マルチタスク

いろんなとこでとっくに言われていることかもしれないが、マルチタスキングが上手な人(※そんなものが存在すればだが)は、「複数のタスクについて同時進行で考えたり処理したりするのが上手」なのではなく、むしろ逆に「今その瞬間にやっているタスク以外の全てのことをシャットアウトするのが上手」なのだ。で、フォーカスする対象をどんどん入れ替えていっている(だから「マルチタスク」しているように見える)のだ。実はシングルタスクなのだ。
# by dantanno | 2023-09-26 07:33 | 提言・発明 | Comments(0)

「特に問題は無い」の問題点

特に問題は無くても、家電やクルマなどの機械は定期的に最新のものを手に入れると楽しい。わずか数年でテクノロジーは驚くほど進化している。「まだ壊れていないから」の恩恵をありがたいと思っているうちに時代は前に進んでいる。

特に問題は無いからといって夫婦生活を続けているとあとで大きく後悔することになる。運命の人はいるのだ。(これでいい・・)と一生懸命自分に思い込ませている内に人生は終わってしまう。だったらその前に行動すべき。気付いていないだけで、実は問題は「ある」のだ。

旅行だってそう。毒にも薬にもならない旅をするぐらいなら、その3倍お金と時間がかかってもいいから自分が本当に生きたい場所に行って、本当にやりたいことをした方がいい。

通訳において、クライアントから「特に問題は無かった」的なフィードバックが来たら(*来ないけど、来たら)とてもガッカリする。目指すべきは「問題無い」通訳などではない。



問題が無いだけに、「特に問題は無い」がある意味一番恐いのだ。



# by dantanno | 2023-09-01 07:24 | 提言・発明 | Comments(0)

通訳者とアーティスト

会議通訳者とアーティスト(例えばミュージシャン)とでは、大きな違いがある。

アーティストは主に、、、必ずではないが、主に、自分のことを「好き」な観客たちが一堂に会し一体感を感じているその前で演じるのに対し、我々通訳者は「はじめまして」のクライアント/会議参加者(以下「顧客」)の前でパフォーマンスを披露することも多い。そのような顧客は我々通訳者のことを「好き」ではない。っていうか、知らない。

そして通訳の場合、特にそれが初めて担当する顧客であれば、我々のことを「好きではない/知らない」どころか、「本当に大丈夫か?この通訳者に任せていいのか?」と不安がっているケースだってある。そこはアーティストと大きく異なる。




そしてアーティストの場合、観客は「高い料金を払って観に来ているんだから、楽しみたい、モトを取りたい。いいパフォーマンスだった♪と思いたい!」というバイアスが強くかかっている。

通訳においても、顧客は高い料金を払っている。そこは同じなのだが、なぜかアーティストの場合の、観客の「ああ良かった♪と思いたいバイアス」とは逆に、顧客は「これだけ高い料金を払っているんだから、本当にいい通訳をするんだろうな・・」と、なぜか逆方向に行く気がするw。

なぜ真逆?それは、アーティストがBtoCなのに対し、我々会議通訳者はBtoBだからだ。



アーティストの観客がその場に来ている目的は仕事ではなくプライベートであり、エンジョイするために来ている。だからこそ「ああ楽しかった♪」と思いたいバイアスが強くかかっていて、言ってみれば並のパフォーマンスでも「ああ良かった♪」と思ってもらえがちという追い風がアーティストには吹いている。

それに対し、会議通訳者はBtoBだ。会場にいるのは仕事をしに来ている人たちばかり。なんならその会議に対し、通訳者以上に真剣だ(だって当事者だから)。
通訳が良かったから会議がうまく行けばもちろん喜んでくれるが、通訳者のせいで会議がうまく行かなければ非常に困る、そういう人たちを我々通訳者は日々相手にしているのだ。



通訳というプロセスそのものは非常にクリエイティブであり、アーティスティックな側面が強くあると思う。だから通訳とアートは共通点が多々あるが、でも一方で職業としての通訳者とアーティストを比べた場合はかなり様相が異なる、という考察でした。

# by dantanno | 2023-08-17 13:20 | Comments(0)

物々交換

大学生の頃の「だりー、バイトの時間までなんもすることないよ」とか言ってる自分に
「そのヒマ、1時間1万円で買うからちょうだい。っていうか、そしたらバイトもしなくていいね(笑)」と言って取引したい

# by dantanno | 2023-07-14 10:10 | Comments(0)

通訳における緊張

通訳者になってすぐのころ、、、だから2008年頃の話なんですが、
とにかく上手になりたくてなりたくてしょうがなかったんです。なんかもう病的なぐらい。

その時点で自分の通訳が何点だったか知りませんが、仮に65点だったとして、それをすぐに100点に持っていきたい。
まあボチボチやりましょかなんて言ってられない、みたいな強迫観念があったんです。すぐに35点分のギャップを埋めたい、と。



自分のあらゆる通訳パフォーマンスを録音し、本番が終わるとすぐに会議室に籠もって録音を1フレーズずつ聴いていき、なぜダメなのか、どこが悪いのか、どうすればいいのか、をもうメッタメタにやりました。人間の記憶は後から勝手に都合よく創られるし、本件についても間違いなく「昔の自分は努力した」バイアスが作用していると思いますが、でもまあある程度は努力しました。

そうした努力の甲斐あって少しずつ100点とのギャップが埋まっていきました。自分自身でも、そして周囲からの評価においても「ウデの向上」を感じました。それが通訳者になってから大体3ヶ月目ぐらい。

でも、ひとつどうしても乗り越えられない壁がありました。それが「緊張」です。
失敗したらどうしよう。クレーム入ったらどうしよう。「訳が違う」と怒られたら、いや、笑われたらどうしよう。
そう考えるといてもたってもいられず、本番中そのことばかり気になってしまい、緊張してしまうんです。
(頼むから訳しにくい表現出るな、訳しにくいフレーズ言うな・・・)と念じることに集中するあまり、話をちゃんと聞けていないんです。そんな通訳をしている自分を客観的に見て「なにやってんの、お前???」と自分にツッコミを入れる毎日でした。緊張のせいで、自分の本来の力が出し切れて、、、っていうか、出せていない。
文字通り「適度な緊張」はいいのでしょうが、文字通り「緊張しすぎ」はよくないんだな、と。それが通訳パフォーマンスの悪化につながっていました。

100点満点の通訳を目指す(*目指すのは自由)自分にとって、残る大きな壁はこの「緊張」というテーマだと感じました。なんとかしてこれを乗り越えたい。



対処法はいくつか考えられます:
簡単な案件、得意な案件だけをやる → 確かにあまり緊張しません。でも本質的な解決策ではない
お酒を一杯ひっかけてから通訳案件に臨む → 新卒で入った三菱商事の最終面接の際は、有楽町駅のラーメン屋で中瓶2本を飲んでそのまま丸の内の面接会場に向かいました、素の自分を出すために。素で勝負した方が内定取れるだろうと思って。それで(かどうか分かりませんが)面接官とケンカっていうか言い争いになり、(なんだこんな会社!)と席を蹴るようにして退席、その晩「一緒に働こう!!」との熱いお電話をいただきました。結果7年をある意味棒に振ることになりましたが。

通訳においても酒の効用は大きいと思っていて、今も教えている神戸女学院の学生たちの訳がカタいなぁと感じたときは「一杯やった方がいい」とアドバイスしています。
でもまあ、これも本質的な解決策ではない。



本質的な解決策は「余計な緊張を取る」ことです。
そのためには「なんで緊張するのか?」から考える必要がありました。

緊張は性格・性質ではなく、症状であり状態です。だから変えられるはずだと思ったんです。なぜ緊張するのかという、その原因さえ解明出来たら。

なぜ緊張するのか。
考えた結果得た結論は「かっこつけようとしてるから」でした。「良く思われようとしてるから」。「褒められたいから」。「指名を取りたいから」。だから緊張するんです。

自分にとって「褒められる」「指名を取る(=求められる)」ことは何よりも大事で、それを目指すこと自体はまあいいというか、もう今さら変えられない自分の特性でした。問題は、それを求めるあまり緊張してしまい、それが結局パフォーマンスに悪影響を及ぼし、かえって「褒められない」「指名されない」という悪循環に陥ってしまっている、ということでした。



僕は、なんでもそうなんですが、気になり始めるととことん考え抜かないと気が済まないタイプで、この「緊張」の問題について、数えきれないほど何度もサイクルを繰り返しました。

1.緊張がかえって悪影響を及ぼしている。なくしたい
2.じゃあ、そもそもなんで緊張するの??
3.よく見せたいから。かっこつけたいから
4.じゃあ、よく見せようと思わなきゃいいじゃん

フツーの人は、ここで「まあね。でもまあ、そうは言っても、ねw」とかなんとか言って、いつもの日常に戻るんです。
でも自分は病的なので、このサイクルを永遠に、ホントに何百回も繰り返す。そして得た結論は

緊張は損だ

というものでした。

緊張なんてしたくない

だから、緊張の原因となる「よく思われよう」っていうのを捨てよう

そう、心の底から思えました。この「心の底から」っていうのが意外と大事で、ここまで行き着かないと「まあいずれボチボチ」みたいな中途半端なことで終わるんですよね。それだと何年やっても変わらない。
自分は感情ではなかなか動かないんですが、こうやって理屈がバコーンとはまると、今度はもう後戻り出来なくなるぐらい、Overnightでガラッと変わるんですよね。

それで、通訳案件においてよく思われようとするのをやめました

よく思われることは捨て、その代わり、全神経を「場の成功」に向けることにしました。もう縁の下の力持ちでいいや、と。っていうか、、、そう言えば通訳者って縁の下の力持ちだったじゃん(笑)。Reinvent the wheelしないと気付かないタイプです。

とにかく場を成功させる。通訳者のおかげとか、そういうのに気付かれなくてもいい。うまいこと訳すのを目指すのではなく、その会議、その商談、そのIPOを成功させる。訳の成功も失敗も、それを一番よく分かっているのは自分だから、その案件が終わったらそれを一人噛みしめながら家路につけばいいじゃん、と。



案件に向けた予習をする意義もだいぶ変わりました。
「いいパフォーマンスをするため」とか「怒られないため」とかではなく、「本番中に開き直れるようにするため。健全な逆ギレが出来る土台を作るため」、そのための予習に変わりました。似て非なるものです。
ーー
本番中、よく分からない表現が出た。
でも、自分は人間であり、限界がある。また、バカではない。そして、本件に向け精一杯予習をした。
そんな自分が「分からない」のであれば、それはそのテーマ・フレーズが専門的すぎるか、あるいは話し手の説明の仕方がヘタなのか、とにかく外部要因だ、オレのせいではない、と割り切ることにしました。だから以前感じていた(難しい表現出るな、、、訳しやすいフレーズだけ言え・・・)という念仏もとなえなくなりました。別にどうでもいいや、と。どうせオレのせいじゃないし、なんでも好きなこと言え、と。

本番中は「場の成功」だけを意識し、良く思われようとするのを一切捨て去った結果、肩の力が取れ、本質的な訳を考えられるようになり、そしてまた(今のはどう訳そうかな、、)みたいに通訳で遊べるようになり、通訳がすごく楽しくなりました。


このブログ記事で一番伝えたいことは何か。それは「緊張をなくしたい」と本気で思うことの重要性、でしょうか。そしてそのためには「べき論」ではなく「感情論」でもなく、単純に損得勘定でいいと思います。緊張することで自分は損をしている、そんなのイヤだ、と心底思うかどうか、です。心底思えば本当に(←これポイント)バカらしくなり、緊張しなくなります。緊張するということは、まだそこまで行き着いていないということ。と、今でもたまに緊張する案件に臨むたびに思っています。


# by dantanno | 2023-06-12 20:07 | Comments(0)