ダボスとつぼ八
2014年 02月 03日
先月のダボス会議での安倍首相の発言を訳す際、通訳者が使った文言が国際的な波紋を呼んでいます。
日本国内では、通訳者による「誤訳」あるいは「勝手な付け足し」とする批判も起きています。
それに対し、僕が「この通訳者は悪くない」と思う理由を以下で説明します。
目次
1. 本件に関する報道
2. 安倍さんの実際の発言と、その訳は?
3. 通訳に対する批判
4. なぜ僕が「通訳者は悪くない」と思うか
5. 再発防止策
本件の経緯と、その後起きている通訳批判を既にご存じの方は、4.からお読みください。
<1. 本件に関する報道>
Yomiuri Online
ダボス会議報道、安倍首相発言の力点を英紙誤解
Huffington Post
なぜ第一次世界大戦前の英独関係をめぐる安倍首相の発言が、海外メディアの反発を招いているのか
47 News
【ダボス会議の安倍首相発言】 日中のリスク印象付ける 「偶発的衝突」に懸念
<2. 安倍さんの実際の発言と、その訳は?>
Yomiuri Online(読売新聞)の記事によると、安倍さんの実際の発言は:
「日中間で軍事衝突が起きれば、両国にとって大変なダメージになる。
今年は第1次大戦(の勃発)から100年目。
英国とドイツは、戦争前に貿易で相互に関係が深かった。
日本と中国も今、非常に経済的な結びつきが強い。
だからこそ、そうならないよう事態をコントロールすることが大事だ」
だそうです。
一方、Huffington Postの記事によると、菅官房長官曰く、安倍さんの発言は以下の通り:
『今年は第一次世界大戦から100年を迎える年である。当時英独関係は大きな経済関係があったにも関わらず、第一次世界大戦に至ったという歴史的経緯があった。
ご質問のようなことが起こることは、日中双方にとり大きな損失であるのみならず、世界にとり大きな損失になる。このようなことにならないようにしなくてはならない。
中国の経済の発展に伴い、日中の経済関係が拡大している中で、日中間の問題があるときには、相互のコミュニケーションを緊密にすることが必要である。』
どちらが正しいのかよく分かりませんが、いずれにせよ、、、
これを訳す際、通訳者が
"I think we are in the similar situation."
という表現を使ったことが問題になっています。
<3. 通訳に対する批判>
この件に関する日本国内の反応を見ていると、通訳に対する批判が多く見受けられます。
また、通訳を民間委託していた政府(外務省?)に対する批判もなされています。
Blogos
通訳の凡ミスによって波紋広がった安倍首相発言~朝日スクープが事実なら外務省=日本政府の重大なミスだ
産経ニュース
英紙の安倍首相発言報道 通訳の補足説明で誤解!?
同じくBlogos
安倍総理のダボス会議での質疑が誤訳により真意をまげて世界に配信されたが、なんと通訳を民間の会社へ委託したとの事。議員から厳しい批判
「誤訳」、「ミス」と、散々な言われようです。
また、2ちゃんねるのような、一般の人たちが匿名でコメントを書き連ねるようなサイトでも批判が出ています。
上記「誤訳」、「ミス」に加え、多く見受けられたのは
「なんで首相が言っていないことを通訳者が勝手に付け加えているんだ」
といった批判でした。
<4. なぜ僕が「通訳者は悪くない」と思うか>
今回の通訳に対する批判を大きく2グループに分けると、
「誤訳」
「勝手な付け足し」
です。
それに対してまず思うのは、、、
これ、誤訳ですか??
勝手な付け足しですか??
上記2.で引用した「安倍さんが実際に発言した内容」ですが、読売新聞バージョンであれ、Huffington Post(菅官房長官)バージョンであれ、
「第一次世界大戦の頃の英独は、今の日中関係同様、非常に緊密な関係にあった。」
的なことを言っていると思います。
それを訳す際、
"I think we are in the similar situation."
といった表現を用いるのは、「誤訳」でもないし、「勝手な付け足し」でもないと思う。
(なぜ"a"ではなく"the"を用いるのか、というテクニカルな点は置いておいて。)
結果的に、海外のメディアが上記訳を材料に、
「安倍首相、今の日中関係を大戦当時の英独関係になぞらえる!」
と大きく取り上げ、それが国際的な波紋を起こしたのは事実です。
でも、安倍さんの発言がそういった趣旨に基づくものではないことは明らかで、(その訳の全体像が見えないので断言は出来ないのが残念ですが)よほど全体の意味を誤解しない限り、海外メディアが報じたような勘違いは起きないのではないか、と思います。
あくまでも推測ですが、海外メディアは、安倍さんの発言の意図が平和的なものであることは理解したものの、訳の中のワンフレーズに飛びつき、それをセンセーショナルに報道することによってニュースを「作った」のではないか。そんな気がします。
ただ、安倍さんの実際の発言内容と、その訳の全文を見定めないとなんとも言えません。
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なんとも言えないわけですが、議論を進めるために、仮に、あくまでも仮に、今回通訳者が「誤訳」、あるいは「勝手な付け足し」をしていたとすればどうか、を考えてみます。
まず「誤訳」。
話し手が「1」と言ったのに、「2」と訳してしまう、そういうモロな誤訳は当然よくないので、そういう「誤訳」は置いておいて、ここでは
「話し手の意図はAなのに、通訳者の訳がA'だった」
というようなケースを取り上げます。
A ノットイコール A'
を指して「誤訳」と言うのであれば、まあ確かに誤訳です。
でも、これが通訳です。
通訳は、話し手の発言を機械的に置き換えていく単純作業ではありません。
通訳者によって手法は異なるので一概には言えませんが、おおざっぱに言うと通訳は、話し手の言葉を手がかりに「この人は一体何を言いたいのか、どういう気持ちなのか」を探りに行き、それを別の言語で表現し直す、という遠回りな作業です。
だから、通訳者が人間である以上、通訳者によって話し手の意図をどう解釈し、表現するかが異なるのは当然です。
ある作曲家の作品を弾く際、ピアニストによって解釈や弾き方が異なるのと一緒。
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一方の「勝手な付け足し」はどうか。
通訳において、通訳者が自身の判断に基づき訳を「付け足す」ことは日常的に行われています。
これは「余計なこと」ではなく、逆に付加価値です。
例えば「つぼ八」。

日本人が、外国人との会話の中で「つぼ八」と言ったのを訳す場合。
その外国人がよほどの日本通でない限り、"Tsubohachi"と言われても???となるでしょう。
そこで、通訳者が
Tsubohachi, a famous Izakaya chain in Japan

と「勝手な付け足し」をすることにより、話し手の意図が聞き手に正確に伝わり、コミュニケーションの円滑化に役立ちます。
これは大きな付加価値です。
What's "Izakaya"???という新たな疑問が生まれる可能性も大ですが(笑)。それも付け足して説明すればいいんです(笑)。
ここではあえて単純な例を挙げましたが、もっと高度な通訳になればなるほど、こうした「付け足し」が行われ、それが威力を発揮します。
上記「誤訳」のところで触れた通り、通訳が単純な言葉の置き換えではなく、話し手の想いを別の言語で再表現するプロセスである以上、多少文言を付け加えた方がうまく伝わると判断して付け足したり、「これを訳すとかえって混乱するな・・・」と判断して逆に文言を削ったり、ということが付加価値として行われるわけです。
「そういう編集なんかせず、話し手が言った通りに訳してくれ」
と言われても、そもそもある言語を異言語に変えてしまうほどの大手術をしている中で「言った通りに」訳すなど物理的にあり得ません。
リンゴ → Apple
というレベルであれば確かにあり得ますが、我々通訳者が駆り出されるのはもっともっと高度な発言・会話を訳す必要があるときであり、そういった内容を訳す際、必ず通訳者の解釈を一旦通す必要が出てくるわけです。
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一つ補足。
批判の中には、「外務省の職員が通訳すべき」というものも多く見受けられました。
これも微妙な問題だと思います。
確かに、首相のこういった内容の発言を訳すのであれば、歴史や外交に詳しい通訳者の方が、そうでない通訳者よりもベターなのは言うまでもありません。
でも、一番適任なのは
「背景知識が豊富な通訳者」
よりも
「通訳が上手な通訳者」
だと思います。
あとは、外務省内で「通訳が上手で、かつ歴史・外交に詳しい通訳者」を抱える必要があるのか無いのか、という話になり、これはいろいろな意見があってしかるべきだと思います。
ただ、民間の通訳会社に外注したことを指して「悪」とするのはやや短絡的な気がします。
皮肉な話ですが、安倍さんがどちらかというとタカ派の政治家であることや、安倍さんが中国という国をどう思っているかを正確に理解している通訳者が訳していたら、その訳は、今回よりもはるかに大きな波紋を国際社会に投げかけていた、そういう可能性だってあるわけです。
結果的にどちらがよかったかは微妙だと思います。
<5. 再発防止策>
・ 元の発言と、その訳の間で齟齬が生じた際のプロトコールを明確にしておく
通訳・翻訳という作業の性質上、どうしても
A ノットイコール A'
ということが発生します。通訳者がどんなに優秀であってもです。
なので、通訳者の訳を聞いて「え?」と思った場合、すぐに大騒ぎを始めてしまうのではなく、まずは元の発言を確認する。
元の発言も「え?」という内容であることが確認できた時点で初めて騒ぎ始めるようにすれば、無駄な騒ぎが無くてすみます。
・ 話し手は、もっとハッキリ意図を説明する
仮に今回誤訳、あるいは通訳者による付け足しに相当するものがあったのであれば、それは
話し手の発言に複数通りの解釈の余地が残っているから
でもあります。
一般的に、政治家の発言は玉虫色のものが多く、通訳者泣かせです。
玉虫色の発言を「ちゃんと」訳そうとすると、通訳者の解釈の出番がいつも以上に増えます。
・ 大事なトピックについて話すのであれば、事前に通訳者とブリーフィングをする
一国の首相が通訳者とブリーフィングなどしていられるか、という向きもあるかもしれませんが、大事な人が大事な話をするからこそ、自分の分身となる通訳者(=大事!)と事前に入念な認識合わせを行う必要があります。
今回、それが十分行われたのかどうか。
・ 火の無いところに煙は立たない
今回これほど大々的に「安倍首相、日中関係を第一次大戦当時の英独関係になぞらえる!」と海外メディアに取り上げられたのは(しかも、実際にはそういうニュアンスのことを言っていないにもかかわらず)、安倍さんがいかにもそういうことを言いそうだと海外メディアが思っているからでもある気が。
で、海外メディアがなぜそう思っているかというと、その背景にはこれまでの安倍さんの言動があるのではないか。
安倍さんのせいにしたいわけではありませんが、誤訳かどうか云々の問題以前に、通訳者一人に責任を押しつけるのはそもそも無理があります。
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ダボスの通訳者に対する安易な批判は、それが「通訳という作業がいかに高付加価値であるかという事実に対する無知・無関心」に端を発している、という意味で、ダボスの通訳者一人ではなく、我々通訳者全員に対するものと考えるべきです。
そして、後輩として僭越ながら、今回ダボスで通訳を担当した通訳者に対して声を大にして言いたい。
今回、あなたの訳を「ちゃんと」批判するのであれば、以下の条件を全て満たす必要があると思います。
でも、今出ている批判の中で、以下を満たしている批判はきっと1つも無いと思う。
1. 安倍さんの発言と、その訳の正確な全文を手元に用意していること
2. 両者を見比べ、訳の正否を検証する能力を持っていること
3. 通訳、特に高付加価値な通訳が、非常に複雑なプロセスであることを理解していること
だから、今出ているような、こんな浅い批判など気にしなくていいと思います。
ぜひこれからも第一線でがんばってください!!

