通訳のトレーニングについて、思うことすべて
2018年 09月 22日
<この記事を書く背景>
今まで、いろいろな通訳者と、通訳トレーニング(以下「通訳トレ」)について話し合ってきた。
やるかやらないか。
何をやるか。
どれぐらいやるか。
効果をどう計測するか、などなど。
みな、実にさまざまな意見を持っています。
また、IRでご一緒する企業や証券会社の方々、そして外国人投資家から、我々通訳者が日頃どんなトレーニングをしているのか、聞かれることも多い。みな、我々が行っているクオリティコントロールに関心があるんですね。それはそうだ。
そして、私が教えている大学院の講義、主宰しているプロ通訳者向けワークショップ、あるいはたまーに行う(通訳イベントでの)講演後のQ&Aセッションなど、実にさまざまな場で、通訳トレについて意見を求められてきた。「何をトレーニングすればいいのか」とか、「どうすれば効率的にレベルアップ出来るか」といった質問も多い。
一方、別に意見など求められていないにもかかわらず、私から勝手に通訳トレに関する自説を開陳し、顰蹙を買ったり買わなかったりもしています。
通訳トレについて、いろいろな場で断片的に意見を述べてきましたが、この辺で、自分が思っていることをどこか一箇所に全てまとめて書いておくことも有意義であろう、と思い、この度筆を取りました。
誰のために、と問われればまあ自分のため、ということになるのでしょうが、でも、通訳力を上げたいと本気で思っている、そんなやる気のある通訳者(特に駆け出しの通訳者)の参考になればとてもうれしいです。
<通訳トレとは何か。通訳トレをどう定義するか>
通訳トレを、「通訳力を高めるための取り組み」と、まずは仮に定義する。
<「通訳力」とは何か>
では、「通訳力」とは何を指すのか。これはなかなか深い問題である。
それを考えるために、通訳をする際のプロセスを思い返してみる。
通訳する際、通訳者が経ているプロセスは:
①インプット: 話し手の話を聴き、それを理解・解釈すること
②プロセッシング: (①で聴いたその発言内容を)編集・整理・加工すること、そして
③アウトプット: (②で処理した内容を)口に出し、聴き手に伝えること
大きくこの3段階に分けられる。
実際に「訳す」作業、つまり日本語を英語にしたり、英語を日本語にしたり、という狭義の通訳作業は、上記②と③にまたがる、と言えるかもしれない。
そして、通訳力は:
①インプット系の力: 話をちゃんと聴き取り、それを理解・解釈する力
②プロセッシング系の力: 話の内容を整理・編集する力。言語を変換する力
③アウトプット系の力: 聴き手にとって分かりやすいよう、ちゃんと出す力
に分けられる。
「話を理解・解釈する力」は、インプット系の力とプロセッシング系の力の狭間に位置すると言えるかもしれない。
こうしたインプット系、プロセッシング系、そしてアウトプット系、いずれかの力を高めるために行う取り組み、それをこのブログ記事では「通訳トレ」と呼ぶことにする。
<通訳トレに含まれないもの>
一つ上のセクションで、通訳力がインプット系、プロセッシング系、アウトプット系の力に分けられる、と書いた。では、それだけなのだろうか。他に通訳力と言えるものはないのだろうか。
例えば「通訳経験」はどうか。通訳経験が豊富であればあるほど、各種シチュエーションでうまいこと立ち回れるようになるだろう。それは立派な「通訳力」だ。
また、「知識」も間違い無く含まれるだろう。ある分野の会議の通訳をする際、その分野に精通していれば、その分「いい通訳」が出来る。そういう意味では、知識を豊富に有していることも間違い無く「通訳力」と言えるだろう。
もっと広い概念で行くと、「人間力」も通訳力の大事な一部分だ。人間的な魅力。会議参加者を安心させるおだやかさ。話し手が言いたいことを推し量る思いやり。その場のキーマンが誰かを見定め、うまく立ち回る力、などなど。こういうのも立派に「通訳力」だ。
つまり、通訳力というのは全人格的な能力なのだ。
ーーー
通訳経験を積むためには、数多くの通訳現場を体験する必要がある。
知識力を高めるためには、次の通訳案件に向けた予習を熱心にやったり、日頃からいろいろなテーマについて勉強しておくことが求められる。
そして、人間力を高めるためには、いろいろと人生経験を積むのがいいかもしれない。映画を観たり本を読んだり、また、友達と飲みに行くのもいいだろう。失恋も人間力アップにつながるだろう。
しかし、このブログ記事では、こうした取り組みについては「通訳トレ」に含めない。
・通訳案件の本番
・案件に向けた予習、および背景知識習得のためのお勉強
・人間力を高めるためのいろいろな取り組み
こうしたものは「通訳トレ」と呼ばないことにする。
それぞれ理由がある。
・通訳案件の本番 → 通訳案件の本番を経験することは、基本的・普遍的な通訳力のアップにあまり効果が無いと思っている。駆け出しの通訳者ならともかく、通訳をもう3年もやっている人が新たに通訳案件を経験したからといって、そこから得られる「基本的な通訳力の向上」は非常に限定的だと思う(後述するように、応用力は身につくと思う)。
これは大きなテーマなので、この後セクションを分けて、詳しく考えてみたい。
・案件に向けた予習、そして背景知識習得のためのお勉強 → これらは要するに「お勉強」と総称できる。通訳者は、真面目な人が多いんだろう、こうしたお勉強が大好きだ。
お勉強は、特定の通訳案件、および特定のテーマの通訳の際はもちろん役立つだろう。しかし、どの分野の、どの通訳案件においても役立つ普遍的な通訳力とは言えない。
例えば来週、原子力関係の会議の通訳をすることになっているとしよう。その日使われる予定の資料を入手し、それを読み込んで予習をしたり、そもそも原子力についてよく分かっていないから紀伊國屋に行って「原子力の基礎」という本を買ってきてお勉強したり、といった作業は、本番当日の通訳パフォーマンス向上に役立つであろう。でも、その通訳案件の翌日に予定されているエンターテインメント系の会議の通訳には(直接的には)役立たない。
・人間力を高めるためのいろいろな取り組み → これはこれで非常に大事だが、「通訳トレ」と呼ぶにはあまりにも時間がかかりすぎる。私がイメージしている通訳トレというのは、1年、、、いや、3ヶ月で効果が出るような取り組みなのである。
<確認: 「通訳トレ」の定義>
ということで、このブログ記事において「通訳トレ」は:
どの分野の、どんな通訳案件で通訳をする際も活用出来る、そんな基本的・普遍的な通訳力を、比較的短期間で向上させるための取り組み
これを「通訳トレ」と定義する。
<なぜ通訳トレが大事だと思うのか>
通訳という仕事をより楽しむために大事だと思うんです。
ーーー
先日、ハワイで体験サーフィンのレッスンを受けたんですよ。結論から言うと、自分にはバランス感覚が全く無いことが確認出来たのと、ボードに飛び乗ったときにグキッと脇腹を痛め、日本に帰国した後もまだ痛いから病院に行ったら「あばら2本折れてるよ。あんたよくこれでレッスン続けたね(笑)」とあきれられたことが主な収穫でした。
それはさておき、サーフィンを体験して文字通り「痛感」したのが、沖に出る際のパドリングの大変さ。あの、ボードの上に寝そべりながら、手でバシャバシャ水をかいて前に進むアレです。初めて沖に出るときはいいんだけど、その後波に乗って浜の近くまで打ち寄せられて、それで再度沖に向かうじゃないですか。その度にまたパドリングが必要になるわけですが、それを何度も何度も繰り返す内に、だんだんウデの感覚が無くなっていく、、それほど疲れました。もう、波に乗れるとか乗れないとか以前の話。ウデが疲れたのでもう上がらせてください、とマジで先生に言おうかと思ったぐらい。
ちょっと強引な例えですが、パドリングをする力というのは、通訳における「基本的な力」に相当するのかな、と思いました。
そして、実際に波に乗って、
(あっちに行こうかな)とか
(ここらでちょっとターンしてみようかな)とか、さらにうまい人になると
(ジャンプでもしてみるか)とか、
そうやっていろいろ遊べる、そういう楽しい世界が多分あるんだろうな、と思うんですよ(僕には夢のような話)。それが通訳における各種「遊び」に相当するのかな、と。
通訳における遊びというのは、例えば
(今の発言、ああも訳せるけど、こうも訳せるな。今回はどっちの訳し方で行くかな)とか、
(この投資家は結構せっかちっぽいから、結論を前の方に持って来て、訳をちょっと短めに編集してみるかな)とか、
(今のジョークを、ちゃんと笑いが起きるようにするにはどう料理したらいいかな)とか、
そういう楽しい作業のことを指します。
パドリングで疲れ切っちゃっていると、なかなか「波に乗る」というサーフィンの真の楽しさに行き着けないのと同様、
「話を聴き、理解し、訳出する」という一番基本的な力作業で脳のキャパを使い切っちゃっていると、通訳の真の楽しさをなかなか味わえないんじゃないかな、と思うんです。それではもったいない。だから、もっと通訳で遊んで楽しむためには、通訳トレがすごく大事だと思うんです。
<遊び = 高付加価値>
通訳における遊びは、単に通訳者にとって楽しいだけでなく、会議参加者にも喜ばれます。
ただ訳すのに精一杯の通訳者が多いのに対し、(今の発言はどのように料理しようかな)と遊ぶ余裕のある通訳者は、①そもそもゆとり・余裕があるから会場に安心感をもたらすのに加え、②訳がより分かりやすく、伝わりやすくなりますから、とても喜ばれるんです。
実際、そういう例をたくさん見てきました。
<通訳トレは、ゼネラリスト通訳者にとって特に重要>
僕のように、例えば「IR通訳」とか、分野をかなり限定して通訳をする人は珍しい。
多くの通訳者は、ゼネラリストとして、日々いろいろな分野の通訳に挑戦している。きっとその方が楽しい(笑)。ゼネラリスト通訳者を目指すのであれば、なおのこと、特定分野の、特定の案件にだけ役立つ力ではなく、どの分野の、どの通訳案件にも活かせる「普遍的な、基本的な通訳力」を身につけた方がいいのではないか。
<通訳者は通訳トレをしているのか>
では、そんな大事な通訳トレを、果たして世の通訳者たちはやっているのかどうか。
当たり前の話ですが、やってる人はやってるし、やってない人はやってない。
大きな傾向で言うと、駆け出しの通訳者であれば結構やっているのかもしれませんが、だんだんベテランになってくるにつれて、通訳トレの量が減ってくる、そんな傾向があるかもしれません。
ーーー
通訳系のイベントなど、通訳者の集まりで、通訳者たちに
「みなさん、ご自分の通訳力をさらに高めたい、と思いますか?」
と聞くと、全員がまっすぐに手を挙げます。
「では、通訳力を向上させるためには、何らかのトレーニングをした方がいいと思いますか?」
と聞くと、みな手をしっかり挙げたままです。
「じゃあ、昨日、1時間以上通訳トレーニングをした、っていう人はどれぐらいいますか?」
と聞くと、さっきまで屹立していた全ての手が瞬時に降ろされます。
<通訳トレをしない通訳者は、なぜ通訳トレをしないのか>
駆け出しの通訳者はきっとトレーニングしているでしょうから、一旦脇に置いておきましょう。また、ベテラン勢の中にもしっかりトレーニングしている人もいるでしょうから、そういう人も一旦脇に置いておきましょう。
ここでは、通訳トレを「していない」あるいは「あまりしていない」という通訳者について考えます。
彼ら・彼女らは、一体なぜ通訳トレをしないのか。
野球の練習をしないプロ野球選手などありえないのに、なぜ通訳トレをしないプロ通訳者が存在するのか。
ーーー
プライオリティーが低いんだと思うんです、通訳トレの。
通訳案件(仕事)や、それに向けた予習が優先される。
案件を数多くこなせば疲れます → 休養も必要になる。
そして、もちろん家族のイベントとか、子供の送り迎えとか、そういった時間も必要。
マジメだから、お勉強もします。
そういったことを全てこなした上で、もし時間が余っていたら通訳トレでもするか、、みたいに思うのかもしれませんが、当然時間なんて余るわけがない。そしてこれは、(きっと時間なんて余らないだろうな・・)って、最初から心の中のどこかで確信犯的に、分かってやっているわけです。
他の諸々の用事と比べ、「通訳力を上げるためのトレーニング」のプライオリティーが低いんです。
では、なぜ通訳トレのプライオリティーが低いんでしょうか。結構大事なはずという気もしますが。
それは恐らく、通訳トレするインセンティブを感じていないからだと思います。
<なぜ通訳トレをするインセンティブを感じないのか>
1.既に仕事がある程度回っているから
・仕事がそこそこ取れている
・エージェントからもらえているレートも悪くない
・お客さん(クライアントや会議参加者)は別に文句を言ってきていない
この三拍子が揃ってしまうと、自分の通訳力をさらにアップさせるインセンティブが薄れてもまあしょうがないと思う。そして、仕事がそこそこ入っていると、それをこなすだけで疲れるから、その後に通訳トレする気なんて起きないし。
2.さらに上があることが見えにくい
通訳力アップの必要性とは別の問題として、そもそもそれが可能であるということに気付かない、という面もあるかもしれない。通訳の世界には実はもっと上の次元があるのだが、自分がまだその次元にいないので、当然それが見えないし、実感が湧かない。自分と同じ次元にいる通訳者は見えるが、「上の次元」にいる人たちは見えないものだ。日頃、現場でも会わないし。
そして、今の次元でもらえているレートもそんなに悪くない。
また、幸か不幸か既にある程度の実力を有しているだけに、どうすればそれを、何年後とかではなく比較的短期間の内に、今のレベルからさらに上達させられるのかが見えない。そんな通訳者も多いと思う。だから(ま、長い目で考えよう・・・)みたいな話になり、結局日々の通訳案件をこなす以外はほとんど何もしない、という状態が何年も何年も続くことになる。
通訳トレをするインセンティブを感じない、という問題については、この2つの要因が大きいと思う。
<通訳トレを「戦略的・意図的」にしない通訳者もいる>
中には、確信犯的にというか、戦略的・意図的に通訳トレーニングしないという通訳者もいる。
「しようよ(笑)」という話だが、しないのだ。なぜしないのか。
そのような通訳者は、「日々の通訳案件が一番の通訳トレーニングになっている」と考えている。
それは、本気でそう考えているのか、心のどこかで(実は違う)と思いながらも、通訳トレしない言い訳に使っているだけなのかは分からないが、とにかくそう思っている。
このブログ記事の最初の方で書いた通り、この記事では「通訳トレ」の定義に「日々の通訳案件」は含めていない。また、これも最初の方で書いた通りだが、私は日々の通訳案件が、基本的な通訳力のアップにはあまりつながらない、と思っている。以下でその理由を考えてみる。
● 分からなくもない
確かに、通訳案件をする際は「通訳」をしているわけだし、家でのぬるま湯環境ではなく本番環境でやっているわけだから、トレーニングするよりも効率的に力がつくのではないか、という気もする。直感的には。それを毎日毎日こなしていれば、通訳力がグングン上がりそうな気もする。直感的には。
では、通訳案件をこなすことで得られるものは何か、考えてみた。
・経験
・知識
・持久力/スタミナ
・自信(大事だが、通訳トレーニングをしなくなる、という副作用あり・・)
・ごまかす力(←重要!だがこれも、ごまかすのがうまくなればなるほど通訳トレーニングの必要性を感じなくなる、という副作用あり。何かを「感じなくなった」からといって、それが「無くなった」わけではない。)
もちろん、「通訳者になって初めて」の、一番最初の通訳案件はすごくためになるだろう。2回目の現場もためになろう。でも、それが3回目、4回目、5回目、とどんどん数を重ねていく内に、1回の現場経験から得られるレベルアップがどんどん逓減していく。これは当然のことだ。
(例えば今日の現場がその通訳者にとって5000回目の現場だったとしよう。その現場を経験した結果、通訳力が如実にアップしていたとしたら、それは逆の意味でヤバイ気がする。もちろん、何かためになる知識が得られたとか、その日の経験で新たな視点が身についた、といったことはあるだろう。でも、5000回目の通訳現場で「基本的な通訳力」が大きくアップしていたとしたら、それは何か別の問題があることを意味するし、現実にはそんなことは起こりえない。)
そして何よりも、通訳案件をこなすことで得られるものは、「基本的な通訳力」とは少しズレているのだ。
経験も知識もスタミナも自信もごまかす力も、全部大事だ。でも、それは「基本的な、上手に訳す力」とは別のものだ。
● 見てみたい
もし、日々の通訳案件をこなすことが本当にレベルアップにつながるのであれば、サイコーにすばらしい。そんなに効率的なことはない。だって、そうしたら通訳トレなんて不要ですからね(笑)。本当にうらやましい。
日々の通訳案件をこなすだけの通訳者が、例えば半年とか1年経った時点で、(あ、この前よりもかなり上手になってる、すごい!)ということがあるのであれば、それを楽しみに待ちたい(今のところ、そのような現象を目の当たりにしたことは一度も無い)。経験年数とプライドとレートだけが高まってしまい、実力がついて行っていない通訳者を見るのは痛々しいし、その仕組みは長い目で見るとサステーナブルではないのではないか、と思ってしまう。基本的な通訳力を上げる方がベターだし、結局近道だ。
● 「試合」と「練習」のバランス
通訳を、他の分野のプロフェッショナルと比較してみた。
例えばスポーツ選手。
野球選手や体操選手は、「試合」と「練習」をどの程度の割合でこなしているのだろうか。
野球選手の場合、「シーズン」というものがあり、その間は多くの試合をこなしている。でも、シーズン中でもいわゆる「練習」はするだろう。例えば夕方から試合だとしたら、日中は練習をしているわけである。
また、シーズン以外の期間は、キャンプを行ったり、自主トレを行ったりと、練習に勤しんでいるだろう。
体操選手の場合、4年に一度のオリンピックとか、大きな大会とか、そういった「試合」的な場ももちろんあるが、日頃、一番多くの時間を「練習」に費やしているのではないか。
それに対し、「日々の通訳案件をこなしていればいいんだ」という通訳者は、極端な話、試合10、練習ゼロだ。
どうもアンバランスなような気がする。
「自分は、試合・大会に出るだけで十分ためになるから、日頃の練習などしない」というスポーツ選手がいるだろうか。考えられない。でもそれが、通訳の分野では日常的に起きている。(幸い、そうでない通訳者もいる。)
<Performance zone と Learning zoneという切り分け方>
このブログ記事を読んだ翻訳者(友人)が、こんな動画を送ってくれた。
How to get better at the things you care about
僕が言っている「試合」と「練習」の関係は、この人が言っているPerformance zoneとLearning zoneという考え方にとても近い。
● 案件本番と、トレーニングのときでは、メンタリティーが真逆
私が一番ポイントだと思っているのはこの点である。
通訳案件本番に臨む際、通訳者は自信を鼓舞して臨むものだ。「自分は世界で一番上手な通訳者だ」と思い込むようにして現場に臨む通訳者もいる。いいことだと思うし、大事だと思う。
そして、現場でちょっとミスをした場合。もっとうまく訳せたであろうに、それが出来なかった場合。そんなことでクヨクヨなんかしていられない。どんどん前に進むことが大事だ。
それに対し、トレーニングをしているときはどうか。
自分の通訳力を謙虚に、冷静に見つめ、どこが強みなのか、どこが弱みなのか、を分析する。
そして、特に弱みについて(本番では見過ごされがちな弱みについて)注目し、それを克服するためのトレーニングを行う。
つまり、本番に臨むときと、トレーニングをするときとでは、自分の通訳に向き合うメンタリティーが完全に真逆なのだ。自信過剰 VS 謙虚、なのだ。
だから、本番ばかりこなしていてトレーニングをしない通訳者は、なかなか自分の通訳というものを謙虚に、冷静に見つめる機会が無く、いつもワッショイワッショイで前に進んでいる(気になっている)のではないか、と思うのである。
以上、「日々の通訳案件は、基本的な通訳力アップにはあまりつながらないのではないか」という問題について考えて来た。
このセクションの最後に、IRISの、今やどの現場にでも安心して出せるエース級の通訳者が言った一言を紹介したい。
「私、フリーになって1年ぐらいで、案件を経験することによるレベルアップが止まって、しばらく伸び悩みました。」
<筆者の通訳トレ経験>
じゃあお前はどうなんだ、と思う方もいるかもしれない。
私は、2008年にフリー通訳者になった。
通訳者になって数ヶ月がたち、ほとんど仕事がなくてブラブラしているときに証券会社に拾ってもらい、インハウス通訳者になり、IR通訳を始めた。
IRには年間を通しての波があり、忙しい時期は忙しいんですが、ヒマな時期はとてもヒマ。で、インハウス通訳者が4人もいたので、なおのことヒマ。
(これだったら出社しなくてもいいんじゃないか?)と思うぐらいだったが、一応出社はしないといけない。
そこで、毎日朝から晩まで通訳のトレーニングばかりしていた。
真面目だからではなく、ヒマだからトレーニングをしたのだ。
そして自分の場合、「インハウス」という特殊環境だったのが幸いした。とにかく9時−5時で会社にいないといけない。証券会社ということもあり、会社のPCからはFacebookとかブログとか、そういう楽しい場にはつながらない(最初はYoutubeにもつながらなかった(笑)。これだと通訳トレが出来ない、と言い張って情報システム部に泣きつき、つながるようにしてもらった)。
つまり、他にやることがないからしぶしぶトレーニングをせざるを得なかったのが幸いした。
ーーー
さて、日々トレーニングをしていると、2〜3ヶ月ぐらい経ったときに、明らかに変化を感じた。
もちろん、通訳に「慣れた」というのもあっただろうが、それだけではないような気がした。
とてもラクに通訳が出来るようになった。
もっと具体的に言うと、それまでは多少話を要約したり落とさざるを得なかったのが、全部拾って再現出来るようになった。そして、それまではアップアップで気付かなかったいろいろなことに気付けるようになり、それに対処することで、通訳を少しずつ高付加価値化できた。その後は、「全部写真のように再現するのではなく、もっと絵のような通訳が出来ないか」という課題にも取り組めた。全部通訳トレのおかげだと思っている。
そんな頃、社外の、つまりフリーランスの通訳者たちの通訳パフォーマンスを見せてもらう機会もよくあった。みな、自分よりも大先輩の人たちばかりだ。
フリー通訳者たちの通訳を見ていると、必死になって、アップアップになってやっている人たちが結構いた。見ていて楽しそうではなかったし、あまりステキでもなかった。思うに、基本的な通訳力が無いのだ。基本的な通訳力を欠いた状態で、日々案件をこなしているから、ヘンな応用力(?)とか、ヘンなごまかし方とか、そんな変化球なスキルばかり身についてしまっているのではないか。
興味深いことに、通訳が終わった後、
「やっぱり半導体セクターは難しい(苦笑)」
とか
「この担当者、結構早口だから・・・(笑)」
とかなんとか言っているのだが、僕は(きっとそうじゃないだろう)と思っていた。知識とか、応用力とか、そういう問題ではない。基本的な通訳力が無いのだ。
そんな通訳者がいる一方で、余裕をもって、楽しそうに通訳している人たちもいた。雰囲気だけでなく、実際訳も上手で、会議参加者から喜ばれ、指名を取っている。月とすっぽんだなあ、と思ったし、通訳者になるのであればかくあるべし、、、と強く思った。
<具体的に何をトレーニングするのか?>
では、具体的に何をすればいいのか?これはもちろん人それぞれなわけですが、例えば以下のような項目です。
・脳のトレーニング: スピードアップ、記憶力
・物理的なこと: 口の回りをよくする。腹から声を出す
・単語/表現力
(単語力というのは、「試合」と「練習」の対比がしやすい分野だ。試合(すなわち通訳案件)に向けた予習の際、単語帳を作る。その単語帳には、その会議で出そうな専門用語が並ぶわけだが、例えば “Incidentally, 〜” とか、 "cohesive" とか、特定の案件に紐つかない、基本的な単語力アップにつながる単語は載らないのが普通だ。こういう面でも、試合では得られない効果がトレーニングで得られると思う。)
・(狭義の)通訳力: Shadowing、要約、逐次、同通、パラフレーズ
・メモ取り: 記号化、メモの整理の練習
・英語力: 単語帳、読書、音読
・日本語力: 読書、音読
・その他: 時事ネタ、業界知識・専門用語 (←注:通訳トレの範囲外!)
通訳のプロセスを
Input系、Processing系、Output系
に分けて、それぞれのプロセスにおいて通訳者に必要な能力を細かくリストアップしてみて、それぞれの項目において、自分の能力がどれくらいか、を分析し、「で、自分は何をすればいいのか」を考えるといいと思います。
たまにあるのが、「何をトレーニングすればいいのか分からない」という相談。
相談してくれるのはうれしいんですが、これに対して思うことは大きく2つあります:
1.何をやっても効果あるはず
神レベルの通訳者は別として、ほとんどの通訳者はスタート地点が低いわけだから、ある意味、何をやってもためになっちゃうというか、効果出ちゃいますよね、きっと。だからあまり心配しなくてOK。とにかくやればOK。
2.センスの問題
思うんですけど、自分の通訳を聴いて、それを客観的に分析して、「どこがダメなのか、何をどうすればよくなるのか」が分かる/分からない、って、通訳者にとっての一番基本的な「センス」のような気がするんです。それが分からないのであれば、通訳者としてのセンスが無い、ということ? → 辞めた方がいいのかも。
<オススメの通訳トレーニングは?>
いくつかあります。
・センテンスずらしのシャドーイング
通訳学校で、シャドーイングというのを教わった。誰かが話しているのを、言ってるそばからすぐにShadowして、同じように話すトレーニングだ。
シャドーイングを毎日やるようになってすぐに、(これは、すぐにShadowしちゃうのはもったいない。タイミングをずらした方がいいんだろうな)と思い、話し手が話したあと、だいぶ待ってからShadowするようにした。最終的には、1センテンスぐらいずらしてShadow。これは、同時通訳をする際の「タメ」の練習に効果的だった。
通訳学校で「同通は聴いたそばからどんどん、とにかく何かを出し続けなさい」と教わったが、教わった瞬間に(それは違うな、きっと)と思った。ひねくれているのだ。
すぐに出しちゃうのは、そうせざるを得ないからそうしているのであって、本当はなるべく「タメ」た方がいいんだろう、と思った。なんなら1センテンスぐらい話し手とズレていても、その方がちゃんと意味を踏まえた、文末までしっかりと聴いた上で編集した訳(逐次通訳に近い訳)が出来るのであれば、その方が会場のためになるだろうな、と思って始めたのがセンテンスずらしのシャドーイング。すぐ出すのは通訳者のため、タメて出すのは会場のため。
他にも、「言い方を変えてのシャドーイング」みたいなバリエーションもあり。
話し手が言ったのをそのまま繰り返すなんてラクしすぎ(笑)。そうじゃなくて、あえて言い方を変えないといけない、というルールを作り、負荷をかけるようにした。
例: "Operating profit will grow 50% this year." → "Our OP will increase to 1.5 times in this fiscal period."
とか、なんでもいいけど、とにかくなるべく表現を変える、というルールで。表現の引き出しを探しに行くスピードを高めるのに役だった気がします。
ちょっと余談ですが、大事な点。
通訳学校でヘンなことを教わり、それに縛られている通訳者のなんと多いことか。
通訳学校で教わったことをいかにDe-learn、Unlearnするかが、プロの通訳者として一段上に行けるかどうかの、かなりカギだと思います。
(これはプロデビューしてから知ったことですが、通訳学校の先生って実は誰でもなれるというか、(えっ、あなたが?)みたいな人が立派に先生として教えていたりする。もっとも、「通訳が上手」だからといって「通訳を教えるのが上手」だとは限らないし、Vice versaですが、I'm sure it helps (and vice versa)。そして、通訳学校の先生は、自分がまだ通訳の右も左も分からないときに通訳学校で教わったことを盲目的に生徒に継承しているだけの時もあるから、とにかく要注意。話半分ぐらいで聞いておくのがいいと思います。)
・「熟成再生」
1.何らかのネタを用意し、再生し、逐次通訳する。
2.自分の逐次通訳を録音する。
(1ヶ月熟成させる)
3.1ヶ月後、元ネタの内容を忘れた頃に、通訳を聴く。その際、元ネタは再生せず、自分の通訳だけを再生する
4.会場にいる人の気持ちになって、自分の通訳を聴き、「分かる」かどうかを品定めする → どの辺がダメか、を考える
5.元ネタを再生する。さっき聴いた自分の通訳がそれをちゃんと訳せているかどうかチェック → どの辺がダメか、を考える
4.と5.であぶり出された欠点を克服するためには何をすればいいか、を考え、その後実行する
これ、ポイントは3.です。
しばらく寝かせた後に訳を聴く際、「元ネタ+通訳」ではなく、通訳だけを聴くことが大事です。元ネタも合わせて聴いてしまうと、頭の中で、元ネタで言っていることと自分の通訳との間でのつなぎ合わせ作業が行われてしまい、自分の通訳がダメダメでも、(まあ、そこそこ訳せてるんじゃないの?いい感じ)と思ってしまいます。
そうではなく、①元ネタの内容を忘れた頃に、②あくまでも「自分の通訳」だけを聴くことにより、会場にいる、自分の通訳の聴き手(=真のお客様)と同じ立場に立てる。そうすると、いかに自分の通訳がダメか、意味不明か、が如実に分かり、(日々現場に出てる場合じゃないな・・・)と気づける。
・「定点観測」
1. 何らかのネタの通訳を録音する(録音A)
3ヶ月間、通訳トレーニングをする。
2. 同じネタを再度通訳し、それも録音する(録音A')
3. AとA'を聴き比べ、どう変化したかを確認する。変化していなければ、3ヶ月何していたんだ、ということになる。
・「聴く」練習
当たり前だが、通訳者の仕事は「訳す」ことだ。
だから、本番中、話し手の話を聴きながら、出来る通訳者ほど「訳す」準備を頭の中で始めてしまい、実は話を聴いていない、という皮肉な現象が起きる。
だから、話を聴いているとき、訳の準備に気を取られずに、ただ聴く、ただひたすら聴くことに集中する、というトレーニングをする。何度でも聴いていい。訳の準備をしちゃダメ!とにかく聴け、と自分に言い聞かせながら。
意外と難しいものだ。つい「訳の準備」とか、スマホ見ようかな、とか、余計なことを考えたくなってしまう。
(もう十分聴いた)と思ったら、今度は本番同様、訳の準備をしながら聴く。
普段、いかに「聴いて」いないかに気付ければ効果あり。
などなど。
こういうトレーニング・メニューはいくらでも考えられると思うので、ぜひオリジナル・トレーニングを考案してください。おもしろいのがあったら教えてください。
<通訳トレの効果はどれぐらいで出るか?>
通訳者と、通訳トレの話をしていて、こう言われたことがある。
「通訳力は、そんなに急には変わりません。長い目で見てください」
通訳トレをやった結果、どれぐらいで効果が出るものなのか?
通訳には、その人の人柄が出る。そして、通訳力は、その人の人柄とか、通訳スタイルと密接につながっている面もある。そういう根本的な面は、確かに短期間では変わらない(っていうか、長期間でも変わらない。変わらなくていいことだ)。
でも、テクニカルな側面は3ヶ月あれば変わると思う(経験者談)。
ゴルフに例えると、その人の基本的な姿勢・考え方は何十年経っても変わらないかもしれないが、スイングを多少改良させることは(やろうと思えば)短期間で出来る。スタート地点の実力が低いのであれば特に。必ずフック、あるいはスライスしちゃっている状態を、そこそこまっすぐ飛ぶように改良することは、短期間でも出来る。
既に上手な通訳者だって、短期間で通訳を「変える」ことはできると思う(今の95点を96点にするのは確かに難しいだろうし、時間がかかるかもしれない。でも、通訳のやり方をちょっと変えてみる、視点をちょっと変えてみる、ということは、極端な話、Overnightで出来るはず)。
「そんなに急には変わりません」と言われて思うこと:
① じゃあ、いつ変わるの???
20代のキャピキャピな通訳者ならともかく、我々おじさん・おばさん通訳者の多くにとって、「10年後には多少上達してるといいな♪」では遅すぎるのだ。
そして、「急には変わりません!」と言いつつ、毎日しっかり通訳トレしていれば説得力があるが、99%そうではない。
② ちょっとおこがましい?
一見謙虚な発言が、実はおこがましい、ということはよくある。「私の通訳は、そんなに急には上達しない」という発言もまさにそれ。
確かに、既に実力が神の域に達している通訳者にとっては、そこからさらに目覚ましく実力をアップさせるのは無理だろう。でも、世の通訳者のほとんどは「まだまだ」である。実際、僕を含む世の通訳者に「あなたは通訳が上手ですか」とぶしつけに尋ねれば、半分謙遜、半分本気で「いやいや、私なんてまだまだです」という答えが返ってくるだろう。もし、例え半分だけでも「自分なんてまだまだ」と信じるのであれば、その「まだまだ」の状態からウデを目覚ましくアップさせるのは無理、というのはどういう理屈か。「私には目覚ましい通訳力アップなんて無理」と口にすることを許されるのは、ごく少数の、本当に通訳が上手な通訳者だけだろう。基準をどこに置くか次第だが、通訳が本当に上手な通訳者は、僕を含め、僕の周りには一人もいない。だから、どの通訳者も自身の通訳力を「目覚ましく」向上させることは十分出来るはず、というのが僕の考え方です〜。
③ 通訳は3ヶ月あれば劇的に変わる
経験者談。
④ 目線を「ウデのいい通訳者」のさらに先に置くことで、Fast Trackを歩む
これは言うは易し、なんですが、、、
目標を「ウデのいい通訳者になること」にしてしまうと、それが目標になるので、なんと言いますか、(ま、ボチボチやるか)みたいな感じになりがちだと思うんですよね。でも、もし「ウデのいい通訳者になること」というのを最終目標ではなく、単なるマイルストーンに落とせれば、2倍速、3倍速でうまくなる気がします。つまり、「ウデのいい通訳者になること」の先の、何らかの最終目標を設定する、ということですかね。。まあ、言うは易しです。
<極論: 仕事を断ってでも通訳トレした方がいい??>
例えばみなさんに大学生の息子がいるとします。
彼は、大学4年間、ろくに勉強もせず、体育会もサークルもやらず、異性(同性でもいいけど)との交際もせず、ただひたすらマックでハンバーガーを引っ繰り返すバイトに4年間明け暮れたとしましょう。
「ヒロシ、お前なにやってんだ?」と聞けば、
「父ちゃん(母ちゃん)、オレ、お金貯めたいんだ」とのこと。
せっかく大学まで入れてやったのに、もったいない、、、って思いませんか?
確かに、勉強したり、体育会をやったりするよりも、ずっとバイトしていた方が、とりあえずお金は貯まるでしょう。でも、大学時代をもっと有意義なことに使っていれば(筆者注:耳が痛い)、その後社会人になったときに、そのときもまだ「お金を稼ぎたい」と思うのであれば(大学時代の各種経験に基づき)Goldman Sachsに入社する方が、マックでハンバーガー引っ繰り返してるよりも効率的に稼げるだろう。
また、大学時代にいろいろ経験したおかげで、「お金を稼ぎたい」以上のすばらしい夢が見つかるかもしれない。そしたら、マックにもGSにも行かず、その夢を追いかけたらいい。
ーーー
さて、通訳者。
僕は、順番で行くと、
1.通訳力アップ
2.現場に出る
の方がいいと思うんです。
まずグーーーンと通訳力を上げて、その上で現場に出まくった方が、最初から現場に出まくるよりもいいと思うんです。
(でも、ほとんどの通訳者は1.と2.を並行してやろうとする。そして、気付かないうちに1.には目もくれず、2.ばかりやるようになる)
極端な話、最初は仕事を断ってでもトレーニングした方がいいと思います。
「仕事を断ったら、その後仕事が来なくなるじゃないか!」 → 通訳がうまかったら来ますよ、大丈夫。それよりも、ヘタな通訳で現場に出たら仕事が来なくなることを心配した方がいい。
「仕事を断ったら、収入が減ってしまうではないか!」 → ずっとマックでバイトする大学生の話ご参照。トレーニングして、ウデを上げてから現場に出た方が、はるかに高いレートを設定出来ますよ。マックよりもGSの方が給料がいいんです。
通訳者は「仕事を断る」ことに異常なまでにセンシティブですが(笑)、別にフツーのことですよ、断るのなんて。
大学生が、マックでのハンバーガーひっぺり返しのバイトの勧誘を断って勉強する、ってだけの話。依頼が目の前に転がっているからついついBig dealに感じがちですが、「○○をやらない」というのは我々が日々、まったく気付かないうちにいくらでもやっていること。今日も僕はスカイダイビングをしませんでした。
そして、「仕事を断ってでも・・」っていうか、そもそも通訳のJob marketに自分を乗せるのが早すぎると思うんです、通訳者は。まだウデが低い内から、エージェントが「この案件で通訳者が足りていません、あなた出来ますか?」とか「今までの講師が続けられないと言っているから、あなた通訳学校で教えてみませんか」とか余計なことを言ってくるから、ついつい勘違いしてしまう。そんなの、実はエージェントの都合です。あなたの都合ではありません。
そういうノイズに振り回されず、自分をJob marketに乗せるタイミングを冷静に、戦略的にもう少し遅らせれば、断るも何も、その時期は依頼がそもそも来ないから、余計なことを悩まずに通訳トレに専念できる。
まあ、極端な話ですけど、あながち極端なつもりで言っているのではなく、本当に、最初は仕事をしないでトレーニングしていた方が結局かなりおトクだと思います。そして、ウデが上がるにつれて、「練習」と「試合」のバランスを逆転させていけばいいんです。通訳者はみんな、最初から焦って案件を入れようとしすぎに見える。
<一人で行う通訳トレと、グループで行う通訳トレ>
いろんな通訳トレがあり、いろんなやり方があります。
通訳トレは基本的に一人でやるものかもしれませんが、グループでやるのもいいですよね。IRISでも、登録者(ここのところ、非登録者との方が多い)とワークショップ、そして最近は合宿もやっています。楽しいですね。
ワークショップであれ合宿であれ、グループでやる場合に意識するといいと思うのは、
1.単なる「お勉強会」にしてしまわないこと
それはそれでやったらいいと思うんですが、それは「通訳トレ」とは別物なので。「フィンテックについて勉強しましょう」は大事だが、それで「基本的な通訳力」は1ミリも向上しない。
2.「グループならでは」のことをやる
家で、一人でも出来ることをみんなで集まってやっても意味が無い。グループならではのメニューを考えるといいと思うし、そのメニューを考えるプロセスがまたためになったりするんですよね。
僕の場合、グループで行うワークショップとは別に、リスペクトする通訳者と2人で「鬼合宿」をやったりもしました。地方に行って、会議室借りて、とにかく徹底的にやろう、と。「もうイヤ!!!」と叫びたくなるまでやろう、と。逐次、同通、とにかくメッタメタにやりました。
終わった後風呂に入り、飲んだ酒の味が忘れられません(笑)。意識の高い通訳者との取り組みは楽しいものです。
<通訳エージェントは、登録通訳者の通訳トレに口を出すべきか否か>
私は、2012年から小さな通訳エージェントを経営している。
通訳エージェントは、自社に登録してくれている通訳者に対し、通訳トレーニングすることを要求していいのか、あるいはいけないのか。
要求していいどころか、要求「すべき」なのか、
あるいは逆に「すべきではない/してはいけない」のか。
もしくはどっちでもいいのか。
まず、話の大前提として、通訳トレーニングに関する一切は、完全に各通訳者の自由である。
ー そもそも「通訳トレーニング」という概念をどう解釈・定義するか。
ー 通訳トレーニングを、実際にやるかどうか。
ー もしやらないのであれば、なぜやらないのか。不要だからやらないのか、単に面倒だからやらないのか。
ー やるのであれば、どう戦略を立て、何をやるのか。
当然のことながら、それらは全て各通訳者の自由である。クライアントにも、通訳エージェントにも、他の通訳者にも、かあちゃんにも、とやかく言われる筋合いは無いし、実際、言ってくれる人もいない。我々フリーランス通訳者は悲しいほど自由だ。
通訳トレーニングに関する一切が各通訳者の自由であるならば、通訳エージェントが、自社に登録している通訳者に対し「通訳トレーニングをしましょう」などと言うのはおかしい。通訳者から「余計なお世話です」と不満がられるに決まっている(and rightly so)。IRISで、過去に何度かそのような働きかけを試みてしまったことがあるが、(僕の知る限り)ほぼ失敗に終わっている。
では、通訳エージェントは登録通訳者に何も言うべきではないのか。通訳力アップのためのトレーニングについて、そもそもそれをする/しないを含め、完全に各通訳者に任せきりでいいのか。それはそれで、ちょっと考えてしまう。以下で説明する。
ーーー
IRISはもちろんのこと、どの通訳エージェントも「高い通訳クオリティ」を売りにしている。各社のウェブページを見てみてください、一目瞭然です。みんな、「ウチの通訳者は通訳が上手です」と言っている。
このように高い通訳クオリティをウリにしつつ、一番肝心な「通訳クオリティの管理」は各通訳者に任せきりでいいのか。
ーーー
この問題をどう考えるかは、「通訳エージェント」というビジネスモデルをどう考えるか次第でもある。言い換えると、エージェントと通訳者の関係をどう考えるか次第でもある。
1.紹介業だ、という考え方
エージェントは、クライアントに対し通訳者を、そして通訳者にクライアント(≓通訳案件)を、互いに「紹介」しているだけ。
通訳クオリティについて、エージェントは全く、あるいはあまり、責任を負わない。
2.元請け業だ、という考え方
エージェントは、クライアントから来た通訳案件を元請けとして引き受け、それを(下請けである)通訳者に紹介し、担当させる。
その通訳案件における通訳クオリティについて、元請けとして責任を持つ。
ーーー
もし通訳エージェントが1.単なる紹介業なのであれば、登録している通訳者にあれこれ言うのはおかしいのかもしれない、いや、きっとおかしいでしょう。紹介しているだけなんだから。黙って紹介していればいい。
しかし、もし我々エージェントのビジネスが「2.元請け業」であり、通訳案件で提供される通訳のクオリティについての一義的な責任を我々エージェントが負っているとなると、話は少し変わってくる。そうなると、通訳クオリティを向上させるための取り組み(つまり通訳トレーニング)を通訳者に任せきりにするのはかなり問題があるような気がする。通訳者はそれでいいかもしれないが、クライアントはよく思わないでしょう。
でも、だからといって登録通訳者にあれこれ言ってもなかなかうまく行かないのは上記の通りだし、私も一通訳者として通訳者の立場に立てば、登録先のエージェントからゴチャゴチャ言われるのは、例えそれが正論であっても、いや、正論であればあるほど?、不快に感じるだろう。ゴチャゴチャ言ってくるその相手のことを心底リスペクト出来ているのであれば聞く耳を持つかもしれないが、なかなかそこまでリスペクト出来る人はいないし、この僕が、誰かにとってそのようなリスペクタブルな存在であることはさらに輪をかけて珍しい。
(余談だが、私を含め世の通訳者は、エージェントから下請け扱いされると腹を立てがちだし、エージェントが(元請けヅラして)我々の通訳クオリティに口を出してきたら腹を立てる。一方で、エージェントが「1.単なる紹介業」に徹してしまうと「サービスが不十分だ、もっと手厚く!」と、これまた腹を立てるわけである。)
実際には、エージェント業は「紹介業」と「元請け業」の間のどこかの点に位置するのであろう。その点をどこに置くかはエージェントによって、そしてそれを見る通訳者によって異なる。
ーーー
難しい問題だが、今のところの僕の結論は「通訳トレーニングについては各通訳者の自由であり、周りがとやかく言うべきではない」というものだ。For argument’s sake、もし仮に「エージェントが通訳者に対してとやかく言うべき」だったとしても、それを言われて(なるほど、エージェントよ、よくぞ言ってくれた、今日からがんばって通訳トレしよう)と通訳者に思われることはごくごくごくごく稀なので、言っても意味が無い、だから何も言わない方がいい」というのが僕の意見である。
ちなみに、そうなると、エージェントによるクオリティコントロールについては、通訳者が登録した後はもうほぼ出来なくなるので、最初の入り口の所でしっかりコントロールするしかなくなる。だから、登録するために通訳者が超えないといけないバーが上がるわけだ。だから、世の多くのエージェントでは「実績が無いと登録させられません」とか、駆け出しの通訳者に対し「通訳の経歴書を提出してください」となる。
結果的に、通訳が「日本の大学」化する。入るのは難しいが、入った後は・・・、っていうアレである。そして、エージェントの中には、登録するのも簡単、その後も「通訳トレしてください」とか言って来ない、そんなパラダイス学園のようなエージェントもあるかもしれません、分かりませんが。
まあ、意識の高い通訳者は登録後も継続的に通訳トレしているでしょうから、実力だけでなく意識も高い通訳者を選んで登録してもらっていれば大丈夫なはずです。
ということなので、IRISに登録していない通訳者にはもちろんのこと、登録してくれている通訳者に対しても「ああすべき」だとか「こうした方がいい」といったことを言うつもりは全く無いが、自分が一通訳者として通訳トレーニングについてどう考えているか、を記すことには一定の意味があるかもしれないと思ってこのブログ記事を書いた。
<まとめ>
世の通訳者から、そして通訳を学んでいる学生から、通訳トレーニングについて意見を求められたことも(それほど多くはないが)複数回ある。幸い、通訳トレーニングというものに興味を持っている通訳者は一定数存在するようだ。
通訳トレは、より楽しい通訳が出来るようになるために必須のプロセスだと思う。
そして何よりも、通訳トレ自体がかなり楽しい。
そんな楽しい通訳トレを、ぜひ日々の生活に少しでも取り入れてみてほしい。通訳トレのプライオリティーを一段でもいいから上げてみてほしい。何かが変わるかもしれない。
この記事を読んで何かの参考に、あるいは多少刺激になったと感じる通訳者がいないとも限らない。それがこの記事を書いた理由であり、長い記事をここまで読み進めてくれたあなたのお役に少しでも立てば、通訳仲間として、とてもうれしい。
(完)