アムステルダムに引っ...

アムステルダムに引っ越したら真っ先にほしいと思ってたのがコレ。


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Cargo bikeとか呼ぶそうです。日本語だと籠バイク、といったところでしょうか。


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(ほぼ)毎日、これで子供の送り迎え。子供たちも楽しそう。自転車屋のおばちゃんが「子供4人まで乗せられる」と言っていました。


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これに乗せるとすぐに寝る(笑)。

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# by dantanno | 2019-07-05 21:44 | オランダ生活 | Comments(0)

大人であれ子供であれ

アムステルダムのカフェ。



ちょっとしたプレイエリアがあったり、


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おもちゃとか、

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ボードゲームとか、

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が置いてあったりすることがある。




子供は喜ぶ。


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大人も、おかげで仕事がはかどるのでうれしい。


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興味深いのは、こうした一見子供向けの設備・機能が、実は必ずしも子供向けではないのではないか、という気がする点。

大人もどうぞ、的な雰囲気が流れているんです。

「大人ですか? 子供ですか?」といった、そんな分け隔てをあまりしない国なのかな? という気がします。だから、大人だって遊んでいいし、子供だって、ある程度自己責任で「ちゃんとする」ことが求められる。

実際のところどうなのか、今後解明していきたい。



ちなみに犬もウェルカム(笑)。

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# by dantanno | 2019-07-01 16:06 | オランダ生活 | Comments(0)

新「国民車」待望論

今から20年以上前のことです。


当時大学生だった僕は、運転が大好きで、いつも親父の車を借りて都内を走り回っていました。

かっ飛ばしたりとか、「いいクルマに乗りたい」だとか、そういうことがしたいわけではなく、親父のカローラであてもなく街を走り回る。それだけで、もう楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。




ある日、いつものように都内をブラブラ流していて、ふと、ある疑問が湧きました。




「スピードメーターって、なんで時速180キロまで目盛られているんだろう?」




日本の最高制限速度は、高速道路における「時速100キロ」です。


今でこそ、東名自動車道などの一部の区間で110キロとか120キロとかに最高制限速度が引き上げられていますが、今でも、高速道路のほとんどの区間で、最高制限速度は時速100kmです。そして、僕が大学生だった当時は、すべての高速道路が100㎞制限でした。


つまり、我らが日本において、時速100㎞以上は出してはいけないわけです。それをやったら違法なわけです。それなのに、一体なんでスピードメーターを時速180㎞まで目盛る必要があるのか、疑問を持ちました。




でも、ふと湧いたこの疑問は、湧くのと同じぐらい早く解消しました。


普段から安全運転をし、交通法規を遵守している人であっても、ついつい時速100㎞を超えたスピードが出てしまうことはあります。そんなとき、スピードメーターを確認し、自分が時速100㎞超で走ってしまっていることに気づき、「おっといけない」とスピードを落とす。そういうシチュエーションのためにも、スピードメーターは(最高制限速度である)時速100㎞を上回るところまで目盛られている意味があるんだ、と納得しました。(そう言えば、昔のクルマで、時速100kmを越えて走行すると警告音がキンコンキンコン鳴り続けるものがありましたね。)


はたして最高制限速度の2倍近くの「時速180㎞」まで目盛る必要があるかどうかは置いておいて、とりあえず「スピードメーターが時速100km超まで目盛られていること」については納得しました。




しかし。

この疑問が解消したあとすぐに、次の、より本質的な疑問が湧き起こってきました。




「そもそも、なんでクルマってそんなにスピードが出るように作られてるの?」

という疑問です。




この日本で、出してOKな最高制限速度が時速100㎞なんだとしたら、いったいなぜ、日本を走っているほぼすべての車が、それをかなり大きく上回るスピードで走れるよう、作られているんだろう。


ここで注意が必要なのは、スピードメーターが時速180㎞まで目盛られているからといって、実際に時速180㎞出るとは限らない、ということです。でも、時速150㎞とか、160㎞とか、「ついうっかり」では説明できないような、そんなものすごいスピードが出るようには作られている。そういう無茶なスピードで首都高をかっ飛ばすクルマに遭遇し、恐い思いをしたことは何度もあります。そして、輸入車であれば、時速200㎞を大きく上回る速度で走れるモデルが、日本のあちらこちらを走り回っている。




【言葉の定義】

話を進める前に、ここでちょっと、当ブログ記事におけることばの定義をしておきます。


「最高制限速度」

日本で出してOKな最高速度、つまり、高速道路の多くの区間における「時速100km」を指すことにします。

(実際には、その後高速道路の一部区間で時速110km120kmに引き上げられたし、あと逆に高速道路であっても60kmとか80km制限の箇所もありますが、高速道路はおおむね最高制限速度100kmです。)


ちなみに、最高制限速度は本当に時速100kmでいいのか、(一部区間だけでなく多くの区間で)100km超に引き上げてもいいのではないか、という点については後半で触れます。


「暴走」

制限速度を大きく超過した速度での違法走行。

「暴走」には、

  1. 高速道路での暴走(時速100km超で走行すること)と、
  2. 一般道での暴走(例えば制限速度30kmの道路を時速50kmで走行すること)

の2つがあります。


このブログの前半では、主に高速道路での暴走(つまり、時速100km超での走行)を取り上げます。


「暴走可能車」

高速道路での「暴走」ができてしまうクルマ。最高制限速度である時速100kmを大きく超過して走行できてしまうクルマ。人命を脅かす違法行為が容易に出来てしまうよう製造され、販売されたクルマ。つまり、今日本を走っているほぼ全てのクルマ。




僕が当時感じた疑問を整理・分解すると、大きく3つに分けられます:


1.自動車メーカーに対する疑問

自動車メーカーは、みな口々に「安全・安心」と言っている。各社のウェブサイトを見てみれば一目瞭然です。実際、各社本気で「交通事故を減らしたい、無くしたい」、そう思っているんだと思います。

だとしたらですよ、、、

一体なんで暴走可能車を日々製造・販売し続けているのか。


2.国に対する疑問

国(警察?国土交通省?経済産業省?)は、なんでメーカーのそれを許しているのか。なんでメーカーに対して怒ったり(笑)、指導したり、取り締まったりしないのか。なんで「暴走可能車を作ってはいけません」と言わないのか。なんで「時速100km(あるいはそれをちょっと越える程度)までしかスピードが出ないような、そんな安全なクルマを作りなさい」って言わないのか。


3.我々国民に対する疑問

交通安全は、(当たり前ですが)命にかかわる問題です。毎年多くの人が交通事故で亡くなっていますし、そのうちの一定割合は、自動車の暴走、つまり制限速度を大きく超過した速度での走行による死者です。それなのに、我々国民は、なぜ暴走可能車を製造・販売し続けるメーカーに対して怒らないのか。なぜそれを国が許し続けることを憤らないのか。自分の大切な人を暴走するクルマによって亡くすまで、この問題に気付かないのか。




センスのかけらもない図で恐縮ですが、、、僕が当時感じ、今でも感じている疑問を図解すると、こうなります:



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この3つの「なぜ?」という疑問を総称し、以下、「なぜ暴走可能車??」と呼ぶことにします。




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「なぜ暴走可能車??」は、多少表現を変えると、

「なぜ暴走可能車が存在するんだろう?」でもあるし、

「なぜ暴走可能車を無くせないんだろう?」でもあります。


そして、「なぜ暴走可能車??」は、図にある通り、自動車メーカーと、国と、そして我々国民の、計3者に向けられています。






<福岡海の中道大橋飲酒運転事故>

みなさんは、「福岡海の中道大橋飲酒運転事故」を覚えているでしょうか。

当時、かなりの話題を呼びました。


Wikipedia 「福岡海の中道大橋飲酒運転事故」



2006年8月25日に福岡市東区の海の中道大橋で、市内在住の会社員の乗用車が、飲酒運転をしていた男(当時22歳)の乗用車に追突され博多湾に転落し、会社員の車に同乗していた幼い子供3人が死亡した、痛ましい事故です。


僕が、車による「暴走」、そして暴走可能車という問題に強く興味を持ち、「なぜ暴走可能車??」というテーマについて真剣に考えるようになったきっかけが、この事故でした。それまでは漠然と(なんで暴走可能車が許されるんだろうなぁ)と不思議に思っていただけでしたが、この事故を契機に疑問が深まり、そして憤りにつながりました。


この事故で、世の批判の矛先は「飲酒運転」に向かいました。そしてその結果、飲酒運転に対する罰則が強化されるという、エポックメーキングな事故(事件)となりました。


しかし僕の関心は、「飲酒」よりも「暴走」、つまり制限速度を大幅に超過した速度での走行、そちらに向きました。事故当時、犯人の男性は、一般道にもかかわらず時速100kmというすごいスピードを出していました。


こうした事故について、たら・ればの話をしてもしょうがありませんが、もし加害者である運転手が酒に酔っていなければ、おそらく避けられたであろう事故でしょう。そしてまた、もしその運転手が暴走していなければ、、、つまり、法定速度内で走行していれば、シラフであった場合と同じく、防げたかもしれない事故です。つまり、あの痛ましい事故が起きてしまった背景には、「飲酒」と「暴走」、2つの原因があると思うんです。そして、「飲酒」の方を問題にするのであれば、「暴走」についても問題にすべきだと思うんです。


この痛ましい事故が起きた場所は、(高速道ではなく)一般道です。だから、僕がここまで論じてきた「高速道路における暴走(時速100km超での走行)」と直接は関係無い。でも、「法定制限速度を大幅に超過した速度での走行中に起きた事故」という意味ではダイレクトに関係があります。




<暴走可能車を無くすための方策>

「なぜ暴走可能車??」を考えるに際し、まずは、どうすれば暴走可能車を無くせるか、を考えてみます。暴走可能車を無くそうと思った場合、どういった方策が考えられるか。




一般道において、全てのドライバーに制限速度を遵守させるのはなかなか難しい。例えば制限速度30㎞の一般道を、時速50㎞で走らないようにさせるのは、なかなかハードルが高い。


でも、高速道路ではどうか?


高速道路において、(最高制限速度である)時速100㎞を超えて走らないようにするのは、比較的容易に出来るのではないか、と昔から思うんです。なぜそれをしないんだろう、なぜ出来ないんだろう、と、20年以上にわたり、ずっと考えてきました。


暴走可能車の問題は、一般道においてはともかく、少なくとも高速道路においては、そのうち、きっと解決するだろう、と思って来ました。こんなに大事な問題なんだから、きっと自動車メーカーやJH(道路公団)や国がそのうちなんとかするんだろう、と思っていましたが、驚くべきことに、20年以上経過しても、まったく手つかずのままです(苦笑)。




<高速道路での暴走を防ぐ方法>

では、高速道路における、最高制限速度である時速100kmを越えた速度での走行(つまり暴走)を防ぐには、一体どういった方策が考えられるでしょうか?


運用面(ソフト面)からのアプローチと、ハード面からのアプローチ、両方ありうると思います。


  1. 運用面(ソフト面):  「暴走したい」というインセンティブを無くす
  2. ハード面:      「暴走したい」と仮に思っても、暴走出来なくする




<暴走可能車を防ぐための方策: ①運用面(ソフト面)>

すぐに思い付くのは、ETCを用いた取り締まり

ETCのシステムは、そのクルマがいつ、どこのインターを乗り降りしたか、のデータを記録・蓄積しています。また、いつ、どの料金所を通過したか、についてもデータがあります。道路公団(JH)は、そのデータに基づいて、距離別の料金を算出したり、時間帯割引などを行っています。


あるクルマが、地点Aから高速道路に乗り、100km離れた地点Bで高速を降りたとします。

高速に乗った時刻と降りた時刻がシステムに記録されます。

仮に午前9時に高速に乗り、930に高速を降りたとなると、、、そう、速度が速すぎる、ということになります。地点Aから100kmも離れた地点Bにたった30分でたどり着くためには、平均時速200kmで走行しないといけないわけで、「暴走」をしたことが自動的に分かります。


上記例は、乗降箇所(2箇所)のETCセンサーだけを使った例ですが、ETCのセンサーは、インターや料金所はもちろん、高速道路の至る所に設置出来ます。そうすることにより、よりきめ細かな(?)平均速度計測が可能になります。


実際、こうした「平均速度を算出することによる速度違反取り締まり」は、イギリスなど、複数の先進国で既に実現しています。でも、我らが日本ではまだ実現していません。これをやれば、覆面パトカーによる(ある意味命がけの)取り締まりも、明日から不要になります。


なんでETCを使った速度取り締まりをしないんですかね(笑)?本当に謎です。分かりません。


それに向けた大事な第一歩は、高速道路での現金使用を不可にし、ETCの利用を必須とすることです。そうしないと、平均速度に基づく取り締まりは、ETCを使うドライバー(つまり、ほとんどのドライバー)にとって不利になってしまいますから。なぜJHは未だに現金での高速利用を許しているんでしょう。それを無くせば、ETCによる速度取り締まりが可能になるだけでなく、今はみんながそれを余儀なくされている、料金所通過後の「ETCレーン利用車」と「現金レーン利用車」間の合流(これ、結構危ない)も不要になり、高速道路の安全性・快適性がさらに高まると思います。JHのみなさん、ぜひご検討いただけないでしょうか。




<暴走可能車を防ぐための方策: ②ハード面>

高速道路での暴走を防ぐ方策について、まずは運用面(ソフト面)から考えました。ETCを使えばすぐです。

では次に、ハード面について考えます。これは要するに「クルマそのものについて」の話になります。




クルマは、最高制限速度を大幅に超過した速度で走行できるように作られているわけですが(=暴走可能車)、そもそもそれはなぜか。例えばですけど、自動車メーカーが、時速100kmしか出ないようにクルマを作れば、高速道路での暴走はゼロになり、時速100km超での暴走による死者もゼロになります。なぜそれをしないのか、あるいは、なぜそれが出来ないのか。


国と、そして我々国民がなぜ自動車メーカーによる暴走可能車の製造・販売を許すのか、というのも疑問+憤りの対象なんですが、一番の大元は、そう、自動車メーカーです。そもそも自動車メーカーが暴走可能車を作るのをやめて、最高制限速度(例えば時速100km)までしか出ないようなクルマを作りさえすれば、僕の「なぜ暴走可能車??」は全て、連鎖的に解決するわけです。




言葉の定義

「適正速度車」

最高制限速度(例えば時速100km)までしか出ないように作られたクルマ。暴走可能車の対義語。日本には、絶滅危惧種並みに、ほとんど存在しない。




「自動車メーカーは、なぜ暴走可能車ではなく適正速度車を製造・販売しないのか」という疑問について、いくつかのアプローチで考え、調べてみました:


  1. 自分(僕)の頭で考える
  2. ネットで検索して調べる
  3. 自動車メーカーの人に聞いてみる




<自分の頭で考えた結果、浮かび上がった理由>

まずは自分の頭で考えてみました。いくつかの理由が思い浮かびます。


・(適正速度車を作るのは、暴走可能車を作るのと比べ)技術的に難しいから

・コストがかかるから(今のクルマに、例えばリミッターなど、出せる速度を抑える機能を新たに取り付けるとなると、追加コストがかかる)

・将来、そのクルマが日本から海外に輸出される可能性があるから(例えば日本からドイツに引っ越す人がいて、時速100kmしか出ない適正速度車をドイツに持って行こうと思った場合、(速度無制限の)アウトバーンを時速100kmで走らないといけなくなり、かわいそうだから)

・日本の最高制限速度が将来引き上げられる可能性を想定しているから

・暴走が出来ないように作られたクルマは(消費者からの支持が得られず)売れないから

・"Fun to drive"が大事だから


とりあえず思い浮かんだのはこれぐらいです。




<ネットで検索して見つかった理由(上記以外)>

次に、ネットで検索して調べてみました。自分の頭で考えて思い付いた上記理由以外だと、例えば以下のようなものがありました:


時速100kmしか出ないと、時速100kmで走行しているクルマを追い越せないから。

(いや、、、だから、、、最高制限速度は100kmなので、それを超えた速度は出してはいけないんですけど。。。)

・日本の高速道路上で、一番傾斜がキツい坂道を登る際にちょうど時速100km程度で走行できるよう、ある程度の余裕を持って作られているから。

(・・・・・。)




<自動車メーカーの人に聞いてみた結果、得られた理由>

自動車メーカーは、みな口々に「安全、安心、セーフティ」と言っている。でも、その一方で暴走可能車を日々量産し続けている。これって、ある意味矛盾してますよね。なので、一社ぐらい、なぜそういう矛盾した状態になっているのか、についての説明書きをウェブサイトに載せていたりはしないか、と思ってあちこち探してみましたが、見つかりませんでした。まあそりゃそうか(笑)。


お客様相談センターに電話をして、「なぜ暴走可能車を製造・販売するんですか」と聞いてみようと、何度も何度も思いましたが、そんなことを言っても、ただのクレーマーとしてあしらわれるに決まっています。「貴重なご意見、ありがたく承りました」と言われてかわされるのがオチです。結局、勇気が無くて電話出来ていません。


そこで思い付いたのが、僕の仕事であるIR通訳の出張で自動車メーカーの方々とご一緒した際に、思い切って聞いてみる、という手段。で、実際にそれをやってみました、ロンドンで。

で、その結果得られた回答が、

「それは考えたこと無かったなぁ(笑)。おもしろい視点だなぁ。」

でした。




僕が自分の頭で考えたり、ネットで検索したり、自動車メーカーの人に聞いてみたりして集めた「理由」は以上です。これ以外にも、なぜ暴走可能車を製造・販売するのか、という問いに対する「理由」はあるかもしれません。




<「理由」になっているか>

一瞬話がそれますが、以下のシーンを想像してみてください:


ママ 「太郎ちゃん、おもちゃ投げちゃダメでしょ! なんで投げるの?」

太郎 「投げたいから」




「なぜ○○?」という、理由を問う問いに対し、「□□だから」という回答があったとき。

その回答は、確かに文法的には間違っていません。そして、「なぜ~?」という質問形式に対し、ちゃんと「~だから」という、正しい形式で回答しています。

文法的に間違っておらず、形式も正しいわけですが、では質問者はそれで納得していいのでしょうか。上記例で言えば、ママは「なるほど、投げたいから投げるのね、よく分かったわ」と引き下がっていいのでしょうか。


よくないですよね。

なんでよくないのか。

太郎の回答が「理由になっていないから」です。もっと言うと、「もっともな理由になっていないから」、だから引き下がってはいけないんです。ママは「そんなの理由になってないでしょ!」と言わなくてはいけないわけです。


英語では、「もっともな理由」は”Good reason”と言います。そして、「そんなの理由になっていない!」は”Thats not a good reason!”と言います。




これが、どうでもいい問題であれば、別に「理由になっていない」からといって、目くじらを立てなくたっていいわけです。

「あなたはなぜそんなにナポリタンが好きなのか?」「昔から好きだから(笑)」は、別にいいわけです、流しても。回答がもっともな理由になってなくてもいいんです。どうでもいいから。重要性が低いから。


でも、交通安全に関する問題は、それでは許されないと思うんです。




「なぜ暴走可能車を製造・販売するのか、なぜ安全なクルマを作れないのか?」という質問をし、何らかの回答が返って来たとします。その回答がはたして「理由になっているかどうか」を判定する一つのいい試金石は、暴走するクルマによって大切な人を亡くした遺族に対し、その「理由」を堂々と回答できるかどうか、ではないでしょうか。


遺族の「なぜ暴走可能車を製造・販売するんですか!」という悲痛な問いに対し、


「暴走が出来ないように作られたクルマは売れないから」

とか、

「時速100kmしか出ないと、時速100kmで走行しているクルマを追い越せないから」

とか、ましてや

「日本の高速道路上で、一番傾斜がキツい坂道をちょうど時速100km程度で走行できるよう、ある程度の余裕を持って作られているから」

とか、挙げ句の果てには、

「それは考えたこと無かったなぁ(笑)。おもしろい視点だなぁ。」

って言えますか?という話です。


「理由になっていない理由」を掲げるのもいけないし、「理由になっていない理由」を聞かされて納得してしまう(あるいは、納得しないまでも、あっさりと引き下がってしまう)のもいけません。




僕の知る限り、

  1. 自動車メーカーが暴走可能車を日々製造・販売し続けること、
  2. 国がそれ(上記1.)を許すこと
  3. 我々国民がそれ(上記1.と2.)を許すこと

に、「もっともな理由(Good reason)」なんてありません。

「理由」はあっても、「もっともな理由」は、きっと無いんだと思います。

だとしたら、この問題はなんとかしないといけないし、そして、なんとか出来るんだと思います。だって、出来ない「もっともな」理由が無いんだから。


技術的に難しい? 難しいのかもしれませんが、日本の自動車メーカーが克服出来ないわけがないでしょう。

コストがかかる? かかるのかもしれませんが、一方で人命もかかっています、この問題には。

"Fun to drive"が大事? →確かに大事ですが、Fun to driveって「違法な速度で暴走」しないと味わえないことではないですよね。適正速度車で味わえないのであれば、それはFun to driveなどではない。

将来、最高制限速度が引き上げられるかもしれない? だったら、今引き上げの是非の議論をして、引き上げるなら引き上げて、その「新」最高制限速度しか出ない、あるいはそれ+10kmしか出ないような「適正速度車」を作りませんか。




<「悪いのは(暴走が出来てしまう)クルマではなく、暴走をする人間だ」>

銃社会アメリカで、銃愛好家によってよく使われる、「悪いのは道具(銃)ではなく、その道具を使う人である」という、一見もっともな理屈があります。

銃だと話が少しややこしくなるかもしれないので、ここでは「はさみ」を使って考えてみます。


はさみを凶器とした事件が起きた場合、世の批判の矛先は、はさみメーカーには向かいません。それは、はさみが便利な道具であり、通常の使い方をしている分には誰にも危害を加えないからです。「悪いのは道具(はさみ)ではなく、それを凶器として使った人間」という理屈の通りです。


この理屈は、一見(はさみ同様、便利な道具である)クルマにもあてはまりそうな気がします。

でも、大きく異なるのは、はさみの場合、はさみメーカーはそれを製造・販売することは出来ても、販売後のはさみの利用方法まではメーカーがコントロール出来ない、という点です。はさみが安全な方法でのみ使用され、危険な方法(凶器として、等)では使えないようにすることは、はさみメーカーは出来ません。


でも、クルマの場合は(ある程度は)それが出来ます。暴走可能車ではなく、時速100km以内でしか走行できない「適正速度車」を作ることにより、時速100km超での「使用」を完全に防ぐことが出来るわけです。でも、メーカーはそれをしていない。この点こそが、クルマがはさみ等、他の道具と大きく異なる点です。




産婦人科の、生まれたての赤ちゃんが大勢寝ている新生児室をイメージしてください。その中央に喫煙スペースを設けたとします。灰皿はもちろん、ご丁寧に、タバコの自販機と、ライターもいくつか置いたとしましょう。新生児室の真ん中に、です。


そこで、誰かがタバコを吸いました。赤ちゃんたちがゲホゲホ苦しそうにしています。「そんなところでタバコを吸うなんてけしからん!」と誰もが思うでしょうが、それ以上に「っていうか、そんなところに喫煙スペースを設けるなんてけしからん!!」という話になりますよね、きっと。


でも、銃とかクルマの場合はなかなかそうならない。問われるのはあくまでも利用者のモラルであって、メーカーや国のモラルは問われない。これはおかしいと思うんです。




<実は「なんとなく」>

「なぜ暴走可能車??」という問いに対し、恐らく、「もっともな理由」は無い。つまり、実は「なんとなく」だと思うんです。


なぜ自動車メーカーは(適正速度車ではなく)暴走可能車を作るのか?  なんとなく

なぜ国はそれを許すのか?  なんとなく

なぜ我々国民は自動車メーカーや国に対して怒らないのか?  なんとなく


言うまでも無いことですが、暴走可能車は「なんとなく」製造・販売していいものではない。そして、国や我々国民も、それを「なんとなく」許してはいけない種類のものです。




<速度制限に対する不信感>

ほぼすべてのクルマが(最高制限速度である)時速100kmを越えた速度で走行できるよう、製造されている。そして、高速道路を走ってみれば一目瞭然ですが、実際、多くのドライバーが(クルマの性能を活かし(?))時速100km超で暴走、すなわち違法走行している。これは、考えようによっては異常な事態です。

自動車メーカーは、かたや「安全」とか「セーフティ」というスローガンをとなえながら、一方でこのような暴走可能車を日々量産し続けている。これも異常事態。

警察はどうか。制限速度100kmの箇所でも、110kmとか、120kmとかまでであったらお目こぼししてくれる、というのがなんとなく世の常識としてあります。本当にそうなのかどうかは分かりませんが。これも、考えてみるとヘンな(異常な)話ですよね。厳密に言うと、最高制限速度は時速100kmなのだとしたら、それを少しでも越えたら違法だし、それを捕まえるのが警察の役割、ということになります。それを1割増し、2割増しで走行しても捕まらないのだとしたら、これも異常事態だと言える。




なぜこのような異常事態がいたるところで発生しているのか。

その「根」は何か。

なぜ暴走可能車のような人命に関わる大事な問題が「なんとなく」放置・許容されているのか。


僕は、その根底には、速度制限というものに対する不信感があるのではないか、と思っています。




「昨日、ちかんしちゃってさ(笑)」

と言えば、周囲の人たちはギョッとするでしょう。その人は社会からつまはじきにされるでしょう。

でも、「昨日、高速道路を時速110kmで走っちゃってさ(笑)」と言えば、「だからどうしたの?」とか、「別にいいんじゃん?」とか、「ハハハ、気を付けろよ(笑)」といったライトな反応が返ってきそうです。飲酒運転を許すと飲酒運転幇助の罪に問われるのに、暴走を許してもおとがめ無しです。


クルマを運転する人であれば、その多くが、暴走をした経験があるでしょう、きっと。高速道路を時速110kmで走ったり、制限速度30kmの道を時速40kmで走ったことがあるでしょう。あなたも、僕も、きっと暴走経験者。


では、暴走という違法行為をしたことのあるあなたが、果たして悪い人かどうか。異常な人かどうか。

いえ、あなたはきっとマトモな人で、人命は大事だと思っているし、(その人命に直接関わる)交通ルールは、(基本的には)ちゃんと守るべきものだと思っていることでしょう。

そんなマトモなあなたが、なぜ「暴走」という違法行為を、それほど罪悪感を感じずにやってのけてしまうのか?それはやはり、速度規制に対する不信感があるから。




<ルールに対する不信感>

とてもマトモで、基本的にはルールをちゃんと守る人がいるとします。日本人の多くはそういう人たちでしょう。そんなマトモな人でも、ルールを守らないときがある。

ついうっかり、というケースはこの際除きましょう。ついうっかりではなく、マトモな人が「意図的に」ルールを破るのはどういうときか。それは、その人がそのルールを「おかしい」と思っているときです。ルールに対する不信感があるときです。


飛行機の機内で、「スマホはずっと機内モードにしておいてください、Bluetoothもダメです」は、ほとんどの人に守られていないルールでしょう。実際に飛行機の運航に支障をきたし、危険なのかもしれませんが、だとしたら、その情報は正しく乗客に伝わっていない。多くの人はこのルールを「信じ」ておらず、それに対し不信感を持っている。だから、別に悪い人でもないのに、ルールを破る。


速度制限というものに対しても、強い不信感があると思います。

そして、恐ろしいことに、その不信感は、それを取り締まる当の警察サイドも持っていると思います。だから、多少制限速度をオーバーしたぐらいでは取り締まらず、お目こぼしをしているわけです。自分たちも制限速度がおかしいと思っているから。


あくまでも僕の個人的なイメージですが、日本の制限速度って、


公安委員会(?)だかなんだかの、エライおじいちゃんたちが、

霞ヶ関?永田町?あたりの密室で、

「とにかく安全に。とにかく自分たちの責任を問われないように」ということで、

超低めに設定したもの、


というイメージです。


そして、その速度制限が「ずっと、何十年もの間見直されていない」というのも、不信感にさらに拍車をかける。その何十年もの間、道路事情やクルマの性能は何割も向上しているのに、速度制限はそれに追いついてきていない。時代に合っていない。実態に合っていない。




<現在の速度制限の問題点>

大きく2つあります:


・結果の問題

コンサバすぎる(低すぎる) 

時代に合っていない。実態に合っていない。


・決まり方(決められ方)の問題

民意、ユーザーの意見が反映されていない


だからみんな守らないし、警察もお目こぼしすることになる。


速度制限というのは確かに難しい問題です。

低くすればいい、というものでもありません。非常に低くすれば、その分安全になり、事故・事故死者は減るでしょうが、経済活動に支障が出ます。

一方、高くすれば、その分危険度が高まります。


自動車をよく運転する人もいるし、まったくのペーパードライバーの人もいます。

生まれつきスピードを出すのが好きな人もいるし、一方でとても慎重でゆっくり運転したい人もいます。


難しい問題だし、正解はありませんが、いずれにせよ、もっと納得感のある速度規制を導入する必要があります。




どんな速度制限の仕組みを導入しても、世のほとんどの人はそれに対し多少なりとも不満を持つことになります。

  • 高速道路のこの地点では時速○○○km
  • 高速道路の別の地点では時速○○km
  • 一般道のこの地点では時速○○km
  • 一般道の別の地点では時速○○km

と、無数に決めて行く必要があるわけですが、その全てに完全に納得する人はいないでしょう。そして、全く同じ人物であっても、自分がドライバーのとき VS 歩行者のときでは意見が違うでしょうし、急いでいるとき VS 休日にのんびりしているとき、とではまた意見が違うでしょう。




<納得感の持たせ方>

誰しもが必ずある程度の不満を持つことは避けられませんが、やはり、より多くの人がその結果に納得し、その結果をすすんで受け入れるよう、納得感のある決め方をしないといけません。


エライおじいちゃんたちではなく、「フツーの人たち」が議論して決めるのもいいでしょう。

国民投票で決める?のもいいかもしれません。


答えは無いし、なかなか難しい問題ですが、少なくとも今の決め方よりもいい決め方はあるでしょう、きっと。(ちなみに、密室でおじいちゃんたちが決めている、というのも、僕の単なる思い込みにすぎません。実際には何か別の方法で決まっているのかもしれませんが、それが「分からない」、我々国民に「知らされていない」ということもまた問題です。)



<結論>

  1. 納得感のある速度規制にした上で、
  2. 日本で製造・販売されるクルマは、基本、適正速度車にする(緊急走行をする車両を除いては)。「新」最高制限速度が時速130kmなんだとしたら、時速130kmまでしか出ないようなクルマを作る。


ちなみに、今後、自動運転車が普及していくという流れを考えると、「適正速度車」という考え方はさらに重要性を増すと思います。時速200kmまで出せるように作られている自動運転車は、何かシステムの異常があったときを考えると、ちょっと恐い。


上記2.に強硬に反対する人もいるでしょう。「適正速度車なんてとんでもない!」と。でも、よく考えてみると、納得感のある速度規制を決めた上で、それを遵守するクルマを作ろう、と実にマトモなことを言っているわけで、それに強硬に反対するということはいったいどういうことか、という話になる(日本が、国の重要な戦略として少子高齢化への対策を取り、待機児童を減らす、と言っているのに、自分の家の近くでの保育園建設に反対する高齢者と似ている)。




<やりきれなさ(笑)>

さて、前のセクションで、

  1. 納得感のある速度規制にした上で
  2. 日本で製造・販売されるクルマを適正速度車にする、

という案を提示しました。


1.も2.も、どちらも非常にチャレンジングであることは承知の上です。でも、これを実現すれば暴走するクルマによる事故は減る(っていうか、無くなる?)。


しかし、ある種のやりきれなさは残ります。

それは、「一般道はどうするか」という問題が残るからです。




例えば、納得感のある速度規制はどれくらいか、という点について国民的な議論をした結果、高速道路の一部区間では時速130km、その他の区間では時速115km、そして危険な箇所については時速80km等、フレキシブルに設定しよう、とりあえず5年間はそれで行ってみて、また考えよう、ということになったとします。

そして、その上で、日本のクルマ全てが、日本の新しい最高制限速度である時速130kmまでしか出ない「適正速度車」に置き換わったとします。

これにより、高速道路での「暴走」は無くせる。時速130km超で走れるクルマが無くなるから。




でも、一般道での「暴走」の問題はまだ残る。


制限速度30kmの一般道を時速50kmで走ったり、制限速度50kmの一般道を時速100kmで走ってしまう、そういった一般道での暴走については、上記2つの施策はまったく効果が無い。




ーーー




そんなやりきれなさを感じながら、ある日僕は博多をドライブしていました。

家族と福岡旅行に来て、その2日目に、博多のベイエリア(って言うんですかね。港の周辺です)をクルマで走っていました。


話が出来すぎだ、と感じる読者もいるかもしれませんが、以下、本当の話です。


博多のベイエリアを走っていて、(ああ、ちょうどこの辺って、例のあの事故があったあたりかなぁ・・・)などとぼんやり考えていたその時。

レンタカーのナビが、

「速度超過を検知しました。安全運転を心がけてください」

と言ってきたのです。




いろんな意味でドキッとしました。


正確な数字は覚えていませんが、例えばその道が制限速度50kmの道だったとして、それを少し上回るスピードで運転していたんでしょう。


ナビは、僕が今どこを、どれぐらいの速度で運転しているか、が当然分かっていて、なおかつ、そのクルマについていたナビにはその道の制限速度(時速50km)の情報も入っているんでしょう。だから、「このクルマは今速度超過である」ことが自動的にわかり、速度を落とすよう、ドライバーである僕に警告してくれたんでしょう。




速度を下げながら、僕は、「あれ?あれれれ???」と思い始めていました。


賢明な読者のみなさんは既にお気づきかと思いますが、、、、、、

そうです、これを使えば一般道での暴走を無くせるじゃないですか!!


僕の、この博多でのドライブのケースでは、単に「警告」で済みましたが、

この情報を警察につなげ、ただの警告ではなく「違反」として摘発?・検挙?すればいい。



ーーー




高速道路においては、まずETCを使った速度取り締まりを導入することによって、すぐに暴走をほぼゼロに出来る。

そして、更なる安全向上策として、

  1. 納得感のある速度規制を導入した上で、
  2. クルマを「適正速度車」に置き換える、という案を考えてきました。


(もっとも、ETCによる速度取り締まりを導入した時点で、高速道路での暴走の問題はほぼすべて解決するわけで、適正速度車にする必要なんて無いんですけどね。でもJHの腰が重いうちは、このように他の方法を考えるしかない)




でも、これはあくまでも高速道路での話であって、一般道については何の効果も無い。

(まあ、一般道にも至るところにETCのセンサーを設置して、各区間の平均速度を計測すればいい話ですけどね。はあ、なんでやらないんだろ。。)


そんなやりきれなさを感じていたわけですが、どうでしょう、ナビ情報を使えば、あらゆるクルマがいまどこで速度違反をしているか、がすべて分かってしまい、自動的に捕まえることが出来るではありませんか。


「適正速度車」みたいにクルマをあれこれいじる必要なんて最初から無くて、ETCを使う必要も無くて(だから当然道路公団(JH)の協力も不要)、要はナビを使えば全ての速度違反を一気に取り締まれてしまう。

(ちなみに罰金の精算にはETCが便利ですね。)




これは、考えてみればあまりにも当たり前の話で、この問題についてずっと考え続けて来たのにもかかわらず、この方策を思い付かなかったことは実に恥ずかしいわけですが、すばらしく、かつ当然の解決策です。


で、なんで警察はこれをやらないんでしょうね。

これは結構恐ろしい話ですが、僕が思うに、警察は、本気で速度違反を取り締まろう、などとは思っていないと思います。だって、もし本気で思っていたら、少なくとも高速道路についてはすぐに(ETCを使って)出来てしまうし、一般道でも、ナビの位置情報システムを使えば速度違反を(ほぼ)ゼロに出来る。でもそれをやっていない、ということは、もしかしたらそもそもやる気が無いのかもしれません。警察が「交通安全」と言っているのを耳にするたびに、僕はなんだか白々しい気持ちになります。


これは自動車メーカーについても言えます。

本当に交通事故死者数をゼロにしたい?だとしたら、(他社がどうしようが)自社は適正速度車を作ればいいいではないか。国やJHに対し、ETCやナビを使った速度コントロールについて、公開提言書を出せばいいではないか。本気で思っているのに、なぜそれをしないのか。




<終わりに: 新「国民車」待望論>

国民車、ということばがあります。

国が主導し、世の多くの人たち(大衆)のために開発されるクルマ、といった意味です。


Wikipedia 「国民車」


トヨタのサイト 「国民車構想」


日本でも国民車構想はありました。

上記トヨタのサイトによれば、当時国(通産省)が出した指示は「最高時速100km以上」だったそうです。いや、、、だから、、、時速100kmはいいけど、それを越えるのは違法なんですが。。。そもそも国がこういうことを言っているから根深いですね。




国民車(A peoples car): 値段が安くて、実用的な、国産の(小型)自動車


といった定義のようですが、僕はそこに、「安全な」とか「法に則った」という文言も入れたい。




今からでも遅くはありません。かなり遅いですが、遅すぎる、ということはありません。

国民が納得感を持って守れるような、新たな速度規制に切り換えて、

その「新」速度規制を大きく超過して走行できないような「適正速度車」を、新たな国民車として導入してはどうか。

いや、それは難しすぎる、というのであれば、せめて、今すぐにでも始められる、高速道路でのETCを使った速度取り締まり。そして、その次のステップとして、ナビ情報と連動した、一般道での速度取り締まり。


来年の東京オリンピックはとてもいい機会です。

日本を訪れる多くの外国人が、速度違反の(ほとんど)無い日本を目にしたら、とても驚くでしょう。

日本が世界に対し範を示すすばらしい機会です。


国民のための

国民の安全を守る

国民に愛される

国民が誇りに思える


そんな、安全な「新」国民車を、ハードの面から、あるいはソフト(運用)の面から、創れたらどんなにすばらしいか、と思います。

そんなクルマをモデル・ラインアップに加える自動車メーカーが、たったの1社でもいたらとてもかっこいいし、国や警察がETC・ナビ情報を使った速度コントロールに乗り出してくれれば、それこそが真の正義の味方だと思います。国民の「安心・安全」を守ることに本気なのであれば、ぜひご一考を!!


(完)


# by dantanno | 2019-06-24 18:46 | 提言・発明 | Comments(0)
先月、オランダに引っ越しました。

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奥さんと、3人の子供(5歳、3歳、0歳)と一緒に。

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これからは、オランダでの生活についても書いていきます。


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# by dantanno | 2019-06-18 17:46 | プライベート | Comments(0)

パンツ

自分のパンツだと思って、出張に持って来たら、、、

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なんと、、

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娘のズボン。

# by dantanno | 2019-06-03 02:40 | プライベート | Comments(0)

GW中のAmazon

連休中、いろいろとモノを買う必要があり、ネットを物色。

日本の小売業界がAmazonの1強にならないよう、普段モノを買うとき、なるべくAmazonだけでなく、他の(日本の)ネット通販会社もバランスよく活用するという、涙ぐましくも不毛な努力を一消費者として続けています。

今回も、まずはAmazon以外であれこれモノを物色。
そして、「よし、これにしよう!」と思うものを見つけ、注文画面に進み、「納期」を確認すると、、、

「ま、GW明けにでもゆっくり考えますわ」

的な、実にのんびりしたことを言っている。(正確には、「注文の受付はゴールデンウィーク明けになります。出荷はそのさらに後になります。お手元にいつ届くかは未定です」みたいなことを言っている。)

一方、Amazonで同じモノを検索すると、「明日届けます」と息巻いている。



ーーー



大きく勝つ者は、他の者たちがみないっせいにある方向を見て、同じことを考えているときに、それとは別の方向を見、別のことを考え、そして地道な努力を続けている。


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AmazonがGW中も翌日配送をしている間、日本の業者の人たちはどこで何をやっているのか?
彼ら・彼女らは、東名高速の50キロの渋滞の中にいる。人でごった返す観光地にいる。満室で、もう予約が取れない宿泊施設にいる(あるいは、そこの予約を取ろうとPCの前で頑張っている)。

その間、我が家にはAmazonのダンボール箱が続々と積み上がる。



なんだか、いろんなことを考え直すべき時期に来ているような気もします。

# by dantanno | 2019-04-29 06:00 | Comments(0)
恐れていたことが、実現しつつある。。。


 


脳波から、その人が「言いたいこと」を読み取り、それをことばにして発する技術。



脳などの損傷により、意識があるにもかかわらず思っていることを口に出して話せない、という症状・状況に悩んでいる人にとってはすごい朗報だろうし、ぜひ実現してほしい技術。

でも、我々通訳者にとっては大問題(笑)。



ーーー



通訳者にとって、自動通訳・機械通訳は大きな脅威になりつつある。

日本の通訳者の中には、こう思っている人もいるかもしれない:

「自動通訳技術の進歩は、確かに気になる。でも、最初にその影響を受けるのは、英語・フランス語間とか、似通った言語間の通訳だろう。
一方、日本語・英語のように文法などが大きく異なる言語間の自動通訳はなかなか難しい(現に、まだ実現していない)。
だから、未来永劫ずっと大丈夫とは言わないが、当面の間は日・英の通訳は大丈夫なのではないか。」

僕もこう思っている。確かに日・英間の、しかも一定のクオリティを保った上での自動通訳はハードルが高いんだろうと思う。



しかし、日本語・英語のように大きく異なる言語間の通訳については、ことばを介した自動通訳よりも先に、そもそもことばをすっ飛ばした自動通訳になるだろう、と思っている。
そうなると、「ことばを使わない」ので、自動通訳がどうとか以前に、そもそも「通訳」が不要ということになる。



ーーー



ことばを介したコミュニケーションはロスが大きすぎる。
話し手は自分の思いをことばにし、聴き手はそのことばを手がかりに話し手の思いを探りに行くわけだが、思い→ことば→思いの変換プロセスにおけるロスが大きすぎて、聴き手の心に届く「思い」は、当初の、つまり話し手の心の中の「思い」とは大きく異なることが多い。



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ことばなんて必要悪。
出来ることなら、ことばを使わずに、思っていることをそのまま相手に伝えられればベスト。




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例えで言うと、
「寒いなぁ、暖を取りたいなぁ」
と思ったときに、


1. 地中に埋まっている石油を掘り出して、それを燃やして電力を作り、その電力を送電し、届いた電力を使って電気ヒーターで暖をとるのと、
2. 石油を燃やして暖をとるのと、
どっちが効率的なのか、みたいな話。


「石油/電気」の場合、もしかしたら意外と1.の方が効率的なのかもしれないが(笑)、「思い/ことば」の場合、ことばを介さなくていい方が間違い無く効率的。

だって、
1. 話し手が、その思いをことばに変換する際に正確性がかなり失われるし、
2. (異言語間の会話であれば)通訳者が話し手の発言を訳す際にロスが生じるし、
3. 聴き手はえてして話をちゃんと聞いていないし、
4. 聴き手は、聞いた話を(きっとこういう意味だろう・・・)と解釈するが、その解釈はえてして不正確


子供の「伝言ゲーム」のように、出発点である「話し手の思い」は、聴き手の脳に届くまでにはかなり大きく曲解・損傷されてしまっている。そしてそれが各種誤解や摩擦を生んでいる。

これは、同一言語間のコミュニケーションのときもそう。そして、通訳を介する異言語間のコミュニケーションの場合は、そのロスはさらに大きく増幅される。(上手な通訳者はそのロスを最小限にとどめることが出来る)。



ことばを介したコミュニケーションに対し、話し手の思いをそのまま(電気信号、という形で)聴き手の脳に届けられたら?Brain to brainでコミュニケーション出来ちゃったら?

「思い→電気信号」の変換がどの程度正確に出来るのか次第だが、もしそれがある程度正確に出来るのであれば、「ことばをすっ飛ばしたコミュニケーション」は、複数段階のロスが発生する「ことばおよび通訳を介したコミュニケーション」よりもはるかにすばらしい。

そしてこれは、通訳を使わない、つまり同じ国の人同士のコミュニケーションも大幅に改善させる力を持っている。



ーーー



上記記事の事例は、話し手の「思い→言葉」の部分のコンバージョンを機械が代わりに出来るようになります、という話。だから、僕が恐れている「ことばをすっ飛ばしたコミュニケーション」そのものではないが、それへの第一歩。

次の一歩は、「思い→思い」という感じで、話し手の思いをそのまま「思い」として聴き手の脳(耳ではなく)に伝える、というステップに行く。そうなると、ことばが不要になり、通訳が不要になる。



ーーー



もし我々の子供が、親である我々を見て
「パパ、わたしも通訳者になりたい」
なーんてうれしいことを言ってくれた場合、それにどう答えればいいのか。実に複雑な気持ちになる。

「ぜひがんばって。すばらしい仕事だよ」
と言いたい気持ちが強いが、一方で
「これからの時代、やめておいた方がいいかもよ。。」
とも言いたいかもしれない。悩ましい。

きっと近い内に来るであろう、機械通訳の時代に向け、我々人間通訳者はどうすればいいのか。
今から転職活動をした方がいいのか?



思うに、「普通の」通訳はもう生き残れないと思う。
会議参加者に(これだったら機械使った方がいいや。。。)と思われてしまうような通訳は、文字通り不要となる。



いや、「普通の」どころか「上手な」通訳も、早晩不要になると思う。
多少上手に、正確に訳せている程度では、ALEXAに勝てない(笑)。

極端な言い方をすれば、我々の先輩方のレベルではもうダメなんだと思う。



なんらかの面で突出した、Outstandingな通訳者になれれば、機械通訳・自動通訳の時代が来ても、世に求められ続けると思うし、観客を喜ばせ、感動させ、ある程度の料金を払ってでも使いたい、と思い続けてもらえると思う。

通訳全般で言えば、例えば、話し手の一つ一つの発言毎に、(今のはどの訳し方で行こうかな)と、訳を調整出来る人。例えば、ですが。
我らがIR通訳で言えば、投資家の仮説をベースにIRミーティングの流れを自ら作り出せる人。
そういう人であれば生き残れる(あるいは、一番最後まで生き残っている)だろうと思う。



我々通訳者は、この逆風の中で「通訳者になる」とか「通訳者を続ける」という決断を下すのであれば、目指すべきはそこ(Outstandingな通訳者)、ただ一つだと思う。
打倒ALEXA! 打倒ポケトーク!

# by dantanno | 2019-04-26 05:15 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

めんどくさい男(笑)

幼なじみたちと別荘に来ました。

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何年も会っていない時期もありましたが、それを乗り越えての関係が続いています。

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宴もたけなわの頃、2人に聞いてみました。
「オレの欠点ってどういうところ?」


2人とも、一秒たりとも間を空けずに即答:
「めんどくさいとこ」


でもその後に2人とも
「でも、結局それって長所の裏返しだから、まあいいんじゃん?」
と付け足してくれたので、とりあえず一安心(?)。



散々飲んだあとは、会場を二階に移して長渕剛のコンサート。

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これからもめんどくさく生きていきますが、末永くよろしくお願いします。

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# by dantanno | 2019-04-11 17:25 | プライベート | Comments(0)
ときおり、通訳者から「IRISに登録したい」という連絡をいただきます。
とてもうれしいし、ありがたいことです。

そういう場合、
「では、まずはワークショップにご参加ください。」
と言うようにしています。



IRISでは定期的に通訳ワークショップを開催しています。

ワークショップではいろいろなことをやりますが、必ず通訳の演習も行っています。
何らかの音声を再生し、それを参加者全員で通訳します。
そこで高い通訳力を確認出来た方に対し、登録を打診しています。

ちなみにこのワークショップ、有料で行っています。

ーーー

これまでの話をまとめると、

1.IRISへの登録を希望する方は、ワークショップに参加してください。
2.ワークショップは有料です。

ということになります。

さて、この1.と2.。
それぞれ単独で見ると別に違和感は無い(少なくとも私は)のですが、
こうして2つを並べて見ると、

1.登録を希望する方は、ワークショップに参加してください。
2.ワークショップは有料です。
     
登録を希望する方は  <中略>  お金を払ってください

のように見えます。「見える」というか、実際そうです。
つまり、「IRISは登録料を取ります」という印象を与えても仕方が無いな、と感じました。

そこで、このブログ記事を使って話を整理することにしました。



ーーー



<IRISへの登録は無料です>
IRISには「登録料」はありません。
無料で登録いただけます。



<IRISでは、ワークショップを行っています>
前述の通り。



<なんのためにワークショップをやっているのか>
いくつか理由があります。重要性の順に並べます。

・楽しいから
・いい通訳者を発掘するため
・登録通訳者のさらなるレベルアップのため
・丹埜自身の個人的なレベルアップのため

間違っても「お金のため」ではありません(笑)。



<ワークショップは、(少なくとも金銭的には)割りに合わない>
私はいくつかの仕事をしています。

・通訳者
・翻訳者
・通訳エージェントの運営
・通訳の指導(於大学院)
・ワークショップの主宰(プロ通訳者向け)

後半の「通訳の指導」と「ワークショップの主宰」については、金銭的には「割りに合わない」です。「金銭以外」のインセンティブでやっています。



<ワークショップを行う理由が「儲けるため」ではないのであれば、無料にすればいいではないか>
確かに。

元々は無料だったんです。
でも、無料にすると、主に2つの問題が生じました。

まず、私自身があまり張り合いを感じられない、やる気が出にくい、という問題です(だったらやらなければいいんですが)。
(どうせお金取ってないんだし・・・)的な、そんなズルズルした気持ちが出てしまうんですよね。

もう一つの問題は、「タダなら参加してみるか」みたいな人が来てしまう、ということです。
実際にそういう人がゾロゾロ来てしまって困った、ということでもないんですが、まあ理論的にはこういうこともあり得る、ということです。



<ワークショップは有料>
ということで、ワークショップが有料になりました。
当初は1万円にしましたが、もっと上げる必要を感じ、今は3万円にしています。

有料にしたのは、ひとことで言うと、バーを上げるためです。

講師サイド: 一定のお金を取るからには、ちゃんと「仕事」として、しっかりとしたものを提供しないといけない
参加者サイド: この金額を払ってでも参加したい、という強い意欲を持った方だけが集まる

この2つの効果から、有料化後はワークショップのクオリティーが上がった気がしています。



<ワークショップで、通訳者の通訳力を見定める>
「IRISに登録したい」と言って来てくださる方は、多くの場合、経歴書を添付してくれます。
せっかく送って来てくださったのでありがたく目を通しますが、経歴書は全く、一切参考にしません。

それはなぜかというと、今までたくさん、「経歴は見事なのに、通訳力が低い」通訳者を見て来たからです。
また、経歴がまっさらなのに、とても通訳が上手な通訳者を(数は少ないものの)見て来たからです。

なにより、私自身がフリーランス通訳者としてデビューした当時、
「経験が無いから仕事を紹介してもらいにくい」
「仕事を紹介してもらいにくいので、経験を積みにくい」
という苦い思いをしたから、自分がエージェントをやるときは絶対に経歴なんて見ないぞ、と決めたからです。

経歴書をちゃんと見ないので、同じ通訳者と会う度に「あなたはどういう経歴でしたっけ?」という話で何度でも盛り上がれる、といううれしい副産物までありました。



通訳者の通訳力の評価については、すべてワークショップ、あるいはそれ以外の場で、実際に通訳を聴かせていただいて評価しています。



<なぜ 「登録したければ、ワークショップ(有料)へ」 という仕組みになっているのか>
なぜIRISが今のような仕組みになっているのか、を改めて考えてみたんですが、それはIRISがワークショップをその中心に据えていて、ワークショップがIRISにとってはとても重要な場である、ということが一つ。ワークショップは、通訳者発掘の場でもあるし、私を含む「IRIS登録者」にとってのさらなるレベルアップのための場でもあります。道場なんですよ、通訳の。

そして、もう一つの背景は、IRISでは、通訳者からの問い合わせについてはどちらかというと「登録したい」よりも「ワークショップに参加したい」という問い合わせをメインに想定して仕組みを構築しているから、だと思いました。

「ワークショップに参加したい」 → ワークショップに参加する → そこで実力を示す → 「登録しませんか?」

という流れを想定して仕組みを作ったんですが、でもこれがときどき

「登録したい」 → 「では、ワークショップ(有料)にご参加ください。」

となるから話がおかしくなる(ことがある)んでしょうね。



<「登録したければ、ワークショップ(有料)へ」の矛盾をどうするか>
いろいろな経緯・背景があって現状の

ワークショップ参加 → 登録

という仕組みに至っているんですが、確かにこれは、見方によっては「登録したければお金を払ってください」という、なんかヘンなことを言っていることにもつながります。難しいですね。。。

こう説明すればいいですかね。

IRISへの登録に際し、有料ワークショップへの参加は必須ではありません。
「登録したい」と思ってくださった場合、何らかの方法で通訳力、人柄、向上心などを見せていただき、安心感を与えていただければ、その後登録いただき、国内外の通訳案件をご紹介します。

たまたまIRISではワークショップを行っていて、そこで「通訳の演習」をやるので、それが通訳を確認するための一つの場として機能していますが、別にそこでなくてもいいわけです。

例えば通訳案件において私とブースで組ませていただくとか、そういう方法もとてもいいです。



<通訳者選考会みたいなことはやらないのか>
ワークショップ(有料)とは別の場として、例えば通訳者選考会(無料)のようなことをやったらどうか、という意見もあるかもしれません。
一理ありますが、一方で今、そんなに一生懸命通訳者を募集していない、という現状もあります。
案件は少しずつ増えていますが、通訳者も少しずつ増えており(去年は3人増やしました)、今この瞬間は別にそれほど登録者を求めていません。

ロンドン・欧州はちょっと例外で、事業拡大に伴い、優秀な通訳者を積極的に求めています。

これは決して「登録を受け付けていない」ということではなく、いいな、と思う方がいればこちらから頭を下げて登録いただきたいわけですが、選考会のようなことをやってまでは通訳者を求めておらず、たまたま、それこそワークショップなどで「おっ、いいな」と思う方がいれば登録を打診したい、という状況です。



<まとめ>
IRISに登録したいと思ってくださった方、本当にありがとうございます。通訳者の方からそう言われるのは、「IRISをがんばって来てよかった」と思う貴重な瞬間の一つです。

1.有料で申し訳ありませんが、ワークショップという場があるので、もしワークショップの内容自体に興味が持てて、(登録云々とは別に)単にスタンドアローンの「ワークショップ」として、有料でも参加したい、と思えるようであれば、ぜひご参加ください。そこで通訳を聴かせていただき、通訳力が高いと判断出来た場合は、こちらから登録を打診させていただきます。

なお、IRIS登録後は、ワークショップは全て無料で参加出来るようになります。

2.ワークショップは必須ではないので、それ以外の場で実力を証明してくださるのもウェルカムです。



すばらしいIR通訳を通し、日本のIRを国内外で盛り上げつつ、通訳という仕事のプレミアム化に一緒に取り組んでくれる仲間を求めています。我こそは、と思う方、ぜひワークショップ(あるいはそれ以外の場)でお会いしましょう!

# by dantanno | 2019-03-20 10:17 | IRIS | Comments(0)
今ふと気付いたんですが、僕もう44歳ですよ。
ハッキリ言っておじさんです。

気持ちの上ではまだまだ若いつもりだし、
いまだに下っ端気分が抜けない面もたくさんあるけど、
まあおじさんです。

ーーー

自分もそうなら、自分の周りもそうです。みんなおじさん・おばさんです。

もちろん、若い人たちや、子供たちとの接点はあります。
また、我々よりもさらに上の、おじいちゃん・おばあちゃん世代との接点もあります。

でも、自分と一番近い人たち、一番やり取りが多く発生する同年代の相手たちは、みなおじさん・おばさんです。

ーーー

自身、おじさんとなり、周りのおじさん・おばさんたちと日々やり取りしていて思うのは、

「我々おじさん・おばさんには、もはや「平時」なんて無い」

ということ。

ーーー

つまりですね、年齢的に、ほぼ常に、何かしら問題ありなわけです。

これは、「カラダのどこかが痛い」とか、そういった問題もそうです。

あと、自分の転職とか、クビとか、昇進出来るのか、とかもそうです。
倦怠期だの、なんとかレスだの、離婚だのなんだのもそうです。

ーーー

自分自身の問題だけじゃありません。
家族の「中間管理職」として、上下方向からの「問題」もあります。

親が病気になった。介護がどうだの、死んじゃった、だのもそう。
それが解決したと思ったら、今度は子供が熱出した。娘がグレかかってる。あかちゃんの世話が大変。高校生の息子が医者になりたいと言い出した。

自分の問題だけでも大変なのに、上下方向からのプレッシャーもすごい。

で、パソコンが壊れた、生命保険を見直すかどうか、クルマのバッテリーが上がった、役所がなんか言って来てる、塀にペンキ塗らなきゃ、etc. etc.

全方向から、問題に次ぐ問題です。

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そう考えると、子供の頃はずいぶんよかったなあ(笑)。
当時は当時で「大変」だと感じていたのかもしれないけど、我々おじさん・おばさんから見れば、悩みなんて何もなく、超絶的にラクなようにも思える。ま、彼らもいろいろ大変なんでしょうが。

ーーー

さて。

「我々おじさん・おばさんには、もはや「平時」なんて(あまり)無い」

という考えをさらにもう一歩進めると、

「我々おじさん・おばさんには、もはや「平時」なんて無いわけだから、
「今は平時ではない」を、もはや一切言い訳に出来ない」

という気もしてきます。

ーーー

あなたが僕同様、おじさん(あるいはおばさん)だとしましょう。
で、サッカー選手だとします。
つまり、おじさん・おばさんサッカー選手だとします。

サッカー選手であれば、日々、ストレッチだのパス練習だの筋トレだの、そういったことをしないといけないわけです。
おじさん・おばさん選手であっても、、、 いや、おじさん・おばさん選手だからこそ、そういった日々の積み重ねが重要になります。若い世代みたいにほっといても成長しないので。

でも、その一方で、人生におけるなんらかの「問題」を抱えているわけです。
夫婦間の問題かもしれないし、親の問題、子の問題かもしれません。カネの問題かもしれない。なにしろ全方向から来ますから。

そんなときに、
「オレは、今は○○の問題を抱えていて、これは要するに有事であり、平時ではない。
だから、自分が日頃やるべきこと(ストレッチ、筋トレ云々)が 今は出来ない
って、普通はそう思うし、そうなるじゃないですか。それで許されるじゃないですか。

でも、我々おじさん・おばさんにとっては、日々有事なわけですよね、世代的に。
自分のこともそうだし、上下世代に起因する問題も続々待ち受けています。もはや平時なんてない。

だから、要するに何を言いたいかというと、
「今は平時ではないから」
って、そんなの、日々やるべきことをやらない理由になんて、もはやならないんじゃないか、ということなんです。有事がもうデフォルトなんだから。

ーーー

我々おじさん・おばさんは、「もはや平時なんてない」ことを心に刻み、
むしろ「常に有事」であることを前提に、
その上でいかにして「日々やるべきこと」を粛々と進めていくか、にフォーカスしていくべきだし、
前進したいのであれば、もはやそうするしかないと感じます。
「この件が落ち着いたら・・・」 → 「次の件」が待ってます。平時なんて、永遠に来ない。



日々有事な中で、それを前提に作戦・戦略をたて、大変さを周囲にあまり見せずに前にどんどん進んでいく、そういうのがかっこいいおじさん・おばさんだと思うし、自分もそうありたいと思いました。


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# by dantanno | 2019-03-18 17:17 | 自戒ネタ | Comments(0)
「IR通訳をするのに、財務・会計、ファイナンスの知識は必要ですか?」

と聞かれることが多い。


これに対する考え方は、 No系、Yes系、その他系 と、いろいろありうると思う。

「No」
・ IRミーティングで話される内容は「財務・会計」ではない。あくまでも「ビジネス」であり「戦略」であり「リスク」であり、フツーの、、、つまり、財務・会計の専門家以外の人間に分かる内容である。
・ 1時間のIRミーティングで、財務・会計系の話題が全く出ないことだってある。出たとしても、5分とかのことが多い。
・ 例えば「グリーンボンド」とか「圧縮積立金」とか「種類株」とか、財務・会計系の用語・話題が出た場合は、その場はとりあえず(会議参加者に確認しながら)なんとかしのぎ、あとで、家に帰ってから徹底的に調べ、次にその話題が出たらComfortableに訳せるようにすればいい、という考え方もアリだと思う。
・ 財務・会計の知識がゼロでも、IR通訳は出来る。しかも、「上手に」出来る。大事なのは知識ではなく、通訳力だと思う。

「Yes」
財務・会計の知識があるにこしたことはない。
特に、小手先の知識ではなく、バランスシートと損益計算書とキャッシュフロー計算書がどうつながっているかを理解していると、なんとなくラク。

その他
財務・会計の知識が必要かどうかを心配してるヒマがあれば、本屋に行って、財務・会計に関するよさげな本を一冊買って勉強しちゃった方が100倍早い。あと、TACとか東京商科学院(* 一時期通ってました。今もまだあるんでしょうか。。)とか、大原簿記学校とかの短期のコースに通ってみるのもいいと思います。

ーーー

さて。
「財務・会計の知識」もいいが、IR通訳者にとって、それよりもはるかに大事なことがある。それは、

外国人投資家が持っている「仮説」を、IRミーティング中にあぶり出し、それを(自らの訳に乗せて)企業に伝える

ことだ。

ーーー

投資家は、多くの場合、何らかの仮説をもってIRミーティングに臨んでいる。

仮説は、一階層だけのこともあれば(↓)、

「この製薬会社が今研究・開発中の肝炎の薬は、将来世界的な大ヒットになる可能性があるのではないか」

あるいは、二階層、三階層のこともある。

  1階層目 「今後、日本は○○なんじゃないか」
→ 2階層目 「そう考えると、日本の○○業界はこうなっていくんじゃないか」
→ 3階層目 「そんな中で、この会社は今後こういう役割を果たすんじゃないか」
→ 結論   「だから、この会社の株は買い(あるいは売り)なんじゃないか」

僕が言う「投資家の持っている仮説」というのは、例えばこういうことです。

ーーー

投資家が、IRミーティングの冒頭で、あるいは最後のWrap up的な話をしているときに
「自分はこういう仮説を持っている。今日は、それを検証するためにIRミーティングをお願いした」
みたいに言ってくれることも、ごくまれにだが、ある。その場合は、投資家のその発言をそのまま訳せばいい。

でも、多くの場合、投資家は自分の仮説をあまりハッキリとは言わない。

ーーー

なぜ投資家はその仮説をあまり明かさないのか。

もしかしたら、それこそが企業秘密なのかもしれない。

あるいはまた、(実はこれが結構多いのではないかと僕は思っているが)投資家自身が、自分は一体どういう仮説を持っているのか、をよく分かっていないこともあり、IRミーティングにおけるQ&Aのやり取りを通してその仮説を走りながら構築していきたい、と思っていることもある。

投資家がその仮説を自ら進んで明らかにしない場合(つまり、ほとんどの場合)、あるいは投資家がミーティング中に走りながら仮説を構築する、そういうパターンのミーティングの場合、その仮説を浮き彫りにし、あぶり出し、そしてそれを企業側に伝える/分からせるのがIR通訳者の大事な役割になる。そこがウデの見せ所だ。

ーーー

投資家の持っている「仮説」とは、例えばどういうことをいうのか。改めて、具体例をあげてみる。

投資家が今度、日本でスーパーを運営している小売業者A社と会うとしよう。

投資家の仮説は、例えば

「今、Amazonが世界的に伸びている。
欧米では、従来の大手小売業者(シアーズなど)が倒産・事業縮小の憂き目に遭っている。
日本でもアマゾン・ジャパンががんばっていて、小売業者が苦戦する、という傾向もあるだろう。
しかし、この小売業者A社は、意外と大丈夫なのではないか。
なぜなら、A社が運営するスーパーは、各地域に密着した、小規模な店舗が多く、ネットショッピングとあまり競合しないのではないか。つまり、eコマースに対する抵抗力が強いのではないか。
そして、日本の消費者は「商品を実際に手に取ってから買いたい」というニーズが強い、と聞いている。

今、世界的に小売業界がディスカウントされており、それにつられてか、A社の株価も下がっている。
が、これは実は売られすぎで、A社は過小評価されている(=割安)なのではないか」

といった仮説が考えられる。

ーーー

IRミーティングが始まる前の時点では、通訳者が持っている情報は「企業」についての情報だけである。

・この会社はどういう会社なのか。何をやっている会社で、どういうビジネスモデルで稼いでいるのか

そして、企業の方々と一緒に海外を旅する海外IRの場合であれば、

・今回同行しているマネジメントはどういう方々なのか
・今回の海外IRで、企業が伝えたいキーメッセージは何か

こういったことは、すべて「企業」側の情報である。投資家(およびその仮説)についての情報ではない。

だから、投資家の仮説については事前に調べることは(後述する、日本国内での投資家同行の案件以外では)ほぼ不可能であり、ミーティング中に徐々にあぶり出していくしかない。

ーーー

さて。
投資家がその頭の中に仮説を抱いており、それに基づいてIRミーティングを進めているとしよう。
その仮説を、通訳者は、一体どのようにして「あぶり出」せばいいのか。

なにも、通訳者が勝手に、企業の方に代わって、投資家に対し「さっきから質問聞いてると、あなた、こういう仮説を持ってるんですか?」みたいに質問してしまう、ということではない。
また、投資家がそんなこと発言していないのに、企業に対し勝手に「この投資家は、こういう仮説を持ってるんだと思いますよ」と、ミーティング中に発言してしまうことでもない。

そうではなく、仮説のあぶり出しはもっとちょっとした、実にさりげないことだ。

あまりにもさりげなく、かつ抽象的な話なので具体例を示すのが非常に難しいのだが、
通訳者は何をすべきかというと、まず第一に「この投資家は一体どういう仮説をもってミーティングに臨んでいるんだろう・・・」ということを考える、というのが第一歩だ。通訳作業をしながら、「今回の投資家の仮説は何か?」について自問自答し続ける、ということだ。

投資家が元々抱いていた仮説が、ミーティング中、Q&Aの結果変化・進化することだってある。
(こうじゃないか?)と思っていたのが、実はそうではなさそうだ、と分かった途端、(じゃあ、もしかしたらこうなんじゃないか?)という進化形の仮説が生まれることだってある。投資家はえてして七転び八起きであり、それを察知するのも通訳者の役割だ。

一方、投資家が「ミーティング中に仮説をじっくり構築していきたい」という、走りながら考える的な人の場合、その場合は文字通り、投資家と一緒になって走りながら考え、ミーティング中にリアルタイムで投資家の頭の中で構築されつつある仮説について、通訳者も一緒になって考える、ということが求められる。投資家の口から出てくる英語を日本語に訳すだけでは不十分なのだ。

ーーー

仮説をあぶり出す作業は、彫刻を彫る作業に似ている。

最初にあるのは、ただの岩だ。


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IRミーティングでのQ&Aを通し、その岩を少しずつ削っていき、作品(つまり、投資家の仮説)が少しずつ明らかになっていく。

その作業は、芸術的でもあるし、求道者的でもある。

ーーー

よく、「IR通訳をするのであれば、株を買った方がいい」といったことが言われる。

まあそうなのかもしれない。

本ブログ記事のテーマ(投資家の仮説を探る)は、要するに「投資家の身になって考える」ということだとも言える。
そう考えると、通訳者自らが株式投資をしてみることで、投資家とOn the same boatに身を置き、株というものにより興味が持て、仕事に身が入り、結果IR通訳パフォーマンスが向上するのであれば、おおいに株を売買したらいいと思う。

自分はそれをやっていない。
なぜやらないかというと、通訳における姿勢が乱れそうな気がするからだ、自分の場合は。

自分が株主である会社のIR通訳をしたら。。。
あるいは、自分が株主である会社のライバル企業のIR通訳をしたら。。。

訳を考える際、いろいろな雑念が頭をよぎりそうだ。
その会社を(実体以上に)よく見せるため、あるいは悪く見せるため、訳を盛ったり削ったり、ということはさすがにしないと思うが、でも、そうしたまざりっけが全く無いかというと、もはや分からなくなってしまう。
せっかく今純粋な気持ちでIR通訳というものに向き合うことが出来ていて、それが心地いいのに、そのリズム、空気が乱れてしまいそうなのがイヤなのだ。

株を買ってしまうと、その分「いいIR通訳」から遠ざかる気がするので、買っていない。

ーーー

話が多少それた。

ーーー

投資家の「仮説」というものに慣れるためには、投資家同行が役立つ。
外国人投資家と一緒に、日本国内(主に都内)を回る仕事だ。

移動中のタクシー、あるいは食事中、投資家にガンガン聞いたらいい。

私は証券会社のインハウス時代、そうしていたが、よくなかったのは、最初の頃、

"What do you want to talk about in the next meeting?"
とか
"What kind of questions will you ask in the next meeting?"
と聞いていたことだ。これはあまりよくない。

投資家の中には、次のミーティング用の質問リストを見せてくれる人もいて、僕は(ラッキー!)と、それをむさぼるように眺めていた。

しかし、我々通訳者が本当に知るべきは、「投資家が聞く質問」ではないのだ。
それは手がかりでしかない。そして、それはどうせミーティング中に明らかにされる。

我々通訳者が本当に興味を持つべき対象は、投資家の口から出る質問ではなく、投資家の心の中の「想い」だ。それが仮説なのだ。

だから、我々通訳者が投資家に聞くべき質問は、「次のミーティングでどんな質問するの?」ではなく、

"What brought you to Japan this time?"
であり、
"Why do you want to meet Company A?"
であり、
"What is the underlying idea, or hypothesis, behind this next meeting?"
であるべきなのだ。それに気付いたのは、IR通訳者になってだいぶ経ってからだった。

ーーー

さて。
がんばって投資家の仮説を察知したとして、通訳者は、今度はそれをどうやって企業の方々に「伝え」ればいいのか?
ミーティングを遮って「この投資家の仮説はこうだとおもいまーーす」とやるのでないのであれば、どうやって仮説を伝えるのか。

それは、訳をほんの少し微調整することで行う。

私は、話し手が言っていないことを勝手に付け加えたり、言ったことを勝手に落としたりする訳があまり好きではない。(これは好みの問題でもある。)
だから、訳を調整するとしたら、ほんのわずかな微調整だ。

ーーー

<春のIR通訳ワークショップ>
毎年、春にIR通訳ワークショップを行っている。

今年、もし開催するとしたら、例年通り一日かけて、それを前半と後半に分け、前半はIR通訳の基礎的な話、そして後半は、本ブログ記事のテーマである「投資家の仮説をあぶり出す」をテーマにしてみたいと思っている。
1.どうやって投資家の仮説をあぶり出すか。
そして、
2.どうやってそれを企業の方々にさりげなく伝えるか。

興味がある方がいれば、事務局までご連絡ください。

iris@iris-japan.jp
担当: 松山

ーーー

<まとめ>
IRミーティングは、そんなに超絶的に楽しいかというと、正直そうでもない。
まあ、言ってみれば仕事だし、そんなに毎日毎日がものすごく楽しいわけではない。

でも、そんな中、ゾクゾクするIRミーティングだってある。これだったらタダで、、、いや、お金を払ってでも続けたい、と思うミーティング。
そしてそれは、単なる偶然ではない。多分に通訳者が創り出しているのだ。

IR通訳者にとって、ゾクゾク・モーメントはいくつかある。

投資家の仮説の片鱗が見えた!と思った瞬間。
それをうまく(かつさりげなく)企業の方々に伝えられた、と感じる瞬間。
そして、自らがあぶり出した仮説を中心に、投資家、企業の方、通訳者の3者が一体となって、同じリズムに乗ってミーティングの終盤に向かうあの快感はハンパない。IRミーティングは、本当はとても楽しいのだ。それを楽しめていないとしたら、我々通訳者のせいなのかもしれない。そして、IR通訳を楽しむべく、今日からでも出来ることはいくらでもある。

ーーー

IR通訳者の役割は、IRミーティングのなるべく早いタイミングで投資家の仮説をあぶり出し、それを企業に伝えること。
ミーティング中、投資家の立場に立ち、その仮説の変化・進化を察知し、それを企業に伝えること。
ときには投資家自身ですら気付いていない、その「仮説」が、通訳者を仲介して日本企業の方々と共有され、一つでも多くの「ゾクゾク・モーメント」を創り出す。日本のIRをより楽しく、充実したものにする。

これこそ、我々IR通訳者が担う真の役割ではないかと思う。

# by dantanno | 2019-02-18 17:33 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)
今、新幹線で移動中。

朝の新鮮な空気の中新幹線に乗り込み、本を読んだり、あれこれ考え事をしたり。とてもいい時間です。



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そんな中、ニュースのテロップが。



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(せっかく僕のブログを読みに来てくれたのに、ネガティブな気持ちにさせてしまいごめんなさい。)





このテロップ、東京から大阪までのあいだ、なんと5回も流れました(笑)!




これ、どういう意志決定の仕組みを通して決まっているのか分からないんだけど、
「朝の新幹線で、このニュース・テロップを5回流そう」
と決めた人に聞いてみたい。

「その必要ある??」って。
「なんのために? 誰のために流してるの?」
って。





これは、普段TVで朝のワイドショーを観ていても思うことです。朝の大事な時間にそんなもの観ないけど、仮に観たとしたらそう思うだろうな、という意味です。



「昨日、70代の女性一人が亡くなった栃木県○○市の住宅火災について。栃木県警は「放火の疑いもある」と見て捜査を進めています。」


いや、だから、、、

なんのために??

誰に何を伝えたくてこれを報じてるの?




朝。
これから出社・登校して、今日も一日がんばろう!と思っている人に対し、このネガティブ・ニュースを伝える意味は?



ちなみに、僕がここで「ネガティブ・ニュース」と言っているのは、例えば難民の問題とか、地球温暖化を食い止めましょうとか、そういうことを指して言っているのではない。そういうニュースも「ネガティブ」に分類出来るかもしれないけど、でも「いいネガティブさ」ですよね。有害な、どうにもしようがないネガティブさではないですよね。この社会に生きる者として、知っておいた方がいいことです。

僕がここで「ネガティブ・ニュース」と呼んでいるのは、栃木県の放火殺人事件しかり、あおり運転による殺人しかり、芸能人が不倫したとかしないとかしかり。そういった(文字通り)ワイドショー的な、野次馬根性的なニュースのことを指します。



亡くなった方はかわいそうだし、放火は許されない重大犯罪だし、あおり運転は論外です。こういう事象などどうでもいいと言いたいのではありません。大事です。でも、それをこういう形でみんなに繰り返し放映する意味は?誰のためにやっているのか。私はこのネガティブ・ニュースを観て、今からどうすればいいのか。




イヤな気持ちになって、チャンネルを変えてみたら、他局も全く同じニュース(笑)。

めげずに再度チャンネルを変えてみると、なんと、どこから見つけてきたのか、もっとネガティブなニュースを放映している始末(笑)。



「ネガティブなニュースを観ると気が滅入るから、報道するな」とは言いません。
でも、例えば午前中とか、それが無理なら少なくとも朝の、これから新たな一日が始まる、という一番大事な時間(以下「ポジティブ時間」と命名)に、こういうネガティブ・ニュースを流すのはやめてもらえないでしょうか。それを流すメリットとデメリットを天秤にかければ、そうした方がいいことはすぐにでも分かるでしょう。




思うに、テレビ局側は、ちゃんとメリットとデメリットを天秤にかけた上で、「メリットがデメリットを上回る」と判断し、ネガティブなニュースを放映しているのでしょう、きっと。

つまり、、、要するに、、、ネガティブなニュースの方が、我々視聴者側の食いつきがいいんでしょう。

ってことは、、、
このブログ記事の趣旨と真っ向から矛盾しますけど、結局我々視聴者がネガティブなニュースを求めている。だからテレビ局はそれを報道する、という流れがあるんでしょうね。誰のために? → 視聴者のために放映してくださっているのでしょう。

僕が訴えかけるべき相手は、発信する側(テレビ局)ではなく、それを受信する側、つまり我々視聴者に対して、なんでしょう。




視聴者のみなさん。

こういうネガティブなニュースが放映されたら、
「それを受けて、今からすぐに現地入りしてボランティア活動をする」
とか、そういう特殊なケースを除き、チャンネルを変えませんか?

チャンネルを変えたところで、どうせ他局もネガティブなニュースを放映しているから、いっそのこと、朝の「ポジティブ時間」中はTVを消しましょう、テレビ局側が報道姿勢を改めるまでは。

ネガティブ・ニュースは、あなたの一日に悪影響を及ぼすし、子供の教育上もよくない。子供に関して言うと、例えば受動喫煙はもちろんよくないけど、「朝のポジティブ時間に観させられるネガティブ・ニュース」はある意味それ以上の精神的な害悪だと思う。




朝、こんなニュースで身も心も満たされた人が、その日一日、いい仕事をするとは思えない。その人の本来のポテンシャルをフルに発揮出来るわけがない。
そして、「ストレスが・・・」とか言っている。そりゃそうだ。朝っぱらから栃木県の放火殺人事件のニュースで満たされるような生活を自ら進んで送っていたら、ストレスがたまるに決まってる(笑)。




朝は、ネガティブ・ニュースではなく、ポジティブな情報や、大好きな本や、モーツァルト(?。じゃなくてもいいけど)の音楽とか、そういうポジティブなもので頭を満たしませんか、明日からは?



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# by dantanno | 2019-01-26 09:23 | 提言・発明 | Comments(0)
韓国海軍の艦艇が、海上自衛隊のP1哨戒機に火器管制用のレーダーを照射した、とされるインシデント。


確か、何年か前にもこういった出来事がありましたね。



こういった出来事が起きる度に思うこと。
うまく言えないんですけど、なんと言いますか、、、

「危険」を作らないでください

という感じ。

韓国国防省: 「韓国軍は正常な作戦活動中であった」
だそうです。

日本の防衛省: 「海自第4航空団所属のP1哨戒機は警戒監視活動に当たっていた」
だそうです。



いや、だから、、、、、

お互い、余計なことをしないでくれればそれでいいのに、という感じ。


防衛大臣が「極めて危険」と言うのは、きっとその通りだと思うんです。
実際に韓国軍が海上自衛隊機にレーダーを照射していたとして、それを受けて海上自衛隊機が反撃(?)をしていたら、有事につながりかねない、というか、有事につながるわけですから。
さっきまではいたって「平時」だったのに。



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やや極端かもしれませんが、
韓国軍も、海上自衛隊も、「作戦」とか「警戒」とか「任務」とかをせずに、家でゴロゴロしていてくれたら、こんな危険なインシデントは起きなかっただろうと思うんです。



でも、軍には自ら「危険」や「有事」を創り出したい、という本能のようなものがあるんだろう、と思います。それが無いと、自らの付加価値を感じにくいですからね。
だから、いたって平和なのに何らかの「任務」を行い、その過程で、同じく「任務」を行っていた他の国の軍と何らかの衝突をし、それで大騒ぎしたい、という気持ちがあるんだろうと思います。

何かあるとすぐに「スクランブルだ!」と言って戦闘機を発進させていますが、あれなんかも(危ないなあ・・・)と思っています。当人は血が騒ぐんでしょうが、それが有事につながれば、迷惑するのは国民です。



一方で、例えば自衛隊は、災害の際に救助の任務にあたることがあり、それはとても大きな付加価値だと思います。
それこそ、僕なんかが家でゴロゴロしているとき、自衛隊の方々は被災地で必死に救助にあたっている。「それが仕事だから」と言えば確かにそうなのかもしれませんが、でもやっぱり頭が下がります。

そういったことはどんどんやってほしいんですが、何も危険が無かったところに危険を作りに行く作業はぜひやめてほしいです。



もし今回の件が実際に「有事」につながっていたら。
そして、結果的に「戦争」につながっていたら。
日本と韓国、両方で人がたくさん死んで、国が焼け野原になりますよね。

その焼け野原で、ポツンと残った人たちが、

「あれ? あんなに平和だったはずなのに。それが、なんでこんなことになったんだっけ?」

と考えたとき、

「ああ、そうか。 海上自衛隊のP1哨戒機が任務を行っていて、それに対して韓国海軍の艦艇(同じく任務中)が、火器管制用のレーダーを照射した、とされるインシデントがあったからか」

となるわけですが、なんとアホらしい理由ではないでしょうか。
あんなに平和だったのに。

そして、そのときに「余計な「危険」を作らないでください」と思うだろう、と思うんです。
有事→戦争のあとにそう思うのもいいけど、出来たら平時の内からそう考えておいた方がいい、と思いました。



軍には、出来れば余計なことをせず、余計な「危険」を自ら生み出さず、「国民の安全を守る」という観点から付加価値を発揮出来る分野以外ではなるべくおとなしくしていてほしいと思います。通訳同様、自らがある意味「必要悪」であり、求められた機能以外は発揮すべきでない、という事実をわきまえるのが「いい軍」だと思います。

# by dantanno | 2018-12-23 09:23 | 提言・発明 | Comments(0)

四分の一インチのドリル

『四分の一インチのドリルが売れたのは、人々が四分の一インチドリルを欲したからではなく、四分の一インチの穴を欲したからである』 (レオ・マックギブナ)

経営の本に書いてあったことばだが、まんま通訳にもあてはまる。
クライアント/会議参加者が求めているのは、実は『通訳』ではない。

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通訳の現場において、客がどんな『穴』を求めているのかは、場によって異なる。
IPOのIRであれば、マクロで考えると『会社を上場させること』が穴に相当するし、ミクロで考えると『そのミーティングを有意義なものにする』が穴かもしれない。


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いずれにせよ、常に意識しておきたいのは、客が求めているのは穴であって、それに対し我々通訳者はドリルであるということ。
そして、穴ではないことを謙虚に見つめつつ、ドリルであることを誇りに思い、ますますいいドリルになりたい!とaspireすること。これが通訳者にとって大事なんだろう。

# by dantanno | 2018-12-19 10:51 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

「訳」と「役」

俳優・役者が書いた本を、とてもおもしろく感じる。

今までに読んで、おもしろかった「俳優・役者本」は以下の通り:



1.山崎努さんの「俳優のノート」。

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ものごとを決めつけるのはよくない。
でも、この本、ほとんどの通訳者がおもしろく感じるはず! そう決めつけたくなる名本。



2.西村雅彦さんの「俳優入門」

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多分、本書の一番の想定読者は「俳優を志す人」なんだろうと思うけど、我々通訳者にも役立つ内容。
発声法とか、声出しのトレーニング法といった具体的な話も参考になるし、役者としての考え方・哲学もおもしろい。



3.Michael Caineの"Blowing the Bloody Doors Off"

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今読んでいる(Audibleで聴いている)のはこれ。
あ、どっかで観たことある!なこの人(笑)。
非常におもしろい。



ーーー



なんで、俳優や役者の方が書いた本をおもしろく感じるのか。

それは、通訳と演技、InterpretingとActingで、似ている部分が多々あるからではないかと思う。

今、サンプルが一人(僕)しか無いので確かなことは言えないが、僕の推測では、恐らく通訳者は(通訳者ではない人たちとくらべ)俳優・役者本をおもしろく感じる確率が高いのではないか、と思う。
そして、これまた推測だが、恐らく「翻訳者」よりも「通訳者」の方が、俳優・役者本をおもしろく感じるのではないか。



通訳には、以下のような特徴がある:

「練習(通訳トレ、あるいは予習)」 VS 「本番」のコントラスト。
本番の、あのライブ感。
話し手になりかわっての「演技」。
話(≓台本)を自分なりに解釈(Interpret)した上での、その再表現。
会場と一体になり、その「場」のうねりにうまく乗れたときの心地よさ。
終わった後の達成感。会場から喜ばれたときのうれしさ。



「訳」と「役」には共通点が多く、通訳者と役者は、お互いの考え方や哲学にシンパシー/エンパシーを感じられるのではないかと思います。

通訳者のみなさん、俳優・役者本、おすすめです(笑)!


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# by dantanno | 2018-12-07 11:46 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

子どもとむきあう

ムスコと二人で旅行に来ました。
新潟に。

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普段、出張に行ってる間は、子どもと「むきあう」ことができていない。
日本にいる間は、子どもたちとすごす時間が比較的長い方だ。でも、2人の子どもと同時にすごしていると、結局どっちの子どもともちゃんとむきあえていないのかも、と、今回ムスコと二人だけで旅行に来て思った。

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ちゃんとむきあってみると、なかなかどうして、この人はステキな人だなあ、と感じた。

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いろいろと教えてやる、というのではなく、いかにジャマをせず、すくすく育つよう手助けするか、が大事だなあ、と思いました。

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# by dantanno | 2018-12-03 11:01 | 子育て | Comments(0)
昔、山登りにハマっていた時期がある。

もちろん、山に登ったりなんてしない。
登山系の本や雑誌を眺め、ビクトリアみたいな店に行って各種登山グッズ・キャンプグッズを物色し、タフな山男な自分を想像して悦に入るのである。いい趣味だったと今でも思っているし、将来また時期を見て再開してもいいな、と思っている。

その頃学んだ概念として、「体感温度/体感気温」というのがある。
山頂での実際の気温がマイナス10度だとして、そこに強風が吹いていたり日陰だったりすると、それよりも寒く、例えばマイナス15度とか20度に感じるものだ、みたいな意味だったと記憶している。


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で、これって通訳にもそのままあてはまるなあ、と思うのだ。

ーーー

通訳力は定量化・数値化出来ないが、仮にそれが出来たとしよう。
で、ある通訳者の通訳力が80点だとする。

実際の実力は80点なわけだが、その通訳者のやりようによっては、会議参加者に(あの通訳者の力は85点だ。いや、90点だ!)と思わせることも出来るし、あるいは逆に(あの通訳者は70点だ。。。)と思わせることも出来る。実際の通訳力はあくまでも80点なのに!

以下、「実際の通訳力」と、会議参加者が感じる「体感通訳力」という、2つの通訳力があるという前提の元、論を進める。



<どっちの「通訳力」がより重要か>
実際の通訳力は80点なわけだから、ある意味そっちの方が大事な気もする。
でも、肝心の「会議参加者」がどう感じるか、もすごく大事だ。そして、会議参加者による評価が「次の案件につながるかどうか」とか、「今後の自分の通訳料金や条件」を左右することを考えると、そっち(会議参加者の体感通訳力)の方が大事だ、とも言える。

「私は通訳が上手なんです!」と会議室の中心で叫んでみたところで、会議参加者がそれを「体感」出来なければ意味が無いのだ。



<なぜ「実際の通訳力」と「会議参加者の体感通訳力」とでズレが生じるのか>

バイアスだ。

会議参加者は人間である。
そして、人間はバイアスの生き物だ。
このバイアスを上手に使いこなせば、実際の通訳力が80点なのに会議参会者には「90点だ!」と感じてもらうことが出来る(かもしれない)。



1.人柄バイアス

例えば、その通訳者がすごく愛想がよく、会議中もいろんなことに気付いて行動してくれ、案件終了後の対応も気持ちよく、実に好感が持てたとしよう。
その通訳案件が終了した後、会議参加者が「今日の通訳、いかがでしたか?」とフィードバックを求められた場合、「よかったですよ」となる可能性が高い。

さて、興味深いのはここからだ。

このとき、会議参加者の頭の中では「通訳者の通訳力」と「通訳者の人柄」がゴッチャになっている。そして、両者は連動しており、後者が前者を引き上げるものなのだ。つまり、会議参加者が「よかった」と思ったのは、実は通訳者の人柄だけで、通訳力ではなかったのかもしれないが、人柄がよかったおかげで、その会議参加者が体感した通訳力も(無意識のうちに)ほんの少し「よかった」サイドに引っ張られるものなのだ。

そして、いつのまにか「(人柄が)よかったですよ」「(通訳が)上手でしたよにすり替わるのだ。



2.向上心バイアス

人は、過去や現在のことを考えるのと同時に、未来のことも(無意識のうちに)考えている。

今、ある通訳者(Aさん)が目の前にいるとしよう。
Aさんがミーティングを通訳してくれて、ミーティングが無事終わった。その一連の過程で、Aさんに「向上心」が見られたかどうか。
見られなかった場合、「実際の通訳力」=「体感通訳力」となる。両者の間にズレは生じない。

でも、会議参加者がAさんに強い向上心を見出したらどうなるか。

会議終了後、「今日の通訳、いかがでしたか?」と聞かれた際、会議参加者は、無意識のうちに、Aさんの現在(80点)だけでなく今後の実力アップも勝手に織り込んでしまい、「85点でしたよ」となることがあるのだ。今の話をしているのに。



3.「通訳力評価は山頂ではなく谷底に引っ張られる」バイアス

上記2つはややマイナーというか、まあどうでもいい項目。でも、この3.は結構本質的だと思う。

ある会議において、合計100フレーズ(100の発言)が行われ、それを通訳者が逐次通訳したとしよう。
通訳者は計100回、通訳パフォーマンスを披露したことになる。

さて、その100回の通訳パフォーマンスのうち、90回はほぼ完璧な、立て板に水のような、実にすばらしい通訳だったとしよう。
でも、何らかの理由により、残りの10回については、クオリティの低い訳(つまりヘタな訳)だったとしよう。

会議参加者の体感通訳力は、
上手だった90回ではなく、
上手だった90回とヘタだった10回の平均値でもなく、
ヘタだった10回によって定まってしまうものなのだ!

だから、浮きを90個つけて浮かび上がろうともがいても、評価は10個のオモリによって水中に押し下げられてしまうもの。
理不尽な話だが、ヒトはバイアスの生き物なんだからしょうがない。

だから、通訳者は必ず、毎回、絶対に80点以上の、つまり合格点の通訳パフォーマンスをする必要がある。
税理士だったか中小企業診断士だったか忘れたが、「どの科目もまんべんなく80点以上を取らないと合格できない」みたいな資格があった気がするが、あれと一緒なのだ。

100点 100点 60点 100点 100点

ではダメなのだ。

90点 95点 80点 90点 90点

を目指すべきなのだ。
頂を極めることではなく、谷を無くすことが重要だ。



ミーティング中の「通訳力の平準化」は、会議参加者にとってのノイズ逓減にも役立つ。
1回のミーティングの間に、通訳力が100点と60点をジェットコースターのように乱高下することは、会議参加者にとって大きなノイズになる。
となりんちのお姉さんのピアノの練習で、途中までうまく弾いてきたのにある音を大きく外したときに我々が感じるあのズッコケ感を想起していただければ、会議参加者の落胆が分かるであろう。

ーーー

以上、会議参加者の「体感通訳力」というテーマについて考察してきた。

これは、芸能人の「好感度」とも似た考え方だ。
芸能人にとって「好感度」は非常に重要な指標だ。それによって今後のCMやドラマのオファー数が左右される。

その好感度だが、それが高いからといって、必ずしもその芸能人がすばらしい人格者、超善人とは限らない。
「好感度」というのは、あくまでも世間がその芸能人をどう見ているか、を表す数字で、その芸能人が実際にどういう人なのか、とイコールではない(強い相関はあるだろうが)。

我々通訳者も、好感度を上げる取り組みをするといい。
会議本番中はもちろん、その前後のチャンスも活かし、会議参加者にとっての「体感通訳力」を高め、次の案件、そしてさらなる高みを目指していきたいものだ。山登りは疲れるし危険なのでようしませんが、通訳の山はいくらでも登り放題。疲れないし、危険はゼロだし、山頂の気温は氷点下どころか、かなり暖かい、すばらしい場所なのではないかと楽しみにしています。

# by dantanno | 2018-10-26 10:46 | プレミアム通訳者への道 | Comments(1)
9月の一ヶ月間、欧州とロンドンで機関投資家たちを周って過ごした。



その前の、夏のIRシーズン(5-7月)。
オランダの年金系の投資家、スイスの投資家、そして一部のロンドンの投資家を周っていて、ESG関連の話題がかなり出ていた。
(それを受け、IRISでも8月下旬に、通訳者有志向けにESG、SDG、PRIなどの説明会を行ったばかり。)

今回、夏と同じ顔ぶれの投資家たちを訪問することになっていたので、今回も当然ESG関連の話題が盛りだくさんになるだろうと予想していたら、意外と出なかった。意外とというか、ESGの話題がほとんど出なかった。

「投資家たち、もう飽きたんですかね(笑)?」と、証券会社のバンカーや発行体の方々と冗談交じりに話したほど。



<投資家の興味は移ろいやすい>
実際、海外投資家の興味は移ろいやすい。

例えばアベノミクス。
一時期、アベノミクスが盛り上がっていた頃、日本国内のIRでは、マクロ系のIR取材が急増した。内閣府、日銀、財務省、政治家などを訪問する機会が激増した通訳者も多いと思う。盛り上がりが急激だったのと同様、盛り下がりも早かった。

あとは、例えばホテル。
不動産系の会社(デベロッパーやリート)と海外を周ることが多いが、一時期、ホテルの話題が急増。
「御社はホテルはやらないのか、作らないのか、なぜやらないのか?他社はやっている。」がメインテーマだった。でも、すぐに
「ホテルの客室は多すぎやしないか。御社はホテルやってませんよね、大丈夫ですよね?ああよかった」となった。結構テキトーなのだ。

今は、ホテルについては、投資家の興味は落ち着いていて、いい感じで賛否両論がバランスしているように思う。


ーーー


さて、ESG。
この秋、一体何が起きたのか? 投資家は、はやくも関心を失ってしまったのだろうか。

そんなことはないと思う。
実際、いくつかの投資家オフィスでは「Responsible investment」みたいなパンフレットやポスターがあちこちに貼られていて、それはあながちポーズでやっているだけとは思えなかった。

では、なぜIRミーティングでESGが話題に出なくなったのか?
(注:ここでは、僕のここ1ヶ月のIR経験という、ごくごくミクロなサンプル数を元に話をしている。実際にはIRミーティングでESGの話題が依然として出まくっているのかもしれない。分からない。ここでは、「もし仮に最近IRミーティングでESGネタが出なくなっている」のであれば、その原因として何が考えられるか、について考察する。)



僕は、理由は2つあると思う。

「ESG関連の投資判断は、定量的・客観的に行われている」という点と、
「ESGに関する(日本企業への)周知期間が終わった」という、
その2つが原因なのではないか、と思う。



1.「ESG関連の投資判断は、定量的・客観的に行われている」

オランダの年金系の投資家とか、スイスの投資家とか、一部ロンドンの投資家などは、投資する際にESGの観点を重視している。
で、ある企業がESGにしっかりと取り組んでいるか、をどう判断するかというと、Sustainalytics(スペル合ってるかな?)社のレーティングとか、MSCIなんとかインデックス(合ってる?)とか、そうした定量評価を用いてスクリーニングしている。

IRミーティングでその企業に直接「ESG面でどのような取り組みを行っているか?」と聞くこともあるが、ポイントは、それによって実際の投資判断はあまり影響を受けないのではないか、ということだ。
例外は、ESGファンドみたいに、モロにESGをテーマに投資をしているファンド。また、投資家サイドでESG専門の担当者を置いているケースもある。そういう系のミーティングでは、当然ESGの話が多く出るし、企業への取材が重要な投資判断材料になっている。)

例えば、ある日本企業のESG関連の取り組みについて、投資家が尋ねたとする。それに対し、その企業がいかにESGでがんばっているか、をしっかりと説明したとする。でも、「じゃあ買おう」とはならないのではないか、と思う。

ESGについては、もはや「ESGをがんばっていれば買う」ではなく、「ESGをがんばっていなければ買わない」なのだ。足きり条件なのだ。



2.「ESGに関する(日本企業への)周知期間が終わった」

じゃあ、少し前は日本企業のIRミーティングでESGの話題が出まくっていたのはなんだったのか。
思うに、あれは「周知期間」だったのではないか。
「我々外国人投資家はESGを重視していますよ、ESGってこういうことですよ、ESGがんばってくれないとファンドに組み入れられなくなりますよ、だからがんばってくださいね」
の期間だったのではないか、と思う。

日本企業がESGの重要性をよく理解した今、そうした周知活動の必要は無くなった。
そして、1.に書いた通り、IRミーティングでESGについて取材したところで、実際にESGを投資判断に織り込む際のプロセスはレーティングを元にかなり機械的に行われてしまっているから、仮にその企業がIRミーティングでESG系の取り組みをアピールしても、それは実際の買いにつながらない。

だから投資家は、ESGについてあれこれ言わなくなったのではないか。

アイロニカルなことに、最近では企業の方が逆に海外投資家に対し「ESGについてはどの程度重視されていますか?」みたいに質問するパターンが増えており、それに対し投資家が「非常に重視している、このベンチマーク/レーティングを見ている、だからがんばってください」みたいに返す例が増えている。



今後どうなるのか
思うに、「ESGに熱心に取り組む」というのはもはやGivenな条件であり、それは別にアピールポイントにならない。投資家ももう聞いてこない。
ESGにおいて非常に大事なのは、「ESGをがんばる」ことではなく、「そのがんばりをしっかりとSustainalyticsとかMSCIといった客観的指標に反映させること」だ。

そして、もう一つESGにおいてなにげに大事なのは、GRESBといったESG系の認証にあまり振り回されないことだと思う。ああいう指標はああいう指標で、ちょっとよく分からないところがある。

ESGにおいてやるべきことはしっかりやった上で、投資家がどのレーティングを見ているのかを冷静に見極め、最も効率的に、最低限の努力とアピール(と出費)でその肝心のレーティングを上げていくか、に注力するのがいいと思う。

以上、最近のIRにおけるチョイネタでした。

(完)


# by dantanno | 2018-10-03 22:46 | IR通訳 | Comments(0)
今まで何度か、人様に本を贈る、ということをしてきました。
両手で数えられる程度の回数なので、あまり多くありませんが。


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今まで、いろんな人に贈った本の画像をご覧頂きながら、本文をお読みください。


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<なぜ人様に本を贈ろう、と思うのか>

その本を読んでいて、その人のことを思うから。

(この本を読んだら、その人のためになるだろう)とか、(この本の著者は、その人が言っていることと似たことを言っている)とか、(その人にこの考え方を押しつけたい)みたいな、上から目線なよくない気持ちもゼロではないのかもしれませんが、一番の動機は、単に、その本を読んでいて、その人のことを思ったから、だから贈りたくなる。


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<大事な人にしか、本を贈りたいとは思わない>
セクションタイトルの通り。付け加えること無し。



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<人様に本を贈ることのリスク>
誰かに何かをプレゼントする、というのはなかなか難しいことです。
あまり良く知らない相手であれば、(あの人はどういうものを喜ぶだろうか・・・)が分からない。
一方、奥さんとか、すごく近い人であっても、近いが故に(?)、(何をあげれば喜ぶかな・・・)がなかなか分からなかったりする。
つい、商品券とか旅行券、なんなら現金(?)、いや、ギフトカタログがいいか、、、的なものをあげたくなる。



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ましてや本です。
ワインとかバスソルト(?)ならまだ無難なのかもしれませんが、本って、いろんな意味で結構「重い」じゃないですか。

その本を受け取った相手が、(ハ?何これ?)と思うリスクが常に頭をよぎります。
(ハ?何これ?)で済めばまだいいですが、例えば(なんか押しつけがましい気がする!)とか、不快になられたら本末転倒逆効果。

でも贈りたい(笑)。
失敗するリスクはあるけど、喜んでもらえる可能性もある。だったら、その可能性に賭けてみてもいいんじゃないか、と思うんです。



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<今は便利な世の中>
相手の住所さえ教えてもらえば、Amazonで注文し、手軽に本を送れて、、、いや、贈れてしまう。



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<やっぱ紙の本>
僕はどっちかというと紙派ですが、電子書籍もたまに買います。
でも、人様に贈るとなると、やっぱり紙の本ですかね。
電子書籍をダウンロード出来るリンクを贈られても、それは文字通り「送られた」感が強く、深みが無い。



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<押しつけがましい>
基本的に押しつけがましいんです。
お節介なんです。
(通訳エージェントを何年も飽きずに続けているのも、結局お節介だからだと思う。)



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子供の頃から、ニガテだったことばは「大きなお世話」と「人それぞれ」。
いや、「人それぞれ」については、それが絶対的な真実だと重々認めた上で、でもついついあれこれ言いたくなる。もはや病気ですね。。




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<これからも懲りずに>
例え空振りしようと、顰蹙を買おうと、余計なお世話だと言われようが、
これは自分が好きで勝手にやってることで、もはや治らない(笑)ので、これからも懲りずに、本を読んでいて誰かのことを思ったら、その人に本を贈り続けるつもりです。

もしあなたの手元に届いたら、、、ハズレだったらごめんなさい。
でも、アタリだったらとてもうれしいです。

(完)

# by dantanno | 2018-10-01 00:25 | プライベート | Comments(0)
今日は、通訳トレーニングというものについて、自分が思っていることをすべて書いてみます。



<この記事を書く背景>

今まで、いろいろな通訳者と、通訳トレーニング(以下「通訳トレ」)について話し合ってきた。


やるかやらないか。

何をやるか。

どれぐらいやるか。

効果をどう計測するか、などなど。


みな、実にさまざまな意見を持っています。


また、IRでご一緒する企業や証券会社の方々、そして外国人投資家から、我々通訳者が日頃どんなトレーニングをしているのか、聞かれることも多い。みな、我々が行っているクオリティコントロールに関心があるんですね。それはそうだ。


そして、私が教えている大学院の講義、主宰しているプロ通訳者向けワークショップ、あるいはたまーに行う(通訳イベントでの)講演後のQ&Aセッションなど、実にさまざまな場で、通訳トレについて意見を求められてきた。「何をトレーニングすればいいのか」とか、「どうすれば効率的にレベルアップ出来るか」といった質問も多い。


一方、別に意見など求められていないにもかかわらず、私から勝手に通訳トレに関する自説を開陳し、顰蹙を買ったり買わなかったりもしています。




通訳トレについて、いろいろな場で断片的に意見を述べてきましたが、この辺で、自分が思っていることをどこか一箇所に全てまとめて書いておくことも有意義であろう、と思い、この度筆を取りました。




<この記事の想定読者。誰のために書いているか>

誰のために、と問われればまあ自分のため、ということになるのでしょうが、でも、通訳力を上げたいと本気で思っている、そんなやる気のある通訳者(特に駆け出しの通訳者)の参考になればとてもうれしいです。




ーーー



<通訳トレとは何か。通訳トレをどう定義するか>

通訳トレを、「通訳力を高めるための取り組み」と、まずは仮に定義する。




<「通訳力」とは何か>

では、「通訳力」とは何を指すのか。これはなかなか深い問題である。

それを考えるために、通訳をする際のプロセスを思い返してみる。


通訳する際、通訳者が経ているプロセスは:


①インプット:    話し手の話を聴き、それを理解・解釈すること

②プロセッシング: (①で聴いたその発言内容を)編集・整理・加工すること、そして

③アウトプット:  (②で処理した内容を)口に出し、聴き手に伝えること


大きくこの3段階に分けられる。

実際に「訳す」作業、つまり日本語を英語にしたり、英語を日本語にしたり、という狭義の通訳作業は、上記②と③にまたがる、と言えるかもしれない。




そして、通訳力は:


①インプット系の力:  話をちゃんと聴き取り、それを理解・解釈する力

②プロセッシング系の力: 話の内容を整理・編集する力。言語を変換する力

③アウトプット系の力:  聴き手にとって分かりやすいよう、ちゃんと出す力


に分けられる。

「話を理解・解釈する力」は、インプット系の力とプロセッシング系の力の狭間に位置すると言えるかもしれない。




こうしたインプット系、プロセッシング系、そしてアウトプット系、いずれかの力を高めるために行う取り組み、それをこのブログ記事では「通訳トレ」と呼ぶことにする。





<通訳トレに含まれないもの>

一つ上のセクションで、通訳力がインプット系、プロセッシング系、アウトプット系の力に分けられる、と書いた。では、それだけなのだろうか。他に通訳力と言えるものはないのだろうか。


例えば「通訳経験」はどうか。通訳経験が豊富であればあるほど、各種シチュエーションでうまいこと立ち回れるようになるだろう。それは立派な「通訳力」だ。

また、「知識」も間違い無く含まれるだろう。ある分野の会議の通訳をする際、その分野に精通していれば、その分「いい通訳」が出来る。そういう意味では、知識を豊富に有していることも間違い無く「通訳力」と言えるだろう。

もっと広い概念で行くと、「人間力」も通訳力の大事な一部分だ。人間的な魅力。会議参加者を安心させるおだやかさ。話し手が言いたいことを推し量る思いやり。その場のキーマンが誰かを見定め、うまく立ち回る力、などなど。こういうのも立派に「通訳力」だ。

つまり、通訳力というのは全人格的な能力なのだ。


ーーー


通訳経験を積むためには、数多くの通訳現場を体験する必要がある。

知識力を高めるためには、次の通訳案件に向けた予習を熱心にやったり、日頃からいろいろなテーマについて勉強しておくことが求められる。

そして、人間力を高めるためには、いろいろと人生経験を積むのがいいかもしれない。映画を観たり本を読んだり、また、友達と飲みに行くのもいいだろう。失恋も人間力アップにつながるだろう。


しかし、このブログ記事では、こうした取り組みについては「通訳トレ」に含めない。


・通訳案件の本番

・案件に向けた予習、および背景知識習得のためのお勉強

・人間力を高めるためのいろいろな取り組み


こうしたものは「通訳トレ」と呼ばないことにする。



それぞれ理由がある。


・通訳案件の本番  通訳案件の本番を経験することは、基本的・普遍的な通訳力のアップにあまり効果が無いと思っている。駆け出しの通訳者ならともかく、通訳をもう3年もやっている人が新たに通訳案件を経験したからといって、そこから得られる「基本的な通訳力の向上」は非常に限定的だと思う(後述するように、応用力は身につくと思う)。

これは大きなテーマなので、この後セクションを分けて、詳しく考えてみたい。


・案件に向けた予習、そして背景知識習得のためのお勉強  これらは要するに「お勉強」と総称できる。通訳者は、真面目な人が多いんだろう、こうしたお勉強が大好きだ。

お勉強は、特定の通訳案件、および特定のテーマの通訳の際はもちろん役立つだろう。しかし、どの分野の、どの通訳案件においても役立つ普遍的な通訳力とは言えない。


例えば来週、原子力関係の会議の通訳をすることになっているとしよう。その日使われる予定の資料を入手し、それを読み込んで予習をしたり、そもそも原子力についてよく分かっていないから紀伊國屋に行って「原子力の基礎」という本を買ってきてお勉強したり、といった作業は、本番当日の通訳パフォーマンス向上に役立つであろう。でも、その通訳案件の翌日に予定されているエンターテインメント系の会議の通訳には(直接的には)役立たない。


・人間力を高めるためのいろいろな取り組み  これはこれで非常に大事だが、「通訳トレ」と呼ぶにはあまりにも時間がかかりすぎる。私がイメージしている通訳トレというのは、1年、、、いや、3ヶ月で効果が出るような取り組みなのである。




<確認: 「通訳トレ」の定義>

ということで、このブログ記事において「通訳トレ」は:

どの分野の、どんな通訳案件で通訳をする際も活用出来る、そんな基本的・普遍的な通訳力を、比較的短期間で向上させるための取り組み

これを「通訳トレ」と定義する。



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<なぜ通訳トレが大事だと思うのか>


通訳という仕事をより楽しむために大事だと思うんです。


ーーー


先日、ハワイで体験サーフィンのレッスンを受けたんですよ。結論から言うと、自分にはバランス感覚が全く無いことが確認出来たのと、ボードに飛び乗ったときにグキッと脇腹を痛め、日本に帰国した後もまだ痛いから病院に行ったら「あばら2本折れてるよ。あんたよくこれでレッスン続けたね(笑)」とあきれられたことが主な収穫でした。


それはさておき、サーフィンを体験して文字通り「痛感」したのが、沖に出る際のパドリングの大変さ。あの、ボードの上に寝そべりながら、手でバシャバシャ水をかいて前に進むアレです。初めて沖に出るときはいいんだけど、その後波に乗って浜の近くまで打ち寄せられて、それで再度沖に向かうじゃないですか。その度にまたパドリングが必要になるわけですが、それを何度も何度も繰り返す内に、だんだんウデの感覚が無くなっていく、、それほど疲れました。もう、波に乗れるとか乗れないとか以前の話。ウデが疲れたのでもう上がらせてください、とマジで先生に言おうかと思ったぐらい。



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ちょっと強引な例えですが、パドリングをする力というのは、通訳における「基本的な力」に相当するのかな、と思いました。


そして、実際に波に乗って、

(あっちに行こうかな)とか

(ここらでちょっとターンしてみようかな)とか、さらにうまい人になると

(ジャンプでもしてみるか)とか、

そうやっていろいろ遊べる、そういう楽しい世界が多分あるんだろうな、と思うんですよ(僕には夢のような話)。それが通訳における各種「遊び」に相当するのかな、と。


通訳における遊びというのは、例えば

(今の発言、ああも訳せるけど、こうも訳せるな。今回はどっちの訳し方で行くかな)とか、

(この投資家は結構せっかちっぽいから、結論を前の方に持って来て、訳をちょっと短めに編集してみるかな)とか、

(今のジョークを、ちゃんと笑いが起きるようにするにはどう料理したらいいかな)とか、

そういう楽しい作業のことを指します。


パドリングで疲れ切っちゃっていると、なかなか「波に乗る」というサーフィンの真の楽しさに行き着けないのと同様、

「話を聴き、理解し、訳出する」という一番基本的な力作業で脳のキャパを使い切っちゃっていると、通訳の真の楽しさをなかなか味わえないんじゃないかな、と思うんです。それではもったいない。だから、もっと通訳で遊んで楽しむためには、通訳トレがすごく大事だと思うんです。





<遊び = 高付加価値>

通訳における遊びは、単に通訳者にとって楽しいだけでなく、会議参加者にも喜ばれます。

ただ訳すのに精一杯の通訳者が多いのに対し、(今の発言はどのように料理しようかな)と遊ぶ余裕のある通訳者は、①そもそもゆとり・余裕があるから会場に安心感をもたらすのに加え、②訳がより分かりやすく、伝わりやすくなりますから、とても喜ばれるんです。


実際、そういう例をたくさん見てきました。





<通訳トレは、ゼネラリスト通訳者にとって特に重要>

僕のように、例えば「IR通訳」とか、分野をかなり限定して通訳をする人は珍しい。

多くの通訳者は、ゼネラリストとして、日々いろいろな分野の通訳に挑戦している。きっとその方が楽しい(笑)。ゼネラリスト通訳者を目指すのであれば、なおのこと、特定分野の、特定の案件にだけ役立つ力ではなく、どの分野の、どの通訳案件にも活かせる「普遍的な、基本的な通訳力」を身につけた方がいいのではないか。




<通訳者は通訳トレをしているのか>

では、そんな大事な通訳トレを、果たして世の通訳者たちはやっているのかどうか。

当たり前の話ですが、やってる人はやってるし、やってない人はやってない。

大きな傾向で言うと、駆け出しの通訳者であれば結構やっているのかもしれませんが、だんだんベテランになってくるにつれて、通訳トレの量が減ってくる、そんな傾向があるかもしれません。


ーーー


通訳系のイベントなど、通訳者の集まりで、通訳者たちに

「みなさん、ご自分の通訳力をさらに高めたい、と思いますか?」

と聞くと、全員がまっすぐに手を挙げます。


「では、通訳力を向上させるためには、何らかのトレーニングをした方がいいと思いますか?」

と聞くと、みな手をしっかり挙げたままです。


「じゃあ、昨日、1時間以上通訳トレーニングをした、っていう人はどれぐらいいますか?」

と聞くと、さっきまで屹立していた全ての手が瞬時に降ろされます。





<通訳トレをしない通訳者は、なぜ通訳トレをしないのか>

駆け出しの通訳者はきっとトレーニングしているでしょうから、一旦脇に置いておきましょう。また、ベテラン勢の中にもしっかりトレーニングしている人もいるでしょうから、そういう人も一旦脇に置いておきましょう。

ここでは、通訳トレを「していない」あるいは「あまりしていない」という通訳者について考えます。


彼ら・彼女らは、一体なぜ通訳トレをしないのか。

野球の練習をしないプロ野球選手などありえないのに、なぜ通訳トレをしないプロ通訳者が存在するのか。


ーーー


プライオリティーが低いんだと思うんです、通訳トレの。


通訳案件(仕事)や、それに向けた予習が優先される。

案件を数多くこなせば疲れます → 休養も必要になる。

そして、もちろん家族のイベントとか、子供の送り迎えとか、そういった時間も必要。

マジメだから、お勉強もします。


そういったことを全てこなした上で、もし時間が余っていたら通訳トレでもするか、、みたいに思うのかもしれませんが、当然時間なんて余るわけがない。そしてこれは、(きっと時間なんて余らないだろうな・・)って、最初から心の中のどこかで確信犯的に、分かってやっているわけです。


他の諸々の用事と比べ、「通訳力を上げるためのトレーニング」のプライオリティーが低いんです。


では、なぜ通訳トレのプライオリティーが低いんでしょうか。結構大事なはずという気もしますが。


それは恐らく、通訳トレするインセンティブを感じていないからだと思います。





<なぜ通訳トレをするインセンティブを感じないのか>


1.既に仕事がある程度回っているから


・仕事がそこそこ取れている

・エージェントからもらえているレートも悪くない

・お客さん(クライアントや会議参加者)は別に文句を言ってきていない


この三拍子が揃ってしまうと、自分の通訳力をさらにアップさせるインセンティブが薄れてもまあしょうがないと思う。そして、仕事がそこそこ入っていると、それをこなすだけで疲れるから、その後に通訳トレする気なんて起きないし。


2.さらに上があることが見えにくい


通訳力アップの必要性とは別の問題として、そもそもそれが可能であるということに気付かない、という面もあるかもしれない。通訳の世界には実はもっと上の次元があるのだが、自分がまだその次元にいないので、当然それが見えないし、実感が湧かない。自分と同じ次元にいる通訳者は見えるが、「上の次元」にいる人たちは見えないものだ。日頃、現場でも会わないし。

そして、今の次元でもらえているレートもそんなに悪くない。


また、幸か不幸か既にある程度の実力を有しているだけに、どうすればそれを、何年後とかではなく比較的短期間の内に、今のレベルからさらに上達させられるのかが見えない。そんな通訳者も多いと思う。だから(ま、長い目で考えよう・・・)みたいな話になり、結局日々の通訳案件をこなす以外はほとんど何もしない、という状態が何年も何年も続くことになる。


通訳トレをするインセンティブを感じない、という問題については、この2つの要因が大きいと思う。





<通訳トレを「戦略的・意図的」にしない通訳者もいる>


中には、確信犯的にというか、戦略的・意図的に通訳トレーニングしないという通訳者もいる。

「しようよ(笑)」という話だが、しないのだ。なぜしないのか。


そのような通訳者は、「日々の通訳案件が一番の通訳トレーニングになっている」と考えている。

それは、本気でそう考えているのか、心のどこかで(実は違う)と思いながらも、通訳トレしない言い訳に使っているだけなのかは分からないが、とにかくそう思っている。


このブログ記事の最初の方で書いた通り、この記事では「通訳トレ」の定義に「日々の通訳案件」は含めていない。また、これも最初の方で書いた通りだが、私は日々の通訳案件が、基本的な通訳力のアップにはあまりつながらない、と思っている。以下でその理由を考えてみる。


● 分からなくもない

確かに、通訳案件をする際は「通訳」をしているわけだし、家でのぬるま湯環境ではなく本番環境でやっているわけだから、トレーニングするよりも効率的に力がつくのではないか、という気もする。直感的には。それを毎日毎日こなしていれば、通訳力がグングン上がりそうな気もする。直感的には。


では、通訳案件をこなすことで得られるものは何か、考えてみた。


・経験

・知識

・持久力/スタミナ

・自信(大事だが、通訳トレーニングをしなくなる、という副作用あり・・)

・ごまかす力(←重要!だがこれも、ごまかすのがうまくなればなるほど通訳トレーニングの必要性を感じなくなる、という副作用あり。何かを「感じなくなった」からといって、それが「無くなった」わけではない。)


もちろん、「通訳者になって初めて」の、一番最初の通訳案件はすごくためになるだろう。2回目の現場もためになろう。でも、それが3回目、4回目、5回目、とどんどん数を重ねていく内に、1回の現場経験から得られるレベルアップがどんどん逓減していく。これは当然のことだ。

(例えば今日の現場がその通訳者にとって5000回目の現場だったとしよう。その現場を経験した結果、通訳力が如実にアップしていたとしたら、それは逆の意味でヤバイ気がする。もちろん、何かためになる知識が得られたとか、その日の経験で新たな視点が身についた、といったことはあるだろう。でも、5000回目の通訳現場で「基本的な通訳力」が大きくアップしていたとしたら、それは何か別の問題があることを意味するし、現実にはそんなことは起こりえない。)



そして何よりも、通訳案件をこなすことで得られるものは、「基本的な通訳力」とは少しズレているのだ。

経験も知識もスタミナも自信もごまかす力も、全部大事だ。でも、それは「基本的な、上手に訳す力」とは別のものだ。


● 見てみたい

もし、日々の通訳案件をこなすことが本当にレベルアップにつながるのであれば、サイコーにすばらしい。そんなに効率的なことはない。だって、そうしたら通訳トレなんて不要ですからね(笑)。本当にうらやましい。

日々の通訳案件をこなすだけの通訳者が、例えば半年とか1年経った時点で、(あ、この前よりもかなり上手になってる、すごい!)ということがあるのであれば、それを楽しみに待ちたい(今のところ、そのような現象を目の当たりにしたことは一度も無い)。経験年数とプライドとレートだけが高まってしまい、実力がついて行っていない通訳者を見るのは痛々しいし、その仕組みは長い目で見るとサステーナブルではないのではないか、と思ってしまう。基本的な通訳力を上げる方がベターだし、結局近道だ。


● 「試合」と「練習」のバランス

通訳を、他の分野のプロフェッショナルと比較してみた。


例えばスポーツ選手。

野球選手や体操選手は、「試合」と「練習」をどの程度の割合でこなしているのだろうか。

野球選手の場合、「シーズン」というものがあり、その間は多くの試合をこなしている。でも、シーズン中でもいわゆる「練習」はするだろう。例えば夕方から試合だとしたら、日中は練習をしているわけである。

また、シーズン以外の期間は、キャンプを行ったり、自主トレを行ったりと、練習に勤しんでいるだろう。


体操選手の場合、4年に一度のオリンピックとか、大きな大会とか、そういった「試合」的な場ももちろんあるが、日頃、一番多くの時間を「練習」に費やしているのではないか。


それに対し、「日々の通訳案件をこなしていればいいんだ」という通訳者は、極端な話、試合10、練習ゼロだ。

どうもアンバランスなような気がする。


「自分は、試合・大会に出るだけで十分ためになるから、日頃の練習などしない」というスポーツ選手がいるだろうか。考えられない。でもそれが、通訳の分野では日常的に起きている。(幸い、そうでない通訳者もいる。)


<Performance zone と Learning zoneという切り分け方>

このブログ記事を読んだ翻訳者(友人)が、こんな動画を送ってくれた。

How to get better at the things you care about

僕が言っている「試合」と「練習」の関係は、この人が言っているPerformance zoneとLearning zoneという考え方にとても近い。




● 案件本番と、トレーニングのときでは、メンタリティーが真逆

私が一番ポイントだと思っているのはこの点である。

通訳案件本番に臨む際、通訳者は自信を鼓舞して臨むものだ。「自分は世界で一番上手な通訳者だ」と思い込むようにして現場に臨む通訳者もいる。いいことだと思うし、大事だと思う。

そして、現場でちょっとミスをした場合。もっとうまく訳せたであろうに、それが出来なかった場合。そんなことでクヨクヨなんかしていられない。どんどん前に進むことが大事だ。


それに対し、トレーニングをしているときはどうか。

自分の通訳力を謙虚に、冷静に見つめ、どこが強みなのか、どこが弱みなのか、を分析する。

そして、特に弱みについて(本番では見過ごされがちな弱みについて)注目し、それを克服するためのトレーニングを行う。


つまり、本番に臨むときと、トレーニングをするときとでは、自分の通訳に向き合うメンタリティーが完全に真逆なのだ。自信過剰 VS 謙虚、なのだ。

だから、本番ばかりこなしていてトレーニングをしない通訳者は、なかなか自分の通訳というものを謙虚に、冷静に見つめる機会が無く、いつもワッショイワッショイで前に進んでいる(気になっている)のではないか、と思うのである。


以上、「日々の通訳案件は、基本的な通訳力アップにはあまりつながらないのではないか」という問題について考えて来た。

このセクションの最後に、IRISの、今やどの現場にでも安心して出せるエース級の通訳者が言った一言を紹介したい。


「私、フリーになって1年ぐらいで、案件を経験することによるレベルアップが止まって、しばらく伸び悩みました。」





<筆者の通訳トレ経験>

じゃあお前はどうなんだ、と思う方もいるかもしれない。


私は、2008年にフリー通訳者になった。

通訳者になって数ヶ月がたち、ほとんど仕事がなくてブラブラしているときに証券会社に拾ってもらい、インハウス通訳者になり、IR通訳を始めた。

IRには年間を通しての波があり、忙しい時期は忙しいんですが、ヒマな時期はとてもヒマ。で、インハウス通訳者が4人もいたので、なおのことヒマ。

(これだったら出社しなくてもいいんじゃないか?)と思うぐらいだったが、一応出社はしないといけない。

そこで、毎日朝から晩まで通訳のトレーニングばかりしていた。


真面目だからではなく、ヒマだからトレーニングをしたのだ。

そして自分の場合、「インハウス」という特殊環境だったのが幸いした。とにかく9時−5時で会社にいないといけない。証券会社ということもあり、会社のPCからはFacebookとかブログとか、そういう楽しい場にはつながらない(最初はYoutubeにもつながらなかった(笑)。これだと通訳トレが出来ない、と言い張って情報システム部に泣きつき、つながるようにしてもらった)。


つまり、他にやることがないからしぶしぶトレーニングをせざるを得なかったのが幸いした。


ーーー


さて、日々トレーニングをしていると、2〜3ヶ月ぐらい経ったときに、明らかに変化を感じた。

もちろん、通訳に「慣れた」というのもあっただろうが、それだけではないような気がした。

とてもラクに通訳が出来るようになった。

もっと具体的に言うと、それまでは多少話を要約したり落とさざるを得なかったのが、全部拾って再現出来るようになった。そして、それまではアップアップで気付かなかったいろいろなことに気付けるようになり、それに対処することで、通訳を少しずつ高付加価値化できた。その後は、「全部写真のように再現するのではなく、もっと絵のような通訳が出来ないか」という課題にも取り組めた。全部通訳トレのおかげだと思っている。




そんな頃、社外の、つまりフリーランスの通訳者たちの通訳パフォーマンスを見せてもらう機会もよくあった。みな、自分よりも大先輩の人たちばかりだ。

フリー通訳者たちの通訳を見ていると、必死になって、アップアップになってやっている人たちが結構いた。見ていて楽しそうではなかったし、あまりステキでもなかった。思うに、基本的な通訳力が無いのだ。基本的な通訳力を欠いた状態で、日々案件をこなしているから、ヘンな応用力(?)とか、ヘンなごまかし方とか、そんな変化球なスキルばかり身についてしまっているのではないか。


興味深いことに、通訳が終わった後、

「やっぱり半導体セクターは難しい(苦笑)」

とか

「この担当者、結構早口だから・・・(笑)」

とかなんとか言っているのだが、僕は(きっとそうじゃないだろう)と思っていた。知識とか、応用力とか、そういう問題ではない。基本的な通訳力が無いのだ。



そんな通訳者がいる一方で、余裕をもって、楽しそうに通訳している人たちもいた。雰囲気だけでなく、実際訳も上手で、会議参加者から喜ばれ、指名を取っている。月とすっぽんだなあ、と思ったし、通訳者になるのであればかくあるべし、、、と強く思った。





<具体的に何をトレーニングするのか?>

では、具体的に何をすればいいのか?これはもちろん人それぞれなわけですが、例えば以下のような項目です。


・脳のトレーニング: スピードアップ、記憶力

・物理的なこと: 口の回りをよくする。腹から声を出す

・単語/表現力

(単語力というのは、「試合」と「練習」の対比がしやすい分野だ。試合(すなわち通訳案件)に向けた予習の際、単語帳を作る。その単語帳には、その会議で出そうな専門用語が並ぶわけだが、例えば “Incidentally, 〜” とか、 "cohesive" とか、特定の案件に紐つかない、基本的な単語力アップにつながる単語は載らないのが普通だ。こういう面でも、試合では得られない効果がトレーニングで得られると思う。)

・(狭義の)通訳力: Shadowing、要約、逐次、同通、パラフレーズ

・メモ取り: 記号化、メモの整理の練習

・英語力: 単語帳、読書、音読

・日本語力: 読書、音読

・その他: 時事ネタ、業界知識・専門用語 (←注:通訳トレの範囲外!)



通訳のプロセスを

Input系、Processing系、Output系

に分けて、それぞれのプロセスにおいて通訳者に必要な能力を細かくリストアップしてみて、それぞれの項目において、自分の能力がどれくらいか、を分析し、「で、自分は何をすればいいのか」を考えるといいと思います。




たまにあるのが、「何をトレーニングすればいいのか分からない」という相談。

相談してくれるのはうれしいんですが、これに対して思うことは大きく2つあります:


1.何をやっても効果あるはず

神レベルの通訳者は別として、ほとんどの通訳者はスタート地点が低いわけだから、ある意味、何をやってもためになっちゃうというか、効果出ちゃいますよね、きっと。だからあまり心配しなくてOK。とにかくやればOK。


2.センスの問題

思うんですけど、自分の通訳を聴いて、それを客観的に分析して、「どこがダメなのか、何をどうすればよくなるのか」が分かる/分からない、って、通訳者にとっての一番基本的な「センス」のような気がするんです。それが分からないのであれば、通訳者としてのセンスが無い、ということ? → 辞めた方がいいのかも。





<「通訳トレーニングしているのに、なかなか効果が出ません」> 

思うことは4つ。

① 「効果が出ていない」というモニタリングがちゃんと出来た点はすごいと思うし、見習いたい。
② 本当にトレーニングしているのか?(司法試験を目指す人は1日10時間とかザラに勉強するらしいが、あなたはどれぐらいやってるんですか?) 
③ 効果が無ければ意味が無い。通訳トレは「通訳力アップにつながる活動」。言い換えると、一生懸命トレーニングしても通訳力アップにつながらないのであれば、それは通訳トレーニングではなく、何か(Whatever else it is,)別のことをやっている、ということ。
④ トレーニング・メニューを変えたらいい。

あと、駆け出しの通訳者が特にそうですが、「通訳案件が無い(つまり、なかなか場数を踏めない)」ことを「レベルアップ出来ないこと」の言い訳にしないでほしい。
通訳案件が無いということは、通訳トレーニングに専念できるわけで、サボっているベテラン勢に対し、大変なアドバンテージ(笑)。

早晩、案件は入るから。そして、そのときにウデが良ければ、エージェント、クライアント、会議参加者、関係者一同「おっ??」って思って、その後は芋づる式に案件が増えていくから。もう、これは間違いありません。こっちだってビジネスでやっているわけで、優秀な駆け出し通訳者に飢えていますから。目を皿のようにして探しています。基本的な通訳力があれば、必ずレーダーに乗るから、安心してください。




<オススメの通訳トレーニングは?>

いくつかあります。


・センテンスずらしのシャドーイング

通訳学校で、シャドーイングというのを教わった。誰かが話しているのを、言ってるそばからすぐにShadowして、同じように話すトレーニングだ。

シャドーイングを毎日やるようになってすぐに、(これは、すぐにShadowしちゃうのはもったいない。タイミングをずらした方がいいんだろうな)と思い、話し手が話したあと、だいぶ待ってからShadowするようにした。最終的には、1センテンスぐらいずらしてShadow。これは、同時通訳をする際の「タメ」の練習に効果的だった。


通訳学校で「同通は聴いたそばからどんどん、とにかく何かを出し続けなさい」と教わったが、教わった瞬間に(それは違うな、きっと)と思った。ひねくれているのだ。


すぐに出しちゃうのは、そうせざるを得ないからそうしているのであって、本当はなるべく「タメ」た方がいいんだろう、と思った。なんなら1センテンスぐらい話し手とズレていても、その方がちゃんと意味を踏まえた、文末までしっかりと聴いた上で編集した訳(逐次通訳に近い訳)が出来るのであれば、その方が会場のためになるだろうな、と思って始めたのがセンテンスずらしのシャドーイング。すぐ出すのは通訳者のため、タメて出すのは会場のため。


他にも、「言い方を変えてのシャドーイング」みたいなバリエーションもあり。

話し手が言ったのをそのまま繰り返すなんてラクしすぎ(笑)。そうじゃなくて、あえて言い方を変えないといけない、というルールを作り、負荷をかけるようにした。


例: "Operating profit will grow 50% this year." → "Our OP will increase to 1.5 times in this fiscal period."


とか、なんでもいいけど、とにかくなるべく表現を変える、というルールで。表現の引き出しを探しに行くスピードを高めるのに役だった気がします。


ちょっと余談ですが、大事な点。

通訳学校でヘンなことを教わり、それに縛られている通訳者のなんと多いことか。

通訳学校で教わったことをいかにDe-learn、Unlearnするかが、プロの通訳者として一段上に行けるかどうかの、かなりカギだと思います。

(これはプロデビューしてから知ったことですが、通訳学校の先生って実は誰でもなれるというか、(えっ、あなたが?)みたいな人が立派に先生として教えていたりする。もっとも、「通訳が上手」だからといって「通訳を教えるのが上手」だとは限らないし、Vice versaですが、I'm sure it helps (and vice versa)。そして、通訳学校の先生は、自分がまだ通訳の右も左も分からないときに通訳学校で教わったことを盲目的に生徒に継承しているだけの時もあるから、とにかく要注意。話半分ぐらいで聞いておくのがいいと思います。)




・「熟成再生」


1.何らかのネタを用意し、再生し、逐次通訳する。

2.自分の逐次通訳を録音する。


(1ヶ月熟成させる)


3.1ヶ月後、元ネタの内容を忘れた頃に、通訳を聴く。その際、元ネタは再生せず、自分の通訳だけを再生する

4.会場にいる人の気持ちになって、自分の通訳を聴き、「分かる」かどうかを品定めする → どの辺がダメか、を考える

5.元ネタを再生する。さっき聴いた自分の通訳がそれをちゃんと訳せているかどうかチェック → どの辺がダメか、を考える


4.と5.であぶり出された欠点を克服するためには何をすればいいか、を考え、その後実行する


これ、ポイントは3.です。

しばらく寝かせた後に訳を聴く際、「元ネタ+通訳」ではなく、通訳だけを聴くことが大事です。元ネタも合わせて聴いてしまうと、頭の中で、元ネタで言っていることと自分の通訳との間でのつなぎ合わせ作業が行われてしまい、自分の通訳がダメダメでも、(まあ、そこそこ訳せてるんじゃないの?いい感じ)と思ってしまいます。

そうではなく、①元ネタの内容を忘れた頃に、②あくまでも「自分の通訳」だけを聴くことにより、会場にいる、自分の通訳の聴き手(=真のお客様)と同じ立場に立てる。そうすると、いかに自分の通訳がダメか、意味不明か、が如実に分かり、(日々現場に出てる場合じゃないな・・・)と気づける。




・「定点観測」


1. 何らかのネタの通訳を録音する(録音A)


3ヶ月間、通訳トレーニングをする。


2. 同じネタを再度通訳し、それも録音する(録音A')

3. AとA'を聴き比べ、どう変化したかを確認する。変化していなければ、3ヶ月何していたんだ、ということになる。




・「聴く」練習

当たり前だが、通訳者の仕事は「訳す」ことだ。

だから、本番中、話し手の話を聴きながら、出来る通訳者ほど「訳す」準備を頭の中で始めてしまい、実は話を聴いていない、という皮肉な現象が起きる。

だから、話を聴いているとき、訳の準備に気を取られずに、ただ聴く、ただひたすら聴くことに集中する、というトレーニングをする。何度でも聴いていい。訳の準備をしちゃダメ!とにかく聴け、と自分に言い聞かせながら。

意外と難しいものだ。つい「訳の準備」とか、スマホ見ようかな、とか、余計なことを考えたくなってしまう。


(もう十分聴いた)と思ったら、今度は本番同様、訳の準備をしながら聴く。

普段、いかに「聴いて」いないかに気付ければ効果あり。




などなど。

こういうトレーニング・メニューはいくらでも考えられると思うので、ぜひオリジナル・トレーニングを考案してください。おもしろいのがあったら教えてください。




<通訳トレの効果はどれぐらいで出るか?>


通訳者と、通訳トレの話をしていて、こう言われたことがある。

「通訳力は、そんなに急には変わりません。長い目で見てください」


通訳トレをやった結果、どれぐらいで効果が出るものなのか?


通訳には、その人の人柄が出る。そして、通訳力は、その人の人柄とか、通訳スタイルと密接につながっている面もある。そういう根本的な面は、確かに短期間では変わらない(っていうか、長期間でも変わらない。変わらなくていいことだ)。


でも、テクニカルな側面は3ヶ月あれば変わると思う(経験者談)。


ゴルフに例えると、その人の基本的な姿勢・考え方は何十年経っても変わらないかもしれないが、スイングを多少改良させることは(やろうと思えば)短期間で出来る。スタート地点の実力が低いのであれば特に。必ずフック、あるいはスライスしちゃっている状態を、そこそこまっすぐ飛ぶように改良することは、短期間でも出来る。


既に上手な通訳者だって、短期間で通訳を「変える」ことはできると思う(今の95点を96点にするのは確かに難しいだろうし、時間がかかるかもしれない。でも、通訳のやり方をちょっと変えてみる、視点をちょっと変えてみる、ということは、極端な話、Overnightで出来るはず)。




「そんなに急には変わりません」と言われて思うこと:


① じゃあ、いつ変わるの??? 

20代のキャピキャピな通訳者ならともかく、我々おじさん・おばさん通訳者の多くにとって、「10年後には多少上達してるといいな♪」では遅すぎるのだ。

そして、「急には変わりません!」と言いつつ、毎日しっかり通訳トレしていれば説得力があるが、99%そうではない。


② ちょっとおこがましい?

一見謙虚な発言が、実はおこがましい、ということはよくある。「私の通訳は、そんなに急には上達しない」という発言もまさにそれ。

確かに、既に実力が神の域に達している通訳者にとっては、そこからさらに目覚ましく実力をアップさせるのは無理だろう。でも、世の通訳者のほとんどは「まだまだ」である。実際、僕を含む世の通訳者に「あなたは通訳が上手ですか」とぶしつけに尋ねれば、半分謙遜、半分本気で「いやいや、私なんてまだまだです」という答えが返ってくるだろう。もし、例え半分だけでも「自分なんてまだまだ」と信じるのであれば、その「まだまだ」の状態からウデを目覚ましくアップさせるのは無理、というのはどういう理屈か。「私には目覚ましい通訳力アップなんて無理」と口にすることを許されるのは、ごく少数の、本当に通訳が上手な通訳者だけだろう。基準をどこに置くか次第だが、通訳が本当に上手な通訳者は、僕を含め、僕の周りには一人もいない。だから、どの通訳者も自身の通訳力を「目覚ましく」向上させることは十分出来るはず、というのが僕の考え方です〜。


③ 通訳は3ヶ月あれば劇的に変わる

経験者談。


④ 目線を「ウデのいい通訳者」のさらに先に置くことで、Fast Trackを歩む

これは言うは易し、なんですが、、、

目標を「ウデのいい通訳者になること」にしてしまうと、それが目標になるので、なんと言いますか、(ま、ボチボチやるか)みたいな感じになりがちだと思うんですよね。でも、もし「ウデのいい通訳者になること」というのを最終目標ではなく、単なるマイルストーンに落とせれば、2倍速、3倍速でうまくなる気がします。つまり、「ウデのいい通訳者になること」の先の、何らかの最終目標を設定する、ということですかね。。まあ、言うは易しです。





<極論: 仕事を断ってでも通訳トレした方がいい??>

例えばみなさんに大学生の息子がいるとします。

彼は、大学4年間、ろくに勉強もせず、体育会もサークルもやらず、異性(同性でもいいけど)との交際もせず、ただひたすらマックでハンバーガーを引っ繰り返すバイトに4年間明け暮れたとしましょう。


「ヒロシ、お前なにやってんだ?」と聞けば、

「父ちゃん(母ちゃん)、オレ、お金貯めたいんだ」とのこと。


せっかく大学まで入れてやったのに、もったいない、、、って思いませんか?


確かに、勉強したり、体育会をやったりするよりも、ずっとバイトしていた方が、とりあえずお金は貯まるでしょう。でも、大学時代をもっと有意義なことに使っていれば(筆者注:耳が痛い)、その後社会人になったときに、そのときもまだ「お金を稼ぎたい」と思うのであれば(大学時代の各種経験に基づき)Goldman Sachsに入社する方が、マックでハンバーガー引っ繰り返してるよりも効率的に稼げるだろう。

また、大学時代にいろいろ経験したおかげで、「お金を稼ぎたい」以上のすばらしい夢が見つかるかもしれない。そしたら、マックにもGSにも行かず、その夢を追いかけたらいい。


ーーー


さて、通訳者。


僕は、順番で行くと、

1.通訳力アップ

2.現場に出る

の方がいいと思うんです。


まずグーーーンと通訳力を上げて、その上で現場に出まくった方が、最初から現場に出まくるよりもいいと思うんです。

(でも、ほとんどの通訳者は1.と2.を並行してやろうとする。そして、気付かないうちに1.には目もくれず、2.ばかりやるようになる)


極端な話、最初は仕事を断ってでもトレーニングした方がいいと思います。


「仕事を断ったら、その後仕事が来なくなるじゃないか!」 → 通訳がうまかったら来ますよ、大丈夫。それよりも、ヘタな通訳で現場に出たら仕事が来なくなることを心配した方がいい。

「仕事を断ったら、収入が減ってしまうではないか!」 → ずっとマックでバイトする大学生の話ご参照。トレーニングして、ウデを上げてから現場に出た方が、はるかに高いレートを設定出来ますよ。マックよりもGSの方が給料がいいんです。


通訳者は「仕事を断る」ことに異常なまでにセンシティブですが(笑)、別にフツーのことですよ、断るのなんて。

大学生が、マックでのハンバーガーひっぺり返しのバイトの勧誘を断って勉強する、ってだけの話。依頼が目の前に転がっているからついついBig dealに感じがちですが、「○○をやらない」というのは我々が日々、まったく気付かないうちにいくらでもやっていること。今日も僕はスカイダイビングをしませんでした。


そして、「仕事を断ってでも・・」っていうか、そもそも通訳のJob marketに自分を乗せるのが早すぎると思うんです、通訳者は。まだウデが低い内から、エージェントが「この案件で通訳者が足りていません、あなた出来ますか?」とか「今までの講師が続けられないと言っているから、あなた通訳学校で教えてみませんか」とか余計なことを言ってくるから、ついつい勘違いしてしまう。そんなの、実はエージェントの都合です。あなたの都合ではありません。


そういうノイズに振り回されず、自分をJob marketに乗せるタイミングを冷静に、戦略的にもう少し遅らせれば、断るも何も、その時期は依頼がそもそも来ないから、余計なことを悩まずに通訳トレに専念できる。


まあ、極端な話ですけど、あながち極端なつもりで言っているのではなく、本当に、最初は仕事をしないでトレーニングしていた方が結局かなりおトクだと思います。そして、ウデが上がるにつれて、「練習」と「試合」のバランスを逆転させていけばいいんです。通訳者はみんな、最初から焦って案件を入れようとしすぎに見える。




<一人で行う通訳トレと、グループで行う通訳トレ>


いろんな通訳トレがあり、いろんなやり方があります。

通訳トレは基本的に一人でやるものかもしれませんが、グループでやるのもいいですよね。IRISでも、登録者(ここのところ、非登録者との方が多い)とワークショップ、そして最近は合宿もやっています。楽しいですね。


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ワークショップであれ合宿であれ、グループでやる場合に意識するといいと思うのは、


1.単なる「お勉強会」にしてしまわないこと

それはそれでやったらいいと思うんですが、それは「通訳トレ」とは別物なので。「フィンテックについて勉強しましょう」は大事だが、それで「基本的な通訳力」は1ミリも向上しない。


2.「グループならでは」のことをやる

家で、一人でも出来ることをみんなで集まってやっても意味が無い。グループならではのメニューを考えるといいと思うし、そのメニューを考えるプロセスがまたためになったりするんですよね。



僕の場合、グループで行うワークショップとは別に、リスペクトする通訳者と2人で「鬼合宿」をやったりもしました。地方に行って、会議室借りて、とにかく徹底的にやろう、と。「もうイヤ!!!」と叫びたくなるまでやろう、と。逐次、同通、とにかくメッタメタにやりました。



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終わった後風呂に入り、飲んだ酒の味が忘れられません(笑)。意識の高い通訳者との取り組みは楽しいものです。





<通訳エージェントは、登録通訳者の通訳トレに口を出すべきか否か>


私は、2012年から小さな通訳エージェントを経営している。


通訳エージェントは、自社に登録してくれている通訳者に対し、通訳トレーニングすることを要求していいのか、あるいはいけないのか。

要求していいどころか、要求「すべき」なのか、

あるいは逆に「すべきではない/してはいけない」のか。

もしくはどっちでもいいのか。


これまでずっと考えて来て、今も考えている。

* なぜそんなことを考えるのか?と疑問に思う人もいるかもしれませんが、とりあえず読み進めていただけるとありがたいです。

ーーー

まず、話の大前提として、通訳トレーニングに関する一切は、完全に各通訳者の自由である。


ー そもそも「通訳トレーニング」という概念をどう解釈・定義するか。

ー 通訳トレーニングを、実際にやるかどうか。

ー もしやらないのであれば、なぜやらないのか。不要だからやらないのか、単に面倒だからやらないのか。

ー やるのであれば、どう戦略を立て、何をやるのか。


当然のことながら、それらは全て各通訳者の自由である。クライアントにも、通訳エージェントにも、他の通訳者にも、かあちゃんにも、とやかく言われる筋合いは無いし、実際、言ってくれる人もいない。我々フリーランス通訳者は悲しいほど自由だ。


通訳トレーニングに関する一切が各通訳者の自由であるならば、通訳エージェントが、自社に登録している通訳者に対し「通訳トレーニングをしましょう」などと言うのはおかしい。通訳者から「余計なお世話です」と不満がられるに決まっている(and rightly so)。IRISで、過去に何度かそのような働きかけを試みてしまったことがあるが、(僕の知る限り)ほぼ失敗に終わっている。


では、通訳エージェントは登録通訳者に何も言うべきではないのか。通訳力アップのためのトレーニングについて、そもそもそれをする/しないを含め、完全に各通訳者に任せきりでいいのか。それはそれで、ちょっと考えてしまう。以下で説明する。


ーーー


IRISはもちろんのこと、どの通訳エージェントも「高い通訳クオリティ」を売りにしている。各社のウェブページを見てみてください、一目瞭然です。みんな、「ウチの通訳者は通訳が上手です」と言っている。


このように高い通訳クオリティをウリにしつつ、一番肝心な「通訳クオリティの管理」は各通訳者に任せきりでいいのか。


ーーー


この問題をどう考えるかは、「通訳エージェント」というビジネスモデルをどう考えるか次第でもある。言い換えると、エージェントと通訳者の関係をどう考えるか次第でもある。


1.紹介業だ、という考え方


エージェントは、クライアントに対し通訳者を、そして通訳者にクライアント(≓通訳案件)を、互いに「紹介」しているだけ。

通訳クオリティについて、エージェントは全く、あるいはあまり、責任を負わない。


2.元請け業だ、という考え方


エージェントは、クライアントから来た通訳案件を元請けとして引き受け、それを(下請けである)通訳者に紹介し、担当させる。

その通訳案件における通訳クオリティについて、元請けとして責任を持つ。


ーーー


もし通訳エージェントが1.単なる紹介業なのであれば、登録している通訳者にあれこれ言うのはおかしいのかもしれない、いや、きっとおかしいでしょう。紹介しているだけなんだから。黙って紹介していればいい。


しかし、もし我々エージェントのビジネスが「2.元請け業」であり、通訳案件で提供される通訳のクオリティについての一義的な責任を我々エージェントが負っているとなると、話は少し変わってくる。そうなると、通訳クオリティを向上させるための取り組み(つまり通訳トレーニング)を通訳者に任せきりにするのはかなり問題があるような気がする。通訳者はそれでいいかもしれないが、クライアントはよく思わないでしょう。


でも、だからといって登録通訳者にあれこれ言ってもなかなかうまく行かないのは上記の通りだし、私も一通訳者として通訳者の立場に立てば、登録先のエージェントからゴチャゴチャ言われるのは、例えそれが正論であっても、いや、正論であればあるほど?、不快に感じるだろう。ゴチャゴチャ言ってくるその相手のことを心底リスペクト出来ているのであれば聞く耳を持つかもしれないが、なかなかそこまでリスペクト出来る人はいないし、この僕が、誰かにとってそのようなリスペクタブルな存在であることはさらに輪をかけて珍しい。


(余談だが、私を含め世の通訳者は、エージェントから下請け扱いされると腹を立てがちだし、エージェントが(元請けヅラして)我々の通訳クオリティに口を出してきたら腹を立てる。一方で、エージェントが「1.単なる紹介業」に徹してしまうと「サービスが不十分だ、もっと手厚く!」と、これまた腹を立てるわけである。)


実際には、エージェント業は「紹介業」と「元請け業」の間のどこかの点に位置するのであろう。その点をどこに置くかはエージェントによって、そしてそれを見る通訳者によって異なる。


ーーー


難しい問題だが、今のところの僕の結論は「通訳トレーニングについては各通訳者の自由であり、周りがとやかく言うべきではない」というものだ。For argument’s sake、もし仮に「エージェントが通訳者に対してとやかく言うべき」だったとしても、それを言われて(なるほど、エージェントよ、よくぞ言ってくれた、今日からがんばって通訳トレしよう)と通訳者に思われることはごくごくごくごく稀なので、言っても意味が無い、だから何も言わない方がいい」というのが僕の意見である。


ちなみに、そうなると、エージェントによるクオリティコントロールについては、通訳者が登録した後はもうほぼ出来なくなるので、最初の入り口の所でしっかりコントロールするしかなくなる。だから、登録するために通訳者が超えないといけないバーが上がるわけだ。だから、世の多くのエージェントでは「実績が無いと登録させられません」とか、駆け出しの通訳者に対し「通訳の経歴書を提出してください」となる。


結果的に、通訳が「日本の大学」化する。入るのは難しいが、入った後は・・・、っていうアレである。そして、エージェントの中には、登録するのも簡単、その後も「通訳トレしてください」とか言って来ない、そんなパラダイス学園のようなエージェントもあるかもしれません、分かりませんが。


まあ、意識の高い通訳者は登録後も継続的に通訳トレしているでしょうから、実力だけでなく意識も高い通訳者を選んで登録してもらっていれば大丈夫なはずです。


ということなので、IRISに登録していない通訳者にはもちろんのこと、登録してくれている通訳者に対しても「ああすべき」だとか「こうした方がいい」といったことを言うつもりは全く無いが、自分が一通訳者として通訳トレーニングについてどう考えているか、を記すことには一定の意味があるかもしれないと思ってこのブログ記事を書いた。




<まとめ>

世の通訳者から、そして通訳を学んでいる学生から、通訳トレーニングについて意見を求められたことも(それほど多くはないが)複数回ある。幸い、通訳トレーニングというものに興味を持っている通訳者は一定数存在するようだ。


通訳トレは、より楽しい通訳が出来るようになるために必須のプロセスだと思う。

そして何よりも、通訳トレ自体がかなり楽しい。

そんな楽しい通訳トレを、ぜひ日々の生活に少しでも取り入れてみてほしい。通訳トレのプライオリティーを一段でもいいから上げてみてほしい。何かが変わるかもしれない。


この記事を読んで何かの参考に、あるいは多少刺激になったと感じる通訳者がいないとも限らない。それがこの記事を書いた理由であり、長い記事をここまで読み進めてくれたあなたのお役に少しでも立てば、通訳仲間として、とてもうれしい。


(完)


# by dantanno | 2018-09-22 07:52 | プレミアム通訳者への道 | Comments(1)
いくつかの点で、お笑いが通訳の参考になると思っている。

1. ボケとツッコミ

お笑いの基本形はボケとツッコミだ。
簡単に言えば、何かアホなことを言い(←ボケ)、それに対して相方が「なんでやねん(笑)」とか言ってツッコむ。

これがどうして通訳と関係するのか。

まず、ボケ。
ボケは、拡散系のプロセスだと思う。いろんなおもしろいアイデアを出し、それを(「これっていいアイデアなのかな、どうなのかな」)なんて考えずに出してみる。もちろん、実際にはお笑い芸人は練りに練ったボケを、練りに練った結果であることを分からないように(一見テキトーに)出し、笑いを取るわけだが。

ボケは、ブレインストーミングで言えば、とにかくいろいろなアイデアを出すプロセスに似ている。そのプロセスをやっているときは、「そんなの無理に決まってるじゃん」とか、「予算どうすんの」とか、そういった現実的かつネガティブな、ある意味、そう、ツッコミだ、そんなツッコミをせず、まずはとにかくアイデアを出すのが大事らしい、ブレストをするときは。

話を戻すと、なぜボケが通訳と関係あるか。
それは、話し手が言ったことを「こういう意味かな?いや、ああいう意味かな?他にどんな解釈がありうるだろう・・・」と考えるプロセスに似ている気がする。また、いろいろな問題により、話し手の発言がよく聞こえないときもある。そういう場合に、「Aって言ったのかな、あるいはBって言ったのかな、他に何か候補は無いか」と考える拡散系のプロセス、これがボケと似ている気がする。

それに対してツッコミは、収束系のプロセス。いろいろ出たアイデアを「なんでやねん」とか「ちゃうやろ」とか言ってバッサバッサ斬っていって、最後に残った一番いいアイデアを「こちらです、どうぞ」という形で、通訳の結果として通訳者が口に出し、会場にいる観客に届ける。

結局、通訳というのは拡散と収束の繰り返しなのだが、その波のようなうねりが、お笑いにおけるボケとツッコミによく似てるなあ、と思う。

2. 「分かりやすく説明する」能力

通訳者にとってすごく大事なのは、分かりやすく説明する能力だ。

分かりやすく説明するためには、自分の発言の1行1行を頭の中のどこかで客観的に(会場にいる人の身になって)聴き、(今のなら分かる)とか(これじゃ分からない)とか、そういった判定を常に、冷酷に下し続ける必要がある。

その力を磨くには、松本人志(いや、人志松本か)の「すべらない話」などのお笑いを研究するといい。
ロジック、滑舌、事前説明、声の出し方、途中の軌道修正、、、
おもしろくあるためには、まず分かりやすくないといけない。この人たちの話はなぜ「分かりやすい」のか。いろいろと参考になる。

3.「健全な逆ギレ」をする能力

これもツッコミ系の話だ。

話し手の話が分かりにくいときに、(今の話が分かりにくいのは、自分(通訳者)のせいではない)という健全な開き直りをする能力、これが通訳においてとても大事だ。健全な逆ギレが出来ないと、いつまでたっても自分の通訳に自信を持ちにくく、モジモジした通訳を続けることになる。

そうした開き直りが出来るようにするには、お笑いの「なんでやねん、何の話やねん、何言うてんねん、ワケ分からんわ、もうええわ」を、頭の中で日々繰り返すといい。文字通り繰り返すのだ。

その日自分が通訳している相手が大統領であれCEOであれ、心の中での(ワケ分からんわ・・・)という冷たいツッコミと、(任しとき!よう分かるよう、ワイがうまいこと説明したるわ(ニセ関西弁注意)という暖かさが求められる。通訳は「言語変換業」ではなく、「代理説明業」だ。

ーーー

ということで、通訳力を上げるためには、人情の機微に満ちた「お笑い」がとても参考になる。
特に日・英間の通訳においては、お笑いの各種テクニックが超有効なツールではないかと思っている。

# by dantanno | 2018-09-19 10:48 | プレミアム通訳者への道 | Comments(2)
ピエール・バイヤール著、大浦康介訳の「読んでいない本について堂々と語る方法」を今、読んでいます。

先日ジャケ買いし、まだ読んでいない(笑)、翻訳家の岸本佐知子さん他の「『罪と罰を読まない」に続く「読まない」シリーズ第2弾。

ーーー

本を「読まない」ことについては、昔からかなり興味(と自信)があります。
今はだいぶ「読む」ようになりましたが、昔の僕は積ん読専門。「○○の経済学」とか、それっぽいタイトルの本を見かけるととりあえず購入し、それを本棚に飾る、ということを繰り返して来ました。

それが、あるときふと「読むべき」だと思う本ではなく、「読みたい」と思う本を買うことにしよう、と決めました。いざ気持ちをそのように切り換えてみると、実は「読みたい」と思う本がほとんどなく、(あれ?オレは自分が読書好きだと思って来たけど、実は読書なんて好きじゃないのか???)と愕然としたのを覚えています。本を読まない、本なんて興味無い、って、現代の社会で相当タブーですよね。

その「タブー」は、何らかの意味で「知的」なイメージが漂う職業についている人であればなおさらです。
飲み屋のおっちゃん(No offense whatsoever)が「オレは本なんて読まねえよ」とうそぶくのは許されますが、大学教授とか弁護士とかがそういうことを言うと周囲は(えっ。。)となるでしょう。

ーーー

本書(「読んでいない本について堂々と語る方法」)ですが、著者は大学の教官であり、仕事の性質上、いろいろな本についてコメントする必要にちょくちょく出くわすそうです。そんな著者はこう言っています(一部中略):

「読まずにコメントすることについて語ることは、確かに一定の勇気を要する。

読書をめぐっては、暗然たる強制力を持つ規範がいくつもある。
・第一は、読書義務とでも呼ぶべき規範である。我々は、いまだ読書が神聖なものとみなされている社会に生きている(こうした社会が滅びようとしていることも事実だが)。
・第二は、通読義務とでも呼ぶべき規範である。これによれば、本というものは始めから終わりまで全部読まなければならない。飛ばし読みや流し読みは、まったく読まないのとほとんど同じぐらいよくないことであり、とりわけそれを口外してはならない。
・第三は、本について語ることに関する規範である。ある本について多少なりとも正確に語るためには、その本を読んでいなければならない、という考えがある。ところが、私の経験によれば、読んだことのない本についておもしろい会話を交わすことはまったく可能である。会話の相手もそれを読んでいなくて構わない。むしろそのほうがいいくらいだ。」

という具合。

これ、真面目な本なのか、ふざけた本なのか。そこがなかなか判断しにくい(笑)。正確には、その両極を行ったり来たりしている。

例えばこんな感じ:
「読んでいない本と、それに対するコメントについて考えることは容易ではない。そもそも「読んでいない」とはどういうことなのか、よく分からないからだ。「読んでいない」という概念は、「読んだ」と「読んでいない」とをはっきり区別出来るということを前提としているが、テクストとの出会いというものは、往々にして、両者のあいだに位置付けられるものなのである。」

本気で言っているのか、冗談で言っているのか。
恐らく両方なのであろう。大浦氏の訳のトーンがまた楽しい。

「読まない」にもいろいろある。もっともラディカルなのは、本を一冊も開かないことだろう。ただこの完璧な非読状態というのは、全出版物を対象として考える場合、実は近似的にはすべての読者が置かれた状態であって、その意味では書物に対する我々の基本的スタンスだと言える。」

うーん、いいですねー。

ーーー

特に説得力があったのは、
「大事なのは、しかじかの本を読むことではなく、すべての書物について、「全体の見晴らし」をつかんでいることである」
という一節。

一冊一冊の本を読むのは、いわば「木をよく見る」こと。それに対し、より重要なのは「森を見る」、つまり世に無数に存在する本たちの全体像を把握し、それぞれの本がどのような位置関係にあるのかを把握すること、そちらの方がはるかに重要だ、という考え方。読むのを面倒くさがる自分を正当化するための屁理屈なのか、あるいは実にすばらしい理論なのか、よく分からず腑に落ちないところがまたおもしろい。

ーーー

本書を読んでいて思ったけど、通訳も、「読んでもいない本について堂々と語ること」とかなり似ている。

その分野の専門家たちの中に、ド素人(=通訳者)ひとりポツンと混じっている、というのは我々の日常においてよくあるシチュエーション。
全く分かっていない内容について、さも詳しいかのように訳す必要がある。今、初めて聞いた単語について、さも「当然昔から知っていた」かのように訳す必要がある。


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例えば会議で「やっぱり、カギを握るのはPCOですよね〜」という発言が出たとする。そのとき、
通訳者 「PCOってなんですか?」
と言うべき時も確かにあるんだろうが、それを言ってしまったら
会場 (えっ、、知らないの??)
と絶句されるであろうケースも多い。特に、その「PCO」とやらが「カギを握る」とか言っているわけだから、事態は深刻だ。だから通訳者は、(ああ、PCOね(笑))と、さも昔から知っていたかのようなフリをして "PCO is the key issue here" とかなんとか言って訳しながら、その後、本番中、あるいは本番後にスキを見て大急ぎでWikipediaに「PCOとは」と打ち込んで調べる必要がある。

要するに知ったかぶりである。

知ったかぶりはよくない。昔からそう教わってきた。だから、当然通訳案件に向けて一生懸命予習するし、日頃から知識の習得に余念が無い通訳者も多い。また、あまりにも門外漢のテーマについての通訳案件は受けない、というのも有効であろう。でもやっぱ一番有効なのは知ったかぶりだ。

ーーー

知ったかぶりは、通訳者自身を守るためでもあるが、客(つまり会議参加者)のためでもある。

通訳者は、自信が無さそうにしてはいけないのである。正確に言うと、自信の無さを客に悟られてしまってはいけないのである。
客は、ドキドキビクビクしながら運転するタクシー運転手の後部座席には乗りたくないものである。実はまったく自信がなくても、さも自信ありげに、これは毎日通っている道で、オレはこの道30年だ、だから大船に乗ったつもりでいてください、ぐらいのハッタリをかまして運転してくれた方が、乗客もありがたいのである。

# by dantanno | 2018-09-11 15:37 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

マスターの快楽論

この前の夜、大好きなバーのマスターから「快楽論」を伝授された。

曰く、ヒトは(本来)快楽を追求するために生きている。そして、スマホやネットはその妨げになる、とのこと。我々はスマホの「支配」を逃れ、もっと快楽を追究するべきだ!!とのこと。なるほど。

マスターにとって、僕が今投稿しているこのFacebookなど論外(笑)。「マスターのお話、おもしろいと思うので、Facebookに投稿させていただきます」と白状していれば店を追い出されていたかもしれない(笑)。だから黙っていた。

そして、そんなマスターが特に嫌うのは「検索」。マスターは検索をしない。け、検索をしない???僕も最初は耳を疑った。マスター曰く、例えば知らない街のおいしい店をネット検索してしまうなんてもったいない。そうではなく、まずその街のその辺のバーに入り、酒を数杯飲み、店員と多少なりとも信頼関係を築けたところで
「何かおいしいものを食べたいんですが、お薦めのお店を教えていただけませんか?」
と持ちかけるのだそうである。そうすると、みな親切に教えてくれ、周りの客も巻き込んだアドバイス合戦になり、知らぬ間に友人・知人も出来てしまい、初めて訪れた街でディープな時間を過ごせる、とのこと。うーん、酔っ払って詳しくは覚えていないが、要はそんなことを言っていて、(なんか一理あるな〜)と思った記憶がある。マスターの人望もあるんだろうが、でも自分にもある程度マネ出来るはずである。「おいみんな、ガイジンさんがうまい店探してるんだと!まんず、おしえてやろうぜ」みたいな空気になるかもしれない。

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さて、その晩以来、(以前にも増して)スマホを見ないようにしている(検索は引き続き行ってしまっている)。どうしてもスマホを見ないといけないとき、、、ま、そんな「とき」は実際には存在しないわけだが、そういうとき以外は見ないように、と自分に言い聞かせている。が、ついつい無駄に見てしまうことも多い。でも、見る頻度を減らした。

スマホやネットを見る頻度を減らした結果、快楽の度合いは未だ高まっていないが、方向は間違っていない気がする。ディープな快楽に浸る日が今から楽しみだ。。

# by dantanno | 2018-09-06 15:34 | プライベート | Comments(0)
最初の記事はこちら

これまでの記事で見て来たように、イギリスでは交通機関の故障や遅延が頻発・再発・続発するわけですが、こうしたトラブル、ひいてはイギリスのこのような「問題」に対し、我々はどう対処すればいいのか。

いろいろな対処法があり得ると思います。



1.やり過ごす
2.人の振り見て我が振り直す
3.一矢報いる(一言言ってみる)
4.イギリス人の意識を変える
5.これは長所の裏返しなのかもしれない、と考える



それぞれについて見ていきます。



1.やり過ごす

故障や遅延といったトラブルに見舞われたロンドンの乗客はみな不満そうにしていますが、(まあしょうがない)的な諦めムードが随所に漂っています。
我々も、イギリス(っていうか、日本以外)はそういうもの、とあきらめればいいのかもしれない。
外国がおかしいのではなく、むしろ外国が普通、これがデファクトスタンダード、と考える。日本が超絶的にすごいだけなんだ、と思えばいい。

トラブルが発生したときの、職員サイドの There is nothing we can do 的メンタリティーについては過去の記事でご紹介した通りです。これも、言ってみれば先方サイドにおけるあきらめであり、やり過ごしですよね(笑)。我々に出来ることは無い、という、これこそ無常感。先方が「無常感」で来るなら、我々乗客も「無常感」をもって対応すればいい。

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確かに、こうしたトラブルに巻き込まれたとき、怒ったら怒っただけ損、という気がします。
これは、周りで(自分以上に)怒っている人がいる場合に、特に強く思います。怒ったってしょうがないのに。冷静さを保てれば気づけるその点に、冷静さを失ったときに気づくのは難しいですが、まあでも確かに怒ってもしょうがない。




2.人の振り見て我が振り直す

自分自身について、何か(我ながら)問題だなあ、と思いながらも放置している「問題」ってあるじゃないですか、誰でも。役所に提出しないといけない書類とか。英語力向上とか。自転車のパンクとか。要らない植木鉢とか。

やってしまえばいい、根本的な対策を取ったらいい。そう分かってるのに、そうしていないこと。誰にでもあります。そう考えるとロンドンの地下鉄の自動改札機が常に壊れていても、あまり腹を立てず、(ま、オレも一緒か(笑)〜)と笑い飛ばせます。

相手に不満を感じたり文句を言ったりする前に、まずは自分自身を振り返り、何か改善出来る点が無いか、を考えてみる。まあ、それをやり出すと改善出来る点は必ずあるわけで、一生文句や改善要求を出せなくなりますけどね。



3.一矢報いる 
(一言言ってみる) 

ときには勇気を出して何か言ってみたいものです。

例えば、いくつか前の記事で紹介した、エジンバラのホテルのフロント係。「朝食込みか、込みではないか」で、言った・言わないみたいな話になったとき。
サービス業に従事していながら、自分たちの主張を繰り返すだけで、一切利用客の身になって考えない人たちに対しては、

Are you interested in the customer’s perspective?

と聞いてみたい。「客の視点に興味ありますか?」、と。
言い換えると「お客さんの意見を聞きたいですか、聞きたくないですか?」ということ。必死にホテル側、交通機関側の主張を繰り返していた職員は、きっと一瞬キョトンとするに違いありません。

この問いに対する回答は、本音では「興味無い」、「聞きたくない」ということなんでしょうが、さすがにそれは言えない。だから「お客さんの意見に興味があります」と言わざるを得ないので、そう言って頂いた上で、「じゃあご説明しますね」と説明する。イヤな客ですね(笑)。
別に、実際にこうしようとは思いませんが、あくまでも考え方として、というか、自分の頭の中での問答として、こういうことを考えることがある、ということです。

もう一つ、トラブル時に「一矢報いる」なら大事にしたいのは、「私はあなた(職員の人)個人に対して文句を言っているのではない。あなたの会社、あなたがその一部を構成しているそのシステムに対し文句を言い、改善要求を出しているのだ。」ということを明確にすることです。そうしないと、職員はすぐに「私に言われても困る。I am doing my best」と言い残してパブに行ってしまいます。
もっとも「あなた個人にではなく、あなたがその一部を構成している会社/システムに文句を言っているのだ」と言ってみたところで、「じゃあ、僕じゃなくて会社に言ってくれ」という話になるに決まっていますが。

以上見て来たように、トラブル発生時に「一矢報いる」、つまり何か一言チクリと言ってやる、というのはあまり有効な対処法とは言えなそうです。
あと、実際にトラブル本番中は、こっちも冷静さを失っているので、うまいこと一矢報いる発言を思い付かないんですよね。たいてい後から、落ち着いた状態になって初めて(ああ言えばよかった・・・)と思うことが多いです。



4.イギリス人の意識を変える

イギリスに日本からの宣教師として乗り込み、イギリス人のメンタリティーを変えてやる、ということは出来ないものでしょうか。


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実際、イギリスに進出する日本企業は、どこもこの問題に直面しているのだろうと思います。いや、イギリスだけでなく、欧州、そして世界の多くの国でも同じことが起きているでしょう。

この問題、すなわち「「問題」というものに対するスタンスの違い」という問題に対し、日本企業が取り得る戦略は大きく2つあると思います。まず思い付くのは、サービス、あるいは製品のクオリティ・レベルを(日本でのそれと比べて)引き下げる、ということです。郷に入っては郷に従う、ローカライゼーション戦略とも言えるでしょう。
一方で、あくまでもジャパン・クオリティを提供するんだ!と考えるのであれば、サービスや製品を提供する現地従業員の意識を根本から変える必要があります。

イギリス人職員が、

誤 「とにかく一刻も早くパブに行こう」
正 「業務終了後、スタッフミーティングを開いて、今後の再発防止策を話し合おう。パブに行くのはその後からでもいいではないか」

と思うよう、意識を変える必要があります。



5.これは長所の裏返しなのかもしれない、と考える

トラブルに迅速に対処し、そして再発防止策を徹底する、そうした行動様式を良しとする、そんな我々日本人のスタンスが正しく、イギリス人のそれが「間違っている」のか。確かに「問題解決」および「再発防止」を考えたら日本人のスタンスの方が優れている気もしますが、それによって失われているものは無いのか。言い換えると、イタリア。イタリア人はいい加減です(笑)。それに対し日本人は「ちゃんとしている」わけですが、日本からはフェラーリのデザインは生まれにくい。「ちゃんとしている」ことの見えないコストはなんなのか、そしてそれはどれぐらいのコストなのか、に興味があります。

もっとも、故障した場合にすぐ修理する、とか、今後は故障しないように再発防止策を考える、といった行動は、その人、その会社、その国の良さを失わずに取ることが可能なのではないか、とも思いますが。



以上、8つの記事に渡り、イギリスの「問題」についてあれこれ考えて来ました。
お読み頂いて分かる通り、結論の無い話で恐縮ですが、それだけ多面的で、かつ深いテーマなんだろうな、と思います。
今後、また考えが変わったり、視野が広がったりしたら、追加で記事を書いてみたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。

(とりあえず完)

# by dantanno | 2018-07-31 10:49 | 提言・発明 | Comments(0)

電車内での親子連れを...

電車内での親子連れを見ていて、昔から思うこと。

席が一個空いているときに、「○○ちゃん、ここ座りなさい」と言って座らせ、親はずっと立っているケースが多い。よく見ると、子供の荷物(リュックとか)も親が全部持ってあげてたりする。(それだと甘ったれに育たないかなあ。。)と余計なお世話な心配をしたり、(きっといろいろあるんだろう。自分も親になったら分かるかも)と推察してみたり。

その後、自分も2児の親になりました。

確かにいろいろあります。
子供の方が疲れやすい。転びやすい。自分が座るよりも、子供に座らせてあげたい。子供が疲れてギャーギャー騒ぐと大変だし、周囲に迷惑。確かにいろいろあります。

でも、僕はなるべくウチの子供を立たせたい、と思う。なんなら子供と一緒に手をつないで立って、他の人を座らせたい。理想論も込めてだけど。

少なくとも、他の乗客を押しのけて席を取り、「ママ取ったよ!!」みたいにはならないように育てたい。

エレベーターでも、他の乗客が降りる間「開く」ボタンを押して待っているような、そういうステキな人になるよう、さりげなく促したい。

子供は親のことを実によく見ていて、そっくりそのまま真似するところがあるから、まずは自分がちゃんとしないとなあ、、と気が重いですが(笑)、がんばります。

# by dantanno | 2018-07-30 18:46 | 子育て | Comments(0)
最初の記事はこちら

「問題」というのは不思議なものです。

それにポジティブな気持ちで向き合おうと思い、「問題点は何か」そして「なぜそのような問題が起きるのか」みたいなことを考え、言い始めると、途端にネガティブなトーンになりがちです。
それに対し、「いろいろ問題があってもいいじゃないか!気にせず、前を向いていこうぜ!」と言えば、ものすごくポジティブな感じがします。それだと問題は解決しませんが。

そう考えると、確か坂上忍がどこかで言ってたんだけど、「僕はネガティブな人間です。そして、ネガティブなのは必ずしも悪いことではないと思う」というのが(本当にそうだなあ・・・)と思います。

ときどき思うんですが、ポジティブ/ネガティブって例えば「北半球/南半球」とか、「白人/黒人」とかみたいに、なんかたまたまそうなっただけなのと、あと実はどっちがよくてどっちが悪いみたいな話でもないのではないか、と思います。実はどっちでもいいんじゃないか、と思います。レストランに食べに行って、「このレストランのここがすばらしい!」みたいなことばかり思い付く人と、「ここをもっとこうした方がいいのに・・・。あ、床が汚れてる」みたいに感じる人の間に優劣は無く、単に視点のベクトルが違う方向を向いているだけのような気がします。どっちも社会には必要であり、一方がもてはやされて一方がけなされるのだとしたら、それはおかしい。

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実際、「こんな戦争、もうやめよう!」はすごく「ネガティブ」だし、「ガンガン他国に攻め込もう!」はすごく「ポジティブ」ですからね。世の「ポジティブ礼賛、ネガティブは悪」という風潮は行きすぎており、なんとかしたいものです。

とは言いつつも、問題点を扱うこのブログ記事は確かにネガティブ・センチメントになりがちで、それだとせっかく読んでくれている読者に悪いので、ここでちょっとポジティブな話をしようと思います。

イギリスの交通機関の「いい面」は何か。

  • 地下鉄がすぐに来る。日本だと、ちょうど電車が行っちゃったときにホームに着くと、次の電車は7分後、とかは全然普通にあることですが、こっちだとすぐに次の電車が来る。だから駆け込み乗車が少ない、なんてこともあるんでしょうか。ラッシュ時でもないのに次の電車がすぐ来る、っていうのは一体どういう仕組みなんだろう。すごいなあ、と思います。

  • バス網が便利。都内だとなかなか「バスを使って移動」ということになりませんが、ロンドンではかなり便利な交通手段です。例によってすぐ来るし(笑)。

  • イギリスの国鉄。総じてイギリスの国鉄はステキです。座席が、京浜東北線とかではなく、東海道線(結構好き)や横須賀線(超大好き)のボックス席みたいになっていて、ちょっとした移動でも「旅する感」を存分に味わえます。

ということで、珍しく「ポジティブ」な内容を書いてみました。
書き始める前の予想通り、書いていて(+読んでいて?)多少気持ちよくはなるものの、まあ毒にも薬にもならないというか、あまり意味の無い記事に仕上がりましたね。そりゃそうだ。通訳だって、「あなたの通訳のここがいい」と言い合うのは気持ちいし楽しいけど、一番重要なのは「今の訳だと聴き手にはよく伝わらない」とか、「改善出来る点はここだ」を指摘し合うことだと思います。やはり「ポジティブ」は礼賛されすぎている。

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さて、次は終章「トラブルへの対処法」という、これもややポジティブ目な内容で締め括りたいと思います。


# by dantanno | 2018-07-17 17:01 | 提言・発明 | Comments(0)
最初の記事はこちら

前回と前々回の記事(連載の④と⑤)で、職員サイドのメンタリティーについて考えた。
今回は、それに対し自分が乗客サイドとして不思議に思うことについて書いてみたい。



1.なんで飛行機が(もっと)落ちないんだろう

ロンドンのヒースロー空港で飛行機に乗り込む度に思うこと。
職員たちがこんなにいい加減なのに。こんなにテキトーなのに。こんなにチームとしての統率が取れておらず、とにかく早く仕事を投げ出してパブに行くことだけを考えている(?)のに、なんで飛行機がガンガン落ちないんだろう。

自動改札機はぶっ壊れてるし、エスカレーターもエレベーターもぶっ壊れてるし、電車そのものや、それを運行するための信号機をはじめとするシステムもいつも壊れている。と考えると、飛行機も「すみません、壊れちゃいました」となっても不思議ではない。それが地上で起きてくれる分には構わないが、空中で「壊れちゃいました」だと困るんだよな〜、と思うんですけど、特に目立ったトラブルも無く運行出来ているのが不思議。

いくつかの仮説が考えられる:
・こっちの人は基本的にいい加減だが、命にかかわることについてだけはいい加減ではなく、ちゃんと対応している?
・僕が街で目にする「いい加減」な職員はごく一部であり、例えば飛行機の整備士の人たちとか、その他大勢の人たちはちゃんと、日本と同じような仕組みのもとで働いている?
・飛行機のメーカーが元々ちゃんと作ってくれているので、メンテナンス側があまりちゃんとメンテしなくても大丈夫なようになっている?

分かりませんが、飛行機に乗る度に毎回不思議に思っています。



2.イングランド戦のときはあんなに燃えるのに

昨日、ワールドカップ準決勝の、イングランド 対 クロアチア戦が行われました。
試合見たさのあまり、電車の運転手たちがこぞってサボってしまい、電車の運行に支障が出たとか出ないとか。そして、ちょうどその時間帯にロンドンのオフィス街と官庁街を通ったんですが、心なしか街はいつもよりも閑散としている気がしました。で、みんなどこにいるかというと、そう、もちろんそうですよね、パブです。パブでパブリック・ビューイングしているわけです。
そして、イングランドが点を決めたときときたら、その歓声、その盛り上がりはハンパない。
イングランド戦だけでなく、地元チェルシーとかリバプールとかマンチェスターのサッカーの試合での盛り上がりぶり+フーリガンぶりもハンパない。

それを見ていて思うのは、(自分が所属する会社にはこれっぽっちも愛社精神、チーム意識を感じず、例えばBritish Airwaysの職員であれば、他部門が起こしたシステムトラブル等の問題についてつゆほどの責任も感じないのに、なんで「国」あるいは「町」という単位になるとここまで一体感を感じられるんだろう、この人たちは)ということ。「国」というのは、その人がたまたまそこに生まれただけで、自分でその国を選んだわけではない(少なくとも多くの人にとっては)のにたいし、「会社」というのは自分が選んでそこに入ったわけで、そういう意味では会社の方が国よりも「そこに所属している感」を感じやすいのではないか、と思うんですけどね。

これは単に単位というか大きさの大小の問題で、「会社」という単位では一体感、所属している感を感じにくいけど、「国家」という単位だとそれを感じやすい、イギリス人はそういう性質なんだ、ということかもしれませんね。一方日本人は「会社」みたいな単位だとしっくり来るけど、イギリスほどは「国家」という単位がピンと来にくい、という面もあるのかもしれません。

あるいは、国への忠誠心、所属している感などについては幼少期からの「洗脳」ですり込まれているのに対し、会社に対するそれは大人になってからの話なので、すり込まれにくいのかもしれませんね。



3.これが、結構いいヤツだったりする(笑)・・・

「何日に行く」と言ってたのにその翌日にノコノコやって来る配管修理のおじさん。
(なんていい加減なんだ!)と腹が立つわけですが、会って話してみると、これが結構いいヤツだったりして、憎めないんですよね(笑)。

地下鉄でも、ぶっ壊れた自動改札機にもたれかかってスタバ飲んでる職員を見て腹が立つわけですが、その人が "Good morning, have a good day♪"みたいに言ってくるとついつい "You too♪"みたいになって、全て結果オーライな感じになってしまう。



4.プライドは無いのか?プロ意識は無いのか?

って思いますよね、日本人からすると。
自分の仕事に誇りを持てて、それを「自分のこと」と思えるのは、実はとても幸せなことなんだなあ、と感じます、ロンドンにいると。

一方、1.で書いた通り、仕事に対する責任感の無さは、いわゆるブルーカラーの、それもごく一部の人たちだけにあてはまることなのかもしれません。それがたまたまユーザーとして頻繁に目にしやすい駅の職員とか、空港のチェックインカウンターのスタッフだったりするのかもしれない。そして、忘れてはいけないことですが、そうした職員/スタッフの中にもちゃんと責任感をもって、いい仕事をしている人たちがいる、ということ。たまにそういう人に出くわすと感動を覚えます。そういう80/20の法則ではありませんが、そういう一部の人たちが残りの(大部分の)人たちのいい加減さを補って余りある働きをしているのかもしれません。



さて、次回の記事(ラスト)では、こうした故障、トラブル、遅延、そしてその根底にある職員サイドのメンタリティーを受け、我々利用者、特に日本人の利用者がどう対応すればいいのかについて考えてみます。


# by dantanno | 2018-07-13 15:04 | 提言・発明 | Comments(1)

ロンドンで起業しました

日本でIRISを起業して6年目となる今年、ロンドンでも起業しました。
https://www.iris-japan.jp/
日本は日本で、引き続き業務を行っていきます。

2012年に日本で起業して以来、日系、外資系問わずあらゆる証券会社から「ロンドンでもエージェント業をしてくれ」と言われ続けて来ました。最初はなんとなく受け流していたんですが、あまりにも言われ続けるので、今年重い腰を上げて起業。

一度それを経験した結果思うのは、起業というのは「起業ありき」ではいけない、ということ。Entrepreneurship for entrepreneurship's sakeであってはいけない、ということ。自分の最初の起業は「起業ありき」な側面が多々あって、そのために、登録してくれた通訳者たちを無駄に振り回してしまった側面があったと反省しています。今はもう振り回していないつもりですが。

そうではなく、何かやりたいこと、実現したいことがあって、そのためのやむにやまれずの起業であるべきだし、その方がうまく行く、と感じています。あるいは、別に自分が起業したいわけでもないのに、お客さんから強く求められてなんとなく起業してしまう、そういったズルズルとした起業も非常に健全だと思います。そういう意味では、今回の起業は全く「起業ありき」ではなく、周りがあまりにも言い続けるのでやむにやまれず起業、という感じで、個人的には結構しっくり来ています。

通訳エージェントにとって一番重要となる「通訳者」については、日本での起業時同様、最高のメンバーが集まったと思います。ロンドン、そして欧州在住の方々です。世に通訳者は数多くいますが、実力と人柄を両立させた通訳者は本当に、本当に、ほとんどいない。なんでこんなにいないんだ、とびっくりするぐらいいない。通訳は上手だけど性格が怖すぎたり、人柄サイコーなんだけどウデがいまいち、という通訳者ばかりの中、希有なメンバーが集まりました。

日本で起業した際は、こちらから熱心に、なるべく多くの通訳者たちに働きかけ、1年間毎月勉強会をやって、IRISに興味を持ってくださった方の中から選考を行い、初期メンバーを選びました。
今回、ロンドンでは完全に受け身に徹しました。IRISのウェブサイトを見て、「(日本への一時帰国時に)ワークショップに参加したい」というように、向こうからアプローチしてきてくれた物好き(?)な通訳者の方々と一人一人向き合い、実力と人柄、そして向上心を兼ね備えた人たちを厳選し、小さなチームを組みました。

こういうプロセスはワイン作りに似ています。作ったことないけど。ものすごい手間と時間とコストをかけないといいものに仕上がらないわけですが、言い換えると、それだけの手間と時間とコストをかければ、かけだだけの、かなりいいものに仕上がる。絶対に急いではいけないし、妥協してはいけない。今回、それが出来た気がしています。

日本でそうしているのと同様、IRISロンドンの通訳者たちに対しては、クライアント支払額を全て透明に開示しています。その上で、クライアント支払額の70%を取ってもらっています。指名案件の場合は80%。

元々IRISを立ち上げる際、「指名の好循環」ということをしきりに言っていました。
1.通訳者がいい通訳をする
2.クライアントが喜ぶ → 通訳者に指名が入る
3.通訳者が喜ぶ。さらにウデを上げるインセンティブになる → さらにウデが上がる → より良い状態で1.に戻る

最初は「エージェントが通訳者に案件を紹介する」でいいけれど、いつまでもそれではいけない。いずれは「通訳者が仕事を獲得し、それをエージェントに流してやる」ぐらいの流れに持っていかないと、プロフィタブル かつ サステーナブルなエージェント業は成り立たないと思っています。

商流上、そしてマーケットの特性上、日本でその流れを創り上げるのはなかなか難しいですが(まだ挑戦中だし、部分的には実現出来ています))、欧州ではその流れを比較的創りやすいのではないか、と思っています。だからこそ、通常案件と指名案件で報酬比率を多少なりとも分けるのはとても大事なことだと思っています。

細々と船出したIRISロンドンですが、今週、なんと「登録通訳者全員稼働」を実現しました。日本のIRISでそれを達成した日のことも昨日のことのようによく覚えています。丹精を込め、厳選して作ったワインがお客さんに喜ばれている感じ。実にうれしいマイルストーンです。

コーディネーターもとてもがんばってくれています。
事業立ち上げ時には混乱やゴタゴタがつきものですが、その中で一生懸命案件を仕切り、通訳者たちに対するケアをしてくれています。Yさんありがとう。
そして今月からは業務拡大に伴いコーディネーターを一人増員する予定。事業の伸びに伴う健全な拡大だと思っています。

「いいIR通訳で、日本のIRと通訳業界を共により良くしていく」が創業の理念。その目標を掲げ続けながら、今年からは日本に加えて欧州でもがんばっていきます。
どうかご支援の程、よろしくお願いします!

# by dantanno | 2018-07-03 05:56 | IRIS | Comments(0)
(最初の記事はこちら

このテーマについて、毎日ブログを連載するつもりが、なにせ半分イギリス人なもので、ついちょっと間が空いてしまった。再開します。

前回の記事で、利用客が職員に意見/文句を言った事例、そしてその意見/文句に対する職員側の反応と名語録を紹介した。日本では、職員サイドのこのような対応・反応は考えられない。イギリスの職員のこうした対応の裏にある背景や考え方は何なのか。それら事例に共通するメンタリティーとは何か。

いくつか、共通項的な、カギとなるポイントがある気がするので、それらについて考えてみる。
重複する内容もあるが、構わず書いてみる。
ちょっとグチっぽくなるが、今回の連載の目的はあくまでも「グチ」ではなく、ポジティブに考えることであることを忘れずに読んでいただきたい。




<謝らない>

とにかく謝らない。もう、逆に感心するほど謝らない。

なぜ謝らないのか。
悪いと思っているけど謝らないのか、あるいは、悪いと思っていないから謝らないのか。

1.悪いと思っているのに謝らないケースもあるだろう。謝ったら負けだと思っているのか?謝ってしまったら、非を認めたことになるから?(っていうか認めようよ、って話だが(笑))、だから謝らないのか?日本であれば、悪かったときに「ちゃんと謝ることができる人」がかっこいい/男らしい、とされているが(注:戦争中にやった「悪いこと」はちょっと例外)、イギリスではそうではないのか?

2.悪いと思っていない? → 悪いと思っているのに謝らないのではなく、そもそも悪いと思っていない可能性がある。なぜ悪いと思わないのか、については以下の各項目でそのメンタリティーを考える。



<言い訳をする。逆ギレをする>

「謝らない」と関連する項目。
英語でDefensiveという表現があるが、まさにそれ。客から何か意見/批判を受けたとき、「そうか、客はそう思うのか、なるほどなあみたいに参考にすればいいものを、そうではなく、客からの意見/批判を「攻撃」と感じ、それに対して必死に防戦してくる。「なにを?!こっちの立場はこうだ!!」と反論してくる。クレームは改善のチャンス、という意識はみじんも感じられず、いかに批判を受け流したり、あるいは上手に反論するかに命をかけているかに見える。



<Defensive>

空港の入国審査ゲートとか、いろいろなところに We will not tolerate abuse みたいな張り紙がしてある。tolerateは「許容する」、abuseは「侮辱、ののしり, 悪態, 暴言」といった意味だ。つまり「ことばの暴力」のような意味だが、abuseにはphysical abuse、つまり肉体的な暴力も含まれる概念だ。
いろんなところにペタペタと貼ってある We will not telerate abuse は要するに、怒った乗客が職員に対し罵詈雑言をはいたり、ときには肉体的な暴力をふるうことを事前に阻止する狙いがあるのだろう。腹を立てた利用客が職員をAbuseすることは許されませんよ、ということ。確かに攻撃的な客もいるのだろう。職員もかわいそうだ。

もちろんAbuseはいけないが、でも、相当強い不満があるからついつい攻撃的になってしまうわけだ。それだけ傷ついている、それだけ怒っている、ということだ。攻撃的な客を責めるのもいいが、まずは自分たちの非を認め、客をそこまで怒らせないための対策を考えるべきではないか。



<組織への帰属意識の無さ → 自分の責任の範囲外>
例えばブリティッシュ・エアウェイズのシステムトラブルで大量のキャンセルが出たとき、「すみません、ウチのIT部門がヘマをしまして・・・」とは絶対にならない。そんなこと言わないし、全然思っていない。むしろ、オレたちだって被害者だ!ぐらいに思っている(笑)。「本当だったら、もうとっくにパブに行けていたはずの時間なんだ。それなのに。。。オレだって困ってるのに、そんなオレに文句を言うとは何ごとか!」ぐらいに思っている。
上記「言い訳/逆ギレ」の項目とも関連。

同じ組織だから連帯責任だ、という意識は皆無。手は、足がやったことに責任を感じない。サッカーのイングランド戦とか、地元のFootballクラブの試合では「組織の一員」としてあんなに燃えるのに(笑)、なぜ仕事においては組織/チームへの帰属意識を感じないんだろう。

そして興味深いのが、「それは自分の責任の範囲外だ」というのであれば、じゃあ、自分の責任の範囲内のことは責任をもってしっかりやるのかと言えば、意外とそうでもないからタチが悪い(笑)。



<他人事>
以前、アムステルダムからロンドン(ヒースロー空港)に向かうフライトが出発直前になってキャンセルになり、その1時間後の、かつ予定されていたヒースロー空港ではなくロンドン・シティ空港行きに振り替わったときがあった。多くの乗客がフライト・キャンセルの影響を受けていたこともあり、乗った機内のアナウンスで、CAさんがそれについて一言言ってくれた。それはいいのでが、その内容がWe are sorry to hear that your flight has been cancelled、つまり「フライトがキャンセルになって残念でしたね、大変でしたね」みたいな内容。ここでの”We are sorry”は「ごめんなさい」ではなく「ご愁傷様」に近い意味で、謝罪ではなく同情の“Sorry”だ。つまり、「ウチの会社(この場合はKLM社)がご迷惑をお掛けしてすみません」とは思わないのだ。だから、悪びれもせず、謝りもしないのだ。

労働者意識なんですかね。自分はしがない一労働者で、「会社」とはまったく別物です、と思っているような印象を受けます。




<We are doing our best。 仕組み化しよう、という発想の欠如
その場しのぎの対症療法短期志向なのだ。喉元過ぎれば熱さを忘れる、なのだ。

今、自分にできることは何か。それを考えるのはすばらしいが、それだけではいけない。再発を防ぐには、仕組みから変えることが必要だ。でも、仕組みの問題点を指摘しても、「今それを言ってもしょうがないでしょ、今は目の前の問題に集中しましょうよ」と、一見もっともなことを言ってくる。「今はとりあえず目の前の問題に対処して、来週のスタッフミーティングで今後の対応策を考えよう」とはならないのだ。「目の前の問題に対処して、定時になったら近くのパブに行こうとしか考えないのだ。




<There is nothing we can do>

無常感ですよね。
村上春樹さんが、自身の作品の授賞式で行ったスピーチで、日本人は無常と共に生きている、といった話をしています。確かにそうだな、と思うわけですが、イギリス人だって無常感がハンパない。これは There's nothing I can do を繰り返す職員サイドもそうだし、それを受け「ま、しゃないか・・」とあきらめる乗客サイドもそうです。

職員の、「システム上、今の自分に出来ることは何も無いのだ」という姿勢。これで完全にDoneです。完全なる思考停止。他に何かすべきことがあるなんて思いもよらない。前の項目とも関連するが、「翌週のスタッフ・ミーティングで、、、」とはならない。スタッフ・ミーティングなんてやっていないんじゃないか(笑)、そもそも。

確かに「今出来ること」は限られているのかもしれないけど。だったら、今はもういいから、明日以降、根本的な対応を考えましょうよ、そうしないとまたこういうことが起きますよ、と言いたいのだが、言っても伝わらないだろう。




<We value your feedback。 ご意見をお寄せください>
これはもう笑っちゃうしかないのだが、こっちの提言・意見・不満に対し全力で逆ギレをしたくせに、 We value your feedback(ご意見をお寄せください) などとしおらしく言ってくる。トラブル続出のくせにアンケートを強要してくる(笑)。こちらからすると、(いやいやいや(苦笑))という話だ。「フィードバックくれ」って言うけど、さっき駅で「フィードバック」を駅員に伝えたら、逆ギレ・言い訳・責任転嫁のオンパレードだったじゃないか。それが今さら「フィードバックしろ」なんて、一体どの面下げて・・・、っていう話です(笑)。

これ、思うんですけど、恐らくシステム上は「乗客のフィードバックを吸い上げる仕組み」というのは組み込まれているんだろうと思うんですよ。会社の方針としてはそういうタテマエになっているし、きっとそういう部門もあるんだろうし、マニュアルももしかしたらあるのかもしれない。問題は、その仕組みが個人レベルで全く機能していない、という点です。

一方日本の場合、会社のタテマエ的な仕組みが、個人のレベルでもある程度機能している。シンクロしてるんですね。それが大きな違い。




以上、トラブル時の乗客からの不満の声に関する、職員側の逆ギレ集から抽出できる職員らのメンタリティーについて考えて来た。

本連載もそろそろまとめに入る。


# by dantanno | 2018-07-02 22:52 | 提言・発明 | Comments(0)
アムステルダムで、アンネフランク・ミュージアムを訪問。

「ユダヤ人だから」という理由(いや、「理由」になんかなっていない)で迫害を受け、殺された人たちのことを思い、多くの訪問者がそう感じるであろうように、「こんなことは絶対に繰り返してはいけない」と誓う。

その足で空港に。

出入国審査カウンターに行くと、持っているパスポートによって、2つのグループに分けられる。
一方はスイスイ進む列。
そしてもう一方は、「それ以外のパスポートの人はみんなこっち」と、長時間待ちの列に並ばされている。

どのパスポートか次第で、全く異なる扱い。なんだ、全然歴史から学んでないじゃないか(笑)。やってることが同じ。


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世の中は間違いなくいい方向に向かっていますが、まだまだ出来ること、改善すべきことは多い。

とりあえず出入国審査に関して言うと、「クルー最優先 → 次に自国民 → 最も悪く扱うのは外国からのお客様」という構図を逆転させるべき。それが「おもてなし」。やろうと思えば明日からでも出来る。

あ、順番を逆転させただけだと、不平等のままか。
じゃあ、全員一列で。

# by dantanno | 2018-07-02 17:02 | 提言・発明 | Comments(0)

通訳、翻訳、音声収録、プレゼン、講義、講演、物書き、通訳会社経営、、、 ことばの世界に生きています。


by dantanno