映画「幼な子われらにうまれ」を観て

映画「幼な子われらに生まれ」を、妻と二人で観た。

ほんっっっっとうにひさしぶりに、しっかりと考えさせられ、かつエンターテイニングな映画を観た。


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家族とは。

親であること、子であること、夫婦であること。

なぜ結婚するのか、なぜ離婚するのか。
なぜ再婚するのか、しないのか。

いろんなことを考えさせられた。

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浅野忠信をはじめ、役者たちの演技がとても自然だった。

日本のTVドラマを観ていると、演技があまりにも演技っぽくて、不自然で、「子供の学芸会か・・・」と、つい毒づいてしまう。演技がヘタ、と思ってしまう。
これはきっと僕の間違い。演技がヘタだから不自然になってしまうのではなく、そもそも「自然な演技を目指そうと思っていない」から不自然なんだろう。

刑事物で、デスクに座るエライ刑事を取り巻いて立つ4人の刑事たちが一人一行、順番にセリフを言っていく。それがよしとされている。
ドラマはほとんどがそうだし、邦画も多くがそうだと思う。

演技が「演劇」風なのだ。舞台っぽいんだ。「これは創られた虚構である」という事実を前面に出してもいい、というルールというか、しきたりなんだ。
だから、観ている方が「日常生活では絶対そんな発言しないでしょ」というセリフを、「そんな言い方するか、フツー?」な言い方でしゃべって演じる役者たちを、我々は眺め続けることになる。「絶対そんな服着ないんだけど・・・」という洋服で着飾るパリコレのモデルを観るように。

批判したいのではない。それはそれでいいことだと思う。観る方もそれを求めていて、全体が予定調和的に着地するのであれば、演技は「不自然」でもいい。そうした不自然な演技の方がかえって「非日常」が演出されていい、という人も多いのかもしれない。

でも僕はそうではなく、普段着を観たい、とずっと思っている。役者がセリフをはくたびに「これは全て虚構です」という事実をリマインドさせられると、どうしても感情移入できない。
「これはドラマだ、映画だ、虚構だ」というのを忘れさせてくれる、そんな自然な演技を観たい。そして感情移入して楽しみたい。
でも、そんな演技はほとんど存在しない。

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そんな困った状況の僕にとって、この映画は僥倖だった。

浅野さん演じる「田中」の演技は、これ以上無いぐらい自然。まるで、田中の本当の日常を、特別にちょっと垣間見させてもらっているような感じ。
子役たちもすばらしかった。
宮藤官九郎も寺島しのぶもよかった。
「田中」の妻役の田中麗奈(たまたま同じ名字)の演技が、最初ちょっと演技っぽく感じたけど、でも実際こういう人もいるよなあ、、と途中から思えた。

唯一モロに演技をしていると感じたのが、田中の上司(?)役みたいな人。バーで田中と飲むシーンがあるが、TVドラマ風の、いわゆる演技っぽい演技だった。

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パンフレットを見ていて、「エチュード手法」という表現が気になった。

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「(役者たちが、)台本を重視しながらも時には即興で演じる撮影」とのこと。なるほどなあ。全ての作品をこの手法で創ってくれたらいいのに(笑)。
三島有紀子監督、すごいです。

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男女のあり方はいろいろある。

今の時代、幸いなことに「好きになる対象は異性でないといけない」というわけでもない。
そして、結婚する人もいるし、しない人もいる。
離婚は不幸なことかもしれないけど、「映画を観た後に感想を語り合いたい」と心から思えない相手とずっと夫婦で居続けることもまた不幸かもしれない。

そういう多様な価値観を、学校で教えたらいいと思う。
この映画を教材にしたらいいと思う。

へんな価値観に縛られたまま大人になり、その価値観に基づいて結婚し、後で「実は違った」と気付いて離婚に至ってしまっているケースも多いと思う。

はたまた、本当は離婚したいのに出来ていない夫婦もものすごく多いと思う。離婚しない一番の理由が「子供」ではないか。子供を傷つけたくないから。
でももし、子供たちが学校で「離婚は、出来ることなら避けた方がいいけれど、でも決して悪いことではないんだよ」とか、「家族のあり方は実に多用で、普段TVで観るような理想的な4人家族だけが「家族」じゃないんだよ」とか、「再婚は当たり前のことで、再婚した場合、前のパートナーとの子供がいたりいなかったりするんだよ」とか、そうした大人たちはみんな知ってる当たり前を教わっていたらどうか。

サンタはいる、と心から信じているからこそ、実はそうではないことを知ったときに傷つく。
夫婦や家族のあり方については、「正解は無く、実に多様なものである」という正解を早い内に教えるべきだ。それは夢を壊すことと同義ではない。

学校でそう教わった子供であれば、自身の結婚(あるいは離婚、あるいはそもそも結婚しないこと)について、もっとオープンに考えられるようになるだろう。また、親の離婚をそこまでショックに感じずに、「親たちが前に進む」という、むしろポジティブなこととして受け止められるようになるのではないか。

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観たい映画が無い、という冒頭の話に戻る。
せっかくNetflixを有料契約しているのに、ほとんどのコンテンツに食指が動かず、あまり活用出来ていない(キッズ向けのコンテンツには大変お世話になっているが)。

ま、まさか、オレは映画がキライなのか??そう考えるとなんだか愕然とする。
(それはそれで、「映画を好きでないといけない」という思い込みの産物だと思うけど)


いや、そんなことはない。自分は映画が結構好きなはず。
→ じゃあ、なんで観たい映画が全然無いんだ。なんで映画を観てもおもしろいと感じることがほとんど無いんだ?
その問いに対し、ここしばらく有効な答えを出せずにいた。



でも、「幼な子われらに生まれ」を観て思った。
自分は映画が好き。

足がとても大きい(あるいは小さい)人と同じだと思う。
靴は好きなんだ。履きたいんだ。でも、合うサイズの靴が滅多に無いだけなんだ。
もしあれば、喜んで履くんだ。

どの映画もあまねく好き、というわけではない、という意味で、確かにそこまでの映画好きではないのかもしれないけれど、僕は僕なりに映画がとても好きなんだということを気付かせてくれたすばらしい映画でした。

by dantanno | 2017-09-15 14:37 | プライベート | Comments(0)

通訳・翻訳者 丹埜 段(たんの だん)のブログです。IRを中心にビジネス・ファイナンス系を専門としています。 通訳会社IRIS経営。http://iris-japan.jp


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