「単身渡米」が昔からとても気になる。
情熱大陸やプロフェッショナル・仕事の流儀のような番組で、
「田中は、23歳の時に単身渡米」
とかいうアレだ。
時計の「たんしん」は「短針」、
IRの世界で「たんしん」といえば「(決算)短信」、
でもここで言っているのは「単身」、つまり alone, by himself/by herself ということだ。
「単身渡米」の、いったい何がそんなに気になるのか。
まず思うのは、「単身渡米」と「渡米」はどう違うのか、ということ。
番組を演出するスタッフは、一体何を伝えたくて「渡米」の前に「単身」をつけているのか。
「田中は、23歳の時に渡米」
「田中は、23歳の時に単身渡米」
並べて分析してみると、確かに、、確かに何かが違う。
「渡米」だけだと、なんだか「ふーん」という印象を受ける。アメリカに行ったのね、という感じ。
一方、後者「単身渡米」だと、なんだか「おおおおお」という印象を受ける。
荒波に勇ましく挑み、アメリカの地を踏む、、みたいな感じ。
なるほど、やっぱり「単身」には何かがある。
そして、次に僕が考えたのは、「単身渡米」の反対語は何か、ということ。
最初に思い付くのは「不渡米」、つまり「日本にいる」ということだ。
これは、「渡米」と言われたとき以上の「ふーん」感が漂う。「だから何?」みたいな。
もう一つ思い付く「単身渡米」の反対語、それは「大勢で渡米」だ。
「家族を連れて渡米」だったり、「社員15人を連れて渡米」だ。
「当時付き合っていた恋人を連れて渡米」だったり、「三丁目住民みんなで渡米」だ。
「単身渡米」という言葉について、ずっと考えて来た結果思うのは、
単身渡米 よりも 大勢で渡米 の方がよっぽど大変で、すごいことだ!
ということ。
「単身」は、勝手気ままである。フーテンである。
日本から、経済的に、そして心の支え的にサポートしてくれる人がたくさんいるからこそ、自分のやりたいことをやるためにアメリカに行く。周りの助けがあってこそ出来る「単身渡米」だ。
もちろん、一人で行く寂しさはあるだろうし、家庭の事情などで「一人で行かざるをえない」こともあるだろう。でも、独り身の気楽さは間違い無くある。
一方、家族や社員など、大勢を引き連れての「渡米」は、多くの責任を伴う。
出発前、連れて行く人たちを説得しないといけない。
連れて行ってからは、現地でみんなを守らないといけない。
買い物をしないといけない。みんなの家を確保しないといけない。子供は学校に行かせないといけない。コメや醤油をGetしないといけない。諸々の問題に直面し、対応しないといけない。
リスク的にも、経済的にも、ロジ的にも、一人で身軽に行くのの何倍ものコストと手間がかかる。
実に大変だ。
これは、自分の経験からも間違い無くそう言える。
僕はしょっちゅう仕事で海外に行っているが、一人で出張したり、一人で海外に長期滞在するのは実に簡単。つまり、単身渡米は簡単。
一方、家族を連れて海外に長期滞在するのはかなりハードルが高い(得るものもすごく大きいけど)。
家族連れで海外に出張するのと比べると、一人で出張するのなんて、「こんなんでお金もらっていいの??」って後ろめたく思うほどラクで簡単です。
ウチのように短期滞在ではなく、3年とか、5年とか、あるいはそれ以上の期間、家族を連れて海外に行き、そこで子供たちを学校に通わせ、生活を成り立たせる人たちが大勢いる。そういうお父さんやお母さんたちの方が「単身渡米」よりもはるかにすごいし、リスペクトに値すると思います。
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もちろん、「単身渡米」が全くすごくない、というわけではない。
今の時代でもそうだし、昔であればなおさら、海外に出て勝負をする、というのはすばらしいことだと思う。だから、23歳の時に勇気を出して「渡米」したことは大いに称賛に値する。
(また、この記事を書いた後、ある人から指摘いただいたのが、「単身で行く」ということは、日本にいる仲間(家族や友達)との交流を犠牲にしてでもそこに行きたい、という強い想いがあるわけで、それを表すための「単身渡米」なのかもしれない、ということ。確かにそういう面はあるかもしれない。)
ということで、「単身」は、それほどアピールに値しないと思う。
アピールするなら「大勢で渡米」した場合だ。一人で身軽に海外に行くことが出来た場合は、それを支えてくれている家族、友人、そして仕事上のパートナーやお客さんに感謝することの方がアピールよりも先決だ。