーー

多くの人が電話を右耳で受けるのは、「右利きの人が多いから」というのもあるかもしれないけど、「右耳で聞いた方が理解しやすいから」というのもあるのかもしれませんね。

運転しているときに助手席の人が話しかけてきた場合、(運転に集中している分)話を聞くのがちょっと上の空になりがち。
日本車の場合は右ハンドルの車がほとんどで、運転者は左耳で助手席の人の話を聞くことになるから、その分「上の空」度が外車と比べてちょっと高いのかもしれない。


d0237270_06133310.png


通訳をするとき、事務局の方々から「ダンさんはどっち側に座りますか?」と聞かれるシチュエーションがときどきある。IRで、どこかの会社の社長さんに同行している場合、社長の右側に座るか、左側に座るか、ということ。

今までは「あ、どっちでも大丈夫です」と即答し、左右についてこだわりが全く無いことを(心のどこかで)誇りに思ってきた気がするけど、本当は気にかけた方がよかったのかも。社長に僕の通訳(日本語訳)を分かりやすく聞いてもらうためには、右耳から訳を聞かせてあげた方がいいわけだから、ええっと、、、僕が社長の右隣に座ればいいのか。そして、(左脳に直接届け〜)と思いながら訳せばいい。一方、社長が話をして、それを僕が聞く(そして訳す)とき、僕は社長の話を左耳から聞くことになってその分ちょっと理解面で不利になるわけだが、それも含めて通訳という仕事なんだろう。

次からはスピーカーの右隣に座るようにしてみよう。

---

One Way to Get Your Child to Listen
Children process words better in their right ears; information reaches the language-processing side of the brain faster


Say what?

When speech funnels into your right ear, the initial signal reaches the side of the brain that processes language in about 20 milliseconds.

But if the information is captured by your left ear, it travels a longer, more circuitous route.

That’s not a problem if both ears hear the same words, but when each receives competing messages—think about being on the phone while someone is talking nearby—the information captured by the right ear will be processed more efficiently.

The phenomenon is known as the right-ear advantage

It helps explain why children, in particular, have trouble handling information when competing signals bombard each ear, and new evidence suggests it also may affect adults when they’re trying to absorb complex information.

“In children, the right ear has a huge advantage,” said Aurora Weaver, a professor in communication disorders at Auburn University. “It’s not that the left ear isn’t hearing. It’s that the brain can’t make use of the information and respond to it.”

Audiologists test the ability to process competing messages by presenting different material simultaneously to each ear, then asking the person to repeat it.

Traditionally, two digits are presented to each ear.

A typical 7-year- old child will accurately repeat the information presented to the right ear approximately 70% of the time, according to Frank Musiek, a professor of speech, language and hearing sciences at the University of Arizona. The same child will accurately repeat information presented to the left ear approximately 55% of the time.

“It’s part of what’s going on when you think a child is not paying attention,” Dr. Weaver said. “If a classmate is talking in the right ear, it’s harder to attend to what is being discussed in class.”

When speech is captured by the right ear, it generally travels directly to the left hemisphere of the brain, where, for most people, language is processed.

But speech collected by the left ear typically travels first to the right hemisphere. From there, it must be relayed to the left hemisphere through a broad band of nerve fibers that facilitates communication between the hemispheres and is known as the corpus callosum.

“When you have a direct shot from the right ear to the left hemisphere, you don’t have to cross the entire width of brain to get to other side,” Dr. Musiek said. “The signal from the left ear is put at a disadvantage.”

The relay could take as little as three to five milliseconds or as much as 300 milliseconds. “We’re talking about a definite difference,” Dr. Musiek said.

The right-ear advantage is more evident in children than adults because myelin, an insulating sheath that allows nerve impulses to move more quickly through the corpus callosum, hasn’t fully developed. As the myelin forms over a series of years, the relay of information from the right hemisphere to the left improves, and the right-ear advantage fades.

A 9-year-old receiving competing information in each ear will be approximately 80% accurate in the right ear and 75% accurate in the left, Dr. Musiek said. Children 11 and older will be approximately 90% accurate in each ear—about the same as an adult.

In adults, the right-ear advantage is generally considered clinically insignificant, but Dr. Weaver and her colleagues, who shared their findings in December at the annual conference of the Acoustical Society of America, tested this by presenting adults with complex streams of material.

“We included more pieces of information, from two digits in each ear to up to nine digits in each ear, which would be close to a phone number or social security number,” Dr. Weaver said.

The study, including 41 adults ages 19 to 28, found that as cognitive demand increased, the right-ear advantage persisted.

The ability among the test group to repeat information that exceeded their basic memory capacity was, on average, 7% greater in the right ear, and in some individuals, it was as much as 40% greater.

Other things could contribute to the results. For example, traditionally in tests like this, streams of competing information are kept brief to avoid confusing auditory processing with memory tasks, Dr. Musiek said.

But if you have an important message to deliver to someone, you might want to begin like this:

Lend me your ear. No, not that one. The other one.



# by dantanno | 2018-02-03 06:14 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

コンビニの「2番目にお待ちのお客様どうぞ」に感じる違和感

いつも思うんだけど、実は「1番目にお待ちのお客様」なんじゃないかな~。

# by dantanno | 2017-12-23 00:29 | プライベート | Comments(0)

クレームを避けつつ恐れない、そんな通訳者になりたい

通訳をしていると、残念ながら受けてしまうことがある「クレーム」というものについて考えてみる。

章立ては以下の通り:

1.クレームについての基本的な考え方
クライアントを傷つかせる「クレーム」というものは、絶対に避けなければならない
「クレーム」よりも「不満」に目を向けることが大事
クレームは通訳エージェントの責任でもある
クレームは一方通行ではない
クレームをよく見てみると・・・
なぜクレームが入るのか

2.クレームを受けたときの考え方・対処法
「通訳そのものに対するクレームじゃなくてよかった・・・」というとらえ方について
クレームはアテにならない。クレームをする人よりも厳しいはずの「自分の目」
クレームは「一つの情報」として受け止める

3.その他の項目
クレームが来やすい雰囲気作り
通訳エージェントは、通訳者に対し、クレームがあったことを伝えるべきか

最終項: 「クレームゼロ」は可能か?



一通訳者として、そして一通訳エージェント運営者として、クレームについては思うところがいろいろあるようで、ついつい大業な章立てになってしまった。

上記章立てを見ると、互いに相反するというか、矛盾する項目もある。それは僕の頭の混乱の現れかもしれないが、それよりも、クレームというものがいかに千差万別で、ケースバイケースであるか、の現れでもあると言える。

さて、通訳に限らずほとんどのサービスについてあてはまると思うが、がんばって仕事をしていても(がんばっているからこそ?)クレームが入ってしまうことは必ずある。クレームが来た場合、それについてどう考え、どう対処するのがいいのか、以下で考えていく。



<1.クレームについての基本的な考え方>

クライアントを傷つかせる「クレーム」というものは、絶対に避けなければならない

確か本田宗一郎の本だったと思うが、「(製品を買った後に)クレームをしてくるお客さんは傷ついているんだ」というようなことを言っていて、
(なるほど、確かにそうだなあ・・・、偉大な経営者はいいことを言うものだなあ・・・)と感銘を受けたのを覚えている。

通訳案件終了後、クレームをしてくるクライアント、あるいは会議参加者(以下広義の「クライアント」に含める)は、怒っていることは怒っているのだが、それよりも、傷ついている。悲しんでいる。口惜しがっている。
クライアントの表面的な「怒り」に気をとらわれてしまうと、クレームの受け手たる我々もついつい身構え、逆ギレの一つもしたくなってしまうかもしれない。あるいは、とりあえずヘイヘイと頭を下げ、嵐が過ぎ去るのを待つという、非本質的な対応を取るかもしれない。だが、その裏側にある傷、悲しみ、口惜しさ、そういったものに目を向ければ、我々の対応方法も変わってこよう。

だからこそ、クライアントを傷つかせるクレームというものは絶対に避けなければならない、と改めて思う。



「クレーム」よりも「不満」に目を向けることが大事

「クレームが入ったかどうか」は表面的なことだ。
それよりも大事な 「クライアントが満足したかどうか」という本質 を重視することで、「クレームには至らなかったが、クライアントが不満を感じたケース」、つまり目に見えない部分をしっかりと捕捉することが出来る。


d0237270_10151036.png

クライアントは、何らかの不満を感じたからクレームをするわけだが、「不満を感じたのにクレームをしない」ことだってたくさんある。

「ほどではない」パターン:  不満は不満だが、クレームをするほどではない
勇気パターン:  クレームをする勇気が無いクライアントだっているでしょう
サイフ・パターン: 会議に参加していても、通訳代を支払っているのが自分ではない場合、クレームするのを躊躇することがある
あきらめパターン: 「クレームしてもしょうがないだろうから、もういいや別に。」ある意味これが一番怖い。

特にIR通訳の場合、ミーティングの形態上、クレームが入りにくい仕組みになっている。だからなおさら「クレーム」ではなく「不満」に目を向ける必要がある。(この点については過去記事「IR通訳のジレンマ」ご参照)



クレームは通訳エージェントの責任でもある

「でもある」というか、責任の過半はエージェントにある、とも言える。
通訳者が、ある個性を持ち、ある一定の通訳能力を有すること、それ自体は「悪いこと」ではない。それが多少変わった個性であれ、それほど高くない通訳能力であれ、それ自体は悪いことではない。それは単なる事実であり、しょうがないことであって、悪いのは、その通訳者をその案件/そのクライアントにはめ込んだ通訳エージェントである、という考え方だ。
これもケースバイケースだよなあ、、、と思うが、クライアントからクレームが入った場合、それが「通訳者」に対するクレームだからといってエージェントは責任ゼロということでは決してない、ということは少なくとも言える。僕のようなエージェントは、その当たり前を自覚して通訳者をアサインする必要がある。

一番よくないのは、エージェントがテキトーにアサインした通訳者にクレームが入り、それに対し

エージェント 「ああ、すみません〜。もうその通訳者は御社にはアサインしませんので〜」

と、罪の無い通訳者を、本人知らぬ間に勝手にブラックリストに載せてしまうことである。

ときには「アサイン出来るのにアサインしない勇気」も必要だなあ、と思う(難しいんですけどね)。

尚、この記事においてはエージェントの視点ではなく、通訳者の視点からクレームというものを考える。



クレームは一方通行ではない

クレームというと、どうしても「お客様→業者サイド」という流れをイメージしてしまうが、我々通訳者サイドにだって不満を感じたり、クレームをしたりする権利は当然ある。だから、クライアントだからといってあまり威張っているといいことありませんよ(笑)、という話。
必ずしも客がエライとは限らない、という点については過去記事ご参照。)

クレームが入る通訳案件はどういう案件かというと、案件を終えた通訳者がなんだか首をかしげながら、肩を落としながら帰ってくる通訳案件だ。通訳者が「今日のミーティングはとてもよかった!」という通訳案件はなかなかクレームにはならない。これは当たり前のようだが、意外と深い話だと思う。通訳者が気持ちよく通訳出来れば、クライアントだって満足するものなのである。

IRISではあまりそういう事例は無いが、世のいろいろなクライアントを見ていると、中には(自分で自分のクビを絞めてるなあ・・・)と感じさせるクライアントもある。通訳者に対して威圧的な態度を取り、ミーティング中もずっとプレッシャーをかけ続ければ、たいていの通訳者であれば、通訳パフォーマンスは低下する。それに対してクレームをする。まるで、通訳者のミスや焦りをクライアント自ら誘発しているようなものだ。悪循環である。

クレームをしたくなければ、まずは通訳者を大事にするところから始めてみるのもいいかもしれない。



クレームをよく見てみると・・・

クレームをよく見てみると、実はいろいろな種類があることに気付く。いわゆる「クレーム」と呼べるものから、それよりも少し軽めの「ネガティブ・フィードバック」的なもの。そして、「要望」に近いものだってある。今後もっといい通訳をしてもらうための「提案」めいたものだってある。だから、あまり「クレーム」と十把一絡げにしないことだ。

例えば、クライアントが「○○を A と訳していたが、正しくは A' なので、今後そう訳してほしい」と言ってきたとしよう。(これぐらいの軽いフィードバックであれば、通訳案件終了後というよりも、現場で直接通訳者に伝えられる可能性が高いだろう。)
このフィードバックは「文句」すなわちクレームととることも出来なくはないが、それよりも「改善のための提案」と受け止める方が正しいと思う。そしてそれは、その通訳者が気に入ったから、今後もその通訳者に仕事を依頼したいからこそなされる提案だろう。ということは、これは落ち込む対象ではなく、喜ぶべき対象、とも言える。
 
この記事を読んでくださっていて、改めて感じられた読者もいるかもしれないが、「クレーム」ということばにはとてもネガティブな力が宿っている。クライアントのその反応を「クレーム」と定義した時点で、それに対する我々の見方、および対応方法がある程度固まってしまう。だから、あえて「ネガティブ・フィードバック」とか「提案」とか「お客さんは傷ついている」とか、なんでもいいけど、ちょっと視点を変える必要があると思う。
(このブログ記事では、クレームというものをすごく広義に捉え、便宜的に「クレーム」という一語でまとめている。)



なぜクレームが入るのか

通訳案件において、クライアントからクレームが入るのはなぜか。

比較的よくあるクレームは、「業界特有の用語に精通していなかった」というものだ。これについては前述の通り、間に入るエージェントの調整力不足が大きいだろう。

通訳力が決定的に不足していたから、ということも中にはあろう。これについてもエージェントの調整力不足と言えそうだが、こういうケースは例外的だと思う。

クレームを誘発する原因で一番大きいのは、「通訳者がフレキシブルに対応出来なかった」ということだと思う。通訳力は十分あっても、「余裕」が無いと、いい立ち回りが出来ない。周囲を見回したり、機転をきかせたり、訳し方を調整してみたり、といった「遊び」が出来ないと、場がギクシャクし、通訳者も不満、クライアントも不満→クレーム、という流れになりやすい。
前述の本田宗一郎ではないが、オートバイのチェーンにしっかりと遊びをもたせてやり、潤滑油を塗っておかないと、チェーンがピンピンに張り詰めて切れてしまうのと似ている。



さて、これまでクレームというものについての基本的な考え方を整理してみた。ここからは、実際にクレームが来たときの受け止め方という、これまた大いに正解の無いテーマについて考えてみる。



<2.クレームを受けたときの考え方・対処法>

「通訳そのものに関するクレームじゃなくてよかった・・・」というとらえ方について

恥ずかしながら、僕も当然クレームと無縁ではない。

以前、証券会社でインハウス通訳者をしていたときのこと。
ある海外投資家と、ある日本企業の電話会議を通訳していた。投資家は複数人、海外のオフィスの会議室から参加していた。日本企業も、日本にある自社のオフィスから、僕は証券会社の会議室から、3拠点をつないでの電話会議である。

ミーティングの途中、投資家・企業の間で「これはちょっとプレゼン資料を見ながら話した方がいいですね〜」ということになった。
そこで、海外投資家数名の内、若手の1名が資料をプリントアウトしに行く間、ちょっとブレイクしましょう、ということになった。

僕は証券会社に通訳者として入社してまだ間もない頃で、自分が属している部の顧客である海外投資家に対し挨拶をしたかったこともあり、その4-5分の中断時間の間、海外投資家の内、先方の会議室に残っていた人と軽く挨拶/雑談をした。それもすぐに終わり、その後2-3分の中断時間を経て、会議は無事再開された。

ーーー

ミーティング終了後、上長に呼ばれた。

「今のミーティング、どうだった?」
「いや、特に問題無かったと思いますけど・・・」

そうしたやり取りの後、日本企業の方からクレームがあったことを明かされた。
「電話会議が中断している間、通訳者が投資家と親しそうに話をしていた」ことに対するクレームだった。

ーーー

このクレームに対し、僕自身の心境の変化を「実況中継」してみる。

クレームを受けたその日: ただただショック

2日目〜3日目: クレームが入ったことは残念だし、申し訳ないが、通訳そのものに対するクレームじゃなくてよかった

つまり、「通訳のレベルが低すぎる」とか「誤訳がとても多かった」とか、通訳そのものに対するクレームじゃなくてよかったな、と思ったんです。本質的なクレームではなく、表面的(?)な、テクニカル(?)なクレームだったのが不幸中の幸いだったな、と思ったんです。

4日目〜5日目: 「通訳そのものに対するクレームじゃなくてよかった」と胸をなで下ろしている場合じゃないだろう!

やっぱ負けだなあ、と思ったんです。「それも含めて通訳だろうが、お前」と思ったんです。
あと、通訳者は基本的に中立ですが、そのとき僕の「顧客」は海外投資家。だから海外投資家に対し挨拶をした。それに対して日本企業(Not 顧客)が多少不満を感じてもしょうがない、みたいなヘンな気持ちもそのときまであったんですが、全員満足させられなくて何が通訳者だよ、と思ったんです。それに、会議の一当事者である日本企業が(自分のせいで)不満を感じてしまっていたら、それはミーティングの成否に直結し、(自分の大事な顧客である)海外投資家にも悪影響を及ぼすじゃないか。何やってんだよお前!という具合です。

この時の、実に苦い経験から、僕は「通訳そのものに対するクレームじゃなくてよかった、ホッ」と絶対思わないようになりました。自分に対するクレームについても、他の通訳者に対するクレームであっても。どんな不満でも負けは負け。で、次はどうすれば勝てるかを考えればいい。

その後設立した通訳会社の社名を
IRI IR Interpreting(IR通訳)
ではなく
IRIS IR Interpreting Services(IR通訳サービス
としたのも、このときの忸怩たる想いがベースにあります。あと、語呂が良かったというのもあります。



クレームはアテにならない。クレームをする人よりも厳しいはずの「自分の目」

我々にクレームをしてくるのは誰か。クライアントです。会議参加者です。
つまり、通訳のシロウトです。
だから、クレームが来ると(シロウトに何が分かる)という気持ちも正直ゼロではありません。限りなくゼロに近いですけど。

クライアントはシロウトであり、クライアントからのクレームはそれほどアテにならない。だからこそ、プロである我々が、クライアント以上に厳しい目で、自分自身の通訳を日々見つめる(監視する?)必要があると思っています。

言い方を変えると、クライアントが大絶賛していても自分的には撃沈であれば、全然うれしくないですよね。
その逆も然りで、クライアントから大ブーイングがあったとしても、自分的には会心の通訳であれば、その晩はうまい酒を飲めばいい、そう思っています。



クレームは「一つの情報」として受け止める

耳が痛いからといって、クレームに耳を傾けないのはもったいない。的外れだ!とか「それを言われてどう対応しろというのか!」と逆ギレしてしまうのももったいない。「一つの情報」として。それ以上でもそれ以下でもない「一つの情報」として、しっかりと受け止めればいい。

といいつつ、一つ前のセクションで論じた通り、クライアントのクレームはそれほどアテにならない。あくまでも「一つの情報」に過ぎない。だからいちいち大慌てしない。単なる「一つの情報」として受け止めればいい。

そのクレームを受けて、「落ち込む」以外に何か対応を取るのか取らないのか。
今後、現場での立ち回り方を変えるのか。通訳のウデを上げるためにトレーニングをするのか。案件の受け方について、量 AND/OR 質を調整するのか。
それらは重要な判断である。
「一つの情報」でしかないクライアントからのクレーム、しかもシロウトの意見を、そういう大事な判断の根拠にする必要など無いと思う。
あくまでも、プロの通訳者である自分自身が、自分に対して下す自己分析・自己評価、それを今後の活動の判断根拠にすべきだと思う。

(ちなみにインハウス通訳者であれば、問題があった後、不満を感じてしまった人のところに行って何らかのフォローアップをするとか、そういった事後対応が可能なケースもありますよね。フリーランスだとそれがしにくいケースがほとんどなので、じゃあそのクレームを受けて今後の自分の通訳者としてのあり方を何かしら調整するのかしないのか、という話になることが多いと思います。)



さて、これで第2部も終わりました。以下では、ちょっとコラム的に第3部です。

<3.その他の項目>

クレームが来やすい(気安い?)雰囲気作り

(この人にクレームをしたら、超落ち込みそうだなあ・・・)
(この人にクレームをしたら、逆ギレしそうだなあ・・・)
(この人にクレームをしても、プラスの効果は生まれないだろうなあ・・・)

そう思われてしまったら、貴重な「一つの情報」であるクレームから遮断されてしまいます。だから、日頃からクレームが来やすい雰囲気作りをしておくことが大事だと思います。

今、ちょうど漢字を変換していて思ったんですが、何でも気軽に言える「気安い」雰囲気、それが現場でも、そして現場以外でも大事なのかもしれませんね、通訳者にとって。



通訳エージェントは、通訳者に対し、クレームがあったことを伝えるべきか

これはとても大きなテーマで、もしかしたら後日一つの記事で書いてみたいと思います。

IRISでは、それがポジティブな場合はもちろん、ネガティブだった場合でも、クライアントからのフィードバックは基本的にそのまま通訳者に伝えることにしています。
その勝率はまあ75%ぐらいで、中には(言わなきゃよかった・・・)と深く後悔するケースもあります。通訳者を無意味に傷つけてしまったと感じるときとか、「それを言われて、私にどうしろと言うんですか!」みたいな反応があるときです。まあケースバイケースなんでしょう、これも。

一応、僕がなぜ「基本的に伝える」方針をとっているかを書いておくと、「一つの情報」として貴重だと思うからです。クライアント、あるいは会議参加者は「そう思った」んです。クライアントがそう思ったことは、まぎれもない事実なんです。だから、それは「一つの情報」として、あくまでも「一つの情報として」、一定の重要性を持っていると思うんです。

僕がラーメン屋のオヤジだったら、僕のラーメンを食べて「まずい」と感じた客がいれば、それは情報として僕は知っておきたいだろうな、と思うんです。聞くのはイヤだし、しかも仮にその情報をもらってもスープの味や麺のゆで方を変えないんだったらそんな情報不必要じゃないか、という気もしますが、やはり情報として持っておきたい。

それと同様に、僕が通訳者であれば(通訳者ですが)、自分に対しネガティブ・フィードバックが入ったら、やっぱりそれを知りたい。イヤだけど知りたい。出来ることなら、実際にクレームがあった場合だけでなく、クライアントや会議参加者が心の中で不満に思った内容についても全部のぞき見したいぐらい。でもそれは無理だから、せめてそれが表面化した「クレーム」については必ず知りたい、と思うんです。

僕はそう思うけど、でもそう思わない通訳者もいるだろうし、僕の人間力を高めたり、伝え方ももっと工夫した方がいい面もあるでしょう。日々反省、日々精進です。



最終項: 「クレームゼロ」は可能か?

最後に、そこそこ大事なテーマを持って来てみました。
絶対にクレームが入らない、そんな「クレームゼロ」の通訳は可能か。



僕は可能だと思います。現に僕だって、前回クレームが入ってから今日まで「クレームゼロ」です(爆)。

d0237270_11335117.jpg

冗談はさておき、実際「絶対にクレームが入らない通訳」は可能だと思います。いくつか条件がありますが。

1.自分が精通した分野であること。
2.通訳力がそこそこ高いこと。
3.かなりフレキシブルに対応する心づもりがあること。
4.クレームをしにくい雰囲気を漂わせていること(笑)。

などなど。

ーーー

最近の自分を振り返ると、「絶対にクレームが入らない通訳」を目指してしまっている気がします。(それでもクレームは入るのがとんだお笑いぐさですが)。
訳す際も、(その場のキーマンは誰か、その人の英語力はどの程度か、どういう訳し方をすればその人は不満に思うだろうか)、みたいな、本質から外れたことばっかりに神経をすり減らしている、と感じることがときどきあります。そういう通訳は疲れるし、会場に感動も生まれにくい。

まだ駆け出しの通訳者だった頃は、そんな余計なこと考えていなかった。考える余裕が無かったわけですが、でもその方が自由でのびのびとした、いい通訳をしていた気もする。

クレームは、クライアントの「傷」だと冒頭で書きましたが、通訳者自身が受ける「キズ」でもあります。そして、挑戦しているときはキズがつきもの。
藪に飛び込んでツタや笹を刈れば、体にたくさんのキズがつくけど、でも、そのおかげで道が開け、次の次元に行けることもあるでしょう。



自戒の念を込めて。

通訳者は、クレームを絶対に避けなければならない。会議参加者を絶対に傷つけてはならない。

でもその一方で、通訳者はクレームなど恐れなくていい。クレームしてくる相手はシロウトです。
自分がそのとき、その場にとって一番いいと思う訳を、堂々と、のびのびと、大きく追究すればといい。

そして、クレームが入ったら、それは「一つの情報」として大事にし、そういう情報を蓄積しつつ、試行錯誤しながら自分の通訳を完成させていけばいい。

それこそが、一流の通訳者への、一番の近道だと思うんです。

# by dantanno | 2017-12-12 12:01 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

超繁忙期は、通訳者にとって超大チャンス

毎年この時期(12月頭ぐらい)、日本の通訳業界は超繁忙期を迎える。
われらがIR業界において大きなイベントがあり、多くの通訳者がそれに駆り出されるためだ。

このイベントに駆り出される通訳者は、もちろん忙しい。
イベントに参加しない通訳者も、多くの通訳者がイベントに行っているのでよそで通訳者が不足し、結果的に忙しくなる。

今週の通訳案件について、IRの、そしてIR以外のいろいろなクライアントから何度
「誰かいませんか??」

と聞かれ、それに対し何度
「すいません、もう誰もいないんですよ〜」

と答えたか分からない。

ーーー

毎年この時期に超繁忙期を迎え、思うことが2つ。

1.なんでピーク時に値上げしないんだろう

旅行業界であれば、GWに値上げするのは当たり前。通訳業界では、毎年この時期が超絶的に忙しくなるのが分かっているのに、なんで値上げしないんだろう。
IRISでは、昨年から部分的に「繁忙期値上げ」を始めています。繁閑にかかわらず、通訳料金のプレミアム化につとめたい、とIRISでは思っていて、その一環です。
来年からはさらに拡大していく予定です。



2.通訳者不足がもたらす「大チャンス」

こっちが本題。

超繁忙期に通訳者が不足すると、興味深い現象がいろいろと起きる。

ーーー

IRのイベントで、誰もが知る超大企業の、しかも社長が登場する大事なIRミーティングに、
「IR通訳ほぼ初めてなんです〜、よろしくお願いします〜」

みたいな通訳者があてがわれたりと、平時であれば考えられない出来事が起きる。

これは、その企業、およびそのミーティングに参加する外国人投資家にとってはある意味悲劇だが、その場にいる駆け出し通訳者にとっては大チャンスである。

ーーー

IRイベントに多くの通訳者が行っているため、IR以外の分野でも大チャンスが頻発する。
平時であれば、いつもその案件を担当しているベテラン通訳者が担当するであろう重要案件(取締役会、海外の大型案件、などなど)が、一見さん通訳者にぐるっと回ってくる。大チャンスである。

こうした大チャンスは、日頃から通訳力を上げるための取り組みを続けている駆け出し通訳者にとって、下克上のいい機会である。

会議参加者、クライアント、あるいは通訳エージェントに
(あれ?この人今回初めてお願いしたけど、意外といいじゃん)

と思わせられれば勝ちである。

特に、日頃その案件を担当しているベテラン通訳者が、もはや惰性で仕事をするだけで進歩を放棄しているタイプの通訳者であれば、今後その案件の担当をひっくり返すのはそう難しくはない。

ーーー

通訳者になりたての頃、チャンスが全然巡ってこなくて焦った時期があった。
自分を証明したい。でも、案件の引き合いが行く先は「いつもその案件を担当している馴染みの通訳者」ばかりで、自分には全然チャンスが回ってこない。一生このままなんじゃないか、一生浮かばれなかったらどうしよう。

今から振り返れば杞憂にすぎないことが分かるが、当時はそう思ったものである。
そうした悶々とした駆け出しの通訳者にとって、超繁忙期は自分を証明し、状況を完全に引っ繰り返すすばらしい機会になるだろう。トランプゲームの大貧民でいうところの「革命」を起こせる。


d0237270_12311657.jpg


超繁忙期は、駆け出しの通訳者にとってはもちろん、我々ベテラン通訳者にとっても実は大チャンスである。

クライアントは、日頃の我々の通訳レベルにもう慣れてしまっている。
(このレベルが当たり前)と思ってしまっている。特別感が薄れている。
そして、馴染みのクライアントほど、我々の通訳に「馴染んで」しまっている

それが、超繁忙期になるとどうなるか。

馴染みのクライアントから依頼が来る。ぜひ担当したいところだが、超繁忙期のため、自分には別件が入ってしまっている。優秀な通訳者はもう軒並み押さえられている。
そこで、平時であれば自分(あるいは優秀な通訳者)が担当するはずのその案件に、一般的な通訳者がピンチヒッターとしてあてがわれる。

その通訳者のパフォーマンスを見た会議参加者やクライアントに
(ああ、**さん(=あなた)はやっぱすごいんだ。あれぐらいが当たり前、と思っちゃいけないんだな、ありがたやありがたや・・・)

と思わせられれば勝ちである。

その後、その案件/そのクライアントとあなたの結びつきはきっと強固になり、料金のプレミアム化(要するに値上げ)などもしやすくなるだろう。

ーーー

超繁忙期に我々通訳者が気にかけるべきは、いかに手帳を埋めるか、ではないと思っている。
超繁忙期なんだから、ある程度の通訳者であれば、ほっといても予定は埋まる。
ポイントは、いかに予定を埋めないかだ。

予定を空けておけば、直前になるとやってくる「大チャンス案件」を引き受けられる余地を残せる。

駆け出しの通訳者であれば、いかに案件を絞り、下克上案件でハチの一撃をかますかを考えるといい。超繁忙期を毎日朝から晩まで案件で埋めてしまうと、せっかくのハチも疲れ果て、ハエに見えてしまう。

一方、ベテランの通訳者にとって超繁忙期は、少しゆっくりと時間を過ごし、日頃自分が担当している常連クライアントをちょっと「泳がせる」いい機会だ。
平時にクライアントを泳がせるとそのままどこかに行ってしまうリスクがあるが(笑)、そこは超繁忙期。どんな通訳者があてがわれているか分からない。
超繁忙期が終わった頃、あなたの良さに再度気付いたクライアントからの連絡が複数来れば、日頃自分がやるべきことをやって来た証明になるだろう。



駆け出しであれ、ベテランであれ、日頃がんばっている通訳者にとって、超繁忙期は大チャンス(逆も然り)。
ぜひ戦略的に取り組んで、キャリアの次元を上げていきたいものです。

# by dantanno | 2017-12-01 12:32 | プレミアム通訳者への道 | Comments(1)

通訳デバイスの進化を受けて

耳に装着すると、周囲の音声が自動で同時通訳されて聞こえるデバイスが発売された。

Googleバージョン

ベンチャー企業バージョン

d0237270_15493030.jpeg


こうしたデバイスの普及により、一部の通訳者が別業界の、(その人にとって)より楽しく、自分らしくかつ生産的に働ける仕事にシフトしていくのはいいことだと思う。

一方で、これらデバイスによる同時通訳のどの辺が良くてどの辺がまだまだなのか、を分析することで、向上心のある通訳者がその通訳レベルをさらに高め、しっかりと生き残っていくのもいいことだと思う。

技術革新は、業界を破壊するのではなく、健全な状態にしてくれるカタリストになると思う。歓迎します。僕も一個買ってみよう。

ちなみに、今読み終えた本。
「働きたくないイタチと言葉がわかるロボット」。ジャケ買い。
サブタイトルは「人工知能から考える「人と言葉」」。


d0237270_11443854.jpg

そこそこおもしろいが、特におすすめするほどでもなし。

これを読んで、(上手な通訳者を越える機械通訳はまだ少し先なのかな、あるいは理論的に無理なのかな?)という安心感を得ることが出来た。
かといって、「上手な通訳者」でなければ淘汰の対象となると思うので、レベルアップが必須だと思った。

# by dantanno | 2017-11-05 15:54 | 通訳 | Comments(0)