今はコロナ危機ですが、干支で今からひとまわり前の2008年。そう、金融危機のときに、私は会社をクビになり、通訳という全く新しい道を志すことにしました。
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通訳者として開業するのに、資格など要りません。「私は通訳者です」と思った瞬間がデビューです。
自宅でひっそりとデビューし、さっそく通訳エージェントに登録しに行きましたが、「通訳の経験がゼロなのでちょっと難しい」と言われ、まあ確かにそうか、とスゴスゴと家に帰ろうとしたとき、「あ、そう言えば・・・」的な感じで呼び止められました。
「通訳業務ではないんですけど、当社が運営を任されている国際会議がありまして、その受付の仕事があります。受付スタッフはあいにくもう確保済みなんですが、受付スタッフのサポート要員が必要でして、もしよかったらどうですか?」
スケジュールがまっさらだった私は、二つ返事で引き受けました。念願の通訳業務ではないけれど、会場には本物の(笑)通訳者もいるだろう。一歩でも、なんとしても通訳というものに近づきたいと思っていた自分にとっては、ワクワクするようなチャンスです。
当日。
港区内の、現場となる大きな国際会議場みたいなところに出掛けて行ったんですが、ちょっとした手違いで会場に入ることが出来ませんでした。担当者の携帯に電話しても出ない。やむを得ず、近くのタリーズで2時間待機。その間、会場内にいるはずの担当者に何度も電話をするも結局連絡が取れず、エージェントの本社の方と話をした結果「今日はもうお帰り下さい」となり、私の通訳デビューもとい受付サポートデビューはあえなく終了しました。
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お金の話で恐縮ですが、記事のテーマがプライシングということもあり、やむなく(?)話させていただきます。
その日の私の収入は、時給1,200円 X 2時間待機したということで、2,400円。そこから源泉徴収された2000円ちょっとのお金が後日振り込まれました。
受付スタッフの時給は確か1,500円だったんですが、私は受付スタッフではなくそのサポート要員ということで、それよりも少し低い時給1,200円で事前にエージェントと合意していたんです。
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せっかく張り切って出向いたのに現場に入れてもらえずちょっと悲しかったわけですが、こんなインシデントは単なる手違いであり、別にそのエージェントやその担当者を恨んだり(笑)は全くしていません。きっとよくある話でしょう。むしろ、結局仕事をしていないと言えばしていないのにちゃんとお給料をくれたのは、当然と言えば当然なのかもしれませんが、結構良心的だな、と当時思ったし、今でも思います。
でも、この日の経験が、別の意味でものすごく口惜しかったんです。もっと高い次元で口惜しかったんです。
そのとき私は34歳だったんですが、それまでの人生で感じたことの無いような、口惜しさと、惨めさと、そして「やばいやばいやばいどうしよう・・・」という気持ちが入り交じった、えもいわれぬ不思議な気持ち。今でもカラダが鮮明に覚えています。
それまでの10年間、「超」を付けてもおかしくないような一流企業2社に勤めて来て、毎年かなりの年収を得てきて(注:でも浪費癖のため貯金は無し)、ヘンなプライドも人一倍高かった者としては、フリーランス通訳者としてデビューしたものの実質無職で、その日たまたま職にありついたが現場には入れず、待機していた時間の給料が2,400円というのが骨身にしみてこたえました。
(これがオレのキャリアの底なんだな)と思ったし、(今、サラリーマン時代の同僚と街でばったり会ったらなんと言えばいいんだろう・・)と、麻布十番の交差点のところのタリーズで、次の予定も無く、ワン・モア・コーヒー的な制度を使って安く購った何杯目かのコーヒーをすすりながら途方と悲しみに暮れたのを覚えています。
今思えば、もっともっと苦境に立たされている人なんていくらでもいるし、コロナ渦にあっては尚のことそうでしょう。そう考えればその時の私なんてかなり甘々な状況ですが、でも人は自分のおかれた現況をそれまでの自分の経験とくらべて判断せざるを得ないところがありますから、それまでの自分の大甘な人生と比べればかなりのピンチだったのは事実です。しかも、前年までのプチバブル状態が続いていたときに調子に乗って買ってしまったタワマンの住宅ローンが9000万円残っていて(筆者注:貯金ゼロ、日給2,400円)、前の年の稼ぎに対する住民税の延滞金が払えずに喘いでいたので、確かにピンチはピンチだったんです。
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多くの人が、このような口惜しかった経験、転機となった経験を持っているでしょう。私にとってはこの日がそれだった、ということです。
上述した通り、この日、いろいろな想いが胸を去来しましたが、一番強く思ったことは
1.自分は弱い
2.強くなる
ということでした。
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前置きが長くなりましたが、今日は通訳のプライシングについて書いてみたいと思います。
すぐ上に書いた「弱い」とか「強い」とかいった話は、プライシングと大いに関係があると思うんです。
プライシングは通信簿です。
プライシングはバロメーターです。
弱さも強さも、すべてプライシングに出ます。
自分は弱い。弱い通訳者だ。
世にはいろんな通訳者がいる。強い通訳者もいるだろう、知らんけど。でも自分は弱い。だから現場にも入れてもらえないし(注:恨んでません)、だから日給2,400円なんだ。
強くなる。強くなれば、プライシングも引き上げられる。
100倍返しだ!と思ったかどうかは覚えていませんが、でも、稼げる通訳者になってやる、と決めました。
その後数年が経ち、2014年頃から一日25万円という海外IRの料金を設定し、それでも仕事が来るところまで持って来ました。
一応100倍ですね、あの日の。
もっとも、その後のコロナで仕事はストップしていますが(爆)。
ということで、プライシングは大事です。
自分の場合、弱かったときも、強かったときも、そして今また少し弱っているときも、一貫して「プライシングが大事」と言い続けています。高値で売れている時だけ言ってるんじゃないんです。
大事に思うからこそ、当ブログにおいても、「プレミアムな通訳」的な切り口で記事をいくつか書いてきましたが、でも、プライシングを重視している割には「プライシングそのもの」についてのダイレクトな記事を書いたことが無かったかも、と気付き、今回ペンを取るに至りました。
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プライシングについての私の信条は以下の通り:
1.人様のプライシングについてとやかく言わない
2.自分の「売り値」を重視する
3.通訳者とエージェント間のレート交渉は、ほとんどのケースにおいてゼロサムゲームである
4.「あなたに通訳をお願いしたい」と「(値段が高くても)あなたに通訳をお願いしたい」は異次元
5.提言: 通訳者は、エージェントと共に栄える方法を考えよう
6.提言: 通訳エージェントは、通訳者に対し、その通訳者の売り値(つまり、ある意味その通訳者の価値)を開示せよ
ちなみに2〜6はシリーズものというか、かなり関連しています。
では行きます。
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1.人様のプライシングについてとやかく言わない
プライシングというのは、その人の人生観を表します。
だから、アドバイスするのはいいにしても、人様のプライシングを否定するのはよくないと思っています。
「値段を安く設定しすぎだ!業界全体が迷惑する」
「値段が高すぎる!ボッタクリだ」
どちらも人様のプライシングを批判することばですが、これは口にすべきではない。もっと言うと、口にする必要が無い。
私は経済学部出身ですが、経済について、恥ずかしいほど何も学んでいません。それを認めた上でですが、市場は(最終的には)効率的に動くと考えていまして、通訳業界についても、多少の例外はあるでしょうが大きな方向性としては「いいものは高い、安いものはクオリティもそれなり」という傾向に実際なっていると思います。
だから、通訳であれ翻訳であれ、それを低料金で売る個人あるいは会社が業界内にいたとしても、クライアントは一時的にはそちらになびくかもしれませんが、もしそのクライアントが(世のほとんどのクライアントがそうであるように)一定のクオリティを訳に求めるのであれば、かなり早いタイミングで「なんじゃこりゃ」となり、値段が高いサービスに戻ってくるでしょう。
一方、質が悪いのに高値を設定している売り手については、別に周りがとやかく言わなくても、いずれ売れなくなり、値段を下げるでしょう。一時的にはなぜかうまく行くかもしれませんが、長続きしません。だから、いいものを高く売っている自負がある人たち(私もそうです)は、どっしり構えていればいいんです。ギャーギャー騒がなくて言い。そして、値段を戦略的に下げたいと思う日が来れば下げればいい。さらに上げていけるのであれば上げていけばいい。
稀に、いいものを安く提供する個人あるいは会社もいるでしょう。我々同業他社にとっては目の上のたんこぶでしかありませんが、お客さんは大喜びです。大いに結構。
というか、結構も何も、そもそもがプライシングの設定はその人あるいはその会社の自由なんですから、公正取引法(?)やアンチ・ダンピング法(?)に反するケースを除き、安かろうが高かろうが、他人がとやかく言うことではないですよね。
という考えで私はやっていますが、人様のプライシングをとやかく言う人もいます。そういう人は、もしかしたら「いや、私は自分一人のことを気にしているのではなく、業界全体のことを・・・」みたいな感じなのかもしれませんが、うーん、どうなんでしょうね。そのような心配をするよりも、自分のウデをさらに上げて、自身のプライシングをさらに引き上げるということを志向し実践していけばいいのでは、と思うし、その方が結局業界のためじゃん、って思っています。
ということで、人様のプライシングに対しとやかく言うべきではないし、そもそも言う必要が無いと思っています。
別に私が何か言われたわけではないんですが、業界を見回していて(ほっとけばいいのに・・)、そう感じるときがあります。
2.自分の「売り値」を重視する
通訳者(+翻訳者)のみなさんに聞きたいんですが、自分の「売り値」って知っていますか?意識していますか?考えたことありますか?
ここで言っているのは、みなさんがエージェントから受け取るいわゆる「レート」のことではなく、通訳案件のクライアントが、あなたの通訳(翻訳)に対しいくら支払っているのか、という大元の「売り値」のことです。
昔から、それを意識するべきだと思っています。
業界関係者ではない方のために簡単に説明しますと、多くの通訳・翻訳案件の商流は以下のようになっています。あとでまた詳しく述べますが、とりあえずご参考まで:
冒頭で紹介した散々な「通訳デビュー」(詳細はこちら)を経て、その後フリーランスの通訳者として一応の活動をし、何回か仕事をさせていただきました。 それはよかったんですが、それらの案件において、クライアントが(通訳エージェントに)いくら支払っているのかが気になったのでエージェントに聞いたところ、教えてもらえませんでした。
なんで?
なんで教えてくれないの?
別に、それを全部ください、と言いたいのではありません。エージェントにはちゃんとマージンを取ってもらって、その残りを私にくれればいい。ただ、大元のクライアント支払額がいくらなのかを参考までに教えてください、と言っているだけです。でも教えてくれない。なんで?
例えばメジャーリーガー。彼らにも「エージェント」がついていたりします。そんなメジャーリーガーが「オレの年棒?球団がオレにいくら払ってるか?そんなの知らない。エージェントからは毎年10億円が振り込まれてるけど、球団はエージェントにいくら払ってるんだろうね?100億かもね(笑)。全然知らない、分からない」なんて、そんなバカな話がありますか?それと同じぐらいおかしな話に感じたんです。
自分の通訳がいくらなのか。クライアントは自分の通訳をいくらと評価し、いくら払っているのか。そんな貴重な情報を通訳者から隠すのはおかしい、許せん(笑)、ということで、(こうなったら自分でエージェントをやるしかないな・・・)と思いました。元々エージェントをやるつもりでしたが、その決意がさらに強まった、ということです。
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エージェントは、なぜ通訳者にクライアント支払額を教えてくれないのか。いや、正確には、IRIS以外にもクライアント支払額をちゃんと通訳者に伝えているエージェントはいますから、あくまでも一部のエージェントなのですが、その一部のエージェントは、なぜそれを通訳者から隠すのか。
それは商流と関係しています。
通訳業界における典型的な商流は
クライアント → 通訳エージェント → 通訳者
となっており、お金の流れもそう動きます。図にするとこうです。
(70という数字はテキトーに置いています。もっとも、通訳におけるマージンというのは大体3割ぐらいが適正なのかな、と思っているので、あながちテキトーでもありません)
商流はこうなっている。だから、通訳者が気にすべきは、エージェントと通訳者を結ぶ②の矢印だけであり、①ではないのだ、①はクライアントと通訳エージェント間の問題だ、ということなのかもしれません。
これ、契約上・商流上は確かにその通りなんですが、ものすごく違和感+不快感を感じました。今も感じています。そう感じる根拠を文字にすると、
① クライアントに対し「通訳サービス」を提供しているのは、(契約上はあくまでも通訳エージェント単独になるのかもしれないが)実質的には「通訳エージェントと通訳者」のチームである。その両者がタッグを組んで通訳サービスを提供している。そして、通訳サービスの要となるのは、エージェントによる営業活動や事務作業ではなく(それも大事ですが)、通訳者が提供する通訳そのものである。それが一番の価値の源泉である。だから、契約・商流がどうであれ、その肝心の通訳サービスに対しクライアントが支払った額というのは、通訳者に大いに関係があることだし、もっと言えば、その大部分を通訳者が生み出しているわけだから、当然それを通訳者に対し開示すべきだ、と思ったんです。
エージェントがクライアント支払額を通訳者から隠すことに対し、私が強い違和感を感じるもう一つの理由は、もっとロジカルというか、理屈的な理由なんですが、
② まともなエージェントであれば、クライアント支払額を隠したいどころか、むしろ積極的にアピールしたいはずでしょう?と思ったんです。エージェントである自社が(通訳者に対し)提供している様々なサービス内容に自信があり、でもその割にチャージしているマージンが適切、という自負があれば、むしろそれを開示したいはず。だから、クライアント支払額を通訳者に伝えない(それは「隠す」と同義でした、私にとっては)ということは、自分が提供している価値の割にマージンを取り過ぎているという後ろめたさがあることの証左ではないか、そう思ったんです。
興味深いことに、クライアント支払額を通訳者から隠すエージェントほど「クライアントとの直接取引はモラル違反です、厳禁です」と言います。まあ、当然そうなりますよね。直接やり取りされたら、エージェントにとって都合の悪いことがいろいろと明るみに出ちゃうから。
(ちなみにIRISはその逆で、通訳エージェントが、通訳者とクライアントとの直接取引を禁じることこそモラル違反だと考えています。)
そんな経緯もあり、自分が将来エージェントをやる際は必ずクライアント支払額を通訳者に開示するぞ、とフリーランス時代から心に決めていて、実際IRISでは2012年2月の開業以来、これまでの全ての通訳案件1つ1つについて、担当してくれた通訳者に対しその売り値、つまりクライアントがIRISにいくら支払っているかを開示しています。
これ、自分としては結構重視している点で、IRISの(対通訳者の)大きなアピールポイントになるかと思ったんですが、どうなんですかね、そこまでささっているわけでもないようです(笑)。開示を喜んでくれている人もいると思いますが、それほど気にしていない人もいるかもしれません。だとしたらもっと気にしてほしいものです。
あ、あと、IRISがそれを開示することを「当然のこと」と思っている通訳者もいるかもしれませんね。だとしたら本望です。この後述べる通り、まさに当然のことだと思っているので。
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ちなみに、、、
通訳の商流って、要はこういうこと↓じゃないかな、と思っているんです。
通訳者はエージェントから(例えば)70を受け取るわけですが、大事なのは70ではないんです。70は単に結果でしかない。
何の結果かというと、1.大元のクライアント支払額100から、2.エージェントのマージン30を差し引いた額、それが70です。大事な変数は100と30であって、70はその引き算の結果でしかない。
我々通訳者は、2つの大事な変数1.クライアント支払額2.エージェントのマージンこれを意識すべきだと思うんです。
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通訳者が自分の売り値、つまりクライアント支払額を気にしないとどうなるか。悪いエージェントにとって、まさに望み通りのハッピーな状態になります。そういうエージェントは、グロス(クライアント支払額)ではなくネット(エージェントが通訳者に渡す額)だけに注目してほしいと思っていることでしょう。そうすれば、自分が発揮している付加価値の割にマージンを取り過ぎていることがバレないから。IRISは悪徳ではないので分かりませんが、恐らくそういうことなのだろう、と思います。
そうしたエージェントの思い通りにさせないためにも通訳者は積極的にグロスの金額、つまりクライアント支払額の開示を求めていきましょう。「開示出来ません」と言われたら、なんで?とたずね、そして「ご参考まで」ということで、このブログ記事へのリンクをエージェントの担当者に送りましょう(笑)。
そのエージェントにチャージされているマージンが果たして適切なのか、を継続的にモニターしていきましょう。
マージンは、通訳者がエージェントに対して払っている「料金・価格」です。それを買い手である通訳者から隠して取引することは道義上許されません。
3.通訳者とエージェント間のレート交渉は、ほとんどのケースにおいてゼロサムゲームである
よく通訳のセミナーやフォーラム的な場で、「通訳者のレートアップ術」といったテーマで話がされています。大事だと思います。通訳者はみな関心がありますし、確かにフリーランスの通訳者にとっても派遣の通訳者にとっても重要なテーマです。
ここで言う「レート」というのは多くの場合、通訳エージェントから通訳者に支払われる料金のことを指します。この図で言うところの②です。
それをいかにして上げていくか。
いかにエージェントと上手く交渉し、レートアップを獲得するか、というのが「レートアップ術」です。
このテーマについてまず思うのは、レートアップの交渉というのは実に正当な行為であって、それが出来るのであれば大いにやるべきだ、ということです。まあ当たり前ですね。つまり、その通訳者の実力、あるいはその通訳者が提供している付加価値があって、一方でその通訳者がエージェントから受け取っているレートがあって、両者の間に乖離/Discrepancyが存在するのであれば、それはぜひ正すべきだし、それを正すことがレートアップ交渉だと思うので、大いにやるべきだと思います。
一方、実力・価値等が伴っていない通訳者がレートアップ交渉をしてもなかなかうまく行かないでしょう。それでもトライしてみる価値はあると思いますが。
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やや余談。私が経営するIRISは日本と欧州で通訳エージェント業を行っていますが、いずれにおいても「レート交渉」というものが基本的に無いような仕組みにしています。
まず欧州については、全通訳者一律、クライアント支払額の70%(指名案件の場合は80%)という報酬比率を適用しています。レートを上げたいと思ったら、まずは指名案件の比率を上げればいい、という仕組みです。
一方日本についてはもっとドラスチック(?)で、レートは各通訳者が自由に決める、という仕組みにしています。つまり、IRIS(日本)においてレート交渉ということはあり得ず、通訳者がレートを上げたく(あるいは下げたく)なったらいつでも自由に上げ下げ出来る、ということです。
それを受けIRIS側としては、案件をアサインする際に各通訳者のレートの一覧表を見ながら声がけする順番を決めています。実力が同程度であれば、IRISの収益が大きくなる方の通訳者(つまりレートが低い通訳者)に先に紹介しています。
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さて、通訳者が「レートを上げたい」と思ったら、通訳エージェントに対し「こうこうこういうことを踏まえ、レートを上げてほしい」と交渉します。
「こうこうこういうこと」には、例えば
・他のエージェントでは、自分のレートはこれぐらい上がっている
・指名案件が増えている
・○○業界の通訳経験が増えている
・経験年数が何年に達した
などさまざまです。
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こうしたレートアップの要望というのは実に悩ましいというか、イヤなものです。単純に、エージェントである自分の取り分が減る、ということなので。
そして、エージェントの人間として、通訳者からレートアップの要望が出たときに思うのは、「レートを上げるのはもちろんOKです。でも、最終的な売り値も意識しましょうね、上げていきましょうね」ということです。
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どういうことか説明します。
今、Aさんという通訳者がいるとしましょう。で、私はエージェントとして、Aさんの通訳をクライアントに対し100円で売っているとします。そして、その内の70円を通訳者Aさん本人にお渡ししているとしましょう。
先程から何度も登場していて恐縮ですが、この図の通りです。
さて、通訳者Aさんがレートアップを要望してきたとしましょう。いろいろと根拠があって80円にアップしたい、と。その根拠がもっともだったので、80円へのアップに合意しました。私の取り分は30円→20円に減ります。
その1年後。同じ通訳者Aさんが、今度は90円へのアップを要望してきました。あなたならどうしますか?
OKしたいのはやまやまなんですが、その要望を受けるとなると、私の取り分は20円→10円へと半減します。昔は30%取れていたのに、実に3分の1への激減です。自分は何も悪いことはしていないのに(笑)。
こうなってきたときにエージェントである私が思うだろうなぁ、ということは、「Aさん、分かりました。レートアップしましょう。そして、それと同時にクライアントに対する売り値を上げましょう」ということです。
クライアントへの売り値を100円から例えば125円に上げることが出来れば。通訳者が希望する90円を支払っても、まだ私(エージェント)の手元に35円が残ります。収入減どころか、逆に収入アップです。Aさんも収入アップ。Win-winです。
と思い、はり切ってクライアントのところに行きました。
「通訳者Aさんについて、今までは100円でお出ししていましたが、今後は125円に上げさせてください」と。
するとクライアントは即座に「じゃあ、他の人でいいです」と言うかもしれません。あるいは、そもそも「Aさんって誰でしたっけ?」状態かもしれません。料金アップどころではありません。
何を言いたいかというと、エージェントとのレートアップ交渉は大いに結構なんですが、それがエージェントとのゼロサムゲームになっていないか、を意識した方がいいと思う、ということです。そして、ほとんどのケースにおいて、それはゼロサムゲームです。クライアントから受け取る額を増やせない中での、通訳者とエージェントのぶんどり合いです。あっちを立てればこっちが立たず。通訳者のレートを上げればエージェントの取り分が減るし、逆も然りです(逆は無いんですけどね)。
ゼロサムゲームだからダメ、と言いたいのではありません。でもゼロサムゲームなんです。やや不毛なんです。
4.「あなたに通訳をお願いしたい」と「(値段が高くても)あなたに通訳をお願いしたい」は異次元
これ↑、何年にも渡る苦闘(笑)の末、料金をある意味100倍に上げてきた実績を踏まえ、心の底から自信を持って言えることです。
通訳者として駆け出しの頃、私は「指名」を取ることに夢中になっていました。いい通訳をし、会議参加者を喜ばせ、「次回もあなたがいい」と言ってもらう。その場でそうリップサービスしてもらうだけでなく、実際に次回の依頼を勝ち取る。それを目指していました。
でも、それを何年か続けていたあるとき、ふと気付きました。
「他の通訳者と料金が同じなら丹埜さんがいい」
っていうのは、
「他の通訳者より料金が高くても丹埜さんがいい」
とは全く違うんだな、と。両者は完全に異次元の話だと気付きました。
振り返って思うのは、「あなたがいい」と思ってもらうのは、まあ簡単なんです。料金が同じならあなたを選びます、と言ってもらうのは。
難しいのは、追加料金を取ることです。プレミアムをチャージすることです。これが本当に難しい。追加料金を、エージェントから取るのではありませんよ、クライアントから取るんです。それが大事なんです。
クライアントに「値段が高くてもいいからあなたにお願いしたい」と言わせて/思ってもらってナンボだな、と気付いてしまってからしばらくの間は悩みました、その難しさに(笑)。
でも、「難しい」ということは「不可能ではない」という意味でもあります。現に、それを出来ている人たちが業界内に存在するわけですから。
5.提言: 通訳者は、エージェントと共に栄える方法を考えよう
さて、さきほどの通訳者Aさんのレートアップの事例の話に戻しますが、クライアントのところに行ったときに、クライアントが
「ああ、Aさんですね。Aさんにはいつも本当にお世話になっていて、余人をもって代えがたい通訳者です。ぜひこれからも弊社の通訳をお願いしていきたいので、どうぞ値上げしてください。」
と言ってくれるような、そんな通訳者になる。そうすれば、エージェントと不毛なゼロサムゲームを繰り広げるのではなく、逆にエージェントを儲けさせてあげるありがたい通訳者になれます。
クライアントにそんなこと言わせられるわけないじゃん!ですって? → だとすれば、レートアップも出来ないんですよ、本当は。そこに気付いてください。
6.提言: 通訳エージェントは、通訳者に対し、その通訳者の売り値(つまり、ある意味その通訳者の価値)を開示せよ
これは全通訳エージェントに呼びかけたいことですが、通訳者に対し、グロスの金額を隠すのはやめましょう。モラル違反です。
前述の通り、貴社が良心的な、いいエージェントであればあるほど「隠したくない」と思うはずです。大事なのでもう一度書きますが、そういう「いい」エージェントであれば、通訳者に対し提供している付加価値の割には適正なマージンを取っているはずですから、隠すどころかむしろそのことを積極的にアピールしたいはず。「ほら、いつもあんなにサポートしているのに、その割にはこれしか取ってないんですよ」と。
よく考えてみれば、クライアント支払額は、本来は通訳者のものだとも言えます。我々エージェントは、そこからマージンをいただいているわけです。
以下の図で言えば、右側の考え方です。
そうそう、図の下に書いた仕訳もよーく見てみてください。
ここで、興味深いことが一つあります。
あくまでもThought experimentとして、お金の流れを右側の流れに変えてみると、それに伴う会計上の仕訳がおもしろいことになります。
従来の考え方で行くと、通訳者はエージェントにとって「コスト要因」です。Cost △70です。これは、通訳者からゼロサムゲームのレート交渉を申し込まれた際にエージェントが受ける印象と一致しています。
でも、右側の考え方で行くとどうでしょうか。仕訳を再度見てみてください。この場合、通訳者はコスト要因などではなく大事な「収益源」的存在であることに気付きます。つまり、エージェントにSales 30の収益をもたらしてくれる源泉、それこそが通訳者、ということです。エージェントにとって、ありがたがるべきは実はクライアントではないのかもしれませんね、クライアントも大事ですが。
通訳者に対するグロス金額の開示は、通訳者に「ゼロサムマインド」から「エージェントと共に栄えるマインド」になってもらうためにも重要なステップです。自分のグロスの金額を知らされなければ、通訳者だって「どうすればグロスを上げられるか」という建設的なマインドになかなかならず、いつまでも「レート上げてください、レート上げてください」というゼロサムゲームを続けてしまうのも当然の帰結と言えます。通訳者をそうしたマインドにさせているのは、実はエージェントです。そして、それでは業界が栄えない。
だから、自社に登録してくれている通訳者に「この通訳案件のクライアント支払額を教えてください」と言われたら、むげに断る前に「なぜ断るのか、なぜ開示しないのか」を、胸に手を当てて考えてみてください。そして、もっともな理由が思い付かなかったら、ちゃんと開示しましょう。結局その方がエージェントにとっても得ですから。
<まとめ>
プライシングは、通訳者にとって通信簿となる、大事なバロメーターです。
そして、通訳者と通訳エージェントから成る通訳業界全体が真に栄えるためには、通訳のクオリティを上げ、それを売り値に適正に反映し、エージェントと通訳者が力を合わせてプライシングを引き上げていくことが肝要です。コロナ渦のリモート通訳全盛の時代、価格の引き下げ圧力が強まる中ではそういった努力が尚のこと求められます。
ぜひ、通訳者・エージェント共に今まで以上にプライシングを意識し、業界一丸となってグロスの金額を引き上げていきましょう。IRISはその先陣を切ります。