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まず通訳者を使うことによるデメリットですが、
・時間がかかる
・お金(通訳料金)がかかる
・通訳者が優秀であればいいが、そうでない場合、意思疎通が困難になってしまう
など、いくつか挙げられます。
通訳者がどんなに優秀であっても、そもそもことばの壁が存在せず、田中さんとスミスさんが直接話し合える「A」の方が、通訳者が必要となる「B」よりもベターなのは確かです。
では一方で、通訳者を介することに何かメリットはあるのか。
ことばの壁がある場合、通訳者がいないと2人の間の会話はそもそも成り立たないわけで(だからこそ我々通訳者が現場に呼ばれている)、それ自体が絶大なメリットです。
でもそれは、ことばの壁がある前提(Bの状態)で1.通訳者を使う VS 2.通訳者を使わない、という選択を比べています。
つまり、↓の表の右上 VS 右下を比べているわけで、そりゃあ右上の「○」の方が右下の「×」よりもいいに決まってる。
(ちょっと余談ですが、右下の「×」状態になることも実際にはあります。つまり、ことばの壁が存在するのに通訳者を介さないパターンです。通訳者が急に現場に来られなくなった、という場合もこうなるでしょう。もっと一般的なのは、田中さん/スミスさんのどちらか(あるいは両方)が「自分は外国語力がある」と判断し、通訳者を介さずに話をすることを選ぶパターンです。その場に同席し、たどたどしい外国語で交わされる話を聞きながら(通訳者を使った方がいいのに・・・)と思うこともあります。自分で外国語を操って話そうとするその姿勢はすばらしいのですが。)
僕がこのブログ記事でやりたいのは、↓の表の緑の箇所を比較することです。
左下の「通訳者を介さなくても自由に意思疎通出来る」状態がベストなのは認めた上で、右上の「通訳者を介して会話する」ことならではのメリットが無いか、を考えたいんです。
いくつか考えられます。
<誤解が少なくなる>
通訳者を介した方が誤解が少なくなるなんて、そんなことあり得るのか、と思われるかもしれませんが、あります。
話が分かりにくい人の話を訳す際、通訳者の頭の中で編集作業をしたり、話し手に確認を入れたりして、話を分かりやすく作り替えることがあります(ただし、話し手が伝えようとしているメッセージは変えずに)。
ある通訳者がこんなエピソードを披露してくれました。
どこかの会社の社長さんのプレゼンの通訳をし終えると、その会社の事務局の方(英語堪能)から
「普段、ウチの社長が何言ってるか全然分かんないんですけど、今日、通訳者さんの英語を聴いて初めて社長が言いたいことが分かりました(笑)」
と、冗談とも本気ともつかない口調でほめられた、というエピソードです。そういうことです。
<話し手が、言いたいことを全部言えるようになる>
2人の人が同一言語で(通訳者無しで)話しているのを隣で聴いていると、相手の話を途中で遮ることがものすごく多いことに気付きます。つまり、話し手からすると、何か言いたいことがあるのにそれを最後まで言えていない。聴き手も、(相手がまだ何か言おうとしているのに自分がそれを遮ってしまうため)せっかくの貴重な話を最後まで聴けていない。
興味深いのは、この「相手の話の遮り」が、喧嘩の時はもちろん、フレンドリーな場(女子会等)でも頻繁に起きる、という点です。
相手の話なんか実はどうでもよく、自分が言いたいことを言ってスッキリしたいだけの場であれば遮りもいいでしょうが、相手の話をしっかりと聴くことが重要な場(つまりほとんどの場)においては、話を遮ることは百害あって一利無し。
なぜ話の遮りはよくないと思うか。「話を遮る」というのは大きく2つのメッセージを発します:
1.あなたの言いたいことなどどうでもいい。それよりもオレに話させろ
2.あなたの言いたいことはもう分かった → 早くそれに対する返しをしたい
1.→ 人と会って話をしていると、ついつい自分がしゃべって気持ちよくなってしまいますが、実は相手の話を聴いた方がトクですよね、きっと。
2.→ こういう場合、聴き手は得てして「分かって」いません。多少なりとも誤解しています(話をちゃんと最後まで聴いたとしても誤解が生じる可能性はそこそこあるのに、ちゃんと最後まで聴かなければなおさらです)。話し手が言いたいことは実は別のこと。あるいは「同じこと」でもニュアンスがちょっと聴き手の理解とは違っていて、聴き手が途中で話を遮ったことによって話のズレが生じる。ひとつひとつのズレは小さいかもしれないが、それが繰り返されると大きな亀裂になり、意思疎通が出来なくなる(同じ言語で話しているのに!)。
では、通訳者を介するとどうなるか。
他の通訳者はスタイルが異なるかもしれませんが、僕が通訳をしている場合、話し手が完全に話し終わるまで待ちます。まあ当たり前といえば当たり前ですが。
「遮らない」どころか、話し手が話し終わっても「もっと何か言いたいことはないか?」とちょっと促すぐらいの感じです。話し手が、言いたいキーメッセージを既に言い終え、語尾の部分をモゴモゴ言っているだけだとしても、それが終わるのを待ちます。ときにしびれを切らした聴き手が訳の開始を待ちきれずに僕の方をのぞき込むのを横目で感じても一切構わず、話し手が話を完全に終えるのをじっと待ちます。
横からのぞき込むせっかちな聴き手のことですから、僕(通訳者)が間に入っていなければ、結構な確率で話し手の話を遮ってしまっているでしょう。
「人の話を遮らない方がいい」という原則は間違っていないと思うのですが、僕の場合、通訳時にそれを一生懸命やっているのは「お客様のため」ではなく、自分のエゴです。聴き手からすると、早く訳を始めてくれ、と思っているかもしれません。一方話し手の方も、(そろそろ訳を始めてもらっちゃってもいいよ)と感じながら語尾を長めに続けているだけの可能性もあります。実際、「相手の話を遮り、それにかぶせて話し始める」のはあまりにも世に広く普及していて、それがひとつの文化(?)みたいになっている面もあり、必ずしも悪いことではなくなってしまっているというか、「相手を遮る、相手に遮られる」ことを前提に話す人もいるでしょう。
つまり、その場にいる人々は、話し手・聴き手ともに僕の「じっと待つ」姿勢を喜んでいない可能性もありますが、これはお客様のためではなく自分の好き嫌いでやっている面が強いので、あまり気にしていません。
<「考える時間を稼げる」>