たんのだんのブログ

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男の育児は、「いいこと」から「当然の義務」にシフトし、そして義務から「権利」に昇華する

今日は「男の育児」について考えてみる。

僕は昔10年ほどサラリーマンをしていた。でも、今は自分の時間を自由にコントロール出来る自営業(通訳者)をしている。そういう背景もあり、2人の子供と多くの時間を過ごしている。まあ、言ってみれば「イクメン」である。

自分のサラリーマン時代のこと、特に外資系証券会社で昼も夜も無い生活を送っていた頃のことを思い返すと、(もしあの頃に子供がいたら、決してイクメンではなかっただろうなあ・・・)と思う。だって無理だったから。そう考えると、男がイクメンかそうでないかは、もちろん本人の考え方次第でもあるが、イクメンであることがそもそも「物理的に可能かどうか」にもある程度よることが分かる。

日本とイギリスを行ったり来たりする生活を送っている。日本にいる時間の方が長いのだが、日本で乳母車を押して街を歩き回っていると、心のどこかで(オレってイクメンだなあ。。。)と、自分に酔っている部分を感じる。認めるのがかなり「イタい」が、実際そう感じていると思う。
でも、不思議なことに、イギリスで乳母車を押したり、(男一人の状態で)公園とかで子供の世話をしていても、日本で感じるあの(オレってイクメンだなあ・・・)感は全く無い。自分は今いいことをしている、という気持ちに全くならない。当然のことをしている、としか感じない。それはそうで、街を見渡せば至る所で男が(一人で)乳母車を押し、幼児をあやし、子供と公園で遊び回っている。それが当たり前なのだ。


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知らないけど、きっとイギリスには「イクメン」ということばすら無いのではないか。仮にあったとしても、それが大きなムーブメントというか、もてはやされるような現象にはなっていないのではないかと思う。イギリスでさえそうだから、こういう面で先進国(?)である北欧とかではもっとそうなのかもしれない。今度行ったとき、そういう目で街を歩いてみよう。

ちょっと余談だけど、先日ロンドンで地下鉄を降り、地上に上がる階段にさしかかったときのこと。自分の前を、乳母車を抱えて階段を上がろうとする男性がいた。(手伝おうかな・・、でも、男だし、大丈夫かな・・)と僕がほんの一瞬躊躇したスキに、すぐ近くにいた女性が「わたし手伝います!」と言って乳母車の片方をスイと持ち上げ、男性と2人がかりで階段を上がっていった。それを後ろから眺めながら、すぐに手を差しのべなかった自分を恥じると共に、女性が男性の手助けをスッと申し出てしまうこの国の文化ってすばらしいな、と思いました。これはちょっと余談。

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イギリスでは、男が育児をするのは「いいこと」でもなんでもなく、当然のこと。そして、義務なのだ。当然の義務なのだ。だからイクメンをしていても(イクメンなオレ・・・)に全然酔わないんだ、そう思いました。イギリスの人からすれば実はそんなことないのかもしれないけど、外部の人間である自分はそう思いました。

一方で世には、これは日本はもちろんのこと、きっとイギリスにもあてはまると思うけど、「自分は育児をしない」という男性もいるだろう。仮にやるとしても、ほとんどやらない男性、そういう手合いも含め「育児をしない男性」、略してイクメンならぬ「イクジナシメン」と呼ぶ。

思うんですが、イクジナシメンはもはや「古い」とか「古風」とか、そんな生やさしいものではなく、単なる義務違反だと思う。

確かに昔はそれでも許されたのかもしれない。だから、「オレは育児をしない」と昔言っていたのであればまあいいのかもしれない。でも、今や時代は変わった。変わりつつあるのではなく、もう変わってしまったのだ。それに気付いていない人がいる、ってだけの話。


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育児に限らず、何かに対する世の見方がガラリと変わることはよくあって、しかもそれは結構びっくりするほど短期間の内に起こる。

奴隷制と、それに対する世の見方、がいい例だ。昔は奴隷制は「いいこと」だった。「良いこと」ではなかったかもしれないが、「許容される」という意味での「いいこと」だった。現に聖書にも奴隷制を容認する記述がたくさんある。奴隷商人、そして奴隷の使用者たちの中には、それほど罪悪感を感じていなかった人もいただろう。そしてこれは、それほど遠い昔の話ではないのだ。
それが、今やどうか。奴隷制を容認するような考え方の人は全くいない、あるいはほとんどいないだろうし、奴隷制を肯定・容認するような発言をしたらはじきものにされるに違いない。それほど短期間に世のZeitgeist(時代精神)は変わるものなのだ。

「男の育児」というものに対する時代精神も、急速に「しないもの」から「いいこと」に、そして「いいこと」から「当然の義務」にシフトしていると思う。シフトしつつある、というよりも、もうシフトしてしまった、という方が正確かもしれない。繰り返しになるが、そのシフトに気付いていない人が一部いるだけ。

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「自分も、出来ることなら育児をしたいのだ。でも、会社が、今の仕事が、それを出来なくしているのだ」という男性もいるだろう。きっとそうなんでしょう。現に、昔の僕がそうだった。
でも、そんな会社に頭を下げて入れてもらったのは他ならぬその人自身だ。自らすすんでその仕事を選択したのも他ならぬその人だ。いまや、そういうことまで考えた上で会社選び、仕事選びをする時代なんだろう。

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ちょっと話がそれるが、僕はごくたまに料理をする。

一番の得意料理はバター醤油スパゲッティー
スパゲッティーをゆで、バターと醤油を入れておいたどんぶりに放り込むだけの、男の料理だ。料理と言えるのだろうか。

でもときどきもっと手の込んだ、ちゃんとした(?)料理をすることもある。2品とか、3品とか。

そういうときに必ず思うのは、「料理って、なんて楽しいんだ!!!」ということ。そして、「これを女性に独占させておくものか(笑)!」と思う。これからは週に一度ぐらいはオレも料理をするぞ!と意気込む。「週に一度」とかじゃなくて、もう「毎週何曜日は料理の日!」って決めた方が続くんだろうな、何曜日にしようかな・・・と悩む。そして、次に料理するのは半年後。

育児も、料理と一緒だと思う。楽しいのだ。大変だけど楽しい。

ちなみに、ここで言う「育児」とは、たまに子供をあやすとか、そういうことを指して言っているのではない。それも確かに育児の一部に違いないが、そんなの100億万分の1だけだ。

男はもっと、育児の大変さを知るべきだと思う。
丸一日、子供1人、2人、あるいは3人と過ごすとヘトヘトになる。自分のことは何も出来ない。家がぐちゃぐちゃになる。大変だ。
でも、「一日だけ」とか、奥さんが出掛けている「一晩だけ」とかは、実は超簡単なのだ。これが今日も、明日も、そして明後日も、、、、、となって初めて本当の「大変さ」が分かる。育児の大変さ。これは正直、イクメンのはしくれである僕も、まだ全然よく分かっていないと思う。でも、かなり多くの時間を子供と過ごしているおかげで、その大変さの片鱗を垣間見ることが出来るというか、いかに大変かを一定のリアリティーをもって想像することが出来る。奥さんがいかにがんばってくれているかをイメージ出来る。

男もみんな、しつけのためなどではなく単に自分のイライラを解消するために子供にあたってしまった後の自己嫌悪(笑)を、女性並みにもっと頻繁に感じるべきだ。ハードだと思っていた出張が、「家で子供たちと過ごす」ことと比べると100億万倍ラクであることを経験すべきだ。カラダ一つで、2人以上の子供の寝かしつけを同時に行うことのめまぐるしさ。こやつにパンツをはかせる間にあやつにボディークリームを塗ってやり、あやつにパジャマを着させている間にこやつを歯磨き用に押さえつけ、、、の理不尽さ(笑)を体感すべきだ。それが奥さんに対するリスペクトにもつながり、夫婦円満をもたらすだろう。

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育児は大変だけど楽しい。そして、男女問わず多くの人が言うように、自分自身の学びになる。

育児は、実は「義務」などではなく、「権利」なのだ。男もそれに気付くべきだ。
いや、正確に言えば義務でもあり、権利でもあるのだ。

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「自分は育児が好きではない。だから(あまり)やらない」

女性に聞きたいのは、一体なんでそんな男と子供を作ったの???ということ。まあ、今さらそれを言ってもしょうがない。だったら前を向こう。

育児が好きではない、という男性。そして、育児が権利?だとしたら、そんな権利などいらない、とうそぶく男もいるだろう。
もちろん好みの問題でもあると思う。でも義務なわけだから、「子供を作る」という判断を下してしまった以上、イクジナシメンであることなど許されない。それは奴隷を売ったり使ったりするのと同罪(?)なのだ。

そして何よりも、育児嫌いは単なる食わず嫌いである可能性が高い。
だって、「オレは育児が好きではない」とか言っているぐらいだから、ちゃんと育児と向き合い、それを体感したことが無いんだろう、きっと。まずは一度ちゃんとやってみたらいい。



ブラックコーヒーしかり。

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蒙古タンメン中本しかり。

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最初は苦みや辛さしか感じないかもしれないが、やがておいしくなる可能性が非常に高い。まずはやってみることが肝要だ。

僕は、言ってもそれほどのイクメンではない。まあフツー。単にヒマなだけだ。
一方、世にはすごいイクメンがいる。育児を楽しんでいる男たちがいる。でもそういう人たちだって、子供が産まれる前は「自分は育児好き」であることに気付いていなかった可能性だってある。

ぜひ一度育児を、一晩だけとかではなくちゃんとやってみて、その大変さ、そしてその楽しさ、素晴らしさを体感してほしい。「してほしい」っていうか、まずは僕自身がそれをもっと体感してみたいものだ、と思っている。

会社が、仕事がそれをさせないのであれば、会社とケンカしてでも、転職してでもそれを勝ち取ればいい。育児をするために転職なんて、、、って思う? だから、、、時代はもう変わったんだ、っていう話。

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ついでに言うと、「子供」というものはそれを作る・産むことももちろん大変だが、本当に大変なのはその後ですよね。何十年もかけて育て、慈しみ、寄り添っていくわけだから。つまり、大変なのは「作る・産む」ことよりも「育てること」。
そして、子供というものに伴う楽しさ・素晴らしさも、実は「作る・産む」ことよりもその後に来る「育てる」という部分にその多くが含まれている。子供を作るだけではあまり多くの学びにならないが、育てることはとてつもない学びになる。

だから、あまり「作る・産む」にこだわりすぎず、子供が出来ないことを嘆くのではなく、もっと養子という選択肢を真剣に考えるのもいいと思う。自分が「作った・産んだ」子供でなくても、子育てに伴う楽しさ・素晴らしさ、そして多くの学びをもたらしてくれるだろうから。ウチの奥さんが続けている児童養護施設に関連する仕事を見ていて、本当にそう思う。

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奴隷制に疑問を感じていなかった時代のことを、我々は幾分かの恥ずかしさと共に思い返す。
それと同様、男の育児を「いいこと」などといってもてはやしていた時代を振り返って恥じるときが来るだろう。それを義務ととらえていた時代も過去のものになるだろう。

育児は、我々男性の(そしてもちろん女性の)正当な、かつすばらしい、ぜひとも行使すべき「権利」なのだ。

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by dantanno | 2018-06-09 04:49 | 子育て | Comments(0)