同時通訳と、逐次通訳と、翻訳: AIに勝つために

今日は、同時通訳と逐次通訳と翻訳について考えてみる。




<同時通訳とは、逐次通訳とは、翻訳とは>

既にいろいろなところで、あまたの通訳会社や通訳者が語っていると思うので、ここでは簡潔に。


同時通訳(simultaneous interpreting。「同通」)

文字通り、話し手が話すのと(ほぼ)同時に訳すことを指す。話し手と通訳者が同時に話す訳し方。


逐次通訳(consecutive interpreting。「逐次」)

話し手が話し終わるのを待ってから通訳者が訳し始めるやり方。話し手と通訳者が交互に話す訳し方。


翻訳(Translation)

会議やミーティングなどでの会話の訳を「通訳」と呼ぶのに対し、「翻訳」というのは文書・文章・本の訳を指す。





(通訳者以外の)一般の方にとって、「通訳」というものと「翻訳」というものの境界線は曖昧なようで、以下、訳者あるあるになってしまうが:

D 「通訳の仕事をしています」

一般の方 「へえ、そうなんですか。どんな分野の翻訳が多いんですか?」

みたいになることもある。





<筆者は・・・>

余談になるかもしれないが、私は同時通訳もするし、逐次通訳もするし、翻訳もやっている。業務量でいうと、ざっくり、同時通訳が20%、逐次通訳が50%、翻訳が30%、といった具合だ。


自分の専門分野である「海外IR」はほぼ逐次通訳で、だからこそ業務量に占める逐次通訳の割合が一番高い。また、個人的に一番思い入れがあるというか、一番大事にしているのは逐次通訳だ。いや、はっきり言ってしまうと、逐次通訳が大好きだ(笑)。その奥深さ、そして美しさには日々驚かされている。


今日のブログ記事では同時通訳と逐次通訳を比較・分析する。その過程で、翻訳についても触れる。

なるべくニュートラルに書いていくつもりだが、どうしても逐次通訳にバイアスがかかってしまうであろうことを読者のみなさまには事前にお断りしておく。




<同時通訳のメリット・デメリット>

クライアントが通訳を要する会議を行う場合、それを同時通訳で行うか、逐次通訳で行うか、を決める必要がある。一体どちらにすればいいのだろうか。


同時通訳の最大のメリットは、なんといっても「会議時間の有効活用(短縮)」だろう。

会議にかけられる時間が1時間あるとして、同時通訳にすれば、その1時間をフルにディスカッションに活用出来る。一方逐次通訳の場合、話し手と通訳者が交互に話す必要があるため、正味の会議時間は半分(30分程度)になってしまう。同時通訳の場合と同じ量の会話をしようと思ったら、会議時間は1時間ではなく2時間必要になる。


同通のもう一つのメリットは、そのライブ感ではないか。聴き手は、話し手の話を同時に、つまりライブな感覚で聴ける。また、話し手も、自分の話が瞬時に聴き手に伝わり、ダイレクトなレスポンスを味わえる。


それが逐次通訳になると、話し手は、自分が話した後、自分の話を通訳者が訳してくれている間、待っていないといけない。そして聴き手は、話し手が話している間は(何言ってるか分からないので)手持ち無沙汰にしていて、通訳者が訳し始めてようやく耳を傾け始める、といったことも起きる。逐次通訳では、その性質上、どうしてもタイムラグ+デッドタイムが生じるのだ。




では、同時通訳のメリットは何か?


ひとつはコストだ。後述する通り、同時通訳は通訳者2名体制で行うことが多い。通訳者1名ですむ逐次通訳と比べ、単純に考えて、同通はコストが倍になる。




同時通訳のもう一つのデメリットは、訳のクオリティだ。

これがこのブログ記事のメイン・トピックであり、この後詳しく考えていく。





<同通と逐次、どちらが難しいのか>

一般的には、同時通訳の方が難しい、とされている。


(通訳者以外の)一般の方々の間では間違いなくそういう認識があるようだ。「なんで瞬時に訳せるんですか???という感じ。


そして、我々通訳者の間でも、(通訳者によって意見はさまざまだろうが)大きな傾向としては「同時通訳の方が難しい」というのがコンセンサスではないか。通訳学校で、「まず逐次をある程度ちゃんと出来るようになって、その上で同時通訳に進みましょう」的な教え方がされている(いい教え方だと思う)が、その辺も影響しているだろう。


また、「難しさ」とはちょっと別の問題として、国際会議のような華やかな場での通訳は同時通訳であることが多いため、同時通訳に対するあこがれのようなものも我々通訳者の間にはあると思う。


ちなみに、通訳者が本を出す場合、「通訳者」としてではなく「同時通訳者」として出すことが多いが(いい判断だと思う)、その背景には、同通の方が難しい+かっこいい、と世の中から+通訳者から見られている、という事情も関係しているかもしれない。

一般の方向けに一言付け加えると、世の通訳者の多くは「同時通訳者」だ。「同時通訳者」をどう定義するか次第だが、「逐次だけでなく同通もやる通訳者」を同時通訳者と呼ぶのであれば、私を含め世の通訳者の多くは「同時通訳者」。だから、同時通訳者と言われてもあまりビビる必要はありません。





<なぜ「同時通訳の方が難しい」とされているのか>

一番の理由は「すぐに訳さないといけないから」だろう。逐次通訳では、話し手が話している間、そして話し終わってから一瞬、「どう訳すか」を考える時間が通訳者に与えられる。それに対し、同時通訳は瞬時に訳さないといけない → だから難しそう、と一般の方(通訳者以外の方)が考えるのも当然だと思う。


海外IRでご一緒する日本企業の方々と話していて、「丹埜さんは同時通訳もやるんですか?」と聞かれることがある。「はあ、やりますよ」と答えると、「へえ、すごいですね。あれは難しいでしょう」みたいな話になる。


ここでいう「あれは難しいでしょう」がどういう意味なのかよく考えてみると「あれ(同時通訳)は(普通の通訳、つまり逐次通訳、と比べて)難しいでしょう」という意味に取れなくもない。




「同時通訳の方が難しい」とされる理由のもう一つは、我々通訳サイドにあると思う。この業界では、「同時通訳を継続して出来るのは15分程度」とされている。だからこそ、クライアントが会議を同時通訳で行いたい場合、ほとんどのケースでは通訳者2名体制(場合によっては3名)で行う必要がある、というのが業界の「常識」だ。一方、逐次通訳であれば、1時間はもちろん、それよりも長い会議であっても、(途中で適切な休憩さえ設けられていれば)通訳者が1人体制で逐次通訳出来る、ということになっているし、実際、出来る。


本職である我々通訳者側が同時通訳と逐次通訳をこのように明確に分けて取り扱うのを見て、一般の方々(通訳案件のクライアントを含む)は「なるほど、やっぱり同時通訳の方が難しい/大変なんだな」と思うのだろう。これも当然のことだ。




ちなみに、この「15分しか続けて同時通訳出来ません」という点については、個人的にいろいろと思うところがある。以前、ブログに書いた通りだ。




高度な音声認識

AIによる言語処理

量子コンピューティング


自動通訳・機械通訳がすぐ裏庭まで迫ってきているのに、正面玄関でいつまでも「我々は15分しか同通出来ません」と言い続けるこの業界のことを、その一員として恥ずかしく、そしてかなり心配に思っている。もっとも、これは今回論じたい点ではないので先を急ぐ。





<本当に「同時通訳の方が難しい」のか>

一般的には「同通の方が(逐次より)難しい」という認識のようだが、では、実際のところはどうなのか。


同時通訳は確かに難しい。大変だ。しかし、多くの通訳者が同意するであろうが、逐次通訳にも難しさ、大変さはある。つまりどっちもどっちなのだ。


「同時通訳と逐次通訳、どっちが難しいんですか?」を問うのは、たとえば「100m走と400mリレー、どっちが難しいんですか?」を問うのと似ている。どっちもどっちなのだ。100m走には100m走の、そして400mリレーには400mリレーの難しさや大変さがあり(多分)、どちらがより難しいとか大変だとかは言えないはずだ。同通と逐次も同様である。




同時通訳の場合、確かに、話を聴いて、瞬時に訳を考え、口から出さないといけない、そういう即時性がある。また、話の先行きがまだ見えない内から訳を開始しないといけない、という心細さもある。だからこそ難しい。でも、逐次通訳も難しいのだ。


では、逐次通訳の「難しさ」はどの辺にあるのか。




<逐次通訳の「難しさ」>

最初に、いくつかテクニカルな「難しさ」を考えてみる。


・話の内容を覚えておく必要がある

例えば話し手が1分話し、さあそれを訳そう(逐次通訳しよう)、となったとき、その1分間に話し手が言ったことを全部覚えていないといけない。「1分話していた、その最後の方の話は鮮明に覚えているが、前半はちょっと怪しい」ではダメなのだ。そのため、訳すにあたっては短期記憶を活用するし、メモも活用する。


・訳の「さらしもの」感

同時通訳も、もちろん訳を「さらし」てはいる。会場にいる人たちが聴いているんだから。しかし同通の場合、会場にいる人たちが通訳の正確性やうまさをチェックすることは困難を極める。


会場にいる人が同通のクオリティをチェックしようと思ったら、

1.話し手の話(例えば日本語)を聴きながら、

2.通訳者の訳(英語)も同時に聴いて、かつ

3.元の日本語をちゃんと英語に訳しているか、をチェック

する必要がある。これはとても難しい。たとえバイリンガルであっても、、、いや、本職の同時通訳者であっても、上記3つの作業を同時に行うのは難しいのだ。


なので、同時通訳をちゃんとチェックしようと思ったら、「話し手の日本語」 と 「通訳者の英語」を両方録音し、後日じっくり聞き比べるしかない。そこまでするクライアントはなかなかいないし、そこまでする通訳者もなかなかいない。




それに対し、逐次通訳においては、訳は衆人環視の元で行われる。話し手が話し終わった後、通訳者の訳だけが会場にこだまする。バイリンガルの人はもちろん、もう一方の言語があまり上手ではない人であっても「あれ?今の訳違うんじゃない?」と気付くことが出来てしまう。




また、同時通訳は通常、会場の一番後方に設けられた同時通訳ブース内で行われることが多く、会場から視覚的に見えにくいため、物理的な「さらされている感」が少ないのも特徴だ。それに対し逐次通訳は、ときには壇上でメイン・スピーカーと並んで座るなど、「さらされている感」が強い。




また、これはあまり関係無いかもしれないが、同時通訳の場合は2人体制で通訳をすることが多いので責任の所在が少しぼやける(?)、といった要素も、同時通訳の「さらされている感」の減少に影響しているかもしれない。逐次通訳の場合、訳の善し悪しの責任はもちろん1人に帰属する。まあ、これはあまり関係無いかもしれない。




以上が、逐次通訳のテクニカルな難しさの要因だ。他にもあるかもしれない。


これらテクニカルな「難しさ」とは別に、逐次通訳には本質的な難しさがある。それは越えなければいけないバーが高い、という点だ。




・逐次通訳の「バーの高さ」

興味深いことに、逐次通訳の本質的な難しさは、その「簡単さ」と表裏一体の関係にある。以下説明する。


逐次通訳が同時通訳と比べて(相対的に)より簡単だ、と思われているとしたら、それはなぜかというと、同通と比べ、訳を考える/準備する時間があるから、ということになろう。また、発言を最後まで聴いた上で訳を開始できる、という点もあろう。そして実際、これらの指摘は正しい。この2つの決定的アドバンテージが与えられているのが逐次通訳だ。



しかし、このほんの一瞬の「考える時間」があるからこそ、そして「発言の全体像が見えてから訳せる」からこそ、その分、越えなければいけないバーが上がるのだ。「ちゃんと考えられた訳」をする必要が生じるのだ。これが逐次通訳の本質的な難しさだと思う。


言い換えると、「瞬時に訳さないといけなかったので、この程度の訳しか出来ませんでした」という言い訳が通じないのだ、逐次通訳においては。

(同通であればそういう言い訳が通じる、という意味ではない。逐次通訳では「なお通じない」という意味だ)


ちなみに、この「バーが上がる」という話をさらに一歩進めると「翻訳」に行き着く(後述)。




<逐次通訳では「編集」が可能>

通訳においては、「何も足さない、何も引かない」が原則だ。

話し手が言っていないことを通訳者が勝手に付け加えることは(一部の例外を除き)やるべきではない。

また、せっかく話し手が言ったのに、それを通訳者が勝手に訳から落としてしまうことは(一部の例外を除き)やるべきではない。


私はこの原則が大好きで(好みの問題ではないが)、逐次通訳において忠実に守ろうと努力している。


でも、

何も足してはいけないし、何も引いてはいけないが、「編集」はOKだと思っている。




編集というのは、話の内容は変えずに、でもそれをよりよくする作業を指す。

詳しくはこちらの記事を参照。


そしてその「編集」は、同通だと非常に行いにくいが、逐次通訳の場合、

1.時間がある

2.話を最後まで聴いてから訳を開始できる

という2大決定的アドバンテージのおかげで、この「編集」という作業が十分可能になるのだ。




<同時通訳風の訳と、逐次通訳風の訳>

具体例を挙げ、両者を比較してみよう。


IRミーティングで、外国人投資家が以下の、ありそうで無さそうな(笑)質問をしたとする。


How much revenue (売上/収益) are you expecting this year? And what about operating profit (営業利益)?


この発言を、①同時通訳風に、そして②逐次通訳風に訳してみる。




①同時通訳風の訳

私は通訳学校で、「同通するときは、聴いたそばからどんどん訳しなさい」と教わった。確かに同時通訳では、すぐにどんどん訳していかないと、あっという間に話が進んでしまい、追いつけなくなる。


How much revenue are you expecting this year? And what about operating profit?

を訳すとき、まず

“How much revenue”まで聴いた段階で

「売上はいくらでしょうか。」

と訳すことが出来る。そして、その後に”are you expecting this year?”を聴いたところで、

「今期見込んでらっしゃる売上です。」

と訳せる(付け足せる)。で、後半の”And what about operating profit?”を聴いたところで、

「あと、営業利益についてはどうでしょうか」

と訳せる。


訳をつなげると

「売上はいくらでしょうか。今期見込んでらっしゃる売上です。あと、営業利益についてはどうでしょうか」

となる。

実際、TVの同時通訳などで、このような調子の訳し方を耳にした方も多いだろう。

これが同時通訳的な訳。




②逐次通訳風の訳

How much revenue are you expecting this year? And what about operating profit?

という発言を最後まで聴いて、ある程度じっくり考えて訳せるのが逐次通訳の妙味だ。訳し方は、例えば

「今期の業績見通しですが、売上と営業利益、それぞれどれくらいになりそうですか。」

とでもなろうか、例えば。


投資家の発言全体を俯瞰すると、なるほど、これは「今期の業績見通し」がテーマになっているな、ということに気付く。なので、聴き手にとって分かりやすいよう、それを訳に入れてみることが出来る。そして、投資家がバラバラと発言した「売上」と「営業利益」について、因数分解さながら、「売上と営業利益、それぞれいくら~」と整理することも出来る。これが「編集」だ。


これ以外にも、例えばオチ(結論)を訳の冒頭に持って来たり、冗長なところを少し削ったり、話の内容のポジティブ/ネガティブを訳のトーンに乗せてみたり、などなど。何も足さない、何も引かない、の原則をちゃんと守りつつ、出来ることはいくらでもある。こうした編集作業が出来てしまうのが逐次通訳なのだ。





さて、全く同じ発言の、その同通と逐次を並べてみる。


同通: 「売上はいくらでしょうか。今期見込んでらっしゃる売上です。あと、営業利益についてはどうでしょうか」

逐次: 「今期の業績見通しですが、売上と営業利益、それぞれどれくらいになりそうですか。」




Get my point acrossするためにちょっと極端にした、というのもあるが、それにしても月とすっぽんだ。


前者でももちろん意味は通じる。でも、この、どこか映画の吹き替え版のような不自然な訳よりも、後者の方が自然で、クオリティが高いことは一目瞭然だ。


また、その短さ・簡潔さも、逐次通訳の美しさに拍車をかける。

記事の冒頭で、逐次通訳だと、同時通訳と比べ、会議の時間が正味半分に減ってしまう、と書いた。通常は確かにそうなのだが、クオリティの高い逐次通訳はConciseであるため、正味の会議時間は半分ではなく、3分の2程度にしか減らない。そういうメリットもあるのだ。

実際、見てほしい。上記例では、逐次通訳の方が同時通訳よりも短い。「今期の業績見通しですが」と、投資家が言っていない情報を付け加えているにもかかわらず、だ。





<バーが上がる悩ましさ>

逐次通訳をするとき、頭の中でささやき(誰の?)が聞こえる。


「同時通訳をするときと比べて、考える時間ありましたよね?話し手の話を最後まで聴けましたよね?だったら、その分いい訳を期待してますよ


と。これで一気にバーが上がるのだ。そういうプレッシャーがあるのだ。その悩ましさに萌えるのだ(笑)。

このバーの高さが、私の言う「逐次通訳の難しさ」だ。





この悩ましさは、翻訳(translation)における悩ましさと似ている。





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逐次通訳は、同時通訳と比べ、ある程度時間をかけて(といってもほんのわずかだが)訳すことが出来る。そして、文書・文章の訳である「翻訳」の場合は、逐次通訳よりもさらに時間をかけて、じっくりと訳すことが出来てしまう。締め切りさえ守れば、かなりの時間を翻訳にかけられる。だから、同時通訳の場合は(ちょっと言い方が悪いが)ある程度エイヤ!的な、やっつけ的な訳になってもしょうがないのに対し、逐次通訳はしっかりと編集を行ったクオリティの高い訳になって然るべきだし、それにも増して翻訳においては、かなりの時間をかけ、いろいろと調べたり推敲したり相談したり考えたりした上で訳せてしまうわけで、「その分、(同通と比べて)簡単でしょ/ラクでしょ」というのも一理あるが、「その分難しいです/大変です」というのも大いに一理あるのだ。


また、「訳のクオリティのチェックのしやすさ」という観点からも、翻訳は(同通ではなく)逐次通訳に似ている。





<検証に耐えうる訳になっているか>

「時間がある」ために、越えなければいけないクオリティのバーが上がる。そして、少し上のセクションで書いた通り、その訳は会場のさらしものになる。こういった観点から考えると、逐次通訳は、「検証に耐えうる訳」である必要がある。もちろん同通も検証に耐えうる必要があるわけだが、逐次通訳は尚そうだ、という意味だ。


上記投資家の質問の例では、とても短いフレーズを用いた。また、質問の内容がストーリー仕立てになっていない。

でも、ミーティングで実際に飛び交う発言は、えてしてもっと長いし、かつストーリー仕立てになっていることが多い。訳す対象の発言が長ければ長いほど、そしてストーリー仕立てであればあるほど、訳を編集する余地は大きくなるし、編集することで得られる付加価値も増大する。これが逐次通訳の爆発力なのだ。




<逐次通訳で要求される集中力>

難しさという観点でいくと、同通も逐次もどっちもどっち。でも、クオリティの高い逐次通訳をすることは、フツーの(mediocreな)同通をすることよりもはるかに「難しい」のだ。


そしてまた、「集中を要す」という点においても逐次通訳は同通にまったく引けを取らない。むしろ同通以上だ。


同通は、瞬時に訳さないといけない、という面において確かに高い集中力を要する。でも、逐次だってハンパない。


逐次通訳をするとき、通訳者は

1.話し手の話を聴き、

2.それを(後から再現しやすいように)メモに落とし、

3.短期記憶をしながら

4.訳の準備をする


これら4つの作業を同時に行いつつ、かつ

5.編集

も行うのだ。


編集は、話し手が話し終わってからゆっくりお茶でも飲みながら、というわけにはいかない。話し手が口を閉じたら、通訳者はすぐに訳を開始しないといけない。だから、話し手が話している間、1.~4.の作業はもちろんしっかり行いつつ、頭の中で

(この話、テーマは何かな・・・)

(で、オチはなんなんだろう・・・)

(どこにスポットライトを当てた訳にしようかな)

(冗長で、削れるところはどこかな)

(結論を前に持って来た方がいいパターンかどうか)

(これだと編集しすぎかな?)

etc. etc.


といった編集作業を、1.~4.の作業と同時進行で行うのだ。


見方によっては、聴いた話をすぐに訳せばいい同時通訳よりもはるかに集中力が必要だし、疲れる作業、それが逐次通訳だ。しかも当然1人体制(笑)。




<まとめ: 2つの提言>

逐次通訳に対する思い入れが強すぎて、このままだと話が拡散し続けるだろうから、この辺でまとめに入る。2つ、提言というか、メッセージを書きたい。一つはクライアント向け。もう一つは通訳者向けだ。




1.クライアント向けのメッセージ

このブログ記事に書いた通り、同時通訳と逐次通訳との間では、クオリティに無視出来ない差が生じます。だから、(いつも思っていることですが)大事な会議ほど逐次通訳でやりませんか

同通のメリットは時間の節約です。でも、大事な会議なんですから、ちゃんと時間をかけてはどうでしょうか。国連の会議だって、なんで同通でやるの?世界平和とか難民問題とか気候変動の話をするなら、ちゃんと必要な時間をかけましょうよ。同通だと通訳のクオリティが下がるのに。その結果始まった無駄な戦争が1つや2つはあるのではないか、と半分冗談半分本気で思う。大事な会議ほど逐次で行うべき。会議の事務局は、「なぜ逐次ではなく同通を選んだんですか?」という問いにちゃんとロジカルに答えられるべき。


逐次通訳で行った方がいい会議が、同時通訳で行われてしまっているケースが散見されます。ぜひご一考を。




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2.通訳者向けのメッセージ

プロの通訳者向けにIR通訳ワークショップをときどき開催している。

ワークショップではいろいろなことをやるが、必ず通訳の演習も行う。逐次通訳だ。




ワークショップのあと、参加してくれた通訳者と雑談していて、よくあるのが、

「今日、全然ダメでした~」

的な発言の後に

「私、普段同通が多いんですよ。で、同通はそこそこ出来るんですが、逐次通訳が苦手で。。。逐次のレベルアップが課題です」

みたいに続くことが多い。


こういう話を聞くと、私は2つのことを思う。




①もしかしたら、この人は本当に同通向きなのかもしれない。

この人の脳の仕組みは、逐次通訳向きではなく、同通向きなのかもしれない。Wired in that wayなのかもしれない。そういう人はきっといる。

あるいは、逐次が苦手な、何かフィジカルな理由があるのかもしれない。例えばあがり症だったり、あるいは短期記憶が苦手とか。そういう人もいるだろう。


こういう事情があるのであれば、「同通はそこそこ出来るんですが、逐次通訳が苦手なんです」ということは十分あり得ると思う。そして、そういう人は、業務量のポートフォリオ上、なるべく同通案件を多くすればみんなハッピーだと思う。




しかし、私がこのように結論づけることはかなり稀で、多くの場合、




②この人は、逐次だけでなく、同通もイマイチなのではないか

と思ってしまうのだ。もちろん、その人の同通は聴いたことがないので分からないのだが。


同通の場合、そのクオリティのチェックがされにくいことは既に書いたが、この「クオリティのチェック」は、通訳者の、自身の通訳のクオリティ・チェックも含む。それがしにくいため、なんとなくワッショイワッショイでうまく訳せた気になり、「よし、今日もなんとか乗り切った!クレームも出てない♪ → 明日の同通案件もがんばるぞ」的な気になっている可能性があると思うのだ。




そうなっていないかどうかを確認するために、録音することをすすめる。元の話(話し手の話)と、自分がそれを同通した音声と、両方録音し、あとでじっくり聴き比べてみる。本当にちゃんと訳せているか。(これをするために、私は耳に入れて録音するタイプのマイクを愛用している。)


「通訳案件でそんなこと出来ません!」 → じゃあ、家で同通の練習をしている時に録音してみましょう。

「自分の通訳なんて聴きたくありません!」 → 会場にいる人たちも同じ想いかもしれませんよ。至急、要確認。




また、「自分は本当にある程度ちゃんと同通出来ている」という方も、それがこのブログ記事で紹介した「同通っぽい訳」になってしまっていないかどうか。もっと自然な、クオリティの高い逐次通訳のような訳に近づけられないか、というチャレンジにも取り組んでみていただきたい。っていうか、私自身が取り組みたい。


たとえ同通であっても、

1.話のAnticipationをして、そして

2.すぐに訳出してしまうのではなく、(会場を不安にさせない程度に)ちょっとタメてから訳すことで、

本来逐次通訳でしか出来ないはずの編集作業を行い、訳のクオリティを格段に上げることが出来る。


そういった視点で同通をすると、今までとちょっと違った景色が見えるかもしれないし、同通がより楽しくなるのではないかと思うので、ぜひ試してみてほしいです。

あと、我らが逐次もその奥深さは底知れず、かなり楽しくておすすめなので、ぜひ逐次もよろしくお願いします。




同通であれ逐次であれ、単なることばの置き換えにとどまらず、話し手と聞き手双方に対する愛のある編集作業を行うことで、段違いの高付加価値化が実現出来るはず。AIによる機械通訳に打ち勝つためには、この高付加価値こそが、我々人間通訳者の大きな武器になるのではないかと思っている。


AIに勝つのはAI(愛)なのだ。


by dantanno | 2019-11-03 09:42 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)