新「国民車」待望論
2019年 06月 24日
今から20年以上前のことです。
当時大学生だった僕は、運転が大好きで、いつも親父の車を借りて都内を走り回っていました。
かっ飛ばしたりとか、「いいクルマに乗りたい」だとか、そういうことがしたいわけではなく、親父のカローラであてもなく街を走り回る。それだけで、もう楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。
ある日、いつものように都内をブラブラ流していて、ふと、ある疑問が湧きました。
「スピードメーターって、なんで時速180キロまで目盛られているんだろう?」
日本の最高制限速度は、高速道路における「時速100キロ」です。
今でこそ、東名自動車道などの一部の区間で110キロとか120キロとかに最高制限速度が引き上げられていますが、今でも、高速道路のほとんどの区間で、最高制限速度は時速100kmです。そして、僕が大学生だった当時は、すべての高速道路が100㎞制限でした。
つまり、我らが日本において、時速100㎞以上は出してはいけないわけです。それをやったら違法なわけです。それなのに、一体なんでスピードメーターを時速180㎞まで目盛る必要があるのか、疑問を持ちました。
でも、ふと湧いたこの疑問は、湧くのと同じぐらい早く解消しました。
普段から安全運転をし、交通法規を遵守している人であっても、ついつい時速100㎞を超えたスピードが出てしまうことはあります。そんなとき、スピードメーターを確認し、自分が時速100㎞超で走ってしまっていることに気づき、「おっといけない」とスピードを落とす。そういうシチュエーションのためにも、スピードメーターは(最高制限速度である)時速100㎞を上回るところまで目盛られている意味があるんだ、と納得しました。(そう言えば、昔のクルマで、時速100kmを越えて走行すると警告音がキンコンキンコン鳴り続けるものがありましたね。)
はたして最高制限速度の2倍近くの「時速180㎞」まで目盛る必要があるかどうかは置いておいて、とりあえず「スピードメーターが時速100km超まで目盛られていること」については納得しました。
しかし。
この疑問が解消したあとすぐに、次の、より本質的な疑問が湧き起こってきました。
「そもそも、なんでクルマってそんなにスピードが出るように作られてるの?」
という疑問です。
この日本で、出してOKな最高制限速度が時速100㎞なんだとしたら、いったいなぜ、日本を走っているほぼすべての車が、それをかなり大きく上回るスピードで走れるよう、作られているんだろう。
ここで注意が必要なのは、スピードメーターが時速180㎞まで目盛られているからといって、実際に時速180㎞出るとは限らない、ということです。でも、時速150㎞とか、160㎞とか、「ついうっかり」では説明できないような、そんなものすごいスピードが出るようには作られている。そういう無茶なスピードで首都高をかっ飛ばすクルマに遭遇し、恐い思いをしたことは何度もあります。そして、輸入車であれば、時速200㎞を大きく上回る速度で走れるモデルが、日本のあちらこちらを走り回っている。
【言葉の定義】
話を進める前に、ここでちょっと、当ブログ記事におけることばの定義をしておきます。
「最高制限速度」
日本で出してOKな最高速度、つまり、高速道路の多くの区間における「時速100km」を指すことにします。
(実際には、その後高速道路の一部区間で時速110kmや120kmに引き上げられたし、あと逆に高速道路であっても60kmとか80km制限の箇所もありますが、高速道路はおおむね最高制限速度100kmです。)
ちなみに、最高制限速度は本当に時速100kmでいいのか、(一部区間だけでなく多くの区間で)100km超に引き上げてもいいのではないか、という点については後半で触れます。
「暴走」
制限速度を大きく超過した速度での違法走行。
「暴走」には、
- 高速道路での暴走(時速100km超で走行すること)と、
- 一般道での暴走(例えば制限速度30kmの道路を時速50kmで走行すること)
の2つがあります。
このブログの前半では、主に高速道路での暴走(つまり、時速100km超での走行)を取り上げます。
「暴走可能車」
高速道路での「暴走」ができてしまうクルマ。最高制限速度である時速100kmを大きく超過して走行できてしまうクルマ。人命を脅かす違法行為が容易に出来てしまうよう製造され、販売されたクルマ。つまり、今日本を走っているほぼ全てのクルマ。
僕が当時感じた疑問を整理・分解すると、大きく3つに分けられます:
1.自動車メーカーに対する疑問
自動車メーカーは、みな口々に「安全・安心」と言っている。各社のウェブサイトを見てみれば一目瞭然です。実際、各社本気で「交通事故を減らしたい、無くしたい」、そう思っているんだと思います。
だとしたらですよ、、、
一体なんで暴走可能車を日々製造・販売し続けているのか。
2.国に対する疑問
国(警察?国土交通省?経済産業省?)は、なんでメーカーのそれを許しているのか。なんでメーカーに対して怒ったり(笑)、指導したり、取り締まったりしないのか。なんで「暴走可能車を作ってはいけません」と言わないのか。なんで「時速100km(あるいはそれをちょっと越える程度)までしかスピードが出ないような、そんな安全なクルマを作りなさい」って言わないのか。
3.我々国民に対する疑問
交通安全は、(当たり前ですが)命にかかわる問題です。毎年多くの人が交通事故で亡くなっていますし、そのうちの一定割合は、自動車の暴走、つまり制限速度を大きく超過した速度での走行による死者です。それなのに、我々国民は、なぜ暴走可能車を製造・販売し続けるメーカーに対して怒らないのか。なぜそれを国が許し続けることを憤らないのか。自分の大切な人を暴走するクルマによって亡くすまで、この問題に気付かないのか。
センスのかけらもない図で恐縮ですが、、、僕が当時感じ、今でも感じている疑問を図解すると、こうなります:
この3つの「なぜ?」という疑問を総称し、以下、「なぜ暴走可能車??」と呼ぶことにします。
「なぜ暴走可能車??」は、多少表現を変えると、
「なぜ暴走可能車が存在するんだろう?」でもあるし、
「なぜ暴走可能車を無くせないんだろう?」でもあります。
そして、「なぜ暴走可能車??」は、図にある通り、自動車メーカーと、国と、そして我々国民の、計3者に向けられています。
<福岡海の中道大橋飲酒運転事故>
みなさんは、「福岡海の中道大橋飲酒運転事故」を覚えているでしょうか。
当時、かなりの話題を呼びました。
2006年8月25日に福岡市東区の海の中道大橋で、市内在住の会社員の乗用車が、飲酒運転をしていた男(当時22歳)の乗用車に追突され博多湾に転落し、会社員の車に同乗していた幼い子供3人が死亡した、痛ましい事故です。
僕が、車による「暴走」、そして暴走可能車という問題に強く興味を持ち、「なぜ暴走可能車??」というテーマについて真剣に考えるようになったきっかけが、この事故でした。それまでは漠然と(なんで暴走可能車が許されるんだろうなぁ)と不思議に思っていただけでしたが、この事故を契機に疑問が深まり、そして憤りにつながりました。
この事故で、世の批判の矛先は「飲酒運転」に向かいました。そしてその結果、飲酒運転に対する罰則が強化されるという、エポックメーキングな事故(事件)となりました。
しかし僕の関心は、「飲酒」よりも「暴走」、つまり制限速度を大幅に超過した速度での走行、そちらに向きました。事故当時、犯人の男性は、一般道にもかかわらず時速100kmというすごいスピードを出していました。
こうした事故について、たら・ればの話をしてもしょうがありませんが、もし加害者である運転手が酒に酔っていなければ、おそらく避けられたであろう事故でしょう。そしてまた、もしその運転手が暴走していなければ、、、つまり、法定速度内で走行していれば、シラフであった場合と同じく、防げたかもしれない事故です。つまり、あの痛ましい事故が起きてしまった背景には、「飲酒」と「暴走」、2つの原因があると思うんです。そして、「飲酒」の方を問題にするのであれば、「暴走」についても問題にすべきだと思うんです。
この痛ましい事故が起きた場所は、(高速道ではなく)一般道です。だから、僕がここまで論じてきた「高速道路における暴走(時速100km超での走行)」と直接は関係無い。でも、「法定制限速度を大幅に超過した速度での走行中に起きた事故」という意味ではダイレクトに関係があります。
<暴走可能車を無くすための方策>
「なぜ暴走可能車??」を考えるに際し、まずは、どうすれば暴走可能車を無くせるか、を考えてみます。暴走可能車を無くそうと思った場合、どういった方策が考えられるか。
一般道において、全てのドライバーに制限速度を遵守させるのはなかなか難しい。例えば制限速度30㎞の一般道を、時速50㎞で走らないようにさせるのは、なかなかハードルが高い。
でも、高速道路ではどうか?
高速道路において、(最高制限速度である)時速100㎞を超えて走らないようにするのは、比較的容易に出来るのではないか、と昔から思うんです。なぜそれをしないんだろう、なぜ出来ないんだろう、と、20年以上にわたり、ずっと考えてきました。
暴走可能車の問題は、一般道においてはともかく、少なくとも高速道路においては、そのうち、きっと解決するだろう、と思って来ました。こんなに大事な問題なんだから、きっと自動車メーカーやJH(道路公団)や国がそのうちなんとかするんだろう、と思っていましたが、驚くべきことに、20年以上経過しても、まったく手つかずのままです。
<高速道路での暴走を防ぐ方法>
では、高速道路における、最高制限速度である時速100kmを越えた速度での走行(つまり暴走)を防ぐには、一体どういった方策が考えられるでしょうか?
運用面(ソフト面)からのアプローチと、ハード面からのアプローチ、両方ありうると思います。
- 運用面(ソフト面): 「暴走したい」というインセンティブを無くす
- ハード面: 「暴走したい」と仮に思っても、暴走出来なくする
<暴走可能車を防ぐための方策: ①運用面(ソフト面)>
すぐに思い付くのは、ETCを用いた取り締まり。
ETCのシステムは、そのクルマがいつ、どこのインターを乗り降りしたか、のデータを記録・蓄積しています。また、いつ、どの料金所を通過したか、についてもデータがあります。道路公団(JH)は、そのデータに基づいて、距離別の料金を算出したり、時間帯割引などを行っています。
あるクルマが、地点Aから高速道路に乗り、100km離れた地点Bで高速を降りたとします。
高速に乗った時刻と降りた時刻がシステムに記録されます。
仮に午前9時に高速に乗り、9:30に高速を降りたとなると、、、そう、速度が速すぎる、ということになります。地点Aから100kmも離れた地点Bにたった30分でたどり着くためには、平均時速200kmで走行しないといけないわけで、「暴走」をしたことが自動的に分かります。
上記例は、乗降箇所(2箇所)のETCセンサーだけを使った例ですが、ETCのセンサーは、インターや料金所はもちろん、高速道路の至る所に設置出来ます。そうすることにより、よりきめ細かな(?)平均速度計測が可能になります。
実際、こうした「平均速度を算出することによる速度違反取り締まり」は、イギリスなど、複数の先進国で既に実現しています。でも、我らが日本ではまだ実現していません。これをやれば、覆面パトカーによる(ある意味命がけの)取り締まりも、明日から不要になります。
なんでETCを使った速度取り締まりをしないんですかね(笑)?本当に謎です。分かりません。
それに向けた大事な第一歩は、高速道路での現金使用を不可にし、ETCの利用を必須とすることです。そうしないと、平均速度に基づく取り締まりは、ETCを使うドライバー(つまり、ほとんどのドライバー)にとって不利になってしまいますから。なぜJHは未だに現金での高速利用を許しているんでしょう。それを無くせば、ETCによる速度取り締まりが可能になるだけでなく、今はみんながそれを余儀なくされている、料金所通過後の「ETCレーン利用車」と「現金レーン利用車」間の合流(これ、結構危ない)も不要になり、高速道路の安全性・快適性がさらに高まると思います。JHのみなさん、ぜひご検討いただけないでしょうか。
<暴走可能車を防ぐための方策: ②ハード面>
高速道路での暴走を防ぐ方策について、まずは運用面(ソフト面)から考えました。ETCを使えばすぐです。
では次に、ハード面について考えます。これは要するに「クルマそのものについて」の話になります。
クルマは、最高制限速度を大幅に超過した速度で走行できるように作られているわけですが(=暴走可能車)、そもそもそれはなぜか。例えばですけど、自動車メーカーが、時速100kmしか出ないようにクルマを作れば、高速道路での暴走はゼロになり、時速100km超での暴走による死者もゼロになります。なぜそれをしないのか、あるいは、なぜそれが出来ないのか。
国と、そして我々国民がなぜ自動車メーカーによる暴走可能車の製造・販売を許すのか、というのも疑問+憤りの対象なんですが、一番の大元は、そう、自動車メーカーです。そもそも自動車メーカーが暴走可能車を作るのをやめて、最高制限速度(例えば時速100km)までしか出ないようなクルマを作りさえすれば、僕の「なぜ暴走可能車??」は全て、連鎖的に解決するわけです。
言葉の定義
「適正速度車」
最高制限速度(例えば時速100km)までしか出ないように作られたクルマ。暴走可能車の対義語。日本には、絶滅危惧種並みに、ほとんど存在しない。
「自動車メーカーは、なぜ暴走可能車ではなく適正速度車を製造・販売しないのか」という疑問について、いくつかのアプローチで考え、調べてみました:
- 自分(僕)の頭で考える
- ネットで検索して調べる
- 自動車メーカーの人に聞いてみる
<自分の頭で考えた結果、浮かび上がった理由>
まずは自分の頭で考えてみました。いくつかの理由が思い浮かびます。
・(適正速度車を作るのは、暴走可能車を作るのと比べ)技術的に難しいから
・コストがかかるから(今のクルマに、例えばリミッターなど、出せる速度を抑える機能を新たに取り付けるとなると、追加コストがかかる)
・将来、そのクルマが日本から海外に輸出される可能性があるから(例えば日本からドイツに引っ越す人がいて、時速100kmしか出ない適正速度車をドイツに持って行こうと思った場合、(速度無制限の)アウトバーンを時速100kmで走らないといけなくなり、かわいそうだから)
・日本の最高制限速度が将来引き上げられる可能性を想定しているから
・暴走が出来ないように作られたクルマは(消費者からの支持が得られず)売れないから
・"Fun to drive"が大事だから
とりあえず思い浮かんだのはこれぐらいです。
<ネットで検索して見つかった理由(上記以外)>
次に、ネットで検索して調べてみました。自分の頭で考えて思い付いた上記理由以外だと、例えば以下のようなものがありました:
・時速100kmしか出ないと、時速100kmで走行しているクルマを追い越せないから。
(いや、、、だから、、、最高制限速度は100kmなので、それを超えた速度は出してはいけないんですけど。。。)
・日本の高速道路上で、一番傾斜がキツい坂道を登る際にちょうど時速100km程度で走行できるよう、ある程度の余裕を持って作られているから。
(・・・・・。)
<自動車メーカーの人に聞いてみた結果、得られた理由>
自動車メーカーは、みな口々に「安全、安心、セーフティ」と言っている。でも、その一方で暴走可能車を日々量産し続けている。これって、ある意味矛盾してますよね。なので、一社ぐらい、なぜそういう矛盾した状態になっているのか、についての説明書きをウェブサイトに載せていたりはしないか、と思ってあちこち探してみましたが、見つかりませんでした。まあそりゃそうか(笑)。
お客様相談センターに電話をして、「なぜ暴走可能車を製造・販売するんですか」と聞いてみようと、何度も何度も思いましたが、そんなことを言っても、ただのクレーマーとしてあしらわれるに決まっています。「貴重なご意見、ありがたく承りました」と言われてかわされるのがオチです。結局、勇気が無くて電話出来ていません。
そこで思い付いたのが、僕の仕事であるIR通訳の出張で自動車メーカーの方々とご一緒した際に、思い切って聞いてみる、という手段。で、実際にそれをやってみました、ロンドンで。
で、その結果得られた回答が、
「それは考えたこと無かったなぁ(笑)。おもしろい視点だなぁ。」
でした。
僕が自分の頭で考えたり、ネットで検索したり、自動車メーカーの人に聞いてみたりして集めた「理由」は以上です。これ以外にも、なぜ暴走可能車を製造・販売するのか、という問いに対する「理由」はあるかもしれません。
<「理由」になっているか>
一瞬話がそれますが、以下のシーンを想像してみてください:
ママ 「太郎ちゃん、おもちゃ投げちゃダメでしょ! なんで投げるの?」
太郎 「投げたいから」
「なぜ○○?」という、理由を問う問いに対し、「□□だから」という回答があったとき。
その回答は、確かに文法的には間違っていません。そして、「なぜ~?」という質問形式に対し、ちゃんと「~だから」という、正しい形式で回答しています。
文法的に間違っておらず、形式も正しいわけですが、では質問者はそれで納得していいのでしょうか。上記例で言えば、ママは「なるほど、投げたいから投げるのね、よく分かったわ」と引き下がっていいのでしょうか。
よくないですよね。
なんでよくないのか。
太郎の回答が「理由になっていないから」です。もっと言うと、「もっともな理由になっていないから」、だから引き下がってはいけないんです。ママは「そんなの理由になってないでしょ!」と言わなくてはいけないわけです。
英語では、「もっともな理由」は”Good reason”と言います。そして、「そんなの理由になっていない!」は”That’s not a good reason!”と言います。
これが、どうでもいい問題であれば、別に「理由になっていない」からといって、目くじらを立てなくたっていいわけです。
「あなたはなぜそんなにナポリタンが好きなのか?」→「昔から好きだから(笑)」は、別にいいわけです、流しても。回答がもっともな理由になってなくてもいいんです。どうでもいいから。重要性が低いから。
でも、交通安全に関する問題は、それでは許されないと思うんです。
「なぜ暴走可能車を製造・販売するのか、なぜ安全なクルマを作れないのか?」という質問をし、何らかの回答が返って来たとします。その回答がはたして「理由になっているかどうか」を判定する一つのいい試金石は、暴走するクルマによって大切な人を亡くした遺族に対し、その「理由」を堂々と回答できるかどうか、ではないでしょうか。
遺族の「なぜ暴走可能車を製造・販売するんですか!」という悲痛な問いに対し、
「暴走が出来ないように作られたクルマは売れないから」
とか、
「時速100kmしか出ないと、時速100kmで走行しているクルマを追い越せないから」
とか、ましてや
「日本の高速道路上で、一番傾斜がキツい坂道をちょうど時速100km程度で走行できるよう、ある程度の余裕を持って作られているから」
とか、挙げ句の果てには、
「それは考えたこと無かったなぁ(笑)。おもしろい視点だなぁ。」
って言えますか?という話です。
「理由になっていない理由」を掲げるのもいけないし、「理由になっていない理由」を聞かされて納得してしまう(あるいは、納得しないまでも、あっさりと引き下がってしまう)のもいけません。
僕の知る限り、
- 自動車メーカーが暴走可能車を日々製造・販売し続けること、
- 国がそれ(上記1.)を許すこと
- 我々国民がそれ(上記1.と2.)を許すこと
に、「もっともな理由(Good reason)」なんてありません。
「理由」はあっても、「もっともな理由」は、きっと無いんだと思います。
だとしたら、この問題はなんとかしないといけないし、そして、なんとか出来るんだと思います。だって、出来ない「もっともな」理由が無いんだから。
技術的に難しい? →難しいのかもしれませんが、日本の自動車メーカーが克服出来ないわけがないでしょう。
コストがかかる? →かかるのかもしれませんが、一方で人命もかかっています、この問題には。
"Fun to drive"が大事? →確かに大事ですが、Fun to driveって「違法な速度で暴走」しないと味わえないことではないですよね。適正速度車で味わえないのであれば、それはFun to driveなどではない。
将来、最高制限速度が引き上げられるかもしれない? →だったら、今引き上げの是非の議論をして、引き上げるなら引き上げて、その「新」最高制限速度しか出ない、あるいはそれ+10kmしか出ないような「適正速度車」を作りませんか。
<「悪いのは(暴走が出来てしまう)クルマではなく、暴走をする人間だ」>
銃社会アメリカで、銃愛好家によってよく使われる、「悪いのは道具(銃)ではなく、その道具を使う人である」という、一見もっともな理屈があります。
銃だと話が少しややこしくなるかもしれないので、ここでは「はさみ」を使って考えてみます。
はさみを凶器とした事件が起きた場合、世の批判の矛先は、はさみメーカーには向かいません。それは、はさみが便利な道具であり、通常の使い方をしている分には誰にも危害を加えないからです。「悪いのは道具(はさみ)ではなく、それを凶器として使った人間」という理屈の通りです。
この理屈は、一見(はさみ同様、便利な道具である)クルマにもあてはまりそうな気がします。
でも、大きく異なるのは、はさみの場合、はさみメーカーはそれを製造・販売することは出来ても、販売後のはさみの利用方法まではメーカーがコントロール出来ない、という点です。はさみが安全な方法でのみ使用され、危険な方法(凶器として、等)では使えないようにすることは、はさみメーカーは出来ません。
でも、クルマの場合は(ある程度は)それが出来ます。暴走可能車ではなく、時速100km以内でしか走行できない「適正速度車」を作ることにより、時速100km超での「使用」を完全に防ぐことが出来るわけです。でも、メーカーはそれをしていない。この点こそが、クルマがはさみ等、他の道具と大きく異なる点です。
産婦人科の、生まれたての赤ちゃんが大勢寝ている新生児室をイメージしてください。その中央に喫煙スペースを設けたとします。灰皿はもちろん、ご丁寧に、タバコの自販機と、ライターもいくつか置いたとしましょう。新生児室の真ん中に、です。
そこで、誰かがタバコを吸いました。赤ちゃんたちがゲホゲホ苦しそうにしています。「そんなところでタバコを吸うなんてけしからん!」と誰もが思うでしょうが、それ以上に「っていうか、そんなところに喫煙スペースを設けるなんてけしからん!!」という話になりますよね、きっと。
でも、銃とかクルマの場合はなかなかそうならない。問われるのはあくまでも利用者のモラルであって、メーカーや国のモラルは問われない。これはおかしいと思うんです。
<実は「なんとなく」>
「なぜ暴走可能車??」という問いに対し、恐らく「もっともな理由」は無い。つまり、実は「なんとなく」だと思うんです。
なぜ自動車メーカーは(適正速度車ではなく)暴走可能車を作るのか? → なんとなく
なぜ国はそれを許すのか? → なんとなく
なぜ我々国民は自動車メーカーや国に対して怒らないのか? → なんとなく
言うまでも無いことですが、暴走可能車は「なんとなく」製造・販売していいものではない。そして、国や我々国民も、それを「なんとなく」許してはいけない種類のものです。
<速度制限に対する不信感>
ほぼすべてのクルマが(最高制限速度である)時速100kmを越えた速度で走行できるよう、製造されている。そして、高速道路を走ってみれば一目瞭然ですが、実際、多くのドライバーが(クルマの性能を活かし(?))時速100km超で暴走、すなわち違法走行している。これは、考えようによっては異常な事態です。
自動車メーカーは、かたや「安全」とか「セーフティ」というスローガンをとなえながら、一方でこのような暴走可能車を日々量産し続けている。これも異常事態。
警察はどうか。制限速度100kmの箇所でも、110kmとか、120kmとかまでであったらお目こぼししてくれる、というのがなんとなく世の常識としてあります。本当にそうなのかどうかは分かりませんが。これも、考えてみるとヘンな(異常な)話ですよね。厳密に言うと、最高制限速度は時速100kmなのだとしたら、それを少しでも越えたら違法だし、それを捕まえるのが警察の役割、ということになります。それを1割増し、2割増しで走行しても捕まらないのだとしたら、これも異常事態だと言える。
なぜこのような異常事態がいたるところで発生しているのか。
その「根」は何か。
なぜ暴走可能車のような人命に関わる大事な問題が「なんとなく」放置・許容されているのか。
僕は、その根底には、速度制限というものに対する不信感があるのではないか、と思っています。
「昨日、ちかんしちゃってさ(笑)」
と言えば、周囲の人たちはギョッとするでしょう。その人は社会からつまはじきにされるでしょう。
でも、「昨日、高速道路を時速110kmで走っちゃってさ(笑)」と言えば、「だからどうしたの?」とか、「別にいいんじゃん?」とか、「ハハハ、気を付けろよ(笑)」といったライトな反応が返ってきそうです。飲酒運転を許すと飲酒運転幇助の罪に問われるのに、暴走を許してもおとがめ無しです。
クルマを運転する人であれば、その多くが、暴走をした経験があるでしょう、きっと。高速道路を時速110kmで走ったり、制限速度30kmの道を時速40kmで走ったことがあるでしょう。あなたも、僕も、きっと暴走経験者。
では、暴走という違法行為をしたことのあるあなたが、果たして悪い人かどうか。異常な人かどうか。
いえ、あなたはきっとマトモな人で、人命は大事だと思っているし、(その人命に直接関わる)交通ルールは、(基本的には)ちゃんと守るべきものだと思っていることでしょう。
そんなマトモなあなたが、なぜ「暴走」という違法行為を、それほど罪悪感を感じずにやってのけてしまうのか?それはやはり、速度規制に対する不信感があるから。
<ルールに対する不信感>
とてもマトモで、基本的にはルールをちゃんと守る人がいるとします。日本人の多くはそういう人たちでしょう。そんなマトモな人でも、ルールを守らないときがある。
ついうっかり、というケースはこの際除きましょう。ついうっかりではなく、マトモな人が「意図的に」ルールを破るのはどういうときか。それは、その人がそのルールを「おかしい」と思っているときです。ルールに対する不信感があるときです。
飛行機の機内で、「スマホはずっと機内モードにしておいてください、Bluetoothもダメです」は、ほとんどの人に守られていないルールでしょう。実際に飛行機の運航に支障をきたし、危険なのかもしれませんが、だとしたら、その情報は正しく乗客に伝わっていない。多くの人はこのルールを「信じ」ておらず、それに対し不信感を持っている。だから、別に悪い人でもないのに、ルールを破る。
速度制限というものに対しても、強い不信感があると思います。
そして、恐ろしいことに、その不信感は、それを取り締まる当の警察サイドも持っていると思います。だから、多少制限速度をオーバーしたぐらいでは取り締まらず、お目こぼしをしているわけです。自分たちも制限速度がおかしいと思っているから。
あくまでも僕の個人的なイメージですが、日本の制限速度って、
公安委員会(?)だかなんだかの、エライおじいちゃんたちが、
霞ヶ関?永田町?あたりの密室で、
「とにかく安全に。とにかく自分たちの責任を問われないように」ということで、
超低めに設定したもの、
というイメージです。
そして、その速度制限が「ずっと、何十年もの間見直されていない」というのも、不信感にさらに拍車をかける。その何十年もの間、道路事情やクルマの性能は何割も向上しているのに、速度制限はそれに追いついてきていない。時代に合っていない。実態に合っていない。
<現在の速度制限の問題点>
大きく2つあります:
・結果の問題
コンサバすぎる(低すぎる)
時代に合っていない。実態に合っていない。
・決まり方(決められ方)の問題
民意、ユーザーの意見が反映されていない
だからみんな守らないし、警察もお目こぼしすることになる。
速度制限というのは確かに難しい問題です。
低くすればいい、というものでもありません。非常に低くすれば、その分安全になり、事故・事故死者は減るでしょうが、経済活動に支障が出ます。
一方、高くすれば、その分危険度が高まります。
自動車をよく運転する人もいるし、まったくのペーパードライバーの人もいます。
生まれつきスピードを出すのが好きな人もいるし、一方でとても慎重でゆっくり運転したい人もいます。
難しい問題だし、正解はありませんが、いずれにせよ、もっと納得感のある速度規制を導入する必要があります。
どんな速度制限の仕組みを導入しても、世のほとんどの人はそれに対し多少なりとも不満を持つことになります。
- 高速道路のこの地点では時速○○○km
- 高速道路の別の地点では時速○○km
- 一般道のこの地点では時速○○km
- 一般道の別の地点では時速○○km
と、無数に決めて行く必要があるわけですが、その全てに完全に納得する人はいないでしょう。そして、全く同じ人物であっても、自分がドライバーのとき VS 歩行者のときでは意見が違うでしょうし、急いでいるとき VS 休日にのんびりしているとき、とではまた意見が違うでしょう。
<納得感の持たせ方>
誰しもが必ずある程度の不満を持つことは避けられませんが、やはり、より多くの人がその結果に納得し、その結果をすすんで受け入れるよう、納得感のある決め方をしないといけません。
エライおじいちゃんたちではなく、「フツーの人たち」が議論して決めるのもいいでしょう。
国民投票で決める?のもいいかもしれません。
答えは無いし、なかなか難しい問題ですが、少なくとも今の決め方よりもいい決め方はあるでしょう、きっと。(ちなみに、密室でおじいちゃんたちが決めている、というのも、僕の単なる思い込みにすぎません。実際には何か別の方法で決まっているのかもしれませんが、それが「分からない」、我々国民に「知らされていない」ということもまた問題です。)
<結論>
- 納得感のある速度規制にした上で、
- 日本で製造・販売されるクルマは、基本、適正速度車にする(緊急走行をする車両を除いては)。「新」最高制限速度が時速130kmなんだとしたら、時速130kmまでしか出ないようなクルマを作る。
ちなみに、今後、自動運転車が普及していくという流れを考えると、「適正速度車」という考え方はさらに重要性を増すと思います。時速200kmまで出せるように作られている自動運転車は、何かシステムの異常があったときを考えると、ちょっと恐い。
上記2.に強硬に反対する人もいるでしょう。「適正速度車なんてとんでもない!」と。でも、よく考えてみると、納得感のある速度規制を決めた上で、それを遵守するクルマを作ろう、と実にマトモなことを言っているわけで、それに強硬に反対するということはいったいどういうことか、という話になる(日本が、国の重要な戦略として少子高齢化への対策を取り、待機児童を減らす、と言っているのに、自分の家の近くでの保育園建設に反対する高齢者と似ている)。
<やりきれなさ(笑)>
さて、前のセクションで、
- 納得感のある速度規制にした上で
- 日本で製造・販売されるクルマを適正速度車にする、
という案を提示しました。
1.も2.も、どちらも非常にチャレンジングであることは承知の上です。でも、これを実現すれば暴走するクルマによる事故は減る(っていうか、無くなる?)。
しかし、ある種のやりきれなさは残ります。
それは、「一般道はどうするか」という問題が残るからです。
例えば、納得感のある速度規制はどれくらいか、という点について国民的な議論をした結果、高速道路の一部区間では時速130km、その他の区間では時速115km、そして危険な箇所については時速80km等、フレキシブルに設定しよう、とりあえず5年間はそれで行ってみて、また考えよう、ということになったとします。
そして、その上で、日本のクルマ全てが、日本の新しい最高制限速度である時速130kmまでしか出ない「適正速度車」に置き換わったとします。
これにより、高速道路での「暴走」は無くせる。時速130km超で走れるクルマが無くなるから。
でも、一般道での「暴走」の問題はまだ残る。
制限速度30kmの一般道を時速50kmで走ったり、制限速度50kmの一般道を時速100kmで走ってしまう、そういった一般道での暴走については、上記2つの施策はまったく効果が無い。
ーーー
そんなやりきれなさを感じながら、ある日僕は博多をドライブしていました。
家族と福岡旅行に来て、その2日目に、博多のベイエリア(って言うんですかね。港の周辺です)をクルマで走っていました。
話が出来すぎだ、と感じる読者もいるかもしれませんが、以下、本当の話です。
博多のベイエリアを走っていて、(ああ、ちょうどこの辺って、例のあの事故があったあたりかなぁ・・・)などとぼんやり考えていたその時。
レンタカーのナビが、
「速度超過を検知しました。安全運転を心がけてください」
と言ってきたのです。
いろんな意味でドキッとしました。
正確な数字は覚えていませんが、例えばその道が制限速度50kmの道だったとして、それを少し上回るスピードで運転していたんでしょう。
ナビは、僕が今どこを、どれぐらいの速度で運転しているか、が当然分かっていて、なおかつ、そのクルマについていたナビにはその道の制限速度(時速50km)の情報も入っているんでしょう。だから、「このクルマは今速度超過である」ことが自動的にわかり、速度を落とすよう、ドライバーである僕に警告してくれたんでしょう。
速度を下げながら、僕は、「あれ?あれれれ???」と思い始めていました。
賢明な読者のみなさんは既にお気づきかと思いますが、、、、、、
そうです、これを使えば一般道での暴走を無くせるじゃないですか!!
僕の、この博多でのドライブのケースでは、単に「警告」で済みましたが、
この情報を警察につなげ、ただの警告ではなく「違反」として摘発?・検挙?すればいい。
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高速道路においては、まずETCを使った速度取り締まりを導入することによって、すぐに暴走をほぼゼロに出来る。
そして、更なる安全向上策として、
- 納得感のある速度規制を導入した上で、
- クルマを「適正速度車」に置き換える、という案を考えてきました。
(もっとも、ETCによる速度取り締まりを導入した時点で、高速道路での暴走の問題はほぼすべて解決するわけで、適正速度車にする必要なんて無いんですけどね。でも警察とJHの腰が重いうちは、このように他の方法を考えるしかない)
でも、これはあくまでも高速道路での話であって、一般道については何の効果も無い。
(まあ、一般道にも至るところにETCのセンサーを設置して、各区間の平均速度を計測すればいい話ですけどね。はあ、なんでやらないんだろ。。)
そんなやりきれなさを感じていたわけですが、どうでしょう、ナビ情報を使えば、あらゆるクルマがいまどこで速度違反をしているか、がすべて分かってしまい、自動的に捕まえることが出来るではありませんか。
「適正速度車」みたいにクルマをあれこれいじる必要なんて最初から無くて、ETCを使う必要も無くて(だから当然道路公団(JH)の協力も不要)、要はナビを使えば全ての速度違反を一気に取り締まれてしまう。
(ちなみに罰金の精算にはETCが便利ですね。)
これは、考えてみればあまりにも当たり前の話で、この問題についてずっと考え続けて来たのにもかかわらず、この方策を思い付かなかったことは実に恥ずかしいわけですが、すばらしく、かつ当然の解決策です。
で、なんで警察はこれをやらないんでしょうね。
これは結構恐ろしい話ですが、僕が思うに、警察は、本気で速度違反を取り締まろう、などとは思っていないと思います。だって、もし本気で思っていたら、少なくとも高速道路についてはすぐに(ETCを使って)出来てしまうし、一般道でも、ナビの位置情報システムを使えば速度違反を(ほぼ)ゼロに出来る。でもそれをやっていない、ということは、もしかしたらそもそもやる気が無いのかもしれません。警察が「交通安全」と言っているのを耳にするたびに、僕はなんだか白々しい気持ちになります。
これは自動車メーカーについても言えます。
本当に交通事故死者数をゼロにしたい?だとしたら、(他社がどうしようが)自社は適正速度車を作ればいいではないか。国やJHに対し、ETCやナビを使った速度コントロールについて、公開提言書を出せばいいではないか。本気で思っているならなぜそれをしないのか。
<終わりに: 新「国民車」待望論>
国民車、ということばがあります。
国が主導し、世の多くの人たち(大衆)のために開発されるクルマ、といった意味です。
日本でも国民車構想はありました。
上記トヨタのサイトによれば、当時国(通産省)が出した指示は「最高時速100km以上」だったそうです。いや、、、だから、、、時速100kmはいいけど、それを越えるのは違法なんですが。。。そもそも国がこういうことを言っているから根深いですね。
国民車(A people’s car): 値段が安くて、実用的な、国産の(小型)自動車
といった定義のようですが、僕はそこに、「安全な」とか「法に則った」という文言も入れたい。
今からでも遅くはありません。かなり遅いですが、遅すぎる、ということはありません。
国民が納得感を持って守れるような、新たな速度規制に切り換えて、
その「新」速度規制を大きく超過して走行できないような「適正速度車」を、新たな国民車として導入してはどうか。
いや、それは難しすぎる、というのであれば、せめて、今すぐにでも始められる、高速道路でのETCを使った速度取り締まり。そして、その次のステップとして、ナビ情報と連動した、一般道での速度取り締まり。
来年の東京オリンピックはとてもいい機会です。
日本を訪れる多くの外国人が、速度違反の(ほとんど)無い日本を目にしたら、とても驚くでしょう。
日本が世界に対し範を示すすばらしい機会です。
国民のための
国民の安全を守る
国民に愛される
国民が誇りに思える
そんな、安全な「新」国民車を、ハードの面から、あるいはソフト(運用)の面から、創れたらどんなにすばらしいか、と思います。
そんなクルマをモデル・ラインアップに加える自動車メーカーが、たったの1社でもいたらとてもかっこいいし、国や警察がETC・ナビ情報を使った速度コントロールに乗り出してくれれば、それこそが真の正義の味方だと思います。国民の「安心・安全」を守ることに本気なのであれば、ぜひご一考を!!
(完)