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IRISの、ワークショップと通訳者登録についての考え方

ときおり、通訳者から「IRISに登録したい」という連絡をいただきます。
とてもうれしいし、ありがたいことです。

そういう場合、
「では、まずはワークショップにご参加ください。」
と言うようにしています。



IRISでは定期的に通訳ワークショップを開催しています。

ワークショップではいろいろなことをやりますが、必ず通訳の演習も行っています。
何らかの音声を再生し、それを参加者全員で通訳します。
そこで高い通訳力を確認出来た方に対し、登録を打診しています。

ちなみにこのワークショップ、有料で行っています。

ーーー

これまでの話をまとめると、

1.IRISへの登録を希望する方は、ワークショップに参加してください。
2.ワークショップは有料です。

ということになります。

さて、この1.と2.。
それぞれ単独で見ると別に違和感は無い(少なくとも私は)のですが、
こうして2つを並べて見ると、

1.登録を希望する方は、ワークショップに参加してください。
2.ワークショップは有料です。
     
登録を希望する方は  <中略>  お金を払ってください

のように見えます。「見える」というか、実際そうです。
つまり、「IRISは登録料を取ります」という印象を与えても仕方が無いな、と感じました。

そこで、このブログ記事を使って話を整理することにしました。



ーーー



<IRISへの登録は無料です>
IRISには「登録料」はありません。
無料で登録いただけます。



<IRISでは、ワークショップを行っています>
前述の通り。



<なんのためにワークショップをやっているのか>
いくつか理由があります。重要性の順に並べます。

・楽しいから
・いい通訳者を発掘するため
・登録通訳者のさらなるレベルアップのため
・丹埜自身の個人的なレベルアップのため

間違っても「お金のため」ではありません(笑)。



<ワークショップは、(少なくとも金銭的には)割りに合わない>
私はいくつかの仕事をしています。

・通訳者
・翻訳者
・通訳エージェントの運営
・通訳の指導(於大学院)
・ワークショップの主宰(プロ通訳者向け)

後半の「通訳の指導」と「ワークショップの主宰」については、金銭的には「割りに合わない」です。「金銭以外」のインセンティブでやっています。



<ワークショップを行う理由が「儲けるため」ではないのであれば、無料にすればいいではないか>
確かに。

元々は無料だったんです。
でも、無料にすると、主に2つの問題が生じました。

まず、私自身があまり張り合いを感じられない、やる気が出にくい、という問題です(だったらやらなければいいんですが)。
(どうせお金取ってないんだし・・・)的な、そんなズルズルした気持ちが出てしまうんですよね。

もう一つの問題は、「タダなら参加してみるか」みたいな人が来てしまう、ということです。
実際にそういう人がゾロゾロ来てしまって困った、ということでもないんですが、まあ理論的にはこういうこともあり得る、ということです。



<ワークショップは有料>
ということで、ワークショップが有料になりました。
当初は1万円にしましたが、もっと上げる必要を感じ、今は3万円にしています。

有料にしたのは、ひとことで言うと、バーを上げるためです。

講師サイド: 一定のお金を取るからには、ちゃんと「仕事」として、しっかりとしたものを提供しないといけない
参加者サイド: この金額を払ってでも参加したい、という強い意欲を持った方だけが集まる

この2つの効果から、有料化後はワークショップのクオリティーが上がった気がしています。



<ワークショップで、通訳者の通訳力を見定める>
「IRISに登録したい」と言って来てくださる方は、多くの場合、経歴書を添付してくれます。
せっかく送って来てくださったのでありがたく目を通しますが、経歴書は全く、一切参考にしません。

それはなぜかというと、今までたくさん、「経歴は見事なのに、通訳力が低い」通訳者を見て来たからです。
また、経歴がまっさらなのに、とても通訳が上手な通訳者を(数は少ないものの)見て来たからです。

なにより、私自身がフリーランス通訳者としてデビューした当時、
「経験が無いから仕事を紹介してもらいにくい」
「仕事を紹介してもらいにくいので、経験を積みにくい」
という苦い思いをしたから、自分がエージェントをやるときは絶対に経歴なんて見ないぞ、と決めたからです。

経歴書をちゃんと見ないので、同じ通訳者と会う度に「あなたはどういう経歴でしたっけ?」という話で何度でも盛り上がれる、といううれしい副産物までありました。



通訳者の通訳力の評価については、すべてワークショップ、あるいはそれ以外の場で、実際に通訳を聴かせていただいて評価しています。



<なぜ 「登録したければ、ワークショップ(有料)へ」 という仕組みになっているのか>
なぜIRISが今のような仕組みになっているのか、を改めて考えてみたんですが、それはIRISがワークショップをその中心に据えていて、ワークショップがIRISにとってはとても重要な場である、ということが一つ。ワークショップは、通訳者発掘の場でもあるし、私を含む「IRIS登録者」にとってのさらなるレベルアップのための場でもあります。道場なんですよ、通訳の。

そして、もう一つの背景は、IRISでは、通訳者からの問い合わせについてはどちらかというと「登録したい」よりも「ワークショップに参加したい」という問い合わせをメインに想定して仕組みを構築しているから、だと思いました。

「ワークショップに参加したい」 → ワークショップに参加する → そこで実力を示す → 「登録しませんか?」

という流れを想定して仕組みを作ったんですが、でもこれがときどき

「登録したい」 → 「では、ワークショップ(有料)にご参加ください。」

となるから話がおかしくなる(ことがある)んでしょうね。



<「登録したければ、ワークショップ(有料)へ」の矛盾をどうするか>
いろいろな経緯・背景があって現状の

ワークショップ参加 → 登録

という仕組みに至っているんですが、確かにこれは、見方によっては「登録したければお金を払ってください」という、なんかヘンなことを言っていることにもつながります。難しいですね。。。

こう説明すればいいですかね。

IRISへの登録に際し、有料ワークショップへの参加は必須ではありません。
「登録したい」と思ってくださった場合、何らかの方法で通訳力、人柄、向上心などを見せていただき、安心感を与えていただければ、その後登録いただき、国内外の通訳案件をご紹介します。

たまたまIRISではワークショップを行っていて、そこで「通訳の演習」をやるので、それが通訳を確認するための一つの場として機能していますが、別にそこでなくてもいいわけです。

例えば通訳案件において私とブースで組ませていただくとか、そういう方法もとてもいいです。



<通訳者選考会みたいなことはやらないのか>
ワークショップ(有料)とは別の場として、例えば通訳者選考会(無料)のようなことをやったらどうか、という意見もあるかもしれません。
一理ありますが、一方で今、そんなに一生懸命通訳者を募集していない、という現状もあります。
案件は少しずつ増えていますが、通訳者も少しずつ増えており(去年は3人増やしました)、今この瞬間は別にそれほど登録者を求めていません。

ロンドン・欧州はちょっと例外で、事業拡大に伴い、優秀な通訳者を積極的に求めています。
https://www.iris-japan.jp/

これは決して「登録を受け付けていない」ということではなく、いいな、と思う方がいればこちらから頭を下げて登録いただきたいわけですが、選考会のようなことをやってまでは通訳者を求めておらず、たまたま、それこそワークショップなどで「おっ、いいな」と思う方がいれば登録を打診したい、という状況です。



<まとめ>
IRISに登録したいと思ってくださった方、本当にありがとうございます。通訳者の方からそう言われるのは、「IRISをがんばって来てよかった」と思う貴重な瞬間の一つです。

1.有料で申し訳ありませんが、ワークショップという場があるので、もしワークショップの内容自体に興味が持てて、(登録云々とは別に)単にスタンドアローンの「ワークショップ」として、有料でも参加したい、と思えるようであれば、ぜひご参加ください。そこで通訳を聴かせていただき、通訳力が高いと判断出来た場合は、こちらから登録を打診させていただきます。

なお、IRIS登録後は、ワークショップは全て無料で参加出来るようになります。

2.ワークショップは必須ではないので、それ以外の場で実力を証明してくださるのもウェルカムです。



すばらしいIR通訳を通し、日本のIRを国内外で盛り上げつつ、通訳という仕事のプレミアム化に一緒に取り組んでくれる仲間を求めています。我こそは、と思う方、ぜひワークショップ(あるいはそれ以外の場)でお会いしましょう!

# by dantanno | 2019-03-20 10:17 | IRIS | Comments(0)

我々おじさん・おばさんに、もはや「平時」などない

今ふと気付いたんですが、僕もう44歳ですよ。
ハッキリ言っておじさんです。

気持ちの上ではまだまだ若いつもりだし、
いまだに下っ端気分が抜けない面もたくさんあるけど、
まあおじさんです。

ーーー

自分もそうなら、自分の周りもそうです。みんなおじさん・おばさんです。

もちろん、若い人たちや、子供たちとの接点はあります。
また、我々よりもさらに上の、おじいちゃん・おばあちゃん世代との接点もあります。

でも、自分と一番近い人たち、一番やり取りが多く発生する同年代の相手たちは、みなおじさん・おばさんです。

ーーー

自身、おじさんとなり、周りのおじさん・おばさんたちと日々やり取りしていて思うのは、

「我々おじさん・おばさんには、もはや「平時」なんて無い」

ということ。

ーーー

つまりですね、年齢的に、ほぼ常に、何かしら問題ありなわけです。

これは、「カラダのどこかが痛い」とか、そういった問題もそうです。

あと、自分の転職とか、クビとか、昇進出来るのか、とかもそうです。
倦怠期だの、なんとかレスだの、離婚だのなんだのもそうです。

ーーー

自分自身の問題だけじゃありません。
家族の「中間管理職」として、上下方向からの「問題」もあります。

親が病気になった。介護がどうだの、死んじゃった、だのもそう。
それが解決したと思ったら、今度は子供が熱出した。娘がグレかかってる。あかちゃんの世話が大変。高校生の息子が医者になりたいと言い出した。

自分の問題だけでも大変なのに、上下方向からのプレッシャーもすごい。

で、パソコンが壊れた、生命保険を見直すかどうか、クルマのバッテリーが上がった、役所がなんか言って来てる、塀にペンキ塗らなきゃ、etc. etc.

全方向から、問題に次ぐ問題です。

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そう考えると、子供の頃はずいぶんよかったなあ(笑)。
当時は当時で「大変」だと感じていたのかもしれないけど、我々おじさん・おばさんから見れば、悩みなんて何もなく、超絶的にラクなようにも思える。ま、彼らもいろいろ大変なんでしょうが。

ーーー

さて。

「我々おじさん・おばさんには、もはや「平時」なんて(あまり)無い」

という考えをさらにもう一歩進めると、

「我々おじさん・おばさんには、もはや「平時」なんて無いわけだから、
「今は平時ではない」を、もはや一切言い訳に出来ない」

という気もしてきます。

ーーー

あなたが僕同様、おじさん(あるいはおばさん)だとしましょう。
で、サッカー選手だとします。
つまり、おじさん・おばさんサッカー選手だとします。

サッカー選手であれば、日々、ストレッチだのパス練習だの筋トレだの、そういったことをしないといけないわけです。
おじさん・おばさん選手であっても、、、 いや、おじさん・おばさん選手だからこそ、そういった日々の積み重ねが重要になります。若い世代みたいにほっといても成長しないので。

でも、その一方で、人生におけるなんらかの「問題」を抱えているわけです。
夫婦間の問題かもしれないし、親の問題、子の問題かもしれません。カネの問題かもしれない。なにしろ全方向から来ますから。

そんなときに、
「オレは、今は○○の問題を抱えていて、これは要するに有事であり、平時ではない。
だから、自分が日頃やるべきこと(ストレッチ、筋トレ云々)が 今は出来ない
って、普通はそう思うし、そうなるじゃないですか。それで許されるじゃないですか。

でも、我々おじさん・おばさんにとっては、日々有事なわけですよね、世代的に。
自分のこともそうだし、上下世代に起因する問題も続々待ち受けています。もはや平時なんてない。

だから、要するに何を言いたいかというと、
「今は平時ではないから」
って、そんなの、日々やるべきことをやらない理由になんて、もはやならないんじゃないか、ということなんです。有事がもうデフォルトなんだから。

ーーー

我々おじさん・おばさんは、「もはや平時なんてない」ことを心に刻み、
むしろ「常に有事」であることを前提に、
その上でいかにして「日々やるべきこと」を粛々と進めていくか、にフォーカスしていくべきだし、
前進したいのであれば、もはやそうするしかないと感じます。
「この件が落ち着いたら・・・」 → 「次の件」が待ってます。平時なんて、永遠に来ない。



日々有事な中で、それを前提に作戦・戦略をたて、大変さを周囲にあまり見せずに前にどんどん進んでいく、そういうのがかっこいいおじさん・おばさんだと思うし、自分もそうありたいと思いました。


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# by dantanno | 2019-03-18 17:17 | 自戒ネタ | Comments(0)

IRミーティングで、投資家の「仮説」をあぶり出す

「IR通訳をするのに、財務・会計、ファイナンスの知識は必要ですか?」

と聞かれることが多い。


これに対する考え方は、 No系、Yes系、その他系 と、いろいろありうると思う。

「No」
・ IRミーティングで話される内容は「財務・会計」ではない。あくまでも「ビジネス」であり「戦略」であり「リスク」であり、フツーの、、、つまり、財務・会計の専門家以外の人間に分かる内容である。
・ 1時間のIRミーティングで、財務・会計系の話題が全く出ないことだってある。出たとしても、5分とかのことが多い。
・ 例えば「グリーンボンド」とか「圧縮積立金」とか「種類株」とか、財務・会計系の用語・話題が出た場合は、その場はとりあえず(会議参加者に確認しながら)なんとかしのぎ、あとで、家に帰ってから徹底的に調べ、次にその話題が出たらComfortableに訳せるようにすればいい、という考え方もアリだと思う。
・ 財務・会計の知識がゼロでも、IR通訳は出来る。しかも、「上手に」出来る。大事なのは知識ではなく、通訳力だと思う。

「Yes」
財務・会計の知識があるにこしたことはない。
特に、小手先の知識ではなく、バランスシートと損益計算書とキャッシュフロー計算書がどうつながっているかを理解していると、なんとなくラク。

その他
財務・会計の知識が必要かどうかを心配してるヒマがあれば、本屋に行って、財務・会計に関するよさげな本を一冊買って勉強しちゃった方が100倍早い。あと、TACとか東京商科学院(* 一時期通ってました。今もまだあるんでしょうか。。)とか、大原簿記学校とかの短期のコースに通ってみるのもいいと思います。

ーーー

さて。
「財務・会計の知識」もいいが、IR通訳者にとって、それよりもはるかに大事なことがある。それは、

外国人投資家が持っている「仮説」を、IRミーティング中にあぶり出し、それを(自らの訳に乗せて)企業に伝える

ことだ。

ーーー

投資家は、多くの場合、何らかの仮説をもってIRミーティングに臨んでいる。

仮説は、一階層だけのこともあれば(↓)、

「この製薬会社が今研究・開発中の肝炎の薬は、将来世界的な大ヒットになる可能性があるのではないか」

あるいは、二階層、三階層のこともある。

  1階層目 「今後、日本は○○なんじゃないか」
→ 2階層目 「そう考えると、日本の○○業界はこうなっていくんじゃないか」
→ 3階層目 「そんな中で、この会社は今後こういう役割を果たすんじゃないか」
→ 結論   「だから、この会社の株は買い(あるいは売り)なんじゃないか」

僕が言う「投資家の持っている仮説」というのは、例えばこういうことです。

ーーー

投資家が、IRミーティングの冒頭で、あるいは最後のWrap up的な話をしているときに
「自分はこういう仮説を持っている。今日は、それを検証するためにIRミーティングをお願いした」
みたいに言ってくれることも、ごくまれにだが、ある。その場合は、投資家のその発言をそのまま訳せばいい。

でも、多くの場合、投資家は自分の仮説をあまりハッキリとは言わない。

ーーー

なぜ投資家はその仮説をあまり明かさないのか。

もしかしたら、それこそが企業秘密なのかもしれない。

あるいはまた、(実はこれが結構多いのではないかと僕は思っているが)投資家自身が、自分は一体どういう仮説を持っているのか、をよく分かっていないこともあり、IRミーティングにおけるQ&Aのやり取りを通してその仮説を走りながら構築していきたい、と思っていることもある。

投資家がその仮説を自ら進んで明らかにしない場合(つまり、ほとんどの場合)、あるいは投資家がミーティング中に走りながら仮説を構築する、そういうパターンのミーティングの場合、その仮説を浮き彫りにし、あぶり出し、そしてそれを企業側に伝える/分からせるのがIR通訳者の大事な役割になる。そこがウデの見せ所だ。

ーーー

投資家の持っている「仮説」とは、例えばどういうことをいうのか。改めて、具体例をあげてみる。

投資家が今度、日本でスーパーを運営している小売業者A社と会うとしよう。

投資家の仮説は、例えば

「今、Amazonが世界的に伸びている。
欧米では、従来の大手小売業者(シアーズなど)が倒産・事業縮小の憂き目に遭っている。
日本でもアマゾン・ジャパンががんばっていて、小売業者が苦戦する、という傾向もあるだろう。
しかし、この小売業者A社は、意外と大丈夫なのではないか。
なぜなら、A社が運営するスーパーは、各地域に密着した、小規模な店舗が多く、ネットショッピングとあまり競合しないのではないか。つまり、eコマースに対する抵抗力が強いのではないか。
そして、日本の消費者は「商品を実際に手に取ってから買いたい」というニーズが強い、と聞いている。

今、世界的に小売業界がディスカウントされており、それにつられてか、A社の株価も下がっている。
が、これは実は売られすぎで、A社は過小評価されている(=割安)なのではないか」

といった仮説が考えられる。

ーーー

IRミーティングが始まる前の時点では、通訳者が持っている情報は「企業」についての情報だけである。

・この会社はどういう会社なのか。何をやっている会社で、どういうビジネスモデルで稼いでいるのか

そして、企業の方々と一緒に海外を旅する海外IRの場合であれば、

・今回同行しているマネジメントはどういう方々なのか
・今回の海外IRで、企業が伝えたいキーメッセージは何か

こういったことは、すべて「企業」側の情報である。投資家(およびその仮説)についての情報ではない。

だから、投資家の仮説については事前に調べることは(後述する、日本国内での投資家同行の案件以外では)ほぼ不可能であり、ミーティング中に徐々にあぶり出していくしかない。

ーーー

さて。
投資家がその頭の中に仮説を抱いており、それに基づいてIRミーティングを進めているとしよう。
その仮説を、通訳者は、一体どのようにして「あぶり出」せばいいのか。

なにも、通訳者が勝手に、企業の方に代わって、投資家に対し「さっきから質問聞いてると、あなた、こういう仮説を持ってるんですか?」みたいに質問してしまう、ということではない。
また、投資家がそんなこと発言していないのに、企業に対し勝手に「この投資家は、こういう仮説を持ってるんだと思いますよ」と、ミーティング中に発言してしまうことでもない。

そうではなく、仮説のあぶり出しはもっとちょっとした、実にさりげないことだ。

あまりにもさりげなく、かつ抽象的な話なので具体例を示すのが非常に難しいのだが、
通訳者は何をすべきかというと、まず第一に「この投資家は一体どういう仮説をもってミーティングに臨んでいるんだろう・・・」ということを考える、というのが第一歩だ。通訳作業をしながら、「今回の投資家の仮説は何か?」について自問自答し続ける、ということだ。

投資家が元々抱いていた仮説が、ミーティング中、Q&Aの結果変化・進化することだってある。
(こうじゃないか?)と思っていたのが、実はそうではなさそうだ、と分かった途端、(じゃあ、もしかしたらこうなんじゃないか?)という進化形の仮説が生まれることだってある。投資家はえてして七転び八起きであり、それを察知するのも通訳者の役割だ。

一方、投資家が「ミーティング中に仮説をじっくり構築していきたい」という、走りながら考える的な人の場合、その場合は文字通り、投資家と一緒になって走りながら考え、ミーティング中にリアルタイムで投資家の頭の中で構築されつつある仮説について、通訳者も一緒になって考える、ということが求められる。投資家の口から出てくる英語を日本語に訳すだけでは不十分なのだ。

ーーー

仮説をあぶり出す作業は、彫刻を彫る作業に似ている。

最初にあるのは、ただの岩だ。


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IRミーティングでのQ&Aを通し、その岩を少しずつ削っていき、作品(つまり、投資家の仮説)が少しずつ明らかになっていく。

その作業は、芸術的でもあるし、求道者的でもある。

ーーー

よく、「IR通訳をするのであれば、株を買った方がいい」といったことが言われる。

まあそうなのかもしれない。

本ブログ記事のテーマ(投資家の仮説を探る)は、要するに「投資家の身になって考える」ということだとも言える。
そう考えると、通訳者自らが株式投資をしてみることで、投資家とOn the same boatに身を置き、株というものにより興味が持て、仕事に身が入り、結果IR通訳パフォーマンスが向上するのであれば、おおいに株を売買したらいいと思う。

自分はそれをやっていない。
なぜやらないかというと、通訳における姿勢が乱れそうな気がするからだ、自分の場合は。

自分が株主である会社のIR通訳をしたら。。。
あるいは、自分が株主である会社のライバル企業のIR通訳をしたら。。。

訳を考える際、いろいろな雑念が頭をよぎりそうだ。
その会社を(実体以上に)よく見せるため、あるいは悪く見せるため、訳を盛ったり削ったり、ということはさすがにしないと思うが、でも、そうしたまざりっけが全く無いかというと、もはや分からなくなってしまう。
せっかく今純粋な気持ちでIR通訳というものに向き合うことが出来ていて、それが心地いいのに、そのリズム、空気が乱れてしまいそうなのがイヤなのだ。

株を買ってしまうと、その分「いいIR通訳」から遠ざかる気がするので、買っていない。

ーーー

話が多少それた。

ーーー

投資家の「仮説」というものに慣れるためには、投資家同行が役立つ。
外国人投資家と一緒に、日本国内(主に都内)を回る仕事だ。

移動中のタクシー、あるいは食事中、投資家にガンガン聞いたらいい。

私は証券会社のインハウス時代、そうしていたが、よくなかったのは、最初の頃、

"What do you want to talk about in the next meeting?"
とか
"What kind of questions will you ask in the next meeting?"
と聞いていたことだ。これはあまりよくない。

投資家の中には、次のミーティング用の質問リストを見せてくれる人もいて、僕は(ラッキー!)と、それをむさぼるように眺めていた。

しかし、我々通訳者が本当に知るべきは、「投資家が聞く質問」ではないのだ。
それは手がかりでしかない。そして、それはどうせミーティング中に明らかにされる。

我々通訳者が本当に興味を持つべき対象は、投資家の口から出る質問ではなく、投資家の心の中の「想い」だ。それが仮説なのだ。

だから、我々通訳者が投資家に聞くべき質問は、「次のミーティングでどんな質問するの?」ではなく、

"What brought you to Japan this time?"
であり、
"Why do you want to meet Company A?"
であり、
"What is the underlying idea, or hypothesis, behind this next meeting?"
であるべきなのだ。それに気付いたのは、IR通訳者になってだいぶ経ってからだった。

ーーー

さて。
がんばって投資家の仮説を察知したとして、通訳者は、今度はそれをどうやって企業の方々に「伝え」ればいいのか?
ミーティングを遮って「この投資家の仮説はこうだとおもいまーーす」とやるのでないのであれば、どうやって仮説を伝えるのか。

それは、訳をほんの少し微調整することで行う。

私は、話し手が言っていないことを勝手に付け加えたり、言ったことを勝手に落としたりする訳があまり好きではない。(これは好みの問題でもある。)
だから、訳を調整するとしたら、ほんのわずかな微調整だ。

ーーー

<春のIR通訳ワークショップ>
毎年、春にIR通訳ワークショップを行っている。

今年、もし開催するとしたら、例年通り一日かけて、それを前半と後半に分け、前半はIR通訳の基礎的な話、そして後半は、本ブログ記事のテーマである「投資家の仮説をあぶり出す」をテーマにしてみたいと思っている。
1.どうやって投資家の仮説をあぶり出すか。
そして、
2.どうやってそれを企業の方々にさりげなく伝えるか。

興味がある方がいれば、事務局までご連絡ください。

iris@iris-japan.jp
担当: 松山

ーーー

<まとめ>
IRミーティングは、そんなに超絶的に楽しいかというと、正直そうでもない。
まあ、言ってみれば仕事だし、そんなに毎日毎日がものすごく楽しいわけではない。

でも、そんな中、ゾクゾクするIRミーティングだってある。これだったらタダで、、、いや、お金を払ってでも続けたい、と思うミーティング。
そしてそれは、単なる偶然ではない。多分に通訳者が創り出しているのだ。

IR通訳者にとって、ゾクゾク・モーメントはいくつかある。

投資家の仮説の片鱗が見えた!と思った瞬間。
それをうまく(かつさりげなく)企業の方々に伝えられた、と感じる瞬間。
そして、自らがあぶり出した仮説を中心に、投資家、企業の方、通訳者の3者が一体となって、同じリズムに乗ってミーティングの終盤に向かうあの快感はハンパない。IRミーティングは、本当はとても楽しいのだ。それを楽しめていないとしたら、我々通訳者のせいなのかもしれない。そして、IR通訳を楽しむべく、今日からでも出来ることはいくらでもある。

ーーー

IR通訳者の役割は、IRミーティングのなるべく早いタイミングで投資家の仮説をあぶり出し、それを企業に伝えること。
ミーティング中、投資家の立場に立ち、その仮説の変化・進化を察知し、それを企業に伝えること。
ときには投資家自身ですら気付いていない、その「仮説」が、通訳者を仲介して日本企業の方々と共有され、一つでも多くの「ゾクゾク・モーメント」を創り出す。日本のIRをより楽しく、充実したものにする。

これこそ、我々IR通訳者が担う真の役割ではないかと思う。

# by dantanno | 2019-02-18 17:33 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

朝は、ネガティブなニュース禁止(笑)

今、新幹線で移動中。

朝の新鮮な空気の中新幹線に乗り込み、本を読んだり、あれこれ考え事をしたり。とてもいい時間です。



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そんな中、ニュースのテロップが。



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(せっかく僕のブログを読みに来てくれたのに、ネガティブな気持ちにさせてしまいごめんなさい。)





このテロップ、東京から大阪までのあいだ、なんと5回も流れました(笑)!




これ、どういう意志決定の仕組みを通して決まっているのか分からないんだけど、
「朝の新幹線で、このニュース・テロップを5回流そう」
と決めた人に聞いてみたい。

「その必要ある??」って。
「なんのために? 誰のために流してるの?」
って。





これは、普段TVで朝のワイドショーを観ていても思うことです。朝の大事な時間にそんなもの観ないけど、仮に観たとしたらそう思うだろうな、という意味です。



「昨日、70代の女性一人が亡くなった栃木県○○市の住宅火災について。栃木県警は「放火の疑いもある」と見て捜査を進めています。」


いや、だから、、、

なんのために??

誰に何を伝えたくてこれを報じてるの?




朝。
これから出社・登校して、今日も一日がんばろう!と思っている人に対し、このネガティブ・ニュースを伝える意味は?



ちなみに、僕がここで「ネガティブ・ニュース」と言っているのは、例えば難民の問題とか、地球温暖化を食い止めましょうとか、そういうことを指して言っているのではない。そういうニュースも「ネガティブ」に分類出来るかもしれないけど、でも「いいネガティブさ」ですよね。有害な、どうにもしようがないネガティブさではないですよね。この社会に生きる者として、知っておいた方がいいことです。

僕がここで「ネガティブ・ニュース」と呼んでいるのは、栃木県の放火殺人事件しかり、あおり運転による殺人しかり、芸能人が不倫したとかしないとかしかり。そういった(文字通り)ワイドショー的な、野次馬根性的なニュースのことを指します。



亡くなった方はかわいそうだし、放火は許されない重大犯罪だし、あおり運転は論外です。こういう事象などどうでもいいと言いたいのではありません。大事です。でも、それをこういう形でみんなに繰り返し放映する意味は?誰のためにやっているのか。私はこのネガティブ・ニュースを観て、今からどうすればいいのか。




イヤな気持ちになって、チャンネルを変えてみたら、他局も全く同じニュース(笑)。

めげずに再度チャンネルを変えてみると、なんと、どこから見つけてきたのか、もっとネガティブなニュースを放映している始末(笑)。



「ネガティブなニュースを観ると気が滅入るから、報道するな」とは言いません。
でも、例えば午前中とか、それが無理なら少なくとも朝の、これから新たな一日が始まる、という一番大事な時間(以下「ポジティブ時間」と命名)に、こういうネガティブ・ニュースを流すのはやめてもらえないでしょうか。それを流すメリットとデメリットを天秤にかければ、そうした方がいいことはすぐにでも分かるでしょう。




思うに、テレビ局側は、ちゃんとメリットとデメリットを天秤にかけた上で、「メリットがデメリットを上回る」と判断し、ネガティブなニュースを放映しているのでしょう、きっと。

つまり、、、要するに、、、ネガティブなニュースの方が、我々視聴者側の食いつきがいいんでしょう。

ってことは、、、
このブログ記事の趣旨と真っ向から矛盾しますけど、結局我々視聴者がネガティブなニュースを求めている。だからテレビ局はそれを報道する、という流れがあるんでしょうね。誰のために? → 視聴者のために放映してくださっているのでしょう。

僕が訴えかけるべき相手は、発信する側(テレビ局)ではなく、それを受信する側、つまり我々視聴者に対して、なんでしょう。




視聴者のみなさん。

こういうネガティブなニュースが放映されたら、
「それを受けて、今からすぐに現地入りしてボランティア活動をする」
とか、そういう特殊なケースを除き、チャンネルを変えませんか?

チャンネルを変えたところで、どうせ他局もネガティブなニュースを放映しているから、いっそのこと、朝の「ポジティブ時間」中はTVを消しましょう、テレビ局側が報道姿勢を改めるまでは。

ネガティブ・ニュースは、あなたの一日に悪影響を及ぼすし、子供の教育上もよくない。子供に関して言うと、例えば受動喫煙はもちろんよくないけど、「朝のポジティブ時間に観させられるネガティブ・ニュース」はある意味それ以上の精神的な害悪だと思う。




朝、こんなニュースで身も心も満たされた人が、その日一日、いい仕事をするとは思えない。その人の本来のポテンシャルをフルに発揮出来るわけがない。
そして、「ストレスが・・・」とか言っている。そりゃそうだ。朝っぱらから栃木県の放火殺人事件のニュースで満たされるような生活を自ら進んで送っていたら、ストレスがたまるに決まってる(笑)。




朝は、ネガティブ・ニュースではなく、ポジティブな情報や、大好きな本や、モーツァルト(?。じゃなくてもいいけど)の音楽とか、そういうポジティブなもので頭を満たしませんか、明日からは?



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# by dantanno | 2019-01-26 09:23 | 提言・発明 | Comments(0)

「危険」を作らないでください

韓国海軍の艦艇が、海上自衛隊のP1哨戒機に火器管制用のレーダーを照射した、とされるインシデント。

「極めて危険」韓国軍レーダー照射を岩屋防衛相が批判


確か、何年か前にもこういった出来事がありましたね。



こういった出来事が起きる度に思うこと。
うまく言えないんですけど、なんと言いますか、、、

「危険」を作らないでください

という感じ。

韓国国防省: 「韓国軍は正常な作戦活動中であった」
だそうです。

日本の防衛省: 「海自第4航空団所属のP1哨戒機は警戒監視活動に当たっていた」
だそうです。



いや、だから、、、、、

お互い、余計なことをしないでくれればそれでいいのに、という感じ。


防衛大臣が「極めて危険」と言うのは、きっとその通りだと思うんです。
実際に韓国軍が海上自衛隊機にレーダーを照射していたとして、それを受けて海上自衛隊機が反撃(?)をしていたら、有事につながりかねない、というか、有事につながるわけですから。
さっきまではいたって「平時」だったのに。



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やや極端かもしれませんが、
韓国軍も、海上自衛隊も、「作戦」とか「警戒」とか「任務」とかをせずに、家でゴロゴロしていてくれたら、こんな危険なインシデントは起きなかっただろうと思うんです。



でも、軍には自ら「危険」や「有事」を創り出したい、という本能のようなものがあるんだろう、と思います。それが無いと、自らの付加価値を感じにくいですからね。
だから、いたって平和なのに何らかの「任務」を行い、その過程で、同じく「任務」を行っていた他の国の軍と何らかの衝突をし、それで大騒ぎしたい、という気持ちがあるんだろうと思います。

何かあるとすぐに「スクランブルだ!」と言って戦闘機を発進させていますが、あれなんかも(危ないなあ・・・)と思っています。当人は血が騒ぐんでしょうが、それが有事につながれば、迷惑するのは国民です。



一方で、例えば自衛隊は、災害の際に救助の任務にあたることがあり、それはとても大きな付加価値だと思います。
それこそ、僕なんかが家でゴロゴロしているとき、自衛隊の方々は被災地で必死に救助にあたっている。「それが仕事だから」と言えば確かにそうなのかもしれませんが、でもやっぱり頭が下がります。

そういったことはどんどんやってほしいんですが、何も危険が無かったところに危険を作りに行く作業はぜひやめてほしいです。



もし今回の件が実際に「有事」につながっていたら。
そして、結果的に「戦争」につながっていたら。
日本と韓国、両方で人がたくさん死んで、国が焼け野原になりますよね。

その焼け野原で、ポツンと残った人たちが、

「あれ? あんなに平和だったはずなのに。それが、なんでこんなことになったんだっけ?」

と考えたとき、

「ああ、そうか。 海上自衛隊のP1哨戒機が任務を行っていて、それに対して韓国海軍の艦艇(同じく任務中)が、火器管制用のレーダーを照射した、とされるインシデントがあったからか」

となるわけですが、なんとアホらしい理由ではないでしょうか。
あんなに平和だったのに。

そして、そのときに「余計な「危険」を作らないでください」と思うだろう、と思うんです。
有事→戦争のあとにそう思うのもいいけど、出来たら平時の内からそう考えておいた方がいい、と思いました。



軍には、出来れば余計なことをせず、余計な「危険」を自ら生み出さず、「国民の安全を守る」という観点から付加価値を発揮出来る分野以外ではなるべくおとなしくしていてほしいと思います。通訳同様、自らがある意味「必要悪」であり、求められた機能以外は発揮すべきでない、という事実をわきまえるのが「いい軍」だと思います。

# by dantanno | 2018-12-23 09:23 | 提言・発明 | Comments(0)

四分の一インチのドリル

『四分の一インチのドリルが売れたのは、人々が四分の一インチドリルを欲したからではなく、四分の一インチの穴を欲したからである』 (レオ・マックギブナ)

経営の本に書いてあったことばだが、まんま通訳にもあてはまる。
クライアント/会議参加者が求めているのは、実は『通訳』ではない。

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通訳の現場において、客がどんな『穴』を求めているのかは、場によって異なる。
IPOのIRであれば、マクロで考えると『会社を上場させること』が穴に相当するし、ミクロで考えると『そのミーティングを有意義なものにする』が穴かもしれない。


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いずれにせよ、常に意識しておきたいのは、客が求めているのは穴であって、それに対し我々通訳者はドリルであるということ。
そして、穴ではないことを謙虚に見つめつつ、ドリルであることを誇りに思い、ますますいいドリルになりたい!とaspireすること。これが通訳者にとって大事なんだろう。

# by dantanno | 2018-12-19 10:51 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

「訳」と「役」

俳優・役者が書いた本を、とてもおもしろく感じる。

今までに読んで、おもしろかった「俳優・役者本」は以下の通り:



1.山崎努さんの「俳優のノート」。

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ものごとを決めつけるのはよくない。
でも、この本、ほとんどの通訳者がおもしろく感じるはず! そう決めつけたくなる名本。



2.西村雅彦さんの「俳優入門」

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多分、本書の一番の想定読者は「俳優を志す人」なんだろうと思うけど、我々通訳者にも役立つ内容。
発声法とか、声出しのトレーニング法といった具体的な話も参考になるし、役者としての考え方・哲学もおもしろい。



3.Michael Caineの"Blowing the Bloody Doors Off"

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今読んでいる(Audibleで聴いている)のはこれ。
あ、どっかで観たことある!なこの人(笑)。
非常におもしろい。



ーーー



なんで、俳優や役者の方が書いた本をおもしろく感じるのか。

それは、通訳と演技、InterpretingとActingで、似ている部分が多々あるからではないかと思う。

今、サンプルが一人(僕)しか無いので確かなことは言えないが、僕の推測では、恐らく通訳者は(通訳者ではない人たちとくらべ)俳優・役者本をおもしろく感じる確率が高いのではないか、と思う。
そして、これまた推測だが、恐らく「翻訳者」よりも「通訳者」の方が、俳優・役者本をおもしろく感じるのではないか。



通訳には、以下のような特徴がある:

「練習(通訳トレ、あるいは予習)」 VS 「本番」のコントラスト。
本番の、あのライブ感。
話し手になりかわっての「演技」。
話(≓台本)を自分なりに解釈(Interpret)した上での、その再表現。
会場と一体になり、その「場」のうねりにうまく乗れたときの心地よさ。
終わった後の達成感。会場から喜ばれたときのうれしさ。



「訳」と「役」には共通点が多く、通訳者と役者は、お互いの考え方や哲学にシンパシー/エンパシーを感じられるのではないかと思います。

通訳者のみなさん、俳優・役者本、おすすめです(笑)!


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# by dantanno | 2018-12-07 11:46 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

子どもとむきあう

ムスコと二人で旅行に来ました。
新潟に。

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普段、出張に行ってる間は、子どもと「むきあう」ことができていない。
日本にいる間は、子どもたちとすごす時間が比較的長い方だ。でも、2人の子どもと同時にすごしていると、結局どっちの子どもともちゃんとむきあえていないのかも、と、今回ムスコと二人だけで旅行に来て思った。

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ちゃんとむきあってみると、なかなかどうして、この人はステキな人だなあ、と感じた。

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いろいろと教えてやる、というのではなく、いかにジャマをせず、すくすく育つよう手助けするか、が大事だなあ、と思いました。

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# by dantanno | 2018-12-03 11:01 | 子育て | Comments(0)

会議参加者にとっての「体感通訳力」を上げる

昔、山登りにハマっていた時期がある。

もちろん、山に登ったりなんてしない。
登山系の本や雑誌を眺め、ビクトリアみたいな店に行って各種登山グッズ・キャンプグッズを物色し、タフな山男な自分を想像して悦に入るのである。いい趣味だったと今でも思っているし、将来また時期を見て再開してもいいな、と思っている。

その頃学んだ概念として、「体感温度/体感気温」というのがある。
山頂での実際の気温がマイナス10度だとして、そこに強風が吹いていたり日陰だったりすると、それよりも寒く、例えばマイナス15度とか20度に感じるものだ、みたいな意味だったと記憶している。


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で、これって通訳にもそのままあてはまるなあ、と思うのだ。

ーーー

通訳力は定量化・数値化出来ないが、仮にそれが出来たとしよう。
で、ある通訳者の通訳力が80点だとする。

実際の実力は80点なわけだが、その通訳者のやりようによっては、会議参加者に(あの通訳者の力は85点だ。いや、90点だ!)と思わせることも出来るし、あるいは逆に(あの通訳者は70点だ。。。)と思わせることも出来る。実際の通訳力はあくまでも80点なのに!

以下、「実際の通訳力」と、会議参加者が感じる「体感通訳力」という、2つの通訳力があるという前提の元、論を進める。



<どっちの「通訳力」がより重要か>
実際の通訳力は80点なわけだから、ある意味そっちの方が大事な気もする。
でも、肝心の「会議参加者」がどう感じるか、もすごく大事だ。そして、会議参加者による評価が「次の案件につながるかどうか」とか、「今後の自分の通訳料金や条件」を左右することを考えると、そっち(会議参加者の体感通訳力)の方が大事だ、とも言える。

「私は通訳が上手なんです!」と会議室の中心で叫んでみたところで、会議参加者がそれを「体感」出来なければ意味が無いのだ。



<なぜ「実際の通訳力」と「会議参加者の体感通訳力」とでズレが生じるのか>

バイアスだ。

会議参加者は人間である。
そして、人間はバイアスの生き物だ。
このバイアスを上手に使いこなせば、実際の通訳力が80点なのに会議参会者には「90点だ!」と感じてもらうことが出来る(かもしれない)。



1.人柄バイアス

例えば、その通訳者がすごく愛想がよく、会議中もいろんなことに気付いて行動してくれ、案件終了後の対応も気持ちよく、実に好感が持てたとしよう。
その通訳案件が終了した後、会議参加者が「今日の通訳、いかがでしたか?」とフィードバックを求められた場合、「よかったですよ」となる可能性が高い。

さて、興味深いのはここからだ。

このとき、会議参加者の頭の中では「通訳者の通訳力」と「通訳者の人柄」がゴッチャになっている。そして、両者は連動しており、後者が前者を引き上げるものなのだ。つまり、会議参加者が「よかった」と思ったのは、実は通訳者の人柄だけで、通訳力ではなかったのかもしれないが、人柄がよかったおかげで、その会議参加者が体感した通訳力も(無意識のうちに)ほんの少し「よかった」サイドに引っ張られるものなのだ。

そして、いつのまにか「(人柄が)よかったですよ」「(通訳が)上手でしたよにすり替わるのだ。



2.向上心バイアス

人は、過去や現在のことを考えるのと同時に、未来のことも(無意識のうちに)考えている。

今、ある通訳者(Aさん)が目の前にいるとしよう。
Aさんがミーティングを通訳してくれて、ミーティングが無事終わった。その一連の過程で、Aさんに「向上心」が見られたかどうか。
見られなかった場合、「実際の通訳力」=「体感通訳力」となる。両者の間にズレは生じない。

でも、会議参加者がAさんに強い向上心を見出したらどうなるか。

会議終了後、「今日の通訳、いかがでしたか?」と聞かれた際、会議参加者は、無意識のうちに、Aさんの現在(80点)だけでなく今後の実力アップも勝手に織り込んでしまい、「85点でしたよ」となることがあるのだ。今の話をしているのに。



3.「通訳力評価は山頂ではなく谷底に引っ張られる」バイアス

上記2つはややマイナーというか、まあどうでもいい項目。でも、この3.は結構本質的だと思う。

ある会議において、合計100フレーズ(100の発言)が行われ、それを通訳者が逐次通訳したとしよう。
通訳者は計100回、通訳パフォーマンスを披露したことになる。

さて、その100回の通訳パフォーマンスのうち、90回はほぼ完璧な、立て板に水のような、実にすばらしい通訳だったとしよう。
でも、何らかの理由により、残りの10回については、クオリティの低い訳(つまりヘタな訳)だったとしよう。

会議参加者の体感通訳力は、
上手だった90回ではなく、
上手だった90回とヘタだった10回の平均値でもなく、
ヘタだった10回によって定まってしまうものなのだ!

だから、浮きを90個つけて浮かび上がろうともがいても、評価は10個のオモリによって水中に押し下げられてしまうもの。
理不尽な話だが、ヒトはバイアスの生き物なんだからしょうがない。

だから、通訳者は必ず、毎回、絶対に80点以上の、つまり合格点の通訳パフォーマンスをする必要がある。
税理士だったか中小企業診断士だったか忘れたが、「どの科目もまんべんなく80点以上を取らないと合格できない」みたいな資格があった気がするが、あれと一緒なのだ。

100点 100点 60点 100点 100点

ではダメなのだ。

90点 95点 80点 90点 90点

を目指すべきなのだ。
頂を極めることではなく、谷を無くすことが重要だ。



ミーティング中の「通訳力の平準化」は、会議参加者にとってのノイズ逓減にも役立つ。
1回のミーティングの間に、通訳力が100点と60点をジェットコースターのように乱高下することは、会議参加者にとって大きなノイズになる。
となりんちのお姉さんのピアノの練習で、途中までうまく弾いてきたのにある音を大きく外したときに我々が感じるあのズッコケ感を想起していただければ、会議参加者の落胆が分かるであろう。

ーーー

以上、会議参加者の「体感通訳力」というテーマについて考察してきた。

これは、芸能人の「好感度」とも似た考え方だ。
芸能人にとって「好感度」は非常に重要な指標だ。それによって今後のCMやドラマのオファー数が左右される。

その好感度だが、それが高いからといって、必ずしもその芸能人がすばらしい人格者、超善人とは限らない。
「好感度」というのは、あくまでも世間がその芸能人をどう見ているか、を表す数字で、その芸能人が実際にどういう人なのか、とイコールではない(強い相関はあるだろうが)。

我々通訳者も、好感度を上げる取り組みをするといい。
会議本番中はもちろん、その前後のチャンスも活かし、会議参加者にとっての「体感通訳力」を高め、次の案件、そしてさらなる高みを目指していきたいものだ。山登りは疲れるし危険なのでようしませんが、通訳の山はいくらでも登り放題。疲れないし、危険はゼロだし、山頂の気温は氷点下どころか、かなり暖かい、すばらしい場所なのではないかと楽しみにしています。

# by dantanno | 2018-10-26 10:46 | プレミアム通訳者への道 | Comments(1)

この秋、欧州のIRミーティングでESGの話題があまり出なかったことに関する考察

9月の一ヶ月間、欧州とロンドンで機関投資家たちを周って過ごした。



その前の、夏のIRシーズン(5-7月)。
オランダの年金系の投資家、スイスの投資家、そして一部のロンドンの投資家を周っていて、ESG関連の話題がかなり出ていた。
(それを受け、IRISでも8月下旬に、通訳者有志向けにESG、SDG、PRIなどの説明会を行ったばかり。)

今回、夏と同じ顔ぶれの投資家たちを訪問することになっていたので、今回も当然ESG関連の話題が盛りだくさんになるだろうと予想していたら、意外と出なかった。意外とというか、ESGの話題がほとんど出なかった。

「投資家たち、もう飽きたんですかね(笑)?」と、証券会社のバンカーや発行体の方々と冗談交じりに話したほど。



<投資家の興味は移ろいやすい>
実際、海外投資家の興味は移ろいやすい。

例えばアベノミクス。
一時期、アベノミクスが盛り上がっていた頃、日本国内のIRでは、マクロ系のIR取材が急増した。内閣府、日銀、財務省、政治家などを訪問する機会が激増した通訳者も多いと思う。盛り上がりが急激だったのと同様、盛り下がりも早かった。

あとは、例えばホテル。
不動産系の会社(デベロッパーやリート)と海外を周ることが多いが、一時期、ホテルの話題が急増。
「御社はホテルはやらないのか、作らないのか、なぜやらないのか?他社はやっている。」がメインテーマだった。でも、すぐに
「ホテルの客室は多すぎやしないか。御社はホテルやってませんよね、大丈夫ですよね?ああよかった」となった。結構テキトーなのだ。

今は、ホテルについては、投資家の興味は落ち着いていて、いい感じで賛否両論がバランスしているように思う。


ーーー


さて、ESG。
この秋、一体何が起きたのか? 投資家は、はやくも関心を失ってしまったのだろうか。

そんなことはないと思う。
実際、いくつかの投資家オフィスでは「Responsible investment」みたいなパンフレットやポスターがあちこちに貼られていて、それはあながちポーズでやっているだけとは思えなかった。

では、なぜIRミーティングでESGが話題に出なくなったのか?
(注:ここでは、僕のここ1ヶ月のIR経験という、ごくごくミクロなサンプル数を元に話をしている。実際にはIRミーティングでESGの話題が依然として出まくっているのかもしれない。分からない。ここでは、「もし仮に最近IRミーティングでESGネタが出なくなっている」のであれば、その原因として何が考えられるか、について考察する。)



僕は、理由は2つあると思う。

「ESG関連の投資判断は、定量的・客観的に行われている」という点と、
「ESGに関する(日本企業への)周知期間が終わった」という、
その2つが原因なのではないか、と思う。



1.「ESG関連の投資判断は、定量的・客観的に行われている」

オランダの年金系の投資家とか、スイスの投資家とか、一部ロンドンの投資家などは、投資する際にESGの観点を重視している。
で、ある企業がESGにしっかりと取り組んでいるか、をどう判断するかというと、Sustainalytics(スペル合ってるかな?)社のレーティングとか、MSCIなんとかインデックス(合ってる?)とか、そうした定量評価を用いてスクリーニングしている。

IRミーティングでその企業に直接「ESG面でどのような取り組みを行っているか?」と聞くこともあるが、ポイントは、それによって実際の投資判断はあまり影響を受けないのではないか、ということだ。
例外は、ESGファンドみたいに、モロにESGをテーマに投資をしているファンド。また、投資家サイドでESG専門の担当者を置いているケースもある。そういう系のミーティングでは、当然ESGの話が多く出るし、企業への取材が重要な投資判断材料になっている。)

例えば、ある日本企業のESG関連の取り組みについて、投資家が尋ねたとする。それに対し、その企業がいかにESGでがんばっているか、をしっかりと説明したとする。でも、「じゃあ買おう」とはならないのではないか、と思う。

ESGについては、もはや「ESGをがんばっていれば買う」ではなく、「ESGをがんばっていなければ買わない」なのだ。足きり条件なのだ。



2.「ESGに関する(日本企業への)周知期間が終わった」

じゃあ、少し前は日本企業のIRミーティングでESGの話題が出まくっていたのはなんだったのか。
思うに、あれは「周知期間」だったのではないか。
「我々外国人投資家はESGを重視していますよ、ESGってこういうことですよ、ESGがんばってくれないとファンドに組み入れられなくなりますよ、だからがんばってくださいね」
の期間だったのではないか、と思う。

日本企業がESGの重要性をよく理解した今、そうした周知活動の必要は無くなった。
そして、1.に書いた通り、IRミーティングでESGについて取材したところで、実際にESGを投資判断に織り込む際のプロセスはレーティングを元にかなり機械的に行われてしまっているから、仮にその企業がIRミーティングでESG系の取り組みをアピールしても、それは実際の買いにつながらない。

だから投資家は、ESGについてあれこれ言わなくなったのではないか。

アイロニカルなことに、最近では企業の方が逆に海外投資家に対し「ESGについてはどの程度重視されていますか?」みたいに質問するパターンが増えており、それに対し投資家が「非常に重視している、このベンチマーク/レーティングを見ている、だからがんばってください」みたいに返す例が増えている。



今後どうなるのか
思うに、「ESGに熱心に取り組む」というのはもはやGivenな条件であり、それは別にアピールポイントにならない。投資家ももう聞いてこない。
ESGにおいて非常に大事なのは、「ESGをがんばる」ことではなく、「そのがんばりをしっかりとSustainalyticsとかMSCIといった客観的指標に反映させること」だ。

そして、もう一つESGにおいてなにげに大事なのは、GRESBといったESG系の認証にあまり振り回されないことだと思う。ああいう指標はああいう指標で、ちょっとよく分からないところがある。

ESGにおいてやるべきことはしっかりやった上で、投資家がどのレーティングを見ているのかを冷静に見極め、最も効率的に、最低限の努力とアピール(と出費)でその肝心のレーティングを上げていくか、に注力するのがいいと思う。

以上、最近のIRにおけるチョイネタでした。

(完)


# by dantanno | 2018-10-03 22:46 | IR通訳 | Comments(0)

「人様に本を贈る」という行為について

今まで何度か、人様に本を贈る、ということをしてきました。
両手で数えられる程度の回数なので、あまり多くありませんが。


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今まで、いろんな人に贈った本の画像をご覧頂きながら、本文をお読みください。


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<なぜ人様に本を贈ろう、と思うのか>

その本を読んでいて、その人のことを思うから。

(この本を読んだら、その人のためになるだろう)とか、(この本の著者は、その人が言っていることと似たことを言っている)とか、(その人にこの考え方を押しつけたい)みたいな、上から目線なよくない気持ちもゼロではないのかもしれませんが、一番の動機は、単に、その本を読んでいて、その人のことを思ったから、だから贈りたくなる。


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<大事な人にしか、本を贈りたいとは思わない>
セクションタイトルの通り。付け加えること無し。



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<人様に本を贈ることのリスク>
誰かに何かをプレゼントする、というのはなかなか難しいことです。
あまり良く知らない相手であれば、(あの人はどういうものを喜ぶだろうか・・・)が分からない。
一方、奥さんとか、すごく近い人であっても、近いが故に(?)、(何をあげれば喜ぶかな・・・)がなかなか分からなかったりする。
つい、商品券とか旅行券、なんなら現金(?)、いや、ギフトカタログがいいか、、、的なものをあげたくなる。



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ましてや本です。
ワインとかバスソルト(?)ならまだ無難なのかもしれませんが、本って、いろんな意味で結構「重い」じゃないですか。

その本を受け取った相手が、(ハ?何これ?)と思うリスクが常に頭をよぎります。
(ハ?何これ?)で済めばまだいいですが、例えば(なんか押しつけがましい気がする!)とか、不快になられたら本末転倒逆効果。

でも贈りたい(笑)。
失敗するリスクはあるけど、喜んでもらえる可能性もある。だったら、その可能性に賭けてみてもいいんじゃないか、と思うんです。



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<今は便利な世の中>
相手の住所さえ教えてもらえば、Amazonで注文し、手軽に本を送れて、、、いや、贈れてしまう。



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<やっぱ紙の本>
僕はどっちかというと紙派ですが、電子書籍もたまに買います。
でも、人様に贈るとなると、やっぱり紙の本ですかね。
電子書籍をダウンロード出来るリンクを贈られても、それは文字通り「送られた」感が強く、深みが無い。



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<押しつけがましい>
基本的に押しつけがましいんです。
お節介なんです。
(通訳エージェントを何年も飽きずに続けているのも、結局お節介だからだと思う。)



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子供の頃から、ニガテだったことばは「大きなお世話」と「人それぞれ」。
いや、「人それぞれ」については、それが絶対的な真実だと重々認めた上で、でもついついあれこれ言いたくなる。もはや病気ですね。。




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<これからも懲りずに>
例え空振りしようと、顰蹙を買おうと、余計なお世話だと言われようが、
これは自分が好きで勝手にやってることで、もはや治らない(笑)ので、これからも懲りずに、本を読んでいて誰かのことを思ったら、その人に本を贈り続けるつもりです。

もしあなたの手元に届いたら、、、ハズレだったらごめんなさい。
でも、アタリだったらとてもうれしいです。

(完)

# by dantanno | 2018-10-01 00:25 | プライベート | Comments(0)

通訳のトレーニングについて、思うことすべて

今日は、通訳トレーニングというものについて、自分が思っていることをすべて書いてみます。



<この記事を書く背景>

今まで、いろいろな通訳者と、通訳トレーニング(以下「通訳トレ」)について話し合ってきた。


やるかやらないか。

何をやるか。

どれぐらいやるか。

効果をどう計測するか、などなど。


みな、実にさまざまな意見を持っています。


また、IRでご一緒する企業や証券会社の方々、そして外国人投資家から、我々通訳者が日頃どんなトレーニングをしているのか、聞かれることも多い。みな、我々が行っているクオリティコントロールに関心があるんですね。それはそうだ。


そして、私が教えている大学院の講義、主宰しているプロ通訳者向けワークショップ、あるいはたまーに行う(通訳イベントでの)講演後のQ&Aセッションなど、実にさまざまな場で、通訳トレについて意見を求められてきた。「何をトレーニングすればいいのか」とか、「どうすれば効率的にレベルアップ出来るか」といった質問も多い。


一方、別に意見など求められていないにもかかわらず、私から勝手に通訳トレに関する自説を開陳し、顰蹙を買ったり買わなかったりもしています。




通訳トレについて、いろいろな場で断片的に意見を述べてきましたが、この辺で、自分が思っていることをどこか一箇所に全てまとめて書いておくことも有意義であろう、と思い、この度筆を取りました。




<この記事の想定読者。誰のために書いているか>

誰のために、と問われればまあ自分のため、ということになるのでしょうが、でも、通訳力を上げたいと本気で思っている、そんなやる気のある通訳者(特に駆け出しの通訳者)の参考になればとてもうれしいです。




ーーー



<通訳トレとは何か。通訳トレをどう定義するか>

通訳トレを、「通訳力を高めるための取り組み」と、まずは仮に定義する。




<「通訳力」とは何か>

では、「通訳力」とは何を指すのか。これはなかなか深い問題である。

それを考えるために、通訳をする際のプロセスを思い返してみる。


通訳する際、通訳者が経ているプロセスは:


①インプット:    話し手の話を聴き、それを理解・解釈すること

②プロセッシング: (①で聴いたその発言内容を)編集・整理・加工すること、そして

③アウトプット:  (②で処理した内容を)口に出し、聴き手に伝えること


大きくこの3段階に分けられる。

実際に「訳す」作業、つまり日本語を英語にしたり、英語を日本語にしたり、という狭義の通訳作業は、上記②と③にまたがる、と言えるかもしれない。




そして、通訳力は:


①インプット系の力:  話をちゃんと聴き取り、それを理解・解釈する力

②プロセッシング系の力: 話の内容を整理・編集する力。言語を変換する力

③アウトプット系の力:  聴き手にとって分かりやすいよう、ちゃんと出す力


に分けられる。

「話を理解・解釈する力」は、インプット系の力とプロセッシング系の力の狭間に位置すると言えるかもしれない。




こうしたインプット系、プロセッシング系、そしてアウトプット系、いずれかの力を高めるために行う取り組み、それをこのブログ記事では「通訳トレ」と呼ぶことにする。





<通訳トレに含まれないもの>

一つ上のセクションで、通訳力がインプット系、プロセッシング系、アウトプット系の力に分けられる、と書いた。では、それだけなのだろうか。他に通訳力と言えるものはないのだろうか。


例えば「通訳経験」はどうか。通訳経験が豊富であればあるほど、各種シチュエーションでうまいこと立ち回れるようになるだろう。それは立派な「通訳力」だ。

また、「知識」も間違い無く含まれるだろう。ある分野の会議の通訳をする際、その分野に精通していれば、その分「いい通訳」が出来る。そういう意味では、知識を豊富に有していることも間違い無く「通訳力」と言えるだろう。

もっと広い概念で行くと、「人間力」も通訳力の大事な一部分だ。人間的な魅力。会議参加者を安心させるおだやかさ。話し手が言いたいことを推し量る思いやり。その場のキーマンが誰かを見定め、うまく立ち回る力、などなど。こういうのも立派に「通訳力」だ。

つまり、通訳力というのは全人格的な能力なのだ。


ーーー


通訳経験を積むためには、数多くの通訳現場を体験する必要がある。

知識力を高めるためには、次の通訳案件に向けた予習を熱心にやったり、日頃からいろいろなテーマについて勉強しておくことが求められる。

そして、人間力を高めるためには、いろいろと人生経験を積むのがいいかもしれない。映画を観たり本を読んだり、また、友達と飲みに行くのもいいだろう。失恋も人間力アップにつながるだろう。


しかし、このブログ記事では、こうした取り組みについては「通訳トレ」に含めない。


・通訳案件の本番

・案件に向けた予習、および背景知識習得のためのお勉強

・人間力を高めるためのいろいろな取り組み


こうしたものは「通訳トレ」と呼ばないことにする。



それぞれ理由がある。


・通訳案件の本番  通訳案件の本番を経験することは、基本的・普遍的な通訳力のアップにあまり効果が無いと思っている。駆け出しの通訳者ならともかく、通訳をもう3年もやっている人が新たに通訳案件を経験したからといって、そこから得られる「基本的な通訳力の向上」は非常に限定的だと思う(後述するように、応用力は身につくと思う)。

これは大きなテーマなので、この後セクションを分けて、詳しく考えてみたい。


・案件に向けた予習、そして背景知識習得のためのお勉強  これらは要するに「お勉強」と総称できる。通訳者は、真面目な人が多いんだろう、こうしたお勉強が大好きだ。

お勉強は、特定の通訳案件、および特定のテーマの通訳の際はもちろん役立つだろう。しかし、どの分野の、どの通訳案件においても役立つ普遍的な通訳力とは言えない。


例えば来週、原子力関係の会議の通訳をすることになっているとしよう。その日使われる予定の資料を入手し、それを読み込んで予習をしたり、そもそも原子力についてよく分かっていないから紀伊國屋に行って「原子力の基礎」という本を買ってきてお勉強したり、といった作業は、本番当日の通訳パフォーマンス向上に役立つであろう。でも、その通訳案件の翌日に予定されているエンターテインメント系の会議の通訳には(直接的には)役立たない。


・人間力を高めるためのいろいろな取り組み  これはこれで非常に大事だが、「通訳トレ」と呼ぶにはあまりにも時間がかかりすぎる。私がイメージしている通訳トレというのは、1年、、、いや、3ヶ月で効果が出るような取り組みなのである。




<確認: 「通訳トレ」の定義>

ということで、このブログ記事において「通訳トレ」は:

どの分野の、どんな通訳案件で通訳をする際も活用出来る、そんな基本的・普遍的な通訳力を、比較的短期間で向上させるための取り組み

これを「通訳トレ」と定義する。



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<なぜ通訳トレが大事だと思うのか>


通訳という仕事をより楽しむために大事だと思うんです。


ーーー


先日、ハワイで体験サーフィンのレッスンを受けたんですよ。結論から言うと、自分にはバランス感覚が全く無いことが確認出来たのと、ボードに飛び乗ったときにグキッと脇腹を痛め、日本に帰国した後もまだ痛いから病院に行ったら「あばら2本折れてるよ。あんたよくこれでレッスン続けたね(笑)」とあきれられたことが主な収穫でした。


それはさておき、サーフィンを体験して文字通り「痛感」したのが、沖に出る際のパドリングの大変さ。あの、ボードの上に寝そべりながら、手でバシャバシャ水をかいて前に進むアレです。初めて沖に出るときはいいんだけど、その後波に乗って浜の近くまで打ち寄せられて、それで再度沖に向かうじゃないですか。その度にまたパドリングが必要になるわけですが、それを何度も何度も繰り返す内に、だんだんウデの感覚が無くなっていく、、それほど疲れました。もう、波に乗れるとか乗れないとか以前の話。ウデが疲れたのでもう上がらせてください、とマジで先生に言おうかと思ったぐらい。



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ちょっと強引な例えですが、パドリングをする力というのは、通訳における「基本的な力」に相当するのかな、と思いました。


そして、実際に波に乗って、

(あっちに行こうかな)とか

(ここらでちょっとターンしてみようかな)とか、さらにうまい人になると

(ジャンプでもしてみるか)とか、

そうやっていろいろ遊べる、そういう楽しい世界が多分あるんだろうな、と思うんですよ(僕には夢のような話)。それが通訳における各種「遊び」に相当するのかな、と。


通訳における遊びというのは、例えば

(今の発言、ああも訳せるけど、こうも訳せるな。今回はどっちの訳し方で行くかな)とか、

(この投資家は結構せっかちっぽいから、結論を前の方に持って来て、訳をちょっと短めに編集してみるかな)とか、

(今のジョークを、ちゃんと笑いが起きるようにするにはどう料理したらいいかな)とか、

そういう楽しい作業のことを指します。


パドリングで疲れ切っちゃっていると、なかなか「波に乗る」というサーフィンの真の楽しさに行き着けないのと同様、

「話を聴き、理解し、訳出する」という一番基本的な力作業で脳のキャパを使い切っちゃっていると、通訳の真の楽しさをなかなか味わえないんじゃないかな、と思うんです。それではもったいない。だから、もっと通訳で遊んで楽しむためには、通訳トレがすごく大事だと思うんです。





<遊び = 高付加価値>

通訳における遊びは、単に通訳者にとって楽しいだけでなく、会議参加者にも喜ばれます。

ただ訳すのに精一杯の通訳者が多いのに対し、(今の発言はどのように料理しようかな)と遊ぶ余裕のある通訳者は、①そもそもゆとり・余裕があるから会場に安心感をもたらすのに加え、②訳がより分かりやすく、伝わりやすくなりますから、とても喜ばれるんです。


実際、そういう例をたくさん見てきました。





<通訳トレは、ゼネラリスト通訳者にとって特に重要>

僕のように、例えば「IR通訳」とか、分野をかなり限定して通訳をする人は珍しい。

多くの通訳者は、ゼネラリストとして、日々いろいろな分野の通訳に挑戦している。きっとその方が楽しい(笑)。ゼネラリスト通訳者を目指すのであれば、なおのこと、特定分野の、特定の案件にだけ役立つ力ではなく、どの分野の、どの通訳案件にも活かせる「普遍的な、基本的な通訳力」を身につけた方がいいのではないか。




<通訳者は通訳トレをしているのか>

では、そんな大事な通訳トレを、果たして世の通訳者たちはやっているのかどうか。

当たり前の話ですが、やってる人はやってるし、やってない人はやってない。

大きな傾向で言うと、駆け出しの通訳者であれば結構やっているのかもしれませんが、だんだんベテランになってくるにつれて、通訳トレの量が減ってくる、そんな傾向があるかもしれません。


ーーー


通訳系のイベントなど、通訳者の集まりで、通訳者たちに

「みなさん、ご自分の通訳力をさらに高めたい、と思いますか?」

と聞くと、全員がまっすぐに手を挙げます。


「では、通訳力を向上させるためには、何らかのトレーニングをした方がいいと思いますか?」

と聞くと、みな手をしっかり挙げたままです。


「じゃあ、昨日、1時間以上通訳トレーニングをした、っていう人はどれぐらいいますか?」

と聞くと、さっきまで屹立していた全ての手が瞬時に降ろされます。





<通訳トレをしない通訳者は、なぜ通訳トレをしないのか>

駆け出しの通訳者はきっとトレーニングしているでしょうから、一旦脇に置いておきましょう。また、ベテラン勢の中にもしっかりトレーニングしている人もいるでしょうから、そういう人も一旦脇に置いておきましょう。

ここでは、通訳トレを「していない」あるいは「あまりしていない」という通訳者について考えます。


彼ら・彼女らは、一体なぜ通訳トレをしないのか。

野球の練習をしないプロ野球選手などありえないのに、なぜ通訳トレをしないプロ通訳者が存在するのか。


ーーー


プライオリティーが低いんだと思うんです、通訳トレの。


通訳案件(仕事)や、それに向けた予習が優先される。

案件を数多くこなせば疲れます → 休養も必要になる。

そして、もちろん家族のイベントとか、子供の送り迎えとか、そういった時間も必要。

マジメだから、お勉強もします。


そういったことを全てこなした上で、もし時間が余っていたら通訳トレでもするか、、みたいに思うのかもしれませんが、当然時間なんて余るわけがない。そしてこれは、(きっと時間なんて余らないだろうな・・)って、最初から心の中のどこかで確信犯的に、分かってやっているわけです。


他の諸々の用事と比べ、「通訳力を上げるためのトレーニング」のプライオリティーが低いんです。


では、なぜ通訳トレのプライオリティーが低いんでしょうか。結構大事なはずという気もしますが。


それは恐らく、通訳トレするインセンティブを感じていないからだと思います。





<なぜ通訳トレをするインセンティブを感じないのか>


1.既に仕事がある程度回っているから


・仕事がそこそこ取れている

・エージェントからもらえているレートも悪くない

・お客さん(クライアントや会議参加者)は別に文句を言ってきていない


この三拍子が揃ってしまうと、自分の通訳力をさらにアップさせるインセンティブが薄れてもまあしょうがないと思う。そして、仕事がそこそこ入っていると、それをこなすだけで疲れるから、その後に通訳トレする気なんて起きないし。


2.さらに上があることが見えにくい


通訳力アップの必要性とは別の問題として、そもそもそれが可能であるということに気付かない、という面もあるかもしれない。通訳の世界には実はもっと上の次元があるのだが、自分がまだその次元にいないので、当然それが見えないし、実感が湧かない。自分と同じ次元にいる通訳者は見えるが、「上の次元」にいる人たちは見えないものだ。日頃、現場でも会わないし。

そして、今の次元でもらえているレートもそんなに悪くない。


また、幸か不幸か既にある程度の実力を有しているだけに、どうすればそれを、何年後とかではなく比較的短期間の内に、今のレベルからさらに上達させられるのかが見えない。そんな通訳者も多いと思う。だから(ま、長い目で考えよう・・・)みたいな話になり、結局日々の通訳案件をこなす以外はほとんど何もしない、という状態が何年も何年も続くことになる。


通訳トレをするインセンティブを感じない、という問題については、この2つの要因が大きいと思う。





<通訳トレを「戦略的・意図的」にしない通訳者もいる>


中には、確信犯的にというか、戦略的・意図的に通訳トレーニングしないという通訳者もいる。

「しようよ(笑)」という話だが、しないのだ。なぜしないのか。


そのような通訳者は、「日々の通訳案件が一番の通訳トレーニングになっている」と考えている。

それは、本気でそう考えているのか、心のどこかで(実は違う)と思いながらも、通訳トレしない言い訳に使っているだけなのかは分からないが、とにかくそう思っている。


このブログ記事の最初の方で書いた通り、この記事では「通訳トレ」の定義に「日々の通訳案件」は含めていない。また、これも最初の方で書いた通りだが、私は日々の通訳案件が、基本的な通訳力のアップにはあまりつながらない、と思っている。以下でその理由を考えてみる。


● 分からなくもない

確かに、通訳案件をする際は「通訳」をしているわけだし、家でのぬるま湯環境ではなく本番環境でやっているわけだから、トレーニングするよりも効率的に力がつくのではないか、という気もする。直感的には。それを毎日毎日こなしていれば、通訳力がグングン上がりそうな気もする。直感的には。


では、通訳案件をこなすことで得られるものは何か、考えてみた。


・経験

・知識

・持久力/スタミナ

・自信(大事だが、通訳トレーニングをしなくなる、という副作用あり・・)

・ごまかす力(←重要!だがこれも、ごまかすのがうまくなればなるほど通訳トレーニングの必要性を感じなくなる、という副作用あり。何かを「感じなくなった」からといって、それが「無くなった」わけではない。)


もちろん、「通訳者になって初めて」の、一番最初の通訳案件はすごくためになるだろう。2回目の現場もためになろう。でも、それが3回目、4回目、5回目、とどんどん数を重ねていく内に、1回の現場経験から得られるレベルアップがどんどん逓減していく。これは当然のことだ。

(例えば今日の現場がその通訳者にとって5000回目の現場だったとしよう。その現場を経験した結果、通訳力が如実にアップしていたとしたら、それは逆の意味でヤバイ気がする。もちろん、何かためになる知識が得られたとか、その日の経験で新たな視点が身についた、といったことはあるだろう。でも、5000回目の通訳現場で「基本的な通訳力」が大きくアップしていたとしたら、それは何か別の問題があることを意味するし、現実にはそんなことは起こりえない。)



そして何よりも、通訳案件をこなすことで得られるものは、「基本的な通訳力」とは少しズレているのだ。

経験も知識もスタミナも自信もごまかす力も、全部大事だ。でも、それは「基本的な、上手に訳す力」とは別のものだ。


● 見てみたい

もし、日々の通訳案件をこなすことが本当にレベルアップにつながるのであれば、サイコーにすばらしい。そんなに効率的なことはない。だって、そうしたら通訳トレなんて不要ですからね(笑)。本当にうらやましい。

日々の通訳案件をこなすだけの通訳者が、例えば半年とか1年経った時点で、(あ、この前よりもかなり上手になってる、すごい!)ということがあるのであれば、それを楽しみに待ちたい(今のところ、そのような現象を目の当たりにしたことは一度も無い)。経験年数とプライドとレートだけが高まってしまい、実力がついて行っていない通訳者を見るのは痛々しいし、その仕組みは長い目で見るとサステーナブルではないのではないか、と思ってしまう。基本的な通訳力を上げる方がベターだし、結局近道だ。


● 「試合」と「練習」のバランス

通訳を、他の分野のプロフェッショナルと比較してみた。


例えばスポーツ選手。

野球選手や体操選手は、「試合」と「練習」をどの程度の割合でこなしているのだろうか。

野球選手の場合、「シーズン」というものがあり、その間は多くの試合をこなしている。でも、シーズン中でもいわゆる「練習」はするだろう。例えば夕方から試合だとしたら、日中は練習をしているわけである。

また、シーズン以外の期間は、キャンプを行ったり、自主トレを行ったりと、練習に勤しんでいるだろう。


体操選手の場合、4年に一度のオリンピックとか、大きな大会とか、そういった「試合」的な場ももちろんあるが、日頃、一番多くの時間を「練習」に費やしているのではないか。


それに対し、「日々の通訳案件をこなしていればいいんだ」という通訳者は、極端な話、試合10、練習ゼロだ。

どうもアンバランスなような気がする。


「自分は、試合・大会に出るだけで十分ためになるから、日頃の練習などしない」というスポーツ選手がいるだろうか。考えられない。でもそれが、通訳の分野では日常的に起きている。(幸い、そうでない通訳者もいる。)


<Performance zone と Learning zoneという切り分け方>

このブログ記事を読んだ翻訳者(友人)が、こんな動画を送ってくれた。

How to get better at the things you care about

僕が言っている「試合」と「練習」の関係は、この人が言っているPerformance zoneとLearning zoneという考え方にとても近い。




● 案件本番と、トレーニングのときでは、メンタリティーが真逆

私が一番ポイントだと思っているのはこの点である。

通訳案件本番に臨む際、通訳者は自信を鼓舞して臨むものだ。「自分は世界で一番上手な通訳者だ」と思い込むようにして現場に臨む通訳者もいる。いいことだと思うし、大事だと思う。

そして、現場でちょっとミスをした場合。もっとうまく訳せたであろうに、それが出来なかった場合。そんなことでクヨクヨなんかしていられない。どんどん前に進むことが大事だ。


それに対し、トレーニングをしているときはどうか。

自分の通訳力を謙虚に、冷静に見つめ、どこが強みなのか、どこが弱みなのか、を分析する。

そして、特に弱みについて(本番では見過ごされがちな弱みについて)注目し、それを克服するためのトレーニングを行う。


つまり、本番に臨むときと、トレーニングをするときとでは、自分の通訳に向き合うメンタリティーが完全に真逆なのだ。自信過剰 VS 謙虚、なのだ。

だから、本番ばかりこなしていてトレーニングをしない通訳者は、なかなか自分の通訳というものを謙虚に、冷静に見つめる機会が無く、いつもワッショイワッショイで前に進んでいる(気になっている)のではないか、と思うのである。


以上、「日々の通訳案件は、基本的な通訳力アップにはあまりつながらないのではないか」という問題について考えて来た。

このセクションの最後に、IRISの、今やどの現場にでも安心して出せるエース級の通訳者が言った一言を紹介したい。


「私、フリーになって1年ぐらいで、案件を経験することによるレベルアップが止まって、しばらく伸び悩みました。」





<筆者の通訳トレ経験>

じゃあお前はどうなんだ、と思う方もいるかもしれない。


私は、2008年にフリー通訳者になった。

通訳者になって数ヶ月がたち、ほとんど仕事がなくてブラブラしているときに証券会社に拾ってもらい、インハウス通訳者になり、IR通訳を始めた。

IRには年間を通しての波があり、忙しい時期は忙しいんですが、ヒマな時期はとてもヒマ。で、インハウス通訳者が4人もいたので、なおのことヒマ。

(これだったら出社しなくてもいいんじゃないか?)と思うぐらいだったが、一応出社はしないといけない。

そこで、毎日朝から晩まで通訳のトレーニングばかりしていた。


真面目だからではなく、ヒマだからトレーニングをしたのだ。

そして自分の場合、「インハウス」という特殊環境だったのが幸いした。とにかく9時−5時で会社にいないといけない。証券会社ということもあり、会社のPCからはFacebookとかブログとか、そういう楽しい場にはつながらない(最初はYoutubeにもつながらなかった(笑)。これだと通訳トレが出来ない、と言い張って情報システム部に泣きつき、つながるようにしてもらった)。


つまり、他にやることがないからしぶしぶトレーニングをせざるを得なかったのが幸いした。


ーーー


さて、日々トレーニングをしていると、2〜3ヶ月ぐらい経ったときに、明らかに変化を感じた。

もちろん、通訳に「慣れた」というのもあっただろうが、それだけではないような気がした。

とてもラクに通訳が出来るようになった。

もっと具体的に言うと、それまでは多少話を要約したり落とさざるを得なかったのが、全部拾って再現出来るようになった。そして、それまではアップアップで気付かなかったいろいろなことに気付けるようになり、それに対処することで、通訳を少しずつ高付加価値化できた。その後は、「全部写真のように再現するのではなく、もっと絵のような通訳が出来ないか」という課題にも取り組めた。全部通訳トレのおかげだと思っている。




そんな頃、社外の、つまりフリーランスの通訳者たちの通訳パフォーマンスを見せてもらう機会もよくあった。みな、自分よりも大先輩の人たちばかりだ。

フリー通訳者たちの通訳を見ていると、必死になって、アップアップになってやっている人たちが結構いた。見ていて楽しそうではなかったし、あまりステキでもなかった。思うに、基本的な通訳力が無いのだ。基本的な通訳力を欠いた状態で、日々案件をこなしているから、ヘンな応用力(?)とか、ヘンなごまかし方とか、そんな変化球なスキルばかり身についてしまっているのではないか。


興味深いことに、通訳が終わった後、

「やっぱり半導体セクターは難しい(苦笑)」

とか

「この担当者、結構早口だから・・・(笑)」

とかなんとか言っているのだが、僕は(きっとそうじゃないだろう)と思っていた。知識とか、応用力とか、そういう問題ではない。基本的な通訳力が無いのだ。



そんな通訳者がいる一方で、余裕をもって、楽しそうに通訳している人たちもいた。雰囲気だけでなく、実際訳も上手で、会議参加者から喜ばれ、指名を取っている。月とすっぽんだなあ、と思ったし、通訳者になるのであればかくあるべし、、、と強く思った。





<具体的に何をトレーニングするのか?>

では、具体的に何をすればいいのか?これはもちろん人それぞれなわけですが、例えば以下のような項目です。


・脳のトレーニング: スピードアップ、記憶力

・物理的なこと: 口の回りをよくする。腹から声を出す

・単語/表現力

(単語力というのは、「試合」と「練習」の対比がしやすい分野だ。試合(すなわち通訳案件)に向けた予習の際、単語帳を作る。その単語帳には、その会議で出そうな専門用語が並ぶわけだが、例えば “Incidentally, 〜” とか、 "cohesive" とか、特定の案件に紐つかない、基本的な単語力アップにつながる単語は載らないのが普通だ。こういう面でも、試合では得られない効果がトレーニングで得られると思う。)

・(狭義の)通訳力: Shadowing、要約、逐次、同通、パラフレーズ

・メモ取り: 記号化、メモの整理の練習

・英語力: 単語帳、読書、音読

・日本語力: 読書、音読

・その他: 時事ネタ、業界知識・専門用語 (←注:通訳トレの範囲外!)



通訳のプロセスを

Input系、Processing系、Output系

に分けて、それぞれのプロセスにおいて通訳者に必要な能力を細かくリストアップしてみて、それぞれの項目において、自分の能力がどれくらいか、を分析し、「で、自分は何をすればいいのか」を考えるといいと思います。




たまにあるのが、「何をトレーニングすればいいのか分からない」という相談。

相談してくれるのはうれしいんですが、これに対して思うことは大きく2つあります:


1.何をやっても効果あるはず

神レベルの通訳者は別として、ほとんどの通訳者はスタート地点が低いわけだから、ある意味、何をやってもためになっちゃうというか、効果出ちゃいますよね、きっと。だからあまり心配しなくてOK。とにかくやればOK。


2.センスの問題

思うんですけど、自分の通訳を聴いて、それを客観的に分析して、「どこがダメなのか、何をどうすればよくなるのか」が分かる/分からない、って、通訳者にとっての一番基本的な「センス」のような気がするんです。それが分からないのであれば、通訳者としてのセンスが無い、ということ? → 辞めた方がいいのかも。





<「通訳トレーニングしているのに、なかなか効果が出ません」> 

思うことは4つ。

① 「効果が出ていない」というモニタリングがちゃんと出来た点はすごいと思うし、見習いたい。
② 本当にトレーニングしているのか?(司法試験を目指す人は1日10時間とかザラに勉強するらしいが、あなたはどれぐらいやってるんですか?) 
③ 効果が無ければ意味が無い。通訳トレは「通訳力アップにつながる活動」。言い換えると、一生懸命トレーニングしても通訳力アップにつながらないのであれば、それは通訳トレーニングではなく、何か(Whatever else it is,)別のことをやっている、ということ。
④ トレーニング・メニューを変えたらいい。

あと、駆け出しの通訳者が特にそうですが、「通訳案件が無い(つまり、なかなか場数を踏めない)」ことを「レベルアップ出来ないこと」の言い訳にしないでほしい。
通訳案件が無いということは、通訳トレーニングに専念できるわけで、サボっているベテラン勢に対し、大変なアドバンテージ(笑)。

早晩、案件は入るから。そして、そのときにウデが良ければ、エージェント、クライアント、会議参加者、関係者一同「おっ??」って思って、その後は芋づる式に案件が増えていくから。もう、これは間違いありません。こっちだってビジネスでやっているわけで、優秀な駆け出し通訳者に飢えていますから。目を皿のようにして探しています。基本的な通訳力があれば、必ずレーダーに乗るから、安心してください。




<オススメの通訳トレーニングは?>

いくつかあります。


・センテンスずらしのシャドーイング

通訳学校で、シャドーイングというのを教わった。誰かが話しているのを、言ってるそばからすぐにShadowして、同じように話すトレーニングだ。

シャドーイングを毎日やるようになってすぐに、(これは、すぐにShadowしちゃうのはもったいない。タイミングをずらした方がいいんだろうな)と思い、話し手が話したあと、だいぶ待ってからShadowするようにした。最終的には、1センテンスぐらいずらしてShadow。これは、同時通訳をする際の「タメ」の練習に効果的だった。


通訳学校で「同通は聴いたそばからどんどん、とにかく何かを出し続けなさい」と教わったが、教わった瞬間に(それは違うな、きっと)と思った。ひねくれているのだ。


すぐに出しちゃうのは、そうせざるを得ないからそうしているのであって、本当はなるべく「タメ」た方がいいんだろう、と思った。なんなら1センテンスぐらい話し手とズレていても、その方がちゃんと意味を踏まえた、文末までしっかりと聴いた上で編集した訳(逐次通訳に近い訳)が出来るのであれば、その方が会場のためになるだろうな、と思って始めたのがセンテンスずらしのシャドーイング。すぐ出すのは通訳者のため、タメて出すのは会場のため。


他にも、「言い方を変えてのシャドーイング」みたいなバリエーションもあり。

話し手が言ったのをそのまま繰り返すなんてラクしすぎ(笑)。そうじゃなくて、あえて言い方を変えないといけない、というルールを作り、負荷をかけるようにした。


例: "Operating profit will grow 50% this year." → "Our OP will increase to 1.5 times in this fiscal period."


とか、なんでもいいけど、とにかくなるべく表現を変える、というルールで。表現の引き出しを探しに行くスピードを高めるのに役だった気がします。


ちょっと余談ですが、大事な点。

通訳学校でヘンなことを教わり、それに縛られている通訳者のなんと多いことか。

通訳学校で教わったことをいかにDe-learn、Unlearnするかが、プロの通訳者として一段上に行けるかどうかの、かなりカギだと思います。

(これはプロデビューしてから知ったことですが、通訳学校の先生って実は誰でもなれるというか、(えっ、あなたが?)みたいな人が立派に先生として教えていたりする。もっとも、「通訳が上手」だからといって「通訳を教えるのが上手」だとは限らないし、Vice versaですが、I'm sure it helps (and vice versa)。そして、通訳学校の先生は、自分がまだ通訳の右も左も分からないときに通訳学校で教わったことを盲目的に生徒に継承しているだけの時もあるから、とにかく要注意。話半分ぐらいで聞いておくのがいいと思います。)




・「熟成再生」


1.何らかのネタを用意し、再生し、逐次通訳する。

2.自分の逐次通訳を録音する。


(1ヶ月熟成させる)


3.1ヶ月後、元ネタの内容を忘れた頃に、通訳を聴く。その際、元ネタは再生せず、自分の通訳だけを再生する

4.会場にいる人の気持ちになって、自分の通訳を聴き、「分かる」かどうかを品定めする → どの辺がダメか、を考える

5.元ネタを再生する。さっき聴いた自分の通訳がそれをちゃんと訳せているかどうかチェック → どの辺がダメか、を考える


4.と5.であぶり出された欠点を克服するためには何をすればいいか、を考え、その後実行する


これ、ポイントは3.です。

しばらく寝かせた後に訳を聴く際、「元ネタ+通訳」ではなく、通訳だけを聴くことが大事です。元ネタも合わせて聴いてしまうと、頭の中で、元ネタで言っていることと自分の通訳との間でのつなぎ合わせ作業が行われてしまい、自分の通訳がダメダメでも、(まあ、そこそこ訳せてるんじゃないの?いい感じ)と思ってしまいます。

そうではなく、①元ネタの内容を忘れた頃に、②あくまでも「自分の通訳」だけを聴くことにより、会場にいる、自分の通訳の聴き手(=真のお客様)と同じ立場に立てる。そうすると、いかに自分の通訳がダメか、意味不明か、が如実に分かり、(日々現場に出てる場合じゃないな・・・)と気づける。




・「定点観測」


1. 何らかのネタの通訳を録音する(録音A)


3ヶ月間、通訳トレーニングをする。


2. 同じネタを再度通訳し、それも録音する(録音A')

3. AとA'を聴き比べ、どう変化したかを確認する。変化していなければ、3ヶ月何していたんだ、ということになる。




・「聴く」練習

当たり前だが、通訳者の仕事は「訳す」ことだ。

だから、本番中、話し手の話を聴きながら、出来る通訳者ほど「訳す」準備を頭の中で始めてしまい、実は話を聴いていない、という皮肉な現象が起きる。

だから、話を聴いているとき、訳の準備に気を取られずに、ただ聴く、ただひたすら聴くことに集中する、というトレーニングをする。何度でも聴いていい。訳の準備をしちゃダメ!とにかく聴け、と自分に言い聞かせながら。

意外と難しいものだ。つい「訳の準備」とか、スマホ見ようかな、とか、余計なことを考えたくなってしまう。


(もう十分聴いた)と思ったら、今度は本番同様、訳の準備をしながら聴く。

普段、いかに「聴いて」いないかに気付ければ効果あり。




などなど。

こういうトレーニング・メニューはいくらでも考えられると思うので、ぜひオリジナル・トレーニングを考案してください。おもしろいのがあったら教えてください。




<通訳トレの効果はどれぐらいで出るか?>


通訳者と、通訳トレの話をしていて、こう言われたことがある。

「通訳力は、そんなに急には変わりません。長い目で見てください」


通訳トレをやった結果、どれぐらいで効果が出るものなのか?


通訳には、その人の人柄が出る。そして、通訳力は、その人の人柄とか、通訳スタイルと密接につながっている面もある。そういう根本的な面は、確かに短期間では変わらない(っていうか、長期間でも変わらない。変わらなくていいことだ)。


でも、テクニカルな側面は3ヶ月あれば変わると思う(経験者談)。


ゴルフに例えると、その人の基本的な姿勢・考え方は何十年経っても変わらないかもしれないが、スイングを多少改良させることは(やろうと思えば)短期間で出来る。スタート地点の実力が低いのであれば特に。必ずフック、あるいはスライスしちゃっている状態を、そこそこまっすぐ飛ぶように改良することは、短期間でも出来る。


既に上手な通訳者だって、短期間で通訳を「変える」ことはできると思う(今の95点を96点にするのは確かに難しいだろうし、時間がかかるかもしれない。でも、通訳のやり方をちょっと変えてみる、視点をちょっと変えてみる、ということは、極端な話、Overnightで出来るはず)。




「そんなに急には変わりません」と言われて思うこと:


① じゃあ、いつ変わるの??? 

20代のキャピキャピな通訳者ならともかく、我々おじさん・おばさん通訳者の多くにとって、「10年後には多少上達してるといいな♪」では遅すぎるのだ。

そして、「急には変わりません!」と言いつつ、毎日しっかり通訳トレしていれば説得力があるが、99%そうではない。


② ちょっとおこがましい?

一見謙虚な発言が、実はおこがましい、ということはよくある。「私の通訳は、そんなに急には上達しない」という発言もまさにそれ。

確かに、既に実力が神の域に達している通訳者にとっては、そこからさらに目覚ましく実力をアップさせるのは無理だろう。でも、世の通訳者のほとんどは「まだまだ」である。実際、僕を含む世の通訳者に「あなたは通訳が上手ですか」とぶしつけに尋ねれば、半分謙遜、半分本気で「いやいや、私なんてまだまだです」という答えが返ってくるだろう。もし、例え半分だけでも「自分なんてまだまだ」と信じるのであれば、その「まだまだ」の状態からウデを目覚ましくアップさせるのは無理、というのはどういう理屈か。「私には目覚ましい通訳力アップなんて無理」と口にすることを許されるのは、ごく少数の、本当に通訳が上手な通訳者だけだろう。基準をどこに置くか次第だが、通訳が本当に上手な通訳者は、僕を含め、僕の周りには一人もいない。だから、どの通訳者も自身の通訳力を「目覚ましく」向上させることは十分出来るはず、というのが僕の考え方です〜。


③ 通訳は3ヶ月あれば劇的に変わる

経験者談。


④ 目線を「ウデのいい通訳者」のさらに先に置くことで、Fast Trackを歩む

これは言うは易し、なんですが、、、

目標を「ウデのいい通訳者になること」にしてしまうと、それが目標になるので、なんと言いますか、(ま、ボチボチやるか)みたいな感じになりがちだと思うんですよね。でも、もし「ウデのいい通訳者になること」というのを最終目標ではなく、単なるマイルストーンに落とせれば、2倍速、3倍速でうまくなる気がします。つまり、「ウデのいい通訳者になること」の先の、何らかの最終目標を設定する、ということですかね。。まあ、言うは易しです。





<極論: 仕事を断ってでも通訳トレした方がいい??>

例えばみなさんに大学生の息子がいるとします。

彼は、大学4年間、ろくに勉強もせず、体育会もサークルもやらず、異性(同性でもいいけど)との交際もせず、ただひたすらマックでハンバーガーを引っ繰り返すバイトに4年間明け暮れたとしましょう。


「ヒロシ、お前なにやってんだ?」と聞けば、

「父ちゃん(母ちゃん)、オレ、お金貯めたいんだ」とのこと。


せっかく大学まで入れてやったのに、もったいない、、、って思いませんか?


確かに、勉強したり、体育会をやったりするよりも、ずっとバイトしていた方が、とりあえずお金は貯まるでしょう。でも、大学時代をもっと有意義なことに使っていれば(筆者注:耳が痛い)、その後社会人になったときに、そのときもまだ「お金を稼ぎたい」と思うのであれば(大学時代の各種経験に基づき)Goldman Sachsに入社する方が、マックでハンバーガー引っ繰り返してるよりも効率的に稼げるだろう。

また、大学時代にいろいろ経験したおかげで、「お金を稼ぎたい」以上のすばらしい夢が見つかるかもしれない。そしたら、マックにもGSにも行かず、その夢を追いかけたらいい。


ーーー


さて、通訳者。


僕は、順番で行くと、

1.通訳力アップ

2.現場に出る

の方がいいと思うんです。


まずグーーーンと通訳力を上げて、その上で現場に出まくった方が、最初から現場に出まくるよりもいいと思うんです。

(でも、ほとんどの通訳者は1.と2.を並行してやろうとする。そして、気付かないうちに1.には目もくれず、2.ばかりやるようになる)


極端な話、最初は仕事を断ってでもトレーニングした方がいいと思います。


「仕事を断ったら、その後仕事が来なくなるじゃないか!」 → 通訳がうまかったら来ますよ、大丈夫。それよりも、ヘタな通訳で現場に出たら仕事が来なくなることを心配した方がいい。

「仕事を断ったら、収入が減ってしまうではないか!」 → ずっとマックでバイトする大学生の話ご参照。トレーニングして、ウデを上げてから現場に出た方が、はるかに高いレートを設定出来ますよ。マックよりもGSの方が給料がいいんです。


通訳者は「仕事を断る」ことに異常なまでにセンシティブですが(笑)、別にフツーのことですよ、断るのなんて。

大学生が、マックでのハンバーガーひっぺり返しのバイトの勧誘を断って勉強する、ってだけの話。依頼が目の前に転がっているからついついBig dealに感じがちですが、「○○をやらない」というのは我々が日々、まったく気付かないうちにいくらでもやっていること。今日も僕はスカイダイビングをしませんでした。


そして、「仕事を断ってでも・・」っていうか、そもそも通訳のJob marketに自分を乗せるのが早すぎると思うんです、通訳者は。まだウデが低い内から、エージェントが「この案件で通訳者が足りていません、あなた出来ますか?」とか「今までの講師が続けられないと言っているから、あなた通訳学校で教えてみませんか」とか余計なことを言ってくるから、ついつい勘違いしてしまう。そんなの、実はエージェントの都合です。あなたの都合ではありません。


そういうノイズに振り回されず、自分をJob marketに乗せるタイミングを冷静に、戦略的にもう少し遅らせれば、断るも何も、その時期は依頼がそもそも来ないから、余計なことを悩まずに通訳トレに専念できる。


まあ、極端な話ですけど、あながち極端なつもりで言っているのではなく、本当に、最初は仕事をしないでトレーニングしていた方が結局かなりおトクだと思います。そして、ウデが上がるにつれて、「練習」と「試合」のバランスを逆転させていけばいいんです。通訳者はみんな、最初から焦って案件を入れようとしすぎに見える。




<一人で行う通訳トレと、グループで行う通訳トレ>


いろんな通訳トレがあり、いろんなやり方があります。

通訳トレは基本的に一人でやるものかもしれませんが、グループでやるのもいいですよね。IRISでも、登録者(ここのところ、非登録者との方が多い)とワークショップ、そして最近は合宿もやっています。楽しいですね。


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ワークショップであれ合宿であれ、グループでやる場合に意識するといいと思うのは、


1.単なる「お勉強会」にしてしまわないこと

それはそれでやったらいいと思うんですが、それは「通訳トレ」とは別物なので。「フィンテックについて勉強しましょう」は大事だが、それで「基本的な通訳力」は1ミリも向上しない。


2.「グループならでは」のことをやる

家で、一人でも出来ることをみんなで集まってやっても意味が無い。グループならではのメニューを考えるといいと思うし、そのメニューを考えるプロセスがまたためになったりするんですよね。



僕の場合、グループで行うワークショップとは別に、リスペクトする通訳者と2人で「鬼合宿」をやったりもしました。地方に行って、会議室借りて、とにかく徹底的にやろう、と。「もうイヤ!!!」と叫びたくなるまでやろう、と。逐次、同通、とにかくメッタメタにやりました。



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終わった後風呂に入り、飲んだ酒の味が忘れられません(笑)。意識の高い通訳者との取り組みは楽しいものです。





<通訳エージェントは、登録通訳者の通訳トレに口を出すべきか否か>


私は、2012年から小さな通訳エージェントを経営している。


通訳エージェントは、自社に登録してくれている通訳者に対し、通訳トレーニングすることを要求していいのか、あるいはいけないのか。

要求していいどころか、要求「すべき」なのか、

あるいは逆に「すべきではない/してはいけない」のか。

もしくはどっちでもいいのか。


これまでずっと考えて来て、今も考えている。

* なぜそんなことを考えるのか?と疑問に思う人もいるかもしれませんが、とりあえず読み進めていただけるとありがたいです。

ーーー

まず、話の大前提として、通訳トレーニングに関する一切は、完全に各通訳者の自由である。


ー そもそも「通訳トレーニング」という概念をどう解釈・定義するか。

ー 通訳トレーニングを、実際にやるかどうか。

ー もしやらないのであれば、なぜやらないのか。不要だからやらないのか、単に面倒だからやらないのか。

ー やるのであれば、どう戦略を立て、何をやるのか。


当然のことながら、それらは全て各通訳者の自由である。クライアントにも、通訳エージェントにも、他の通訳者にも、かあちゃんにも、とやかく言われる筋合いは無いし、実際、言ってくれる人もいない。我々フリーランス通訳者は悲しいほど自由だ。


通訳トレーニングに関する一切が各通訳者の自由であるならば、通訳エージェントが、自社に登録している通訳者に対し「通訳トレーニングをしましょう」などと言うのはおかしい。通訳者から「余計なお世話です」と不満がられるに決まっている(and rightly so)。IRISで、過去に何度かそのような働きかけを試みてしまったことがあるが、(僕の知る限り)ほぼ失敗に終わっている。


では、通訳エージェントは登録通訳者に何も言うべきではないのか。通訳力アップのためのトレーニングについて、そもそもそれをする/しないを含め、完全に各通訳者に任せきりでいいのか。それはそれで、ちょっと考えてしまう。以下で説明する。


ーーー


IRISはもちろんのこと、どの通訳エージェントも「高い通訳クオリティ」を売りにしている。各社のウェブページを見てみてください、一目瞭然です。みんな、「ウチの通訳者は通訳が上手です」と言っている。


このように高い通訳クオリティをウリにしつつ、一番肝心な「通訳クオリティの管理」は各通訳者に任せきりでいいのか。


ーーー


この問題をどう考えるかは、「通訳エージェント」というビジネスモデルをどう考えるか次第でもある。言い換えると、エージェントと通訳者の関係をどう考えるか次第でもある。


1.紹介業だ、という考え方


エージェントは、クライアントに対し通訳者を、そして通訳者にクライアント(≓通訳案件)を、互いに「紹介」しているだけ。

通訳クオリティについて、エージェントは全く、あるいはあまり、責任を負わない。


2.元請け業だ、という考え方


エージェントは、クライアントから来た通訳案件を元請けとして引き受け、それを(下請けである)通訳者に紹介し、担当させる。

その通訳案件における通訳クオリティについて、元請けとして責任を持つ。


ーーー


もし通訳エージェントが1.単なる紹介業なのであれば、登録している通訳者にあれこれ言うのはおかしいのかもしれない、いや、きっとおかしいでしょう。紹介しているだけなんだから。黙って紹介していればいい。


しかし、もし我々エージェントのビジネスが「2.元請け業」であり、通訳案件で提供される通訳のクオリティについての一義的な責任を我々エージェントが負っているとなると、話は少し変わってくる。そうなると、通訳クオリティを向上させるための取り組み(つまり通訳トレーニング)を通訳者に任せきりにするのはかなり問題があるような気がする。通訳者はそれでいいかもしれないが、クライアントはよく思わないでしょう。


でも、だからといって登録通訳者にあれこれ言ってもなかなかうまく行かないのは上記の通りだし、私も一通訳者として通訳者の立場に立てば、登録先のエージェントからゴチャゴチャ言われるのは、例えそれが正論であっても、いや、正論であればあるほど?、不快に感じるだろう。ゴチャゴチャ言ってくるその相手のことを心底リスペクト出来ているのであれば聞く耳を持つかもしれないが、なかなかそこまでリスペクト出来る人はいないし、この僕が、誰かにとってそのようなリスペクタブルな存在であることはさらに輪をかけて珍しい。


(余談だが、私を含め世の通訳者は、エージェントから下請け扱いされると腹を立てがちだし、エージェントが(元請けヅラして)我々の通訳クオリティに口を出してきたら腹を立てる。一方で、エージェントが「1.単なる紹介業」に徹してしまうと「サービスが不十分だ、もっと手厚く!」と、これまた腹を立てるわけである。)


実際には、エージェント業は「紹介業」と「元請け業」の間のどこかの点に位置するのであろう。その点をどこに置くかはエージェントによって、そしてそれを見る通訳者によって異なる。


ーーー


難しい問題だが、今のところの僕の結論は「通訳トレーニングについては各通訳者の自由であり、周りがとやかく言うべきではない」というものだ。For argument’s sake、もし仮に「エージェントが通訳者に対してとやかく言うべき」だったとしても、それを言われて(なるほど、エージェントよ、よくぞ言ってくれた、今日からがんばって通訳トレしよう)と通訳者に思われることはごくごくごくごく稀なので、言っても意味が無い、だから何も言わない方がいい」というのが僕の意見である。


ちなみに、そうなると、エージェントによるクオリティコントロールについては、通訳者が登録した後はもうほぼ出来なくなるので、最初の入り口の所でしっかりコントロールするしかなくなる。だから、登録するために通訳者が超えないといけないバーが上がるわけだ。だから、世の多くのエージェントでは「実績が無いと登録させられません」とか、駆け出しの通訳者に対し「通訳の経歴書を提出してください」となる。


結果的に、通訳が「日本の大学」化する。入るのは難しいが、入った後は・・・、っていうアレである。そして、エージェントの中には、登録するのも簡単、その後も「通訳トレしてください」とか言って来ない、そんなパラダイス学園のようなエージェントもあるかもしれません、分かりませんが。


まあ、意識の高い通訳者は登録後も継続的に通訳トレしているでしょうから、実力だけでなく意識も高い通訳者を選んで登録してもらっていれば大丈夫なはずです。


ということなので、IRISに登録していない通訳者にはもちろんのこと、登録してくれている通訳者に対しても「ああすべき」だとか「こうした方がいい」といったことを言うつもりは全く無いが、自分が一通訳者として通訳トレーニングについてどう考えているか、を記すことには一定の意味があるかもしれないと思ってこのブログ記事を書いた。




<まとめ>

世の通訳者から、そして通訳を学んでいる学生から、通訳トレーニングについて意見を求められたことも(それほど多くはないが)複数回ある。幸い、通訳トレーニングというものに興味を持っている通訳者は一定数存在するようだ。


通訳トレは、より楽しい通訳が出来るようになるために必須のプロセスだと思う。

そして何よりも、通訳トレ自体がかなり楽しい。

そんな楽しい通訳トレを、ぜひ日々の生活に少しでも取り入れてみてほしい。通訳トレのプライオリティーを一段でもいいから上げてみてほしい。何かが変わるかもしれない。


この記事を読んで何かの参考に、あるいは多少刺激になったと感じる通訳者がいないとも限らない。それがこの記事を書いた理由であり、長い記事をここまで読み進めてくれたあなたのお役に少しでも立てば、通訳仲間として、とてもうれしい。


(完)


# by dantanno | 2018-09-22 07:52 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

通訳にとってのお笑いの重要性

いくつかの点で、お笑いが通訳の参考になると思っている。

1. ボケとツッコミ

お笑いの基本形はボケとツッコミだ。
簡単に言えば、何かアホなことを言い(←ボケ)、それに対して相方が「なんでやねん(笑)」とか言ってツッコむ。

これがどうして通訳と関係するのか。

まず、ボケ。
ボケは、拡散系のプロセスだと思う。いろんなおもしろいアイデアを出し、それを(「これっていいアイデアなのかな、どうなのかな」)なんて考えずに出してみる。もちろん、実際にはお笑い芸人は練りに練ったボケを、練りに練った結果であることを分からないように(一見テキトーに)出し、笑いを取るわけだが。

ボケは、ブレインストーミングで言えば、とにかくいろいろなアイデアを出すプロセスに似ている。そのプロセスをやっているときは、「そんなの無理に決まってるじゃん」とか、「予算どうすんの」とか、そういった現実的かつネガティブな、ある意味、そう、ツッコミだ、そんなツッコミをせず、まずはとにかくアイデアを出すのが大事らしい、ブレストをするときは。

話を戻すと、なぜボケが通訳と関係あるか。
それは、話し手が言ったことを「こういう意味かな?いや、ああいう意味かな?他にどんな解釈がありうるだろう・・・」と考えるプロセスに似ている気がする。また、いろいろな問題により、話し手の発言がよく聞こえないときもある。そういう場合に、「Aって言ったのかな、あるいはBって言ったのかな、他に何か候補は無いか」と考える拡散系のプロセス、これがボケと似ている気がする。

それに対してツッコミは、収束系のプロセス。いろいろ出たアイデアを「なんでやねん」とか「ちゃうやろ」とか言ってバッサバッサ斬っていって、最後に残った一番いいアイデアを「こちらです、どうぞ」という形で、通訳の結果として通訳者が口に出し、会場にいる観客に届ける。

結局、通訳というのは拡散と収束の繰り返しなのだが、その波のようなうねりが、お笑いにおけるボケとツッコミによく似てるなあ、と思う。

2. 「分かりやすく説明する」能力

通訳者にとってすごく大事なのは、分かりやすく説明する能力だ。

分かりやすく説明するためには、自分の発言の1行1行を頭の中のどこかで客観的に(会場にいる人の身になって)聴き、(今のなら分かる)とか(これじゃ分からない)とか、そういった判定を常に、冷酷に下し続ける必要がある。

その力を磨くには、松本人志(いや、人志松本か)の「すべらない話」などのお笑いを研究するといい。
ロジック、滑舌、事前説明、声の出し方、途中の軌道修正、、、
おもしろくあるためには、まず分かりやすくないといけない。この人たちの話はなぜ「分かりやすい」のか。いろいろと参考になる。

3.「健全な逆ギレ」をする能力

これもツッコミ系の話だ。

話し手の話が分かりにくいときに、(今の話が分かりにくいのは、自分(通訳者)のせいではない)という健全な開き直りをする能力、これが通訳においてとても大事だ。健全な逆ギレが出来ないと、いつまでたっても自分の通訳に自信を持ちにくく、モジモジした通訳を続けることになる。

そうした開き直りが出来るようにするには、お笑いの「なんでやねん、何の話やねん、何言うてんねん、ワケ分からんわ、もうええわ」を、頭の中で日々繰り返すといい。文字通り繰り返すのだ。

その日自分が通訳している相手が大統領であれCEOであれ、心の中での(ワケ分からんわ・・・)という冷たいツッコミと、(任しとき!よう分かるよう、ワイがうまいこと説明したるわ(ニセ関西弁注意)という暖かさが求められる。通訳は「言語変換業」ではなく、「代理説明業」だ。

ーーー

ということで、通訳力を上げるためには、人情の機微に満ちた「お笑い」がとても参考になる。
特に日・英間の通訳においては、お笑いの各種テクニックが超有効なツールではないかと思っている。

# by dantanno | 2018-09-19 10:48 | プレミアム通訳者への道 | Comments(2)

読んでいない本について堂々と語る方法

ピエール・バイヤール著、大浦康介訳の「読んでいない本について堂々と語る方法」を今、読んでいます。

先日ジャケ買いし、まだ読んでいない(笑)、翻訳家の岸本佐知子さん他の「『罪と罰を読まない」に続く「読まない」シリーズ第2弾。

ーーー

本を「読まない」ことについては、昔からかなり興味(と自信)があります。
今はだいぶ「読む」ようになりましたが、昔の僕は積ん読専門。「○○の経済学」とか、それっぽいタイトルの本を見かけるととりあえず購入し、それを本棚に飾る、ということを繰り返して来ました。

それが、あるときふと「読むべき」だと思う本ではなく、「読みたい」と思う本を買うことにしよう、と決めました。いざ気持ちをそのように切り換えてみると、実は「読みたい」と思う本がほとんどなく、(あれ?オレは自分が読書好きだと思って来たけど、実は読書なんて好きじゃないのか???)と愕然としたのを覚えています。本を読まない、本なんて興味無い、って、現代の社会で相当タブーですよね。

その「タブー」は、何らかの意味で「知的」なイメージが漂う職業についている人であればなおさらです。
飲み屋のおっちゃん(No offense whatsoever)が「オレは本なんて読まねえよ」とうそぶくのは許されますが、大学教授とか弁護士とかがそういうことを言うと周囲は(えっ。。)となるでしょう。

ーーー

本書(「読んでいない本について堂々と語る方法」)ですが、著者は大学の教官であり、仕事の性質上、いろいろな本についてコメントする必要にちょくちょく出くわすそうです。そんな著者はこう言っています(一部中略):

「読まずにコメントすることについて語ることは、確かに一定の勇気を要する。

読書をめぐっては、暗然たる強制力を持つ規範がいくつもある。
・第一は、読書義務とでも呼ぶべき規範である。我々は、いまだ読書が神聖なものとみなされている社会に生きている(こうした社会が滅びようとしていることも事実だが)。
・第二は、通読義務とでも呼ぶべき規範である。これによれば、本というものは始めから終わりまで全部読まなければならない。飛ばし読みや流し読みは、まったく読まないのとほとんど同じぐらいよくないことであり、とりわけそれを口外してはならない。
・第三は、本について語ることに関する規範である。ある本について多少なりとも正確に語るためには、その本を読んでいなければならない、という考えがある。ところが、私の経験によれば、読んだことのない本についておもしろい会話を交わすことはまったく可能である。会話の相手もそれを読んでいなくて構わない。むしろそのほうがいいくらいだ。」

という具合。

これ、真面目な本なのか、ふざけた本なのか。そこがなかなか判断しにくい(笑)。正確には、その両極を行ったり来たりしている。

例えばこんな感じ:
「読んでいない本と、それに対するコメントについて考えることは容易ではない。そもそも「読んでいない」とはどういうことなのか、よく分からないからだ。「読んでいない」という概念は、「読んだ」と「読んでいない」とをはっきり区別出来るということを前提としているが、テクストとの出会いというものは、往々にして、両者のあいだに位置付けられるものなのである。」

本気で言っているのか、冗談で言っているのか。
恐らく両方なのであろう。大浦氏の訳のトーンがまた楽しい。

「読まない」にもいろいろある。もっともラディカルなのは、本を一冊も開かないことだろう。ただこの完璧な非読状態というのは、全出版物を対象として考える場合、実は近似的にはすべての読者が置かれた状態であって、その意味では書物に対する我々の基本的スタンスだと言える。」

うーん、いいですねー。

ーーー

特に説得力があったのは、
「大事なのは、しかじかの本を読むことではなく、すべての書物について、「全体の見晴らし」をつかんでいることである」
という一節。

一冊一冊の本を読むのは、いわば「木をよく見る」こと。それに対し、より重要なのは「森を見る」、つまり世に無数に存在する本たちの全体像を把握し、それぞれの本がどのような位置関係にあるのかを把握すること、そちらの方がはるかに重要だ、という考え方。読むのを面倒くさがる自分を正当化するための屁理屈なのか、あるいは実にすばらしい理論なのか、よく分からず腑に落ちないところがまたおもしろい。

ーーー

本書を読んでいて思ったけど、通訳も、「読んでもいない本について堂々と語ること」とかなり似ている。

その分野の専門家たちの中に、ド素人(=通訳者)ひとりポツンと混じっている、というのは我々の日常においてよくあるシチュエーション。
全く分かっていない内容について、さも詳しいかのように訳す必要がある。今、初めて聞いた単語について、さも「当然昔から知っていた」かのように訳す必要がある。


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例えば会議で「やっぱり、カギを握るのはPCOですよね〜」という発言が出たとする。そのとき、
通訳者 「PCOってなんですか?」
と言うべき時も確かにあるんだろうが、それを言ってしまったら
会場 (えっ、、知らないの??)
と絶句されるであろうケースも多い。特に、その「PCO」とやらが「カギを握る」とか言っているわけだから、事態は深刻だ。だから通訳者は、(ああ、PCOね(笑))と、さも昔から知っていたかのようなフリをして "PCO is the key issue here" とかなんとか言って訳しながら、その後、本番中、あるいは本番後にスキを見て大急ぎでWikipediaに「PCOとは」と打ち込んで調べる必要がある。

要するに知ったかぶりである。

知ったかぶりはよくない。昔からそう教わってきた。だから、当然通訳案件に向けて一生懸命予習するし、日頃から知識の習得に余念が無い通訳者も多い。また、あまりにも門外漢のテーマについての通訳案件は受けない、というのも有効であろう。でもやっぱ一番有効なのは知ったかぶりだ。

ーーー

知ったかぶりは、通訳者自身を守るためでもあるが、客(つまり会議参加者)のためでもある。

通訳者は、自信が無さそうにしてはいけないのである。正確に言うと、自信の無さを客に悟られてしまってはいけないのである。
客は、ドキドキビクビクしながら運転するタクシー運転手の後部座席には乗りたくないものである。実はまったく自信がなくても、さも自信ありげに、これは毎日通っている道で、オレはこの道30年だ、だから大船に乗ったつもりでいてください、ぐらいのハッタリをかまして運転してくれた方が、乗客もありがたいのである。

# by dantanno | 2018-09-11 15:37 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

マスターの快楽論

この前の夜、大好きなバーのマスターから「快楽論」を伝授された。

曰く、ヒトは(本来)快楽を追求するために生きている。そして、スマホやネットはその妨げになる、とのこと。我々はスマホの「支配」を逃れ、もっと快楽を追究するべきだ!!とのこと。なるほど。

マスターにとって、僕が今投稿しているこのFacebookなど論外(笑)。「マスターのお話、おもしろいと思うので、Facebookに投稿させていただきます」と白状していれば店を追い出されていたかもしれない(笑)。だから黙っていた。

そして、そんなマスターが特に嫌うのは「検索」。マスターは検索をしない。け、検索をしない???僕も最初は耳を疑った。マスター曰く、例えば知らない街のおいしい店をネット検索してしまうなんてもったいない。そうではなく、まずその街のその辺のバーに入り、酒を数杯飲み、店員と多少なりとも信頼関係を築けたところで
「何かおいしいものを食べたいんですが、お薦めのお店を教えていただけませんか?」
と持ちかけるのだそうである。そうすると、みな親切に教えてくれ、周りの客も巻き込んだアドバイス合戦になり、知らぬ間に友人・知人も出来てしまい、初めて訪れた街でディープな時間を過ごせる、とのこと。うーん、酔っ払って詳しくは覚えていないが、要はそんなことを言っていて、(なんか一理あるな〜)と思った記憶がある。マスターの人望もあるんだろうが、でも自分にもある程度マネ出来るはずである。「おいみんな、ガイジンさんがうまい店探してるんだと!まんず、おしえてやろうぜ」みたいな空気になるかもしれない。

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さて、その晩以来、(以前にも増して)スマホを見ないようにしている(検索は引き続き行ってしまっている)。どうしてもスマホを見ないといけないとき、、、ま、そんな「とき」は実際には存在しないわけだが、そういうとき以外は見ないように、と自分に言い聞かせている。が、ついつい無駄に見てしまうことも多い。でも、見る頻度を減らした。

スマホやネットを見る頻度を減らした結果、快楽の度合いは未だ高まっていないが、方向は間違っていない気がする。ディープな快楽に浸る日が今から楽しみだ。。

# by dantanno | 2018-09-06 15:34 | プライベート | Comments(0)

イギリスの「問題」を考える(最終稿): 我々乗客はどう対処すればいいのか?

最初の記事はこちら

これまでの記事で見て来たように、イギリスでは交通機関の故障や遅延が頻発・再発・続発するわけですが、こうしたトラブル、ひいてはイギリスのこのような「問題」に対し、我々はどう対処すればいいのか。

いろいろな対処法があり得ると思います。



1.やり過ごす
2.人の振り見て我が振り直す
3.一矢報いる(一言言ってみる)
4.イギリス人の意識を変える
5.これは長所の裏返しなのかもしれない、と考える



それぞれについて見ていきます。



1.やり過ごす

故障や遅延といったトラブルに見舞われたロンドンの乗客はみな不満そうにしていますが、(まあしょうがない)的な諦めムードが随所に漂っています。
我々も、イギリス(っていうか、日本以外)はそういうもの、とあきらめればいいのかもしれない。
外国がおかしいのではなく、むしろ外国が普通、これがデファクトスタンダード、と考える。日本が超絶的にすごいだけなんだ、と思えばいい。

トラブルが発生したときの、職員サイドの There is nothing we can do 的メンタリティーについては過去の記事でご紹介した通りです。これも、言ってみれば先方サイドにおけるあきらめであり、やり過ごしですよね(笑)。我々に出来ることは無い、という、これこそ無常感。先方が「無常感」で来るなら、我々乗客も「無常感」をもって対応すればいい。

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確かに、こうしたトラブルに巻き込まれたとき、怒ったら怒っただけ損、という気がします。
これは、周りで(自分以上に)怒っている人がいる場合に、特に強く思います。怒ったってしょうがないのに。冷静さを保てれば気づけるその点に、冷静さを失ったときに気づくのは難しいですが、まあでも確かに怒ってもしょうがない。




2.人の振り見て我が振り直す

自分自身について、何か(我ながら)問題だなあ、と思いながらも放置している「問題」ってあるじゃないですか、誰でも。役所に提出しないといけない書類とか。英語力向上とか。自転車のパンクとか。要らない植木鉢とか。

やってしまえばいい、根本的な対策を取ったらいい。そう分かってるのに、そうしていないこと。誰にでもあります。そう考えるとロンドンの地下鉄の自動改札機が常に壊れていても、あまり腹を立てず、(ま、オレも一緒か(笑)〜)と笑い飛ばせます。

相手に不満を感じたり文句を言ったりする前に、まずは自分自身を振り返り、何か改善出来る点が無いか、を考えてみる。まあ、それをやり出すと改善出来る点は必ずあるわけで、一生文句や改善要求を出せなくなりますけどね。



3.一矢報いる 
(一言言ってみる) 

ときには勇気を出して何か言ってみたいものです。

例えば、いくつか前の記事で紹介した、エジンバラのホテルのフロント係。「朝食込みか、込みではないか」で、言った・言わないみたいな話になったとき。
サービス業に従事していながら、自分たちの主張を繰り返すだけで、一切利用客の身になって考えない人たちに対しては、

Are you interested in the customer’s perspective?

と聞いてみたい。「客の視点に興味ありますか?」、と。
言い換えると「お客さんの意見を聞きたいですか、聞きたくないですか?」ということ。必死にホテル側、交通機関側の主張を繰り返していた職員は、きっと一瞬キョトンとするに違いありません。

この問いに対する回答は、本音では「興味無い」、「聞きたくない」ということなんでしょうが、さすがにそれは言えない。だから「お客さんの意見に興味があります」と言わざるを得ないので、そう言って頂いた上で、「じゃあご説明しますね」と説明する。イヤな客ですね(笑)。
別に、実際にこうしようとは思いませんが、あくまでも考え方として、というか、自分の頭の中での問答として、こういうことを考えることがある、ということです。

もう一つ、トラブル時に「一矢報いる」なら大事にしたいのは、「私はあなた(職員の人)個人に対して文句を言っているのではない。あなたの会社、あなたがその一部を構成しているそのシステムに対し文句を言い、改善要求を出しているのだ。」ということを明確にすることです。そうしないと、職員はすぐに「私に言われても困る。I am doing my best」と言い残してパブに行ってしまいます。
もっとも「あなた個人にではなく、あなたがその一部を構成している会社/システムに文句を言っているのだ」と言ってみたところで、「じゃあ、僕じゃなくて会社に言ってくれ」という話になるに決まっていますが。

以上見て来たように、トラブル発生時に「一矢報いる」、つまり何か一言チクリと言ってやる、というのはあまり有効な対処法とは言えなそうです。
あと、実際にトラブル本番中は、こっちも冷静さを失っているので、うまいこと一矢報いる発言を思い付かないんですよね。たいてい後から、落ち着いた状態になって初めて(ああ言えばよかった・・・)と思うことが多いです。



4.イギリス人の意識を変える

イギリスに日本からの宣教師として乗り込み、イギリス人のメンタリティーを変えてやる、ということは出来ないものでしょうか。


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実際、イギリスに進出する日本企業は、どこもこの問題に直面しているのだろうと思います。いや、イギリスだけでなく、欧州、そして世界の多くの国でも同じことが起きているでしょう。

この問題、すなわち「「問題」というものに対するスタンスの違い」という問題に対し、日本企業が取り得る戦略は大きく2つあると思います。まず思い付くのは、サービス、あるいは製品のクオリティ・レベルを(日本でのそれと比べて)引き下げる、ということです。郷に入っては郷に従う、ローカライゼーション戦略とも言えるでしょう。
一方で、あくまでもジャパン・クオリティを提供するんだ!と考えるのであれば、サービスや製品を提供する現地従業員の意識を根本から変える必要があります。

イギリス人職員が、

誤 「とにかく一刻も早くパブに行こう」
正 「業務終了後、スタッフミーティングを開いて、今後の再発防止策を話し合おう。パブに行くのはその後からでもいいではないか」

と思うよう、意識を変える必要があります。



5.これは長所の裏返しなのかもしれない、と考える

トラブルに迅速に対処し、そして再発防止策を徹底する、そうした行動様式を良しとする、そんな我々日本人のスタンスが正しく、イギリス人のそれが「間違っている」のか。確かに「問題解決」および「再発防止」を考えたら日本人のスタンスの方が優れている気もしますが、それによって失われているものは無いのか。言い換えると、イタリア。イタリア人はいい加減です(笑)。それに対し日本人は「ちゃんとしている」わけですが、日本からはフェラーリのデザインは生まれにくい。「ちゃんとしている」ことの見えないコストはなんなのか、そしてそれはどれぐらいのコストなのか、に興味があります。

もっとも、故障した場合にすぐ修理する、とか、今後は故障しないように再発防止策を考える、といった行動は、その人、その会社、その国の良さを失わずに取ることが可能なのではないか、とも思いますが。



以上、8つの記事に渡り、イギリスの「問題」についてあれこれ考えて来ました。
お読み頂いて分かる通り、結論の無い話で恐縮ですが、それだけ多面的で、かつ深いテーマなんだろうな、と思います。
今後、また考えが変わったり、視野が広がったりしたら、追加で記事を書いてみたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。

(とりあえず完)

# by dantanno | 2018-07-31 10:49 | 提言・発明 | Comments(0)

電車内での親子連れを...

電車内での親子連れを見ていて、昔から思うこと。

席が一個空いているときに、「○○ちゃん、ここ座りなさい」と言って座らせ、親はずっと立っているケースが多い。よく見ると、子供の荷物(リュックとか)も親が全部持ってあげてたりする。(それだと甘ったれに育たないかなあ。。)と余計なお世話な心配をしたり、(きっといろいろあるんだろう。自分も親になったら分かるかも)と推察してみたり。

その後、自分も2児の親になりました。

確かにいろいろあります。
子供の方が疲れやすい。転びやすい。自分が座るよりも、子供に座らせてあげたい。子供が疲れてギャーギャー騒ぐと大変だし、周囲に迷惑。確かにいろいろあります。

でも、僕はなるべくウチの子供を立たせたい、と思う。なんなら子供と一緒に手をつないで立って、他の人を座らせたい。理想論も込めてだけど。

少なくとも、他の乗客を押しのけて席を取り、「ママ取ったよ!!」みたいにはならないように育てたい。

エレベーターでも、他の乗客が降りる間「開く」ボタンを押して待っているような、そういうステキな人になるよう、さりげなく促したい。

子供は親のことを実によく見ていて、そっくりそのまま真似するところがあるから、まずは自分がちゃんとしないとなあ、、と気が重いですが(笑)、がんばります。

# by dantanno | 2018-07-30 18:46 | 子育て | Comments(0)

イギリスの「問題」を考える⑦: ポジティブな面

最初の記事はこちら

「問題」というのは不思議なものです。

それにポジティブな気持ちで向き合おうと思い、「問題点は何か」そして「なぜそのような問題が起きるのか」みたいなことを考え、言い始めると、途端にネガティブなトーンになりがちです。
それに対し、「いろいろ問題があってもいいじゃないか!気にせず、前を向いていこうぜ!」と言えば、ものすごくポジティブな感じがします。それだと問題は解決しませんが。

そう考えると、確か坂上忍がどこかで言ってたんだけど、「僕はネガティブな人間です。そして、ネガティブなのは必ずしも悪いことではないと思う」というのが(本当にそうだなあ・・・)と思います。

ときどき思うんですが、ポジティブ/ネガティブって例えば「北半球/南半球」とか、「白人/黒人」とかみたいに、なんかたまたまそうなっただけなのと、あと実はどっちがよくてどっちが悪いみたいな話でもないのではないか、と思います。実はどっちでもいいんじゃないか、と思います。レストランに食べに行って、「このレストランのここがすばらしい!」みたいなことばかり思い付く人と、「ここをもっとこうした方がいいのに・・・。あ、床が汚れてる」みたいに感じる人の間に優劣は無く、単に視点のベクトルが違う方向を向いているだけのような気がします。どっちも社会には必要であり、一方がもてはやされて一方がけなされるのだとしたら、それはおかしい。

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実際、「こんな戦争、もうやめよう!」はすごく「ネガティブ」だし、「ガンガン他国に攻め込もう!」はすごく「ポジティブ」ですからね。世の「ポジティブ礼賛、ネガティブは悪」という風潮は行きすぎており、なんとかしたいものです。

とは言いつつも、問題点を扱うこのブログ記事は確かにネガティブ・センチメントになりがちで、それだとせっかく読んでくれている読者に悪いので、ここでちょっとポジティブな話をしようと思います。

イギリスの交通機関の「いい面」は何か。

  • 地下鉄がすぐに来る。日本だと、ちょうど電車が行っちゃったときにホームに着くと、次の電車は7分後、とかは全然普通にあることですが、こっちだとすぐに次の電車が来る。だから駆け込み乗車が少ない、なんてこともあるんでしょうか。ラッシュ時でもないのに次の電車がすぐ来る、っていうのは一体どういう仕組みなんだろう。すごいなあ、と思います。

  • バス網が便利。都内だとなかなか「バスを使って移動」ということになりませんが、ロンドンではかなり便利な交通手段です。例によってすぐ来るし(笑)。

  • イギリスの国鉄。総じてイギリスの国鉄はステキです。座席が、京浜東北線とかではなく、東海道線(結構好き)や横須賀線(超大好き)のボックス席みたいになっていて、ちょっとした移動でも「旅する感」を存分に味わえます。

ということで、珍しく「ポジティブ」な内容を書いてみました。
書き始める前の予想通り、書いていて(+読んでいて?)多少気持ちよくはなるものの、まあ毒にも薬にもならないというか、あまり意味の無い記事に仕上がりましたね。そりゃそうだ。通訳だって、「あなたの通訳のここがいい」と言い合うのは気持ちいし楽しいけど、一番重要なのは「今の訳だと聴き手にはよく伝わらない」とか、「改善出来る点はここだ」を指摘し合うことだと思います。やはり「ポジティブ」は礼賛されすぎている。

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さて、次は終章「トラブルへの対処法」という、これもややポジティブ目な内容で締め括りたいと思います。

<続く>

# by dantanno | 2018-07-17 17:01 | 提言・発明 | Comments(0)

イギリスの「問題」を考える⑥: 不思議に思うこと

最初の記事はこちら

前回と前々回の記事(連載の④と⑤)で、職員サイドのメンタリティーについて考えた。
今回は、それに対し自分が乗客サイドとして不思議に思うことについて書いてみたい。



1.なんで飛行機が(もっと)落ちないんだろう

ロンドンのヒースロー空港で飛行機に乗り込む度に思うこと。
職員たちがこんなにいい加減なのに。こんなにテキトーなのに。こんなにチームとしての統率が取れておらず、とにかく早く仕事を投げ出してパブに行くことだけを考えている(?)のに、なんで飛行機がガンガン落ちないんだろう。

自動改札機はぶっ壊れてるし、エスカレーターもエレベーターもぶっ壊れてるし、電車そのものや、それを運行するための信号機をはじめとするシステムもいつも壊れている。と考えると、飛行機も「すみません、壊れちゃいました」となっても不思議ではない。それが地上で起きてくれる分には構わないが、空中で「壊れちゃいました」だと困るんだよな〜、と思うんですけど、特に目立ったトラブルも無く運行出来ているのが不思議。

いくつかの仮説が考えられる:
・こっちの人は基本的にいい加減だが、命にかかわることについてだけはいい加減ではなく、ちゃんと対応している?
・僕が街で目にする「いい加減」な職員はごく一部であり、例えば飛行機の整備士の人たちとか、その他大勢の人たちはちゃんと、日本と同じような仕組みのもとで働いている?
・飛行機のメーカーが元々ちゃんと作ってくれているので、メンテナンス側があまりちゃんとメンテしなくても大丈夫なようになっている?

分かりませんが、飛行機に乗る度に毎回不思議に思っています。



2.イングランド戦のときはあんなに燃えるのに

昨日、ワールドカップ準決勝の、イングランド 対 クロアチア戦が行われました。
試合見たさのあまり、電車の運転手たちがこぞってサボってしまい、電車の運行に支障が出たとか出ないとか。そして、ちょうどその時間帯にロンドンのオフィス街と官庁街を通ったんですが、心なしか街はいつもよりも閑散としている気がしました。で、みんなどこにいるかというと、そう、もちろんそうですよね、パブです。パブでパブリック・ビューイングしているわけです。
そして、イングランドが点を決めたときときたら、その歓声、その盛り上がりはハンパない。
イングランド戦だけでなく、地元チェルシーとかリバプールとかマンチェスターのサッカーの試合での盛り上がりぶり+フーリガンぶりもハンパない。

それを見ていて思うのは、(自分が所属する会社にはこれっぽっちも愛社精神、チーム意識を感じず、例えばBritish Airwaysの職員であれば、他部門が起こしたシステムトラブル等の問題についてつゆほどの責任も感じないのに、なんで「国」あるいは「町」という単位になるとここまで一体感を感じられるんだろう、この人たちは)ということ。「国」というのは、その人がたまたまそこに生まれただけで、自分でその国を選んだわけではない(少なくとも多くの人にとっては)のにたいし、「会社」というのは自分が選んでそこに入ったわけで、そういう意味では会社の方が国よりも「そこに所属している感」を感じやすいのではないか、と思うんですけどね。

これは単に単位というか大きさの大小の問題で、「会社」という単位では一体感、所属している感を感じにくいけど、「国家」という単位だとそれを感じやすい、イギリス人はそういう性質なんだ、ということかもしれませんね。一方日本人は「会社」みたいな単位だとしっくり来るけど、イギリスほどは「国家」という単位がピンと来にくい、という面もあるのかもしれません。

あるいは、国への忠誠心、所属している感などについては幼少期からの「洗脳」ですり込まれているのに対し、会社に対するそれは大人になってからの話なので、すり込まれにくいのかもしれませんね。



3.これが、結構いいヤツだったりする(笑)・・・

「何日に行く」と言ってたのにその翌日にノコノコやって来る配管修理のおじさん。
(なんていい加減なんだ!)と腹が立つわけですが、会って話してみると、これが結構いいヤツだったりして、憎めないんですよね(笑)。

地下鉄でも、ぶっ壊れた自動改札機にもたれかかってスタバ飲んでる職員を見て腹が立つわけですが、その人が "Good morning, have a good day♪"みたいに言ってくるとついつい "You too♪"みたいになって、全て結果オーライな感じになってしまう。



4.プライドは無いのか?プロ意識は無いのか?

って思いますよね、日本人からすると。
自分の仕事に誇りを持てて、それを「自分のこと」と思えるのは、実はとても幸せなことなんだなあ、と感じます、ロンドンにいると。

一方、1.で書いた通り、仕事に対する責任感の無さは、いわゆるブルーカラーの、それもごく一部の人たちだけにあてはまることなのかもしれません。それがたまたまユーザーとして頻繁に目にしやすい駅の職員とか、空港のチェックインカウンターのスタッフだったりするのかもしれない。そして、忘れてはいけないことですが、そうした職員/スタッフの中にもちゃんと責任感をもって、いい仕事をしている人たちがいる、ということ。たまにそういう人に出くわすと感動を覚えます。そういう80/20の法則ではありませんが、そういう一部の人たちが残りの(大部分の)人たちのいい加減さを補って余りある働きをしているのかもしれません。



さて、次回の記事(ラスト)では、こうした故障、トラブル、遅延、そしてその根底にある職員サイドのメンタリティーを受け、我々利用者、特に日本人の利用者がどう対応すればいいのかについて考えてみます。

<続く>

# by dantanno | 2018-07-13 15:04 | 提言・発明 | Comments(1)

ロンドンで起業しました

日本でIRISを起業して6年目となる今年、ロンドンでも起業しました。
https://www.iris-japan.jp/
日本は日本で、引き続き業務を行っていきます。

2012年に日本で起業して以来、日系、外資系問わずあらゆる証券会社から「ロンドンでもエージェント業をしてくれ」と言われ続けて来ました。最初はなんとなく受け流していたんですが、あまりにも言われ続けるので、今年重い腰を上げて起業。

一度それを経験した結果思うのは、起業というのは「起業ありき」ではいけない、ということ。Entrepreneurship for entrepreneurship's sakeであってはいけない、ということ。自分の最初の起業は「起業ありき」な側面が多々あって、そのために、登録してくれた通訳者たちを無駄に振り回してしまった側面があったと反省しています。今はもう振り回していないつもりですが。

そうではなく、何かやりたいこと、実現したいことがあって、そのためのやむにやまれずの起業であるべきだし、その方がうまく行く、と感じています。あるいは、別に自分が起業したいわけでもないのに、お客さんから強く求められてなんとなく起業してしまう、そういったズルズルとした起業も非常に健全だと思います。そういう意味では、今回の起業は全く「起業ありき」ではなく、周りがあまりにも言い続けるのでやむにやまれず起業、という感じで、個人的には結構しっくり来ています。

通訳エージェントにとって一番重要となる「通訳者」については、日本での起業時同様、最高のメンバーが集まったと思います。ロンドン、そして欧州在住の方々です。世に通訳者は数多くいますが、実力と人柄を両立させた通訳者は本当に、本当に、ほとんどいない。なんでこんなにいないんだ、とびっくりするぐらいいない。通訳は上手だけど性格が怖すぎたり、人柄サイコーなんだけどウデがいまいち、という通訳者ばかりの中、希有なメンバーが集まりました。

日本で起業した際は、こちらから熱心に、なるべく多くの通訳者たちに働きかけ、1年間毎月勉強会をやって、IRISに興味を持ってくださった方の中から選考を行い、初期メンバーを選びました。
今回、ロンドンでは完全に受け身に徹しました。IRISのウェブサイトを見て、「(日本への一時帰国時に)ワークショップに参加したい」というように、向こうからアプローチしてきてくれた物好き(?)な通訳者の方々と一人一人向き合い、実力と人柄、そして向上心を兼ね備えた人たちを厳選し、小さなチームを組みました。

こういうプロセスはワイン作りに似ています。作ったことないけど。ものすごい手間と時間とコストをかけないといいものに仕上がらないわけですが、言い換えると、それだけの手間と時間とコストをかければ、かけだだけの、かなりいいものに仕上がる。絶対に急いではいけないし、妥協してはいけない。今回、それが出来た気がしています。

日本でそうしているのと同様、IRISロンドンの通訳者たちに対しては、クライアント支払額を全て透明に開示しています。その上で、クライアント支払額の70%を取ってもらっています。指名案件の場合は80%。

元々IRISを立ち上げる際、「指名の好循環」ということをしきりに言っていました。
1.通訳者がいい通訳をする
2.クライアントが喜ぶ → 通訳者に指名が入る
3.通訳者が喜ぶ。さらにウデを上げるインセンティブになる → さらにウデが上がる → より良い状態で1.に戻る

最初は「エージェントが通訳者に案件を紹介する」でいいけれど、いつまでもそれではいけない。いずれは「通訳者が仕事を獲得し、それをエージェントに流してやる」ぐらいの流れに持っていかないと、プロフィタブル かつ サステーナブルなエージェント業は成り立たないと思っています。

商流上、そしてマーケットの特性上、日本でその流れを創り上げるのはなかなか難しいですが(まだ挑戦中だし、部分的には実現出来ています))、欧州ではその流れを比較的創りやすいのではないか、と思っています。だからこそ、通常案件と指名案件で報酬比率を多少なりとも分けるのはとても大事なことだと思っています。

細々と船出したIRISロンドンですが、今週、なんと「登録通訳者全員稼働」を実現しました。日本のIRISでそれを達成した日のことも昨日のことのようによく覚えています。丹精を込め、厳選して作ったワインがお客さんに喜ばれている感じ。実にうれしいマイルストーンです。

コーディネーターもとてもがんばってくれています。
事業立ち上げ時には混乱やゴタゴタがつきものですが、その中で一生懸命案件を仕切り、通訳者たちに対するケアをしてくれています。Yさんありがとう。
そして今月からは業務拡大に伴いコーディネーターを一人増員する予定。事業の伸びに伴う健全な拡大だと思っています。

「いいIR通訳で、日本のIRと通訳業界を共により良くしていく」が創業の理念。その目標を掲げ続けながら、今年からは日本に加えて欧州でもがんばっていきます。
どうかご支援の程、よろしくお願いします!

# by dantanno | 2018-07-03 05:56 | IRIS | Comments(0)

イギリスの「問題」を考える⑤: 職員サイドの証言に見る、彼ら・彼女らのメンタリティー(後編)

(最初の記事はこちら

このテーマについて、毎日ブログを連載するつもりが、なにせ半分イギリス人なもので、ついちょっと間が空いてしまった。再開します。

前回の記事で、利用客が職員に意見/文句を言った事例、そしてその意見/文句に対する職員側の反応と名語録を紹介した。日本では、職員サイドのこのような対応・反応は考えられない。イギリスの職員のこうした対応の裏にある背景や考え方は何なのか。それら事例に共通するメンタリティーとは何か。

いくつか、共通項的な、カギとなるポイントがある気がするので、それらについて考えてみる。
重複する内容もあるが、構わず書いてみる。
ちょっとグチっぽくなるが、今回の連載の目的はあくまでも「グチ」ではなく、ポジティブに考えることであることを忘れずに読んでいただきたい。




<謝らない>

とにかく謝らない。もう、逆に感心するほど謝らない。

なぜ謝らないのか。
悪いと思っているけど謝らないのか、あるいは、悪いと思っていないから謝らないのか。

1.悪いと思っているのに謝らないケースもあるだろう。謝ったら負けだと思っているのか?謝ってしまったら、非を認めたことになるから?(っていうか認めようよ、って話だが(笑))、だから謝らないのか?日本であれば、悪かったときに「ちゃんと謝ることができる人」がかっこいい/男らしい、とされているが(注:戦争中にやった「悪いこと」はちょっと例外)、イギリスではそうではないのか?

2.悪いと思っていない? → 悪いと思っているのに謝らないのではなく、そもそも悪いと思っていない可能性がある。なぜ悪いと思わないのか、については以下の各項目でそのメンタリティーを考える。



<言い訳をする。逆ギレをする>

「謝らない」と関連する項目。
英語でDefensiveという表現があるが、まさにそれ。客から何か意見/批判を受けたとき、「そうか、客はそう思うのか、なるほどなあみたいに参考にすればいいものを、そうではなく、客からの意見/批判を「攻撃」と感じ、それに対して必死に防戦してくる。「なにを?!こっちの立場はこうだ!!」と反論してくる。クレームは改善のチャンス、という意識はみじんも感じられず、いかに批判を受け流したり、あるいは上手に反論するかに命をかけているかに見える。



<Defensive>

空港の入国審査ゲートとか、いろいろなところに We will not tolerate abuse みたいな張り紙がしてある。tolerateは「許容する」、abuseは「侮辱、ののしり, 悪態, 暴言」といった意味だ。つまり「ことばの暴力」のような意味だが、abuseにはphysical abuse、つまり肉体的な暴力も含まれる概念だ。
いろんなところにペタペタと貼ってある We will not telerate abuse は要するに、怒った乗客が職員に対し罵詈雑言をはいたり、ときには肉体的な暴力をふるうことを事前に阻止する狙いがあるのだろう。腹を立てた利用客が職員をAbuseすることは許されませんよ、ということ。確かに攻撃的な客もいるのだろう。職員もかわいそうだ。

もちろんAbuseはいけないが、でも、相当強い不満があるからついつい攻撃的になってしまうわけだ。それだけ傷ついている、それだけ怒っている、ということだ。攻撃的な客を責めるのもいいが、まずは自分たちの非を認め、客をそこまで怒らせないための対策を考えるべきではないか。



<組織への帰属意識の無さ → 自分の責任の範囲外>
例えばブリティッシュ・エアウェイズのシステムトラブルで大量のキャンセルが出たとき、「すみません、ウチのIT部門がヘマをしまして・・・」とは絶対にならない。そんなこと言わないし、全然思っていない。むしろ、オレたちだって被害者だ!ぐらいに思っている(笑)。「本当だったら、もうとっくにパブに行けていたはずの時間なんだ。それなのに。。。オレだって困ってるのに、そんなオレに文句を言うとは何ごとか!」ぐらいに思っている。
上記「言い訳/逆ギレ」の項目とも関連。

同じ組織だから連帯責任だ、という意識は皆無。手は、足がやったことに責任を感じない。サッカーのイングランド戦とか、地元のFootballクラブの試合では「組織の一員」としてあんなに燃えるのに(笑)、なぜ仕事においては組織/チームへの帰属意識を感じないんだろう。

そして興味深いのが、「それは自分の責任の範囲外だ」というのであれば、じゃあ、自分の責任の範囲内のことは責任をもってしっかりやるのかと言えば、意外とそうでもないからタチが悪い(笑)。



<他人事>
以前、アムステルダムからロンドン(ヒースロー空港)に向かうフライトが出発直前になってキャンセルになり、その1時間後の、かつ予定されていたヒースロー空港ではなくロンドン・シティ空港行きに振り替わったときがあった。多くの乗客がフライト・キャンセルの影響を受けていたこともあり、乗った機内のアナウンスで、CAさんがそれについて一言言ってくれた。それはいいのでが、その内容がWe are sorry to hear that your flight has been cancelled、つまり「フライトがキャンセルになって残念でしたね、大変でしたね」みたいな内容。ここでの”We are sorry”は「ごめんなさい」ではなく「ご愁傷様」に近い意味で、謝罪ではなく同情の“Sorry”だ。つまり、「ウチの会社(この場合はKLM社)がご迷惑をお掛けしてすみません」とは思わないのだ。だから、悪びれもせず、謝りもしないのだ。

労働者意識なんですかね。自分はしがない一労働者で、「会社」とはまったく別物です、と思っているような印象を受けます。




<We are doing our best。 仕組み化しよう、という発想の欠如
その場しのぎの対症療法短期志向なのだ。喉元過ぎれば熱さを忘れる、なのだ。

今、自分にできることは何か。それを考えるのはすばらしいが、それだけではいけない。再発を防ぐには、仕組みから変えることが必要だ。でも、仕組みの問題点を指摘しても、「今それを言ってもしょうがないでしょ、今は目の前の問題に集中しましょうよ」と、一見もっともなことを言ってくる。「今はとりあえず目の前の問題に対処して、来週のスタッフミーティングで今後の対応策を考えよう」とはならないのだ。「目の前の問題に対処して、定時になったら近くのパブに行こうとしか考えないのだ。




<There is nothing we can do>

無常感ですよね。
村上春樹さんが、自身の作品の授賞式で行ったスピーチで、日本人は無常と共に生きている、といった話をしています。確かにそうだな、と思うわけですが、イギリス人だって無常感がハンパない。これは There's nothing I can do を繰り返す職員サイドもそうだし、それを受け「ま、しゃないか・・」とあきらめる乗客サイドもそうです。

職員の、「システム上、今の自分に出来ることは何も無いのだ」という姿勢。これで完全にDoneです。完全なる思考停止。他に何かすべきことがあるなんて思いもよらない。前の項目とも関連するが、「翌週のスタッフ・ミーティングで、、、」とはならない。スタッフ・ミーティングなんてやっていないんじゃないか(笑)、そもそも。

確かに「今出来ること」は限られているのかもしれないけど。だったら、今はもういいから、明日以降、根本的な対応を考えましょうよ、そうしないとまたこういうことが起きますよ、と言いたいのだが、言っても伝わらないだろう。




<We value your feedback。 ご意見をお寄せください>
これはもう笑っちゃうしかないのだが、こっちの提言・意見・不満に対し全力で逆ギレをしたくせに、 We value your feedback(ご意見をお寄せください) などとしおらしく言ってくる。トラブル続出のくせにアンケートを強要してくる(笑)。こちらからすると、(いやいやいや(苦笑))という話だ。「フィードバックくれ」って言うけど、さっき駅で「フィードバック」を駅員に伝えたら、逆ギレ・言い訳・責任転嫁のオンパレードだったじゃないか。それが今さら「フィードバックしろ」なんて、一体どの面下げて・・・、っていう話です(笑)。

これ、思うんですけど、恐らくシステム上は「乗客のフィードバックを吸い上げる仕組み」というのは組み込まれているんだろうと思うんですよ。会社の方針としてはそういうタテマエになっているし、きっとそういう部門もあるんだろうし、マニュアルももしかしたらあるのかもしれない。問題は、その仕組みが個人レベルで全く機能していない、という点です。

一方日本の場合、会社のタテマエ的な仕組みが、個人のレベルでもある程度機能している。シンクロしてるんですね。それが大きな違い。




以上、トラブル時の乗客からの不満の声に関する、職員側の逆ギレ集から抽出できる職員らのメンタリティーについて考えて来た。

本連載もそろそろまとめに入る。

<明日以降に続く>

# by dantanno | 2018-07-02 22:52 | 提言・発明 | Comments(0)

パスポートなんていらない

アムステルダムで、アンネフランク・ミュージアムを訪問。

「ユダヤ人だから」という理由(いや、「理由」になんかなっていない)で迫害を受け、殺された人たちのことを思い、多くの訪問者がそう感じるであろうように、「こんなことは絶対に繰り返してはいけない」と誓う。

その足で空港に。

出入国審査カウンターに行くと、持っているパスポートによって、2つのグループに分けられる。
一方はスイスイ進む列。
そしてもう一方は、「それ以外のパスポートの人はみんなこっち」と、長時間待ちの列に並ばされている。

どのパスポートか次第で、全く異なる扱い。なんだ、全然歴史から学んでないじゃないか(笑)。やってることが同じ。


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世の中は間違いなくいい方向に向かっていますが、まだまだ出来ること、改善すべきことは多い。

とりあえず出入国審査に関して言うと、「クルー最優先 → 次に自国民 → 最も悪く扱うのは外国からのお客様」という構図を逆転させるべき。それが「おもてなし」。やろうと思えば明日からでも出来る。

あ、順番を逆転させただけだと、不平等のままか。
じゃあ、全員一列で。

# by dantanno | 2018-07-02 17:02 | 提言・発明 | Comments(0)

カンマとピリオドの正しい使い方

先日、ある会社に同行して海外IRをしていたときのこと。


一日の行程が終わり、ホテルにチェックイン。そしてその晩は、証券会社主催のディナーが予定されていました。ホストは、僕がまだ会ったことのない、証券会社のちょっとエラ目の方。その方とホテルのロビーで合流し、みんなでレストランに向かうことになっていました。




チェックインを済ませ、部屋で着替えて、ホテルのロビーに戻りました。すると、今回IRに同行している証券会社のバンカーが、その「エラ目の方」と話していました。僕は初対面だったので、「どうも、通訳者のタンノです」と挨拶。先方も「どうも初めまして、○○です」と返す。


そのわずか数秒後。エラ目の方が僕の方にちょっと歩み寄り、「あの、、、」とのこと。


たった今互いに挨拶をしたわけですが、ホテルのロビーが結構ザワザワしていたのと、僕があまりハッキリとしゃべらなかったのとで、「タンノ」がハッキリと聴き取れなかったようで、






エラ目の方 「カ、カンマさん、、、ですか?」






せっかく「いえ、ピリオドです」と返すチャンスだったのに、そのときは機転も利かず、「タンノです」とフツーに答えてしまいました。。。




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# by dantanno | 2018-07-01 14:41 | ことば | Comments(0)

イギリスの「問題」を考える④: 職員サイドの証言に見る、彼ら・彼女らのメンタリティー

(最初の記事はこちら


筆者はチキンである。小心者である。

だから、ロンドンの交通機関において故障や遅延などのトラブルに直面した際(つまり毎日)、内心憤っていても、表面上はおとなしく受け流している。文句を言う勇気など無い。

しかし、そんな筆者でも、ときどき、勇気を出して、職員に何かしら「言ってみる」ことがある。

また、筆者が何か言いたいのに言えずモジモジしていると、他の、筆者よりもはるかに勇気ある乗客らが職員に抗議をしたり、疑問の声を投げかけたりするのを多々目撃もしてきた。

ーーー

そうした乗客からの声に対する職員側の反応が、これまた実に興味深い。その反応から、彼ら・彼女らのメンタリティーが垣間見える、そんな貴重な「資料」のような気がするし、そのメンタリティーが「原因Y」、つまり故障時の初期対応、再発防止策および日頃の点検・整備の欠如につながっている気がするので、ここでいくつか事例を紹介した上で、そのメンタリティーを分析する。



<事例紹介>

事例① ヒースロー空港での自動チェックイン機

自動チェックイン機は結構便利なので、よく使っています。日本にもありますよね。特に、預ける荷物が無いときに便利ですよね。

この事例が起きた時は、自動チェックイン機が10台ぐらい並んでいて、たまたま僕が選んだ機械が調子が悪くて、うまくボーディングパスを出せなかったんです。で、隣の台に移って再度やってみたら、スムーズに発券できました。

ちょうど、近くにエアラインの担当者のおじさんが立っていたので、あくまでも親切心で、僕が最初に当たった機械が調子悪いことを教えてあげたんです。結局無事に発券できたし、僕としては全然不満に思ってもいなかったので、クレーム的な言い方ではなかったと思います。あくまでも「ご参考まで」的に、親切心で教えてあげようとしたんですよ。

僕 「あの〜、この機械、調子悪いみたいですよ」

それに対するおじさんの返しがふるっている:

「You can use the other machines (だったら他の機械を使えばいい)」

いや、まあそうなんですけどね。。。
これが事例①。



事例②: バスの「突然全員降りて」

これ、ロンドン・バスに乗っていると結構よくあることです。
どこどこ行きのバスに乗っていると、まだぜんぜん目的地(終点)に着いていないのに、突然アナウンスが流れ、「このバスはここで停まることになった。全員降りて」と言われるんです。返金とかも別になし(降ろされたバス停で次のバスを待ち、乗り込んだ際、「前のバスに降ろされた」と言えば無料で乗れる仕組み)。
恐らくダイヤの都合とかだと思うんですが、そういうことがよくある。

僕を含め、ほとんどの乗客は「えーーー」とか言いながらしぶしぶ降りるわけですが、中には運転手に食ってかかる乗客もいます。
先日、一人の女性が食ってかかっていました。

女性 「急に「突然降りろ」なんてひどいじゃない。そういうことなら、乗るときとか、もっと前に言っといてくれれば心づもりも出来るだろうに。いきなり言うなんておかしい!」

と、実にごもっともなことを言い出しました。筆者を含め、乗客たちはみな心の中で(そうだそうだもっと言ってくれ・・・)とうなずきながら、見て見ぬフリをしながら運転手さんの対応を見守ります。すると、

運転手 「オレだって今知らされたばかりなんだ!There's nothing I can do (どうしようもないじゃないか)」

それで一件落着(笑)。

(ちなみに、運転手のその回答を受け、女性に言ってほしかったのは、「別にあなた個人を批判・攻撃してるんじゃないのよ」ということ。
「あなた個人ではなく、あなたが属している会社、そしてそのシステム、仕事のやり方、それを批判してるの。それをなんとかしてちょうだい」と言ってくれればよかった。
まあでも、それに対し運転手は「会社に対する文句をオレに言われても困る。オレは一運転手にすぎない、There's nothing I can do」と返すに決まってますけどね。結局ナッシング・アイ・キャン・ドゥという、脱力系の結論になるわけです。)



事例③: ブリティッシュ・エアウェイズの大量キャンセル事件

以前、結構大きなニュースにもなったんですが、ブリティッシュ・エアウェイズ(BA)でシステムトラブルが発生し、その日と翌日のフライトのほとんどが大幅な遅延、あるいはキャンセルになるというハプニングがありました。
僕はちょうどその日、幸運にも(?)BAのフライトに乗ることになっていて、混乱のピークのさなか、ヒースロー空港のBAのラウンジにいました。幸い、僕のフライトは奇跡的に多少の遅延ですみ、ほぼ定刻通りに出発予定でしたが、他の乗客たちは大変です。ラウンジ内の画面を見ると、ほとんどのフライトがCancelledと表示されています。ラウンジ内のBAカウンターに詰め寄る客たち。それに対し、BA職員が執拗に繰り返していたアナウンスが以下の2つ:

"There is nothing we can do"
"We are doing our best"

"There is nothing we can do"は、一つ前のバスの運転手さんが言っていたことと一緒で、「自分らにはどうしようも無いんです」みたいな意味。

そしておもしろいのが "We are doing our best"だと思いました。「我々だってベストを尽くしてるんだ!」みたいなニュアンスでしょうか。

以前、日本で食品系のスキャンダルがあって、問題となった会社の社長が「私だって寝てないんだ!」と叫んで相当叩かれていましたが、それと同じ系統の発言でしょうか。当時、僕はすごくその社長にシンパシーを感じたものですが、日本の世間様からの叩かれようはすごかったですね。そういう意味では、僕も "We are doing our best"的な、イギリス的な考え方を理解する側面があるのかもしれません。




事例④: ホテルの朝食込み?別?事件

エジンバラのホテルに宿泊したときのこと。
そこはIRでよく泊まるホテルなので、ある程度勝手が分かっていました。で、いつも朝食は料金に含まれていないので、今回もそうだろうな、と思っていたら、フロントの女性が "Breakfast is included" みたいなことを言う。で、彼女が見せてくれた僕の宿泊台帳(?)みたいな紙のBreakfast欄を見てみると、「Included(込み)」の横の四角いボックスが蛍光ペンでしっかり塗りつぶされており、Not included(朝食別)の四角は空欄のままになっていました。

(へえ、朝食込みなんだ、珍しいな、うれしい♪)と思い、翌朝朝食を食べ、チェックアウトしようとすると、朝食代を払え、と言う。

いや、朝食「込み」って言われたから食べたんだけど、と説明(朝食代が「別」だったら食べなかった、というのも我ながらなんだかせこい話だな、と思いつつ)。それに対し、いや、込みなんて言ってません、込みじゃないです、の一点張り。
「ほら、宿泊台帳を見て」と言われたので見てみると、やはり、"Breakfast (included)"の真横の四角が蛍光ペンで塗りつぶされています。「朝食「込み」の四角が塗りつぶされてますよね、昨日これを見ながら説明を受けました」と(チキンながらも)一定の自信をもって僕が言うと、

 「この蛍光ペンは、朝食(込み)の四角が空欄であることを強調するために塗ってあるのよ。ほら、実際、四角にチェックは入っていないじゃないですか」

と猛反発。頼むからまぎらわしいことはしないでほしい(笑)。

その後も、ホテル側の主張をひたすら繰り返すだけ。

僕としては、別に大した金額じゃないし、払うのがイヤなわけでもないんですよ、別に。ただ、チェックイン時に「朝食込み」という印象を受けたこと、結局それは違っていたわけですが、実際そういう印象を受けたのは事実であること、を伝えたいだけなんですよね。だから、ホテル側が「分かりました、ウチの説明の仕方も分かりにくかったかもしれませんね」とかなんとか、それっぽいことを言ってくれればこっちもおさまるし、それで僕がホテル側の要求通り代金を支払えば、僕的にはそれでよかったわけです。でも、譲歩は一切なし

僕も、なんだかアホらしくなってきたし、もしかしたらチェックイン時に僕が聞き間違えた可能性ももちろんあるわけだし、要求通り朝食代を支払って一件落着。

ーーー

さて、4つの事例を紹介しましたが、いかがでしょうか。
日本で、職員・店員側のペコペコ対応に慣れているクレーマーやモンスター・ペアレントたちが目の当たりにしたら、驚愕すること間違い無し。

そうだ!
クレーマー化、モンスター・ペアレント化してしまった自分をなんとかしたい、もう一度正常に戻りたい、と思っている人は、ロンドンの地下鉄に乗ったらいい。全てが壊れているから。で、そのことについて駅職員に文句を言ってみたらいい。僕が通訳するから。あまりのカルチャーショックに、それまでの(日本での)クレーマーぶりはふっとび、一気に仏の心を手に入れられるでしょう。

ーーー

余談はさておき。
↑で見て来た職員サイドの発言・対応から透けて見える、その根本的メンタリティーは何か。それをいくつか抽出してみたいと思います。

(明日に続く)

# by dantanno | 2018-06-26 00:32 | 提言・発明 | Comments(0)

イギリスの「問題」を考える③: 「なぜ?」を繰り返す

(最初の記事はこちら

イギリスの、機械の故障や交通機関のトラブルは、なぜ起きるのか。

なぜ故障するのか。
なぜトラブルが発生するのか。

故障やトラブルは、言ってみれば表面的な問題である。そうした表面的な問題を引き起こしている、その裏にある「原因」が何か存在する。その「原因」が、より本質的な問題。それをXとする。

そして、その本質的な「問題」Xにも、それを引き起こしているさらなる原因「Y」がある。「なぜXなのか」に対する解Yである。これはさらに本質的な問題である。

で、さらに「なぜYなのか」と考えると、実はYの裏にもZという、さらなる問題があったりする。


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こうやって「なぜ?なぜ?」と考えるプロセスは、トヨタでの問題改善プロセスと似ている。
なぜ故障・トラブルといった問題が起きるのか? → Xだから → なぜXなのか? → Yだから → なぜYなのか? → Zだから、といった具合に。

ーーー

さて、イギリスで発生する故障・トラブルそのものについての概観は済んだので、さっそく、1つめの「なぜ」にとりかかろう。
表面的な問題である故障・トラブルを直接引き起こす、最初の原因Xは何なのか。故障・トラブルはなぜ発生するのか。

ーーー

「故障・トラブル」は必ず起きるものだ。それは仕方がない。大事なのは、

1.故障・トラブルが起きてしまったときにどう対応するか、そして
2.今後、再発しないようにはどうすればいいのか、だ。(2.には、再発防止策の策定はもちろん、日頃の、故障が起きる前からの予防的メンテナンスなども含まれる。)

イギリスにおける「故障・トラブル」というものを考えてみると、上記2つのステップ、その両方において「問題」があることが分かる:

1.故障・トラブルが発生する (表面的な問題)
2.(発生した故障・トラブルが)なかなか解決しない。解決されないまま放置されている。解決に時間がかかる (その場での対応上の問題)
3.仮にその場では何らかの対応が取られたとしても、その後の本質的な再発防止策が取られない。また、日頃からの点検・整備などもちゃんと行われない。 (そのあとの対応上の問題)
だから、
4.(一旦解決した故障・トラブルが)再発する。再発どころか、それ以降もずっと頻発し続ける → 1.に戻る

ーーー

ロンドンの地下鉄の自動改札機を見ていると、なるほど、実に分かりやすい。

1.自動改札機が壊れる。
2.壊れた自動改札機が、修理されず、壊れたまま放置される。駅職員が、壊れた自動改札機にゆったりともたれかかり、同僚と楽しそうに談笑している
3.再発防止策?点検・整備? What is that? I don't know 四字熟語 (笑). Hahahahahahaha!
4.3日かけてようやく修理された自動改札機が、3秒後にすぐまた壊れる → 1.に戻る

ーーー

イギリスですさんでしまった僕の心を癒すために、再び、日本における「問題」への対処法を振り返りたい。何か問題が起きると、

1.その場での短期的な対応(応急対応)
2.その後の長期的な対応(再発防止策)

の両方が行われる。
一方イギリスは、その両方が実に弱い。

さて、それでは次の「なぜ」に映る。
もう一段思考を進め、原因Xの次の原因「Y」について考えてみる。

なぜ応急対応がすぐに行われないのか。なぜ再発防止策がとられないのか。なぜ日頃の点検・整備がおろそかになるのか。

(明日に続く)

# by dantanno | 2018-06-25 04:55 | 提言・発明 | Comments(0)

イギリスの「問題」を考える②: 日本との比較

(前回の記事はこちら。)

こうしてイギリスでは故障や遅延などのトラブルが日常茶飯事的に頻発・続発するわけだが、これは日本だったら考えられない。
日本は、その辺は実に「ちゃんとしている」。

故障/遅延はそもそもあまり起きないし、起きても速やかに解決する(ことが多い)。

以前、外国人投資家と話していたら、例によって「日本はスバラシイ」的な話になった。
「食事はおいしいし、安いし(注:ロンドンは高い)、安全だし、キレイだし、、、」
のあとに、
"In Japan, things just,,,, work(笑)"

と言っていた。

この"Things just work"はなかなか深くて、訳しにくいなあ、と思うが、「物事がスムーズに、うまく行く」といった意味にも取れる。

<ミクロ>
機械は正常に動き、電車はダイヤ通りに動く。
宅配便が「何時頃に行きます」と言えば、その通りに来る。(ロンドンの場合、水道配管業者が「何日に行く」と言ってもなぜか来ないことが多い)

<マクロ>
世の中のシステムや仕組みが、大きな問題無く、スムーズに機能している

ーーー

確かにそう、日本では物事が「うまく行く」、すなわち "Things just,,, work(笑)" なのだ。

イギリスを考える前に、まず我らが日本について考えてみたい。なぜ日本では物事が「うまく行く」のか。なぜ機械の故障や、交通機関の運行上のトラブルが少ないのか。

ーーー

日本では、何か「トラブル」が起きると、こう考える:

1.まずは問題に対応する。それがなぜ起きたのか、そして今何をすればいいのか。

そして、あとで(事態が落ち着いてから)

2.今後の再発防止策を考える。なぜ問題が起きたのか、を再度、今度はより詳細に分析し、その上でどうしたら今後再発を防げるのか、を考える。

また、

3.そもそも問題が起きないよう、日頃から点検・整備を怠らない


日本では、このような考え方、そして対応が当たり前。実際、どこまでちゃんとやるかは別として、少なくとも上記のような考え方が「あるべき姿」だという共通認識があると思う。そのおかげで、日本では故障、遅延、フライトキャンセルといったトラブルが少ない。

この前、日本にいるとき、イギリスから来日していた投資家と新幹線に乗った。たまたま数分の遅れが生じていて、そのことを駅員さんが執拗にアナウンスしていた。投資家が「これ、何言ってんの?」と聞くのでその旨伝えると、「数分遅れただけなのにこんな大騒ぎになるなんて、やっぱ日本はすごい」と改めて感心された。「イギリスだったら、遅延や突然のキャンセルは当たり前」とのこと。確かにそうだ。

日本がすごいのか、あるいはイギリスがおかしいのか。いずれにせよ、日本と比べて相対的に、(僕の第二の祖国である)イギリスには何か「問題」がある、と言える。
イギリスの、一体何が問題なのか?

(明日に続く)

# by dantanno | 2018-06-24 05:38 | 提言・発明 | Comments(0)

ロンドンの地下鉄の故障から、我々はなにを学べるか

ロンドンで地下鉄に乗ることにしましょう。

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切符売り場に来ました。

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例えば切符売り場の機械が3台あれば、そうですねえ、、、1-2台は壊れています。



「壊れていない」機械で切符を買おうとしてみましょう。
  「システムトラブルにより、ただいまクレジットカードは使えません」
  切符の送出口(?)が壊れていて、うまく出てこない。見えてるんだけど出てこない
  "Need a receipt?" にYesを押したのに用紙切れ。


駅事務所に相談してみますか → ご不在。

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幾多の苦難を乗り越えて切符を買い、自動改札機までやって来ました。

自動改札機が5台あったとして、そうですねえ、2-3台は壊れています。

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稼働している台をなんとか見つけ、無事通過。

すると、エスカレーターが故障中。

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もちろんエレベーターも壊れています。



階段でホームまでたどり着きました。
すると、「電車が壊れたので遅れています」とのこと。当然ですよね。



だいぶ遅れて到着した電車に乗り込みます。
アナウンス 「エアコンが壊れているので、ガマンしてください。水を飲むといいです。」



なんとか目的地の駅にたどり着きました。
そこでも、壊れたエレベーター、壊れたエスカレーター、壊れた自動改札機を通り過ぎ、ようやく地上に着く、という具合。

ーーー

ここイギリスでトラブルが発生するのは、なにも地下鉄においてだけではありません。

バスに乗っていると、急に車内アナウンスが流れ、「このバスはここで停まることになりました。ここが終点です。みんな降りてください。さあ、今すぐに」と言われることがちょいちょいある。
飛行機が遅れたり、フライトがキャンセルになるのは日常茶飯事。
国鉄も、故障はもちろん、遅延・運行停止が当たり前。

イギリスに入国する際のeパスポートレーンもすごい。
イギリスのパスポートを持っている人はもちろん、日本人でも事前に登録しておけば使える自動入国審査ゲート。その機械が何台か並んでいるのだが、故障中で使えないものが散見される。
故障していないものを見つけ、いざパスポートを読み取らせようとすると、「うまく読み取れません。係に相談してください」となる。パスポートに何か問題があるのかと思い係員に相談すると、「隣の機械でやってみろ」と言われるのでやってみると、今度はスッとゲートが開く。そして、今自分が通れなかったゲートに次の「犠牲者」(笑)が並ぶ。歩きながら振り返って見てみると、パスポートがうまく読み取られず、係員となにやら話をしている。

ーーー

こうした故障、遅延、キャンセル、読み取り不能。これらは、すべて「トラブル」の一種です。
こうしたトラブルがとても多いんです。



トラブルを嘆いたり怒ったりするだけでは実にもったいない。今回のブログでは、こうしたトラブルから何を得られるか、を考えてみます。



# by dantanno | 2018-06-23 18:34 | 提言・発明 | Comments(0)

新たな通訳道具を購入し、気合いを入れ直す

通訳において、メモ取りというのはとても大事なプロセスです。

簡単に言うと、話し手が言ったことを記録・記憶するために使うわけですが、それだけが目的ではありません。いろいろな側面的な効果があります。例えば・・・

・聴いた内容ではなく、「理解した内容」をメモすることにより、理解の一助とすると共に、話を再現しやすくする
・何をメモるか、を取捨選択する過程で話の重要性を判断する

話し手が話し終わり、いざ通訳をする段になって、メモを頼りに話し手のメッセージを再現します。

通訳者によってスタイルは異なりますが、僕の場合、メモを四角(横6 X 縦4ぐらいの大きさ)に取り、全体を一枚の絵、あるいは地図として眺めた上で、それを聴き手にどう伝えるかの戦略を立てます。
(一方、業界で推奨されている方法は、メモを縦長に取り、訳す際は一番上から順々に訳していく、というスタイル。)

たまに、通訳者ではないものの、バイリンガルでかつインテリジェントな人がいて、そういう人が、通訳の訓練を受けたわけでもないのに、かなりいい通訳をしたりします。例えば、企業のバイリンガル社員が自社のミーティングにおいて通訳をする、といったケースがあります。そういう人はシロウトなのにびっくりするぐらい通訳が上手なのですが、それでもやはり一流のプロ通訳者には劣る(でも、普通の通訳者よりはずっと上手)。その差を生み出す一番の理由が「メモ取り」だと思います。
シロウトは、メモを取らない、あるいは取るのに慣れていない。それに対し、プロはメモ取りが上手なんです。

そんな、とても大事なメモ取りの作業。
それに必要となるのは、ノート/紙、そして筆記用具です。

ーーー

一時期(ほんの一時期)、裏紙をメモとして使っていた時期がありました。

確かに資源のリサイクル、いや、正確にはリユースか、、、資源のリユース的には裏紙を使った方がいいんでしょうが、なんだかこう、通訳に対する冒涜のような気がして、早々にやめました。裏紙の切れっ端に、1本100円のボールペンを使って仕事をしていると、自分の仕事がその分「安く」なる気がしたんですよね。気持ちが少しだけ荒み、だらけているのを感じました。

当時も今も「通訳のプレミアム化」ということをずっと言っていて、いかにクオリティの高い通訳を提供し、それに見合った高い対価を取っていくか、を考えたときに、安物を使って通訳をするのはもうやめよう、と思いました。

それ以来、ずっと「いいもの」を使うようにしています。

ーーー

最近買って、まだ一度も使っていないのに、既にとても満足しているのがこれ。

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イタリアのFabrianoというブランドです(買ったのはロンドンだけど)。


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オレンジという色が、いろいろな色のスーツに合う気がしました。グレーでも、ブルーでも、茶色でも。

中には大きなノートがあって、ペンホルダーがあって、そしてA4のプレゼン資料やMacbookを入れた上でジッパーで全体を閉じられる点が気に入りました。

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ノートもついてきました。

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ノートについては、横線が入っているものを使うのが業界では一般的(?)とされているようですが、横線がノイズとなり訳に干渉する気がするので、必ず白紙、あるいは目立たないグリッド/点々が入ったノートを使っています。


電車のチケットとか、

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名刺とか、

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それはそれで通訳に干渉しそうな余計なモノを差し挟める隙間もあり便利。

店員さんに乗せられ、ついでにペンも購入。

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LAMYのペンは、一度ヘンなのに当たって以来避けてきたんですが、このペンのインクの出の滑らかさがハンパない。とても気に入ったので、別の色のペンをもう1本と、Refillも4本買いました。

ノートが通訳者にとっての盾ならば、ペンは剣。
いずれも大事な道具です。

こういういい道具を、文具に対する愛着を感じさせる文具店で買うのが大好きです。
そして、せっかくこういういい道具を使っているのに、クオリティの低い通訳をすることは決して許されないな、という戒めになるんです。

明日からこの武具・防具一式で仕事に臨みます!


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# by dantanno | 2018-06-18 05:03 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

「生臭い」社員

IR通訳をしていると、いろいろな会社の、実にいろいろな話を訳すことになります。

ーーー

先日、ある会社のIRミーティングで通訳をしていたときのこと。人材育成とか福利厚生とか、従業員周りの話になりました。その流れで社長さんが

「ウチは先日フリーアドレス制を導入しましてね。」

とおっしゃいました。固定席を廃止し、みな、毎朝出社したら好きな場所に座り、コラボレーションをしたり個人作業をしたり、というアレです。

社長の話が続きます。

「社員たちも喜んでいるみたいです。もっとも、当初は生臭い社員とかはフリーアドレス制をイヤがったんですが(笑)。」



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聞き間違いではなく、社長は確かに「生臭い社員」と言ったんです。

ーーー

最初、その発言を聞いたときは、

(社員の中には生臭い人もいて、その匂いを敬遠し、その人の周りには誰も座りたがらないから、フリーアドレス制がなかなか定着せず、困ったものでしたよ、ハハハ)

みたいな意味かな、と思いました。確かに僕も、漁船からオフィスに直行したかのような匂いの人の隣で長時間仕事したくない。

でも待てよ、、、社長の発言を再度確認します。

「社員たちも喜んでいるみたいです。もっとも、当初は生臭い社員とかはフリーアドレス制をイヤがったんですが(笑)。」

「イヤがった」の主語は「他の社員」ではなく、「生臭い社員」本人です。
生臭い社員が、フリーアドレス制をイヤがっている。。。ピチピチと。
これはどう考えればいいのか。


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上記は「意味」をどうとらえるか、という問題ですが、それと並行して、テクニカルな「訳し方」の問題もあります。

僕の手元のメモには「生臭い」を表すお魚のマークが書かれています。さっき、社長の話を聴き、首をかしげながらも僕が描いたお魚マークです。

通訳者である僕にとっての問題は、これをどう調理、、、じゃなくて、どう訳すか、それが問題ですよね。

生臭い社員 → employees that smell like fish でいいでしょうか。
いや、ダメだ。もっと「生臭さ感」を出すためには、raw fishの方がいいかな。employees that smell like raw fish。うん、いい感じ。


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いろんなことを考え、紆余曲折を経て、

(ああそうか、フリーアドレス制への移行をイヤがったのは、「生臭い」ではなく、「ものぐさ」な社員か・・・)

と気付きました。
「ものぐさな社員」と言おうとして、つい感極まって「生臭い社員」と言ってしまったのだろう、と解釈しました。

通訳をしていて、今回のようにスピーカーが言い間違いをしたり、「上がる」を「下がる」と言ってしまったり、単位や年を間違えたり、というのはよくあることです、人間ですから。そういうときに、さりげなく修正をするのがいい通訳だと思いますが、もしかしたら言い間違いなどではなく、通訳者サイドの理解不足、知識不足である可能性も常にあるわけで、そうした瀬戸際の判断を求められることになります。迷ったとき、王道は「スピーカーに確認をする」ですが、それが出来ない/しにくいこともままあります。

社長に恥をかかせなくてよかったです。
ほら、社長に対し「あの〜、生臭い社員、っていうのは、やっぱあれですか、あの、築地とか、そういうことですか?」と確認を入れなくてよかった。
もっともこの場合、恥というよりは笑いで済みそうだから、徹底的に生臭問題を追究してもよかったのかもしれませんが。

ーーー

結局、僕は「ものぐさ」を lazy と訳しました。
正確には、「生臭い」を lazy と訳しました。誤訳でしょうか、、意訳です。

でも、後から考えると、lazyよりも例えば unwilling to change とかの方が、フリーアドレス制に反対する社員を指すこの場合の「ものぐさ」の訳としてはいいなあ、と思いました。もっとも、本番中は「生臭い」魚のウロコ取りでそれどころではなかったので、smelling like raw fishと訳さなかっただけでもよしとしなければいけない、と自分をなぐさめつつ、家路についたのでありました。

<完>

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# by dantanno | 2018-06-12 23:01 | IR通訳 | Comments(1)

男の育児は、「いいこと」から「当然の義務」にシフトし、そして義務から「権利」に昇華する

今日は「男の育児」について考えてみる。

僕は昔10年ほどサラリーマンをしていた。でも、今は自分の時間を自由にコントロール出来る自営業(通訳者)をしている。そういう背景もあり、2人の子供と多くの時間を過ごしている。まあ、言ってみれば「イクメン」である。

自分のサラリーマン時代のこと、特に外資系証券会社で昼も夜も無い生活を送っていた頃のことを思い返すと、(もしあの頃に子供がいたら、決してイクメンではなかっただろうなあ・・・)と思う。だって無理だったから。そう考えると、男がイクメンかそうでないかは、もちろん本人の考え方次第でもあるが、イクメンであることがそもそも「物理的に可能かどうか」にもある程度よることが分かる。

日本とイギリスを行ったり来たりする生活を送っている。日本にいる時間の方が長いのだが、日本で乳母車を押して街を歩き回っていると、心のどこかで(オレってイクメンだなあ。。。)と、自分に酔っている部分を感じる。認めるのがかなり「イタい」が、実際そう感じていると思う。
でも、不思議なことに、イギリスで乳母車を押したり、(男一人の状態で)公園とかで子供の世話をしていても、日本で感じるあの(オレってイクメンだなあ・・・)感は全く無い。自分は今いいことをしている、という気持ちに全くならない。当然のことをしている、としか感じない。それはそうで、街を見渡せば至る所で男が(一人で)乳母車を押し、幼児をあやし、子供と公園で遊び回っている。それが当たり前なのだ。


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知らないけど、きっとイギリスには「イクメン」ということばすら無いのではないか。仮にあったとしても、それが大きなムーブメントというか、もてはやされるような現象にはなっていないのではないかと思う。イギリスでさえそうだから、こういう面で先進国(?)である北欧とかではもっとそうなのかもしれない。今度行ったとき、そういう目で街を歩いてみよう。

ちょっと余談だけど、先日ロンドンで地下鉄を降り、地上に上がる階段にさしかかったときのこと。自分の前を、乳母車を抱えて階段を上がろうとする男性がいた。(手伝おうかな・・、でも、男だし、大丈夫かな・・)と僕がほんの一瞬躊躇したスキに、すぐ近くにいた女性が「わたし手伝います!」と言って乳母車の片方をスイと持ち上げ、男性と2人がかりで階段を上がっていった。それを後ろから眺めながら、すぐに手を差しのべなかった自分を恥じると共に、女性が男性の手助けをスッと申し出てしまうこの国の文化ってすばらしいな、と思いました。これはちょっと余談。

ーーー

イギリスでは、男が育児をするのは「いいこと」でもなんでもなく、当然のこと。そして、義務なのだ。当然の義務なのだ。だからイクメンをしていても(イクメンなオレ・・・)に全然酔わないんだ、そう思いました。イギリスの人からすれば実はそんなことないのかもしれないけど、外部の人間である自分はそう思いました。

一方で世には、これは日本はもちろんのこと、きっとイギリスにもあてはまると思うけど、「自分は育児をしない」という男性もいるだろう。仮にやるとしても、ほとんどやらない男性、そういう手合いも含め「育児をしない男性」、略してイクメンならぬ「イクジナシメン」と呼ぶ。

思うんですが、イクジナシメンはもはや「古い」とか「古風」とか、そんな生やさしいものではなく、単なる義務違反だと思う。

確かに昔はそれでも許されたのかもしれない。だから、「オレは育児をしない」と昔言っていたのであればまあいいのかもしれない。でも、今や時代は変わった。変わりつつあるのではなく、もう変わってしまったのだ。それに気付いていない人がいる、ってだけの話。


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育児に限らず、何かに対する世の見方がガラリと変わることはよくあって、しかもそれは結構びっくりするほど短期間の内に起こる。

奴隷制と、それに対する世の見方、がいい例だ。昔は奴隷制は「いいこと」だった。「良いこと」ではなかったかもしれないが、「許容される」という意味での「いいこと」だった。現に聖書にも奴隷制を容認する記述がたくさんある。奴隷商人、そして奴隷の使用者たちの中には、それほど罪悪感を感じていなかった人もいただろう。そしてこれは、それほど遠い昔の話ではないのだ。
それが、今やどうか。奴隷制を容認するような考え方の人は全くいない、あるいはほとんどいないだろうし、奴隷制を肯定・容認するような発言をしたらはじきものにされるに違いない。それほど短期間に世のZeitgeist(時代精神)は変わるものなのだ。

「男の育児」というものに対する時代精神も、急速に「しないもの」から「いいこと」に、そして「いいこと」から「当然の義務」にシフトしていると思う。シフトしつつある、というよりも、もうシフトしてしまった、という方が正確かもしれない。繰り返しになるが、そのシフトに気付いていない人が一部いるだけ。

ーーー

「自分も、出来ることなら育児をしたいのだ。でも、会社が、今の仕事が、それを出来なくしているのだ」という男性もいるだろう。きっとそうなんでしょう。現に、昔の僕がそうだった。
でも、そんな会社に頭を下げて入れてもらったのは他ならぬその人自身だ。自らすすんでその仕事を選択したのも他ならぬその人だ。いまや、そういうことまで考えた上で会社選び、仕事選びをする時代なんだろう。

ーーー

ちょっと話がそれるが、僕はごくたまに料理をする。

一番の得意料理はバター醤油スパゲッティー
スパゲッティーをゆで、バターと醤油を入れておいたどんぶりに放り込むだけの、男の料理だ。料理と言えるのだろうか。

でもときどきもっと手の込んだ、ちゃんとした(?)料理をすることもある。2品とか、3品とか。

そういうときに必ず思うのは、「料理って、なんて楽しいんだ!!!」ということ。そして、「これを女性に独占させておくものか(笑)!」と思う。これからは週に一度ぐらいはオレも料理をするぞ!と意気込む。「週に一度」とかじゃなくて、もう「毎週何曜日は料理の日!」って決めた方が続くんだろうな、何曜日にしようかな・・・と悩む。そして、次に料理するのは半年後。

育児も、料理と一緒だと思う。楽しいのだ。大変だけど楽しい。

ちなみに、ここで言う「育児」とは、たまに子供をあやすとか、そういうことを指して言っているのではない。それも確かに育児の一部に違いないが、そんなの100億万分の1だけだ。

男はもっと、育児の大変さを知るべきだと思う。
丸一日、子供1人、2人、あるいは3人と過ごすとヘトヘトになる。自分のことは何も出来ない。家がぐちゃぐちゃになる。大変だ。
でも、「一日だけ」とか、奥さんが出掛けている「一晩だけ」とかは、実は超簡単なのだ。これが今日も、明日も、そして明後日も、、、、、となって初めて本当の「大変さ」が分かる。育児の大変さ。これは正直、イクメンのはしくれである僕も、まだ全然よく分かっていないと思う。でも、かなり多くの時間を子供と過ごしているおかげで、その大変さの片鱗を垣間見ることが出来るというか、いかに大変かを一定のリアリティーをもって想像することが出来る。奥さんがいかにがんばってくれているかをイメージ出来る。

男もみんな、しつけのためなどではなく単に自分のイライラを解消するために子供にあたってしまった後の自己嫌悪(笑)を、女性並みにもっと頻繁に感じるべきだ。ハードだと思っていた出張が、「家で子供たちと過ごす」ことと比べると100億万倍ラクであることを経験すべきだ。カラダ一つで、2人以上の子供の寝かしつけを同時に行うことのめまぐるしさ。こやつにパンツをはかせる間にあやつにボディークリームを塗ってやり、あやつにパジャマを着させている間にこやつを歯磨き用に押さえつけ、、、の理不尽さ(笑)を体感すべきだ。それが奥さんに対するリスペクトにもつながり、夫婦円満をもたらすだろう。

ーーー

育児は大変だけど楽しい。そして、男女問わず多くの人が言うように、自分自身の学びになる。

育児は、実は「義務」などではなく、「権利」なのだ。男もそれに気付くべきだ。
いや、正確に言えば義務でもあり、権利でもあるのだ。

ーーー

「自分は育児が好きではない。だから(あまり)やらない」

女性に聞きたいのは、一体なんでそんな男と子供を作ったの???ということ。まあ、今さらそれを言ってもしょうがない。だったら前を向こう。

育児が好きではない、という男性。そして、育児が権利?だとしたら、そんな権利などいらない、とうそぶく男もいるだろう。
もちろん好みの問題でもあると思う。でも義務なわけだから、「子供を作る」という判断を下してしまった以上、イクジナシメンであることなど許されない。それは奴隷を売ったり使ったりするのと同罪(?)なのだ。

そして何よりも、育児嫌いは単なる食わず嫌いである可能性が高い。
だって、「オレは育児が好きではない」とか言っているぐらいだから、ちゃんと育児と向き合い、それを体感したことが無いんだろう、きっと。まずは一度ちゃんとやってみたらいい。



ブラックコーヒーしかり。

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蒙古タンメン中本しかり。

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最初は苦みや辛さしか感じないかもしれないが、やがておいしくなる可能性が非常に高い。まずはやってみることが肝要だ。

僕は、言ってもそれほどのイクメンではない。まあフツー。単にヒマなだけだ。
一方、世にはすごいイクメンがいる。育児を楽しんでいる男たちがいる。でもそういう人たちだって、子供が産まれる前は「自分は育児好き」であることに気付いていなかった可能性だってある。

ぜひ一度育児を、一晩だけとかではなくちゃんとやってみて、その大変さ、そしてその楽しさ、素晴らしさを体感してほしい。「してほしい」っていうか、まずは僕自身がそれをもっと体感してみたいものだ、と思っている。

会社が、仕事がそれをさせないのであれば、会社とケンカしてでも、転職してでもそれを勝ち取ればいい。育児をするために転職なんて、、、って思う? だから、、、時代はもう変わったんだ、っていう話。

ーーー

ついでに言うと、「子供」というものはそれを作る・産むことももちろん大変だが、本当に大変なのはその後ですよね。何十年もかけて育て、慈しみ、寄り添っていくわけだから。つまり、大変なのは「作る・産む」ことよりも「育てること」。
そして、子供というものに伴う楽しさ・素晴らしさも、実は「作る・産む」ことよりもその後に来る「育てる」という部分にその多くが含まれている。子供を作るだけではあまり多くの学びにならないが、育てることはとてつもない学びになる。

だから、あまり「作る・産む」にこだわりすぎず、子供が出来ないことを嘆くのではなく、もっと養子という選択肢を真剣に考えるのもいいと思う。自分が「作った・産んだ」子供でなくても、子育てに伴う楽しさ・素晴らしさ、そして多くの学びをもたらしてくれるだろうから。ウチの奥さんが続けている児童養護施設に関連する仕事を見ていて、本当にそう思う。

ーーー

奴隷制に疑問を感じていなかった時代のことを、我々は幾分かの恥ずかしさと共に思い返す。
それと同様、男の育児を「いいこと」などといってもてはやしていた時代を振り返って恥じるときが来るだろう。それを義務ととらえていた時代も過去のものになるだろう。

育児は、我々男性の(そしてもちろん女性の)正当な、かつすばらしい、ぜひとも行使すべき「権利」なのだ。

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# by dantanno | 2018-06-09 04:49 | 子育て | Comments(0)