この前、ある日本企業のIRにお供して、その企業の方々とアメリカの投資家たちを訪問したときのこと。
わざわざ訪問するぐらいですから、基本的にFace to faceのミーティングなわけですが、今日の記事で取り上げるそのミーティングは電話会議形式で行われました。
例えばアメリカへのIR出張であれば、ニューヨークとかサンフランシスコとかシカゴとか、外国人投資家たちがたくさんいる街に行って、各地の投資家と面談します。でも、中にはデンバーとかデモインとか、結構マニアックな場所に本拠地を置いている投資家もいて、そういう投資家とは(こちらからアメリカに出張してきているにもかかわらず)電話会議をすることもあります。証券会社の現地オフィスや、宿泊先ホテルの会議室から。
今日の記事も、そうした「海外IR出張中の電話会議」が舞台です。
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ミーティングの冒頭、電話の向こうから、投資家が
"Well, thank you very much for taking the call. I hope you've been having a good trip so far."
みたいなことを言いました。
IRミーティングの冒頭の挨拶(投資家側、および企業側)については、状況によって訳したり訳さなかったりしています、僕の場合。"Thank you very much for meeting me"とかだったら、日本企業の方々も分かるかな、と思ってあえて訳さないこともあるし。冒頭の型どおりの挨拶は、重要性がそれほど高くないこともあるし。また、冒頭の挨拶ぐらいは自分でやりたい、という日本企業の方もいると思うからです。
で、問題の電話会議のときは、雰囲気的に(一応、訳した方がいいかな)と思ったので、訳すことにしました。
さて。
"Well, thank you very much for taking the call. I hope you've been having a good trip so far."
を、どう料理するか。
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投資家のこの発言の、前半部分は結構簡単というか、Straightforwardだと思うんですよね。
直訳すれば、例えば「この電話会議を受けていただき、どうもありがとうございます。」みたいな感じでしょうか。
意訳すれば、例えば「今日はお時間をいただき、どうもありがとうございます。」みたいな感じでいいと思うんですよね。
問題は、発言の後半の "I hope you've been having a good trip so far."の部分です。
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モロに直訳すれば、例えば「これまでのご出張が実り多きものであったことを願っています。」みたいな感じでしょうか。でもそれだと明らかにおかしいというか、ぎこちないじゃないですか。
で、結局どうしたかというと、思いっきり訳から落としました。つまり、投資家が
"Well, thank you very much for taking the call. I hope you've been having a good trip so far."
と言ったのを、
「今日はお時間をいただき、どうもありがとうございます。」
とだけ訳しました。
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訳を落とす際、、、つまり、発言者が言ったことを全て訳さずにある程度はしょって訳す際、決めているルールが一つあって、それは「訳せなかったから落としたわけではないよね?」と自分に問いかける、というルールです。意図的・戦略的に落としたのであればいいと思うんですよ。その方がいい訳になるとか、その方がその場がうまく収まると思ったとか、そういう理由であれば。一方、自分の実力不足・知識不足で落とさざるを得なかったのであれば、それはそれで問題だからなんとかしないといけないと感じます。
今回の、発言の後半部分の
"I hope you've been having a good trip so far."
ですが、これは訳さなくていい、と思ったんですよ。もっと言うと、訳さない方がいいと判断したんですよね。そのまま訳そうとすると、例えばさっき書いたように「これまでのご出張が実り多きものであったことを願っています。」みたいにぎこちなくなっちゃうから。
「これは訳さなくていい」という自分の判断にほぼ絶対の自信を感じつつ、残りのミーティングをまあ滞りなく進め、証券会社の会議室を後にし、ニューヨークの街に出ました。でも、その日その後のミーティングをこなしている間中ずっと、さっき訳さなかった"I hope you've been having a good trip so far."がなんだか引っかかります。気になります。
まったく意味の無い発言(例えば本題に入る前の「アー」とか「ウー」みたいな音とか)であれば、訳から落としても別に罪悪感を感じないんですよね。でも、今回投資家は"I hope you've been having a good trip so far."と発言することで、多分何かを伝えたいと思っていたはずで、それがなんなのか、そしてそれを自分は伝えなくてよかったのか、ずっと引っかかっていました。もし投資家が意図的にこの発言をしたのであれば、通訳者として、その気持ちを大事にし、ちゃんと訳に反映させてあげるべきだったと思い始めました。
じゃあ、仮に落とさずにちゃんと訳してあげた方がよかったとして、でも、だからといって「これまでのご出張が実り多きものであったことを願っています。」という訳がいいとは思えない。訳から丸ごと落としてしまう自分を許すことは出来ないけど、一方で「これまでのご出張が実り多きものであったことを願っています。」みたいな、そんなぎこちない、いかにも訳っぽい訳をすることを許すわけにもいかない。じゃあ、一体どうすれば良かったのか。ずっと考え続けました。
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こういう発言を訳す際に一番大事なのは、発言者の言葉尻にとらわれないことだと思うんですよね。一見(一聴?)訳しにくい発言だからこそ、そのまま訳してはいけない。だから、投資家が
"I hope you've been having a good trip so far."
と言ったとき、すぐに+自動的に
「これまでのご出張が実り多きものであったことを願っています。」
と置き換えてしまうのではなく、一歩引いて、「発言者である投資家の意図はなんなんだろう」というところから急がば回れをすればいいんだと思いました。
思うに、"I hope you've been having a good trip so far."という発言を通して投資家が伝えたかったメッセージは、「私はあなたがたの出張について慮って(おもんぱかって)いますよ、気にかけていますよ」ということだったのではないかと思いました。だからこそミーティングの冒頭でこういう発言をしたのではないか。それによって場の空気を和らげたい、という狙いもあったかもしれません。だとしたら、やっぱりそれは訳において大事に訳してあげた方がよかった。
訳から落としてしまうのではなく、一方「これまでのご出張が実り多きものであったことを願っています。」みたいに訳してしまうのでもない、第三の道を模索し続けること、結局それが「いい通訳」ということなのかな、と思います。で、今回の発言の場合、いろいろなことを総合的に判断して、
「今日はお時間をいただきありがとうございます。ご出張、お疲れさまです。」
みたいに訳せばよかったな、と感じました。人によって(特に「通訳者によって」)異論はあるかもしれませんが、少なくとも僕にとっては、上記が一番しっくり来る訳だったな、と今さら思いました。
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投資家は
"I hope you've been having a good trip so far."
と言いました。
これは、ニュアンス的にポジティブ/ネガティブどちらかと言えば、ポジティブだと思います。"good trip"という語がそれを表していると思います。
一方で、「今日はお時間をいただきありがとうございます。ご出張、お疲れさまです。」の「お疲れさまです」は、ネガティブと言うと言いすぎかもしれませんが、少なくともポジティブではないというか、どちらかというと「大変ですね」みたいなニュアンスを感じます。だからこそ、元ネタのポジティブさをこうしてちょっとネガティブに仕上げてしまうことに多少の抵抗も感じるわけですが、でもそれでいいと思うんですよね、英語→日本語の訳は。
"Have a good trip!!!"
も、
「よい旅を!」
と訳してもいいし、あるいは
「お気を付けて」
と訳してもいい。
前者の訳は、元ネタのポジティブさをそのまま伝える、それはそれでいい訳だと思います。確かに直訳っぽいというか、いかにも「訳しました」的なぎこちなさは感じるものの、そういうニュアンスを含めて聞き手に伝えたいときもあるんですよね。素材感を強く出したい、というか。そういう場合、このようにちょっとそのまま感を残した訳がいいと思うときもあります。
一方後者は、元ネタで言わんとしていることはしっかりと伝えつつ、あえてちょっと「ネガティブ(?)」というか、コンサバ目に変換することで、絶妙に日本向けにローカライズさせた結果の、それはそれでとてもいい訳だと思います。
どちらがいいかはケースバイケース。正解は無い世界ですが、訳してしまう(あるいは訳から落としてしまう)前に一度、頭の中で「これはどう訳すべきか」という、大袈裟に言えば訳の信念を問う、そういう瞬間を経た上での訳であることが絶対条件だと思うし、逆にそういうプロセスを経た上での訳であれば、例えそれがどのような訳であってもそれを尊重し、祝福するべきだと思います。