たんのだんのブログ

irisjapan.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

会議参加者にとっての「体感通訳力」を上げる

昔、山登りにハマっていた時期がある。

もちろん、山に登ったりなんてしない。
登山系の本や雑誌を眺め、ビクトリアみたいな店に行って各種登山グッズ・キャンプグッズを物色し、タフな山男な自分を想像して悦に入るのである。いい趣味だったと今でも思っているし、将来また時期を見て再開してもいいな、と思っている。

その頃学んだ概念として、「体感温度/体感気温」というのがある。
山頂での実際の気温がマイナス10度だとして、そこに強風が吹いていたり日陰だったりすると、それよりも寒く、例えばマイナス15度とか20度に感じるものだ、みたいな意味だったと記憶している。


d0237270_10452586.jpeg


で、これって通訳にもそのままあてはまるなあ、と思うのだ。

ーーー

通訳力は定量化・数値化出来ないが、仮にそれが出来たとしよう。
で、ある通訳者の通訳力が80点だとする。

実際の実力は80点なわけだが、その通訳者のやりようによっては、会議参加者に(あの通訳者の力は85点だ。いや、90点だ!)と思わせることも出来るし、あるいは逆に(あの通訳者は70点だ。。。)と思わせることも出来る。実際の通訳力はあくまでも80点なのに!

以下、「実際の通訳力」と、会議参加者が感じる「体感通訳力」という、2つの通訳力があるという前提の元、論を進める。



<どっちの「通訳力」がより重要か>
実際の通訳力は80点なわけだから、ある意味そっちの方が大事な気もする。
でも、肝心の「会議参加者」がどう感じるか、もすごく大事だ。そして、会議参加者による評価が「次の案件につながるかどうか」とか、「今後の自分の通訳料金や条件」を左右することを考えると、そっち(会議参加者の体感通訳力)の方が大事だ、とも言える。

「私は通訳が上手なんです!」と会議室の中心で叫んでみたところで、会議参加者がそれを「体感」出来なければ意味が無いのだ。



<なぜ「実際の通訳力」と「会議参加者の体感通訳力」とでズレが生じるのか>

バイアスだ。

会議参加者は人間である。
そして、人間はバイアスの生き物だ。
このバイアスを上手に使いこなせば、実際の通訳力が80点なのに会議参会者には「90点だ!」と感じてもらうことが出来る(かもしれない)。



1.人柄バイアス

例えば、その通訳者がすごく愛想がよく、会議中もいろんなことに気付いて行動してくれ、案件終了後の対応も気持ちよく、実に好感が持てたとしよう。
その通訳案件が終了した後、会議参加者が「今日の通訳、いかがでしたか?」とフィードバックを求められた場合、「よかったですよ」となる可能性が高い。

さて、興味深いのはここからだ。

このとき、会議参加者の頭の中では「通訳者の通訳力」と「通訳者の人柄」がゴッチャになっている。そして、両者は連動しており、後者が前者を引き上げるものなのだ。つまり、会議参加者が「よかった」と思ったのは、実は通訳者の人柄だけで、通訳力ではなかったのかもしれないが、人柄がよかったおかげで、その会議参加者が体感した通訳力も(無意識のうちに)ほんの少し「よかった」サイドに引っ張られるものなのだ。

そして、いつのまにか「(人柄が)よかったですよ」「(通訳が)上手でしたよにすり替わるのだ。



2.向上心バイアス

人は、過去や現在のことを考えるのと同時に、未来のことも(無意識のうちに)考えている。

今、ある通訳者(Aさん)が目の前にいるとしよう。
Aさんがミーティングを通訳してくれて、ミーティングが無事終わった。その一連の過程で、Aさんに「向上心」が見られたかどうか。
見られなかった場合、「実際の通訳力」=「体感通訳力」となる。両者の間にズレは生じない。

でも、会議参加者がAさんに強い向上心を見出したらどうなるか。

会議終了後、「今日の通訳、いかがでしたか?」と聞かれた際、会議参加者は、無意識のうちに、Aさんの現在(80点)だけでなく今後の実力アップも勝手に織り込んでしまい、「85点でしたよ」となることがあるのだ。今の話をしているのに。



3.「通訳力評価は山頂ではなく谷底に引っ張られる」バイアス

上記2つはややマイナーというか、まあどうでもいい項目。でも、この3.は結構本質的だと思う。

ある会議において、合計100フレーズ(100の発言)が行われ、それを通訳者が逐次通訳したとしよう。
通訳者は計100回、通訳パフォーマンスを披露したことになる。

さて、その100回の通訳パフォーマンスのうち、90回はほぼ完璧な、立て板に水のような、実にすばらしい通訳だったとしよう。
でも、何らかの理由により、残りの10回については、クオリティの低い訳(つまりヘタな訳)だったとしよう。

会議参加者の体感通訳力は、
上手だった90回ではなく、
上手だった90回とヘタだった10回の平均値でもなく、
ヘタだった10回によって定まってしまうものなのだ!

だから、浮きを90個つけて浮かび上がろうともがいても、評価は10個のオモリによって水中に押し下げられてしまうもの。
理不尽な話だが、ヒトはバイアスの生き物なんだからしょうがない。

だから、通訳者は必ず、毎回、絶対に80点以上の、つまり合格点の通訳パフォーマンスをする必要がある。
税理士だったか中小企業診断士だったか忘れたが、「どの科目もまんべんなく80点以上を取らないと合格できない」みたいな資格があった気がするが、あれと一緒なのだ。

100点 100点 60点 100点 100点

ではダメなのだ。

90点 95点 80点 90点 90点

を目指すべきなのだ。
頂を極めることではなく、谷を無くすことが重要だ。



ミーティング中の「通訳力の平準化」は、会議参加者にとってのノイズ逓減にも役立つ。
1回のミーティングの間に、通訳力が100点と60点をジェットコースターのように乱高下することは、会議参加者にとって大きなノイズになる。
となりんちのお姉さんのピアノの練習で、途中までうまく弾いてきたのにある音を大きく外したときに我々が感じるあのズッコケ感を想起していただければ、会議参加者の落胆が分かるであろう。

ーーー

以上、会議参加者の「体感通訳力」というテーマについて考察してきた。

これは、芸能人の「好感度」とも似た考え方だ。
芸能人にとって「好感度」は非常に重要な指標だ。それによって今後のCMやドラマのオファー数が左右される。

その好感度だが、それが高いからといって、必ずしもその芸能人がすばらしい人格者、超善人とは限らない。
「好感度」というのは、あくまでも世間がその芸能人をどう見ているか、を表す数字で、その芸能人が実際にどういう人なのか、とイコールではない(強い相関はあるだろうが)。

我々通訳者も、好感度を上げる取り組みをするといい。
会議本番中はもちろん、その前後のチャンスも活かし、会議参加者にとっての「体感通訳力」を高め、次の案件、そしてさらなる高みを目指していきたいものだ。山登りは疲れるし危険なのでようしませんが、通訳の山はいくらでも登り放題。疲れないし、危険はゼロだし、山頂の気温は氷点下どころか、かなり暖かい、すばらしい場所なのではないかと楽しみにしています。

by dantanno | 2018-10-26 10:46 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)