同時通訳の「聞こえない」を「聞こえる」にする

Zoom等のオンライン会議を同時通訳しているとき、話し手の声がよく聞こえない/聞き取れないことがあるんですが、今日はそれについての話。
かなりマニアックなシチュエーションについての話であり、通訳者以外の方からすれば(自分には関係無い)と思うかもしれませんが、本件はコミュニケーション全般に通じるところもあるので、関係者ならずともよければご一読を。


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ということでよく聞こえないことがあるんですが、
通訳者が話し手の言っていることを聞き取れなかったとき、取れる策がいくつかあります:

1.落とす
聞こえなければしょうがない。その箇所はまるで無かったものとして、訳に含めない。

2.推測する
話の内容、話し手の表情や口調、その案件に向け予習したこと含め通訳者が持っている背景知識。そういったことを活用し、たとえ聞こえなかったとしても(恐らくこう言ったのだろう・・・)と推測し、その推測に基づき訳す。
「これからの時代、ESGはますます○○になります」の○○の部分が聞こえなかった場合、(多分「重要」?)と判断し、importantやcrucialと訳す。

3.話し手に聞き返し、言い直してもらう
上記1.と2.は、言ってみれば邪道です。聞こえなかったときの王道はやはり、話し手にお願いして、通訳者が聞き取れなかった箇所を再度発言してもらうこと。それが一番正確だし、聞いている人たちのためになる。ただ、通訳案件においてあまり頻繁に聞き返しているとみんなの顰蹙を買うのと、逐次通訳(* 話し手と通訳者が交互に話す形式の通訳)であればそれも出来るかもしれないが、同時通訳の本番中に通訳者が話し手に対し発言を繰り返すよう要請することは物理的に難しい、というか不可能なことも多い。
(余談だが、Zoomで同時通訳をしている際に話し手が言ったことを聞き取れなかったとき、話し手に対し「すみません、通訳者です。今の箇所が聞き取れなかったので、もう一度お願い出来ますか?」と話しかけたくなることがよくある。話し手が通訳機能を使っていれば当方からのこうした話しかけは可能なのだが、その人がバイリンガルであって通訳機能を使っていない場合、その人は会議中に通訳者の声を聞いておらず、だからこそ我々通訳者から話しかけることが物理的に出来ない仕様になっている。チャットでメッセージを送ることは出来るが、同時通訳本番中にいちいち長めのチャットを打つことは不可能だし、相手がそのチャットにすぐ気付くとも限らない。この点についてはZoom社に対し改善の申し入れをしているが、未だ回答なし。ぜひ「通訳者→会場」に話しかけられるようにしてほしいものだ。)

という3つが、話し手の言っていることを通訳者が聞き取れなかった場合の主な対処法です。

3.話し手に言い直してもらうは同時通訳案件では不可能なことが多いので、結局は1.落とすか、あるいは2.推測に基づいて訳すしかない。どちらも苦肉の策であり、その日の通訳の不出来につながる。話が聞こえないと、我々通訳者は十分なパフォーマンスを発揮することが出来ないのだ。そして我々通訳者が上手に訳せなかった結果困るのは我々通訳者のみならず、会議参加者なのだ。だからこの件は大事な問題なのです。


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いろいろな案件がある。
話し手がAさん→Bさん→Cさん→・・・、と順々に移っていくパターンの会議において、それが皆一律に聞こえない、という香ばしい案件もあるにはあろう。その場合は会議のやり方、そして音声の拾い方にそもそも問題があるでしょう。



一方、よくあるのは、AさんとBさんはハッキリ聞こえるのにCさんだけ聞き取りにくい、というケース。以下、本件においてはZoom等のオンライン会議の同時通訳における「Cさんだけ聞き取りにくい」パターンを想定し話を進める。
なお、これは「Cさんがイン○訛り」とかそういう問題ではない。訛りもまあ本件と関連する話なのだが、訛りの場合、音としては聞き取れるけど何を言っているのかが分からないことが問題になるのに対し、本件ではそもそも物理的に音を聞き取れないことを問題として取り上げている。




なぜAさんとBさんは聞き取れるのにCさんの話は聞き取りにくいのか。要するにマイクだ。ちゃんとしたマイクを使わず、PCに内蔵されたちゃちいマイクを使っていたりする、だから聞き取りにくいのだ。ちゃんとマイクを使って話してくれれば解決する、ただそれだけの問題なのだ。


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さて、話し手の言っていることがよく聞こえず、だからこそ上手に訳せなかった場合、通訳者としては会議終了後、主催者/事務局に対しクレームというか報告をしたいところです。「Cさんの音声がよく聞こえなかった」と。その会議がシリーズものだったとして、次回以降の通訳を担当するのが自分であれ誰か別の通訳者であれ、いずれにせよ改善してほしいものです。
我々通訳者の苦労を減じたい、という意図ももちろんありますが、一番の目的は会議参加者たちにとってその会議をより有意義なものにしたいということです。だからこそ事務局に報告したい。
また、今日の自分の通訳の不出来の言い訳というか、その理由の一端が「よく聞こえなかった」ことにあるのであれば、自分の立場を守るためにもその事実はちゃんと報告・主張しておきたいものです。



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しかし、ここで一つ問題が。
通訳者である僕は話がちゃんと聞こえず四苦八苦し、(会議終了後に事務局に言っておこうかしら・・・)とまで考えているわけだが、じゃあ肝心の会議参加者たちはどうかというと、結構問題なく音声が聞こえているようで、会議はつつがなく順調に進行しているのだ!

正確に言うと、通訳者の訳をあてにしている会議参加者たち(つまり話し手Cさんが使用している言語を理解しない会議参加者たち)は、音声の問題に起因する通訳の不出来により、ちゃんと話を追えていない。そこに関しては会議は「順調に進行」していない。順調なのは、ちゃちいマイクを使って意気揚々と話す話し手Cさんと、Cさんが使っている言語を直接、つまり通訳を介さずに聞き、理解出来る会議参加者たちだけである。



さて、この状態で通訳者が「私にはよく聞こえませんでした(だから上手に訳せませんでした)」と事務局に言ってきたとしよう。
事務局からすると、(ホンマかいな?)と思うかもしれない。(自分はちゃんと聞こえてたけどな。。)とか(通訳者はこう言ってるけど、他の会議参加者たちは問題なく聞こえてたみたいだけどな。。)とか思っても不思議ではない。
なんか、通訳者が自分の実力不足を棚に上げ言い訳をしているように見られないか?それが恐くて、音声がよく聞き取れなかった会議のあと、事務局に何も言わなかった(言えなかった)ことも過去にある。


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なんで? なんでみんなは聞こえてるの?
一応、言葉を扱うプロフェッショナルである通訳者。その自分がこんなに聞き取りに四苦八苦しているのに、なんでみんな(注:正確には「話し手と同一言語の人たちだけ」だが)は涼しい顔をして、時にはうんうん頷いたり笑ったりしながらCさんの話を聞いて、、、いや、聞こえているの?僕の耳が遠いのか??中学時代、爆音でComplexとかBOOWYを聴きすぎたツケが今頃回って来たか?

これはいくつか理由が考えられる。


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1.実はあまり聞こえていないw
我々の日々の会話の中で、相手の言っていることを完全には聞き取れなかったんだけど、わざわざ聞き返すのもアレだし、それほど重要な箇所でもなかったし、まあいいや聞き流しとこ、ってことで うんうん頷きあたかも聞こえたふりをする、ということはままある。会場の聞き手たちがそれをやっていることもあろう。
あれです、外国人が英語でジョークを言って、それが聞き取れなかった、あるいは聞き取れはしたんだけど意味が分からなかった、そういうときでもとりあえず
Hahahahaha!!!!
って笑うじゃないですか。あれと似ています。



2.聞こえている、としたら?
上記1.は「実は聞こえていないのではないか」という話でしたが、もしかしたらちゃんと聞こえているのかもしれません。だとすると謎は深まります。通訳者である僕は「聞こえていない」のに、なぜ聞き手たちには聞こえているのか?



この場合、聞き手の頭の中で「修復」とでも言える作業が行われているんです。




<修復とは>
たとえば「ありがとう」という言葉。言葉は絵に出来ませんが、仮に絵に出来たとするとこうです:


同時通訳の「聞こえない」を「聞こえる」にする_d0237270_01344631.png



なんだかのれんみたいですね。
お寿司屋さんののれんが、内側から見るとこうなっていて、食事をした後帰るときに「ありがとう」と言われている感じになるのもなんだかステキですね。
すみません、余談でした。



ありがとう、は全部で5文字あります。


同時通訳の「聞こえない」を「聞こえる」にする_d0237270_01373406.png




各文字について、それが完璧に聞こえていれば20点、全く聞こえなければ0点としましょう。



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5文字が全部完璧に(つまり各20点)聞こえれば、5 x 20 = 100点満点です。


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さて、前述の通り、我々の日常会話において、相手の話がすべて完璧に聞こえていることはほぼない。たいていの場合、情報が欠落している。



欠落のし方には2通りあります:
部分的な完全欠落と、全体的な部分欠落


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部分的な完全欠落


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これだと、聞き手に聞こえるのは 4文字 X 各20点 = 80点だけです。




全体的な部分欠落


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この場合は、5文字分聞こえはするんだけど、各文字について80%しか聞こえていないので、
5文字 X 20点満点 X 80% = 80点だけが聞き手に届くことになります。

話し手は「ありがとう」と感謝の意を100伝えたいのに、部分的あるいは全体的な情報の欠落のため、聞き手に届くのは100ではなく80だけになるんです。


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さて、ここからがおもしろいんですが、


同時通訳の「聞こえない」を「聞こえる」にする_d0237270_01423255.png


という音声を与えられたとき、聞き手の頭の中では何が起きるでしょうか?
そう、音声の修復作業が自動的に行われ、(ああ、ありがとうと言いたいのね)となるわけです、聞き手の無意識において。

つまり、物理的な音としては80の情報量しか入って来ていないのに、意味としては100伝わるんです。結果オーライなんです。音が80ではなくちゃんと100伝わって来たときに聞き手が得られていたであろう情報量と同じ100が聞き手の脳に届くんです。
我々は、日々のあらゆる会話の中で、こうした修復を常に、かつ無意識のうちに行っています。



ちょっと前に流行った、以下の英語文もそういう類ですよね:

Aoccdrnig to a rseearch at Cmabrigde Uinervtisy, it dseno't mtaetr in waht oerdr the ltteres in a wrod are, the olny iproamtnt tihng is taht the frsit and lsat ltteer be in the rghit pclae. The rset can be a taotl mses and you can sitll raed it whotuit a pboerlm. Tihs is bcuseae the huamn mnid deos not raed ervey lteter by istlef, but the wrod as a wlohe.


これ、英語が分かる人が見れば一目瞭然ですが、ほとんどの語のスペルがめちゃくちゃなんです。

でも、、、でもですよ、まあ大体分かる/伝わるんですよ、言ってることが。それはなぜかというと、読み手の脳の中でスペリングの修復作業が勝手に行われ、意味の通る文として伝わってしまうんです、元の情報は不正確・不十分なのに。



こうした修復はコミュニケーションの一部であって、我々の脳はそれだけすごいことを日常的に、我々が気付かないうちに行っているんです。


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何ごともタダではありません。
一見無料のものでも、実は必ずコストがかかっています。この修復作業もしかりです。無意識に行われるからといって、無料ではないんです。
修復は、脳のキャパを一定程度消費するんです。上記英語の例がわかりやすいと思います。「読め」はするけど、でもスペルが完璧に正しい英文を読む場合と比べちょっとだけ大変、ちょっとだけ疲れる、ちょっとだけ時間がかかるんです。これが見えないコストなんです。


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さて、同時通訳は大変です。同時通訳は我々通訳者の脳のキャパを大きく消費する作業です。
同時通訳するだけでも十分大変なところに、入ってくる情報が20%欠落していたら。。。

会議参加者のみなさんのように話を聞いているだけでいい(*実際にはもっと他のことも考えているでしょうが)のであれば別にいいんですよ、80点の情報で。修復するから。でも、同時通訳という大変な作業を行っている状態で、話の欠落部分(△20%の部分)を修復する作業までは出来ないんです、我々通訳者は。だから「聞こえない」となるんです。
言い方を変えると、耳から入ってきた80の情報量を、100に修復するのではなく、そのまま80で処理するしかないんです。だから「あり○とう → ???」となり、訳が不出来になるんです。


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同時通訳の際の修復を困難にする要因は3つあります:

1.同時通訳時の脳のキャパの問題
上記の通り同時通訳は大変ですから、それをしているとき我々通訳者の脳はキャパいっぱい、あるいはキャパオーバーです。そんなときに「あり○とう」の修復を行う余裕が無い。80点が80点のままなんです。逆にそっちの修復を優先しようと思うと通訳がおろそかになる。
2.同時通訳に伴い「自分の声も聞こえる」という物理的な問題
これもかなり切実です。我々同時通訳者は、聞くと同時に声を出さないといけません。つまり、案件本番中、ずっと自分の声が聞こえているんですね。
会議に参加している人たちは話し手の話をそのまま同一言語で聞くか、あるいは通訳者の訳を聞くかという二者択一なんですが、我々通訳者は声が二重に聞こえている。その分、Cさんの声を聞き取るのが難しくなり、80点の音質が例えば70点にさらに落ちてしまうんです。
3.背景知識の少なさ
案件に向け、我々通訳者は一生懸命予習をします。でも、そこはどうしたって会議参加者の方々に及ばないことが多い。世界中の公認会計士が集まる会議において会計に関するテーマを我々通訳者が訳す場合を想像してみてください。そりゃ負けます。そんな会議において会計の専門用語が口に出され、それが聞き取りにくかったとして、会計士の人たちはすぐに(ああ、アレね)と修復が出来るが、我々通訳者にとっては???となるんです。



まとめると、同時通訳をする際は:
1.通訳者の脳のキャパの問題により80点が80点のままとなり、さらに
2.通訳者自身の声も聞こえてしまっている、という物理的な問題により80点が70点に減じてしまう。
3.背景知識があれば、聞こえたのがわずか80点でも70点でもなんとかなる(修復出来る)のかもしれないが、背景知識の量はえてして会議参加者に劣る


我々通訳者は二重・三重に「聞こえない」というハンデを追っているんです。
だからこそ会場にいる人たちは聞こえているのに、通訳者が「聞こえない」と言っているという不思議な現象が起きるんです。


<音声チェックしたじゃんw問題>
大事な会議であれば、本番前に通訳者を含めた事務局サイドで集まって音声チェック的なことを行います。その際に音声がクリアに聞こえ、通訳者が「よく聞こえます」と言っていた場合。その同じ環境を使って本番を行い、今度は「よく聞こえませんでした」と通訳者が言ってくれば、事務局は???となりますよね、分かります。
これ、皮肉なんですが、音声チェックの時はよく聞こえるんですよ(笑)。っていうのも、全く聞こえないわけではないので。80%は聞こえるわけで、それは分類上「聞こえる」に入ってしまうんですね。だから音声チェックはクリア出来てしまうんです。しかも、音声チェック時は同時通訳しなくていい、ただ「聞こえればいい」わけですからね。それであれば「聞こえる」んですよ。
あと、音声チェックだけに、話し手がその時だけいつも以上にハッキリと話す、だから音声チェック時は「よく聞こえます」となる、というのもアイロニーに拍車をかける。


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<解決策>
マイクを使う
我々同時通訳者が必要とする音のクリアさは、80点ではなく100満点です。プロなんだから80でいいでしょ?ではなく、プロだからこそ100をいただきたいんです。そうすればベストのパフォーマンスを発揮出来、会議を成功に導けます。


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なんで通訳者のためにそこまでやらないといけないんだ!と思ったら以下を読んでください。

まず、「そこまでやらないと」って言うけど、そこまで大変じゃないでしょう(笑)。

そして、これは別に通訳者のためじゃないんです。我々の通訳を聞いている、それに頼っている会議参加者たちのためなんです。
そして何よりも、これは実はあなた自身のためなんです。今、あなたのメッセージが70しか伝わっていないんです。せっかく頭の中には100のいいメッセージやアイデアがあるのに。
我々通訳者がAさん、Bさん、Cさん、誰の話も上手に訳せていなければそれはこっちの問題になります。でも、AさんとBさんの訳は上手に出来ているのに、Cさんの訳だけ不出来だと、Cさんに何か問題があるのか?となるわけです、いずれは。

我々通訳者は、あなたの分身として、あなたの代弁者として、あなたのメッセージを会場に、、、いや、世界に!伝えるんです。だから、Please help us help youなのです。


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一方で、我々通訳者が心しておかないといけないのは、
1.我々の脳のキャパが十分あって、
2.我々自身が最高の機材(ヘッドホンとか)を用い、
3.話されている内容について背景知識が豊富にあれば、
会議の音声環境が多少悪くても上手に訳せてしまう、ということ。
だから、事務局に「音声環境が悪い!聞こえない!」とクレームというか報告をする際、その何%はやっぱり我々自身の実力不足である、ということを常々認識しておく必要がある。だから声を上げない、問題を指摘しない、ということではないが、そこは常に謙虚にありたいものですし、すべてを音声のせいにするのではなく一定程度は自分のせいであることを常に意識していたいと思います、少なくとも自分は。


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ということで、通訳が入るミーティングにおいてはなるべくマイクを使い、音声品質を高めてくださいということをとても長々と説明するとこうなります、というブログ記事でした。ご精読ありがとうございました。

Commented by sunshine at 2022-08-01 14:26 x
ありがとうございます!「聞こえない」理由をどう説明していいか自分でもよくわからず困っていましたが、このブログのおかげですっきりしました!Facebookでシェアしました。
by dantanno | 2022-08-01 07:45 | 通訳 | Comments(1)