とにかく上手になりたくてなりたくてしょうがなかったんです。なんかもう病的なぐらい。
その時点で自分の通訳が何点だったか知りませんが、仮に65点だったとして、それをすぐに100点に持っていきたい。
まあボチボチやりましょかなんて言ってられない、みたいな強迫観念があったんです。すぐに35点分のギャップを埋めたい、と。
自分のあらゆる通訳パフォーマンスを録音し、本番が終わるとすぐに会議室に籠もって録音を1フレーズずつ聴いていき、なぜダメなのか、どこが悪いのか、どうすればいいのか、をもうメッタメタにやりました。人間の記憶は後から勝手に都合よく創られるし、本件についても間違いなく「昔の自分は努力した」バイアスが作用していると思いますが、でもまあある程度は努力しました。
そうした努力の甲斐あって少しずつ100点とのギャップが埋まっていきました。自分自身でも、そして周囲からの評価においても「ウデの向上」を感じました。それが通訳者になってから大体3ヶ月目ぐらい。
でも、ひとつどうしても乗り越えられない壁がありました。それが「緊張」です。
失敗したらどうしよう。クレーム入ったらどうしよう。「訳が違う」と怒られたら、いや、笑われたらどうしよう。
そう考えるといてもたってもいられず、本番中そのことばかり気になってしまい、緊張してしまうんです。
(頼むから訳しにくい表現出るな、訳しにくいフレーズ言うな・・・)と念じることに集中するあまり、話をちゃんと聞けていないんです。そんな通訳をしている自分を客観的に見て「なにやってんの、お前???」と自分にツッコミを入れる毎日でした。緊張のせいで、自分の本来の力が出し切れて、、、っていうか、出せていない。
文字通り「適度な緊張」はいいのでしょうが、文字通り「緊張しすぎ」はよくないんだな、と。それが通訳パフォーマンスの悪化につながっていました。
100点満点の通訳を目指す(*目指すのは自由)自分にとって、残る大きな壁はこの「緊張」というテーマだと感じました。なんとかしてこれを乗り越えたい。
対処法はいくつか考えられます:
簡単な案件、得意な案件だけをやる → 確かにあまり緊張しません。でも本質的な解決策ではない
お酒を一杯ひっかけてから通訳案件に臨む → 新卒で入った三菱商事の最終面接の際は、有楽町駅のラーメン屋で中瓶2本を飲んでそのまま丸の内の面接会場に向かいました、素の自分を出すために。素で勝負した方が内定取れるだろうと思って。それで(かどうか分かりませんが)面接官とケンカっていうか言い争いになり、(なんだこんな会社!)と席を蹴るようにして退席、その晩「一緒に働こう!!」との熱いお電話をいただきました。結果7年をある意味棒に振ることになりましたが。
通訳においても酒の効用は大きいと思っていて、今も教えている神戸女学院の学生たちの訳がカタいなぁと感じたときは「一杯やった方がいい」とアドバイスしています。
でもまあ、これも本質的な解決策ではない。
本質的な解決策は「余計な緊張を取る」ことです。
そのためには「なんで緊張するのか?」から考える必要がありました。
緊張は性格・性質ではなく、症状であり状態です。だから変えられるはずだと思ったんです。なぜ緊張するのかという、その原因さえ解明出来たら。
なぜ緊張するのか。
考えた結果得た結論は「かっこつけようとしてるから」でした。「良く思われようとしてるから」。「褒められたいから」。「指名を取りたいから」。だから緊張するんです。
自分にとって「褒められる」「指名を取る(=求められる)」ことは何よりも大事で、それを目指すこと自体はまあいいというか、もう今さら変えられない自分の特性でした。問題は、それを求めるあまり緊張してしまい、それが結局パフォーマンスに悪影響を及ぼし、かえって「褒められない」「指名されない」という悪循環に陥ってしまっている、ということでした。
僕は、なんでもそうなんですが、気になり始めるととことん考え抜かないと気が済まないタイプで、この「緊張」の問題について、数えきれないほど何度もサイクルを繰り返しました。
1.緊張がかえって悪影響を及ぼしている。なくしたい
2.じゃあ、そもそもなんで緊張するの??
3.よく見せたいから。かっこつけたいから
4.じゃあ、よく見せようと思わなきゃいいじゃん
フツーの人は、ここで「まあね。でもまあ、そうは言っても、ねw」とかなんとか言って、いつもの日常に戻るんです。
でも自分は病的なので、このサイクルを永遠に、ホントに何百回も繰り返す。そして得た結論は
緊張は損だ
というものでした。
緊張なんてしたくない
だから、緊張の原因となる「よく思われよう」っていうのを捨てよう
そう、心の底から思えました。この「心の底から」っていうのが意外と大事で、ここまで行き着かないと「まあいずれボチボチ」みたいな中途半端なことで終わるんですよね。それだと何年やっても変わらない。
自分は感情ではなかなか動かないんですが、こうやって理屈がバコーンとはまると、今度はもう後戻り出来なくなるぐらい、Overnightでガラッと変わるんですよね。
それで、通訳案件においてよく思われようとするのをやめました。
よく思われることは捨て、その代わり、全神経を「場の成功」に向けることにしました。もう縁の下の力持ちでいいや、と。っていうか、、、そう言えば通訳者って縁の下の力持ちだったじゃん(笑)。Reinvent the wheelしないと気付かないタイプです。
とにかく場を成功させる。通訳者のおかげとか、そういうのに気付かれなくてもいい。うまいこと訳すのを目指すのではなく、その会議、その商談、そのIPOを成功させる。訳の成功も失敗も、それを一番よく分かっているのは自分だから、その案件が終わったらそれを一人噛みしめながら家路につけばいいじゃん、と。
案件に向けた予習をする意義もだいぶ変わりました。
「いいパフォーマンスをするため」とか「怒られないため」とかではなく、「本番中に開き直れるようにするため。健全な逆ギレが出来る土台を作るため」、そのための予習に変わりました。似て非なるものです。
ーー
本番中、よく分からない表現が出た。
でも、自分は人間であり、限界がある。また、バカではない。そして、本件に向け精一杯予習をした。
そんな自分が「分からない」のであれば、それはそのテーマ・フレーズが専門的すぎるか、あるいは話し手の説明の仕方がヘタなのか、とにかく外部要因だ、オレのせいではない、と割り切ることにしました。だから以前感じていた(難しい表現出るな、、、訳しやすいフレーズだけ言え・・・)という念仏もとなえなくなりました。別にどうでもいいや、と。どうせオレのせいじゃないし、なんでも好きなこと言え、と。
本番中は「場の成功」だけを意識し、良く思われようとするのを一切捨て去った結果、肩の力が取れ、本質的な訳を考えられるようになり、そしてまた(今のはどう訳そうかな、、)みたいに通訳で遊べるようになり、通訳がすごく楽しくなりました。
このブログ記事で一番伝えたいことは何か。それは「緊張をなくしたい」と本気で思うことの重要性、でしょうか。そしてそのためには「べき論」ではなく「感情論」でもなく、単純に損得勘定でいいと思います。緊張することで自分は損をしている、そんなのイヤだ、と心底思うかどうか、です。心底思えば本当に(←これポイント)バカらしくなり、緊張しなくなります。緊張するということは、まだそこまで行き着いていないということ。と、今でもたまに緊張する案件に臨むたびに思っています。