たんのだんのブログ

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当面、謙遜を禁ず!

通訳者になりたての頃。



とある日の通訳の仕事を終え、
本番のほてりを冷ますかのように会場でボーッとしてたら、
通りかかった参加者の方から
「よかったよ、通訳」
的なお褒めの言葉をかけられました。



D (初めて褒められた!)
と舞い上がる気持ちを抑え、
D 「いえ、そんな。 私の通訳なんて全くダメで・・・」
的な謙遜を、ヘラヘラ笑いながら返しました。



---



その後、数日経ちました。



あのときの
「私の通訳なんて全くダメ・・・」
的な言葉がずっと引っかかります。



引っかかった理由は主に3つ:



1. 「通訳」を汚す感じ

当時、10年間のサラリーマン生活から転じて、通訳者の道を志すと決めた時期でした。
これから生きていく道として選んだ「通訳」というものを、他ならぬ自分が汚してる感じ。。

実は、自分の通訳を悪く言ってるだけだから、別にいいはずなんだけどね。
当時はなんかそう思いました。



2. クライアントはどう思うか

僕がそのとき話してた相手は一参加者の方でしたが、もし
「いやー僕の通訳なんて全然ダメダメのグダグダですよ、ハハハ・・・」
と僕が言うのを、お金を払ってくれているクライアントが聞いたら、果たしてどう思うか。

「だとしたら、なんでそんな代物に高いカネ払わなきゃいけないんだよ!」
って思わないか。



3. 自分の「ヘタな通訳」のための逃げ道を用意してる?

「自分はヘタだ」と周囲にへりくだることにより、本当にヘタであることを正当化(Justify)してるような気がしました。

「自分は通訳がとっても上手です♪」と言いながら現場入りし、ほんでもって通訳がメタメタなのより、
「自分の通訳はダメダメです!」と言っておいた方が、実際ヘタだったときにダメージが少ないでしょ?

そうやって、自分のダメ通訳のための素地というか、土台を自分で作ってるのをつくづくイヤに思いました。



---



で、どうするか。

まず考えたのは、オレは、
1. 本当に自分の通訳がヘタだと思っているのか、あるいは
2. 思ってもいない謙遜を口にしているだけなのか。

仮に2.であれば、まあどうでもいいかって話なんだけど、
明らかに、間違いなく1.です。



であれば、
「僕はヘタです、フフフ♪」
なんて言ってないで、一刻も早く上達するよう、出来ることを全てやろう、と思いました。

(その後、その決意をずっと維持出来たとは思いませんが、少なくともこの時点ではそう思いました(笑)。)



そして、ヘタな通訳への逃げ道を塞ぐため、設定した自主ルールが
当面、謙遜を禁ず!

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---



その後は、どこかの現場でちょっと褒め言葉めいたものをかけられても、
あまりうれしそうにするでもなく、謙遜するでもなく、
「はあ・・・ モゴモゴ・・・」
みたいな中途半端な対応を続け、通訳ではなく人格がヘンなヤツだと思われたことでしょう。。。



---



この「謙遜しない」はあくまでも僕用の自主ルールですが、
自分以外で唯一謙遜が若干気になるのは、今教えている神戸女学院の学生たちが発する謙遜です。

みな大和撫子ですから、ことあるごとに
「私の通訳なんて・・・」
みたいなことを言いますが、
D 「だったら、一刻も早く上達せよ」
と、心の中でエールを送らずにはいられません。



---



さて、僕の「謙遜しない」ですが、それをいつまで続ける、みたいな期限はあるのでしょうか。

一応考えているのは、
自分が自他共に認める「一流の通訳者」になって、
それでもまだ向上の余地がたくさんある
と思えたら、
「いや、私の通訳なんてまだまだ・・・」
と言ってみようと思っています。

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果たして、それを口に出来るのはいつの日か・・・
by dantanno | 2013-02-24 08:53 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

「納豆食べれる?」

たまに聞かれます、外国人顔をしてると。

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それに対し、

D 「ハイ、食べれます」

相手 「へー、すごいね」



---



相手は、一体何を指して「すごい」と言ってくれているんでしょうか。

僕が納豆を食すことでしょうか。
それとも、ら抜き言葉での問いかけに釣られず、ちゃんと「ら入り」言葉で返した点でしょうか。

恐らく前者でしょう。



---



最近はまったく気にならなくなったら抜き言葉ですが、以前はとても気になりました。
自分の周りの人のら抜き言葉を、「それ、違うよ」と直すぐらい。
TV出てる人がら抜き言葉を使うと、「なんでTVでそういう言葉を使うかなあ・・・」とボヤくぐらい。



当時、なんでそんなに気になったのか?

間違った日本語だからです。
言い換えると、正しい日本語ではないから

じゃあ、「正しい日本語」とは何か。

辞書に載ってる日本語ですかね。

じゃあ、仮に
「辞書に載ってる日本語」 VS ***
みたいな、対決の図式にするとしたら、「***」には何が入るでしょうか。



例えば、
人々が実際に使ってる日本語とか?



「辞書に載ってる日本語 VS 人々が実際に使ってる日本語」



せっかくだから、左側はちゃんとしますか。
辞書に載ってる日本語 VS 人々が実際に使ってる日本語



さて。
食べられる VS 食べれる
の対決の構図は、
辞書に載っている日本語 VS 人々(みんなじゃないけど)が実際に使ってる日本語
的に整理できました。



どっちが強いのか。
どっちがエライのか。
どっちがより優れているのか。



---



単純に機能面だけに着目すると、
「食べれる」に軍配が上がるような気がします。

「食べれる」=「食べることが出来る」という意味だとすぐ分かるのに対し、
「食べられる」だと、
1. 「食べることが出来る」という意味なのか、あるいは
2. 皇室の方が何かを「食べられる」のか、分からないから。
まあ、2.の場合は「お食べになる」か?いや、「お召し上がりになる」か?議論は尽きません。



---



ら入りだと、意味が分からなくて紛らわしいのに対し、
ら抜きだと意味が分かりやすい。

では、単純に言葉の長さで比較した場合はどうでしょうか。



僕が通訳・翻訳をする際、一つのよりどころとしている原則があります。それは、
伝わるメッセージが全く同じであれば、より短い表現の方が優れている
というもの。



食べられる

食べれる



ら抜きだと、20%の減量に成功です(当社比)。

同じ「食べることが出来る」というメッセージを伝えるのであれば、
食べられる
よりも短く簡潔な
食べれる
の方が、(上記原則に則して考えると)優れている、ということになります。

まあ、上記原則はあくまでも僕が勝手にそう思っているだけで、何らかの権威(誰かエライ人とか、それこそ辞書とか)のお墨付きをいただいたわけではないので、全くの根拠レスですが。



---



短かい方がいいなら、
じゃあ、いっそのこと、



食べられる

食べれる

食べれ



にしたらどうか。

あ、でもそうしちゃうと、田舎の人に何かを食べるよう勧められてるみたいで、

「まんず食べれ」
D 「ハイ、いただきます」

みたいになっちゃうか。



話を戻します。



---



食べられる VS 食べれる

辞書に載っている日本語 VS 人々(みんなじゃないけど)が実際に使ってる日本語

どっちがエライかは微妙なところですが、例えばこの対決を平安時代に持ち込んでみたらどうでしょう。

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平安時代であれば、
食べられる

食べれる
も、どっちも×でしょう、きっと。

当時の言葉じゃないから。



それと同様に、平安時代の
辞書に載っている日本語だろうが、
人々が実際に使ってる日本語だろうが、
現代に持ってきたら、どっちも×です。



なんでそうなっちゃうかというと、
言葉は時代と共に変化していくものだから。



---



じゃあ、言葉はどう変化していくのか

推察するに、まずは
人々が実際に使ってる言葉が変化し、
それがある程度メジャーになった時点で、それに釣られて
辞書に載っている言葉が変わっていくんでしょう。

毎年流行語大賞が選ばれて、それが広辞苑に載ったり載らなかったり、というのもその流れでしょうか。



そう考えると、先に変化し、辞書がそれを後追いする
人々が実際に使ってる日本語は、果たしてそれがエライとか優れていると言えるかどうかは分からないけど、間違いなく時代を先取りし、切り拓いているとは言えそうです。

そう考えると、「納豆食べれる?」も案外最先端な日本語に思えてくるから不思議。



ら抜き派のみなさん。

ら抜き言葉に市民権を与えるためには、もっと使って、もっとら抜きをメジャーにすること。
そうすれば、いつか辞書に載せれるかもよ。
by dantanno | 2013-02-19 20:14 | 提言・発明 | Comments(0)

スマホ神降臨! (後編)

(前編はこちら



ドコモショップに来ました。



店の入り口にある番号札取り機のお兄さんに
「今日はどうされましたか?」
と爽やかに声を掛けられます。



D 「いやあ、なんかタッチパネルの調子が悪くて・・・」

「ああ、そうですか。ちょっと拝見できますか?」



しばらくいじった後に、

「うーん、今は特に問題無いようですが・・・。
故障修理、で番号札お取りします♪」




---



待合スペースでVeryを眺めながら考えます。

そうなんだよなあ。
いっつも調子悪いわけじゃないんだよなあ。
でも、調子悪くなるのを待ってドコモショップに来るわけにも行かないんだよなあ。




店の入り口のお兄さんは、まあなんとかやり過ごしました。

でも、故障修理窓口のお姉さんはどうか?



そこで、もしスマホがピンピンしてたら。。。
僕はまるで牛角に来たベジタリアン、いや、
喫煙所にいるノンスモーカー、いや、
ユニクロに買い物に来た露出狂と同じで、
なにしにきたの?ってなること請け合いです。



---



手元のスマホに目をやります。

D (神よ、あなたはどうせ、僕がこのお店にいる間は降臨されないんですよね・・・)
と、もう半ばあきらめ気味のやけのやんぱち状態のときでした、番号を呼ばれたのは。



---



お姉さん 「どうなさいました?」

D 「いや、スマホの調子が悪くて・・・」



症状を説明すると、
「ちょっと失礼します。」
と、しばらくスマホをいじくるお姉さん。



その後、申し訳なさそうな顔で
「今のところ、特段問題は・・・」

D 「うーん、そうですねえ・・・」



もうダメだ。
今日はおとなしく引き下がり、
いずれ本格的にぶっ壊れた頃にまた持ってくればいいか。



---



昔どっかで読んだ、マーフィーの法則が頭をよぎります。

「電機製品は、それが壊れているところを修理担当者に見せようとするときだけ正常に作動する」



---



お姉さんと一緒に、全く正常に作動するスマホ画面をのぞき込んでいたそのときでした。



突然、画面がガクガクっとブレたかと思うと、
いきなり本体設定画面が開き、勝手に本体設定タイムが始まりました。

一通り設定変更が終わると、自動的にFacebookが開き、
「近況」、「写真」、「メッセージ」など、ものすごい速さで開いていきます。

で、写真。
アルバム → 撮影 → 画質調整 → 本当にFacebookにアップロードしますか?が全て自動で処理されていきます。





か、神降臨です。





お姉さん 「こ、これは・・・・・・・・・・・」



---



結局、これは全く手に負えないということになり、
新しいスマホをくれました。

今回の件って、ハードの問題なのか、ソフトの問題なのか、あるいは僕の使い方の問題なのか、
どこに責任の所在があるのか、よく分からないなあ。



店を出て街を歩きながら、
マーフィーの法則を覆し、店内で降臨してくださったスマホ神に感謝しつつ、
責任の所在がドコモにあるとは全然限らないのにドコモから新しいスマホをもらっちゃって、なんだか申し訳ない気持ちがないまぜになりました。

まあ、引き続きドコモのLoyal customerとして、収益に貢献させていただきますので。
タッチパネルがちゃんと使えるスマホはほんとに快適です!

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by dantanno | 2013-02-15 15:36 | プライベート | Comments(1)

通訳の「禁じ手」?

この前、通訳をしました。
案件を終えた後、会場にいた方からアドバイスをいただきました。



「通訳をするとき、あまり手を使わない方がいいと思いますよ」



通訳をする際、自分でもあまり意識せずに一部手振りを交えて通訳していたんですが、
そのことを指した指摘でした。



ほんっとそうだなあ。。。って思いました。



どういうときに身振り・手振りを使っていたかを振り返ってみると、
うまく訳せないときのような気がしました。

英語だと、You know,,, right?みたいなとき。
日本語であれば、うまく言えないんだけど、ホラ、アレ、その、
ねえ、分かりますよね?
的な、観客に以心伝心を求める感じの時、僕は手を使っていたような気がしたんです、なんとなく。

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家帰って、その現場での通訳の模様を動画で確認。

うーん、やっぱなんかみっともないわ。

まだそんなにちゃんと内容と照らし合わせて見聞きしたわけじゃないけど、
手を使って訳しているときは、なんとなく訳にあがき感というか、苦しそうな感じが漂っていそうな気がします。

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あと、手を使うと目立っちゃう072.gifのも問題だなあ、と思いました。

Speakerの方が、手振りなど使わず淡々としゃべっている横で、
手をあちこちに振りかざして訳してる通訳者がいたら、とても目立ちますよね。。

通訳するときの服装は地味なものにするのに、手振りを入れて訳すのはおかしいと感じました。



---



ってとこまで考えて、
はて・・・?
と思いました。



例えば通訳ではなく、普通の会話だったらどうだろう。

例えば日本人同士、あるいは外国人同士で、同じ言語でCommunicationしてる場合。

そういうときに、ただ言葉だけでなく、身振り・手振りを交えて話すのって、結構一般的じゃないですか。
(特に外国人同士の場合)



なんで身振り・手振りを交えるのかって考えると、
Communicationの一助として、ですよね。
その方がうまく伝わりそうだから。

仮にそうであれば。
仮に「手振りを使った方が、Communicationがうまくいく」ことがあるのであれば。

なぜ通訳をする際に身振り・手振りを使ってはいけないのか。
よく分かりません。

手を使った方がメッセージがうまく伝わるのであれば、ガンガン使ったらいいんじゃないの?
っていう気もしました。

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あと、例えばSpeakerがガンガン身振り・手振りを使って話す人だったら?
「言ってることを粛々と訳す」派の通訳者であればあんま関係無いかもしれないけど、
「Speaker本人に成り代わって・・・」系の通訳者であれば、身振り・手振りも入れたいかも。



あ、あともう1個。
「身振り・手振りを交えた方がよく伝わる」は、はたして本当か。

例えば遠い異国の地で、全然言葉が分からない場合は身振り・手振りが大活躍するだろうけど、
言葉がちゃんと分かってるときに、身振り・手振りがあった方が伝わるのかなあ。
(ものの長さとか、そういう物理的なメッセージの場合を除いて)
あるいは、話し手がなんとなく、「伝わる気」になってるだけなのかなあ。



---



通訳の際に手振りを使うかどうか。

これは、通訳者の間でもいろいろな意見があるかもしれないなあ。
例によって、答えなんて無い可能性も大。



今のところ、僕の中での結論は出ておらず、
とりあえずやめとこうと思っていますが、
どなたか、今度ご意見を聞かせてください。



こうして、通訳ネタでああでもない、こうでもないと悶絶するのがチョー楽しいです。
by dantanno | 2013-02-12 14:38 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

日本のスモーカーたちに感謝!

この前ヨーロッパを回って来ました。

いいなあと思うとこも、
ちょっとなあ・・・と思うとこも両方ありました。



ちょっとなあ・・・の最たる例が、
街中での歩きタバコ
日本で言う「路上喫煙」です。



街を歩いてると、
自分の前を歩いてる人、あるいは向こうから来る人が、
かなり高い確率でタバコを吸ってます。

しかも、結構な人混みの中でも吸ってるから困る。



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こっちの呼吸の何割かはタバコの煙混じりの空気を吸うことになり、
それをガマンしてみたり、ちょっと息を止めてみたり。
いずれにせよ、やや苦しい状況になります。

ちなみに、
男だけでなく、女性も結構吸ってます。
イメージ、半々ぐらいかなあ。



---



で、吸い終わったタバコは当然のようにその辺にポイだから、
街中吸い殻だらけです。


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ポイ捨てを少しでも減らすべく、遠い異国での世直しに乗り出した僕。

何度か
D (ダメでしょ、そんなとこに捨てちゃ・・・)
的な目でポイステ・ピープルを睨んでみましたが、あまり目が合いませんでした。。。



こういうときって、ルールの違いを痛感せざるを得ませんね。

日本では、タバコのポイ捨てはいけないっていう「ルール」があるじゃないですか。
(それが法律・条例で規定されたPublicなものか、あるいは
「マナー」みたいにSilentなルールであるかにかかわらず)

でも、こっちではそういう「ルール」が無いんでしょう。
だから、オレがダメだよ♪って睨んでみても全く意味無いし、
むしろそうやって睨んでるこっちがなんかメンチ切ってきてる国籍不明野郎になるわけです。

韓国みたいに、地下鉄内で携帯で話してOKな国で、
携帯で話してる人を睨みつけてみるのと同じです。



そう考えると、ポイ捨てはいけないというイメージを日本に定着させるべく、
多大な労力・コストをかけているJTという会社は立派だなあ、と。

海外でもそういう広告ってあるのかな。
まだ見たことありません。



---



僕も昔タバコ吸ってた時期があるし、
今でもたまに葉巻を吸います(歩きながらではなく(笑))

なので、例えば駅を出て、オフィスに着くまでの間に一服・・・の誘惑は、とてもよく分かります。
オフィスが禁煙ならなおさらでしょう。

それは分かるんだけど、、、
やっぱり街中至る所でタバコの煙を吸い込まざるを得ないのは、結構大きい。

ヨーロッパに住んでみたい!という気持ちが多少減じるぐらい。

オレだけならまだいいけど、奥さんのこと考えると。
子供いたらなおさらです。

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そう考えると、我々日本の非喫煙者は実に恵まれてるなあ、、、と。

ちょっとお出かけした際、
歩きタバコでイヤな思いをする確率は、
ヨーロッパ100% VS 日本??

分からないけど、ヨーロッパよりも断然低いことは確か。



それは誰のおかげかというと、
上記JTと、そしてなんと言ってもやっぱり日本のスモーカーたち



駅・オフィス間とか、
買い物中とか、
飲んだ帰りとか、

歩きながらちょっと一服したくなるときに、それをガマンしてくれているわけだから。

それは、タバコを吸わない人にはもちろん、
他の喫煙者にとってもありがたいことだし、
やっぱ子供ね。
子供の場合、煙を吸い込んだときの害が大きいだけじゃなく、
歩きタバコのその先っちょが顔に当たったり、とかあるから。

海外旅行をして、みなさんのマナーをつくづくありがたく感じました。



---



あ、ちなみに、
なんか「ヨーロッパ」って十把一絡げに言っちゃってるけど、
自分で歩きタバコの害を経験したのはあくまでも
パリ、ロンドン、ベルリン、イスタンブール、あとどこだっけ、、、
忘れちゃったけど、いくつかの都市だけです。

もちろん全部の国・都市が歩きタバコ・パラダイスというわけじゃないんでしょう。
by dantanno | 2013-02-09 11:53 | 提言・発明 | Comments(0)

敵と味方は紙一重

通訳案件の予習で、領土問題のお勉強をしています。

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領土問題について、あくまでも「通訳出来るようにする」ために勉強しているので、
あまり深い理解は求めていないし、
「日本と中国、どっちの主張が正しいんだろう・・・」という視点もありません。

外交風に言うと、「中立的無関心」といったところでしょうか。

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そういった視点から、
Aさん(日本人) 「**島について、日本は断固とした措置をとるべきだ!」
Bさん(同じく日本人) 「いや、それはやめておいた方がいい」
という議論を見ていると、おもしろいことに気付きます。



Aさんが
「**島について、日本は断固とした措置をとるべきだ!」
と言う背景には、当然日本の国益があります。

そして、それに(一見)反する主張をするBさんは「売国奴」とか、そういうことになってしまいがちなんですが、実はBさんもバリバリ日本の国益を考えてたりするからおもしろい。



Bさんが
「いや、それはやめておいた方がいい」
と主張する背景には、
「日本の国益を考えると、中国と戦争をするよりも、友好的な関係を維持した方がいい」
という考えがあったりします。



ヒートアップした議論も、よく眺めてみると、
なんだ、両者目指してるものは全く同じなんだな
と感じることがあります。



そう考えると、一見自分の敵(Opponent)というか、自分と真逆のことを言っているように見える・思える相手であっても、実は自分と同じ気持ち、同じ立場で、単に戦略・戦術面で意見が食い違っていることも多々あるのかな、と。

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人生、常に中立的無関心を貫くのは不可能だし、つまんない。
特に、自分にとって大事なことについて、自分自信が渦中の人になることも多いわけだけど、そういう場合もいたずらにヒートアップせず、
この人は、実は「敵」ではなく味方かもしれない
という視点を忘れないようにしよう、と思いました。
by dantanno | 2013-02-04 13:39 | 自戒ネタ | Comments(0)

ビヨンセの口パク問題

米大統領就任式典でビヨンセが斉唱した国歌が、「口パクだったのではないか」との疑惑(?)に対し、
渦中のビヨンセが「実は口パク(Lip-sync(h))だった」と認めました。



生で歌ったのか、あるいは口パクだったのかというネタである程度盛り上がるということは、
口パクはダメ
と思ってる人が結構多いからなのかな、と推測。



僕も、以前の自分であれば
D (口パクだったなんて・・・)
って思ってたと思う。

でも、今では
D (口パクのどこがいけないのか分かんないwww)
という感じです。

なぜ、昔は口パクはよくないって思ってたのか、全然思い出せないぐらい。



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そもそも、なぜ、生ではなく口パクで歌ったのか
ビヨンセ本人曰く、

"I practice until my feet bleed and I did not have time to rehearse with the orchestra," she said. "Due to no proper sound check, I did not feel comfortable taking a risk. It was about the president and the inauguration, and I wanted to make him and my country proud, so I decided to sing along with my pre-recorded track, which is very common in the music industry. And I'm very proud of my performance."

だそうです。

オレ流に解釈(Interpret)すると、
リハーサルやサウンド・チェックに十分な時間が取れない中、
場を成功させるためには口パクで歌うのがベストだと思った

みたいな感じ?



当然じゃない?



場を成功させるために口パクを選んだのもかっこいいし、
口パクする際に使われる元の録音(by 本人)がかっこいいし、
口パクだったことをあっさり認めちゃうところもかっこいいし、
その認め方がまたふるっています。

別件(Super Bowl)の記者会見に登場して、いきなりコレです。
http://www.tvgroove.com/news/article/ctg/1/nid/9969.html

いやあ、かっこいいな。
ウタうまいし(笑)。

で、一曲歌った後、大統領就任式典では口パクだったこと、そしてその理由を説明するわけです。



---



通訳とおんなじだな
って思いました。全然違うけど。

原稿があるスピーチを通訳するときのことを思い出しました。

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事前にSpeaker本人、あるいはスタッフの方から原稿を渡されて、
「この通りにしゃべりますから」
と言われることがあります。

中には、ご丁寧に原稿の訳まで用意されていることもあります。
つまり、Speakerが原稿通りにしゃべるのであれば、
通訳者は原稿(の訳)を棒読みすればいいとも言えます。



通訳者になりたての頃の僕は、本番で原稿(の訳)を棒読みすることに超抵抗がありました。

オレは通訳者なんだから、「通訳」をしないと。原稿を読むだけでは、通訳者としての付加価値が・・・
って思ったり、
せっかくのスピーチなんだから、ライブ感が重要。
通訳者が話の内容をある程度理解出来ているのであれば、同時通訳した方が、ただ原稿(の訳)を読むよりもライブ感が出てBetter

と思ったり。



それが今では、、、
棒読み大好き



正確に言うと、別に大好きではないけど、抵抗はだいぶ無くなりました。



僕が通訳をする目的は
場を成功させること
なんだから、その目的達成に向け、ライブで同時通訳した方がよければそうするし、
原稿(の訳)を読んだ方がいいのであれば、そうします。



「原稿(の訳)を棒読みするなんて・・・」
って、「口パクするなんて・・・」にちょっと似てない?



自分が
「原稿(の訳)を棒読みするなんて・・・」って思おうが、
会場にいる誰かが「原稿(の訳)を棒読みするなんて・・・」って思おうが、構いません。
大事なのは、通訳者の自尊心ではなく、場の成功だから。



また、もし原稿読みだとライブ感が減じてしまうのであれば、
それは「原稿(の訳)を読んでいるから」というよりも、「オレの読み方に問題があるから」であって、
実はただの棒読みなのに、それにある程度ライブな感じを出す方法も含めて考えるのが通訳者の付加価値だろって思うようになりました。

あと、ラクだし。



---



通訳者が原稿(の訳)を読んでいるとき、
当然恐れるべきはSpeakerが原稿から逸れたときのこと。



<逸れパターン1: アドリブ>

Speaker、あるいはスタッフの方の
「この通りにしゃべりますから」
は、本当のこともあるし、ウソのこともあります(笑)。

急なアドリブが入った場合、原稿(の訳)を読むのをやめ、アドリブを訳します。
そのためには、常に「今、アドリブが入っていないかどうか」を見極めるため、読む一方で話を聞いています。

それって大変そう、って思うかもしれないけど、実はあんま大変じゃありません。
別に話を逐一聞く必要は無いから。

Speakerが原稿に沿って話をしているうちは、声のトーンが淡々としています。
そこにいきなりアドリブが入ると、急にトーンが高くなるなど、変化があるので、それに注意していればOKだと思っています。



<逸れパターン2: 原稿飛ばし>
本番中、Speakerが一段落飛ばしちゃったりすることも。
(時間が無い、あるいは重要性が低い、という判断なのかもしれないし、単に原稿を読む際に間違えて飛ばしちゃったのかも。)

それに備え、やはり話を聞いている必要があります。
原稿飛ばしの場合、声のトーンが変わらないので要注意です。
「トーンは同じなんだけど、言ってる内容がなんか違うな、、、」と思ったら、原稿飛ばしを疑います。



<逸れパターン3: 間違い>
個人的には、これが一番やっかいだと思います。

本番中、Speakerが原稿を読み間違えることがあります。
特に数字とか、単位とか。

逆のパターンもあります。
原稿が間違っていて、本番中にSpeakerがそれを正しく直して話した場合。

いずれにせよ、話された内容 VS 原稿の間にギャップが生じるので、
そのギャップをどうするのか。埋めるのか、埋めないのか、の判断が求められます。



「元の発言通りに訳す」という、通訳の原則に立ち返ろうにも、
この場合の「元の発言」は、Speakerの口から出た言葉なのか、あるいは手元にある原稿(およびその訳)どっちなのか、分かりません。



こういう場合、やはり功を奏するのが予習、そしてそれ以上にそのテーマについて、元々どの程度理解しているかになるんでしょう。
理解があれば、Speakerが間違えたのか、あるいは原稿が違っているのか、の分析ができて、
間違ったまま訳しちゃうのか、あるいは通訳者が勝手に直しちゃうのか、あるいはお茶を濁しておくのか、といった戦略を立てられます。



理想を言えば、
本番中のSpeakerのアドリブには臨機応変に対応し、
Speakerが原稿を飛ばせば通訳者も原稿(の訳)を飛ばし、
Speakerが間違えた場合には原稿(の訳)に忠実に、、、

まるでワガママな子供を育てるお母さんでしょうか(笑)。

そういう舞台裏での対応を、お付きのスタッフの方々が本番中に確認していて、
終わった後褒められるとうれしいでしょうね、きっと。
もっとがんばろう、っと。



---



ビヨンセのプロ意識に触れて、
オレも通訳者としてさらに高い目標を設定していこう、と思えました。
by dantanno | 2013-02-02 10:53 | 通訳 | Comments(0)