たんのだんのブログ

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Michael J. Fox's words

パーキンソン病と闘ってきたマイケル・J・フォックスの言葉。

One of the things the illness has given me is a degree of death. There's a certain amount of loss, and whenever you have a loss, it's a step toward death. So if you can accept loss, you can accept the fact that there's gonna be the big loss. Once you can accept that, you can accept anything. So then I think, Well, given that that's the case, let's tip myself a break. Let's tip everybody a break.

by dantanno | 2016-01-31 13:10 | プライベート | Comments(0)

中と外を一致させる

最近のこと。

ふと気付くと、ちょっとしかめっつらというか、目つきが厳しめになっていることがある。ここのところ、子育ての関係でよく眠れていない、というのがあるけれど、表情の変化にはその前から気付いていた。昔はこんなこと無かったんですけどね。


他の人はどうなのか知りたくなった。そこで、街を歩くとき、他の人たちがどういう表情をしているか観察してみた。

買い物をしに行った先のデパートのエスカレーターで、向こうから来る見知らぬ人たちの顔を見てみる。とてもうれしそうで、用も無いのにこちらから何か話しかけたくなってしまう、そんなニコやかな七福神のような表情をした人もいれば、この世の不幸を一身に背負った歯痛の般若みたいな人もいる。

七福神も般若も、きっと同じようにうれしいことを経験したり、仕事やプライベートで課題を抱えていたりと、要するに大体似たような人生を歩んでいるのだろうに、ここまで対照/対極的とはおもしろい。


自分の場合、機嫌はとてもいいはずなので、顔つきが厳しめになるのは年のせいか?原因がなんであれもったいないので、意識的に目を大きく見開き、口元を笑顔っぽくし、身の回りの明るいことを考えるようにして、心の持ちようをダイレクトに顔に出して行こうと思った。


by dantanno | 2016-01-25 17:01 | プライベート | Comments(0)

携帯電話会社のTV CM

携帯電話会社のCMを観ると、どこか小馬鹿にされたような気になってしまう。
3社のCMすべてそう。

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でもこれは、ちょっと考えればすぐに僕がおかしいと分かる。

ーーー

携帯電話会社(+広告代理店)は、なんのために高いお金と手間暇をかけ、TV CMを作り、放映しているのか。

その目的は、
1.収益を増やすため(直接的、定量的)
2.知名度やイメージをアップさせるため(間接的、定性的)

2.の「知名度やイメージをアップさせる」というのも、企業の存続意義を考えると、究極的には1.の「収益を増やすため」につながる。

いずれにせよ、僕を小馬鹿にするためのCMではない。

上記に照らし、携帯電話会社のCMの場合、その目的は
1.サービス加入者を獲得したり維持/Retainする
2.知名度やイメージをアップさせる
ためにあるのだろう。

僕の場合、どういうときに「小馬鹿にされた気がする」のかというと、「こうしたなんとか太郎とか犬とかよく分からない家族とかがあれこれおもしろおかしくやっているCMを流しておけば、それを観た者はその結果ウチと契約したがったり、ウチに引き留まったり、ウチに対する知名度・イメージをアップさせるだろう」と思われていると思うと、ちょっとどうなのかな、と思ってしまうのだ。

ーーー

ちょっと余談だが、僕の友人で、広告会社を経営し成功させている人がいる。彼の独特のものの見方には、昔から一目置いている。


よく、生命保険会社のCMなどで、感動的な「いい話」が流れて、それを観た人たちがFacebookとかで「チョー感動した!」とか「涙が止まらなすぎる!!」と称賛の嵐になることがある。確かに僕も感動するのだが、そんなとき、広告会社経営の彼は横から冷静かつ愚直に

「で、いくら売れたの?」

とツッコミを入れたりしている。そのCMが、どれぐらいの売上増につながったのか、ということだ。


彼のこういう姿勢は実に正しいと思う。結局CMは、観る人を感動させるためではなく、「収益を増大させるため」に放映されるものだからだ。それを観て喜んだり感動したりするのは「番組そのもの」でやればいい話で、TV CMの役割ではないと思う。


「いいCM」とは、その制作費を大きく上回るリターンを企業にもたらすCMのことをいうのだと思う。ドライだが、そういうことなんだと思う。


ーーー

携帯電話会社のCMに話を戻す。

これは皮肉でもなんでもなく、素直に
(きっと、いいCMなんだろうな)
と思う。
(たまたま僕は観る度に小馬鹿にされた気分になるけど、それは僕が少数派なんであって、きっといいCMなんだろうな)
と思う、本当に。

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実際、多くの人がこうしたCMを観て、その携帯会社に対するイメージをアップさせたり、「今加入している別の携帯会社との契約を解約して、この会社にナンバー・ポータビリティーしよう」と思うのだろう。そういう意味でこれらCMは、CMとしての本来の機能を果たしていると言える。

ーーー

なんの皮肉もなく、素直に(きっと、いいCMなんだろうな)と思うのと同時に、
なんのひねくれでもなく、素直に(自分は、これをいいCMだと思う人じゃなくてよかった)とも思う。

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先日、大手携帯電話会社との契約を解約し、MVNO?SIMフリー?にしました。いいですね、これ。

その結果、従来は毎月1万円以上かかっていた携帯電話代が、月3,000円程度になりました。
差額の7,000円は、恐らくTV CM制作費でしょう。そのTV CMを観て喜ぶ人が負担するという、受益者負担の原則がフェアだと思います。

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by dantanno | 2016-01-24 04:42 | プライベート | Comments(0)

Sherlock Holmes and Watson

One night, on a camping trip, Sherlock Holmes wakes up Watson and says, "Look at the stars. What do you deduce?"
Watson thinks for a minute and says, "Well, I see millions of stars, many of which resemble our sun, which most likely have their own planets, which most likely have life-forms like us, so I deduce that there is life on other planets."
And Sherlock says, "No, you idiot, someone's stolen our tent."

by dantanno | 2016-01-23 13:02 | プライベート | Comments(0)

テレビが(半分だけ)無い生活

年末の引っ越しに合わせ、テレビをリビングからベッドルームに移してみました。それについての話です。

ーーー

自分がテレビを観るシチュエーションを大別すると、
1.ちゃんと、本腰を入れて観る
2.中途半端に観る
3.観ていないのに「観る」

それぞれについて考察しました。

ーーー

1.ちゃんと、本腰を入れて観る
お笑いが大好きなんです。だから、「アメトーーク!」とか「ロンドンハーツ」、「すべらない話」などを、ビールとかワイン飲みながら、奥さんとゆっくり観るのが至福なんです。
娯楽として楽しいのはもちろんで、それが主目的です。それに加え、笑うたびに「今のはなんでおもしろいんだろう」を考えるのも楽しい。また、こういう番組を観ることについては、ことばを使う者としての職業的な興味もあります。話し言葉であれ、書き言葉であれ、どうすればもっと分かりやすく、おもしろく話を伝えられるのか、といった勉強になると思うんです。

そんなわけで至福なんですが、お笑いを観始めるのは大抵夜遅くで、冬のちょっと寒い日なんかに、電気じゅうたんの上で寝っ転がりながらそれをやるとほぼ100%そのまま寝てしまい、午前3時ぐらいに僕か奥さん、どっちかがハタと目を覚まし、「もう二度とテレビ観ながら寝ない!」と後悔しながら二階に上がってショボショボとベッドに潜り込む、みたいなことが結構な頻度で起きる。


2.中途半端に観る
食事をしながら観る、というのはなるべく避けていましたが、それでも食事の前後のちょっとした時間とか、ふとしたときになんとなくリモコンに手が伸び、その後は観るともなしになんとなく観る、みたいなことが結構ありました。一人の時はもちろん、家族と一緒のときも。
家族と一緒なら団らんでもすればよさそうなものですが、(別に、あえて今話したいネタとか、今報告・相談すべき事項があるわけでもなし・・・)ということで、なんとなくリモコンに手が伸びる。


3.観ていないのに「観る」
人がテレビを観始めるのはいつからか。それは、リモコンでテレビの電源を入れた直後からです。でも、実はその前からテレビのことを考えている。だからこそリモコンに手が伸びたのだ。つまり、テレビを観ていないときでも、頭の片隅でテレビのことを考えている。テレビに気を取られているという意味では、観ているのと実質的に同じ。

たばこと似ている。
僕も昔、ちょっと吸っていた時期があって、23歳の時にやめた。当時の経験から思ったのは、スモーカーは、今まさにたばこを吸っているときはもちろん「たばこのことを考えている」が、吸っていないときでも頭のどこかで(ああ、たばこ吸いたいな)とか、(次はいつ頃火を付けるか)とか、(たばこ切れてないかな?)とか、(この店はたばこを吸える環境だろう)とか、(これは灰皿?それとも醤油皿?)みたいなことをグルグルと延々とずっと考えている。それは意識的だったり、無意識でだったりする。
僕の場合、健康がどうこうよりも、そういう無駄な思考に脳のキャパを振り向けるのがもったいなくてたばこをやめた、というのも大きい。

ーーー

ということで、引っ越した先の家では、テレビをリビングではなく、ベッドルームに置きました。結果は、、、

すばらしい!

何がどう変わったか。上記3シチュエーション毎に分析しました:


1.ちゃんと、本腰を入れて観るとき
そういうときは、寝支度を終え、お酒を持ってベッドルームに行き、ベッドに入ってテレビを観る。そのまま寝てしまってもOK、というのがとてもいい。元々至福だった時間が超至福にレベルアップした。

2.中途半端に観るとき
新しい家に引っ越してからしばらくは、リビングでふと(あ、テレビでも観よっかな)と思ったりしていた。でも、リビングにテレビは無いので、それは現実的な選択肢ではない。観たいなら、ベッドルームに行って見ることが出来るが、そこまでして観たいわけでもない。ということで、中途半端に観ることがなくなった。

3.観ていないのに「観る」
引っ越した当初はリビングにいても心のどこかでテレビのことを考えていて、それは幻肢痛にちょっと似ていたが、今はもう無くなった。無いものは無い。観たければベッドルームに行く。

ーーー

リビングからテレビを追い出した結果、最大の成果は「家族との会話が増えた」こと。

前述の通り、元々食事中は観ないようにしていたテレビだが、ちょっとした時間の切れっぱしになんとなく観ることが多かった。でも、今はそれが出来ない。出来ないとなると、家族と何か話すしかない。話すことが思いつかなければ、頭を絞って何か思いつくしかない。結果的に家族との会話が増えた。

引っ越し前後での、頭の中での自問自答の変化を分析すると、

ビフォア: どうせ今話すこと無いよね?ね?ね? よし、テレビつけよっと。

と、せっかくの「有」を「無」にするようなヘンな努力をしていたのが、

アフター: 何か話すこと無いかな・・。何かあるでしょう。。あ、そうだ!アレについて話そう!「あのね、、、」

と、「無」から「有」を生み出すいい努力に変わった。

ーーー

テレビを置かない代わりに、以前は僕の部屋に置いていてあまり聴いていなかったオーディオをリビングに置いてみた。朝、昼、晩、これで音楽をかけ、聴くとはなしに聴いている。

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従来無意識に(いつテレビつけよっかな・・・)と脳のキャパを浪費していたのが、今は無意識に(いつオーディオかけよっかな・・・)と脳のキャパを浪費するのに横滑りしているだけのような気もする。でもそれは置いておいて、より本質的な話↓。



朝の日差しの中で、モーツァルトを聴きながら家族と話すのと、

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朝のテレビのニュースで
「昨夜、**県**市で火事があり、焼け跡から二人が遺体で発見されました。この家に住む60代の夫婦とみられます。警察によると・・・」
という、それを観たところで、ネガティブな気持ちになる以外何も打つ手が無いニュースを見聞きさせられるのとでは天と地、、、いや、天国と地獄ほどの違いがある。余談ですが僕は、朝一でこうした「それを知っても何もアクションを起こしようが無く、気が滅入るだけのニュース」を流してはいけない、というルールを制定してもいいのではないか、と昔から思っている。こんなものは「ニュース」ではなく、ただの「ノイズ」だと思う。ついつい観てしまう、こうしたセンセーショナルなノイズに朝一から触れた結果、無駄にストレスフルな状態になって通勤・通学している人もいるのではないか。その結果、世の中は確実に少し「悪く」なっている。

ーーー

リビングからテレビがいなくなって、当初はちょっとさみしい気持ちにもなりましたが、今は平気です。ベッドルームでがんばってくれているテレビと、とてもいい距離感が取れている気がします。昔はテレビを付けたり観たりすることに感じていた一抹の罪悪感も薄れました。

我が家では、テレビを家から丸ごと追放してしまうなんてとても無理。だから、家の中での「テレビの引っ越し」をしてみました。テレビの引っ越しは、ウチと同じく、手放しはしたくないけどテレビとの距離感を調整してみたいという家庭に、一つの選択肢としてオススメです。

by dantanno | 2016-01-20 13:41 | プライベート | Comments(0)

「お会計、1080円(税込)になります」

なぜ1,000円という価格設定にしたのか、という初心を思い出してほしい。
by dantanno | 2016-01-12 12:58 | 提言・発明 | Comments(1)

船着き場への階段を作りました

天気がいいので、川沿いの土地へ。

今日は階段を作りました。川の近くまで降りやすくするために。

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お隣さんにいただいた板とか、その辺に転がってる石とか、いろいろ使ってみました。

下からの眺め。

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見た目はともかく、、、まあまあ頑丈のようです。

笹もだいぶ切ったので、川が見えるようになりました。

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船着き場建設まで、まだだいぶ時間がかかりそうですが、その遅さを楽しんでいます。
by dantanno | 2016-01-08 15:18 | プライベート | Comments(1)

もし同時通訳が好きなのであれば、それを前面に出してもいいと思う

今まで、いろいろな同時通訳案件を、いろいろな通訳者と組んでおこなってきた。

IRISの通訳者と組んだこともある。一方、他のエージェントから派遣された通訳者と組むことも多く、今日はそれについて書く。

<通訳の分担決め>
ペアで行うことが多い同時通訳においては、通訳をどのように分担するかを決める必要がある。分担は、事前に通訳エージェント等が決めておいてくれることもあるし、その場で通訳者間で決めることもある。決め方は、例えば「15分交替」といったように時間に基づいて決めることもあるし、スピーチが原稿に基づいて行われる場合、原稿の分量(最初の何ページ分を通訳者1が、残りを通訳者2が、など)で決めることもある。

その日組む通訳者と対面し、挨拶を終えた後、相手から
「分担を決めていただけますか?」
と言われることが多い。僕が昔社員をしていた証券会社の仕事のときなど、特にそうだ。

「分担を決めていただけますか?」
の後に
「なるべく多くやってください。」
と言われることがある。今まで数多く同時通訳をして来たが、その内の、恐らく半分以上の案件でこう言われてきた。中には
「なんだったら全部やってもらっても構わないんですけど(笑)。」
のように言われることもある(笑)。

言われるタイミングは、ブースの中で相手の通訳者と二人きりの時もあるし、クライアントを交えた事前打ち合わせの際に言われることもある。

これを言われるとなんだかちょっと萎えるというのが今日のブログ記事のテーマ。

ーーー

まず、相手の通訳者が何を考え、どういう思いでこれを僕に言っているのか、を考える。

<本気?冗談?>
本気で言っていることもあるだろう。
冗談で言っていることもあるだろう。
多分、本気と冗談が入り交じっている場合が多いのではないか。

<上から/下から>
「私の方が上(?)なんだから、あなたが多めにやって、より多く汗をかきなさいよ」という意味なのか。「私はあまり疲れたくないのよ」とか、「午後の案件に向けて、スタミナを温存しておきたいのよ」ということなのか。こういうこともあるにはあるだろうが、多分、ほとんど無いと思う。

「私の方が下(?)なので、(上である)あなたが多めにやってください」という意味なのか。上記証券会社の仕事の場合など、相手の通訳者の方が謙遜/遠慮し、このように下手に出てくださっていることもあるだろう。僕が知らないだけで、もしかしたら通訳学校などで「同時通訳の際、相手通訳者に対する礼儀として「多めにやってください」と言いなさい」と教わるのかもしれない。そんなことはないか。

ーーー

どのような考えや思いがあるかにかかわらず、
「あなたがなるべく多くやってください」
というのは、良くて中立的、ともすれば周囲に対しネガティブなメッセージとして伝わると思う。その言葉を額面通りに受け取れば、「自分はなるべくやりたくない」という意味にも取れてしまうから。

同時通訳の現場に来ている通訳者は、同時通訳を含む「通訳」という仕事がきっと好きなはずだ。だとしたら、それと正反対の印象を残しかねないメッセージを、特にクライアントの前で発するのはもったいない。

ーーー

同時通訳の分担の話から少し離れ、もっと広く「通訳」全般について考える。

他の業界の方からすると信じられないかもしれないが、「通訳がイヤでイヤでしょうがない」という空気をまき散らしながら日々活動している通訳者もいる。


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その対極には「通訳が大好き」というポジティブな雰囲気をいつも醸し出している通訳者もいて、その差は一目瞭然だ。通訳ブース内の雰囲気も、組む相手の通訳者次第で極寒のシベリアからうららかなお花畑ぐらいの振れ幅を行ったり来たりする。

もし本当に通訳がイヤなのであれば、受ける案件の種類とか、仕事の受け方とか、自分の実力とか、レートとか、何かを根本的に見直すのがいいと思うし、そうすれば楽しめるようになる可能性が高いと思う。そして、中には本当に通訳に向いていない人もいるだろう。僕が商社マンに向いていなかったのと同様に。であれば、早く他の道を追及した方がハッピーになれると思う。

一方、実は通訳が好きなのであれば(そうであることを切に願う)、その「好きな気持ち」をもっとストレートに出してしまってもいいと思う。

ーーー

<プロ意識の現れ?>
イヤそうに、、、  より適切な表現もあるのかもしれないが、他の形容のしようが今は思い付かないので引き続きこの表現を使う。イヤそうに通訳している通訳者の中には、
「自分はプロなんだ」
という自負・意識が強い人もいるのではないかと思う。プロなんだから、仕事を紹介されたときに喜びを見せるのはおかしいし、本番中も務めてプロフェッショナリーに粛々と物事を進めようとしているのかもしれない。案件終了後も、「楽しかった」「ありがたい」「ぜひまたやってみたい」といった浮かれたところを見せるのを自制しているのかもしれない。こうした職人気質は、それはそれで理解出来るし、尊重するべきなのも分かる。だから、今後尊重するようにする。

でも、自分の仕事を好きである人こそ「プロフェッショナル」である、という見方もきっと出来て、このような考え方に基づき我々通訳者を評価しているクライアントや通訳エージェントもいるだろう。それを考えると、通訳に関する我々の言動が周囲(特にクライアント)にどう映っているかを意識し、通訳が好きなのであれば時折その一端を覗かせたり、少なくともその逆の印象を与えないようにするということは、プロ意識の高い通訳者こそやるべきことであるとも言える。

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by dantanno | 2016-01-06 13:00 | プレミアム通訳者への道 | Comments(1)

「すべらない」@奥沢

奥さんに教えてもらった、スタバのコンセプト店舗@奥沢に来てみた。

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「チャーリーとチョコレート工場」の原作者でもあるRoald Dahlの本は、英語の勉強になる上に、story-tellingの技法も学べる気がするから好き。もっとも、「気がする」っていうだけで、この人のテクニックと想像力は到底マネ出来ないけど。
by dantanno | 2016-01-05 10:09 | Comments(0)

横浜にお引越

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。

いきなり昨年の話で恐縮なんですが、年末に引っ越しをしました。大田区馬込から、横浜に。そのてんまつ(course of events)を書いてみます。


ーーー


昨秋の、残暑がちょっと薄れ、涼しくなり始めたある日のこと。奥さん+さちと、横浜にドライブをしました。
目指していたエリアに着くと、そこにはすてきなカフェや本屋、潮風が吹く海沿いの公園、そして緑に囲まれた大型商業施設やペデストリアンデッキ(要するに歩道)などがあり、奥さんと僕はすっかり魅了(Mesmerize)されてしまいました。

「こんなとこ住んだら楽しいだろうねー」
「そうねー」

当時住んでいた家(@大田区馬込)に何か不満があったわけでは全然無いんです。実際、ちょうどその月に賃貸契約の更新をしたばかりで、馬込にさらに住み続ける気満々だったわけです。でも、もしあえて「気になる点を挙げろ」と言われていたら、挙げていたであろう点は「周りにお店が無いこと」だったかもしれません。ちょっとカフェでも行こうか、とか、今日は外食しようかとか、ちょっと家の近所でお買い物(スーパー、コンビニ以外)とか、そういうことが出来ない環境だったんです。

ついでに言うと、さちを連れて散歩出来るステキな公園がほしいなあ、という気持ちもあったかもしれません。そうだ、僕のジョギングが三日坊主で終わるのも、きっと僕の意思の弱さとかそういうことでは全然なく、ジョギングに適した環境の欠如、という外部要因のためでしょう。

それに対し、横浜のそのエリアは、これでもか!っていうぐらいお店やレストラン、カフェがあり、公園もあります。


ーーー


僕も奥さんも自営業者です。サラリーマン/OLではありません。
また、一口に「自営業者」と言ってもいろいろありますが我々の場合、例えば「お店をやる」とか、そういうタイプの自営業者ではありません。

何を言いたいかというと、平日の昼間に本屋に行き、そこで買った本を持ってカフェでゆっくり過ごし、読書に疲れたら17時ぐらいに明るいうちから生ビール、みたいなことが出来るわけです、やろうと思えば。その分、海外IRロードショー・シーズンは旅に出ずっぱりだったり、週末に翻訳をしたりするわけですが。

それと比べると僕のサラリーマン時代はかなり様相が違います。朝8時、まだお店が開いていない時間に家を出る。夕方、オフィス近くで残業飯を食べ、夜10時、もうとっくにお店が閉まっている時間に家に帰る毎日。こういう場合、もしステキな街に住んでいればそれをエンジョイ出来るのは主に土日となるわけですが、ステキな街だけに、土日は混むじゃないですか。そうした人混みがあまり好きではないタイプの人にとってはなかなか悩ましい。

でも通訳者であれば、どこで、どういう仕事をどの程度するか、は完全に自分次第です。なので、自分次第で、平日昼間にすいているカフェで過ごそうと思えば過ごせるなあ、と思ったんです。


「ひ、引っ越しちゃう??」

ステキな街に来ると僕がいつも口にする言葉を、ここでも口にしました。この時点ではまだ冗談でした。


ーーー


でもねー、賃貸契約を更新したばっかりだしねー、更新料払っちゃったしねー、引っ越し費用もかかるしねー、もう一回礼金払うのもねー、的な、それはそうだよね系の話を夫婦でしました。
それになんといっても、ある程度近い将来に引っ越し(横浜近辺への引っ越しとは別に)をする可能性が高いため、なおさらもったいない感が強かったんです。ほんの短かい期間(仮に1年程度としましょう)人生をエンジョイするために、わざわざ横浜に引っ越しをするのか、って。

それに対し、なんとか引っ越す方向に自分を説得したい、そんな僕のこじつけは以下の通り:

まず、馬込の家の更新料(ヘンな制度・・)については、経済学の「サンクコスト」の考え方を適用し、気にしなくていい、ということにしました。

残るは「無駄遣いじゃないか、贅沢じゃないか」という、決してそれほど裕福なわけではない我々家族にとって切実な問題だったわけですが、これについてもいろいろな考え方が出来ると思いました。必要に迫られていない引っ越しは、確かに無駄遣いといえば無駄遣いです。でも、人生における「1年」という期間をより充実させることが出来るのであれば、それはとてもいいお金の使い方ではないか、とも言える。逆に言うと、そのお金を節約するためだけに、1年もの間、ちょっと充実度を落とした生活(すなわち人生)を送るのであれば、じゃあ「お前の人生の価値はその程度なのか」という気がしてくるのも事実。

そんなこんなで、頭の中のこじつけ作業が続いていたある日、決定的な視点(?)に到達してしまいました。

もし今、馬込ではなく横浜に住んでいたとして、馬込に引っ越すか? → 引っ越しません。
なんで引っ越さないの? → 横浜に住みたいから。
だったら、たまたま今馬込に住んでいるからといって、横浜に引っ越すことを躊躇(Hesitate)するのはおかしいじゃないか。

なんか、この2段?3段?論法で、決意が固まってしまいました。
(もし横浜にいれば、他の場所への引っ越しはしたくないのに、馬込→横浜への引っ越しを躊躇する、というのはきっと何らかの心理学的なバイアスなんだろうと思います。最近、自分のそういうバイアスを分析するのがとても楽しい。)


ーーー


さて、引っ越してみて思ったんですが、実にいいですね、横浜って。

20代ぐらいの頃の僕は、「横浜に住んでます」って人がいると、心の中で(なんで横浜に住んでるんだろう・・・)と不思議に思っていました。いや、例えば「宇都宮」とか「静岡」とかに住んでるんだったらなんとなく分かるというか、納得感があったんですけど、でも「横浜」って、もうほぼ東京じゃないですか。横浜で生まれ育った人からすると「一緒にしないでくれ」って話なのかもしれませんが、シロウト的には横浜 ニアリーイコール 東京って、そう思ってました。で、ほぼ東京なのであれば、だったら東京に住めばいいじゃん、みたいに思ってたんです。

でも、実際に横浜に住んでみると、ここは違いますね、東京とは。そして、東京ももちろんいいけど、実に快適ですね、横浜は。前述の通りお店はすごく多くて便利だし、環境もいいし、交通アクセスもハンパありません。例えば大手町に行くのであれば、馬込の家よりも横浜の家からの方が早く着きます。東横線の相互接続もとても便利だし、YCATもいい感じです。

高くつきましたが、でも僕はこのように、気が向いたらいつでもフラッと引っ越しをする、そういう人生を生きていこうと思います。そうそう、引っ越しをする際の断捨離もとてもよかった。

金銭的には、どこかひとつところに家を買い、そのローンを返済していく方がトクなのは分かります。でも、人生というもっと広い見地から考えると、自分にはノマド的な非定住型の生き方のほうが合っていると感じました。近い内にまた引っ越すのが、今からもう楽しみです。


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by dantanno | 2016-01-03 23:53 | グローバルに生きる | Comments(0)