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マイク周りの重要性

先日、あるレセプション的な場で通訳する機会があった。
通訳自体の出来はまあ良かったと思うが、マイク周りとでも言おうか、自分のマイク関連の所作が今一つと感じた。反省を兼ね備忘録的に。

1.事前にマイクの音量や音の届き方をチェックすべし
事前にマイクの高さとか、オン/オフのスイッチとかは確認していたが、実際にマイクをオンにして、本番と同じ声量で声を出してみて、そのマイクがどの程度音を拾うのか、その部屋にどれぐらい響く・届くのか、をチェックしていなかった。
これ、きっとプロの司会者とかはちゃんとやるのだろう。それをやらなかった自分が恥ずかしい。

2.顔・口はマイクから多少離れていてもOK
マイクの高さを事前に調整はしたものの、本番つまり通訳が始まると、どうしても顔をマイクに近づけようとして、猫背になっているのを感じた。
マイクは多少顔・口から離してもいいのだ。
いや、なんなら、それほど広い会場でなければ、そもそもマイクなんて要らないのだ。大きめの声で通訳すれば事足りるのだ。
だから、1.の事前チェックの際にマイクがどの程度声を拾うかどうかをチェックし、その上で、本番中はマイクの位置など気にせず、まるでマイクなど無いかのように自由な姿勢で通訳をすればいいのだ。
ーー
顔・口をマイクに近づけすぎると、何がよくないって、特に訳の出だしが「ボッ!」みたいに、大きく反響してしまうこと。
レセプション通訳に限らずだが、日頃、訳出の最初と最後が一番大事だと思っていて、特に出だしが勝負だ。話者が話し終わって速やかに、適切な声量・トーンで訳出を開始出来ればそれだけでもう100点満点中50点獲得だ。
でも、マイクが近すぎると、その肝心の訳の出だしが「ボッ!」みたいになってしまい(*表現力の無さ・・)台無し。だから、訳の開始時こそ顔をマイクから遠ざけ、マイクではなく自然の声で会場に届けるようにし、その後距離感をつかめてきたら少しずつマイクを使った発出に切り換えていく、というのも手だろう。

3.噛むな
漫才において、噛むことは絶対に避けなければいけない。それはレセプション通訳についても同様だと思う。
噛むな。
なぜ噛む?緊張しているからか?早口で言おうとするからか?
緊張するな(以下4.参照)。
そして、早口で言おうとするな。ちょっとゆっくりでも、噛まない方が100倍ベターだ。
事前に口の運動(あ・い・う・え・おを誇張して言う、とか)をちゃんとやっておけ。←やってたんですけどね。それでも口がうまく回らなかった。なんかアレですね、歳もあると思います。前はもっとうまく口が回ったものだ。

4.緊張は避けるべし
レセプション的な場だと、みんなこっちを見ているし、しかも(同時通訳ではなく)逐次通訳だから、訳の巧拙がモロにさらされることになる。だから緊張する。でも、通訳者が緊張していたら、せっかくの華やかな場も緊張する。会場にいる人たちに気を使わせては申し訳ない。しかも、緊張すると訳がヘタになるし、噛む。
こういう時こそ、たんのだんのブログの「緊張について」の名記事を再読し、緊張しないように心掛けたいものだ。

以上、レセプション通訳の際のマイク周りについての反省点でした。

# by dantanno | 2024-09-28 08:43 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

自分探しを嗤うな

若者がインドで自分探しをする、それを嗤う人たちっていうのは、大成功した人が昔を振り返って「あの時 あの連中の言うことに耳を貸さなくて本当に良かった」と胸をなで下ろす、そんな「あの連中」と全く同一であり耳を貸す必要は一切ない。

自分探しを「逃避」と揶揄する人がいる。でも、逃避して何が悪いの?

今の自分の状況を変えたい、
何か成し遂げたいことに向かって一歩を踏み出す、
ここから抜け出してもっといいところに行きたい、

それって全部「逃避」とも言える。逃避は決してネガティブではなく、むしろポジティブなのだ。
あるいは、逃避をネガティブと定義するなら、「ネガティブ=悪」ではない、ということだ。ネガもポジも一緒。北半球も南半球も対等なのだ。

僕は誰もが「一流」と認める超人気の就職先に就職し、そこで7年間過ごし、その間ずっと自分を見失っていた。見失っているなら探せばいいものを、探しもせずただ悶々としていた。あれは本当にもったいなかった。自分を探していれば、その後の人生がグッとよくなっていただろう。逃避すればよかったし、そうすべきだったのだ。でも、その勇気が無かったから「あの場にい続けた」だけだ。ブレなかったのではないし、忍耐のおかげでもない。勇気の無さの成せる技だ。

「自分はこれ」と、自分を既に見つけている人をうらやましく思う必要なんてない。むしろ哀れむべきだ。その人が若ければなおそうだし、歳が行っていても同様。「自分を見つけた」などと言って喜んでいるうちは器が知れているし、えてして小さくまとまっているだけだ。自分はなんなんだ!?分からない!!と、今の自分の殻を破るべく自分探しをすべきなのだ。

自分探しは、要するに「考えること」。考えることの何が悪い。大いに探し、大いに考えたらいいのだ。



# by dantanno | 2024-07-19 09:53 | Comments(0)

翻訳ではなく「作成」が求められるとき

日本語、あるいは英語のものをもう一方の言語に翻訳するのではなく、もう一方の言語でゼロから作っちゃった方がいいこと多々。

ーー

以前、米国の、とある大企業のウェブサイトを翻訳する仕事を受けた。

作業を始めてしばらく経ち、(何かがおかしい・・・)と感じ、その違和感の正体がなんなのか考えた。そこで見えてきたのが、
1.既存のウェブサイト(英語版)を日本語に翻訳するべきなのか、
あるいは
2.日本語版をゼロから「作る」べきなのか
という疑問だった。

上記1.と2.は似て非なるもの。

その米国企業は、日本にもオフィスがあり、ウェブサイト和訳の依頼はその日本法人から来たものだった。
そこで、依頼主であるその日本法人の担当者の方に対し、
「これ、僕に和訳を依頼するのではなく、みなさん(*日本法人)のほうで、既存の英語ウェブサイトを元に、日本語版をゼロから作った方がいいと思いますよ」
と提案した。その方がよっぽど自然で、かつ説得力のあるものになりますよ、と。

つまり、翻訳ではなく作成なのだ。
で、翻訳なら僕でも出来るが、作成となると僕は出来ないのだ。作成するためには、
1.その米国企業のことをよく分かっていて、
2.そのウェブサイトで何を伝えたいのか、何を成し遂げたいのか、が分かっていて(*これ重要!)、かつ
3.日本語と英語が両方出来る方
じゃないと出来ないのだ。

僕は3.の条件しか満たしていない。
そして、1.はがんばればなんとか身につくが、
2.となるとお手上げだ。当事者にしか分からない。だから当事者がやるべきなのだ、本当は。

ま、2.の「そのウェブサイトの意図、対象オーディエンス、何を伝えたいのか」についても、先方からじっくり話を聞けば僕にも分かるようになるんですけどねw。
でも、1.も2.も、それを一番よく分かってるのは当事者でしょ?ってことです。

ーー

提案は当然のように受け入れられずw、結局僕がそのままウェブサイトを和訳し、結構な料金をいただいた。でも、今でも、あの仕事は本当は「僕の仕事」ではなく「お客さん自身がやるべき仕事」だったと思っている。

# by dantanno | 2024-07-13 08:46 | 通訳 | Comments(0)

「国内」の訳し方について

たまには、通訳者視点のマジメな話。

ーー

グローバル展開する日本企業が、どこかのタイミングで考えるといいと思うのが「国内」というフレーズの使い方、そして訳し方です。

ーー

例えば「国内では〜」とか「国内事業」とか言いますよね。そしてその訳は、まあフツーに訳すと"domestic"。

これでいいんです。いいんですが、、、

訳者である僕が「国内」を"domestic"って訳しますよね。で、我々訳者の仕事って、訳を出した時点でまだ終わらないんですよね。その語が読み手/聴き手の頭の中でどう処理されるか、を責任をもって考えるところまでが我々の仕事です。
じゃあ、僕が発した(*正確には「訳した」)"domestic"を読んだ/聴いた外国人の頭の中で何が起きるかというと:

domestic 
→ 国内、という意味だな 
→ どの国?どこの国内? 
→ 日本、だな。この会社は日本の会社だから 
→ Japan

と、数段階に渡る処理が行われるんですね。
これが申し訳ない。

だから、日本企業が「国内」と言った場合、それを"domestic"と訳すのもいいが、一方でそれを”Japan”と訳すのもアリ、ということ。

ーー

さて、ここまでは、多少気の効いた訳者であれば当然考え、実践していること。
今日は、この問題について一歩踏み込んで考えてみたい。

ーー

訳者である僕が発した"domestic"を受け止める、そのオーディエンスは誰か

例えばIRのミーティングやイベントで発せられた「国内」であれば、その訳である"domestic"を耳にするのは外国の機関投資家たちです。
ビジネスの交渉の場で発せられたものであれば、それを聴くのはビジネスパートナー、つまり取引先や出資先候補等の人たちです。
そして、その会社の社内メッセージ(イントラネットとか、社内報とか)であれば、その読み手は外国人社員や、その日本企業が出資・投資している先の外国企業の社員たちです。

その人たちは、僕が訳した"domestic"を読み、あるいは聴き、(ああ、この会社は「日本の会社」なんだな)と思うでしょう。だって自国である日本のことを「国内」って言っているわけですから。

「日本の会社」でいいんです。実際、日本の会社だし。それはそれで、もちろん大いに誇りを持っていいし、強く発信すればいい。
ちなみに僕の会社の名刺も「日本」を強く打ち出しています。

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「日本のIRを支えるんだ!」という気概を出したつもりです。

ーー

さて、その一方で、"domestic"と聴いたその会社の外国人社員とかはどう思うでしょうか。海外で頑張っている出資先企業の人たちはどう思うか。

(ウチの会社/親会社はあくまでも「日本の会社」なんだな・・・)と思わないか。
(自分は「国内」の反対、つまり「外」にいるんだな・・・)と思わないか。

それが、ちょっとロンリネスwというか、疎外感というか、一体感の無さというか、そういうネガティブな想いにつながらないか。そこが気になるんですよね、日本のIRを担う訳者としては。

ーー

日本国内で「国内」とするのは何も問題ありません。が、要は海外向けにいつまで”domestic”を使うか、ということです。
その会社がグローバルに展開する過程で、徐々に「日本」も「世界の数多くの国の一つ」に位置付けていく、という戦略もアリだと思うんです。

ーー

<結論>
じゃあ、「国内」をどう使い、どう英訳するか、ですが、いくつかパターンが考えられます:

① 日本向けには「国内」と言い、英訳は”domestic”と訳す
つまりフツーのパターンですね。

② 日本国内向けには「国内」と言い、それを英訳する際は”domestic”ではなく“Japan”と訳すパターン
訳者が「国内」を"domestic"と訳してきたら、理由を説明した上で「Japan、でお願いします」と訳の修正を依頼する。

そして一番ドラスチックなのが
③ 日本国内でも「国内」ではなく「日本」と言い、英訳時はそれをそのまま“Japan”と訳す、というパターン
この場合、日本のオーディエンスに対しても「当社は真にグローバルな会社であり、日本は(もちろん会社の礎を成しているし最も大事な国ではあるものの)one of themなんです」というメッセージングになる。

ーー

①〜③、どれがいいか。正解はありません。
でも、これはその会社の気概とかアイデンティティーに関わる話なので、しっかりと経営委員会や取締役会で議論した上で表現を決めて行くべき問題だと思っています。

以上、通訳者視点のコメントでした。

# by dantanno | 2024-07-12 08:59 | Comments(0)

不安の無い「いい状態」を自ら創る

通訳をしていて、とても「いい状態」に入ることがある。

そのときの自分の状態を分析し、普段と何が違うのか考えてみた。

違いは「不安」だと思った。
いい状態の時は、不安を感じていない。リラックスしている。ビクビクしていない。

ーーー

別に「発言者が次に何を言っても上手に訳せる」という自信があるわけではない。ではないのだが、でも「次何言うんだろう。。。もしうまく訳せなかったらどうしよう。。。」という不安、それが無いのだ、いい状態の時は。

ーーー

「不安だ、不安だ」と言っている人を見ると、(何がそんなに不安なの?まずそれを紙に書いてみたら?)と思う。で、
1.その不安を解消出来るなら、すればいいじゃん   「雨が降るかもしれないから不安」 → 傘を持っていけばいい
2.解消出来ないなら、不安がってもしょうがないじゃん  「太陽が落ちてくるかもしれないから不安」 → 考えてもしょうがない
とも思う。

では、上記メソッド(?)を通訳者としての自分にあてはめてみる。
通訳をしていて不安を感じる時、それは一体何が不安なのか? → うまく訳せなかったらどうしよう、という不安なのだろう。

ここで興味深いのは、「うまく訳せないリスク」というリスクは、
①自分がそれを不安に感じてビビっていても、あるいは
②それを不安に感じずリラックスしていても、
いずれにおいても等しく、同じく、存在するのだ、そのリスクは。つまり「発言者が何か難しい発言をして、自分がそれを上手に訳せない」というリスクはいかなる状態においても存在している。その点は同じで、違いは何かというと、それを「不安に思う」かどうか、だけ。

しかも、さらに興味深いのは、その「上手に訳せないリスク」を不安に思わない方がかえって上手に訳せる可能性が高い、ということ。この辺がとても皮肉だが、事実だと思う。


通訳と緊張に関する過去のブログ記事

いずれにせよ、自分の不安の原因を特定し、解消出来るならし、出来ないなら気にしない、そのプロセスを何度も回し続けることが大事なんだと思う。

ーーー

これはもちろん、通訳だけでなく、他の仕事にもあてはまる。
そして、仕事だけでなく人生そのものにもあてはまると思う。

不安のない状態は、その人が自分のベストを発揮出来るとても「いい状態」なのだ。
そして、その「いい状態」を妨げているのは自分だし、いい状態を自ら創り出すことだって出来るのだ、その意志さえあれば。


# by dantanno | 2024-07-10 09:37 | Comments(0)