マッサージと通訳

マッサージが大好きです。
なんなら毎日90分ほど施術してほしいぐらいなんですが、お金が無いのでやっていません。でも、結構受けている方です。



ナントカ式とかカントカ式とかいろいろな種類の、そしていろいろな施術者のマッサージを受けます。
(ちなみに一番安心して受けられるのは銀座のリライズ整体院の関谷さんの施術です。)

上記関谷さんをはじめ、その施術をとてもいいと感じる人もいれば、なんだか痛いだけであまり良くないと感じる人もいます。そして、それは上手い/ヘタの問題なのか、あるいはその人と僕との相性の問題なのか、どっちなんだろう、と思うわけです。

決してちゃんと調べたわけではないので、そういう意味ではあてずっぽうなんですが、きっと前者、すなわち「上手い/ヘタの問題」なんだろうと思います。つまり、上手い人は僕だけでなく多くのお客さんに喜ばれているんだろうし、僕が(なんか痛いし、落ち着かないな、この人・・・)と感じる施術者は他の多くの客にもそう思われているのではないか、と推測します。

では、推測ついでにさらに推測。
マッサージが上手い人は、一体なぜマッサージが上手いのか。
心地いい施術を受けながら思うのは、(この人って、自分の施術が受け手つまり客にどう伝わっているのか、どう受け止められているのか、がまるで分かっているみたい)ということです。
つまり、一方で施術をほどこしながら、一方でそれと同時にその施術を「感じ」ているのではないか。

我々シロウトからすると「施術しながらそれを「感じる」なんて、そんなこと出来るはずがないじゃないか!」と思いますが、どうでしょう、意外にそれと近いことが出来ているのではないか、と推測するわけです。それがマッサージや整体のプロ、ということなのではないか。

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もちろん、「仮説が外れる」こともあるでしょう。
つまり、施術をしながら(お客さんはきっとこう受け止めているだろう)と思ったのが、実はお客さんは違う受け止め方をしていて、それでクレームというか、お客さんがあまり喜ばなかった、みたいなこともあるでしょう。だからこそ、それを防ぐため、施術を始める前に「どの辺が疲れていますか?」と探りを入れてみたり、施術開始後間も無く「力加減はいかがですか?痛くないですか?」みたいに確認をするのでしょう。



施術者が「上手」なのに、その仮説が外れ、お客さんがあまり満足しなかった、という場合。それは「相性が悪かった」という整理の仕方も出来るでしょう。そこにはきっと一定の真理があると思います。波長が合う/合わない、はきっとありますよね。

でも、(これまた推測ですが)本当に上手い人は、「こういうのは相性だから」とか「波長が合わなかったからしょうがない」みたいな片付け方は恐らくしないのではないか。そうやって逃げず、客との相性を短時間の内に全力で探りに行き、なるべく「合わせよう」とするのではないか。



相性っていうのはおもしろいもので、合わないなら合わないなりに、合わせに行くことって出来るんですよね。そのリレーションシップが今後何十年も続く、となるとしんどいですが(笑)、わずか60分、90分程度の時間であれば、合わないなりに相性を合わせ、お客さんに満足してもらうことは出来るはずです、上手な施術者には。

だから、上手な人は「相性が悪かったからしゃあない」と投げないし、「これがオレの施術だ」と押しつけもしない。
客の好みや、その日の状態、ちょっと触ってみて受けた印象次第で施術のし方をフレキシブルに調整する。
つまり、運任せではなく、客のことを慮った上で、意識的か無意識にかはさておき、施術の方法を微調整する、それがマッサージが「上手な人」であり、「センスのある人」なのではないか、と思うんです。

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さて、賢明な読者諸氏は今後の話の流れをとっくにご推察済みでしょうが(笑)、そうです、この話を我らが通訳にあてはめて考えてみます。

通訳が上手い人は、自分の訳を「聴いて」いる。
自分の訳が聴き手にどう受け止められているかを考えながら訳している。

ちなみに通訳者がそれを考えるタイミングは
訳の準備中(理想) VS 実際に訳しながら(現実)
ということが多いのではないか。



そして、通訳者のレベルがさらに上がると(余裕が出てくると)、訳の聴き手のみならず、大元の話し手がその訳をどう聴き、どう受け止めるか、まで思いを馳せるようになる。

例えばこういうケースが考えられます。
IRのミーティングで、社長がややまわりくどい言い方をした場合。
話の聴き手である投資家のことを考えれば、内容を少し編集(↓)して、分かりやすくした方がいいのかもしれない。いや、「かもしれない」ではなく、きっとその方がいいのでしょう。

しかし、我々の訳を聴いているのは、何も投資家だけではありません。会場にいるバンカー(証券会社の発行体担当者)やIR部門の方々もいるし、何よりも社長ご本人もいます。これらの方々はみな「企業寄り/社長寄り」の人たちです。そして、そのIR通訳の案件のクライアントは、投資家サイドではなく企業サイドだったとしましょう。
その状況でも、投資家のために分かりやすい訳をすることはもちろんあるし、あと個人的には「いいIR」というのは「投資家が満足するIR」だと思っていて、それが結局企業のためにもなる、と思っているので僕とかは結構、たとえ企業の反感を買ってでもいいから投資家にとって分かりやすいよう訳を編集することが多いんですが、でも立ち回り方として、(ここは企業サイドを少し喜ばせたい)という邪念(?)が生じた場合、社長のまわりくどい話をあえて「正確に」まわりくどく訳し、その訳を社長はじめ企業の方々がどう聴いてくれているか、を意識することもあるでしょう、通訳者によっては。
で、(あ、自分の訳を聴いて社長がうなずいてくれてる!)とか。あまりよくないんですけどね、IR的には。でも通訳ビジネス上、やむを得ないときもある。

すみません、やや余談でした。

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通訳はちょっと脇に置いておいて、もっと広く「コミュニケーション」という括りで考えてみます。

世には話がうまい人、分かりやすい人がいます。島田紳助とか。池上先生とか。ボビー・オロゴンとか(違うか)。

そういう人は、自分の話を、話す前から、あるいはそれを話しながら「聴いて」いるのではないか。
そして、(これじゃ分かりにくいか・・・)とか(まず○○の話をしないと伝わらないか・・・)みたいに考えながら話を微調整し、それが結果的に分かりやすい話につながっているのではないか。

と考えると、、
自分の話を「話しながら」聴くのでは、既に言葉は発せられてしまっており、もう微調整は不可能なので、手遅れ。だから、話がうまい人は恐らく「話し出す前から」自分の話を自分の頭の中で「聴」き、その結果調整や修正を入れているのでしょう。



上手な通訳者も同様です。訳し始めてからでは、反省しか出来ない。いい訳をするためには、訳出開始前に自分の訳を「聴く」必要があるし、上手い通訳者は実際それをやっているのだろうと思います。

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自分の施術、自分の話、自分の訳。
それを、自分ではなく受け手の立場に立ち、そしてその施術なり訳なりを実際に発するその前に先回りして感じたり聴いたりして、実際のアウトプットを調整する。
それは一見神わざというか、難しいことのように思えるし、実際まあ難しいのでしょうが、でも「能力の問題」というよりは「意志/姿勢の問題」である気がします。そうしたいかどうか、です。

そしてまた、「○○が上手いから受け手の気持ちを考える余裕がある」というのもきっと真理でしょうが、それにも増して
「受け手の気持ちを考えながら施術/話/通訳をする、だから上手い」のだと思うんです。



by dantanno | 2021-08-21 02:56 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)