モノを売ったことがあるか

今は「通訳」を売って生きているが、人生で一番最初に売ったものはザリガニだった。



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小学生のころ。
毎週末、家族4人で千葉・外房の山小屋に行っていた。

野良仕事を手伝うかたわら、弟と近くの田んぼの水路で、ザリガニやどじょう、タニシ、フナの赤ちゃんなどを取って遊び、家で飼ったりした。



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あるとき、ザリガニをたくさん、、、といっても10匹ぐらいだが、たくさん取った。


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その、たくさんのザリガニたちを東京に連れて帰り、四谷のZOOというペットショップに売りに行った。
残念ながら取引は成立しなかったが、これが自分の初の商業行為だった。

(ちなみにこのZOOというペットショップはとってもおもしろいところなので、ぜひ一度足を踏み入れてほしい。ウェブサイトはこちら(音が出るサイトなので注意)。)



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ザリガニの次は、キーウィーフルーツの販売に取り組んだ。


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キーウィー・フルーツは、父がその山小屋周辺で、趣味で栽培していた。
豊作の年があって、人にあげてもあげてもまだ無くならないので、売ってみることにした。

ビニール袋に詰められるだけパンパンに詰めて、弟と共に、近所の八百屋を訪ねた。
一袋千円で持ちかけたところ、交渉の末、店主のおじさんが買ってくれた。

店頭に並べるために仕入れてくれたのか、あるいは自家消費のためかは分からない。
きっと、キーウィー・フルーツをビニールに入れて売り歩く外国人風の幼い兄弟を不憫に思ったのだろう。。。



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大学時代は、ニュージーランドの輸入住宅を日本で別荘用に売る仕事をした。
大学をサボり、父の車を借りて那須や伊豆の別荘地に行き、「別荘販売」とか「別荘建築」といった看板を見つけては、当時まだ珍しかった携帯電話(IDO)で電話をかけ、住宅の部材のサンプルを持って飛び込み営業していた。実際、千葉県のマザー牧場には当時販売し、建設にも携わった貸別荘や売店の建物が今も稼働している。



そうした「モノを売る」活動がとても楽しかったこともあり、就職先は商社に決めた。

入社後、エネルギー部門に配属された。

商社は、自ら上流(アップストリーム)の油田などに投資しリターンを追及するという、ある意味華々しいビジネスもやりつつ、一方ではベタベタの代行業、口銭商売もしている。僕が入社後間も無く、自ら志望して担当になったのは、そうした従来型の、売り手と買い手の間に入って、、、みたいなベタな仕事だった。そこでは、エネルギー(具体的には天然ガス)を売ってくださる売主にも気を遣い、買ってくださる買主にはもちろん超気を遣う、という板挟み的な立場をこれでもかというほど経験出来、とても勉強になった。



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こうして人生の局面局面でモノを売る経験をして来たわけだが、いずれも本腰を入れて取り組んだとは言えず、ちょっと中途半端だったと思う。
そして、今から思うと、この「モノを売る」という仕事にもっと真剣に向き合い、努力すればよかった、と悔やまれる。極めるまではいかないまでも、「真剣に取り組んだ」と自信を持って言えるようにすればよかった。

そう思うのは、通訳者になった今、モノを売ることの重要性を感じるからだ。


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売る対象がなんであれ、何か「モノを売る」という経験は、出来ればこの世の全ての人が経験するといいと思う。

そのモノを、今はそれをほしいと思っていない人に、いかにして喜んでお金を出していただくか。
暴力を振るったり、ウソをついて騙したりするのではなく、いかにして、あくまでも正攻法でその人を説得(Persuade)し、Change his/her mindしてもらうか。そして、そのモノを買った結果、いかに喜んでもらうか。

相手の立場に立ち、どうやって「営業」し、どうやって実際の「販売」まで持って行くかを考え、実行するプロセスは、全ての人にとって貴重な経験になるのではないかと思っている。

ある会社のCEOのことば

"My advice to young people is always, along the way, have a sales job. You could be selling sweaters. You could be selling ice cream on the street. It doesn’t matter. Selling something to somebody who doesn’t want to buy it is a lifelong skill. I can tell when somebody comes in for an interview and they’ve never had any responsibility for sales."


テキトーな訳

「若い人にいつも言うのは、キャリアのどこかでセールスの仕事を経験した方がいい、ということ。セーターを売るもよし、街でアイスクリームを売るもよし。なんでもいいから何かを、それを「買いたいと思っていない人」に売り込む、という経験は一生モノのスキルになる。(ウチの会社に入社したいと)面接に来た候補者にセールス経験があるかどうか、(面接をすれば)すぐに分かる。」



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営業活動を自分よりも長くやっている人は多いだろう。そうしたプロのセールスマンと比べれば、自分は完全にアマチュアだ。そして、上記の通りもっと真剣に取り組む余地はいくらでもあった。でも、例え少しだけであっても、営業の世界を体感したことは大きな財産になっている。

自分のこれまでの人生において、一度もザリガニや天然ガスを売った経験が無ければ、自分はどういう人間になっているだろう、と思う。



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今、自分が日々行っている通訳業務は、一見営業(Sales)とは縁遠い。でも、実は非常に近いのではないか、と思っている。

通訳をする際、考えていることはただ一つ、いかにして会議参加者を喜ばせられるか、ということだけだ。実際にそれが出来ているかどうかは別として、少なくとも、それだけに集中しようとしている。

それに対し、一番よくないのが「いかにミスをしないか」に集中し、ビクビクしながら訳しているときの自分の通訳だ。順番に並べてみると、




1. いかにして会議参加者を喜ばせられるか
2. いかに上手に訳すか
3. いかにミスをしないか




1.は、2.や3.と根本的に異なる。
1.が相手(会議参加者)目線であるのに対し、2.や3.は自分(通訳者)目線なのだ。



相手目線

1. いかにして会議参加者を喜ばせられるか
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2. いかに上手に訳すか
3. いかにミスをしないか

自分目線



2.や3.は、狭義の「通訳業的」視点、あるいは職人的な視点だとも言える。もちろん相手のことも考慮しているが、弱い。メーカーで言えば「我が社製品」ありきで考えるメーカーとも言えるだろう。

それに対し1.は、非常に「営業(Sales)」に近い。自分を捨て、完全に相手のことしか考えていない。メーカーで言えば「お客様」ありきで考えるメーカーか。



「営業」という行為を突き詰めて考えてみると、それは全て「相手」のことである、という結論に僕は行き着く。そこに「自分」は全く無い。

自分が売ろうとしているモノ、例えば「ザリガニ」はもちろん関係しているが、ザリガニ=自分ではない。僕は人間である。

営業の現場に存在するのは、

1. 売る相手(お客様)、すなわちペットショップのZOOの店員や八百屋のおじさん、そして
2. 売ろうとしているモノ、つまりザリガニやキーウィー・フルーツだけだ。

売る人(例えば僕)ももちろんその場にいることはいるが、決して主役ではない。ポイントは僕ではなく、「1.お客様」が「2.そのモノ」を買うかどうか、それだけだ。

売る側からすると、自分を捨てる、、、というか、自分がそもそも関係無い。それが営業だと思う。



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さて、話転じて通訳。

通訳者と話したり、その訳を聴いたりしていて、非常に親近感を感じることがある一方、何かこう、とても大きな断絶みたいなものを感じることもある。それがなんなのかはよく分からないのだが、もしかしたら営業的視点の有無も関係しているのかもしれない、と思う。

例えば大学等の学校を出て、すぐに通訳者になった人。あるいは、学校の後何かワンクッション置いて通訳者になったものの、そのワンクッションが営業(Sales)とは無縁の仕事だった人。
そういう人は、「モノを売る」という視点を持っていなくても不思議ではない。だって、売ったことが無いんだから。

そういう通訳者に「通訳はサービス業だと思うか」と問いかければ、Yesと答えるかもしれない。が、それは「製造業ではないし、、、」的な消去法の結果であって、通訳業を積極的に「サービス業である」あるいは「営業(Sales)行為である」ととらえた結果ではないかもしれない。

そこに、通訳という仕事の独特の商流も関係してくる。通訳者たちは、日々クライアントを回り「お願いですから仕事をください」と頭を下げているわけではない。依頼は、どちらかというと「向こうから来る」ものであり、それを「お受けします」あるいは「お断り」するのが通訳者だ。元々営業経験が無い人が、そういう独特の商流の中で仕事をしていると、どうしても「モノを売る」という視点・姿勢が身につきにくいと思う。



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一方で、人気のある通訳者たちに共通するものは何か、を考えてみると、意外と「通訳の上手さ」以外の何かではないか、という気がしてくる。
いや、もちろん通訳はある程度上手なのだが、それが決め手ではない気がする。

決め手になっているのは、営業(Sales)的な視点ではないか。

人気のある通訳者たちは、通訳者になる前、何か「モノを売った」経験があり、その視点に立って日々通訳をしているのではないか。
あるいは、モノを売った経験は無いものの、何らかの理由・経緯でそうした営業的な視点を身につけていて、それを活かして日々通訳をしているのではないか。

この考え方を使えば、「通訳者ではないのに通訳が上手な人」もある程度説明出来る。
ときどき、通訳者ではなく、普通のサラリーマンで、通訳が上手な人がいる。日々通訳をしているわけではなく、通訳学校に行ったこともない人たちだ。言葉のセンス、そして一定のインテリジェンスがあるのはもちろんだろうが、それに加え、営業的な視点も併せ持った人たちなのではないか。

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興味深いのは、営業的な視点を身につけるのに、実際にモノを売った経験は必ずしも必要無い、という点だ。
長く営業をしていても、それに中途半端に向き合えば身にならないだろうし、一度もモノを売ったことが無くても、相手の立場に立つことが上手な人もいる。

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翻って、自分はどうか。

通訳者になる前の営業活動には、今一つ本腰を入れて取り組まなかったこと、そしてそれをちょっと悔やんでいることは既に書いた。
だとしたら、今目の前にある「通訳」という仕事を今まで以上に「営業(Sales)活動」としてとらえ、この機会に「モノを売る」という行為に本腰を入れて取り組んでみるのもいいな、と思う。


by dantanno | 2016-03-21 14:45 | 日々研鑽 | Comments(0)