たんのだんのブログ

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絵本翻訳、ふたたび!

去年に続き、絵本翻訳コンテストに挑戦しています。
今月末が締め切り。

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「しています」と言いつつ、翻訳作業を始めたのは今日。
長いフライトの後、何時間か昼寝して、頭をカラッポにした状態で対象作品を初めてひもときました。お菓子ほおばりながら(笑)。
訳しがいがありそう。



去年、生まれて初めて「絵本翻訳」という作業に取り組み、コンテストに応募しました。
翻訳する過程で、絵本翻訳の難しさを痛感しました。

応募した後、長く心待ちにしていた結果が届くと、あえなく落選。
最優秀賞はもちろん、複数選ばれた「優秀作品群」みたいな一群にも入りませんでした。

思いのほかガッカリしている自分を見て、(一体何を期待していたんだろう・・・)と不思議に思いました。

こういう経験はいいですね。
普段、IR、金融、ビジネスに関連した通訳・翻訳ばかりやって、自分の小さく硬い殻に籠もりがちになったり、あるいはヘンな自信やプライドがこびりついてしまったりします。

「世界は広い」ということや、「自分はそこまで優秀ではない」という当たり前の事実を客観的に突きつけられるのは実にすがすがしいものです。負け惜しみもあると思うけど。



ことし再度挑戦するにあたって、去年何を考えたかを思いだしてみました。
ビジネス系の訳と違い、絵本翻訳は訳の候補の振れ幅がすごい。ああも訳せるし、こうも訳せるし、どちらも間違いではない。じゃあ、どうすればいいの?と混乱していたのを思い出します。結局審査員のさじ加減一つじゃん!と、ちょっと投げやりに思ったのも覚えています。

・ 想定読者として、子供を想定すればいいのか、あるいは代わりに/一緒に読んでくれるママ・パパを想定すればいいのか。
・ どの程度マジメに、あるいはおちゃらけて訳すか。
・ 英語を日本語に訳す際、日本には無い概念(Tea partyなど)をどの程度ローカライズするか。
・ ひらがなか、漢字か。

こういった判断は、ビジネスの訳においてはあまり求められません。

何が正解なのか、さっぱり分からない。
一度訳したものを推敲しているときもそう。手を加えたことが前進につながっているのか、あるいは訳を後退させてしまっているのか、全然分からない。なぜ手を加えるのか、と聞かれれば説明出来るけど、じゃあ元の訳ではダメなのか、と言われるとそうでもない。

すごく難しかったし、ちょっとFrustratingで、かつWaveringだった。

結局落ちたわけですが、何がいけなくて落ちたのか、どうだったらよかったのか、は分かりません。
そうだ、優勝作品と自分の訳を見比べていろいろ考える時間を設けようと思っていたのに、全然やってなかった。今度やろう。



絵本翻訳を難しく感じた理由は、絵本翻訳が難しいからという以外に、僕が慣れていないから、そして「勉強していないから」というのもありました。
そこで、順番が逆になりましたが、応募した後にこの本を買い、勉強しました。

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実際に行ったワークショップを元にした構成になっていて、ためになりました。
著者の訳例も載っていて、(なるほど、そういう視点があったか)という気付きもいくつか。

あまりあれこれ勉強しても目移りしてしまい、いろんな意見が頭の中でこだましてしまいそうなので、当面はこれ一本に絞り、読み返すことで理解を深めようと思っています。



さて、今年。
今年は「自分が納得の行く訳をしよう」と思っています。
審査員がどう思うかではなく、自分が好きになれる訳かどうか。
自分が訳した版が日本で実際に出版されるとして、世に問うのが恥ずかしくない訳かどうか。
批判されたり笑われたりしたときに、(戦おうと思えば)戦える訳かどうか。なぜそう訳したのか、を自信を持って相手に、、、いや、自分に説明出来るかどうか。
自分の子供が対象年齢になったときに読んで聞かせたいと思える訳かどうか。

そういう姿勢で臨もうと決め、さっき初めてひもといてみました。
読んでみると、遊びがあるし、Rhymeもあるし、なかなか手強そう。楽しく明るくもあるけれど、どこか哀愁を帯びた作品に感じました。

これから1週間かけてじっくり訳し、応募します。
# by dantanno | 2015-11-22 04:07 | 日々研鑽 | Comments(0)

「信仰」のもたらす害

パリで、恐ろしい事件が起きました。
こういう事件が起きてしまう背景について、マクロ・ミクロの両面から考えてみました。

マクロ: 「自分が信じる神/宗教/思想が正しく、他の人々が間違っている」という思い。
ミクロ: 「自分が信じる神/宗教のために死ねば(つまり、殉教すれば)、直ちに天国に行くことが出来る」という思い。自爆テロ犯はそう教わって説得されることがあるそうです。

どちらも、実は全くそんなこと無いのに。。。

上記2つの思いは、良く言えば「信仰」、悪く言えばただの思い込みです。

ーーー

信仰(Faith)とは何か。

それは、

科学的・客観的根拠(以下「根拠」)が無いにも関わらず、何かを信じること

とも言えないか。

何かに根拠があれば、それが事実だと信じるのに「信仰心」など必要ありません。
根拠が無いからこそ、信仰する気持ちが必要になります。

ーーー

僕は昔から、宗教系のエライ人が着飾れば着飾るほど、(実はウソなのではないか・・・)と疑ってしまうクセがあります。

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だって、もし「本当」なのであれば、Tシャツに短パンでOKなはず。

本当に力のある人、しっかりとした実績がある人、つまり「根拠のある人」ということですが、そういう人は無理に着飾ったりしない、という例をいくつか見てきたからそう思うのかもしれません。

ーーー

根拠を大事にするアプローチ、それは「科学的なアプローチ」という言い方も出来るかもしれませんが、そういうアプローチでは:

根拠がある → 事実として受け止める。もしその後、何らかの理由で根拠が崩れれば、また考え直す。
根拠が(今はまだ)無い → 「分からない」、あるいは「どちらとも言えない」というスタンスを取る。そして、根拠を見出すべく、研究・努力する。

一方、「信仰」的なアプローチは:

自分の宗教、聖典、頭の中で聞こえる神の声、etc., etc.がそう言っているんだから、それは正しい。信仰を疑うことは悪であり、弱さである。

ーーー

多くの場合、「信仰」はその人の頭の中だけで完結せず、具体的な行動を伴います。

・ 毎週日曜日に教会に行く
・ 画数を気にする
・ 厄払い
・ ブタは「汚れている」から食べない
・ 牛は聖なる生き物だから大事にする
・ 子供に自分の宗教を押しつける
・ テロ行為

上記に共通するのは、いずれも信仰心、すなわち根拠無く何かを信じる気持ち、から生まれた行為だという点です。

「毎週日曜日に教会に行く」と「テロ行為」を同列に並べることの違和感。
それはどこから生じるのか?以下、具体例を挙げて考えてみます。

ーーー

ここに、頭ポカポカ教という宗教があるとしましょう。
教義は、「毎日、自分の頭をポカポカたたき続ければ、聖人として天国に行ける」というものです。

科学的アプローチを取れば、「その教義は本当に正しいのか?」という疑問が生じ、研究が行われ、「実は間違いだった」、あるいは「実は根拠が無かった」ということが分かり、自分の頭をポカポカしなくなるでしょう。

一方、「信仰」的アプローチを取れば、根拠があろうと無かろうとそれは「正しい」わけだから、毎日頭をポカポカたたき続けることになります。痛いです。

ーーー

上記ポカポカ教は、愚かではあるものの、人様に迷惑をかけてはいません。
その観点から行くと、さきほど箇条書きした「信仰に基づく行動」についても、人様に迷惑をかけるかどうか、という線引きが出来るでしょう。

・ 毎週日曜日に教会に行く
・ 画数を気にする
・ 厄払い
・ ブタは「汚れている」から食べない
・ 牛は聖なる生き物だから大事にする
・ 子供に自分の宗教を押しつける
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・ テロ行為

いや、正しい線の位置はここでしょうか。

・ 毎週日曜日に教会に行く
・ 画数を気にする
・ 厄払い
・ ブタは「汚れている」から食べない
・ 牛は聖なる生き物だから大事にする
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・ 子供に自分の宗教を押しつける
・ テロ行為

ーーー

人様に迷惑をかけない信仰を、仮に「自己完結型の信仰」と呼びます。
自己完結型の信仰は、もしそれが正しいのであれば何も問題無いし、仮にそれが間違っているとしても迷惑を蒙るのは本人だけだから、周りがとやかく言うべきではないのか。
いや、僕はそんなことは無いと思います。

自己完結型の信仰にも害はあります。
それは、根拠無く何かを信じ、その信じる心に従って行動することを認め、肯定し、促し助長する、という点です。

毎週礼拝を欠かさない優しいおばあちゃんも、そして一見その対極にあるような自爆テロ犯も、

「自分の神・宗教が正しい。
その神・宗教が求める通りに行動すれば天国に行ける」

と固く、科学的根拠無く信じ、それに従って行動している、という面においては似ています。

ーーー

以下のような教えの宗教はこの世に無いものでしょうか。

・根拠が無いのであれば、「今はまだ分からない」ことを認める。そして、根拠を見つけるよう、研究したり、勉強したり、努力する。
・自分が正しいと決めつけず、人の意見を尊重する。


あればすぐにでも入信したいです。

いや、考えてみれば、我々の多くは上記を既に「信じて」います。
矛盾しているかもしれませんが、宗教を信じている人でも、宗教から離れた日常生活では、上記を信じている人も多いでしょう。

根拠無く何かを信じることはなるべくやめて、謙虚に努力し続ければいいのでしょう。
みんながそう信じ、行動すれば、卑劣なテロ行為は無くなると思います。
# by dantanno | 2015-11-16 23:21 | 日々研鑽 | Comments(0)

ことばの裏にある想いを訳す、とは

通訳をするとき、
「表面的な"ことば"を訳すのではなく、その裏にある"想い"を伝える」

のをよしとする考え方があって、自分もそうするようにしています。

ただ、一般の人にとってはもちろん、我々通訳者にとっても、「ことばではなく想いを訳す」と言われてもちょっとピンと来にくいのも事実。


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例えば"Good morning"
その場にいる人たちの関係や場の雰囲気に応じて「おはよう」 VS 「おはようございます」的な訳し分けはするでしょうが、"Good morning"ということばの裏にある想いまで探りに行け、と言われてもなかなか難しい。

もっとも、「ことばではなく想いを訳す」のは、"Good morning"よりも長くて複雑なフレーズを訳す場合にあてはまることが多いわけですが。でも、長く複雑なフレーズを訳す場合でも、いくら自分(通訳者)がそう解釈したからといって、話し手が使ったことばから離れた内容を訳に盛り込みすぎると怒られます。



今度どこかの現場で「あ、これが「ことばではなく、想いを訳す」だなー」と思ったら、ブログで紹介したいです。



ーーー



「ことばではなく想いを訳す」そのものではないんですが、それとちょっと関連する話があったので、ご紹介したいと思います。



隔週で行っている通訳の講義@大学院で、Facebookに関する記事(英語)を取り上げました。
これです。

うまい具合に、日本語に翻訳されたバージョンもありました。



Facebookが今度、従来の「いいね!」ボタンに加え、様々な感情表現を可能にする「Reactions」という機能を試験的に導入する、という記事です。
そう言えば僕も、知人の投稿が例えば「テストに落ちた」とか、親戚のご不幸とか、そういうちょっと残念な内容だったとき、「いいね!」以外の表現で共感を示したい、と思ったこともあるような気がします。



この記事の中の

Facebook has for years resisted pressure from a cadre of users to add a "dislike" button. With Reactions, it's taking a different tack, one that allows for a spectrum of emotions to be expressed while avoiding the up- and down-voting of posts that occurs on YouTube, Reddit and many Internet forums. An overwhelmingly negative reaction to a post without an actual discussion taking place could alienate users and discourage them from sharing -- something Facebook wants to avoid.

という箇所。

日本語版では

「Dislike」(よくないね)ボタンを追加してほしいという要望が多数のユーザーから寄せられていたが、Facebookは何年もの間、それに応じることはなかった。Reactionsにおいて、同社は異なる方針を採用している。YouTubeやReddit、そして多くのインターネットフォーラムで採用されている、投稿を評価するかしないかという2択の投票を避けて、さまざまな感情を表現できるようにした。実際の議論がないままに投稿に対して否定的な反応が圧倒的に寄せられると、ユーザーは遠ざかり、共有する気をなくしてしまう恐れがある。それはFacebookが避けたい事態である。

の箇所です。

ここを読んでいて、「ことばではなく想いを訳す」を思い出しました。



この箇所を読み、僕が行った解釈(訳ではなく)は以下の通りです:



Facebookのコアなユーザーから"Dislike"ボタンを追加してくれ、との要望が出ていた。
(ちなみに、英文の"cadre of users"が「多数のユーザー」と訳されていますが、僕は「(Facebookの)コアなユーザー、ヘビー・ユーザー、熱烈なファン」と解釈しました。多数ではなく、むしろ少数?)

Facebook社としては、もちろんコア・ユーザーの声は重視したいものの、"Dislike"ボタンを導入してしまうと、ディスられた結果投稿する気を無くしてしまうユーザーが出るかもしれない。それも困る。

で、どうしたものかと考えていたところ、ふと気付いた。

コア・ユーザーからの「"Dislike"ボタンを作ってくれ」という声。その表面的なことばだけに注目すれば、文字通り「"Dislike"ボタンを作ってくれ」という声にしか過ぎないかもしれない。

でも、その「ことばの裏にある想い」に思いを馳せれば、それは「"Like"以外の感情も表現したい」という要望なのかもしれない。
仮にそうであれば、何も"Dislike"ボタンだけが解決策ではない。
いや、むしろ"Like"と"Dislike"の2択よりも、様々な感情表現が出来る方が尚いいのではないか。

こうした思考プロセスを経て、この度Reactions機能がテストされることになった。



実際にそういうことだったのかどうかはマークに聞いてみないと分からないので今度聞いておきますが、もしそういうことなのであれば、Facebook社はユーザーの表面的な声に惑わされることなく、その裏にある想いを考えて施策を打ち出したわけであり、まさに「ことばではなく想い・・・」を地で行ってるなあ、と思いました。



さて、上記青字の部分、つまり「この記事の当該箇所を読んだ結果僕が行った解釈」ですが、これはソース(原文)に基づきつつも、そこから少しだけ離れた、僕なりの解釈に基づくストーリー、と見ることも出来ます。

通訳であれ翻訳であれ、訳す対象となるソースの表面をなぞって訳すのではなく、通訳者としての自分の解釈に基づき、上記の通り少しストーリー仕立てにしてから訳すようにしています。もちろん、その余裕が無いケースも多いですが。
素材がまだゴツゴツしている状態でいきなり中華鍋に放り込んじゃうのではなく、ちょっと下ごしらえしてから調理を始める感じ。そして、話し手/書き手の心の中のストーリーと、僕が解釈し思い描いたストーリーがうまくシンクロすることがときどきあって、そういうときは訳していてとても楽しい。まるでJazzのセッションのような感じ。そして、終わった後の観客からの評価も高い気がします。

話された/書かれたことばをそのまま正確に対象言語に置き換え「訳す」のは簡単です。その程度の作業で本当に「訳した」と言えるのであれば、ですが。
あえて遠回りし、ストーリーを考え、構築しようと努力するプロセスこそが「ことばではなく想いを訳す」なのかもしれません。

# by dantanno | 2015-10-11 22:38 | 通訳 | Comments(0)

パブの上の宿に泊まってみました

夜、ロンドンに着きました。

フライトが遅れたし、例によって入国審査に時間がかかり、遅めの到着です。

ヒースローから電車とバスを乗り継ぎ、てくてく歩いていると、闇の中に今晩の宿が見えてきました。


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前から泊まってみたいと思っていた、「パブの上の宿」です。

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飲むと必ず寝てしまう僕にとっては、まさに夢のようなシステムです。

過去の証拠映像。

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パブを通り抜け、チェックイン。

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こじんまりとしたホテル部分。

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もう遅いし、部屋着いたらすぐ寝ようと思っていたのに、誘惑に勝てず。。
いざなわれるままに、素直に階下のパブへ。

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お疲れさまです。

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パブに加え、レストラン部分やテラス席もあるので、家族連れでも大丈夫そうです。

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かたつむりは、いつでも自分の好きなところで寝るのでしょう。
明日に備え、僕もそろそろ2階の殻に籠もることにします。



# by dantanno | 2015-10-01 07:09 | プライベート | Comments(1)

ネットで人の悪口を言うことについて

以前、ある人に、数ヶ月間にわたりネットで悪口を書き続けられるという、得がたい(?)経験をした。
せっかくなので、その結果学んだことを時系列でまとめてみた。

1.当時、まさにその渦中にいたときに思ったこと
2.終息のプロセスで思ったこと
3.今、振り返って思うこと


ーーー


1.当時、まさにその渦中にいたときに思ったこと

・ショック、というか、恐い

ネットで悪口を言われる、という経験をしたことが無い幸運な読者の方々に、ちょっと想像してみてほしい。

インターネットという、日本を含む世界の、とても多くの人間がいつでも自由に見られる場所に、
自分に関するネガティブな発言・投稿が複数書かれていて、
それが今後ずっと存在し続けるかもしれない、いや、今後ずっと増殖し続けるかもしれない

のは恐ろしい。



何が恐いって、そのような悪口を
① それを読んでいる人がいる、と思うと恐い
② 自分が目にするのも恐い
③ そういうことをネットに書くほど自分を嫌っている人がこの世に存在する、という事実が恐い
(恐い上に、その人をそのような行為に駆り立てたのが自分である、という後ろめたさと恥ずかしさも強い)



・家族に相談出来ない/しにくい

その人(「Aさん」)が書いている悪口を、ある日たまたま発見した。そして、その後日々増えていく悪口を見ながら、家族(奥さん)に相談するかどうか、考えた。

結局そのときは相談せず、(この問題が終息したら打ち明けよう)と思った。なぜ相談しなかったかというと、してもしょうがないと思ったから。家族に「中傷対策が専門の弁護士」がいるなら別だが()、家族は、書かれている本人がその問題に対してそうであるように、ネットにおける悪口に対して無力である。

もちろん、書かれている本人が「自分は今そうした状況にあってしんどい」ということを家族に伝えるだけで肩の荷が下り、少しラクになるだろう。でもそれは、自分の肩に乗っていた荷を家族に不当に担がせるだけのような気がした。実際、僕がそうした状況にあると知ったら奥さんは、それに対して手を打てないもどかしさを感じる一方、僕がしんどい状況にあることを知って彼女自身もしんどくなるだろうし、だったら言わない方がいいな、と思った。

いつ終わるともしれないこの問題がもしいつか終息すれば、そのときに初めて「実はこうだったんだよ、ハハハ」と打ち明けようと決め、実際そうした。



・自信、ひいては判断力が低下する

悪口を書かれていた当時。何かアイデアが頭に浮かんだり、何かを発言したり、何か行動を起こす度に、
(これをAさんが見たら/聞いたら、どう思い、なんと投稿するだろうか) と毎回考えていた。

その結果取りやめた思考・発言・行動も多いと思うし、判断力・決断力・行動力が大きく低下したと思う。

こうした「遠慮」は、問題が終息した今はあまり意識しないが、それは遠慮が「無くなった」からではなく弱まっただけ、そして僕がそれに対して不感症になっただけで、今も存在していると思うし、残念ながらこれからもずっと無くならないと思う。
ネットに悪口を書く人には、そうした傷を相手に負わせる可能性があることを自覚してほしい。「それでも書くんだ!」という人間はあまりいないと思う。



・実は相手(書く側)は、自分を100%「嫌い」なわけではない

ヤマト運輸の元社長で、宅急便事業を始めた功労者である小倉昌男さんの著書「経営学」を読んだ。この本は、経営に対する興味の有る無しにかかわらず、おすすめ。

そこからの引用:

会社の帰りに、会社の同僚と赤提灯の店に立ち寄り、上司の悪口を言いながら一杯飲むのはどういうわけだろう。会社が嫌いなら、また、上司が嫌いなら、会社のことなど忘れて自宅に帰ればよいものを、わざわざ悪口を言うために赤提灯に立ち寄るのは、会社が嫌いだからだとは思えない。むしろ会社が好きだから、一杯飲みながら批判的な意見を口にするのではないだろうか。



僕が経験した本件の場合、「好き」ということは無いかもしれないが、相手(Aさん)が自分に関心があることは確かで、プラスに解釈すると、僕に「良くなってほしい」という想いがあるからこそ、あれこれ言ってくれている可能性もある。



・実は自分(書かれる側)も、100%「イヤ」なわけでもない

当時、一日の仕事が終わったときとか、日中ふとしたときに(今日は何か書かれてるかな?) と、漁で仕掛けた網を引き上げるような思いで、悪口が書かれているサイトを覗きに行っていた。 (もう見るのはやめよう)と何度も思ったが、疲れたときとか、お酒が入ったときとか、ついつい見てしまう。

そのサイトを開くときに感じる、あのなんとも言えない感じ。

ドキドキ・ヒヤヒヤするし、マウスを持つ手が瞬時に汗ばむのが分かる。
自分がこの後傷つく可能性が高いことが分かっているから、それに備えようと自分の心を防御する。
そして、(頼むから今日は何も書いていないでくれ)と祈るのと同時に、心のどこかで、(何か書かれているといいな)という、悪口を楽しみにするような、信じられない気持ちもあった。

例えネガティブな内容であっても、自分についてあれこれ言われるのはどこか快感なのだろう。全く無視されるよりは、悪口を言ってくれる方がうれしいものなのか。



・なぜ、Webの掲示板や質問コーナーには、辛辣な意見の人が多いのか

最近、Webの投稿サイトに悪口を書こうとする人に対し、「本当にこの内容で投稿しますか?」的な「再考促し」ボタンを設置するアイデアを提唱した女の子が話題になった。とてもいいことだと思う。
そして、そのボタンが一定の効果をあげるということは、そうした投稿が結構安易であることを表しているし、そうしたボタンが「いいアイデアだ」ともてはやされるということは、それだけネットで人の悪口や中傷を書いている人が多く、また、それによって傷ついている人も多い、ということだろう。なぜそうなってしまうのか。

今、自分の目の前にいない「見えない相手」に対しては、人は生まれ持った優しさを失いやすいのかもしれない。人種差別とかヘイトスピーチをする人は、その相手・対象と離れた場所にいるからこそ、相手及び自分の行為に対して不感症になりやすい。

また、匿名性も影響しているだろう。 Aさんは、自身についても僕についても、ハッキリとは名前を出さずに投稿していた。それでも、分かる人にはちゃんと分かるようになっていたから厄介だった。

もし
1.書き手が、自分が誰であるのかを堂々と名乗り出て、
2.自分がこれから誰について投稿するのかも明確化
した上であれば、安易な悪口は書きにくい。



・「悪口」とは

そもそも「悪口」とは何か。「建設的な批判」とどう違うのか。

再度、ヤマトの小倉さんの著書からの引用:

「俺が社長なら会社をこうする」、「俺が課長ならやり方を変えてこうやる」。社長は、とか、課長は、とか批判するのは、自分を会社の中に置いて、参画意識の元で常に考えているからではないだろうか。赤提灯で会社の悪口を言うのは、むしろ会社が好きな証拠ではないか。本当は建設的な態度なのだと私は思う。ただ、自分の考えを、インフォーマルな場で表明するか、フォーマルな場で表明するか、そこが問題である。それぞれの社員が会社に対して意見を持っているが、インフォーマルな場で言えば批判的な言葉になり、フォーマルな場で言えば建設的な言葉になる。



この次の項目である「表現の自由」とも絡むが、なぜ悪口を書いてはいけないのか。いや、そもそも「いけなくない」ではないか。そして、何をもって「悪口」と「建設的批判」を区別するのか。それは単に読み手の主観に基づく判断ではないか。

仮に何らかの方法で、両者を客観的に区別出来たとしよう。その場合、「建設的批判」なら良くて、「悪口」はダメ、という道理も無いだろう。

でもその一方で、僕が今感じているこの耐えがたくイヤな気持ちはどうしたものか。書かれる側は、ずっとそれに耐え続けるしかないのか。気にする方がいけないのか。自分に自信が無いから気にしてしまうのか。

いろいろな切り口があって、この問題は非常に興味深い。




・結局「キライ」ということなんだろう

Aさんが日々書き連ねる悪口を見ていて思った。(結局、僕はこの人に嫌われてしまったんだな)と。キライだから、僕が何を言っても、何をやっても、どこに行こうが誰と会おうが、全て気にくわなく、文句の対象になってしまう。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、ということか。

この状態から問題を解決に導くためには、Aさんが投稿で指摘しているあれこれの事項を一つ一つ直していってもしょうがない。大元の「キライ」という感情が病巣であり、口から出る悪口はその症状/Symptomsでしかない。病巣を退治するためには、Aさんに「なぜ自分はこの人(=僕)がキライなのか」という難しい問題に向き合ってもらい、そこから出た答え(病巣)に対し、共に力を合わせて挑んでいくしかない。それはそれで大プロジェクトであり、信頼関係が痛んでいる状態でなかなか出来るものではない。



2.終息のプロセスで思ったこと

結局、数ヶ月経ったある日、僕からAさんにアプローチして、一連の投稿について話し合う場を設けたことでこの問題は終息した。ここからは、その終息のプロセスで感じたことをリストアップしてみる。



・表現の自由

日々書き続けられる悪口を見ながら、(いつかはAさんと向き合わないといけないな)と思っていた。問題は、そのときに何を言うかだ。

「悪口を書かないでください。」 と言いたい気持ちが強いが、果たしてそれはいいことなのか。 Aさんは、僕に対する思いを自由に表現しているだけであり、それをやめてくれだとか、今まで書いたものを削除してくれだとか、仮にそう切に願う気持ちが僕の側にあったとしても、それを相手にお願いするのはおかしいのではないか。表現の自由に反するではないか。

ラーメンを食べに行ったらまずかった。それをネットに書いてはいけないのか。別にいいでしょう。その投稿に対し、ラーメン店側が「削除してくれ」と要請したら、それこそおかしい。



「悪口を書かないでください。」とお願いするのはやめよう。だとしたら、僕はAさんと何を話すのか。
結局、この問題については多少見切り発車的になった。一体何を話すのか、という明確な道筋は見えなかったが、(もう、このままではダメだ・・・)という思いが強くなりすぎ、限界を感じた時点でAさんと話し合った。



話し合いの場でAさんは、最初は「なんのことでしょうか」という感じだった。
その後、「あの悪口が全部自分のことだと思うのであれば、被害妄想ですよ」と笑った。
さらにその後、今度は涙ながらに謝ってくれて、「削除します。そして、もう書かないと約束します」と言ってくれた。それに対し、「いや、それはいいんです。ネットに何を書くかは、あなたの自由ですから」と、想定通りに返答をした。じゃあ、この会話の目的はなんなんだ、と自分にツッコミを入れつつ。

Aさんに「すみません、削除します」と言わせることが本当の目的でも解決でも無いのであれば、一体何が解決なのか。僕が生まれ変わって、、、あるいは今、この歳からでも、人様に悪口を言われないような立派な人間になることなのか。いろいろ考えさせられた。



・匿名で悪口を言うこと

Aさんに「被害妄想だ」と笑われたときに思ったが、人の悪口を匿名で言うことには、自分は安全な場所から遠隔攻撃しているズルさに加え、いざとなったときに話をぼかせるというズルさも伴う。

一般的には、相手を名指しした悪口の方が攻撃力がありそうだし、実際あるのだろうが、Aさんのように「自分が誰の悪口を書いているのかをやんわりとぼかす」ことで、もし今回のように相手(悪口を書かれている側)と直接対峙する羽目になった場合はもちろん、Aさんの心の中の罪悪感(もしそれがあるのであれば)も薄めることが出来るのだろう。



・被害妄想

Aさんに「被害妄想だ」と言われ、(確かにそうだな)と思った。
Aさんがあの時期に書いていた悪口の多くは自分に向けられたものだったと今でも思うが、中にはそうではないものもあったかもしれない。それまで含めて(自分に対する悪口だ)と思っていたのであれば、まさに被害妄想だ。

当時、その日の「悪口チェック(仮称)」をするとき、一生懸命、悪口の内容を自分と結びつけようとしていたのを思い出す。それは、雑誌の後ろの方にある占いや性格診断を読んで、自分にあてはまる箇所を一生懸命探す作業に似ている。



・直接言ってくれたらいいのに・・・

「火のない所に煙は立たない」とはよく言ったもので、Aさんの投稿には(確かにその通り)と僕をうならせるものも中にはあった。そして、Aさんの投稿は、例えば僕の生い立ちとか容姿に関連するものとか、どうにも対処しようがない悪口もある一方で、僕が努力すれば改善出来る内容もあった。実際、今でもそれらの点を改善しようと努力している。 だからこそ、余計思う。(直接言ってくれたらよかったのに・・・)って。そうすれば、ただの「悪口」が「建設的批判」に昇華し、僕も改善に向けて努力したのに。っていうか、してるし。
そしてまた、Aさんの不満の要因となった僕のそういう面が改善されれば、Aさん自身にとってもいいことで、みんなハッピーなのに。



3.今、振り返って思うこと

その後Aさんの投稿をチェックしていないので実際のところは分からないが、僕の中ではこの問題は「終息」したことになっている。問題が一応の終息を見た今、思うことをまとめてみる。主に、こうした問題への対処法について。



・悪口は気にしない

何かすれば、必ず批判されるし、悪口を言われる。寄付をすれば偽善者だ。
何もしなければ、それはそれで文句を言われる。寄付をしなければ守銭奴だ。

そう考えると、自分で自分を好きでいることさえ出来れば、こうした悪口は気にしなくていいんだな、と思った。気にしないのは無理だから困っているのだが、気にしなくていいのだろう。



・批判をなるべくアングラ化させない努力

せっかくの「建設的批判」がただの「悪口」にアングラ化しないように努力・配慮をすべきだと思った。無駄に敵を作らない、といういい方も出来ると思う。

また、批判や文句を自分に言いやすい環境・雰囲気を作っておくことも重要。「怖い人」と思われてはいけないし、「言ってもどうせ聞かない人」と思われてもいけない。あの人だったら、自分の批判を建設的に受け止め、改善に向けて努力し、かつ、批判した自分を怒るのではなく、かえって感謝するだろう、と思われるような人物であれば、批判はアングラ化しない。



・自分の問題ではなく、相手の問題にする。Make it more about them than about you

どんなに努力や配慮をしていても、悪口を言われる/書かれてしまうことはあるだろう。その場合どうするか。まあどうしようも無いのだが、向き合える方法はいろいろある。 一番いいのは、もっといい人間になること。その悪口を聞かされた人が、(え、あんないい人に対して、なんでそんな悪口を言うの?)と疑問/不信に思うような人間に自分がなればいい。

そうすれば、ネガティブな「悪口」は減っていき、ポジティブな「建設的批判」だけが残るだろう。そうなったら、そのようないい批判をありがたく受け止めて、さらに魅力的な人間になる、それが一番の悪口対処法だと思う。

# by dantanno | 2015-09-22 06:30 | 提言・発明 | Comments(1)

日本通訳フォーラム2015で、IPO/POの通訳について講演します

今月29日(土)、日本会議通訳者協会主催のイベント「日本通訳フォーラム2015」で講演します。

イベントの詳細はこちら

講演の内容は、最近自分が一番熱心に行っているIPO/POロードショー(ディール・ロードショー)における通訳についてです。



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通訳者になりたての頃、自分は非常に無力だと感じました。

ウデはまだこれからだし、実績は無いし、エージェントからは知られていないし、気に入ってくれているクライアント企業はこの世に1社も無い。
(オレはここにいるんだーーー)と、心の中で叫んでいました(笑)。
そして、どうすれば通訳者としてもっと「強く」なれるんだろう、、、と、そればかり考えていました。

僕にとって、その答えの一つがディール・ロードショーです。



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IRの形態を大別すると、

1. 海外投資家が日本に来て、日本企業を訪問する(企業訪問)
2. 日本企業が海外に行って、海外投資家を訪問する(「ロードショー」、あるいは「海外IR」)


があります。



2.の「ロードショー」は、さらに2つのタイプに分けられます。

例えば年2回、半期の決算が締まったら行くような定常的なロードショー、これをノン・ディール・ロードショー(NDR)と言います。
それに対し、企業が新たに上場する際(IPO)、あるいは公募増資をする際(PO)のロードショーのことをディール・ロードショーと言います。

NDRにおいても、もちろん関係者はみな一生懸命ですが、ディール・ロードショーにおいては、その真剣さはさらに一段上に行きます。

悲願の上場。
30年ぶりの巨額公募増資。

その企業の社長、そして全役職員にとって、また、幹事証券会社の方々にとって、なんとしても成功させないといけない案件です。



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通訳者はあくまでも脇役であり、それはディール・ロードショーにおいてもそうです。

でも、ディール・ロードショーで通訳者が果たす役割は非常に大きく、いい働きをすればとても大きな効果を生み出すことが出来るし、関係者からとても喜ばれます。
正直、通訳者がとてもよかった場合と全くダメだった場合とでは、ディールの成功度合い(ディマンドがどの程度積み上がるかとか、どの程度株価のディスカウントをおさえられるかとか)に影響があると思います。



「通訳は大事!」というのは、ディール・ロードショー以外のどの通訳案件にもあてはまる事実です。
でも、その事実を一番強く実感出来るのが、僕にとってはディール・ロードショーである、ということです。



ディール・ロードショーから帰国し、しばらく経ったある日の朝刊。
その会社が無事上場、あるいは増資出来たことを知ると、通訳者になりたての頃に感じていた無力感から解放され、自分が世の役に立っていると実感出来るんです。




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まだIR通訳をしたことが無い通訳者からすれば、「ディール・ロードショーなんて、自分とは無縁のこと」と思って当然だと思います。

でも、ベースとなる通訳力さえあれば、かなり短い期間でこうしたロードショー案件が出来るようになります。
そして、一番大事なのは、通訳の技量ではなく、企業や証券会社の方々と一緒にチームを組んで、「どうすればこのディールを成功させられるか?」を、知恵を振り絞って考える姿勢だと思います。

祭りが好きな人、すぐ熱くなる人、スポーツが好きな人、飽きっぽいところがある人、旅が好きな人におすすめです。

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8月29日(土)、よければぜひ遊びに来てください!
あなたもディール・ロードショーをやってみましょう。
# by dantanno | 2015-08-13 11:06 | IR通訳 | Comments(4)

長時間、一人で同時通訳することについての考察

今から二年前。

7時間に渡り、一人で同時通訳をする、という案件を経験しました。



その経験に基づき、長時間に渡って同時通訳をすることや、通訳におけるスタミナについてのブログ記事を書いたところ、IRIS内外の通訳者から数多くの批判をいただきました。



批判の内容を、全くもっともだと感じました。
そして、自分の言いたいことが正しく伝わっていないと感じました。

また、自分自身でも考えが整理出来ていないと認めざるを得なかったため、当該ブログ記事を削除しました。



自分が書いたブログ記事によって、多くの通訳者に不快感を与えてしまい、申し訳ありませんでした。



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その後二年間。



同時通訳者としての自分の、同時通訳についての真意はどこにあるのか。

特に、長時間に渡る、一人体制での同時通訳(以下「長時間同通」)について、自分は本当はどう思っているのか、ずっと考えて来ました。

書いた後に考えるのではなく、考えてから記事を書くべきだったと反省しつつ。



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一生懸命考えた結果を、文章にまとめてみました。

目次は以下の通りです:


1.序論
    · 同時通訳についての一般論
    ·「7時間同通案件」の背景
    · 長時間同通の「出来る/出来ない」と、「引き受ける/引き受けない」

2.本論:「Aさん」について
    · Aさんの紹介
    · Aさんの出現は、通訳業界にとっていいことか、悪いことか
    · Aさんの出現を受け、我々一般通訳者はどう対応すればいいのか
    · 結論



1.序論と、2.本論があります。

前提を三点、まずは「1.序論」で整理します。
その上で、「2.本論」において、「Aさん」という通訳者の話をします。



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序論



<序論①: 同時通訳についての一般論>

同時通訳は、世間からある種の憧れや不思議の目で見られることがあります。



「なんで話を聞きながら話せるの?」

「なんで、言ったそばからどんどん訳せるの?」

「(同時通訳者の)頭の中がどうなっているのか見てみたい」



通訳という作業は難しく、じっくり考えてから通訳することだって大変なはず。

なのに、それを同時に・瞬時に行うなんて、一体どういう仕組みなんだろう、と思われても不思議ではありません。



そのようなすごい作業である同時通訳ですから、当然高いスキルが求められます。誰もが出来ることではありません。
そして、大変な集中力を要し、とても疲れる作業でもあります。



ーーー



同時通訳は、大きな疲労を伴う。

だからこそ、通訳者一人が続けて同時通訳出来る時間は「15分程度」とされています。



たった15分で終わる会議はあまり無いため、同時通訳はほとんどの場合、通訳者2名がペアを組み、交代交代で行います。
会議が2時間、3時間、あるいはそれ以上に渡る場合は、通訳者3-4名で分担することもあります。



人によっていろいろな考え方があるでしょうが、同時通訳に対するコンセンサスは概ね上記の通りかと思います。
私自身もこのように考えているし、IRISでも上記考え方に基づく運用をしています。



ーーー



誤解無きよう改めて、同時通訳に対する私(個人)及びIRIS(会社)の考え方は:

・ 同時通訳は大変な集中力を要し、大きな疲労を伴う

・ 通訳者、及び会議の内容によって多少の違いはあるものの、継続して一定のクオリティの同時通訳を提供出来るのは、概ね15分程度

・ 同時通訳は通常2名、あるいはそれ以上の体制で行う

これが私の考え方です。



もう一つ付け加えるとするならば、通訳エージェントは、クライアントに対しExpectation controlを行うべきだと思っています。

通訳というものに対し、クライアントが誤解、あるいは過度な期待(Expectation)を持ってしまい、それに伴い通訳者が現場で大変な想いをすることは極力避けなければいけません。

そのためには、通訳及び同時通訳がどのようなものであって、通訳者に対し長時間の作業を強いてはいけないことや、それがかえってクライアントのためにならないことなどを説明し、クライアントの期待をコントロールする必要があります。

だからこそ、同時通訳に対する誤解をもたらすようなブログ記事は書くべきではなかった、と反省しています。



<序論②: 「7時間同通案件」の背景>

「同時通訳は15分まで」なのに、一体なぜ一人で7時間も同時通訳することになったのか、その背景を説明します。



この案件は、ある会社の社長が、ヨーロッパで行われる国際会議に出席する際、その社長に付いて通訳を行う、というものでした。
会議は、世界各国の大企業のトップが大勢参加してフリーディスカッションするという、通訳者にとって相当チャレンジング、かつやりがいのある案件でした。



元々、クライアントから案件の引き合いが来た時点で

「7時間、一人で同時通訳してもらうのでよろしく」

という話ではありませんでした。仮にそうであれば、当然引き受けません。



元々は、その会議が終日に渡る長い会議であることがそもそもIRIS側には不明だった上、クライアントからは

「社長が会議にどの程度の時間出席するかは分からないが、恐らくちょっと顔を出すだけで、すぐ退席するだろう」

とのことでした。



ーーー


可能性は低いものの、同時通訳が長時間に渡る可能性が完全に排除出来ないのであれば、

「それでは念のため、通訳者を3名、いや、4名手配させてください」

と求めるのが正しかったのかもしれません。ただ、この案件の場合、それを難しくするネックが二つありました。



一つはコストです。

わずか一回の、しかもどれくらいの時間出席するか分からない会議のために、同時通訳が出来る実力の通訳者を4名、日本からヨーロッパまでビジネスクラスで連れて行き、高級ホテルに宿泊させ、通訳料、拘束補償料、日当、etc. etc.を支払うとなると、軽く
単価150万円 X 4人 = 600万円

とか、そのような金額になってしまいます。
たった一日の会議だけで、です。



もう一つのネックは、より物理的なことです。

この通訳案件のクライアント企業は、その国際会議の主催者ではなく、あくまでも一参加者でした。そして、会議に出席しているその他大勢の参加者は、みなEnglish speakerであり、通訳者を引き連れてなどいません。

そのような中で、この会社の社長だけが通訳者を4人現場にゾロゾロと引き連れ、その4人の通訳者が15分おきに入れ替わり立ち替わり交代し、議場を出たり入ったりする、ということは物理的に不可能でした。



ーーー



私からクライアントに対し、

「同時通訳者4名の手配・同行が無理であれば、この会議への出席はあきらめてください」

と言うことも出来たでしょう。

でも私は、それを言ったらこのクライアントはこの国際会議に参加出来ないことが分かっていたし、一定のリスクがあることを承知の上で、この通訳案件を引き受けました。
そして、その判断を批判する方がいても当然だと思います。



決して言い逃れをしたいわけではありませんが、実際問題として、世の通訳者の多くが私と似たような経験を一度はしていると思います。

事前に聞いていた話と異なり、思いのほか長時間に渡って通訳、あるいは同時通訳をするはめに陥った経験を持つ通訳者は多い、、、というか、ほとんどでしょう。

それによって通訳者がつらい想いをすることを防ぐべく、我々通訳エージェントはしっかりと頑張らなければいけないと本当に思いますし、クライアントと緊密に連携を取っていくべきだと思います。

しかし、この仕事が人間対人間のものであり、本番当日、現場で予想外のハプニングやドタバタがほぼ必ず起きる以上、そうした事象を完全にゼロにするのは難しいかもしれない、とも思っています。



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さて、私が経験したこの「7時間同時通訳案件」には、もう一つの疑問が伴います。

「同時通訳は15分まで」なのであれば、では一体なぜ7時間(420分)もの長きに渡って同時通訳し続けることが可能だったのか。



まだ若くて元気だった(当時38才)

とか、

自分の専門分野であるビジネス・経済に関する話題だった

ということもあります。



また、この案件についてはクライアントから

「必ずしも一言一句訳す必要は無く、ある程度要点に絞り、枝葉末節は落としてもいい」

と事前に言われていました。

通訳者によっては「そう言われても困る」という方もいるでしょうが、私はこのようなやり方の方がラクであり、その分助かった、という面もあります。



そして、一番のポイントは通訳のクオリティだと思います。

振り返ってみると、私が7時間、高い通訳クオリティを維持出来たかというと決してそのようなことはなく、後半は多少クオリティが落ちていたと思います。クライアントは満足していたようですが、だからといって通訳者の私が満足していいはずはありません。

そういう意味では、「7時間一人で同時通訳」を試みたのは間違いありませんが、それが本当の意味で出来たかというと、必ずしもそうとは言えません。



<序論③: 長時間同通の「出来る/出来ない」と、「引き受ける/引き受けない」>

まずもって、長時間、一人で同時通訳「出来るのか、出来ないのか」という問題があります。
しかも、一定のクオリティを維持しつつ。

私を含め、多くの通訳者にはそれが出来ません。



では仮に、長時間同通が「出来る」としましょう。


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その上でようやく

「では、長時間同通の案件を引き受けるのか、引き受けないのか」

という、次のステージに移行出来ます。



長時間同通が「出来る」通訳者は少ない。

数少ないそのような通訳者に対し、長時間同通案件を「引き受けるか」と聞けば、私を含め、ほとんどの通訳者が「引き受けない」と答えるでしょう。


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通訳者、あるいは通訳エージェントが長時間同通案件を引き受けないことには、いろいろな理由があります。



出来ないから

に加え、

しんどいから。

とか、

自分の通訳のポリシーに反するから。

また、

たとえ自分はよくても、他の通訳者に迷惑がかかるから。

などなど。



以上が序論です。
ここまでで整理した論点に基づき、以下、本論で「Aさん」という通訳者について考察します。



ーーー



本論


<「Aさん」の紹介>

本論を進めるにあたり、Aさんという、架空の通訳者を想定します。



Aさんは、長時間に渡り、一人体制で同時通訳が出来ます。
しかも、単に長時間出来るというだけでなく、その長きに渡り高い通訳クオリティを維持出来る、と仮定します。

そのような通訳者は、実際にはあまりいません。



さらに珍しいことにAさんは、長時間の同時通訳案件を「出来る」だけでなく、積極的に「引き受けたがっている」とします。
そのような通訳者は、私の知る限り、この世にただの一人もいません。だから、私にとってAさんは架空の通訳者です。



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誤解無きよう、念のため明確にしておきますが、Aさんは私ではありません。

私は、「出来る/出来ない」 「引き受けたい/引き受けたくない」の両面において世の一般通訳者と同じ立場にあり、Aさんと異なります。




<Aさんの出現は、通訳業界にとっていいことなのか、悪いことなのか>

Aさんは、長時間同通を「出来る」し、しかも「引き受けたい」という考えの持ち主です。
もしそのような通訳者が出現したら、我らが通訳業界はどうなるでしょうか。

Aさんの出現は、この業界にとっていいことなのか、あるいは悪いことなのか、を考えてみたいと思います。



ーーー



まず、悪い面から。



悪い面①: 他の通訳者への迷惑

以前、ある通訳者と同時通訳について話していた際、こう言われました:


「私は通訳の大先輩から、『長時間の同時通訳案件を引き受けることは、通訳業界を壊すことにつながるから、絶対にやってはいけないのよ』と教わりました。」
と。



この大先輩の発言は、いろいろな意味を含む、深い発言だと思います。



確かに、Aさんが「自分が引き受けたいから」といって長時間同通案件をどんどん引き受けてしまうと、他の通訳者が迷惑します。

Aさんの抜きん出た通訳パフォーマンスを体感したクライアントは、Aさん以外の我々一般通訳者に対し

「Aさんは出来るのに、あなたは出来ないんですか?」

とか、

「Aさんはやってくれたのに、あなたはやってくれないんですか?」

などと言ってくるかもしれません。

我々一般通訳者が、長時間同通を単純に「出来ない」場合、あるいは「出来るけど引き受けたくない」場合、いずれのケースにおいても厄介です。



私も一通訳者として、Aさんのような通訳者が出現したら面倒だなあ、、、と思います。クライアントから

「ダンさんもAさんみたいにやってよ」

と言われても、「出来ない」あるいは「イヤだ」と言えば済むわけですが、そのやり取りが面倒です。



悪い面②: Expectation controlの破壊

上記①とも関連する点です。

これまで、せっかく先輩通訳者や通訳エージェントが、クライアントに対し一生懸命

「同時通訳は15分までしか出来ません」

という教育 兼 Expectation controlを長年に渡ってして来てくれたのに、そこにAさんが現れ、長時間高いクオリティで同時通訳をしてしまうと、クライアントは

「なんだ、話が違うじゃないか」

と思ってしまうかもしれない。



悪い面③: 通訳業界にとっての収入の減少

単純に考えると、従来例えば

同時通訳者2名 X 単価10万円 = 20万円

だったのが、Aさんのせいで

同時通訳者1名 X 単価10万円 = 10万円

となってしまうかもしれません。

Aさん本人は別にいいのかもしれませんが、通訳業界全体にとっての収入が半減してしまうリスクを感じます。
これは非常に重要な点なので、後ほど詳しく考えてみたいと思います。



悪い面④: 通訳クオリティへの影響

「同時通訳は15分まで」という原則の存在は、もちろん通訳者本人を守るためでもありますが、通訳のクオリティ、ひいてはクライアントや会議参加者を守るためでもあります。

同時通訳が長時間に及ぶと、通訳のクオリティがどんどん下がっていきます。
通訳のクオリティが下がると、その分ミーティングにおける意思疎通が難しくなり、結局クライアント及び会議参加者のためになりません。



もっとも、今回例として挙げているAさんの場合、「長時間、高いクオリティを維持しながら同時通訳出来る」という前提なので、Aさんによる同時通訳は、直接的にはクオリティ低下につながりません。



一方、Aさん出現の結果、もし我々一般通訳者までもが長時間同通を引き受けてしまうようになれば、確かにクオリティ低下の問題が起きるでしょう。

でも、現実的には我々一般通訳者は長時間同通など「出来ない」か、あるいは仮に出来たとしても「引き受けない」わけですから、それに伴うクオリティ低下のリスクは低いかもしれません。

万一、我々一般通訳者の一人が長時間同通を引き受けてしまっても、そのクオリティの低さがすぐに露呈し、単に「Aさんが例外」であったことがクライアントに分かってもらえると思うので、多分大丈夫でしょう。



ーーー



これまで、Aさん出現に伴い通訳業界が受ける悪影響を見てきました。
この他にも悪影響があるかもしれません。

先輩通訳者曰く、
「長時間同通を引き受けることは、通訳業界の「破壊」につながる」
の通りです。



ではその一方で、Aさん出現に伴うプラス面は何かあるのでしょうか。



ーーー



Aさんという通訳者が、長時間に渡る同時通訳を高いクオリティで提供する。

それに伴い、通訳業界に何かプラスの影響があるのかどうかを考えるためには、根本から考える必要があると思います。
そもそも「通訳業界」とは、一体誰のことを指すのでしょうか。



ーーー



「通訳業界」というものに、Aさんを含め、我々「通訳者」はまず間違いなく含まれそうです。

むしろ、我々が主役でしょう。



「通訳エージェント」も含まれそうです。



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それ以外に、誰かいるのでしょうか。



ここでちょっと、他の業界で見られる動きと、その結果のプラス・マイナスにも目を転じてみようと思います。



ーーー



Starbucksの出現は、日本のカフェ業界にとっていいことだったのか。

セブンイレブンの出現は、日本の小売り業界にとっていいことだったのか。

りそな銀行が窓口の営業時間を17:30まで延長するのは、日本の銀行業界にとっていいことだったのか。



いずれも、

i) 新規プレーヤー、あるいは従来のプレーヤーが、
ii) 従来は出来なかった、あるいは「出来たのに提供されてこなかった」、そのようなDisruptiveなモノ・サービスを提供

した例です。



ーーー



少し補足すると、


Starbucksの出現に伴い、既存の喫茶店は「迷惑」を被ったかもしれないが、日本のカフェ業界全体にとって何かプラスはあったのか。

セブンイレブンの出現に伴い、既存の食料品店・雑貨店は「迷惑」を被ったかもしれないが、日本の小売り業界全体にとって何かプラスはあったのか。

りそな銀行が窓口の営業時間を17:30まで延長することにより、その他の銀行は「迷惑」を被ったかもしれないが、日本の銀行業界全体にとって何かプラスはあったのか。



その「業界」が、モノ・サービスの売り手(通訳者及び通訳エージェント)だけを指すのであれば、従来無かったモノ・サービスの提供によるDisruptionはマイナスでしかないかもしれません。

しかし、モノ・サービスの買い手、つまりお客様のことも含めて考えると、風景がガラッと一変します。


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私は、一消費者として、Starbucksやセブンイレブンやりそな銀行がある世の中の方が、それらが無い世の中よりも幸せです。
私の立場からすると、これらのプレーヤーの出現は、それぞれの業界をより良くする方向に作用しています。



では、Aさんが長時間に渡り高いクオリティで同時通訳を引き受けることにより、通訳のクライアント、そしてある意味我々通訳者にとって一番大事な存在であるはずの会議参加者にとって、何かいい影響はあるのか。



・いい影響①: 訳の一貫性

二人体制での同時通訳の場合、15分おきに通訳者が入れ替わり続けます。
例えば90分の会議であれば、その間に5回通訳者が変わることになります。

そして、交代を要するほどですから、当然通訳のスタミナの落ちもあり、それに伴うクオリティの劣化もあります。

時間の経過に伴う通訳クオリティの変化・劣化を図示すると


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このギザギザが、会議参加者にとってのノイズになります。



ーーー



話し手が変わっていないのに、その発言を伝える通訳者が頻繁に入れ替わることに伴うノイズはかなり大きい。

特に、2人の通訳者の間に実力差があったり、訳し方・性別・声質・声量等が異なる場合(つまり、ほとんどの場合)、ノイズはさらに増幅されます。

例えば音楽のコンサートで、同じ作品を演奏している途中に歌手・奏者が突然、そして何度も何度も入れ替わることを想像してみていただければ、聞き手にとっての落ち着かなさがイメージ出来ると思います。



ーーー



それに対し、通訳をAさんに依頼した場合の訳の一貫性(Consistency)は以下の通りです。


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これは、会議参加者にとって、非常に大きなメリットです。

そもそもの付加価値(時間 X 通訳クオリティ、の面積)が大きいことに加え、
「ギザギザが無くなる」ことによるノイズの軽減は、会議の円滑化に大きく役立ちます。



いい影響②: 通訳者手配の手間の軽減

大事なイベントの直前で、イベントの担当者がてんてこ舞いの状態を想定してください。

その際、通訳者が2〜4名必要な場合と、1名で済んでしまうのとでは、通訳者手配や受け入れ準備の手間がだいぶ違います。

特に、同時通訳用のブースがどうしても設営出来ない場合などに、必要な通訳者数が半分、あるいは4分の1で済むのは大きなメリットです。

また、私が担当した国際会議における通訳のように、物理的に複数名の通訳者を同行させられない会議への出席も可能になります。

こうしたメリットも、クライアントにとって大きい。



・ いい影響③: 通訳業界の進歩

この問題について考えていて、ふと思いました。

「同時通訳は15分まで」15分は、一体いつから15分だったのでしょうか。

昔は5分や10分だったのが、少しずつ延びて15分になったのでしょうか。

恐らくそうではなく、「ずっと15分程度」なのだと思います。



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その一方、人間が100メートルを走るのに要する時間は、どんどん短縮(進歩)されています。



男子100m走の世界記録:

1912年 ドナルド・リビンコット 10秒84
1991年 カール・ルイス 9秒84 
2009年 世界陸上ベルリン大会 ウサイン・ボルト 9秒58


2050年頃には、9秒30ぐらいになっているのではないか、とのことです。(明海大学の岡野進教授)


ちなみに女子の100mの記録は、1988年のフローランス・ジョイナーの10秒49が20年以上破られていないそうです。ジョイナーすごいですね。
余談ですが、統計処理の結果「将来は女子が男子を逆転する」という報告もあるようで、とても興味深い。



ーーー



陸上競技におけるこのような進歩の原動力として、ヒトそのものだけでなく、技術や道具の改善も大きな役割を果たしているでしょう。
それは、通訳業界にもそっくりそのまま当てはまります。


同時通訳機材の普及・改善。

電子辞書の登場。

インターネットやYoutube等による予習、及び通訳トレーニング手法の飛躍的広がりなど。



そして、数十年前と比べ、我々通訳者を含む日本人全体の英語力も大幅に向上しています。



そのような中、我々通訳者が同時通訳出来る時間がずっと15分のまま変わらないのだとしたら、それは我々通訳者が相対的に退化していることの現れとも言えます。

そして、クオリティを維持しつつ15分を超えて同時通訳が出来るというAさんの出現は、通訳業界の「進歩」でもある。



ーーー



ここで、冒頭の

「長時間の同時通訳案件を引き受けてしまうことは、通訳業界を壊すことにつながるから、絶対にやってはいけない」

という言い伝えに戻ります。



私はこれを知人の通訳者から聞かされてからずっと、その意味を考えて来ました。

そして、考えれば考えるほど、実は、同時通訳は15分を超えて出来る、という示唆を含んでいるような気がします。

もちろん通訳者全員ではなく、人によって、ですが。



ーーー



これはあくまでも個人的な意見ですが、「同時通訳は15分まで」という原則は、通訳者の負担を考えての面も多分にありますが、それとは別に、通訳業界の収入や仕事量を維持するための取り決め、という面もあるのではないでしょうか。

そういう意味では「価格カルテル」に似ています。



価格カルテルは、文字通り「価格」を縛る取り決めです。

それに対し通訳業界では、継続して同時通訳が出来る「時間」を縛り、同時通訳案件に必要となる通訳者数を維持・増員することによって間接的に価格を維持し、業界の収入を守ろうとしているのではないか。



このような価格統制は必ずしも悪いことではなく、農業やタクシー業界などの業界で、しかも政府主導で、よく行われています。

ただ、同時通訳を15分までに縛るカルテルには問題点があります。



せっかく長時間、高いクオリティで同時通訳が出来、かつそれをやりたいと言っているAさんを妨げることは、通訳者間の悪平等にもつながります。

そして、その悪平等は、Aさんの高い通訳力の恩恵を受けられないクライアントや会議参加者にとってマイナスです。



ーーー



仮に、「同時通訳は15分まで」が一種のカルテルだとしましょう。

そのカルテルの是非以前の問題として私が興味を持つのは、Aさんのような通訳者が出現し、15分を超えた同時通訳を提供した場合、本当に通訳業界の収入が減ってしまうのか、という点です。

以下で考察します。



いい影響④: クライアントにとってのコストの削減??

Aさん出現に伴い、クライアントにとってのコストはどう変わるでしょうか。



同時通訳者が2人 → 1人で済むということは、単純に考えるとコストが半分で済むということであり、クライアントに取って大きなメリットになりそうです。
そしてそれは、世の中全体を考えると「いいこと」なのかもしれませんが、その分、我々通訳者側にとって打撃です。



ここでAさんにぜひともお願いしたいのは、通訳料金の大幅な値上げです。

長時間、高いクオリティの同時通訳を提供出来ること。
それを可能にする通訳力とスタミナを持っていること。

そして何よりも、私のような一般通訳者と異なり、それを「会議参加者のために提供したい」というサービス精神を持っていることは、お客様にとって絶大な付加価値だと思います。

ですので、当然それに見合った高い料金をチャージしてほしいです。



ーーー



例えば、従来は

通訳者2名 X 単価10万円 = 20万円

だったとします。



それを、Aさんが一人で、かつ高いクオリティでこなせるとなると、チャージ出来る料金は10万円どころではありません。
訳の一貫性や、手配やロジ面の負担の軽減を考えると、極端な話、従来よりも高い22万円をチャージしてもいいぐらいです。



通訳者1名 X 単価22万円 = 22万円



増額はやや極端かもしれませんが、クライアントにとってのメリットを考えると、少なくとも従来と同額はチャージ出来るでしょう。

そうすれば通訳業界の収入を維持出来ます。



旧: 通訳者2名 X 単価10万円 = 20万円
新: 通訳者1名 X 単価20万円 = 20万円



特に、私が2年前に経験したヨーロッパでの国際会議のような案件においては、Aさんのような通訳者の付加価値は大きい。

そもそも4人の通訳者を引き連れていくことが物理的に不可能なのですが、仮にそれが出来たとしましょう。
その場合のコストは、フライト代等を含め、例えば

通訳者4名 X 単価150万円 = 600万円

です。



通訳者一人あたりのコスト150万円の内、ざっくり通訳料金が50万円、ビジネスクラスのフライト代等が100万円だとしましょう。

通訳者4名ではなく、Aさんたった1人でこの案件に対応出来るとなると。
フライト代等の実費はAさん一人分、総計100万円で済みますから、極端な話、Aさんは通訳料金を500万円に設定出来るとも言えます。



旧: 通訳者4名 X (通訳料50万円 + 実費100万円) = 600万円
新: 通訳者1名 X (通訳料500万円 + 実費100万円) = 600万円



たった一日通訳をしただけで、通訳料金500万円をチャージするのは非現実的です。
しかし、私がここで言いたいのは、仮にAさんがそのような極端な値段に設定したとしても、クライアントにとってのコスト負担は以前と全く変わらない、ということです。

そして、その一方で、会議参加者にとっての訳の一貫性の高まりや、クライアントにとっての手配やロジ面での負担が大きく削減され、非常に喜ばれるわけですから、大幅な値上げの原資がある、ということです。

正確に言うと、従来は航空業界や宿泊業界に流れていたお金が通訳業界に入ってくるということです。
今後、劇的な収入増が期待出来ない通訳業界にとって、Aさんの貢献に伴う資金の環流は画期的なことでもあります。



ーーー



「通訳料金を今の倍以上に設定するなどありえない」

と思われるかもしれません。

たしかに、これまで長年に渡り提供されてきた通訳レベルにさほど付加価値を付けられなければ、倍はもちろん、わずかな値上げすら無理でしょう。
よくて現状維持か、あるいは値下げしかありません。



でも、Aさんのように、業界に対してDisruptiveなほどの付加価値を付けることが出来れば、料金の倍増など、決して夢ではありません。

Aさんには、ぜひ安易かつ迎合的な料金設定をせず、我々一般通訳者と比べた付加価値の高さを反映したプレミアム料金(少なくとも我々の倍額程度)を設定してほしいと思います。



<いい影響⑤: 架け橋>

「日本と外国との間の架け橋になりたい」

そんな純粋な想いで通訳者になった人も多いと思います。

「長時間、高いクオリティで同時通訳が出来、かつそれを会議参加者のために提供したい」

というAさんは、立派な架け橋です。



<Aさんの出現を受け、我々一般通訳者はどう対応すればいいのか>

少し余談になりますが、Aさんのような通訳者が出現したとして、我々一般通訳者はどう対応するのがいいか、考えました。

いろいろな選択肢があると思います。


1. 何もしない

Aさんのような通訳者がこの業界に多数現れることは、幸か不幸か、当面無いと思います。

そして、仮にAさんが現れたとして、それを見たクライアントが

「もしかしたらBさん(我々一般通訳者)にも同じようなサービスの提供をお願い出来るかもしれない」

と勘違いしたとしても、それが間違いだったことにすぐ気付かされるでしょうから、特に問題無いとも言えます。



また、Aさんが適切な料金設定をしてくれる限り、我々一般通訳者も従来の料金設定を維持出来るでしょう。

いずれにせよ、Aさんのような通訳者の出現が大きなムーブメントになったり、一定の存在感を勝ち取ることはきっと当面無いでしょうから、正直、あまり心配はいらないと思います。



2. 追随する

もしその通訳者が希望するのであれば、自分も長時間高いクオリティの同時通訳を提供出来るよう、努力するという道もあると思います。

私含め、この道を選ぶ通訳者はあまりいないと思いますが。

ただ、個人的には、通訳のスタミナをつけることは訳のクオリティの向上に直結すると考えているので、例え長時間同通を引き受けないにせよ、やろうと思えばそれが出来る状態にはしておきたいと思っています。



3. Aさんとは別の「自分なりの付加価値」を高め、それをクライアントや会議参加者に提供する

Aさんの「高いクオリティを維持した長時間同通」は、非常に強力な武器です。

それに対し私は、長時間同通を引き受けない。
であれば、何かそれ以外の、自分なりの武器を強化しなければ、、、と思います。



Aさん云々にかかわらず、自分は自分なりの付加価値を高めるべく努力する。

それは「通訳のクオリティ」の面かもしれないし、「豊富な背景知識」、あるいは「人柄・対応の良さ」かもしれません。

いずれも通訳者にとって大事な要素で、それが高い水準で提供出来るのであれば、十分Aさんと張り合えるでしょう。



多少なりとも意識の高い通訳者であれば、Aさん云々にかかわらず、日頃から自分の付加価値を高めるべく、具体的な努力をきっと続けているはずです。

このような通訳者にとっては、Aさんの出現は何ら恐れるにたらず、むしろよきライバルとして好感出来るぐらいかもしれません。

Aさんが出現することにより、我々一般通訳者が「自分もがんばろう!」と思うのであれば、その面においては、Aさんの出現はいいことではないでしょうか。

そして、その考え方に基づけば、Aさんの出現に伴う競争は過当競争ではなく、むしろ健全な競争とも言えます。

個人的には、この3.の選択肢が一番魅力的で、そのような通訳者になるようがんばりたいです。



<結論>

自らが書いたブログ記事と、それに対する反応を受け、長時間同通という問題について二年ほど考えて来ました。

そして、Aさんという架空の通訳者を想定し、そんな人が実際に出現した場合の、業界への影響を考えてきました。

その結果思うことは以下の通りです。



<結論①: Aさん出現には、いい面と悪い面、両方ある>

世の中のあらゆる事象が全てそうであるように、Aさんの出現にはいい面と悪い面、両方あります。

そのいい/悪いは、見る人の立場や価値観、そして「通訳業界」をどう定義するかによって大きく異なります。



また、同じ「通訳者」間でもかなり見方が分かれると思います。

そもそもなぜ通訳者になりたいと思ったのか。
生活の糧を得るためなのか、あるいは人の役に立ちたいと思ったからなのか。

日々、誰を意識して通訳をしているのか。
自分なのか、先輩通訳者なのか、あるいは会議参加者なのか。

この辺の目線の違いによって、意見は大きく分かれるでしょう。



だから、Aさん出現のいい面だけを取り上げて「すばらしい!」と喜ぶのは一方的だし、その悪い面だけを取り上げて「通訳業界を壊す!」と嘆いたり怒ったりするのも短絡的な気がします。



<結論②: べき論の危険性>

もしAさんが、我々一般通訳者に対し、

「みなさんも、積極的に長時間同通案件を引き受けるべきですよ」

とか、

「それが出来るようになるために、一生懸命通訳トレーニングをするべきですよ」

などと言って来たらどうなるか。



「ただでさえも総スカン」のAさんに対するバッシングは、さらに苛烈を極めること間違いありません。

Aさん自身がそう思ってそう行動するだけならまだしも、それを人に押しつけようとするのは良くない。

そして、私が2年前に書いたブログ記事でも、「長時間同通を押しつけられた」と感じた通訳者がいたでしょうし、それが批判の一因にもなったのだと思います。



それと全く同様に、我々一般通訳者がAさんに対し

「長時間同通を引き受けるべきではない」

と押しつけるのも、Aさんによる押しつけと全く同程度におかしく、避けるべきなのでしょう。



「長時間同通を引き受けるべきではない」
と信じるのであれば、自分が引き受けなければいいわけで、それを人に押しつけてはいけないと思います。

唯一存在してもいい「べき論」は、自分の考え方を相手に押しつけるべきではない、の「べき」だけでしょう。



——



「自分の考えを人に押しつけない」は、話し手の想いを慮ったり、自分の通訳が聞き手にどう届くかを慮ることを生業とする我々通訳者にとって、特に大事なことだと思います。



日頃、いろいろな考え方、特に自分と異なる考え方を知り、それを尊重して行こうと思っています。

それがなかなか出来ない自分に困り、あきれることもありますが、そういう人間になるよう、がんばっています。

もしそれが出来れば、より魅力的な人間になることに加え、通訳者としての力の向上にもつながり、通訳案件でのパフォーマンス改善に直結すると思っています。

通訳が、話し手や聞き手など、人の気持ちを「慮る(おもんぱかる)」仕事であることを考えると特に。

だからこそ、二年前の自分のブログ記事を反省すると共に、もしAさんのような通訳者が現れても、バッシングに加担したくありません。



<結論③: 進化・進歩は必然>

ヒトは動物です。動物である以上、必ず進化します。


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文明はどんどん発展し、あらゆる業界においてめざましい進歩が遂げられています。

人間も然り。人間が生み出す道具も然り。


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それなのに、我らが通訳業界だけがいつまで経ってもこのままであるはずは無いと思います。



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Aさんは、必ず現れます。



それは人間かもしれないし、あるいは機械なのかもしれませんが、いずれにせよ、Aさんは必ず現れます。
これは「いい/悪い」の問題ではなく、必然です。



「今日」通訳をしている者として私は、昨日までの通訳者、そして従来良しとされて来た通訳を何らかの形で超えていく責任があると思っています。

そして、Aさん出現により、我々通訳者が超えるべきバーが上がるのであれば、通訳者としてのぞむところです。



<結論④: カルテル以外の手段もある>

通訳業界の収入や仕事量を守るためにも、「同時通訳は15分まで」という原則は大事です。
これは実質的に価格カルテルだと思いますが、合法的な、いい価格カルテルです。


でも、こうした「守り」の手法以外にも、業界の収入を維持・向上させていくための手段は存在します。



———



この業界の先行きを考えると、私はどうしても守りに入りたくなります。

自分が専門としているIRの分野もしかり。

英語で対応出来てしまう社長やIR部長がじわりじわりと増えてしまっています。
(ちなみにここでもまた、狭い意味での通訳業界(通訳者+通訳エージェント)と、広い意味での「日本」との間で、明らかな利害の対立が見られます。)



でも、そうした状況だからこそ、守りではなく攻めで物事を考えたい。
農家でいえば、TPPを危機と捉えて断固反対する農家ではなく、TPPをチャンスと捉え、日本の素晴らしい農作物を海外に広めるような農家になりたい。



<結論⑤: Aさんどころではない>

Google翻訳。
NTTドコモやSkypeによる自動同時通訳。

自動翻訳・自動通訳が少しずつ広まっています。



その訳のクオリティは、今はまだ笑えるレベルかもしれませんが、これがいつ我々通訳者を脅かすのか。
私は、そのタイミングは意外と早く来るのではないかと思っています。



我々訳者が文章や発言を訳す際、何をどう考えて訳しているのか。
そのプロセスを仕組み化し、プログラムに落とし込み、かつビッグデータ(?)やプロセッシング能力(?)等を活用すれば、あとわずか数年で、翻訳・通訳業務の一定割合が機械に置き換わる可能性が高いと思います。
我々訳者にとっては残念ながら、今から10年後には、風景はガラッと変わっているでしょう。



機械は、人間と大きく違い、喜んで長時間同通を引き受けます。
そして、その訳のクオリティは飛躍的に向上する可能性があります。それに伴う通訳業界の「破壊」は、Aさんという通訳者の出現に伴うそれの比ではありません。



我々通訳者が意識すべき敵は、「他の通訳者」などでは決してありません。



<結論⑥: ポジティブなExpectation control>

序論でExpectation controlの話をしました。

クライアントや会議参加者に対し、我々通訳エージェントが行うべきExpectation controlは、

「通訳者にはこういうことは出来ません」

とか、

「通訳者にこういうことは求めないでください」

というような、期待を抑える方向のコントロールが一般的です。Expectation controlという言葉通りです。



その重要性は重々承知していますし、これからもIRISではしっかりやっていきます。
しかしその一方で、私は通訳者として、そして通訳エージェントとして、ポジティブなExpectation controlもぜひやっていきたい。



通訳ってこの程度のもの

をぶち壊し、

通訳ってこんなにすごいのか!

と、観客の期待を遥かに超えるような通訳を披露したいし、IRISという通訳エージェントとしても、クライアントを感動させるような通訳サービスを提供していきたいです。

その観点から行くと、私はAさんを糾弾する気にはなれず、むしろ褒め称えたいと思うし、そのような優秀な通訳者がいれば、ぜひIRISに登録してほしいと思います。

そして、自分はAさんと違う方法で観客を感動させていきます。



---



既に現実のものとなりつつある自動翻訳・自動通訳に対抗するためにも、通訳者としてプラス方向でものを考え、自らの付加価値の最大化とそれに伴うプレミアム化を実現していくこと。

これこそが、通訳者にとってはもちろん、クライアントや会議参加者を含む広義の「通訳業界」にとっても、最善の道だと信じています。

# by dantanno | 2015-05-13 01:49 | 通訳 | Comments(2)

成長

少しずつ女の子になっていく。
でも、まだ四頭身(笑)。

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# by dantanno | 2015-05-12 01:09 | プライベート | Comments(0)

水鳥夫妻

IRロードショーで、ジュネーブに来ています。

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朝、川沿いを散歩していたら、、、

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何やら黒と白の物体が。
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水鳥夫妻でした。

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写真が極めてヘタですが、2羽いるの、分かりますか?



耳を澄ますと、、、

左側の、お母さんと思しき鳥のお腹の下から、チーチーと、消え入りそうな声が。
です。


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お父さんは、一生懸命近くを泳ぎ回り、潜ったりして、エサを集めています。

出稼ぎに向かう父。

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そのエサをもって、たまに母鳥のところに戻ってきては、お腹の下にいる雛にあげています。



ずっと見ていると、ときどき写真に写っている枝みたいなものも拾ってきたりもします。

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なんともいじらしい。



こんな人通りの多いところに居を構えて、果たして大丈夫なんだろうか。っていうか、よりによってなぜここ。
イスタンブールみたいにネコの多い街じゃなくてよかった。
大手町のカルガモ一家のように守ってもらえるといいんだけど。
何かエサをあげたい気もするが、名刺と目薬しか持ってない。しかも、余計なことはしない方がいいんだろうなあ。



不安 > 安堵を抱えつつ、仕事へ。。。

# by dantanno | 2015-05-06 13:41 | プライベート | Comments(0)

3年周期で考える

自分のこれまでのキャリアを振り返ってみると、おもしろいことに、おおよそ3年毎に大きな動きをしています。



新卒で商社に入り、3年後にエネルギー部門から新事業開発部門に異動願いを出す。
その4年後に退職し、金融の門を叩く。
3年後にリストラされる。

以上がサラリーマンとしての10年間
この経験を経て、「通訳の会社を起こそう」と決める。

ちょっとフリーランス通訳者を経験した上で、証券会社のインハウス通訳者として3年半。
証券会社を退職し、フリーランスの通訳者になるとともに、通訳会社IRISを設立。

そこから今、3年が経ちました。



---



決して戦略的・意図的に動いてきたわけではないけれど、振り返ってみれば大体3年周期で大きな変わり目を迎えています。
自分には、「3年」という期間がちょうど合っているのかもしれません。



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「3年もやったんだから、そろそろ次のステージに行こうよ」
という上方向だったり。

「3年がんばってみて、どうしてもピンと来なかったらやめて、他のことをしてみてもいいんじゃない?」
という横方向だったり。



---



今、フリーランス通訳者になって3年。
IRISを設立して3年。

どちらの面においても、そろそろ次のステージに行くべきタイミングが来た気がします。



通訳者としては、既に見えているもう一段上のレベルに自分の通訳を持って行く。

IRISとしては、今日、5月1日付けで7人の新メンバーを迎えます。
規模の拡大とトレードオフになりがちな「クオリティ」を損うことなく、むしろ高めることにつながる人選が出来たと思っています。



次の3年。
通訳者としても会社としても、さらなるプレミアム化を目指してがんばろうと思います。



# by dantanno | 2015-05-01 10:50 | プライベート | Comments(0)

それ、ください!!

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# by dantanno | 2015-04-20 15:35 | Comments(0)

日々研鑽(2015/04/15): 全部自分のせい

駆け出しの通訳者だった頃。

「オレがなかなか上達しないのは、仕事が少なすぎるからだ」

と思っていました。
通訳案件を経験すれば、それに基づきウデもどんどん上がるだろうに、なかなか現場を経験させてもらえない。だからこそいつまで経ってもウデが上がらない。だからいつまでも案件を紹介してもらえない。この悪循環をどう断ち切ればいいのか、悩んでいました。



---



その後、数年経ちました。
今度は

「仕事が多すぎて、通訳のトレーニングに時間を割けない」

と言っています。
もしオリンピックに「言い訳」という種目があれば、一躍スターになれるでしょう。



---



そんな僕が、今日も現場に出て、通訳をしてきました。
自分を蹴っ飛ばしたくなる、くやしいミスをしました。
誰の、あるいは何のせいでしょうか。



クライアントのせい
エージェントのせい
一緒に組んだ通訳者のせい

通訳案件が少なすぎるせい
通訳案件が多すぎるせい

スピーカーの話が回りくどいせい
資料が直前まで出なかったせい
音声がよく聞き取れなかったせい

天気のせい
山手線のせい
昼食べた弁当のせい



どんなことでも、自分以外の誰かの、あるいは何かのせいに出来てしまいます。外部化しようと思えば。

一方その逆に、本当は自分のせいでは無いことまで(自分にもっと通訳力があれば・・・)内部化し、それを糧にレベルアップに精進することも出来ます。



---



これまで通訳をやってきて思うのは、通訳者にとって一番大事なのは

・いかに固定客(クライアント)を獲得するか、とか
・いかにエージェントとうまく交渉し、いいレートを引き出すかとか、


そういうことではなくて、

「全て自分のせいである」ことに一刻も早く気付いて、それをなんとかするために具体的な努力をすることではないか、と思います。

(今日の研鑽時間: 上記テーマについてあれこれ考えた1時間)

# by dantanno | 2015-04-15 13:59 | 日々研鑽 | Comments(0)

日々研鑽(2015/04/11): 教えて学ぶ

新年度、新学期。


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今年最初の講義は、「通訳者によるThinking out loudセッション」を行いました。



いつもみたいに生徒にあてて通訳をしてもらうのではなく、3時間、僕が通訳し続けました。

そして、単に「通訳を実演する」だけでなく、通訳者の頭の中がどうなっているかを知ってもらうために、以下のプロセスを全て開示しました:

・ どうメモを取るか (ホワイトボードに大きくメモを取りました)
・ 訳出を開始する前に、一体何を考えるか
   - メモをどう「編集」するか
   - 編集した結果に基づき、どういう戦略を立てるか
   - どの程度「通訳者による解釈」を交えるか
   - 一つ前の訳とのつながりの持たせ方
   - Anticipation(何をどうAnticipateするのか。Anticipateすると、どういういいことがあるのか)
   - うまく訳せないから落とそう/ごまかそう、と思う箇所(笑)、及びそのごまかし方
・ 実際の訳出



いつも、スポーツを観ていて思うことがあります。
例えばゴルフだったら、我々の目に入るのはその選手がどういうショットを打ったか、という結果だけです。
でも、僕が一番知りたいのは「その選手の頭の中がどうなっているか」だったりします。

Tiger Woodsが上手なショットを打つのを観るのはもちろん楽しいんだけど、Tiger Woodsの頭の中を覗いてみることが出来たら。。。

(今日はショットの調子がいいから、強気に攻めてみよう。
あそこの池の右側、そうだなあ、、、大体10ヤードぐらいのところに落として、後は傾斜を使って少し転がす感じで行ってみよう。)

→ 実際に打つ

(あ、思ったよりもスライスしたなあ、、なんでだろ。そうか、ちょっと腰の回転が速かったかな?)



とか、そういうことを知りたいんです。

通訳も同様。
通訳者による通訳そのものにはもちろん興味があるんですが、通訳者の頭の中を覗き、どういうプロセスを経てその訳が出てきているのか、にもっと興味があります。

今でも興味がありますが、自分が駆け出しの頃に現役バリバリの通訳者がそういう機会を与えてくれたら、どんなにすばらしかったか、と思うんです。
だから、今自分がやっています。

生徒たちも喜んでくれたようでうれしい。



ーーー



「通訳を教える」ということを始めてから3年ぐらいが経ちます。


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当初は「教える」ということを強く意識していましたが、最近は「自分が学ぶ」ことも結構意識しています。

今日のような実演は、自分が普段何をどう考えて通訳をしているのかを客観的にあぶり出す、とてもいいきっかけになりました。

実際、それによって新たな課題が見えたと共に、通訳のプロセスを人に説明する際のヒントも得ることが出来ました。



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興味深いのは、このような形式の講義を行うと、通訳案件に伴う疲労とは全く性質の異なる疲労を感じる点。
これはこれで心地いい。

出し切ったというか、やりきった充実感を感じつつ、生徒たちと飲み会へ・・・。

(今日の研鑽時間: 3時間ちょっと)


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# by dantanno | 2015-04-12 09:39 | 日々研鑽 | Comments(2)

日々研鑽(2015/04/03): マンキューの経済学

金融関係の通訳を多くやっているのに、金融のことをきちんと理解していない。

これがずっと悩みでした。


証券会社で何年も過ごし、いっぱい勉強・経験もしてきたはずなのに。




目に見えるもの、映像化できるものについては比較的得意でも、目に見えないものがとても苦手なんです。

人はみなそうなのかもしれませんが。


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金融関係の通訳の仕事が、まあ一応無事にというか、大過なく終わる度に、心の中で

(本当は金融のこときちんと理解していないんです、すみません。。。)

と、誰にともなく手を合わせています。


このままでいいはずはなく、ずっと

(なんとかしなくちゃ・・・)

と思って来ました。




意を決して、金融関係の本を何冊か買って来ました。

それらの目次を眺めたり、「第1章」をパラパラと読んでみて思ったのは、


やっぱ「経済」なのかな


ということ。


金融、すなわちファイナンスは、経済(学)の一部。

経済が分かっていなければ、、、

貿易収支とか、インフレとか、為替の仕組みとか、家計・企業・政府部門の関係とか、そういったことが分かっていなければ、結局「金融」ってよく分からないのかな、と思いました。




経済学部卒のはずなのに、大学時代は麻雀、パチンコ、バイト等に明け暮れ、全く経済を勉強していません(恥)。


そこで、経済をちゃんと学ぶことにしました。


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(続く)


# by dantanno | 2015-04-10 15:31 | 日々研鑽 | Comments(0)

日々研鑽(2015/04/02): 数学の最高水準問題集(中1)

「通訳者を目指そう」と決めたのは、今から7年前の今日ぐらい。

その頃から、算数・数学のトレーニングをしています。

通訳は頭を使うスポーツだから、スポーツ選手が体を鍛えるように、通訳者は頭を鍛えると仕事に役立つかな、と思って。

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このシリーズはいいですね。

論理的思考力や映像化・画像化の力を鍛えるためのこういう問題も載っているし、

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瞬時に表現や訳を頭の中の引き出しから取りに行くための瞬発力を鍛えるための計算問題も載っています。

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これからもずっと続けていきたい習慣です。

(新幹線の中で45分)

# by dantanno | 2015-04-05 09:55 | 日々研鑽 | Comments(0)

日々研鑽(2015/04/01) The Dictionary of Modern Proverbs

IRISの通訳者にもらった本。

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英語のことわざの辞典です。

ご覧の通り美しいこともあり、今までずっと飾ってありましたが、今月からフル活用することにしました。



これを毎晩寝る前に20-30分ほど眺めるのが楽しい。
まだ始めて1晩しかたってないけど。

数々の名言に触れて、心が洗われる感じがします。



中はこんな雰囲気。

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この本がすばらしいのは、そのことわざがどのような使われ方をしたのか、その具体例を紹介してくれること。
例えば国会審議で政治家がこう使ったとか、本でこのように使われたとか。



これ↓、日本でも有名ですよね。

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昨晩のお気に入りはこれ。

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通訳において、ズルとか不正をしてはいけないけど(したくてもあまりしようが無いか。。)、それぐらいしてでもパフォーマンスをもっと上げたい、もっと上に行きたい、と思っていたいものだなあ、と思います。


# by dantanno | 2015-04-01 18:33 | 日々研鑽 | Comments(0)

桜の受け止め方は自分次第

桜の季節。
いろいろな人が、きれいな桜の写真をアップロードしているのを見て、微笑ましい気持ちになります。



(あ、桜きれい!)
からの
(友人・知人にもお裾分けしたい!)


という発想の流れがステキですよね。
(美空ひばりの「人は、かわいい、かわいいものですね~」を思い出します。)



一方で、そうした投稿を見て、

057.gif(リア充ネタをアップするなんて、けしからん、不愉快だ・・・)057.gif

と感じている人もいるのかもしれない。
ちょっとかわいそう。



---



昔から、「リア充」などというものはまやかしで、実はそんなもの、この世に存在しないと思っています。



誰かが何らかの表現・投稿を発信したところ、その受け手が
(リア充だ)
と不満に感じたとします。

そうなってしまう原因(責任)は、発信した人にあるのではなく、受け手にあるのではないか。

具体的には、受け手が
1.今の自分の人生にアンハッピーなのではないか
2.発信した人のことを好きではない、あるいは、好きだし気になって気になってしょうがないんだけど、その好きな気持ちが歪んだ形で表出してしまっているのではないか
と思う。

リア充という概念は、人の表現を「リア充」と感じてしまう受けての心の中にだけ存在するまやかし。

そして、受け手に「リア充」と感じさせてしまう原因はどちらも、受け手の意志と努力次第で解決可能。



来年も、桜の季節の投稿を素直に喜び、感謝できる人間であるよう、がんばろうと思います。

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# by dantanno | 2015-03-31 17:19 | 自戒ネタ | Comments(0)

日々研鑽(2015/03/30): Proverbs(ことわざ)を調べる

友人の通訳者から

10000人の大軍より、心を一つにした100人の方が強し…的な諺、知ってます? 数字、表現、すべてかなりあいまいです… わかれば教えてもらえるとすごーく助かります!」

との質問が来ました。

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全然分かんない。
思いつかないけど、なんかありそうだなあ。。。



ちょっと調べてみると、いろんな便利なサイトがありました。



English Proverbs
これは決定版的なサイトでしょうか。
とにかく量が豊富でいいですね。

The 50 most important English proverbs
そのことわざの意味が書いてあるのがいいですね。
いくつか???に感じることわざもありますが(笑)。
50個のことわざの一番下に、Part 2へのリンクもあります。



結局、お目当てのことわざは見つかりませんでしたが、ちょっと似たものとして、
One volunteer is worth ten pressed men
というのがありました。

仕事をイヤイヤやらされている人が何人 束になっても、好きでやっている人1人に勝てない
的な意味でしょうか。

好きでやってる人1人は、イヤイヤやっている人10人よりも強し
とか?

好き1つは、10のイヤイヤに勝つ
とか?ちょっと違うか。

直訳ではないけれど、コンセプトが似ているものとして、
好きこそものの上手なれ
とかもありますね。



ことわざの訳を考えるのは楽しいですね。
これが本番中、瞬時に出てくるといいんですが。
そのためには、日頃からもっとことわざで遊び、自分のものにしておく必要があるんでしょうね。



ーーー



そういえば以前、IRISの通訳者からとてもステキなProverbsの本を誕生日プレゼントとしてもらいました。
大事に取ってありますが、本当に大事にしたければ、ちゃんと使うべきですね。
4月からの学びに取り入れさせてもらおう。

30分。

# by dantanno | 2015-03-30 12:10 | 日々研鑽 | Comments(0)

REAL FIT 五反田店

とある日のこと。

クルマで家に帰る途中、信号待ちで何気なく視線を向けた先に、ちょっと気になる看板が。



大音量、ゲーム感覚で楽しめるプログラム
短時間(45分)だから効率よく、集中できる!
励まし合い、目標・結果を追及し続ける環境
同士の仲間を増やす!
高揚感と爽快感



なにこれ??

スポーツジムのようです。



体験予約受付中!!



さっそく体験してみることにしました。



ーーー



日替わりでたくさん用意されているセッションの中から、都合が合うものを選び、予約。



いよいよ体験レッスンの当日です。

ドキドキしながら行ってみると、先生(インストラクター)がいて、参加者は5人ぐらいでした。



45分間、みんなで一緒にいろんなエクササイズをします。



いいですね、これ。
入会しました。



---



REAL FIT
が素晴らしいのは、気軽にプチ限界超えが出来ることです。



<プチ限界超え>
普通のジムに一人で行って、ウェイトとかをやるとするじゃないですか。

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そうすると、僕の場合、キツくなった時点ですぐに(やーめた)となります。

でも、REAL FITの場合、先生が見てるし、周りのみんなもがんばってるし、やめられない雰囲気があるんです。



もちろん、先生は優しいし、疲れたらいくらでも休めばいいんですが、
(ああ、ツライから休もうかな♪)
と思ってチラッと隣を見ると、結構いい年をしたおばちゃん(失礼!)が、僕と全く同じプログラムを平気な顔してやっているんです。
向こうは向こうで、僕を見て、僕と同じことを感じてるかもしれませんが。



それを見て、気持ちが発憤したところに、キャッチフレーズにもあった大音量の音楽が流れてきて、それにかぶせるように先生が

がんばれ、あと少し、もっと出来る、もっと行ける!

とハッパをかけてくれると、
(オレも、もうちょっとがんばってみようかな)
と思い、

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永遠と思われた45分がいい感じで終わるんです。

そして、みんなで拍手して、シャワー浴びてスッキリして家路につく。



---



体験レッスン後、先生と入会の相談をしました。

週に1回程度通える「ウィークリー会員」みたいなのもある(当時)一方、制限無く好きなだけ通える「フルタイム会員」みたいなのもありました。



先生が、
「フルタイム会員になれば、極端な話、一日に何度も来られるんですよ♪」
とおっしゃる。

実際には、一度来るとその後3日ぐらいは筋肉痛になるので、「一日に何度も」というのは僕には無理ということが判明するんですが、まあでもいつでも気軽に来られる自由さがいいな、と思い、フルタイム会員に。



---



さて、無事入会したものの、その後なかなか足が向きません。

まず、海外出張が多い時期はずっと海外です。

その合間の、日本にいるわずかな時間はなんとなく他のことをしてダラダラ過ごしてしまい、(行こうと思えば行けるんだけど、なかなか足が向かない)という状態が続いてしまっています。



毎日通えるフルタイム会員。
有料シューズロッカーまで契約しています。

なのに、月に一度行けばいい方。。。

そんな状態が3-4ヶ月続きました。



---



これではあまりにももったいないので、退会を決意しました。

電話で退会するのも何なので、せっかくだから最後一度レッスンに参加して、その場で退会しよう、と決めました。



---



退会を決意した上での、ひさびさの訪問。
思い切ってドアを開けます。



こんにちは!



受付に3人並んだインストラクターの先生たちのハモりに迎えられます。



とびっきりの笑顔で



丹埜さん、今日もがんばりましょう!
よろしくお願いします!



「あ、はい、よろしくお願いします。。。」



ーーー



レッスンが始まります。



例によって、結構しんどい。

(ああ、もうこれ以上はムリ。。。)

と思いかけたそのとき、周りを見渡すと、みんなも一生懸命がんばってる。

しんどさを、みんなで乗り切る、この爽快感。。。



相当グダグダなスクワットのはずなのに、先生は



丹埜さん、いいですよ、その調子!!
もっと胸をはって。そうそう、とってもいいですよ!!!





大音量と共に、45分が過ぎ去ります。




今日もみなさん、よくがんばりましたね!
はい、拍手!!!
パチパチパチパチパチ




ーーー



もうね、とてもじゃないですが、

退会057.gif

とか

休会057.gif

とか、

「有料シューズロッカー、やっぱりいらないんで解約します」057.gif

とか、そういうネガティブなことを口に出来ない雰囲気なんです(笑)。



まあ、雰囲気の話は半分冗談として、それよりも何よりも、やっぱりこのシステムの素晴らしさを痛感しちゃうんですよね。

カラダを鍛える
だけでなく、
精神がよりポジティブに、元気になるのが実感出来るんです。



(もうちょっと通ってみよっかな・・・)



結局退会の「た」の字も口にせず、シャワーを浴びてスッキリして家路につきました。

# by dantanno | 2015-03-29 13:45 | 日々研鑽 | Comments(0)

日々研鑽(2015/03/27): MBAアカウンティングを眺める

取っておきたいのか、処分したいのか。
決めかねている本の山の中から、

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この一冊をチョイス。

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昔、ちょっとだけ東京商科学院という会計の専門学校に通ってみたことがあり、
その頃に岡本先生の「原価計算」を立ち読みし、すぐに挫折。
それ以来、ずっと気になっていた原価計算のところを眺めてみましたが、
分かったような分からないような。
相対的に、今並行して読み進めているMankiwの経済学の本はだいぶ分かりやすいのかもなあ、と思いました。
処分でOK。
でも、新卒で経理部に入った人(この本を買った当時の僕)とかにはいいと思います。

今日は30分。

# by dantanno | 2015-03-27 20:38 | 日々研鑽 | Comments(0)

朝一番の空気

日本にいる間は、朝、さちを車で保育園に連れて行きます。

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夜のあいだずっと閉め切ってあった車内の空気は、少し淀んでいます。

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まどを大きく開けると、朝一番の新鮮な空気が入って来ます。

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この、外の空気だって、それはそれで多少汚れているんでしょう。

でも、多少汚れていたとしても、停滞して淀んでしまった空気よりはるかに気持ちいいし、カラダにいいのが体感できます。



空気も、水も、停滞し、淀み、変化が止まると腐ります。
世の中で最も普遍的な存在ともいえる空気と水が共にそうなのであれば、きっと人間もそう。

だから我々は、変化を恐れたり、現況に安住したりしてはいけないんだな、と思います。



今日も行って来ます!

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# by dantanno | 2015-03-27 08:27 | Comments(1)

記者会見やプレゼン後のQ&Aのあるべき姿

記者会見やプレゼンの基本形は

1. スピーカーによるスピーチ/プレゼン
2. 質疑応答(Q&A)

が多いですよね。

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通訳者として、あるいは一参加者として記者会見やプレゼンに参加し、そのQ&Aを訳したり、聞いたり、自分が質問したりすることがあります。

Q&Aを実りある場にするために、質問者が心がけられると思うことは以下の通り:



・ 所属と名前をはっきりと言う

・ 質問は短く: ①自分の意見は言わない

・ 質問は短く: ②何を聞きたいのかを明確に

・ 質問は短く: ③質問は一つに絞る

・ その日のテーマに関係無いことは聞かない

・ 参加者全員の「最大公約数」を質問する



それぞれについて考えてみます。



・ 所属と名前をはっきりと言う

これは、通訳者として参加しているときに強く思うことです。

質問者が、スピーカーに対する礼儀として、質問の冒頭に自分の所属と名前を言うことがあります。
あるいは、会議の主催者やモデレーターから「所属と名前をおっしゃってください (Please state your name and affiliationとか)」と言われることもあります。

せっかく所属と名前を言ってくれるのはいいのですが、はっきりと聞き取れないことが非常に多い。
実に半分ぐらい(!)のケースで、はっきりと聞き取れないような気がします。



なぜ、所属と名前をはっきりと聞き取れないのか。

まず、通訳者側の問題もあるでしょう。
世に存在する機関名や人名に詳しければ詳しいほど、聞き取りやすくなるはずです。
これについては、各通訳者が努力し続けるしかありません。

一方、質問者側の問題も大きい。
要するに、所属と名前をはっきりと言わない質問者が多い。
なぜか。

・緊張
質問者が緊張しているのもあるでしょう。こういう場で質問をするのは勇気が要りますよね。

・出だし
「所属と名前」を言うのは質問の冒頭です。
その時点ではまだ声のトーンが整っていなかったり、マイクとの距離感がつかめていないのもあると思います。

・当たり前
自分の所属と名前は自分(質問者)にとっては当たり前ですから、それを「はっきりと言わないと会場(通訳者含む)に伝わらないだろう」という気持ちが起きにくいのもあるかもしれません。

・不要論者
そもそも所属と名前を言う必要性に疑問を感じていている人もいるのかも。重要性が低いからはっきり言わないのかもしれません。
僕も、個人的には「所属と名前」はあまり要らないと思っています。
主催者、あるいはスピーカーがどうしても知りたい、という場合は別ですが。

・わざと(笑)?
中には、自分の所属と名前を明らかにしたくない人もいるかもしれません。
でも、司会者に「言うように」と指示されたし、ウソをつくわけにもいかないから、モゴモゴでやりすごしているのかもしれません。

楽しい空想は尽きません。



ーーー



「日経新聞の田中です」
とかならまだ、多少モゴモゴ話されても聞き取れるんですが、

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ちょっと国際的な場になるとすぐに
"I am DJFOEWJIDSF from IEFJOSDKFD News"
となって、相当はっきり言ってもらわないと聞き取れません。



ーーー



聞き取れないときは、しょうがないので訳から落とします。
せめて所属、あるいは名前のどちらかでも拾えた場合は、せめてそれを言っています。

今度、Q&Aで自分が質問に立ったとき、せっかく所属と名前を言ったのに、通訳者がそれをちゃんと訳していなかったら、、、
自分が果たしてはっきりと言ったかどうか、振り返ってみていただけるとありがたいです。



・ 質問は短く: ①自分の意見は言わない

会場に来ている参加者たちは、スピーカーの意見を聞きたいのであって、質問者の意見を聞きたいのではありません。

ではなぜQ&Aがあって、質問者として質問をする場が設けられているかというと、それはあくまでもスピーカーの考え・意見を引き出すためでしかありません。

それなのに、質問に入る前に自分の意見を長々と言う人がいます。
多少で済めばご愛敬ですが、あまり意見の開陳が長いと会場がうんざりし始めるのを感じます。

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通訳者もそうですが、質問者も脇役です。

そして、いい通訳は「なるべく無駄無く簡潔に」が基本であるように、いい質問も「無駄無く簡潔に」が基本だと思います。



・ 質問は短く: ②何を聞きたいのかを明確に

通訳していて、ときどき起きるヘンな出来事。

日本人のスピーカーの隣に座り、その人のスピーチを通訳したとします。

無事スピーチが終わり、さあ、いよいよQ&Aです。



質問者が英語で質問をした場合、その内容を和訳してスピーカーに伝えるのも大事な仕事です。

一方、日本人が質問した場合はどうか。
その会議のプロトコル次第ですが、会場(参加者)に外国人がいる場合、その方々向けに質問を英訳する必要があるかもしれません。



このように、日本人が日本語でした質問について、僕の隣に座っているスピーカー(日本人)が


「今の質問は、一体何を聞いてるの?」


と、通訳者である僕に聞いてくることがときどきあります。



(さあ、質問を英訳するぞ・・・)
と意気込んでいたところに、いきなり 日本語→日本語 の通訳依頼が舞い込んできて、一瞬頭の中が(???)になります。



こうした笑うに笑えないことが起きてしまうのも、質問が長く、分かりにくいからではないか。

なるべく短く簡潔に、「要は何を聞きたいのか」というその要点だけを伝えるといいと思います。

「質問が短いと、分かりにくくないだろうか・・・」って、そんなことはまずありません。
質問が長ければ長いほど分かりにくくなります。
(ブログ記事についてもあてはまるかもしれず、反省することしきりです。)



これは通訳をしていて強く感じることですが、スピーカーは大物だったり、超頭がよかったり、とても忙しい人だったり、せっかちだったりします。

そういう人に質問をするわけですから、なおさら短く簡潔に、が大事になります。



・ 質問は短く: ③質問は一つに絞る

「3つ質問があります」

Q&Aセッションでありがちな光景です。
僕が普段通訳をしているIRミーティングでもよくあります。



複数の質問をひとまとめにするのは、百害あって一利なしだと思います。
通訳者にとってももちろん負担ですが、肝心のスピーカーにとって大きな負担です。

質問を聞いているとき: 2つ目以降の質問を聞いている間ずっと、最初の質問を覚えていなければいけない

質問に答えているとき: 最初の質問に答えている間中、2つ目以降の質問の内容を覚えていなければいけない



今まで、記者会見等で「複数質問ひとまとめ」があった際、かなり高い確率でスピーカーから助けを求められました。

質問を聞き終わった後に、「あれ?最初の質問は何でしたっけ」とか。
あるいは、最初の質問への回答が終わった後に、「えーと、2つ目の質問はなんでしたっけ」とか。



メモを取ればいいじゃないか
と思うかもしれません。
まあ、確かにそうなんですが、メモを取るのが上手な人はあまりいません。

そもそもメモを取ることに慣れていない人も多いです。

また、話された内容をメモすることで完全に記憶を外部化することが出来るのは、通訳者とか、そういった特殊な人だけです。

言い方を変えると、
仮にメモを取ったとしても、「質問を記憶する」という負担を頭の中から完全に取り除くのは難しい。
また、後からそのメモを見て、そこから質問内容を完全に再現出来なかったりして苦労する人がほとんどだと思います。



質問を複数したい場合は、複数回手を挙げ、1つずつ聞いていけばいい。
混んでいるATMでの振込と同様、一度自分の番が済んだら、また並び直すのがマナーだと思います。




・ その日のテーマに関係無いことは聞かない

Aというテーマについての記者会見なのに、そのスピーカーが何らかの形で関係しているBという別のテーマについて質問をする人がいます。

芸能人が、自分が主演している映画の説明をするために設けられた場で、その芸能人の私生活について質問をしてしまうアレと似ています。



その記者会見の主催者は、「Aというテーマで記者会見を開催しよう」と思って今日に至りました。
依頼を受けたスピーカーは、「Aというテーマについてしゃべろう」と思って会場入りしています。
集まった参加者たちは、「このスピーカーがAというテーマについて話すのを聞こう」と思って集まっています。
通訳者は、「今日はAというテーマの記者会見の通訳をするぞ」と意気込み、準備して臨んでいます。

そこで、
「私はBについて聞きたいから、Bについて話せ」
とスピーカーに迫るのは、関係者全員に対する冒涜のような気がします。

これは絶対避けるべきだし、そういう質問をしてしまう人がいれば、モデレーターが遮るべきだと思います。(芸能人のマネージャーが囲み取材を打ち切るように。)



なぜ、その日のテーマ(A)と関係の無い質問(B)をしてしまうのか。

恐らく、悪気は無いんだと思います。
質問者の頭の中では、AもBも「関係がある」んでしょう。

確かに、例えば「その芸能人が主演する映画」と「その芸能人の結婚」の間には、「その芸能人」という共通のテーマがあります。

でも、それを言い始めたら、どんなに無関係な物事でも無理矢理つなげることが出来てしまいます。
「幕の内弁当」と「ジョージ・クルーニー」だって、「日本語で9文字」という共通点があります。

だから、質問をするときは、一瞬自分の主観は脇に置いておいて、
(ここでBについて質問したら、スピーカーや参加者はどう思うだろうか・・・。
「関係のあるテーマだ」と思うか、あるいは「無関係じゃないか」思うか。)
を考えるべきなんだと思います。



・ 参加者全員の「最大公約数」を質問する

最後は、僕が一参加者として会場にいて、Q&Aで手を挙げたときのことを振り返って感じた点です。

どうせ質問するなら、スピーカー AND/OR 会場に「鋭い質問だな・・・」と思ってもらえるような質問をしたい、という気持ちを感じます。
最近はそうでもありませんが、昔は結構そうでした。

そうすると、気付かないうちに
(自分が本当に聞きたいことは何か?)
から
(どういう質問をすれば 「鋭い質問だな・・・」 と思ってもらえるか?)
に焦点がズレてしまっていることがあります。



これは、(自分は本当はどう生きたいのか)を忘れ、(人にどう見られたいか)だけを追及してしまっている人生と同じだと思います。



一方で、上記とちょっと似ていますがちょっと異なる考え方として、

(どういう質問をすれば、会場にいるみんなから 
「うんうん、私もそれ聞きたかった!」 
と喜んでもらえるか?)

という視点もあると思います。

これはこれで、自分の人生を歩まず、人のために人生を歩んでしまっているような気もしますが、単なる目立ちたがり屋のスタンドプレーではなく、人の役に立つという意味で大きく異なるでしょう。



ーーー



質問をする勇気がある、というのはすばらしいことだと思います。

そして、会場には、(質問してみたいけど、恥ずかしい・・・)と感じている人が必ずいます。

であれば、質問をする勇者は、なるべく最大公約数的な質問をすることによって場の成功に貢献する、というのも手だと思います。



以上、今までの乏しい経験から、Q&Aの際に心がけようと思ったことを書いてみました。


# by dantanno | 2015-03-24 23:33 | 提言・発明 | Comments(2)

どの程度IRに力を入れるか

IR頑張る ファナック高値なぜ - Y!ニュース

日本企業がIRに力を入れてくれるのは、もちろんとてもうれしい。
IRISにとって追い風にもなるし。

でもその一方で、「ウチはIRなんかに力を入れない」という会社も実は好きです。
いいモノ・サービスを提供し、業績を上げ続ければ、株価はついてくるはず、と言っているような気がして。



僕が上場企業のトップになることは、少なくともこのミレニアム中は無さそうですが、仮に自分がそういう立場にあったとして、
(どこまでIRに力を入れるかなあ、、、)
と時々想像するのも楽しいです。

とりあえずやるのが当たり前だからやるのか、あるいはもっとちゃんとした理由に基づいてやるのか、あるいは断固、証券会社や投資家に何を言われようが「力を入れない」のか。

人生観を問われるような気がする。

# by dantanno | 2015-03-18 02:39 | IR通訳 | Comments(0)

ピンチ

「自分の仕事を一応、ちゃんと問題無く出来、お客さんに喜んでもらえる(極めたとかそういうことでは決してないにしても)」というのは、見方によっては喜ばしいが、見方を変えるとすごく不幸な悲しい状況。

80歳でそうならまだいいのかもしれないけど、40歳でそれはやばい。

表面的にはピンチではないので、気付かぬうちに、、いや、実は薄々気づいているんだけど目を背けているうちに、緩慢な死につながるため、非常に危ない。



ーーー



このピンチを打開するためには、

1. 今の枠組みの中で「日々の仕事」以外の、口先だけではない具体的な向上策を実行するよう無理やりにでも自分を仕向けるか、あるいは

2. 枠組み、地平、次元を変える(もしそれが出来れば、上記具体的行動は自ずとついてくる)かしかない気がする。

単に「仕事の範囲を広げたり変えたり」するだけでは、新しい範囲に慣れるまでの間が新鮮なだけで、本質的な打開策にはならない。

今週一週間のテーマ。
# by dantanno | 2015-03-15 10:16 | 日々研鑽 | Comments(0)

二面性

香港の朝もや。

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「スモッグに覆われた街」と見るか、「霞がかった美しい山並み」と見るかでだいぶ違ってくる。

きっと、どっちも正しい。

唯一の不正解は、「どっちか一つだけだ」と決めつけること。

# by dantanno | 2015-03-09 12:03 | 自戒ネタ | Comments(0)

大黒柱

母の退院祝いで、家族が集まりました。
(義妹は残念ながら欠席。)

この家族をまとめる大黒柱は、やはり母。

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# by dantanno | 2015-02-25 14:22 | Comments(0)

アジア。

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# by dantanno | 2015-02-14 18:45 | Comments(0)

ボブスレー

華々しくデビュー

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雪怖さで引退

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# by dantanno | 2015-02-08 14:18 | Comments(0)

氷水

一口飲ませてくださいな。

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つめたい。。。

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# by dantanno | 2015-01-17 18:57 | プライベート | Comments(0)

食品への異物混入に思う

次から次へと出てきて、後を絶ちませんね。
思うことは3つ:



1. あってはならないことだし、企業サイドにはこういうことが無いよう最大限の努力をしてほしい。



2. 事業の規模を考慮に入れるべき

例えば
マックや吉牛等の大手チェーン店
VS
近所のフツーの飲食店
で比較した場合。

<店舗数>
近所のフツーの飲食店は、そのお店1軒しかありません。
マックは何店ですか?3000店ぐらい?3000倍です。

<営業時間>
近所のフツーの飲食店は、ランチタイム(2.5時間と仮定)とディナー(5時間と仮定)しかやってません。
マックは朝から晩までずっとやってます。24時間の店もたくさんありますね。まあ、仮に近所のフツーの飲食店の2倍の営業時間とします。

<回転数>
近所のフツーの飲食店は、一番高回転であるランチタイムでも、x回転。
その間マックは一体何回転してるんでしょうか。10x回転?



マックのように大成功しているチェーン店だからこそ、異物混入などのトラブルを防ぐよう策を打っているでしょうが、
マックのように大成功しているチェーン店だからこそ、異物混入などのトラブルが発生する件数は、近所のフツーの飲食店の 3000倍 X 2倍 X 10倍 = 60,000倍ある、と考えることも出来る。

すなわち、近所のフツーの飲食店において異物混入が1件発生するのに対し、マックでは6万件発生してもおかしくない、という考え方も出来る。

だからいいじゃないか、ということではありませんが、この規模感も考慮する必要があると思います。



3. 「単なる言いがかりもある」と考えた方が自然

なぜ、昨年末から急に、後から後から異物混入の訴えが相次ぐのか。

外食産業における衛生管理が、昨年末から急速に悪化したんでしょうか。
外食産業だけではありません。和光堂もローソンもですから、「消費者向けにサービスを行っている産業全体」において、昨年末から衛生管理の劇的な悪化があったのか。



あるいは、異物混入は今までも慢性的に発生していたものの、これまではお客さんの側がなぜかずっと泣き寝入りし続けていたのか。
それが、昨年末から急に勇気が出て、被害を訴え始めるようになったんでしょうか。



どちらも、あまりあてはまりそうにありません。
では、なぜ今になって後から後から異物混入の訴えが相次ぐのか。

最初の頃の訴えは本当だったかもしれませんが、その後の訴えについては、(千載一遇の好機!)とばかりに自作自演をしている人たちもいるのではないか。



たとえマックがどんなにまともな企業で、どんなにまともな運営をしていても、その敵は無数にいるでしょう。

今までマックの店舗で何らかの不快な思いをした、という人もいるでしょう。
(「近所のフツーの飲食店」と比べ、お客さんにそういう思いをさせてしまうリスクも、マックの場合何千倍、何万倍になります。)

あるいは、マックの成功を快く思っていない外食産業のプレーヤーだっているでしょう。
「ウチが閉店に追い込まれたのは、近くにマックがオープンしたからだ!」
と思っている(思い込んでいる)「近所のフツーの飲食店」の関係者もいるでしょう。



マンガやドラマでお馴染みの
「料理に○○が入っていた!どうしてくれるんだ!!」
と言いがかりを付ける手口は昔から存在します。



4. 「注目されたい」という気持ち

我々がFacebook, Twitter, ブログを熱心にやるのは、「つながっていたい」、「共感してほしい」、そして「注目されたい」といった、様々な気持ちが複雑に入り交じった結果だと思います。
自分についても感じますが、人間の「注目されたい」という気持ちはとても強い。

それがときには放火とか、らくがきとか、異物混入の自作自演とか、ゆがんだ形で現れることもあるでしょう。



5. 異物混入に関わる立証責任の問題

異物混入で悩ましいのが、Burden of proof(立証責任)の問題だと思います。

「異物が混入していた」と訴える客は、それを立証・証明する義務を負いません。
異物が混入していた、と訴えるだけで大問題を起こすことが出来ます。
今はとてもタイムリーな話題ですから、メディアもすぐに飛びつき、騒ぎを大きくしてくれます。

それに対し店側・企業側が反論するためには、
「異物は混入していなかった」
ことを証明する必要がありますが、それはもう不可能です。



6. 自作自演の発覚に期待

前記の通り、食品への異物混入については自作自演がとてもしやすく、また発覚しにくい。

でも、例えば監視カメラがその様子、つまり客が異物を自分で「混入」させている様子をとらえていたりすることもあるでしょう。

あるいは、その客に多少なりとも良心が残っているならば、客本人が後日その良心の呵責にさいなまれて名乗り出ることにも期待しています。



マック等の大手チェーンに何か恩義を感じているわけではありませんが、日頃とてもお世話になっているのも事実。
無ければ困るし。特にときどき(ビッグマック食べたい・・・)と思ったときなど。吉牛やコンビニと同様、社会の大事なインフラです。

今異物混入の問題で苦しんでいる企業の方々には、もちろんその根絶に向けて努力していただきつつ、ぜひがんばってこの危機を乗り切ってほしいです。


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# by dantanno | 2015-01-11 04:39 | 提言・発明 | Comments(0)