たんのだんのブログ

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スイスで一日過ごすなら・・・

ジュネーブ発の、スイス山岳鉄道の日帰り旅行をご紹介します。
我々夫婦で、体を張って(笑)実践してきました。

まずは行程全体をご説明すると、
Geneve - Brig (or Visp) - Spiez - Zweisimmen - Montreux - Geneve
という、周遊ルートです。

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では、はじまりはじまり!



---



朝、ジュネーブ駅を出発します。
日本のような改札はなく、勝手にホームに行き、乗りたい電車に乗るシステムです。

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料金は、Eurail Passがあれば無料です。
パスが無ければ、行程に応じ、事前に切符をTicket officeで購入します。

まずは、Geneve → Brigの、東往きの電車に乗り込みます。
途中、Lausanne - Montreux - Martigny - Vispといった町を通り、
徐々に高度を上げて行きます。

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僕たちは終点Brigのすぐ手前のVispで降り、お昼時に町を散策しました。
とっても素敵なスキーリゾートです。

朝出るのが遅かったためあまり時間がなく、
スイスくんだりまで来てなんとマック!で昼食を済ませました。
意外とおいしかったりしましたが、みなさんはぜひ朝早くジュネーブを出て、
Vispや終点のBrigでおいしいランチを楽しんでください。

さて、Vispから今度は北上します。
長い長いトンネルを通り、Spiezへ。

Spiezですぐに電車を乗り換え、西に戻り始めます。
Zweisimmenという駅でまた乗り換えです。

なぜこんなに乗り換えが多いかというと、線路の幅が違うから。
尚、近い将来には
「同じ車両で、異なる線路幅を走れる電車」
が開発される予定だそうです。
そうなれば、乗り換えの回数も減るかもしれませんね。
まあ、乗り換えはとても分かりやすいし、万一予定の電車に乗り遅れても、いくらでも次の電車があるので、あまり恐れなくてもOKだと思います。

ZweisimmenからMontreuxまでの電車がとっても素敵でした。
まるでOrient Express(乗ったことないけど。)

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しかもなぜか超絶空いていて、しばらくは車両全体を貸し切りでした。

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お姉さんが注文を取りに来てくれるので、シャンパン(有料)なぞ楽しみました。
我々のハシャギようをご想像ください。

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途中、スイスのリゾート地帯を通ります。
温泉(?)みたいなスパ施設が多く、スキー客で賑わう街。
なんだかセレブな世界を垣間見た感じです。

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このZweisimmen - Montreuxルートの電車には、午後遅い時間(これから夕方になる時間)に乗ることをオススメします。
だんだん辺りが暗くなり、街の明かりが灯り始める様子がとても素敵です。

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徐々に高度を下げ、夕闇迫るMontreuxに入ります。
この辺の夜景も見事です。

最後、Montreuxからジュネーブに戻る電車は正直めんどくさいので、
最初からMontreuxに宿泊してしまう、というのもいいと思います。
(朝一に乗ったGeneve - Brig間の電車も、途中Montreuxに停まります。)

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ーーー



という感じです。
なんだか楽しそうでしょ?

今回は一日だけだったので行きませんでしたが、
Interlakenから南に行く電車もとってもおもしろそう。
こちらはリアルに山の中に入って行く感じです。

次回は、Zweisimmen周辺の湯宿を拠点とし、ぜひInterlaken周辺のルートに挑戦するつもりです。
そのとき、みなさんとバッタリお会い出来たら楽しいですね。
by dantanno | 2012-12-29 08:47 | グローバルに生きる | Comments(0)

未来を「勝ち取る」仕事

成功した経営者が、TV番組や自伝とかで

「当時、誰もが『うまく行くはずがない』と言った」とか、
「全員反対の中、押し切った」と、

起業した頃を振り返って言うことが多い。

それに対し、思うことは以下4点:

1. 分かる
2. それを言っちゃうと・・・
3. 当たり前でしょ
4. 自分(オレ)が恥ずかしい



ーーー


1. 分かる

誰もが『うまく行くはずがない』と言う中、リスクをおかして挑戦し、
全員が反対する孤独の中、がんばり続けて成功したわけでしょ?

それは痛快だろうし、成功した起業家がそう言いたくなる気持ちは、
まだ成功していない僕でさえも分かる。



2. それを言っちゃうと・・・

以下、架空の例え話です。



友達 「ダン、あのさあ、俺、こういうビジネス考えてるんだけど、どう思う?」

彼のビジネスプランを真剣に聞き、僕なりに考える。
想定出来るリスクを指摘し、危険の割には成功する可能性が非常に低いと思うため、
彼のためを思って「うまく行かないと思うから、やめておけ」とアドバイスしたとします。

その後、、、

彼が結局、そのビジネスに挑戦することにしたとしましょう。

風の便りで、その事業が成功していることを知り、
D (あいつ、スゲーな・・・)
と思っているところに、彼が本を出したとします。

書店で平積みされていたその本の帯には





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寛容な読者諸氏がどう思うか分かりませんが、僕だったら

D (次、何か相談されたら、絶対何も考えず
『うん、うまく行くと思うよ♪』って言おう)


って思うだろうと思います。


(注:あくまでも一例として岩瀬さんを取り上げました。)



3. 当たり前でしょ

今日、やるべきことをこなすだけで精一杯の人は、起業家ではない。
明日起きることを予知するだけであれば、それはただの予言者であって、起業家ではない。

起業家というのは、未来を夢見て、それをたぐり寄せ、未来を勝ち取る人のことを言うんだと思う。
おとなしく運命に従うのではなく、自らの手で運命を変える人。
(一方その分、普通の人が我慢出来たりこなせたりする仕事が我慢出来なかったり、こなせなかったりする面があると思う。)



多くの人が「不可能だ」と断言することを実現するのが我々起業家の仕事なんだから、
それが無事実現した暁に
「誰もが『うまく行くはずがない』と言った」
って言っちゃうのは、、、
なんだか釈然としないものが残ります。



これ、例えがヘンかもしれないけど、
プロボクサーが素人を殴ってるような印象を受けます。

未来を夢見て、それを勝ち取る仕事をしている我々起業家が、
未来を予見しなかった一般の人を指して
「みんなは当時反対した、無理だと言った」

って、そりゃ当たり前だろうというか、それを言うのはフェアじゃない気がする。



4. 自分(オレ)が恥ずかしい

エラい順に並べると、
1. 事業を成功させて、「当初はみんなが反対した」って言わない起業家
2. 事業を成功させて、「当初はみんなが反対した」って言う起業家
3. まだ何も成功させていないオレ




恥ずかしい。。。

ただ、「成功」した後だと忘れちゃうといけないので、まだ成功していない今のうちにこうしてちゃんと書いておこう、と思いました。
by dantanno | 2012-12-27 10:15 | 経営 | Comments(0)

ドイツにプチ降伏宣言

ベルリンに滞在中です。

ゴミやgraffitiが多く、東京の方がキレイだな、と思いました。

一方、市内のいろんなところに、ホロコーストにまつわるモニュメントや資料館があります。

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東京の真ん中に「南京虐殺資料館」があるようなものでしょ?
ウチらは、まだそこまで行けてない。
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悪いことしたら、それを認め、謝罪し、償うのが「潔く、かっこいい国」だと思う。
ちょっとだけ、ドイツに負けた気がしました。
by dantanno | 2012-12-25 16:23 | 提言・発明 | Comments(0)

無意味な問答

ジュネーブに来ました。

昨晩まではドイツのどこかに行くつもりだったんだけど、
夜中に行き先をスイスに変更しました。
それぐらいテキトーな旅行です。



ここは、時計、投資家、お金持ちの町(IRIS調べ)

普段来るときは、IR街でもあるこの町のごく中心部をウロウロするだけですが、
今回は仕事は無いので、山岳鉄道に乗って山に行く予定。



ちょうど今日からクリスマス休暇を取る人が多いらしく、TGVが相当混んでてビビリました。
超オフシーズンだと思ってヨユーかましてたから。
結局、ローザンヌでローカル線に乗り換えてなんとかたどりつきました。

ステキな町です。



---



出発前、人に
「1ヶ月、あてもなくヨーロッパをブラブラしてくる」
みたいに言うと、みなさん決まって
「いいなあ」とか「うらやましいなあ」とおっしゃる。



もちろん、いい意味で言ってくれていたり、
あるいは気軽な世間話として、あまり深い意味も無く言っているんだと思う。

そうしたたわいもない言葉をとらえてあれこれ考察するのは、それこそ
言葉尻にとらわれてKey messageを落とす通訳と同じぐらい残念かつ無意味な作業なんだけど、でも、、、
言葉を扱う職人として、あえてこの「いいなあ」とか「うらやましいなあ」を意味も無く分析してみると、、、



「いいなあ」とか「うらやましいなあ」って言われて、まず、
D (ほんとに?)
って思う。

ほんとにほんとに「いいなあ、うらやましいなあ」って思いますか?



自由を手に入れるために支払っているコストは膨大です。
そのコスト払ってでも、手に入れたいですか?



いや、だから、単に社交辞令として言ってるだけで、深い意味は無いんだって

ああ、そうそう、そうでしたよね。失敬失敬。
だからこそ、こうした分析は無意味なんだけど、それでも先を続けます。



中にはしみじみ
「いいなあ、うらやましいなあ・・・」っておっしゃる方もいる。

出来ることなら、自分も何かそういうことをやってみたい、というニュアンスが伝わってきます。
こうなってくると、単なる社交辞令とも思えない。



そういう方に言いたいのは
D (やりたきゃヨユーで出来ますよね)
ってこと。



清水草一大先生の「そのフェラーリください!」読んで思ったんだけど、
フェラーリほしければ買えばいい。

「いやいや、オレ貧乏だから・・・」
って、みんな貧乏だよ。
中古のフェラーリを**年ローンで買って、その中に住めばいいでしょ。
マンション買ったと思えば安い買い物です。



おっと、旅行の話でしたね。

例えばその人がサラリーマン的なポジションにいる人だとして、
サラリーマンを続けながら、あるいはサラリーマンを辞めて、
「1ヶ月ヨーロッパをフラフラ・・・」
なんてヨユーで出来る。

「いやいや、そうも行かないでしょ」

いやあ、分かるなあ、その気持ち。
僕も一応10年間、日系+外資系でサラリーマンやったから。

サラリーマンやってた当時は、なにごとにつけ
「いやいや、そうも行かないでしょ」
って思ってました。

でも、今こうして野放しになってみると、案外そうでもないことに気付きます。
自営業者になった今はもちろん、サラリーマン時代だって、本当に本当に
「いやいや、そうも行かないでしょ」
かというと、実はそうでもなかった。
(でも、そう思うようになったのが「サラリーマンを辞めてから」だから、やっぱ当時の自分が気付くのは難しい。)



今だから思うのは、
「いやいや、そうも行かないでしょ」
って思うのだとしたら、それは「いやいや、そうも行かない」からではなく、「本当にそうしたい」と思っていないから。
本当にそうしたいと思っていないのであれば、本当にそうしなくていいわけで、
ああ、やっぱこの架空のやり取り意味ないわ
なんだけど、まあ続けます。



「子供いるし」

まだ子供がいない僕でも、これは結構分かります。

でも、べき論で考えると、
大人は子供の可能性を狭めるのではなく、拡げるべきであるのと全く同様に、
子供も大人の可能性を狭めるのではなく、拡げる存在であるべきっていうか、あってほしいと思う。

少なくとも僕は、自分の親に
「お前のせいであれが出来なかった、コレを我慢した、etc. etc.」
なんて言われたくないし、思わせたくない。



もちろん、子供がいれば物理的に不可能だったり、難しい時期もあるわけですが、それを避ければ乗り越えられない壁ではないし、子供を一緒に連れて行ければ、それこそ子供の可能性を拡げることになるわけで、そう考えると「子供が・・・」は、大人が遊ばない言い訳にはならない、と、子供がいない今の内に好き勝手言っておきます。



---



話を無理矢理まとめると、、、

「いいなあ、うらやましいなあ・・・」

深い意味の無い世間話? → Yes → END

No

ほんとにほんとにそう思う? → No → END

Yes

だったらなぜやらない?

いやいや、そうも行かないでしょ
子供が・・・


それって「やらない理由」になってる? → Yes → END

No

やっちゃえば?
by dantanno | 2012-12-21 11:07 | グローバルに生きる | Comments(0)

Pompidou Center

中学生の時、1ヶ月だけパリにホームステイしました。

当時、ナイロビ日本人学校からイギリスの寮制のパブリック・スクールに転校したんだけど、
カリキュラムにフラ語があって苦労しました。

例えて言うと、カリキュラムに英語が無い国の高校生が、高2ぐらいで日本の高校に転校し、英語が分からなくて苦労する感じ?
ほら、みんな中1からずっと英語勉強してるから、数年間のギャップがあるんです。

それを短期で埋めようと思ったら・・・
現地に行くしかないっすね。
ということで中2の夏休み、1ヶ月をパリで過ごしました。



そのとき、ホスト・ファミリーのMamanがつれてってくれたのが、こちら、ポンピドー・センター

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ここに行った日のことは、今でも鮮明に覚えてます。
ここまで男心をワクワクさせる施設は少ないと思う。

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もう、建物全体がワクワク製造装置な感じ。

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---


今日見たアートをいくつかご紹介。
今の展示の内容は、東京・木場の東京都現代美術館と、NYのMomaを足して2で割った感じ。



こんな子供部屋いいな。
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これはオフィスにほしい。
3000ユーロまでなら出す。
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かわいい椅子
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おじさん
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防音室。
壁が全部吸音材みたいなので出来てて、どんな音も全て吸収しちゃう、音のブラックホールみたいな感じ。
ヒトは、適度な雑音があった方が落ち着くことがカラダで分かります。
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一番ギョッとしたのがこれ
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前から見るとこんな感じ。
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何も考えずに世間様に右ならえしてると、やがて中身がカラッポになっちゃうよ、というメッセージに解釈(Interpret)しました。




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館内のいたるところで、子供たちが作品の写真を撮ったり、写生したり、床に座り込んで感想文を書いたりしています。
LondonのTate Modernもそうだったけど、絵の撮影OKにするのはとてもいいことだと思う。
っていうか、禁じる理由が分からない。人に観てほしいの、ほしくないの?って感じ。
まるで、通訳者がクライアントに接触するのを禁じるエージェントと同じぐらいアホらしいと思う。

どんなルールもそうだけど、ルールありきで考えるのではなく、ルールなんて無い状態が自然と考え、どうしても必要なルールを一つ一つ設定していけばいいんだと思う。
そうすれば、「写真撮影厳禁」なんていうルールは生まれないから。


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今日も一歩、自由に近づいた感じ。
考えるための土台が固まりつつあります。

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明日からはいよいよ、列車に乗ってどこか(Frankfurt, Hamburg, maybe Koln)まで行きます。
by dantanno | 2012-12-20 05:02 | グローバルに生きる | Comments(0)

エロスの洗礼

注: よい子のみなさん(+コンサバなオトナ含む)は、当記事掲載の写真を見てはいけません。
ただし、お父さん・お母さんが「OK!」とおっしゃる場合はOK!




まったくアテもなく、ホテルを出発。

会いたい人や、行きたい店など、目指すものがある旅はとても幸せだと思うし、
そうした旅をする人からすれば「なんともったいない!」ということになるかもしれないけど、
今回のような目指すものが無い旅もまた幸せなり。



最近行ってないけど、例えばニューヨークに行くと僕は、
あれこれやってみたい気もする一方、
酒とシガー買って、本何冊か持って、(もちろん長渕300曲入りiPodも持って)、セントラルパークでゴロゴロするのもまたサイコーに楽しいです。
そのもったいなさがうれしい感じ。

ロンドンだとRegent's Parkとか?



---



さて、パリです。

ブラブラ歩いて、モンマルトルまで来ました。
なにやら怪しい建物を発見・・・。

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エロティズム・ミュージアムです。
なんか、東伊豆の国道沿いとかにありそうな施設だけど、
ルーブルやモナリザには目もくれず、潜入してきました!

おもしろかったです、ここは。

世界のあらゆる文化におけるに対する考え方が展示物を通して伝わってきます。

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感想は、
「エロって万国共通なんだな」
「エロって、別に悪いことじゃなく、ステキなことなのかな」
そして、
「あんまり『エロ、エロ』ってギャーギャー騒ぐなよ」
って感じ。

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一般的に、エッチって何か悪い、うしろめたい、恥ずかしいイメージがついて回ると思います。
で、そういうイメージを我々に植え付けているのは、いわゆるコンサバな人たちだったり、宗教とかだったり、あるいはそういう人たちが中心になって形成されてきた文化だったりすると思うんだけど、、、

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実は、誰それがやったとかやらないとかで騒いだり、
「そういうことをしてはいけない」だとか、
「恥ずかしい」だの「後ろめたい」だの、
そういうことを言い、かつ人に押しつけようとするコンサバ派、宗教系の人ほど
エロを重視しているというか、エロのことを気にし、エロのことを考えてるのかな、って気がしました。

そう考えると、あまり『エロ、エロ』とか、やった・やらないって騒ぐのがなんだかアホらしく思えてきちゃった。

我々の心の中の壁は、
我々が自分の考えに基づき自主的に建てたものもあれば
人に押しつけられて、知らず知らずのうちに建っている壁もあるのかな、って気がした。

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エロなんて当たり前のことだし、そんなにたいしたものじゃないから、もっとラクに、自然体で考えろよ
と、別にエロの専門家でもないのに、アドバイスしたくなりました。

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旅行初日にして、いきなり「世間様」の壁が崩壊し始めるのを感じています。
帰国する頃にはなんでもアリの野生児になっているかもしれません。。。
by dantanno | 2012-12-19 14:05 | グローバルに生きる | Comments(0)

欧州鉄道紀行

今、パリに来ています。
これから1ヶ月ぐらいかけて、電車でヨーロッパを回ろうと思います。

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行き先は、なんとなくイメージはあるんだけど、具体的にはまだ決めていません。

クリスマスにベルリン、New Year's Eve周りはウィーンにいることは決めていて、
そこでの宿は取ってあるんだけど、間が空白です。

スイスの山岳鉄道もいいし、北欧まで行ってみるかもしれません。
Eurailの21日フリーパスってのを買いました。
こういう勝手気ままを後押しする制度は大好きですね、僕は。

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1ヶ月ほど海外に出かけるというのに、我々夫婦の「旅の準備」は恐ろしいほどテキトー。
月曜日の朝出発なのに、土日ちょっと買い物をしただけで、特に準備はせず、日曜はそのままご就寝。
当日の朝になり、共に必死の形相で荷物を詰め込みまくる。

奥さん 「ねえ、羽田でしょ?」
D 「いや、成田だと思う」

D 「っていうか、オレのパスポート知ってる?」
奥さん 「わたしのならあるよ。見る?」

僕ら二人を知ってくれている友人なら、
「らしいな・・」とニヤリとしたかもしれません。


(機内で読んだ本)
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今回の旅の目的はいくつかあるんだけど、
大きいのは考えること

僕は、日常の中にいると、ものを考えることが出来ません。
考えようとしてるし、実際全く考えていなくはないんだけど、
物事のほんと表面だけをかすめているだけ、という罪悪感があります。
そのテーマについて「考えよう」ってとこで思考が止まっています。
そして、深く考えないうちに時間だけが流れ、息苦しさというか、焦燥感を感じます。

日常の中でものを考えることが出来る人がうらやましいし、
もしかしたら自分も、特に経営者となった今ではそうなれるようがんばらないといけないのかもしれないけど、
今はまだ出来ないので、こうして旅に来ました。



IRISのことを考えようと思います。
一年やってきて、土台は出来たと思うので、後は来年どうやって飛躍させるか。
目先の戦略を小さく考えるのではなく、
「そもそも、IRISってなんだっけ?」
ってとこを再度思いだし、そこから → 戦略 → 施策
に落とし込む作業。
僕は、これは絶対に日常の中では出来ません(エッヘン)。



旅の、もう一つの目的は、将来の家探し

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去年、IRで何度か外国に行かせてもらい、つくづく「グローバルにものを考えられる人になろう」と思いました。
僕は、外国人なのは見た目だけで、考え方は非常に日本的です。(相当変わった日本人だけどね)
そういう自分が好きだし、大きく変える必要は感じないけど、でも、
とっても日本に縛られている気がしました。

日本って、なんかうまく説明できないけど、世間ってのがとても大きいですよね。
このブログにも何度か登場しています。
そして、「世間」って本当にあるのかどうかというと、まああるんだろうけど、それがどこにあるのかというと、案外自分の中だったりすると思う。

自分の中で、「世間」っていうのがとても大きい気がする。
で、僕はこの「世間」ってやつに、そこまで大きなポジションを与えたくない。
死ぬとき後悔しそうだから。

(会社を辞めるとき、「なんであんなに有給取っといたんだろ・・・」って悔やむ気持ちに似てるかな。似てないかな。これまで、何度か後悔した経験あり。)

なので、なるべくグローバルに、日本以外の視点も取り入れて生きていこう、と今年つくづく思いました。
そして、そうした視点を得るために一番いいのは、外国に住むこと。

何も、世界各地に豪邸や別荘を持つ必要はありません。
毎年、好きな時期を1,2,3ヶ月、海外で過ごせばいい。

そうした「短期生活」をしたいと思えるような都市・国を求めて
ヨーロッパをさまよいます。

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またご報告します!
by dantanno | 2012-12-18 18:12 | グローバルに生きる | Comments(0)

ヒューマン・ドラマ 「みそ煮込み」  <総集編>

シーン1 <すれちがい>



寒く、底冷えのする夜のこと。
オフィスを後にし、近所のみそ煮込みうどん屋さんに行きました。

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当ドラマのキャスト

みそ煮込みうどん屋のおばちゃん(ホール)
みそ煮込みうどん屋のおっちゃん(厨房)
みそ煮込みうどん屋の先客のおじさん
オレ



---



おばちゃん 「いらっしゃいませー。ご注文何になさいますか?」

オレ 「生ビールと、玉子入りみそ煮込みうどんください」

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このときの、オレの注文内容をよく覚えておいてほしい。
あとで重要になるから。



---



数分後。

おばちゃんが、キンキンに冷えた生ビールと一緒に、おでんの3種盛り(ちなみにこんにゃく、玉子、ちくわ)を持ってきてくれた。


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(写真はイメージです。)



おばちゃん 「はい、先に生ビールとおでんです」

D (とびっきりの笑顔で) 「へえ、おでんがお通しなんですか」
 
おばちゃん 「?  はあ、おでん、です・・・」 → そそくさと厨房に引っ込む





思えば、このときのおばちゃんの、まるで生乾きのような生返事に違和感を感じるべきだったんだ。
そうすれば、その後の悲劇を避けられたかもしれない。

しかし、そうするにはオレは腹が減りすぎていて、すっかり冷静さを欠いていた。。。





D (いいじゃないか、この店。お通しに「おでん」。なかなか斬新じゃないか。)

D (お通しにしては、やけにドカンと3種盛り。
こうなってくると、果たしてうどんを食い切れるかどうかが心配になってくるが、、、
いや、そういった勢い余る感もいいじゃないか。この店、気に入った!)



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(写真はイメージです。)




オレは、まずは大好物の玉子に食指を伸ばした。



玉子って、ほんとは行儀よく、ちゃんと箸で2つに割ってから(せめて)半分ずつ食べるべきなんだろうが、
ええいめんどくさい、丸ごと口に持っていき、半分食べてしまえ!

と、パクッとかぶりついたその瞬間・・・





おばちゃん   「お客さん、すいません、おでん頼みました






ンガググ!

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ちょ、ちょっと予想外の質問でした。




オレが、おでんを注文したかどうか。

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(写真はイメージです。)



いや、してないっす。



頼んでないんだとしたら、、、
今、お前の口から半分突き出ているその玉子はなんなんだ?

自分の、そしてきっとおばちゃんも頭に思い浮かべているであろう問いかけに答えられないオレ。





無残にも残り半分になった玉子と箸を置き、



D 「あ、あの、、、ビールとうどんは頼みましたけど、おでんは頼んでないです」



オレの、この精一杯の答えに対し、おばちゃんから驚愕の一言が・・・



おばちゃん 「いや、さっき頼みましたよね?」



D (へ?)



<シーン2: 確信>



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D (オレ、おでん頼んだっけ?)



おばちゃんがここまでハッキリと、一切の妥協と曖昧さを排除して言ってくるということは。。。



もしかしたら、オレはおでんを頼んだのかもしれない・・・、と思いかけたその時

ある大事な事実に気付きました。





D (そもそも、オレはこの店がおでんを供していることを、今こうしておでんを出されるまで知らなかった・・・)



メニューに載っていることを知らずに、果たしてその品を注文できるだろうか?
答えは、断固「否」である。

よほどの食通、よほどの常連でない限り、
「アレ頼むよ」
と、それがメニューに載っていることを知りもしないのに注文など出来ないはずだ。

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そして、オレがこのおでん屋、、、じゃなかった、みそ煮込みうどん屋に来るのは今日が初めて。

オレは、少し自信を取り戻した。






D 「いや、頼んでないと思います。」



おばちゃん 「そうですかあ?」 → (首をかしげながら厨房に戻る)





そして、厨房に向かって



おばちゃん 「なんか、頼んでないって。」



厨房のおっちゃん 「あ? 頼んでない、だぁ?(微怒)」




<シーン3: 離別>




ちょちょちょちょちょちょ、ちょっと、ちょっとすいません。
なんか僕のせいでいろんなことがややこしくなってて、とってもすいません。




どさくさにまぎれてこんにゃくを箸で断ち切ろうとしていた手を休め、考えます。



D (これは、一体どうしたもんか・・・)



先人たちのことが頭をよぎります。

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D (Steve Jobs、イチロー、田中角栄、孫さん、、、 誰でもいいや。
そういう大物だったら、この場合、一体どう行動するだろうか・・・。)


と考察を始めようとしたそのとき。



おばちゃんが再び出てきました。





おばちゃん 「あの、、、、、 おでん、頼んでないんですよね?」



D 「あ、は、あはは、は、はい、頼んでない、、、、、という気がします。」





オレ、この時点ではもう、自分の記憶に対する信頼係数はゼロ、いや、もうネガティブ。
おばちゃんにここまで言わせるということは、オレ、実はおでんを頼んだのかもしれない。もう分かんない。

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オレがおでんを頼んだかどうかは、もはや誰にも、そう、もちろんオレにも分からない。
そして、この世はオレ一人で構成されるわけでないんだし、いくらオレが「ある主張」を繰り返しても、それに真っ向から対立する声が存在する以上、もはやどちらか一つだけが一方的に、かつ絶対的に正しいなどと、誰が言えようか、いや、言えまい。




もう、認めてしまってラクになりたい。
しかし、犯行に関する供述の一貫性を保つという観点からすると、引き下がれない気持ちも強い。

ここで供述を覆したら、かえって怪しまれないだろうか。

そう。。。
「頼んでない」の一点張りで通す以外、オレにはもう選択肢がなかった。
オレは追い込まれていた。

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D  (ガックリうなだれながら) 「た、頼んでない、、、です。」



この後、おばちゃんが衝撃の行動を・・・





おばちゃん 「じゃあ、こちらは、、、すいません、ちょっと下げさせていただきます・・・」



<シーン4: 挫折>



中央から真っ二つに分断され、キレイな満月を白日の下にさらしている玉子

箸での執拗な断ち切り作業に対し、懸命に抵抗した痕跡をその側面にかすかに残し、まだ張力を十分には回復していないこんにゃく

そして、全く世間の荒波にもまれていない、純粋無垢のち・く・わ



例え僅かな時間だったとしても、オレが一時心を通わせた相手たちが、
オレの目の前から取り上げられ、スゴスゴと厨房方面にUターン





一人残されたオレの、このバツの悪さ
オレの乏しい筆力では、到底読者に伝えられないであろう。

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なぜ、オレだけが残ってしまったのか。
どうせなら、オレもあいつらと一緒に厨房につれて行ってほしかった。。。
そうした罪悪感に苛まれること約10分ののち。




おばちゃん 「お待たせしましたー、玉子入りみそ煮込みうどんでーす。」

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オレが所望した玉子入りみそ煮込みうどんが無事供され、ようやく気まずい雰囲気が断ち切られるまでの時間は、
店内の壁に掛けられた街のしんらいパートナー、**信用金庫寄贈の時計の上ではほんの10分そこらだったのだろうが、
罪の意識に苛まれるオレにとっては、それはまるで永遠に続く苦行のような、永い永い時間であった。





D (おいしそう♪)



あっつあつの玉子入りみそ煮込みうどんが放出する湯気にすっかり気を取り直した塩梅のオレ。



うどんもうれしいが、それよりもうれしいのは、この美しい均衡状態。

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頼んだものは今、目の前に出されていて、
頼んでいないものは出されていない。

こういうちょっとした「当たり前」が、実はこんなに幸せなことだったなんて。。。
オレは病み上がりの風邪っぴきのような心持ちになっていた。





フーフーハーハー、うどんと格闘すること数分。





ふと、ホールの向こうの方でなんかゴソゴソやってるのが気になり、そちらを見やると・・・・・




<シーン5: 挑戦>



おばちゃんが、オレが店に入る前からテーブルについていた先客のおじさんに対し、





おばちゃん 「おでん、大~変 長らくお待たせしましたー」

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D (ま、間違えたのか?)





オレが店に入る前、先客のおじさんが頼んだおでんを、間違えてオレのとこに持ってきたんだな?
そうなんだな?

だから、あんなに確信を持って
おばちゃん 「いや、お客さん、おでん頼みましたよね?」
って感じだったんだな?



きっとそうだ。





全ての謎が氷解した瞬間だった。







しかし、、、、、

人間というのは不思議なもので、
一つ謎が解けると、すぐまた次の謎を求める傾向がある。



さっきまで、あれほど自分を悩ませていた謎が解けたと思った途端、安堵に浸るのもそこそこに、次の、それもさっきよりも深い謎を求めてしまうオレも、そうした人間の性から逃れることは出来ないのであろう。





もし、もしですよ、、、

仮に、いや、あくまでも仮定の話ですが、、、






D (もし今、オレがおでんを頼んだら、一体どうなるんだろう・・・)



<シーン6: 疑問>



恐ろしい、悪魔の発想です。
でも、想像するだけならば、罪にはならないはず。




もしオレが

D 「あの、すいません、やっぱおでんください」

って言ったら・・・






登場人物それぞれの立場に立ち、想いを想像してみましょう。





先客のおっちゃん 「真似か?」



おばちゃん 「『やっぱりください』って、ホレ見なさい、やっぱりさっきおでん頼んだんじゃないの」



厨房のおっちゃん 「今度こそ、ほんとだろうな(怒)」





厨房のおっちゃんの(怒)はごもっともです。
僕は既に、オオカミ少年ならぬ、おでん少年の烙印を押されているのです。

実は注文していないのに、おでんを頼んだかのように装い、玉子を半分たいらげ、こんにゃくを傷つけようと(これは未遂)した罪は、オレがこの先の人生で何をしようと、一生消えずについて回るのです。



そんなオレが、どのツラ下げて
「やっぱおでんください」
って言えるのか。

仮に言えたとして、一体誰がそれを信じるだろうか。





もう一つ、疑問があります。
もし、オレが今おでんを頼んだら、、、、、



出てくるおでんの玉子は、1個まるごとか、あるいは半分か?



<シーン7: 望郷>



も、もちろん、スジとしては1個まるごとであってほしいという想いが結構強いです。

だって、今回の注文は、さっきの注文、、、、、 いやちょっと待って、さっきは注文してないと思うんだけど、仮にさっき実は注文してたとして、そのさっきオレがした注文と今回オレが新たにする注文は、それぞれ全く別の独立した注文だから。





でも、そうして望み通り1個まるごとの玉子が出てきたら、とりあえずうれしいかもしれないけど、でも、、、
何か。何かが気にかかる。


そう。
さっきオレが「注文していない」のに出てきたおでんは、一旦オレに供された後没収され、その後どうなったのか。
そして、あの食いかけ半玉子の行方は?



まさか、、、先客のおじさんのおでんにオレの半玉が流用されたわけではあるまいな、と思い、おじさんのおでんを確認しようと背伸びするも、おじさんの隣のイスにかけてあるトレンチコートがオレの視界を遮る。





オレのおでん。
元気よく故郷(厨房)を飛び出し上京したものの、世間から「お前なんて注文してない」と言われ、玉子を半分食べられただけですごすごと故郷にとんぼ返り。
錦を飾るどころか、地元でとんだ恥さらしになっているかもしれないくいかけおでんのことを考えると。

そして、そのくいかけおでんの中央で、こんにゃくとちくわをやさしく照らし続ける満月半玉のいたいけな姿を思いやると、、、



D 「さっきの、あの食べかけの玉子でいいから、いや、「でいいから」とかじゃなくて、あの玉子いい、オレにはあれしか無いから、あれをもう1回出してくれ!早く!!!」

と、思わずありったけの大声で叫び出したくなる。



<シーン8: ときめき>



それに、、、
栄養学的な見地からすると、

さっきのおでんのときに食べたかけた玉子半分と、
今、目の前にある玉子入りみそ煮込みうどんに入ってる玉子1個(推定)と、
後から(今度は本当に)注文したおでんに入ってる玉子がもしまるごと1個だったら、、、



玉子なんこ食べてんだよ



って話にならざるをえない。






D (うん、やっぱり玉子は、半人前のあいつがいい♪)



と思ったそのとき、、、、、




おばちゃんが、厨房からホールを横切り、こちらに向かってきます。

よく見ると、手になんか一皿持ってます。





え?




まさか、、、

お、おでん?




おでんがメニューにあることすら知らないのにおでんが出てきちゃうほどおでん一触即発な店にいながら、
いくら想像とはいえ、あんなにもリアルにおでんを注文するシーンを思い浮かべ、かつ、その玉子が半玉か、フル玉かまでをあれこれ頭に思い描いたとしたら、、、
知らずの内にそれが実質的な注文につながり、厨房にれっきとしたオーダーが通り、実際におでんが出されたとしても、何らおかしくない。いや、むしろ、当然の流れではないか。





D (結局、オレはおでんを食うのか・・・)

そして、

D (今度こそ、潔く「ハイ、確かに私が頼みました」とお縄を頂戴しよう・・・)





とオレが決意しかけていると、、、





おばちゃん 「コレ、どうぞ」




おばちゃんが持ってきたのは、おでんではなく、お新香でした。



D (いや、おしんこ頼んでな・・・)



おばちゃん 「ワタシ、さっき間違えちゃったの、ごめんなさいね。 コレ、よかったら食べて♪」





かわいい・・・




それ以来、そのお店とは仲良くさせてもらってます。
by dantanno | 2012-12-14 14:41 | プライベート | Comments(0)

心の中の本棚

オレは、絶対に本を捨てない
をポリシーにしてた時期がありました。

資源ゴミの日の朝。
本が束ねて捨てられてたりすると、
D (おお、かわいそうに・・・。本を捨てるなんて、なんと知性の低い、オレとかけ離れた人よ、トホホ・・・)
と嘆いてたりしました。



その後、月日が流れました。



人生いろいろあり、また、
やましたひでこさんの断捨離とか、
こんまりさんの「そのモノを手に取って、心がときめかないなら手放す」といった発想に触れ、

「手放さない」 は、必ずしも 「大事にしてる」 とイコールではない

と思うようになりました。
そして、それは本にもあてはまると思うようになりました。



今ではAmazonマーケットプレイスもあるし、古本買取業の会社もたくさんあるし、
ちょっと前にスタバがやってた、クリスマスに本を寄付しようみたいなキャンペーンもあったし(あれ、もうやんないのかな?)、
以前よりも本を処分しやすくなってきたのもあるかもしれません。



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で、ウチの本棚の整理に取りかかりました。

本棚がゴチャゴチャしてる通訳者/経営者と、
本棚がスッキリしてる通訳者/経営者。

「どっちがいい仕事をしそうか」って考えたら、なんだかいてもたってもいられなくなって(笑)。



でも、、、
本の処分ってのは難しいですね。
後からもう1回読むかもって気もするし、
1,500円かけて買ったのに、って気もするし、
売れるかも。でも売るのめんどくさいって気もするし。

あと、そういう理屈以前に、なんか先人の知恵というか、いろんな人のいい意見・考えが詰まっているものを手放しちゃうのがなんだかもったいない気がしてしまうんです。



でも、ふと考えました。

僕は仕事で、プライベートでいろんな人と会いますが、その際、いちいちICレコーダーを持ち歩き、みんなの発言を全て録音して回っているかというと、別にそうではない。

いろんな人の生の声については、一度聞いただけで済ませています。
その一部は自分のモノになり、将来の財産になる一方、一部は聞き流したり、忘れてしまっていたりします。

だとしたら、なぜ本についても同じように考えないのか。

本を一度読む、というのは、その著者と一度会話するのと一緒。
その一度の会話が貴重なのであって、必ずしもそれを録音し、家に保管する必要はないかもしれない。

逆に言うと、録音・保管した方がいい場合はどんな場合かというと、
最初に聞いた時は残らなかったものが後から価値を帯びる場合であって、それが起きる可能性って結構低い。
その可能性を追求して保管し、後から聞き直すのもいいけど、それをやるなら全く新しい音を探しに街に出た方がいいかもしれない。



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一体、自分にとってどっちがより魅力的だろう。

本を後生大事に取っておき、ついでに会話も全部録音・保管し、大記録庫を作成。
日々、どんどん本・資料・録音を蓄積し、それが溢れかえっている状態

 
VS

本は一度読み、殿堂入りさせるものは残し、あとは処分。
そうすることによって、心の中の本棚を空にする。




僕の人生で、次に待ち受けている本、そしてステキな人との出会いや会話を
より深く味わえるのはどっちか、考えてみました。
by dantanno | 2012-12-13 16:52 | Comments(0)

IRIS通訳者に負けない

先日、新規のクライアントから、初めて引き合いをいただきました。
とても大きな金融機関です。



ご連絡をいただくきっかけは、なんとこのブログ。

「ブログがおもしろいと思って・・・」
だったかな?
「ブログに書いてあることに賛同して・・・」
だったかな?

具体的な表現は忘れてしまいましたが、ブログがきっかけで連絡した、とのことでした。



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ご担当の方々と面談し、その場で僕の通訳レベルのテスト(逐次・同時)をしていただきました。
IRISのこと、IRISに登録している通訳者たちの話をしました。

クライアントのお考えも伺いました。
「クオリティには、お金を払う用意がある」
とのことで、まさにIRISが理想とするクライアント像です。



その後、いよいよ実際の案件を任せていただきました。
その会社にとって、とっても大事な場での通訳です。



例によって、場が成功するよう全力で取り組み、無事成功させました。

クライアントはとても喜び、
「IRISを正式に業者登録する手続きに入る」
と相成りました。



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なんの自慢だよ
って思われちゃったかもしれません、すいません。

エージェントの経営をしていると、いろんな問題やつらいこともある中、
なんだかひさびさのクリーンヒットだったので、ブログに書いてみたかったんです。



今後、このクライアントの案件は、ウチの通訳者たちのシノギになる。
リーダーである僕がトップセールスをし、ウデを証明し、仲間に紹介する案件を取って来ました。

1.自信を持って客に出せる通訳者を揃え、
2.その後ワークショップを通してウデをさらに上げていただき(←今のところまだ機能していません)
3.僕自身がトップセールスをし、
4.自信を持って通訳者たちに紹介できる優良クライアント・優良案件を取ってくる

これがIRISの収益の大きな柱の一つです。
それがうまく機能したのがうれしかったんです。



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今回の件で思ったのは、
オレはIRISの代表なんだ
ということ。



ウチのホームページには、
「IR通訳の最高峰を目指す」
とあります。

そういう会社の代表なんだから、自らが日本で一番のIR通訳をする義務があると思います。
IR、およびIRに関連するようなビジネス系の通訳であれば、絶対に誰にも負けない。



「負けない」は、対IRIS通訳者にもあてはまります。

通訳のウデ、指名の数、クライアントからの信頼・・・。
いずれの面でも、IRIS通訳者たちと比べ、ダントツのぶっちぎりでありたい。

それが、IRISの通訳品質の責任者としての責任だと思いました。
by dantanno | 2012-12-11 12:18 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)