世の中の仕組みとか、もののあり方について、個人的に
「どうしても理解出来ない、納得が行かない」
ことってあるじゃないですか、たまに。
なんでそうなってるのかがどうしても分からない、みたいなとき。
そういうときって、大体の場合、理解出来ない自分の方が悪いというか、いい/悪いの問題ではないのかもしれないけど、要は自分がおかしいわけです。僕が何かを理解出来なかったり納得出来ない場合、ほとんどのケースにおいては何かしら僕の知識・視点・経験が欠けているから「おかしい」と思い込んでいるだけで、実はおかしいのは自分だったりします。
けど、ごくごくたまにその「理解出来ない、納得出来ない」という気持ちが正しかったことが判明することがあります。正しかったっていうほどではないんですけど、完全に間違っていたわけではなかった、と気付くこともある、という感じですね。ささやかな事例をあげて、その話をしたいです、今日は。
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カーナビの画面。
昔からずっと
「なんで横長なの?縦長になればいいのに」と願ってきました。
(2011年10月に書いた記事)
その後、まずTeslaがやってくれて、
今日ネットを見ていたら、なんとあのトヨタも!
サイコーにうれしいです。
何かの事象について、自分の頭でどんなに一生懸命考えても「今、そうなっている理由」が思い付かず、人に尋ねてみてもどこからも納得の行く回答が得られず、その後何年もしっくり来ないという、そういう寂しい状態がずっと続く問題が僕の中で複数存在していて、その内容は実にしょうもない話から結構本質的な話までいろいろあって、横長のカーナビもそんな問題の一つだったわけですが、そういう問題って、その後解決されることもあるんだな、と勇気づけられました。
もう一つ、この話が僕にもたらす効果として「お前は意外とフツーなんだよ」という、僕的にはそれほどありがたくない(でもある意味安心する)メッセージの発信、という面もあります。縦長のカーナビを希望しているのがこの世で僕一人であれば、きっとカーナビはずっと横長のままのはずです。僕以外にも「縦長の方がいいじゃん」と思う人が複数いるからこそ縦長のカーナビが生まれるわけで、そう考えると僕の発想は決してそんなに突飛でエキセントリックではなく、意外とフツーである、ということになります。僕のように、自分が変わった人間であることを誇り(?)に思っている人からすると、実は結構フツーだったというのは正直ガッカリな面もあるんですが、その一方でちょっとうれしいというか、安心するところもあります。
このカーナビ云々の話はとても小さな話です。カーナビの画面については、それが縦長になったとしても、僕はTeslaあるいはプリウスの一ユーザーとしてのメリットを享受するだけです(あと、横長はおかしいとずっと思い続けていた自分が100%間違っていたわけではない、と気付かせてもらえるのがちょっとうれしい。)
でも、人生や仕事のもっと本質的なところで、自分自身の「これは理解出来ない、納得出来ない」という気持ちにずっと固執し続け、考え続ければ、とても大きな花が開くこともありうることを示唆している、そんな出来事のような気がします。