「勝つIR」のための資料作り
2016年 10月 27日
通訳者になって早8年。
その間、ずっとIR通訳をしてきました。
数えきれないほどのIRミーティングを経験し、数えきれないほどのIR資料を見てきました。
IRのミーティングは資料を使って行われます。以下「IR資料」と呼びます。
IR資料としてどのようなものが使われるかというと、最近行われた決算説明会のプレゼン資料や、現在進行中の中期経営計画のプレゼン資料などが多いです。
みなさんも、試しに「IR資料」で検索してみると、いろいろな上場企業のIR資料が表示されます。
IR資料をたくさん目にして来ただけでなく、実際にその資料を持って海外に出掛けて行って、その会社の社長やIR担当者たちと一緒に外国人投資家を訪問し、IRをしてきました。自分で作っているわけではありませんが、IR資料は僕にとって大事な大事な仕事道具です。
そんなIR資料たちを手に取り、目を通し、一緒に戦ってきて、
「この資料、こうすればもっと良くなるのに・・・」
と思うことがしばしばあります。
今日は、そんなIR資料に関するお話です。
もちろんIR関係者に読んでほしいです。「IRあるある」的な話もお楽しみいただけるかもしれません。でも、IRとは無縁の人たちにもぜひ読んでほしい。
というのも、IR資料は要するにプレゼン資料であり、この記事はプレゼン資料全般にも通じる話だと思うからです。
また、もっと広くとらえれば、コミュニケーション全般に通じる話でもあると思います。だから、IR関係者以外の方にも参考になる部分がもしかしたらあるかもしれないと思うんです。
IR資料について、僕が感じる問題点は6つあります。
1.「メッセージ」と「データ」の混在
一週間に渡って繰り広げられる海外IRの、初日の朝一番。
訪問先都市のホテルのロビーで、15分程度の通訳ブリーフィングが行われます。
ブリーフィングの場では、企業のマネジメントの方から通訳者に向けて何か説明したいこと・注意点などがあればそれが伝達され、一方通訳者サイドから企業に対し確認したいことがあればそれを確認します。
通訳ブリーフィングの場で、僕は普段特に質問をしないんですが、(なんか質問しないといけない雰囲気だな・・・)と思ったら聞くのは「今回のIRで、投資家に一番伝えたいメッセージはなんですか?」的なことです。
<メッセージとデータ>
さて、本題のIR資料に話を戻します。そのIR資料において企業が言いたいこと、投資家たちに伝えたいこと、それを「メッセージ」と呼ぶことにします。
一方、「なぜそうなのか」とか、「そう思う根拠は何か」といった、そのメッセージの裏付けとなる基本情報、あるいは足もとのマーケット環境に関するデータなど、そういう情報を以下では「データ」と呼ぶことにします。
メッセージとデータは、密接に関係しています。
でも、まったく別のものです。性質が異なるものです。
メッセージは「想い」であり「願い」です。これから起きる未来の話です。カラフルで、すごく情熱的です。
一方、データは単なる「事実」です。既に起きた過去の話です。色は白黒で、とても冷静沈着です。
そんな全く性質の異なるメッセージとデータが、IR資料の中でゴッチャゴチャになってしまっている例が散見されます。散らかった家と同じです。
読み手は、その資料を読みながら、どこがメッセージでどこがデータなのか、をいちいち判断しながら読むことを求められます。あるいは、そもそもそのような区別をすることなく、資料全体をベチャーッと眺めることになります。
メッセージとデータは分けた方がいい。
家の掃除に例えれば、メッセージとデータを分けることは「整理整頓」であり、「適切な収納」です。
そして、収納以前の問題として「情報量が多すぎる」という問題もあります。これはメッセージについてもデータについても言えますが、企業がそのIR資料に盛り込もうとしている情報量が多すぎて、家の例で言うと、モノで溢れかえってしまっていて、今ほしいもの・必要なものがどこにあるか分からない状態になってしまっていることが多いです。ゴチャゴチャしていて、心が落ち着かない・ときめかない状態です。最近話題の「片付け」本でも、「収納方法を考える前に、まずモノの絶対量を減らせ」と説いているものが多いですよね。それが出来ていない。
2.「全ページロゴ」問題
会社のロゴってあるじゃないですか。あれをIR資料の表紙に入れるのはいいと思うんですよ。なんとなく分かるんですよ。
でも、その後プレゼン本編の1ページ目、2ページ目、3ページ目、、、あれれ、全ページにロゴが入ってる。これって本当に全ページに入れる必要ありますかね。
「いいじゃん、別に。そんなに目立つわけじゃないし」ということであればまあいいのかもしれません。確かに、一見そんなにたいした問題ではない。でも、これは実はより本質的な問題の「氷山の一角」でしかないと思うんです。
(それに、もし本当に「そんなに目立たないロゴ」なのであれば、その存在感の薄さがそれはそれで気になります。)
なんで全ページに自社のロゴを入れるのか。
投資家が、プレゼンを聞きながら、「あれ?今オレはどこの会社のプレゼンを聞いてるんだっけ??」と混乱してしまったとき用?そんな投資家はどうせ投資してくれませんから、さっさと次のミーティングに行きましょう。
IR資料の全てのページにロゴを入れるのは、そもそもあんまり深く考えた結果ではないと思うんですよ。多分、なんとなくロゴを入れてるんじゃないかと推測します。会社指定のプレゼンフォーマットにデフォルトでロゴが入っちゃってる、というケースもあるでしょう。
でも、IR資料に限らずプレゼン資料というのは、もっと繊細に・慎重に取り扱うべきだと思います。
IR資料って、コンビニの売り場みたいなものだと思うんです。「狭い売り場面積をなんとか有効活用しようと知恵を絞るコンビニの店内」であるべきだと思うんです。
・この商品は売れ筋か死に筋か
・どう配列すれば、もっと売れるのか。どうすればお客さんにとっての魅力が高まるのか。
コンビニの本部および店舗の方々は、きっと日々そういうことを考えているはずです。売り場の面積をどんどん広くして、棚をどんどん増やして、置ける商材を増やせばいい、という問題ではないはずです、小売業においては。
IR資料の作り手もそういうことに一生懸命頭を悩ませるべきであって、
「あ、ここちょっとスペース空いてるからロゴでもぶっこんどくか」
ではいけないと思うんですよね、IR資料は。
これは「アピールの仕方」の問題でもあると思います。
プレゼン資料の全てのページに挿入されたロゴを眺めていると、僕は日本の選挙カーを思い出します。政策を論じるのではなく、候補者の名前をひたすら大音量で連呼しているだけのように思える。ちょっと無理やり結びつけすぎかもしれませんが。
IRは選挙カーなんかであってほしくない。
IRは、相手候補者との建設的なディベートであってほしい。あるいは駅前で、耳を傾ける人があまりいなくても一生懸命、誠意をもって自分の政策・信念を語る街頭演説であってほしい。自分のメッセージや考え方を丁寧に相手に伝える、それがIR。全ページにロゴを入れまくるのは、まともな政策を欠く候補者が苦し紛れにスピーカーから自分の名前を連呼するのと似ている。それでは勝てないはずだし、仮にそんな戦い方で勝ててもうれしくない。
3.ページ飛ばし
ロンドンの投資家のオフィスで、今まさにIRミーティングが始まりました。ちょっとのぞいてみましょう。
投資家 “Could we start with an update on how things are going with your business, and the recent trends you’re seeing in the market?”
それを通訳者が訳します。
通訳者 「まずは足元の事業についてのアップデートと、足元のマーケット環境について教えていただけますか?」
IRミーティングにおいて、結構ありがちな始まり方です。
それを受けて企業が
企業 「分かりました。それではすみません、プレゼン資料の23ページをご覧ください。」
通訳者 “OK, please turn to page 23 of the presentation.”
投資家 “Page 23? OK,,, page 23,,, Right, here we go!” → 企業の説明開始
普段、訳に夢中であんまり感じないんですが、ときどきふと思うことがあるんです。
「今飛ばされた、1ー22ページたちの立場は?」
って。
ミーティング冒頭での投資家の質問が超マニアック・超変化球だった場合は分かるんですよ、ページ飛ばしも。例えば投資家が「ビジネスの話に入る前に、御社のコーポレート・ガバナンス体制についてちょっと教えていただけますか?」とか、「最近マイナス金利ですけど、調達コストはどうなっていますか?」みたいに切り出したのであれば、「分かりました。それではプレゼン資料の23ページをご覧ください。」っていうのもよく分かるんですよ。でも、ビジネス・アップデートとマーケット環境という、要するにIRの定番中の定番、一丁目一番地の話を求められたのに、それがいきなり23ページに飛ぶとなると、じゃあ表紙と23ページ目の間に挟まってるページたちは一体なんなんだ?って感じるんです。しかも、そういう場合に限って、23ページの説明が終わると「では次に、すみません、少し戻っていただいて17ページをご覧ください」みたいになるんですよね。そうすると今度は「だったらなぜ17ページ目に記載してある内容を23ページの次の24ページ目に記載しない?」と思うんです。
ミーティング中、こうした不毛な行ったり来たりは実に多い。
とりあえずの解決策としては、一週間の海外IR、あるいはひとシーズンのIRが終わった時点でその企業内で会議をし、「今回のIRではこのページは全然使わなかったね」っていうのを確認し、次回はそのページを削除した資料を持ってIRをすればいいわけです。ただ、これは対症療法でしかないので、本質的な解決策について後段で考えます。
4.複数資料の行ったり来たり
「行ったり来たり」は、一つの資料内だけでなく、資料と資料の間でも行われます。
IRミーティングでは複数の資料が使われることが多いんです。参考までに、よく使われるIR資料を列挙してみると:
・決算説明会で使用したプレゼン資料
・中期経営計画のプレゼン資料
・会社概要/会社案内的な資料
・財務データ(ファクトブックや決算短信等)
・その他、個別論点を説明するための一枚物
これら資料の内、2つか3つを使用する、というパターンが多い気がします。
ミーティングが始まる前に、それら資料を少しずつずらして、うまい具合に投資家のデスクに並べ、必要に応じて投資家に参照してもらいながらミーティングが進みます。
では、実際にミーティングがどんな感じで進むのか、簡単に再現してみます。投資家が何か質問をして、それに対し企業がIR資料を使って回答するシーンを想像してください。
投資家 <何か質問する>
企業 「その点については、資料の6ページをご覧ください」
通訳者 "Please turn to page 6."
投資家 "OK,,,, page 6,,,,,"
企業 「あ、そちらの資料ではなくて、、、こっちの中期経営計画の資料の6ページです。」
通訳者 "Not that presentation, but this one. The one titled "Mid-term Management Plan."
投資家 "Oh, OK, the other one,,,,, let me see,,,,, page 6,,,,,, OK, here we go!"
企業 「よろしいでしょうか。えー、こちらに記載の通りですね、、、」と説明を開始
資料がデスクにたくさん並んでいるので、「6ページ」と言われてもどの資料の6ページを開けばいいのかが分からないんですよ。で、とりあえず目に付いた資料を投資家は手に取るわけですが、マーフィーの法則「投資家が最初に手に取る資料は、企業側が投資家に見てほしがっている資料と、ほぼ100%の確率で異なる」んですよね。
その結果どうなるか。上記の通り、「いや、そっちの資料じゃなくて、、、」みたいなやり取りが何度も繰り広げられ、それをいちいち訳す度に僕は、IR資料が1つの資料に一本化されたらいいのに、、、と思うんです。
5.データが古い
企業 「このグラフには○年○月のデータまでしか記載されていませんが、その後最新の数字が出ていまして、、、」
という発言の後、企業の方が最新の数字を口頭で説明。それを通訳者がいちいち訳し、その訳を聞きながら投資家が一生懸命数字をメモする、というコントがときどき発生します。
その最新の数字が発表されたのが「今朝」とかなら分かるんですが、そうでなくて2-3週間前とかだったりすると、「なぜ資料をアップデートしておかない?」という疑問が残ります。詳細後述します。
6.「資料には載せていないんですが、~」
Why not?
資料に載せなくても口頭で補足すればいいので別にいいんでしょうが、いちいち口頭で補足するぐらいならなぜ最初から資料に載せない?と思ってしまうことがあるのも事実です。
「資料に載せていない情報」がちょっと守秘性が高かったりセンシティブな情報で、あまり紙で発表したくない、紙で残したくない。だからこそ紙ではなく口頭で説明している、というケースもあります。その気持ちはよく分かるんですが、ちょっと考えてみてくださいね。
そのミーティングの1年後、投資家の手元に残っているのは「IRミーティングで配られた各種IR資料」ですか、それとも「投資家がミーティングで取った手書きのメモ」ですか?IR資料はとっくに廃棄済みで、残っているのは手書きのメモだけです。だから、あまり記録に残したくないセンシティブな情報であればこそ、口頭で話すのではなく逆に資料に記載した方がいい、というのが皮肉なんです。
問題点の列挙は以上です。ここからは解決策を考えていきたいんですが、まずは上記6つの問題点を、その性質に応じて分類してみます。
大きく分けると、「情報過多」の問題と「情報不足」の問題とがあることが分かります。
では、これら6つの問題の何が「問題」なのでしょうか。言い換えると、これら6つの問題はどういう弊害を引き起こすのでしょうか。
情報が多すぎたり少なすぎたりすると、そのせいで話が分かりにくくなり、肝心のメッセージが伝わりにくくなります。
特に情報が多すぎる場合、メッセージ一つあたりの価値がどんどん希薄化し、投資家に刺さらなくなっていきます。例えが物騒ですが、細い弓矢や竹槍で戦っているようなものです。そうではなく、IRは巨大な大砲を使って戦いたいです。
物理的なロスも馬鹿になりません。
「いや、そっちの資料じゃなくてこっちの、、、そうそう、そっちです(爆)!」とか
「まずは23ページまで飛んで、次は17ページに戻ってください。行ったり来たりですみませんね(苦笑)」とか、あるいは
「最新の数字は資料に載せていないので、今から私が口頭で読み上げる数字を余白に一生懸命メモってください」
みたいなことを、しかもいちいち通訳を介して、あまり頻繁にやっていると、ミーティングの進行が煩雑になります。投資家が疲れます。注意力が低下します。ただでさえも溢れかえる情報で削がれている集中力がさらにダウンします。そうすると、企業が伝えたいメッセージが伝わりにくくなります。それは日本にとってマイナスです。
これまで述べてきた「6つの問題」は、単に表面を見ればそれぞれあまりたいした問題ではなく、騒ぎ立てるほどのことは無いかもしれません。しかし、本質を考えると結構深刻なのではないか。その本質は、
「IR資料における情報過多/不足のために、メッセージが投資家に伝わりにくくなってしまっている」
ということです。
ではどうすればいいのか。
対症療法を考え、列挙するのは簡単です。
メッセージとデータの混在 → メッセージとデータを分ける。プレゼン後半にAppendix(補足資料コーナー)を作り、データはなるべくそこに放り込む
全ページロゴ → ロゴを入れるのは表紙だけにする
ページ飛ばし → ミーティングで使わないページは取る(あるいはAppendixに放り込む)。その上で、プレゼンする順番通りにスライドを並べる
資料が複数存在 → 資料を1つに統合する
データが古い → 最新のデータを載せる
あえて載せていないデータ → ミーティングで口頭で補足するぐらいであれば、いっそ資料に載せてしまう
でも、これらはあくまでも対症療法でしかなく、問題の本質的な解決にはなりません。
ただ、ここで唯一本質的だと思うのはAppendix(要するに補足資料)の活用です。Appendixは、家の掃除で言えば押し入れ、あるいはトランクルームのようなもので、実に便利です。大事な情報はプレゼンの前半部分に集中させ、その他の情報(裏付けとなるデータとか、ミーティングで使う可能性が低い情報)はなるべくAppendixに放り込む、というのは実に合理的です。捨てたいけど捨てられない、僕みたいな人におすすめの手法です。
さて、さきほど定義した、この問題の本質、すなわち「IR資料における情報過多/不足のために、メッセージが投資家に伝わりにくくなってしまっている」という点。それを、対症療法ではなく本質的に解決するための方策は何か。
それを考えるためには、「そもそもなぜIR資料における情報量が過多・不足に陥ってしまうのか」を考えればいい。
僕が考える「問題の原因」は以下の4つです:
<情報過多を引き起こす原因>
・「情報は多いに越したことはない」という思い込み
・情報で理論武装しようとしている
<情報過多と情報不足、両方につながる原因>
・過去の資料の使い回し → 「そのIR」のための資料作りをしていない
・資料を客観的に見ることが出来ていない
それぞれについて分析し、解決策を考えていきます。
・「情報は多いに越したことはない」という思い込み
全ページにロゴを入れてしまう。
実際のミーティングでは飛ばすスライドが、プレゼン資料にたくさん入っている。
複数の資料を持参し、全部投資家に配る。
これらの事象全てに共通するのは、「情報は多いに越したことはない」という気持ちではないでしょうか。
情報をたくさん与えておいて、あとは情報の受け手(海外投資家)が自分にとって必要な情報や興味ある情報を取捨選択すればいい、という気持ちも分かります。でもそのようなメッセージ発信は非常に消極的です。能動的・積極的ではありません。
そして、情報は多ければ多いほど受け手を混乱させます。
だから、情報は少ない方がいい。過ぎたるは及ばざるがごとしです。
これは、IRをどう定義するか、の問題でもあると思います。
IRを「情報を伝えること」と定義すると、「情報をたくさん提供するのがいいIR」となるかもしれません。確かにWebページとかはこの考え方でいいと思います。
一方、IRを「投資家と建設的な対話をすること」だったり「投資家を説得すること」みたいに定義すると、見えてくる風景がガラッと変わってくる。伝達するべき情報の量、そして質、ともに大きく変わってくる。
ひとくちに「IR」と言っても、いろいろな形態があります。Webページのような静的、そしてある意味受け身なIRもあれば、わざわざ海外まで出掛けて行くIRロードショーのような能動的・積極的IRもあります。後者においては、その目的に合った「能動的・積極的」なIR資料を使うべきで、それは筋肉質に引き締まったスリムなIR資料であるべきです。
・情報で理論武装しようとしている
IR資料を見ていて、ときどき思います。
「ツッコミを防ごうとしてるなあ・・・」
って。
ツッコミを防ごうとすると、どうしてもいろいろな情報をてんこ盛りにして、理論武装することになります。
ディスクレーマー的な文言・情報もちりばめることになるでしょう。
ツッコミを事前に潰すことを意識した資料作りをしてしまうと、キーメッセージが伝わりにくくなるだけでなく、資料がつまらなくなる、という弊害もあります。なぜつまらなくなるかというと、一方通行になるからです。インタラクティブでなくなってしまうからです。
投資家に「なんで?」と思わせるのを防ごうとすると、事前に全て説明してしまうことになり、そうすると「ふーん」というリアクションしか引き出せなくなります。そういうIRは、投資家にとってあまりときめきが無く、おもしろくない。
ツッコミなんて恐れなくていいんです。
もっと「打たせて取るIR」をしましょう。先回りしてツッコミを想定し、それを防ぐための文言をちりばめるのではなく、むしろその逆。投資家からのツッコミ(「なんで?」)を引き出し、それに丁寧に対応して行けばいいんです。
ツッコまれるのは、別に悪いことではないんです。
ボケとツッコミ、その両方が無ければお笑いは成立しません。IRもそうです。いいボケをして、それに対していいツッコミが入る。そのツッコミに応えて、それが次につながる。そうしたキャッチボールこそがいいIRです。
情報で理論武装する理由は「ツッコミ対策」以外に、もう一つあると思います。
それは自分(自社)に自信が無い、ということ。
もしそうであるならば、積極的なIRはちょっと待ってから行えばいい。自信が付いてからやればいい。
「いやいや、厳しいときこそIRでしょう」という考え方もあります。それはそれで正しいと思います。IRはなにも攻撃だけでなく防御的な側面もありますから、厳しいときこそ今後の方針・戦略を伝えるべきだろうし、悪いウワサや無用な心配が広まるのを防ぐ、そうしたディフェンシブなIRもあるでしょう。
でも、厳しいときに行うIRこそ戦略的に考え抜かれたものでなければいけないですよね。とりあえず情報をたくさん盛り込んで、そのかげに隠れようとするIRでは逆効果です。厳しいときこそ、能動的な攻めるIRであるべきです。今から、その厳しい状況から、IRで逆転・反撃するんです。
・過去の資料の使い回し → 「そのIR」のための資料作りをしていない
IRミーティングではたくさんのIR資料が使われ、それが時に混乱を招くことは既に述べました。
なんでそんなにたくさんの資料を使うかというと、過去に、何か別の目的で作成・使用した資料の中から、今回のIRに関係しそうな資料をいくつかピックアップして持って来て、投資家のデスクに並べていることが多いんですよ、要するに。
言い換えると、まさにその時、その場で行われている「そのIR」のための資料を作成・使用していないんです。「そのIR」のためのカスタムメード、テーラーメードの資料作りをしていない。だからこそ「資料の内容」と「伝えたいメッセージ」とが微妙にズレてしまっているんです。
僕がIR初日の通訳ブリーフィングで「今回のIRで一番伝えたいメッセージは何ですか?」と聞くのは、
(きっとこのIR資料を見ても、企業が言いたいことはよく分からないんだろうな・・・)
というあきらめに近い想いがあるからでもあります。いいIR資料であれば、その資料を見れば企業が言いたいことが一目で分かるはずで、わざわざ「何を言いたいんですか?」なんて失礼なことを企業に質問する必要なんてありません。
過去の資料の使い回しは、タイミングの問題も引き起こします。それら資料が作成されたタイミングは「昔」です。決算発表なり中期経営計画なり、その資料の本来の/当初の目的のために必要だったタイミングに作られているわけです。それが結構最近だとしても「今」ではない。だから当然情報がちょっと古い、あるいはそもそも載っていない、という問題が起こり、それを口頭で補足する手間が生じます。
冷静に考えてみれば、過去の資料を使い回すのではなくその時その場で行われている「そのIR」向けに資料を作った方がいいに決まっています。具体的には、その時期(その四半期/半期/年度)に行う海外投資家向けIR用の資料を用意すべきです。企業の方々も、当然それは分かっているはずです。ではなぜそうしないのか?
「そのIR」のための資料作りをしない理由: 1.人手不足
IR担当者からすると、ただでさえも忙しいのに + いろんな資料が既に存在するのに、そこにもう一つIR用資料を加えるのか!と思うかもしれません。
僕、思うんですけど、わざわざ新しい資料を「作る」必要は無いんですよね。もちろんゼロベースで発想して資料を作るのが一番いいのかもしれませんが、その余裕が無いようであれば、既に存在する資料から必要箇所を取捨選択する、という感じでもいいと思うんです。そうすれば、「資料作成」という手間はかからず、代わりに「ウチの会社は、今回のIRにおいて何を投資家に伝えたいんだろう」という本質を考える作業だけが発生します。その作業を嫌がるマネジメントおよびIR担当者はいないはずです。
「そのIR」のための資料作りをしない理由: 2.実は言いたいことが無い
「上場したからには、当然IRに力を入れるべきだ」という、これまた思い込みがあります。証券会社もそう言ってるし、みたいな。
もちろん上場したらIRを行う必要が生じるわけですが、そのやり方は企業によって千差万別、様々あっていいはずです。そして、同じ企業でも時期によって適切なIRの姿は変わってくるはずです。
実際、積極的にIRをしていない企業も存在します。しかも一流企業で。例えば少し前のファナックとか。
他にも、IRにあまり力を入れていない、、、というか、正確に言うと「独自のやり方でIRをやっている」、そういう企業は存在するでしょう、きっと。僕が知らないだけです。
企業によっては、わざわざ海外に出掛けて行かないのはもちろんのこと、日本に来た外国人投資家と本社で会うこともあまりしません。でもそれでいいんです、別に。
高校・大学に行ってる人が多いから、自分もなんとなくそうする。
フツーに就職してる人が多いから、自分もなんとなくそうする。
結婚して、子供を産んで、マイホームを持つ人が多いから、自分もなんとなくそうする。
IRに力を入れてる上場企業が多いから、自分(自社)もなんとなくそうする。
企業にはそういうノリではなく、もっと能動的・積極的にIRをしてほしいです、IR業界の片隅で生きる者としては。
「そのIR」のための資料作りをしない理由: 3.言いたいことは何かしらあるんだけど、それが一体何なのか、十分に考え抜かれていない
難しいのは分かります。でもこれを考え抜くのがIRですよね。
IRは単に「なんか言う」ことではなく、「自分は何を言いたいのか、を考える」こと、それこそがIRです。それをちゃんとやってから外国人投資家と会う方がいい。あまり深く考えずにIR、特に海外IRを行うことは、かえって逆効果につながることもあります。
・資料を客観的に見ることが出来ていない
日頃見慣れている自社のIR資料を、その会社の社長やIR担当者が客観的に眺めることは不可能です。自社の話だし、自分で作ったIR資料だし。
だったら外部の人を巻き込めばいい。
例えば、IR資料の専門家を活用すればいい。それは証券会社のバンカーであり、IR支援会社であり、IR通訳者です。
僕も、ごく稀にですが「今度の海外IRについては、資料作りのところから入ってほしい」と言われることがあります。8年間で、片手で数えられるぐらいしかありませんが。そういうお仕事は、こちらとしてもなかなかマネタイズするのが難しく、割に合わないと言えば合わないんですが、喜んで引き受けています。多少なりとも自分が協力出来る点がある気がするので。
専門家もいいけど、もっといいのは、家帰って奥さんに見てもらうこと。「これ、来週の海外IRで使う資料なんだけど、どうかな?」って。あるいは、他の業界の友だちに見てもらえばいい、飲んだついでとかに。
「部外者である妻や友人に何が分かる(笑)」と思うかもしれませんが、妻や友人が分からないようであれば、(部外者である)投資家にも伝わらない可能性があります。
以上、IR資料における
・ 表面的な問題点と、
・ その背後にある本質的な問題点、そして
・ その解決策
について考えてきました。
「伝わるIR資料」を考えることは、「我が社にとって”IR”とは何か」という、IRの定義や目的を考えることでもあります。「IRにおける「勝利」とは何か?」を考えることにつながります。
IRは、投資家との対話であり、投資家を説得することであり、自社の積極的な売り込みです。そのために必要な情報は盛り込み、不要な情報は捨てる。その方がメッセージがくっきりと浮き立ちます。
我々IR関係者にとって、大事な大事な道具であるIR資料をもっと大事にして、もっともっと良くして、一緒に「勝つIR」を目指しましょう。