たんのだんのブログ

irisjapan.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

カテゴリ:通訳( 95 )

通訳デバイスの進化を受けて

耳に装着すると、周囲の音声が自動で同時通訳されて聞こえるデバイスが発売された。

Googleバージョン

ベンチャー企業バージョン

d0237270_15493030.jpeg


こうしたデバイスの普及により、一部の通訳者が別業界の、(その人にとって)より楽しく、自分らしくかつ生産的に働ける仕事にシフトしていくのはいいことだと思う。

一方で、これらデバイスによる同時通訳のどの辺が良くてどの辺がまだまだなのか、を分析することで、向上心のある通訳者がその通訳レベルをさらに高め、しっかりと生き残っていくのもいいことだと思う。

技術革新は、業界を破壊するのではなく、健全な状態にしてくれるカタリストになると思う。歓迎します。僕も一個買ってみよう。

ちなみに、今読み終えた本。
「働きたくないイタチと言葉がわかるロボット」。ジャケ買い。
サブタイトルは「人工知能から考える「人と言葉」」。


d0237270_11443854.jpg

そこそこおもしろいが、特におすすめするほどでもなし。

これを読んで、(上手な通訳者を越える機械通訳はまだ少し先なのかな、あるいは理論的に無理なのかな?)という安心感を得ることが出来た。
かといって、「上手な通訳者」でなければ淘汰の対象となると思うので、レベルアップが必須だと思った。

by dantanno | 2017-11-05 15:54 | 通訳 | Comments(0)

通訳者を介する「メリット」を考える

田中さんとスミスさんが、何かの話をしたがっているとしましょう。

以下、二通りのケースを考えます。

A. ことばの壁が無い: 田中さんが英語ペラペラ、あるいはスミスさんが日本語堪能。2人は英語、あるいは日本語で直接話し合えます。

B. ことばの壁がある: 「田中さんは日本語しか出来ない + スミスさんは英語オンリー」であれば、通訳者を介して話すことになります。

田中さんとスミスさんが同一言語で直接話し合える場合(上記A)と比べ、Bの「通訳者を介して話す」ことのメリット/デメリットを考えてみます。

ーーー

まず通訳者を使うことによるデメリットですが、

・時間がかかる
・お金(通訳料金)がかかる
・通訳者が優秀であればいいが、そうでない場合、意思疎通が困難になってしまう

など、いくつか挙げられます。

通訳者がどんなに優秀であっても、そもそもことばの壁が存在せず、田中さんとスミスさんが直接話し合える「A」の方が、通訳者が必要となる「B」よりもベターなのは確かです。

では一方で、通訳者を介することに何かメリットはあるのか。

ことばの壁がある場合、通訳者がいないと2人の間の会話はそもそも成り立たないわけで(だからこそ我々通訳者が現場に呼ばれている)、それ自体が絶大なメリットです。

d0237270_22432570.jpeg

でもそれは、ことばの壁がある前提(Bの状態)で1.通訳者を使う VS 2.通訳者を使わない、という選択を比べています。
つまり、↓の表の右上 VS 右下を比べているわけで、そりゃあ右上の「○」の方が右下の「×」よりもいいに決まってる。


d0237270_22101020.png
(ちょっと余談ですが、右下の「×」状態になることも実際にはあります。つまり、ことばの壁が存在するのに通訳者を介さないパターンです。通訳者が急に現場に来られなくなった、という場合もこうなるでしょう。もっと一般的なのは、田中さん/スミスさんのどちらか(あるいは両方)が「自分は外国語力がある」と判断し、通訳者を介さずに話をすることを選ぶパターンです。その場に同席し、たどたどしい外国語で交わされる話を聞きながら(通訳者を使った方がいいのに・・・)と思うこともあります。自分で外国語を操って話そうとするその姿勢はすばらしいのですが。)


僕がこのブログ記事でやりたいのは、↓の表の緑の箇所を比較することです。

d0237270_22112405.png

左下の「通訳者を介さなくても自由に意思疎通出来る」状態がベストなのは認めた上で、右上の「通訳者を介して会話する」ことならではのメリットが無いか、を考えたいんです。

いくつか考えられます。

<誤解が少なくなる>
通訳者を介した方が誤解が少なくなるなんて、そんなことあり得るのか、と思われるかもしれませんが、あります。
話が分かりにくい人の話を訳す際、通訳者の頭の中で編集作業をしたり、話し手に確認を入れたりして、話を分かりやすく作り替えることがあります(ただし、話し手が伝えようとしているメッセージは変えずに)。

ある通訳者がこんなエピソードを披露してくれました。
どこかの会社の社長さんのプレゼンの通訳をし終えると、その会社の事務局の方(英語堪能)から
「普段、ウチの社長が何言ってるか全然分かんないんですけど、今日、通訳者さんの英語を聴いて初めて社長が言いたいことが分かりました(笑)」
と、冗談とも本気ともつかない口調でほめられた、というエピソードです。そういうことです。

<話し手が、言いたいことを全部言えるようになる>
2人の人が同一言語で(通訳者無しで)話しているのを隣で聴いていると、相手の話を途中で遮ることがものすごく多いことに気付きます。つまり、話し手からすると、何か言いたいことがあるのにそれを最後まで言えていない。聴き手も、(相手がまだ何か言おうとしているのに自分がそれを遮ってしまうため)せっかくの貴重な話を最後まで聴けていない。

興味深いのは、この「相手の話の遮り」が、喧嘩の時はもちろん、フレンドリーな場(女子会等)でも頻繁に起きる、という点です。
相手の話なんか実はどうでもよく、自分が言いたいことを言ってスッキリしたいだけの場であれば遮りもいいでしょうが、相手の話をしっかりと聴くことが重要な場(つまりほとんどの場)においては、話を遮ることは百害あって一利無し。

なぜ話の遮りはよくないと思うか。「話を遮る」というのは大きく2つのメッセージを発します:

1.あなたの言いたいことなどどうでもいい。それよりもオレに話させろ
2.あなたの言いたいことはもう分かった → 早くそれに対する返しをしたい

1.→ 人と会って話をしていると、ついつい自分がしゃべって気持ちよくなってしまいますが、実は相手の話を聴いた方がトクですよね、きっと。
2.→ こういう場合、聴き手は得てして「分かって」いません。多少なりとも誤解しています(話をちゃんと最後まで聴いたとしても誤解が生じる可能性はそこそこあるのに、ちゃんと最後まで聴かなければなおさらです)。話し手が言いたいことは実は別のこと。あるいは「同じこと」でもニュアンスがちょっと聴き手の理解とは違っていて、聴き手が途中で話を遮ったことによって話のズレが生じる。ひとつひとつのズレは小さいかもしれないが、それが繰り返されると大きな亀裂になり、意思疎通が出来なくなる(同じ言語で話しているのに!)。

では、通訳者を介するとどうなるか。
他の通訳者はスタイルが異なるかもしれませんが、僕が通訳をしている場合、話し手が完全に話し終わるまで待ちます。まあ当たり前といえば当たり前ですが。
「遮らない」どころか、話し手が話し終わっても「もっと何か言いたいことはないか?」とちょっと促すぐらいの感じです。話し手が、言いたいキーメッセージを既に言い終え、語尾の部分をモゴモゴ言っているだけだとしても、それが終わるのを待ちます。ときにしびれを切らした聴き手が訳の開始を待ちきれずに僕の方をのぞき込むのを横目で感じても一切構わず、話し手が話を完全に終えるのをじっと待ちます。

横からのぞき込むせっかちな聴き手のことですから、僕(通訳者)が間に入っていなければ、結構な確率で話し手の話を遮ってしまっているでしょう。

「人の話を遮らない方がいい」という原則は間違っていないと思うのですが、僕の場合、通訳時にそれを一生懸命やっているのは「お客様のため」ではなく、自分のエゴです。聴き手からすると、早く訳を始めてくれ、と思っているかもしれません。一方話し手の方も、(そろそろ訳を始めてもらっちゃってもいいよ)と感じながら語尾を長めに続けているだけの可能性もあります。実際、「相手の話を遮り、それにかぶせて話し始める」のはあまりにも世に広く普及していて、それがひとつの文化(?)みたいになっている面もあり、必ずしも悪いことではなくなってしまっているというか、「相手を遮る、相手に遮られる」ことを前提に話す人もいるでしょう。
つまり、その場にいる人々は、話し手・聴き手ともに僕の「じっと待つ」姿勢を喜んでいない可能性もありますが、これはお客様のためではなく自分の好き嫌いでやっている面が強いので、あまり気にしていません。

<「考える時間を稼げる」>
日々、いろんな日本企業の社長たちに同行して海外IRをしていますが、結構多くの社長が言います。「通訳を使うと、答えを考える時間を稼げるから助かるんだよな」と。それを受け、周り(その会社のIR部の人たち、証券会社の人たち、等)もみな一斉に「そうですよね〜」と同調します。

これは確かにそうなんだろうと思いますが、ちょっと気になる面もあります。

通訳を使うと「時間を稼げる」というのはどういうことか。

例えば自分(社長)が話す際、話を3分割して話すとして、第1部を話す → それを通訳者が訳す → 第2部を話す → 訳 → 第3部 → 訳、となるわけですが、第1部を通訳者が訳してくれている間に第2部、第3部で何を言うかを考えられる、という意味の場合もあるでしょう。それはいいと思うんです。

一方、こういうケースも考えられます。
例えばIRの場合で言えば、海外投資家が何か質問をしますよね、英語で。その質問が終わり次第、通訳者による訳(@日本語)が始まるわけですが、投資家の質問を通訳者が訳している間に考える、というパターンです。つまり、この場合において社長たちが言っているのはどういうことかというと、「自分は投資家の質問(@英語)がある程度理解出来る。だから、英語を聞いた時点で(頭の中で)答えをまとめ始める。でも、すぐには答えがまとまらない。だから、投資家の質問が終わり、それを通訳者が日本語に訳している間に考えをまとめ上げる」ということですよね、おおざっぱに言うと。

これに対し、僕が気になるのは以下の2点:

1.投資家の質問(英語)を「分かった気」になっている可能性

英語がペラペラではないから通訳者をつけているわけですよね、そもそも。その社長が、投資家の質問(@英語)を聴いて「なるほど、そういうことを質問しているのか」という判断をするわけですが、その判断は必ずしも正しいとは限らない。母国語である日本語であっても、相手の話を誤解してしまう可能性は結構あります。であれば、苦手な英語の場合はなおさらです。

仮に誤解してしまっていても、その後通訳者の訳を聴くことで「なるほど、ワシは勘違いしてたわい・・・」と気付くせっかくのチャンスがあるわけですが、訳を聴いている間、答えをまとめ上げる作業に脳のキャパを振り向けてしまっていると、結局その誤解も解けずじまいになる可能性が高い。

2.もし「考える間があった方がいい」のであれば、その間に「通訳者の訳」というノイズは無い方がいい?

せっかくなら完全な静寂の中で考え、答えをまとめ上げた方がいい。通訳者の訳を聴くのであれば別ですが、聴かずに「考えをまとめ上げる」作業をするのであれば、じゃあノイズは無い方がいいかもしれませんよね。もちろん、実際には通訳者の訳を完全に聴いていない、ということはなく、ある程度聴いているわけですが。

社長の取るべき「正しいプロセス」は以下の通りだと思うんです:

i) 投資家の質問を聴く
ii) 回答を考える
iii) 回答する

実際にはi)とii)が同時進行になりますが、極端を承知で理想を言えばi)とii)、それぞれを別に行った方がいい。質問を聴きながら回答を考え始めると、テンポが速いというメリットはあるものの、質問の意図を正しく理解せずに回答してしまい、QとAが噛み合わなくなる、というリスクを伴います。まずは質問にちゃんと向き合い、「相手が何を質問しているのか」を理解することに脳のキャパを100%振り向け、その上で「それに対し、自分はどう答えたいのか」を考えるのが王道ではないでしょうか。

ーーー

以上、通訳を介することのメリットと、そこから派生しての考察をまとめてみました。

いいコミュニケーションは、ほっておくと実現しません。ことばの壁がある場合はなおさらです。
ことばの壁がある場合はぜひ優秀な通訳者を活用し、相手の話を遮らず、それをしっかりと聴き、実りある意思疎通を実現してほしいです。
一方、ことばの壁が無いからといってコミュニケーション成功に向けた努力をおろそかにせず、むしろ「同じ言語を使い、完璧に分かり合ったつもりでも、実は分かり合えていない可能性がそこそこある」という認識のもと、意思疎通を成功させてほしいです。

by dantanno | 2017-06-26 22:45 | 通訳 | Comments(0)

ことばの裏にある想いを訳す、とは

通訳をするとき、
「表面的な"ことば"を訳すのではなく、その裏にある"想い"を伝える」

のをよしとする考え方があって、自分もそうするようにしています。

ただ、一般の人にとってはもちろん、我々通訳者にとっても、「ことばではなく想いを訳す」と言われてもちょっとピンと来にくいのも事実。


d0237270_22191185.jpg


例えば"Good morning"
その場にいる人たちの関係や場の雰囲気に応じて「おはよう」 VS 「おはようございます」的な訳し分けはするでしょうが、"Good morning"ということばの裏にある想いまで探りに行け、と言われてもなかなか難しい。

もっとも、「ことばではなく想いを訳す」のは、"Good morning"よりも長くて複雑なフレーズを訳す場合にあてはまることが多いわけですが。でも、長く複雑なフレーズを訳す場合でも、いくら自分(通訳者)がそう解釈したからといって、話し手が使ったことばから離れた内容を訳に盛り込みすぎると怒られます。



今度どこかの現場で「あ、これが「ことばではなく、想いを訳す」だなー」と思ったら、ブログで紹介したいです。



ーーー



「ことばではなく想いを訳す」そのものではないんですが、それとちょっと関連する話があったので、ご紹介したいと思います。



隔週で行っている通訳の講義@大学院で、Facebookに関する記事(英語)を取り上げました。
これです。

うまい具合に、日本語に翻訳されたバージョンもありました。



Facebookが今度、従来の「いいね!」ボタンに加え、様々な感情表現を可能にする「Reactions」という機能を試験的に導入する、という記事です。
そう言えば僕も、知人の投稿が例えば「テストに落ちた」とか、親戚のご不幸とか、そういうちょっと残念な内容だったとき、「いいね!」以外の表現で共感を示したい、と思ったこともあるような気がします。



この記事の中の

Facebook has for years resisted pressure from a cadre of users to add a "dislike" button. With Reactions, it's taking a different tack, one that allows for a spectrum of emotions to be expressed while avoiding the up- and down-voting of posts that occurs on YouTube, Reddit and many Internet forums. An overwhelmingly negative reaction to a post without an actual discussion taking place could alienate users and discourage them from sharing -- something Facebook wants to avoid.

という箇所。

日本語版では

「Dislike」(よくないね)ボタンを追加してほしいという要望が多数のユーザーから寄せられていたが、Facebookは何年もの間、それに応じることはなかった。Reactionsにおいて、同社は異なる方針を採用している。YouTubeやReddit、そして多くのインターネットフォーラムで採用されている、投稿を評価するかしないかという2択の投票を避けて、さまざまな感情を表現できるようにした。実際の議論がないままに投稿に対して否定的な反応が圧倒的に寄せられると、ユーザーは遠ざかり、共有する気をなくしてしまう恐れがある。それはFacebookが避けたい事態である。

の箇所です。

ここを読んでいて、「ことばではなく想いを訳す」を思い出しました。



この箇所を読み、僕が行った解釈(訳ではなく)は以下の通りです:



Facebookのコアなユーザーから"Dislike"ボタンを追加してくれ、との要望が出ていた。
(ちなみに、英文の"cadre of users"が「多数のユーザー」と訳されていますが、僕は「(Facebookの)コアなユーザー、ヘビー・ユーザー、熱烈なファン」と解釈しました。多数ではなく、むしろ少数?)

Facebook社としては、もちろんコア・ユーザーの声は重視したいものの、"Dislike"ボタンを導入してしまうと、ディスられた結果投稿する気を無くしてしまうユーザーが出るかもしれない。それも困る。

で、どうしたものかと考えていたところ、ふと気付いた。

コア・ユーザーからの「"Dislike"ボタンを作ってくれ」という声。その表面的なことばだけに注目すれば、文字通り「"Dislike"ボタンを作ってくれ」という声にしか過ぎないかもしれない。

でも、その「ことばの裏にある想い」に思いを馳せれば、それは「"Like"以外の感情も表現したい」という要望なのかもしれない。
仮にそうであれば、何も"Dislike"ボタンだけが解決策ではない。
いや、むしろ"Like"と"Dislike"の2択よりも、様々な感情表現が出来る方が尚いいのではないか。

こうした思考プロセスを経て、この度Reactions機能がテストされることになった。



実際にそういうことだったのかどうかはマークに聞いてみないと分からないので今度聞いておきますが、もしそういうことなのであれば、Facebook社はユーザーの表面的な声に惑わされることなく、その裏にある想いを考えて施策を打ち出したわけであり、まさに「ことばではなく想い・・・」を地で行ってるなあ、と思いました。



さて、上記青字の部分、つまり「この記事の当該箇所を読んだ結果僕が行った解釈」ですが、これはソース(原文)に基づきつつも、そこから少しだけ離れた、僕なりの解釈に基づくストーリー、と見ることも出来ます。

通訳であれ翻訳であれ、訳す対象となるソースの表面をなぞって訳すのではなく、通訳者としての自分の解釈に基づき、上記の通り少しストーリー仕立てにしてから訳すようにしています。もちろん、その余裕が無いケースも多いですが。
素材がまだゴツゴツしている状態でいきなり中華鍋に放り込んじゃうのではなく、ちょっと下ごしらえしてから調理を始める感じ。そして、話し手/書き手の心の中のストーリーと、僕が解釈し思い描いたストーリーがうまくシンクロすることがときどきあって、そういうときは訳していてとても楽しい。まるでJazzのセッションのような感じ。そして、終わった後の観客からの評価も高い気がします。

話された/書かれたことばをそのまま正確に対象言語に置き換え「訳す」のは簡単です。その程度の作業で本当に「訳した」と言えるのであれば、ですが。
あえて遠回りし、ストーリーを考え、構築しようと努力するプロセスこそが「ことばではなく想いを訳す」なのかもしれません。

by dantanno | 2015-10-11 22:38 | 通訳 | Comments(0)

長時間、一人で同時通訳することについての考察

今から二年前。

7時間に渡り、一人で同時通訳をする、という案件を経験しました。



その経験に基づき、長時間に渡って同時通訳をすることや、通訳におけるスタミナについてのブログ記事を書いたところ、IRIS内外の通訳者から数多くの批判をいただきました。



批判の内容を、全くもっともだと感じました。
そして、自分の言いたいことが正しく伝わっていないと感じました。

また、自分自身でも考えが整理出来ていないと認めざるを得なかったため、当該ブログ記事を削除しました。



自分が書いたブログ記事によって、多くの通訳者に不快感を与えてしまい、申し訳ありませんでした。



---



その後二年間。



同時通訳者としての自分の、同時通訳についての真意はどこにあるのか。

特に、長時間に渡る、一人体制での同時通訳(以下「長時間同通」)について、自分は本当はどう思っているのか、ずっと考えて来ました。

書いた後に考えるのではなく、考えてから記事を書くべきだったと反省しつつ。



---



一生懸命考えた結果を、文章にまとめてみました。

目次は以下の通りです:


1.序論
    · 同時通訳についての一般論
    ·「7時間同通案件」の背景
    · 長時間同通の「出来る/出来ない」と、「引き受ける/引き受けない」

2.本論:「Aさん」について
    · Aさんの紹介
    · Aさんの出現は、通訳業界にとっていいことか、悪いことか
    · Aさんの出現を受け、我々一般通訳者はどう対応すればいいのか
    · 結論



1.序論と、2.本論があります。

前提を三点、まずは「1.序論」で整理します。
その上で、「2.本論」において、「Aさん」という通訳者の話をします。



---



序論



<序論①: 同時通訳についての一般論>

同時通訳は、世間からある種の憧れや不思議の目で見られることがあります。



「なんで話を聞きながら話せるの?」

「なんで、言ったそばからどんどん訳せるの?」

「(同時通訳者の)頭の中がどうなっているのか見てみたい」



通訳という作業は難しく、じっくり考えてから通訳することだって大変なはず。

なのに、それを同時に・瞬時に行うなんて、一体どういう仕組みなんだろう、と思われても不思議ではありません。



そのようなすごい作業である同時通訳ですから、当然高いスキルが求められます。誰もが出来ることではありません。
そして、大変な集中力を要し、とても疲れる作業でもあります。



ーーー



同時通訳は、大きな疲労を伴う。

だからこそ、通訳者一人が続けて同時通訳出来る時間は「15分程度」とされています。



たった15分で終わる会議はあまり無いため、同時通訳はほとんどの場合、通訳者2名がペアを組み、交代交代で行います。
会議が2時間、3時間、あるいはそれ以上に渡る場合は、通訳者3-4名で分担することもあります。



人によっていろいろな考え方があるでしょうが、同時通訳に対するコンセンサスは概ね上記の通りかと思います。
私自身もこのように考えているし、IRISでも上記考え方に基づく運用をしています。



ーーー



誤解無きよう改めて、同時通訳に対する私(個人)及びIRIS(会社)の考え方は:

・ 同時通訳は大変な集中力を要し、大きな疲労を伴う

・ 通訳者、及び会議の内容によって多少の違いはあるものの、継続して一定のクオリティの同時通訳を提供出来るのは、概ね15分程度

・ 同時通訳は通常2名、あるいはそれ以上の体制で行う

これが私の考え方です。



もう一つ付け加えるとするならば、通訳エージェントは、クライアントに対しExpectation controlを行うべきだと思っています。

通訳というものに対し、クライアントが誤解、あるいは過度な期待(Expectation)を持ってしまい、それに伴い通訳者が現場で大変な想いをすることは極力避けなければいけません。

そのためには、通訳及び同時通訳がどのようなものであって、通訳者に対し長時間の作業を強いてはいけないことや、それがかえってクライアントのためにならないことなどを説明し、クライアントの期待をコントロールする必要があります。

だからこそ、同時通訳に対する誤解をもたらすようなブログ記事は書くべきではなかった、と反省しています。



<序論②: 「7時間同通案件」の背景>

「同時通訳は15分まで」なのに、一体なぜ一人で7時間も同時通訳することになったのか、その背景を説明します。



この案件は、ある会社の社長が、ヨーロッパで行われる国際会議に出席する際、その社長に付いて通訳を行う、というものでした。
会議は、世界各国の大企業のトップが大勢参加してフリーディスカッションするという、通訳者にとって相当チャレンジング、かつやりがいのある案件でした。



元々、クライアントから案件の引き合いが来た時点で

「7時間、一人で同時通訳してもらうのでよろしく」

という話ではありませんでした。仮にそうであれば、当然引き受けません。



元々は、その会議が終日に渡る長い会議であることがそもそもIRIS側には不明だった上、クライアントからは

「社長が会議にどの程度の時間出席するかは分からないが、恐らくちょっと顔を出すだけで、すぐ退席するだろう」

とのことでした。



ーーー


可能性は低いものの、同時通訳が長時間に渡る可能性が完全に排除出来ないのであれば、

「それでは念のため、通訳者を3名、いや、4名手配させてください」

と求めるのが正しかったのかもしれません。ただ、この案件の場合、それを難しくするネックが二つありました。



一つはコストです。

わずか一回の、しかもどれくらいの時間出席するか分からない会議のために、同時通訳が出来る実力の通訳者を4名、日本からヨーロッパまでビジネスクラスで連れて行き、高級ホテルに宿泊させ、通訳料、拘束補償料、日当、etc. etc.を支払うとなると、軽く
単価150万円 X 4人 = 600万円

とか、そのような金額になってしまいます。
たった一日の会議だけで、です。



もう一つのネックは、より物理的なことです。

この通訳案件のクライアント企業は、その国際会議の主催者ではなく、あくまでも一参加者でした。そして、会議に出席しているその他大勢の参加者は、みなEnglish speakerであり、通訳者を引き連れてなどいません。

そのような中で、この会社の社長だけが通訳者を4人現場にゾロゾロと引き連れ、その4人の通訳者が15分おきに入れ替わり立ち替わり交代し、議場を出たり入ったりする、ということは物理的に不可能でした。



ーーー



私からクライアントに対し、

「同時通訳者4名の手配・同行が無理であれば、この会議への出席はあきらめてください」

と言うことも出来たでしょう。

でも私は、それを言ったらこのクライアントはこの国際会議に参加出来ないことが分かっていたし、一定のリスクがあることを承知の上で、この通訳案件を引き受けました。
そして、その判断を批判する方がいても当然だと思います。



決して言い逃れをしたいわけではありませんが、実際問題として、世の通訳者の多くが私と似たような経験を一度はしていると思います。

事前に聞いていた話と異なり、思いのほか長時間に渡って通訳、あるいは同時通訳をするはめに陥った経験を持つ通訳者は多い、、、というか、ほとんどでしょう。

それによって通訳者がつらい想いをすることを防ぐべく、我々通訳エージェントはしっかりと頑張らなければいけないと本当に思いますし、クライアントと緊密に連携を取っていくべきだと思います。

しかし、この仕事が人間対人間のものであり、本番当日、現場で予想外のハプニングやドタバタがほぼ必ず起きる以上、そうした事象を完全にゼロにするのは難しいかもしれない、とも思っています。



---



さて、私が経験したこの「7時間同時通訳案件」には、もう一つの疑問が伴います。

「同時通訳は15分まで」なのであれば、では一体なぜ7時間(420分)もの長きに渡って同時通訳し続けることが可能だったのか。



まだ若くて元気だった(当時38才)

とか、

自分の専門分野であるビジネス・経済に関する話題だった

ということもあります。



また、この案件についてはクライアントから

「必ずしも一言一句訳す必要は無く、ある程度要点に絞り、枝葉末節は落としてもいい」

と事前に言われていました。

通訳者によっては「そう言われても困る」という方もいるでしょうが、私はこのようなやり方の方がラクであり、その分助かった、という面もあります。



そして、一番のポイントは通訳のクオリティだと思います。

振り返ってみると、私が7時間、高い通訳クオリティを維持出来たかというと決してそのようなことはなく、後半は多少クオリティが落ちていたと思います。クライアントは満足していたようですが、だからといって通訳者の私が満足していいはずはありません。

そういう意味では、「7時間一人で同時通訳」を試みたのは間違いありませんが、それが本当の意味で出来たかというと、必ずしもそうとは言えません。



<序論③: 長時間同通の「出来る/出来ない」と、「引き受ける/引き受けない」>

まずもって、長時間、一人で同時通訳「出来るのか、出来ないのか」という問題があります。
しかも、一定のクオリティを維持しつつ。

私を含め、多くの通訳者にはそれが出来ません。



では仮に、長時間同通が「出来る」としましょう。


d0237270_00283199.png



その上でようやく

「では、長時間同通の案件を引き受けるのか、引き受けないのか」

という、次のステージに移行出来ます。



長時間同通が「出来る」通訳者は少ない。

数少ないそのような通訳者に対し、長時間同通案件を「引き受けるか」と聞けば、私を含め、ほとんどの通訳者が「引き受けない」と答えるでしょう。


d0237270_01071557.png



通訳者、あるいは通訳エージェントが長時間同通案件を引き受けないことには、いろいろな理由があります。



出来ないから

に加え、

しんどいから。

とか、

自分の通訳のポリシーに反するから。

また、

たとえ自分はよくても、他の通訳者に迷惑がかかるから。

などなど。



以上が序論です。
ここまでで整理した論点に基づき、以下、本論で「Aさん」という通訳者について考察します。



ーーー



本論


<「Aさん」の紹介>

本論を進めるにあたり、Aさんという、架空の通訳者を想定します。



Aさんは、長時間に渡り、一人体制で同時通訳が出来ます。
しかも、単に長時間出来るというだけでなく、その長きに渡り高い通訳クオリティを維持出来る、と仮定します。

そのような通訳者は、実際にはあまりいません。



さらに珍しいことにAさんは、長時間の同時通訳案件を「出来る」だけでなく、積極的に「引き受けたがっている」とします。
そのような通訳者は、私の知る限り、この世にただの一人もいません。だから、私にとってAさんは架空の通訳者です。



d0237270_01093026.png




誤解無きよう、念のため明確にしておきますが、Aさんは私ではありません。

私は、「出来る/出来ない」 「引き受けたい/引き受けたくない」の両面において世の一般通訳者と同じ立場にあり、Aさんと異なります。




<Aさんの出現は、通訳業界にとっていいことなのか、悪いことなのか>

Aさんは、長時間同通を「出来る」し、しかも「引き受けたい」という考えの持ち主です。
もしそのような通訳者が出現したら、我らが通訳業界はどうなるでしょうか。

Aさんの出現は、この業界にとっていいことなのか、あるいは悪いことなのか、を考えてみたいと思います。



ーーー



まず、悪い面から。



悪い面①: 他の通訳者への迷惑

以前、ある通訳者と同時通訳について話していた際、こう言われました:


「私は通訳の大先輩から、『長時間の同時通訳案件を引き受けることは、通訳業界を壊すことにつながるから、絶対にやってはいけないのよ』と教わりました。」
と。



この大先輩の発言は、いろいろな意味を含む、深い発言だと思います。



確かに、Aさんが「自分が引き受けたいから」といって長時間同通案件をどんどん引き受けてしまうと、他の通訳者が迷惑します。

Aさんの抜きん出た通訳パフォーマンスを体感したクライアントは、Aさん以外の我々一般通訳者に対し

「Aさんは出来るのに、あなたは出来ないんですか?」

とか、

「Aさんはやってくれたのに、あなたはやってくれないんですか?」

などと言ってくるかもしれません。

我々一般通訳者が、長時間同通を単純に「出来ない」場合、あるいは「出来るけど引き受けたくない」場合、いずれのケースにおいても厄介です。



私も一通訳者として、Aさんのような通訳者が出現したら面倒だなあ、、、と思います。クライアントから

「ダンさんもAさんみたいにやってよ」

と言われても、「出来ない」あるいは「イヤだ」と言えば済むわけですが、そのやり取りが面倒です。



悪い面②: Expectation controlの破壊

上記①とも関連する点です。

これまで、せっかく先輩通訳者や通訳エージェントが、クライアントに対し一生懸命

「同時通訳は15分までしか出来ません」

という教育 兼 Expectation controlを長年に渡ってして来てくれたのに、そこにAさんが現れ、長時間高いクオリティで同時通訳をしてしまうと、クライアントは

「なんだ、話が違うじゃないか」

と思ってしまうかもしれない。



悪い面③: 通訳業界にとっての収入の減少

単純に考えると、従来例えば

同時通訳者2名 X 単価10万円 = 20万円

だったのが、Aさんのせいで

同時通訳者1名 X 単価10万円 = 10万円

となってしまうかもしれません。

Aさん本人は別にいいのかもしれませんが、通訳業界全体にとっての収入が半減してしまうリスクを感じます。
これは非常に重要な点なので、後ほど詳しく考えてみたいと思います。



悪い面④: 通訳クオリティへの影響

「同時通訳は15分まで」という原則の存在は、もちろん通訳者本人を守るためでもありますが、通訳のクオリティ、ひいてはクライアントや会議参加者を守るためでもあります。

同時通訳が長時間に及ぶと、通訳のクオリティがどんどん下がっていきます。
通訳のクオリティが下がると、その分ミーティングにおける意思疎通が難しくなり、結局クライアント及び会議参加者のためになりません。



もっとも、今回例として挙げているAさんの場合、「長時間、高いクオリティを維持しながら同時通訳出来る」という前提なので、Aさんによる同時通訳は、直接的にはクオリティ低下につながりません。



一方、Aさん出現の結果、もし我々一般通訳者までもが長時間同通を引き受けてしまうようになれば、確かにクオリティ低下の問題が起きるでしょう。

でも、現実的には我々一般通訳者は長時間同通など「出来ない」か、あるいは仮に出来たとしても「引き受けない」わけですから、それに伴うクオリティ低下のリスクは低いかもしれません。

万一、我々一般通訳者の一人が長時間同通を引き受けてしまっても、そのクオリティの低さがすぐに露呈し、単に「Aさんが例外」であったことがクライアントに分かってもらえると思うので、多分大丈夫でしょう。



ーーー



これまで、Aさん出現に伴い通訳業界が受ける悪影響を見てきました。
この他にも悪影響があるかもしれません。

先輩通訳者曰く、
「長時間同通を引き受けることは、通訳業界の「破壊」につながる」
の通りです。



ではその一方で、Aさん出現に伴うプラス面は何かあるのでしょうか。



ーーー



Aさんという通訳者が、長時間に渡る同時通訳を高いクオリティで提供する。

それに伴い、通訳業界に何かプラスの影響があるのかどうかを考えるためには、根本から考える必要があると思います。
そもそも「通訳業界」とは、一体誰のことを指すのでしょうか。



ーーー



「通訳業界」というものに、Aさんを含め、我々「通訳者」はまず間違いなく含まれそうです。

むしろ、我々が主役でしょう。



「通訳エージェント」も含まれそうです。



d0237270_01131130.png



それ以外に、誰かいるのでしょうか。



ここでちょっと、他の業界で見られる動きと、その結果のプラス・マイナスにも目を転じてみようと思います。



ーーー



Starbucksの出現は、日本のカフェ業界にとっていいことだったのか。

セブンイレブンの出現は、日本の小売り業界にとっていいことだったのか。

りそな銀行が窓口の営業時間を17:30まで延長するのは、日本の銀行業界にとっていいことだったのか。



いずれも、

i) 新規プレーヤー、あるいは従来のプレーヤーが、
ii) 従来は出来なかった、あるいは「出来たのに提供されてこなかった」、そのようなDisruptiveなモノ・サービスを提供

した例です。



ーーー



少し補足すると、


Starbucksの出現に伴い、既存の喫茶店は「迷惑」を被ったかもしれないが、日本のカフェ業界全体にとって何かプラスはあったのか。

セブンイレブンの出現に伴い、既存の食料品店・雑貨店は「迷惑」を被ったかもしれないが、日本の小売り業界全体にとって何かプラスはあったのか。

りそな銀行が窓口の営業時間を17:30まで延長することにより、その他の銀行は「迷惑」を被ったかもしれないが、日本の銀行業界全体にとって何かプラスはあったのか。



その「業界」が、モノ・サービスの売り手(通訳者及び通訳エージェント)だけを指すのであれば、従来無かったモノ・サービスの提供によるDisruptionはマイナスでしかないかもしれません。

しかし、モノ・サービスの買い手、つまりお客様のことも含めて考えると、風景がガラッと一変します。


d0237270_01143827.png




私は、一消費者として、Starbucksやセブンイレブンやりそな銀行がある世の中の方が、それらが無い世の中よりも幸せです。
私の立場からすると、これらのプレーヤーの出現は、それぞれの業界をより良くする方向に作用しています。



では、Aさんが長時間に渡り高いクオリティで同時通訳を引き受けることにより、通訳のクライアント、そしてある意味我々通訳者にとって一番大事な存在であるはずの会議参加者にとって、何かいい影響はあるのか。



・いい影響①: 訳の一貫性

二人体制での同時通訳の場合、15分おきに通訳者が入れ替わり続けます。
例えば90分の会議であれば、その間に5回通訳者が変わることになります。

そして、交代を要するほどですから、当然通訳のスタミナの落ちもあり、それに伴うクオリティの劣化もあります。

時間の経過に伴う通訳クオリティの変化・劣化を図示すると


d0237270_01155663.png




このギザギザが、会議参加者にとってのノイズになります。



ーーー



話し手が変わっていないのに、その発言を伝える通訳者が頻繁に入れ替わることに伴うノイズはかなり大きい。

特に、2人の通訳者の間に実力差があったり、訳し方・性別・声質・声量等が異なる場合(つまり、ほとんどの場合)、ノイズはさらに増幅されます。

例えば音楽のコンサートで、同じ作品を演奏している途中に歌手・奏者が突然、そして何度も何度も入れ替わることを想像してみていただければ、聞き手にとっての落ち着かなさがイメージ出来ると思います。



ーーー



それに対し、通訳をAさんに依頼した場合の訳の一貫性(Consistency)は以下の通りです。


d0237270_01171004.png



これは、会議参加者にとって、非常に大きなメリットです。

そもそもの付加価値(時間 X 通訳クオリティ、の面積)が大きいことに加え、
「ギザギザが無くなる」ことによるノイズの軽減は、会議の円滑化に大きく役立ちます。



いい影響②: 通訳者手配の手間の軽減

大事なイベントの直前で、イベントの担当者がてんてこ舞いの状態を想定してください。

その際、通訳者が2〜4名必要な場合と、1名で済んでしまうのとでは、通訳者手配や受け入れ準備の手間がだいぶ違います。

特に、同時通訳用のブースがどうしても設営出来ない場合などに、必要な通訳者数が半分、あるいは4分の1で済むのは大きなメリットです。

また、私が担当した国際会議における通訳のように、物理的に複数名の通訳者を同行させられない会議への出席も可能になります。

こうしたメリットも、クライアントにとって大きい。



・ いい影響③: 通訳業界の進歩

この問題について考えていて、ふと思いました。

「同時通訳は15分まで」15分は、一体いつから15分だったのでしょうか。

昔は5分や10分だったのが、少しずつ延びて15分になったのでしょうか。

恐らくそうではなく、「ずっと15分程度」なのだと思います。



d0237270_01183920.png



その一方、人間が100メートルを走るのに要する時間は、どんどん短縮(進歩)されています。



男子100m走の世界記録:

1912年 ドナルド・リビンコット 10秒84
1991年 カール・ルイス 9秒84 
2009年 世界陸上ベルリン大会 ウサイン・ボルト 9秒58


2050年頃には、9秒30ぐらいになっているのではないか、とのことです。(明海大学の岡野進教授)


ちなみに女子の100mの記録は、1988年のフローランス・ジョイナーの10秒49が20年以上破られていないそうです。ジョイナーすごいですね。
余談ですが、統計処理の結果「将来は女子が男子を逆転する」という報告もあるようで、とても興味深い。



ーーー



陸上競技におけるこのような進歩の原動力として、ヒトそのものだけでなく、技術や道具の改善も大きな役割を果たしているでしょう。
それは、通訳業界にもそっくりそのまま当てはまります。


同時通訳機材の普及・改善。

電子辞書の登場。

インターネットやYoutube等による予習、及び通訳トレーニング手法の飛躍的広がりなど。



そして、数十年前と比べ、我々通訳者を含む日本人全体の英語力も大幅に向上しています。



そのような中、我々通訳者が同時通訳出来る時間がずっと15分のまま変わらないのだとしたら、それは我々通訳者が相対的に退化していることの現れとも言えます。

そして、クオリティを維持しつつ15分を超えて同時通訳が出来るというAさんの出現は、通訳業界の「進歩」でもある。



ーーー



ここで、冒頭の

「長時間の同時通訳案件を引き受けてしまうことは、通訳業界を壊すことにつながるから、絶対にやってはいけない」

という言い伝えに戻ります。



私はこれを知人の通訳者から聞かされてからずっと、その意味を考えて来ました。

そして、考えれば考えるほど、実は、同時通訳は15分を超えて出来る、という示唆を含んでいるような気がします。

もちろん通訳者全員ではなく、人によって、ですが。



ーーー



これはあくまでも個人的な意見ですが、「同時通訳は15分まで」という原則は、通訳者の負担を考えての面も多分にありますが、それとは別に、通訳業界の収入や仕事量を維持するための取り決め、という面もあるのではないでしょうか。

そういう意味では「価格カルテル」に似ています。



価格カルテルは、文字通り「価格」を縛る取り決めです。

それに対し通訳業界では、継続して同時通訳が出来る「時間」を縛り、同時通訳案件に必要となる通訳者数を維持・増員することによって間接的に価格を維持し、業界の収入を守ろうとしているのではないか。



このような価格統制は必ずしも悪いことではなく、農業やタクシー業界などの業界で、しかも政府主導で、よく行われています。

ただ、同時通訳を15分までに縛るカルテルには問題点があります。



せっかく長時間、高いクオリティで同時通訳が出来、かつそれをやりたいと言っているAさんを妨げることは、通訳者間の悪平等にもつながります。

そして、その悪平等は、Aさんの高い通訳力の恩恵を受けられないクライアントや会議参加者にとってマイナスです。



ーーー



仮に、「同時通訳は15分まで」が一種のカルテルだとしましょう。

そのカルテルの是非以前の問題として私が興味を持つのは、Aさんのような通訳者が出現し、15分を超えた同時通訳を提供した場合、本当に通訳業界の収入が減ってしまうのか、という点です。

以下で考察します。



いい影響④: クライアントにとってのコストの削減??

Aさん出現に伴い、クライアントにとってのコストはどう変わるでしょうか。



同時通訳者が2人 → 1人で済むということは、単純に考えるとコストが半分で済むということであり、クライアントに取って大きなメリットになりそうです。
そしてそれは、世の中全体を考えると「いいこと」なのかもしれませんが、その分、我々通訳者側にとって打撃です。



ここでAさんにぜひともお願いしたいのは、通訳料金の大幅な値上げです。

長時間、高いクオリティの同時通訳を提供出来ること。
それを可能にする通訳力とスタミナを持っていること。

そして何よりも、私のような一般通訳者と異なり、それを「会議参加者のために提供したい」というサービス精神を持っていることは、お客様にとって絶大な付加価値だと思います。

ですので、当然それに見合った高い料金をチャージしてほしいです。



ーーー



例えば、従来は

通訳者2名 X 単価10万円 = 20万円

だったとします。



それを、Aさんが一人で、かつ高いクオリティでこなせるとなると、チャージ出来る料金は10万円どころではありません。
訳の一貫性や、手配やロジ面の負担の軽減を考えると、極端な話、従来よりも高い22万円をチャージしてもいいぐらいです。



通訳者1名 X 単価22万円 = 22万円



増額はやや極端かもしれませんが、クライアントにとってのメリットを考えると、少なくとも従来と同額はチャージ出来るでしょう。

そうすれば通訳業界の収入を維持出来ます。



旧: 通訳者2名 X 単価10万円 = 20万円
新: 通訳者1名 X 単価20万円 = 20万円



特に、私が2年前に経験したヨーロッパでの国際会議のような案件においては、Aさんのような通訳者の付加価値は大きい。

そもそも4人の通訳者を引き連れていくことが物理的に不可能なのですが、仮にそれが出来たとしましょう。
その場合のコストは、フライト代等を含め、例えば

通訳者4名 X 単価150万円 = 600万円

です。



通訳者一人あたりのコスト150万円の内、ざっくり通訳料金が50万円、ビジネスクラスのフライト代等が100万円だとしましょう。

通訳者4名ではなく、Aさんたった1人でこの案件に対応出来るとなると。
フライト代等の実費はAさん一人分、総計100万円で済みますから、極端な話、Aさんは通訳料金を500万円に設定出来るとも言えます。



旧: 通訳者4名 X (通訳料50万円 + 実費100万円) = 600万円
新: 通訳者1名 X (通訳料500万円 + 実費100万円) = 600万円



たった一日通訳をしただけで、通訳料金500万円をチャージするのは非現実的です。
しかし、私がここで言いたいのは、仮にAさんがそのような極端な値段に設定したとしても、クライアントにとってのコスト負担は以前と全く変わらない、ということです。

そして、その一方で、会議参加者にとっての訳の一貫性の高まりや、クライアントにとっての手配やロジ面での負担が大きく削減され、非常に喜ばれるわけですから、大幅な値上げの原資がある、ということです。

正確に言うと、従来は航空業界や宿泊業界に流れていたお金が通訳業界に入ってくるということです。
今後、劇的な収入増が期待出来ない通訳業界にとって、Aさんの貢献に伴う資金の環流は画期的なことでもあります。



ーーー



「通訳料金を今の倍以上に設定するなどありえない」

と思われるかもしれません。

たしかに、これまで長年に渡り提供されてきた通訳レベルにさほど付加価値を付けられなければ、倍はもちろん、わずかな値上げすら無理でしょう。
よくて現状維持か、あるいは値下げしかありません。



でも、Aさんのように、業界に対してDisruptiveなほどの付加価値を付けることが出来れば、料金の倍増など、決して夢ではありません。

Aさんには、ぜひ安易かつ迎合的な料金設定をせず、我々一般通訳者と比べた付加価値の高さを反映したプレミアム料金(少なくとも我々の倍額程度)を設定してほしいと思います。



<いい影響⑤: 架け橋>

「日本と外国との間の架け橋になりたい」

そんな純粋な想いで通訳者になった人も多いと思います。

「長時間、高いクオリティで同時通訳が出来、かつそれを会議参加者のために提供したい」

というAさんは、立派な架け橋です。



<Aさんの出現を受け、我々一般通訳者はどう対応すればいいのか>

少し余談になりますが、Aさんのような通訳者が出現したとして、我々一般通訳者はどう対応するのがいいか、考えました。

いろいろな選択肢があると思います。


1. 何もしない

Aさんのような通訳者がこの業界に多数現れることは、幸か不幸か、当面無いと思います。

そして、仮にAさんが現れたとして、それを見たクライアントが

「もしかしたらBさん(我々一般通訳者)にも同じようなサービスの提供をお願い出来るかもしれない」

と勘違いしたとしても、それが間違いだったことにすぐ気付かされるでしょうから、特に問題無いとも言えます。



また、Aさんが適切な料金設定をしてくれる限り、我々一般通訳者も従来の料金設定を維持出来るでしょう。

いずれにせよ、Aさんのような通訳者の出現が大きなムーブメントになったり、一定の存在感を勝ち取ることはきっと当面無いでしょうから、正直、あまり心配はいらないと思います。



2. 追随する

もしその通訳者が希望するのであれば、自分も長時間高いクオリティの同時通訳を提供出来るよう、努力するという道もあると思います。

私含め、この道を選ぶ通訳者はあまりいないと思いますが。

ただ、個人的には、通訳のスタミナをつけることは訳のクオリティの向上に直結すると考えているので、例え長時間同通を引き受けないにせよ、やろうと思えばそれが出来る状態にはしておきたいと思っています。



3. Aさんとは別の「自分なりの付加価値」を高め、それをクライアントや会議参加者に提供する

Aさんの「高いクオリティを維持した長時間同通」は、非常に強力な武器です。

それに対し私は、長時間同通を引き受けない。
であれば、何かそれ以外の、自分なりの武器を強化しなければ、、、と思います。



Aさん云々にかかわらず、自分は自分なりの付加価値を高めるべく努力する。

それは「通訳のクオリティ」の面かもしれないし、「豊富な背景知識」、あるいは「人柄・対応の良さ」かもしれません。

いずれも通訳者にとって大事な要素で、それが高い水準で提供出来るのであれば、十分Aさんと張り合えるでしょう。



多少なりとも意識の高い通訳者であれば、Aさん云々にかかわらず、日頃から自分の付加価値を高めるべく、具体的な努力をきっと続けているはずです。

このような通訳者にとっては、Aさんの出現は何ら恐れるにたらず、むしろよきライバルとして好感出来るぐらいかもしれません。

Aさんが出現することにより、我々一般通訳者が「自分もがんばろう!」と思うのであれば、その面においては、Aさんの出現はいいことではないでしょうか。

そして、その考え方に基づけば、Aさんの出現に伴う競争は過当競争ではなく、むしろ健全な競争とも言えます。

個人的には、この3.の選択肢が一番魅力的で、そのような通訳者になるようがんばりたいです。



<結論>

自らが書いたブログ記事と、それに対する反応を受け、長時間同通という問題について二年ほど考えて来ました。

そして、Aさんという架空の通訳者を想定し、そんな人が実際に出現した場合の、業界への影響を考えてきました。

その結果思うことは以下の通りです。



<結論①: Aさん出現には、いい面と悪い面、両方ある>

世の中のあらゆる事象が全てそうであるように、Aさんの出現にはいい面と悪い面、両方あります。

そのいい/悪いは、見る人の立場や価値観、そして「通訳業界」をどう定義するかによって大きく異なります。



また、同じ「通訳者」間でもかなり見方が分かれると思います。

そもそもなぜ通訳者になりたいと思ったのか。
生活の糧を得るためなのか、あるいは人の役に立ちたいと思ったからなのか。

日々、誰を意識して通訳をしているのか。
自分なのか、先輩通訳者なのか、あるいは会議参加者なのか。

この辺の目線の違いによって、意見は大きく分かれるでしょう。



だから、Aさん出現のいい面だけを取り上げて「すばらしい!」と喜ぶのは一方的だし、その悪い面だけを取り上げて「通訳業界を壊す!」と嘆いたり怒ったりするのも短絡的な気がします。



<結論②: べき論の危険性>

もしAさんが、我々一般通訳者に対し、

「みなさんも、積極的に長時間同通案件を引き受けるべきですよ」

とか、

「それが出来るようになるために、一生懸命通訳トレーニングをするべきですよ」

などと言って来たらどうなるか。



「ただでさえも総スカン」のAさんに対するバッシングは、さらに苛烈を極めること間違いありません。

Aさん自身がそう思ってそう行動するだけならまだしも、それを人に押しつけようとするのは良くない。

そして、私が2年前に書いたブログ記事でも、「長時間同通を押しつけられた」と感じた通訳者がいたでしょうし、それが批判の一因にもなったのだと思います。



それと全く同様に、我々一般通訳者がAさんに対し

「長時間同通を引き受けるべきではない」

と押しつけるのも、Aさんによる押しつけと全く同程度におかしく、避けるべきなのでしょう。



「長時間同通を引き受けるべきではない」
と信じるのであれば、自分が引き受けなければいいわけで、それを人に押しつけてはいけないと思います。

唯一存在してもいい「べき論」は、自分の考え方を相手に押しつけるべきではない、の「べき」だけでしょう。



——



「自分の考えを人に押しつけない」は、話し手の想いを慮ったり、自分の通訳が聞き手にどう届くかを慮ることを生業とする我々通訳者にとって、特に大事なことだと思います。



日頃、いろいろな考え方、特に自分と異なる考え方を知り、それを尊重して行こうと思っています。

それがなかなか出来ない自分に困り、あきれることもありますが、そういう人間になるよう、がんばっています。

もしそれが出来れば、より魅力的な人間になることに加え、通訳者としての力の向上にもつながり、通訳案件でのパフォーマンス改善に直結すると思っています。

通訳が、話し手や聞き手など、人の気持ちを「慮る(おもんぱかる)」仕事であることを考えると特に。

だからこそ、二年前の自分のブログ記事を反省すると共に、もしAさんのような通訳者が現れても、バッシングに加担したくありません。



<結論③: 進化・進歩は必然>

ヒトは動物です。動物である以上、必ず進化します。


d0237270_01263140.jpeg



文明はどんどん発展し、あらゆる業界においてめざましい進歩が遂げられています。

人間も然り。人間が生み出す道具も然り。


d0237270_01284446.jpg




それなのに、我らが通訳業界だけがいつまで経ってもこのままであるはずは無いと思います。



d0237270_01183920.png



Aさんは、必ず現れます。



それは人間かもしれないし、あるいは機械なのかもしれませんが、いずれにせよ、Aさんは必ず現れます。
これは「いい/悪い」の問題ではなく、必然です。



「今日」通訳をしている者として私は、昨日までの通訳者、そして従来良しとされて来た通訳を何らかの形で超えていく責任があると思っています。

そして、Aさん出現により、我々通訳者が超えるべきバーが上がるのであれば、通訳者としてのぞむところです。



<結論④: カルテル以外の手段もある>

通訳業界の収入や仕事量を守るためにも、「同時通訳は15分まで」という原則は大事です。
これは実質的に価格カルテルだと思いますが、合法的な、いい価格カルテルです。


でも、こうした「守り」の手法以外にも、業界の収入を維持・向上させていくための手段は存在します。



———



この業界の先行きを考えると、私はどうしても守りに入りたくなります。

自分が専門としているIRの分野もしかり。

英語で対応出来てしまう社長やIR部長がじわりじわりと増えてしまっています。
(ちなみにここでもまた、狭い意味での通訳業界(通訳者+通訳エージェント)と、広い意味での「日本」との間で、明らかな利害の対立が見られます。)



でも、そうした状況だからこそ、守りではなく攻めで物事を考えたい。
農家でいえば、TPPを危機と捉えて断固反対する農家ではなく、TPPをチャンスと捉え、日本の素晴らしい農作物を海外に広めるような農家になりたい。



<結論⑤: Aさんどころではない>

Google翻訳。
NTTドコモやSkypeによる自動同時通訳。

自動翻訳・自動通訳が少しずつ広まっています。



その訳のクオリティは、今はまだ笑えるレベルかもしれませんが、これがいつ我々通訳者を脅かすのか。
私は、そのタイミングは意外と早く来るのではないかと思っています。



我々訳者が文章や発言を訳す際、何をどう考えて訳しているのか。
そのプロセスを仕組み化し、プログラムに落とし込み、かつビッグデータ(?)やプロセッシング能力(?)等を活用すれば、あとわずか数年で、翻訳・通訳業務の一定割合が機械に置き換わる可能性が高いと思います。
我々訳者にとっては残念ながら、今から10年後には、風景はガラッと変わっているでしょう。



機械は、人間と大きく違い、喜んで長時間同通を引き受けます。
そして、その訳のクオリティは飛躍的に向上する可能性があります。それに伴う通訳業界の「破壊」は、Aさんという通訳者の出現に伴うそれの比ではありません。



我々通訳者が意識すべき敵は、「他の通訳者」などでは決してありません。



<結論⑥: ポジティブなExpectation control>

序論でExpectation controlの話をしました。

クライアントや会議参加者に対し、我々通訳エージェントが行うべきExpectation controlは、

「通訳者にはこういうことは出来ません」

とか、

「通訳者にこういうことは求めないでください」

というような、期待を抑える方向のコントロールが一般的です。Expectation controlという言葉通りです。



その重要性は重々承知していますし、これからもIRISではしっかりやっていきます。
しかしその一方で、私は通訳者として、そして通訳エージェントとして、ポジティブなExpectation controlもぜひやっていきたい。



通訳ってこの程度のもの

をぶち壊し、

通訳ってこんなにすごいのか!

と、観客の期待を遥かに超えるような通訳を披露したいし、IRISという通訳エージェントとしても、クライアントを感動させるような通訳サービスを提供していきたいです。

その観点から行くと、私はAさんを糾弾する気にはなれず、むしろ褒め称えたいと思うし、そのような優秀な通訳者がいれば、ぜひIRISに登録してほしいと思います。

そして、自分はAさんと違う方法で観客を感動させていきます。



---



既に現実のものとなりつつある自動翻訳・自動通訳に対抗するためにも、通訳者としてプラス方向でものを考え、自らの付加価値の最大化とそれに伴うプレミアム化を実現していくこと。

これこそが、通訳者にとってはもちろん、クライアントや会議参加者を含む広義の「通訳業界」にとっても、最善の道だと信じています。

by dantanno | 2015-05-13 01:49 | 通訳 | Comments(2)

「教養としての通訳」は存在し得る?

中学のとき、1年間イギリスの現地校に通いました。



国語や数学など、通常の科目に加え、ちょっと変わった科目もありました。

ラテン語とか。

Classical Studiesとか。

d0237270_10171833.png


Classical Studiesというのは要するに古代ギリシャやローマ帝国などについて学ぶ科目で、あまりよく覚えていませんがシーザーがどうしたこうした的なことを学びました。

他には宗教の授業とかもあって、モーゼの十戒のビデオを観たりとかしました。



ラテン語もClassical Studiesも宗教も、我々の日々の生活との直接の関係は薄いかもしれず、当時は(なんでこんなことやらなきゃいけないんだろ。しかも俺日本人だし)と思ったりもしましたが、今思えば、こういう科目を学ぶことには教養(Culture)としての価値があると思います。

特にイギリスとかヨーロッパの国々にとっては、文化(Culture)として大事なんでしょう。
ラテン語は英語の原型になっている面があるし、Classical Studiesも歴史の一環として大事だし、宗教は日本におけるそれよりも身近なものかもしれません。

d0237270_10200229.png





日本でも、大学に一般教養課程がありますね。
フラ語とか美術史とか、自分の将来の仕事と直接の関係は薄いかもしれないが、教養として役立つ内容を学ぶ、という趣旨だと思います。

d0237270_10204823.jpg


ーーー



話転じて、自分が今大学院で教えている通訳の講義。

「大学院」ということもあり、学生たち、特に大学からストレートで大学院に来た学生たちにとっては、教養として通訳を学びたい」という気持ちもあるかもしれません。



一方、自分が通訳学校に通っていたときは、完全に技術を学ぶための専門学校としてとらえていました。

自分はここに「仕事に直結する技能を学ぶ」ために通っているのであって、一刻も早くその技術を身につけ、ここに通う必要を無くしたい、と思っていました。
また、自分で出来ることは自分で(自宅で)やり、「自分一人では出来ない/分からない」ことだけを学びに通おう、とも思っていました。



ーーー



生徒はお客様ですから、もし生徒たちが教養として通訳を学びたい」と感じているのであれば、サービス・プロバイダーとしての講師はある程度その気持ちをAccommodateしないといけないのかもしれません。
また、上手に通訳出来るようになるためにすべきことの中には、例えば視野を広げるとか、英語をたくさん聴くとか、きれいな日本語を身につけるとか、いわゆる「教養」ともいえることもたくさん含まれている。



一方で、通訳はあくまでも技術であり、教養などではあり得ない、という気持ちも依然強い。

より良い人生を送るための教養として、例えば英語をもう一段深いレベルまで学んでみる、というのはよく分かるんです。
でも通訳はそうではなく、「通訳業という仕事を成功裏に遂行するためにどうしても必要な技術」であり、そういう意味では溶接とか心臓バイパス手術とか測量とかと同じジャンルだとも言える。

d0237270_10214091.jpg



引き続き考えます。



by dantanno | 2014-12-23 10:22 | 通訳 | Comments(0)

いい通訳は、経済にとっての貨幣のような存在

通訳は、とても付加価値の高い、重要な職業です。

通訳の善し悪しは、ミーティングの成否を左右します。
いい通訳は、コミュニケーションに伴うロスを最小化し、ミーティングを成功に導く。
ときには、質の高い通訳が会議参加者を感動させることさえある。

そして、そのようないい通訳をするのはとても難しい。

通訳者はたくさんいますが、いい通訳者は本当に少ない。
いい通訳者が育つためには、なんらかの素敵なきっかけと、長年に渡る努力・経験、そして運も必要です。



---



通訳は、その価値、その重要性、そしてその難しさの割に、それに見合った十分なリスペクトを得ていない、と感じることがあります。
分かってくれている人も多いが、分かってくれていない人もいる。

なぜ、通訳はそれに見合った十分なリスペクトを得られていない(ことがある)のか。

内部要因: 質の低い通訳が、通訳全体に対する評価を押し下げているから
外部要因: 通訳が誤解されているから

内部要因については業界内でなんとかするとして、ここでは外部要因について考えます。



通訳はどう誤解されているのか。

それは、「通訳は、結構簡単なのではないか」という誤解ではないか。
「バイリンガルであれば、通訳なんて簡単に出来てしまう」という誤解があるのではないか。

人は、なぜそう誤解するのか。



---



確かに、そう誤解する気持ちも分かります。

例えば日英間の通訳であれば、日本語を英語にしたり、英語を日本語にしたりするわけですが、

りんご → Apple
Fish → 魚

日本語と英語が両方出来れば、通訳なんて簡単じゃないか、と思う人がいても不思議ではない。

特に、バイリンガルではない人ほどそう思いやすいのではないか。
バイリンガルではない人が、
「もし自分が英語ペラペラだったら、きっと通訳ぐらい出来るだろう」
と思ったとしても、なんだか無理はない気がする。
一方のバイリンガルたちは、事がそう簡単ではないことを分かっていることが多いかもしれない。



---



「バイリンガルでありさえすれば、通訳は出来る」と誤解する背景に、「実際にそうだったから」というのもあるかもしれない。



部長 「オーイ、田中」

田中 「ハイ、なんでしょう」

部長 「お前、確か英語出来たよな」

田中 「はあ、一応・・・」

部長 「今度、アメリカの取引先とのミーティングがあるんだけど、お前通訳して」

田中 「え?!オレがですか?無理ですよ、通訳なんてそんな・・・」

部長 「英語出来るんだから、通訳ぐらい出来るだろ。頼んだぞ」



という具合です。



その後、ミーティングの日になりました。

ここで田中が撃沈して、ミーティングがしっちゃかめっちゃかになれば、(そっか、やっぱ通訳って難しいのかな・・・)となるかもしれません。

でも、田中が通訳をして、ミーティングが無事終了した場合はどうでしょうか。

田中はプロの通訳者ではない。
通訳になるための専門的な教育も受けていない。

その田中が通訳をし、ミーティングが滞りなく進行し、無事終了した。

関係者が
(なあんだ、バイリンガルでありさえすれば、通訳出来ちゃうんじゃん)
と思ったとしても、無理はありません。



---



なぜ田中は、プロの通訳者ではないのに、ちゃんと通訳出来てしまったのか。
通訳が簡単だから、ではありません。ではなぜか?



まず、「田中がちゃんと通訳出来た」という前提を疑う必要があると思います。



以前、こういう記事を書きました。
通訳のウデを評価するのはとっても難しい。
ミーティングが滞りなく進行したからといって、田中の通訳が上手だったとは限らない。

アメリカの取引先の発言内容は、実は日本側に正確に伝わっていないかもしれない。
日本サイドの言っていることが、ちゃんとアメリカ側に伝わった保証もない。

d0237270_22404620.jpg


---



では仮に、田中が間違いなく上手に通訳出来ていた、と仮定しましょう。

プロの通訳者でもないのに、なぜ上手に通訳出来たのか。
それは、以下の3点を兼ね備えていたからだと思います。



1.高いレベルの語学力・言葉力

2nd languageである英語はもちろん、母国語である日本語についてもある程度のレベルが必要になります。
単に「単語を知っている」というだけでなく、言葉を操る能力(Command of the language)が求められる。
「この人は何を言いたいのか」を理解し、「どう説明すれば、それがうまく伝わるか」を察知するのは、日本語力・英語力を超えた「言葉力」とでも言うべき能力で、それが無いと上手な通訳は出来ないと思います。



2.一定のIntelligence

上手に通訳をするためには、日本語と英語が両方上手であり、高い言葉力を持っている上に、一定のIntelligenceが必要だと思います。
ここでいうIntelligenceは、言葉力とかぶる部分もありますが、頭の回転の速さ、場の雰囲気や流れを読む力などを含む、より広い概念です。



上記1.と2.はつまり、「田中がすごい」ということです。
「ウチの田中でも通訳出来ちゃうんだから、通訳なんて簡単なんだな」
じゃなくて、
「田中がすごい」
ということです。

そして、次の3.が一番本質的な気がするんですが、



3.話されている内容に関する背景知識

これがあれば、話し手の言わんとすることを理解しやすいし、それを説明しやすい。
通訳の力がそれほど高くなくても通訳出来てしまう、という場合、背景知識が一番大きな要因ではないでしょうか。



上記3つの条件が揃えば、プロの通訳者でなくても、ある程度上手に通訳出来ることがあるだろうと思います。



---



では、プロの通訳者と田中の違いは何か。
順に考えていきます。



1.高いレベルの語学力・言葉力

通訳者は毎日毎日通訳をしているわけですから、田中以上のものを持っているでしょう。
でも、これは本質的な違いではありません。



2.一定のIntelligence

当然あると思います。



3.話されている内容に関する背景知識

特定分野の通訳を専門とする通訳者もいれば、様々な分野の通訳を幅広く手がける通訳者もいます。
前者はともかく、後者の場合、何らかの分野の専門家ではないことが多い。
唯一専門分野があるとすれば「通訳」であり、それ以外の分野については広く浅い知識を持っています。

一昨日は政治家のインタビュー、昨日は原発のシンポジウム、今日は医療、明日はIT、来週はIRと飛び回る通訳者の知識の広さには驚かされます。
ただ、日々特定の分野における業務に従事している専門家にかなわないのは当然です。

では、何をもって背景知識の不足を補うのか。
日々の案件に向けた予習はもちろんですが、それとは別の、本質的な要素は何か。



4.通訳の能力

1.で述べた語学力や言葉力も通訳力の一部ですが、ここで言っているのはそれとは別の、狭義の通訳力です。

・ 発言の内容を記憶する力。
・ 後から話を再現・再構成しやすいメモを取る力。
・ 場の雰囲気や聞き手の状況に合わせた訳し方の調整。
・ うまく訳せないときのごまかし方(笑)。
・ etc., etc.

こうした通訳力があるおかげで、自分の専門分野ではないテーマについても上手に訳せるのです。
「自分の専門分野であれば」という条件付きで上手に訳せる田中との一番の違いはここです。



---



この世から通訳者がいなくなると、一体どうなるか。

ある分野の会議で通訳が必要な場合、その分野の専門家であり、かつ語学力・言葉力が高く、一定のIntelligenceを持った人を見つけ、当日かり出さなければいけません。

これは貨幣の無い時代、物々交換の時代、漁師が肉を食べたいと思ったら、「ちょうど魚を食べたいと思っていた!」という狩人を見つけないといけなかった不便・高コストに似ています。

d0237270_22431645.jpg


通訳がいるおかげで、どの分野の会議でも安心して通訳者に任せ、いい結果を得ることが出来るわけです。

そう考えると通訳者は、経済における貨幣に相当する、とても重要な役割を担っている、といえます。



---



腕のいいプロ通訳者であれば、引き受けた仕事をきっと成功させるでしょう。
プロなんだから当然、といえばその通りなんですが、出来れば一言かけてほしい、とも思います。

上手だなあ・・・
すごいなあ・・・


と思ってくれたら、それを通訳者に伝えてほしい。

僕なんかは、たまに褒められるとすっかり舞い上がり、そのクライアントが大好きになってしまいます。
そして、もっとがんばろう、もっと上を目指そう、と強く思います。

「ありがたがられる」ことこそが一番の報酬だと思っている通訳者は多いのではないでしょうか。



(あ、そうそう。プロではないのに上手に通訳が出来た田中を褒めることも忘れずに!)
by dantanno | 2014-06-08 22:43 | 通訳 | Comments(0)

通訳における「事前情報」の是非

先日担当したIRロードショーの通訳のお仕事。
ある会社のマネジメントに同行し、海外で投資家周りをしました。



最初の国に着きました。
着いた翌朝、しょっぱなのミーティング。
10日以上に渡るロードショーの、初日の一番最初のミーティングです。

d0237270_1764061.jpg


ミーティングの直前、現地の担当者の方から

「この投資家は、質問に入る前の前置きが長いんですよ。
ですので、そこはうまくはしょるなり、前置きが長すぎるようであれば止めるなりしてください。」


と耳打ちされました。



大きな仕事の初日、しかも、朝一番のミーティングです。

僕なりに気持ちを高め、
(今回のロードショーを必ず成功させる。よし、行くぞ!!!)
的に盛り上がっていたところにこう言われ、ちょっとヘナヘナとしてしまいました。



また、ミーティング中、通訳をしている際もずっとこのことが気になります。

投資家の質問がちょっとでも長くなりそうな気配があると

(うわ、長くなりそう。どうしよう。。。
訳をはしょるか?
それとも投資家の前置きをさえぎり、Get to the pointさせるか?)


と考えていました。

その分、訳そのものに対する集中力が低下します。



フタを開けてみれば、投資家の前置きがそこまで長くなることはなく、僕もたまに少しはしょったりする程度で、後はフツーに訳しました。



---



現地の関係者の方は、ミーティングを成功させたいがために、僕にあのように言ってくれたわけです。
そういう意味で、目指しているものは僕と全く一緒で、On the same boatです。

また、通訳をする際に役立つアドバイスとして親切で言ってくれた、という側面もあるかもしれません。



でも、僕にとっては、それが大きなノイズになりました。

d0237270_17294626.jpg


「(通訳時の)集中力が低下した」と書きましたが、正確に言うと、脳のキャパの一部を「投資家の前置き」という問題に取られたため、「訳そのもの」に振り向けられるキャパが少し減った、という感じです。

通訳者が現場に行く途中に交通事故に遭遇していたり、その時期に家族と大ケンカ中だったり、「ああ、確定申告今日中にやらなきゃ・・・」と思っていたりすると、通訳に100%集中できないのと同じ理屈です。



もちろん、大元となる脳のキャパを増やしたり、そういったノイズをうまくコントロール・遮断し、どんなにノイズがうるさくても「通訳そのもの」に集中する、というのも大事だし、それは通訳者の能力の一面だと思います。

でも、出来ればノイズは少ない方がいい。



集中力の問題に加え、気勢を削がれたというのも大きい。

うおりゃーーー!!!!と思っていたところに、
「投資家の前置きが・・・」と耳打ちされたことにより、なんだかヘニャっちゃった感じ。



---



今回の経験を受けて、自分が通訳者に案件を紹介する際のやり方を振り返りました。

そのミーティングに参加する投資家を、以前、自分でも担当したことがあったりすると、

「Johnはこういう人です。
こういう質問をします。
こういうクセがあるので、そのときはこう対処するといいと思います。
お寿司が大好きなので、ランチは寿司屋に行きたがります(笑)。」


的な「アドバイス」をついついしたくなります。

d0237270_173083.jpg


そうした「アドバイス」をしたくなる根拠は何か。

そうした情報を知っておくことが通訳者にとって有用だろう、という思い(思い込み?)があります。

情報は、あるにこしたことは無い。
その情報を知ったところで、準備の仕方、あるいは本番での通訳の仕方に変化は無いかもしれないが、知っておくにこしたことは無いだろう、という考え方です。

でも、今回の経験を受けて、それが必ずしも通訳者のため、ひいてはミーティングの成功に役立たないこともある、と知りました。

こうした「アドバイス」が、一通訳者が感じた主観的な内容である、という問題点に加え、それが通訳者にとってノイズになることもあるんだなあ、と。

(寿司が好き、という程度であれば無害だと思いますが(笑)。)



ミーティング参加者がどういう人たちなのか。
通訳者である自分はどう立ち回るべきか。
訳し方をどう調整すべきか。

こういった機微については、一つの正解があるわけではありません。
通訳者一人一人が、その主観に基づき、ミーティング中の僅かな手がかりから判断していくしかないのかもしれません。

d0237270_17302094.jpg


---



実際、IRISの通訳者にも、ミーティング参加者についての事前情報を喜ばれなかったことがあります。



証券会社から「今回の投資家はちょっと気難しい方です・・・」と言われたので、それをそのまま通訳者に伝えたところ、

「そういう情報は伝えないでほしかった。ダンさんの所でフィルターをかけてほしい」

的な反応がありました。

当時は(そういうものなのか・・・)と、あまりよく分かりませんでしたが、今はその気持ちがよく分かります。



これからは、ミーティング参加者についての事前情報は、その情報の内容・主観度、ミーティングの性質、通訳者の性格など、よくよく多面的に考えた上で、通訳者に伝えたり伝えなかったりしようと思いました。



「求められたら言う」のもいいし、
「あくまでも自分はどう感じ、どう対処したか、という参考情報に過ぎない」と十分に前置きをした上で伝える、というのもいい。

あるいは、そもそも伝えないのもいい。
自分が信じた通訳者なんだから、その人自身の感性にすべてをゆだねてみるのもいいな、と思いました。
by dantanno | 2014-06-04 17:16 | 通訳 | Comments(0)

テーマは?オチは? (後編)

前編はこちら



「テーマは?オチは?」について、元は通訳との絡みで考え始めたわけですが、視点を通訳から拡げてみるとどうなるか。



例えば講演やプレゼンなどの「話」、および本やブログなどの「文章」、その両方について、発信する側は

・テーマ (何について話す/書くのか)
・オチ (要は何を言いたいのか)

事前にもっと明確にしてもいいのではないか。

講演・プレゼンであれば、本番の何日も前に。
本であれば帯で、ブログであればその冒頭で。



---



講演・プレゼン等を聞きに出掛けて行って、(思っていた内容と違った)と、ちょっとガッカリすることってありませんか?
あまり無い気もしますが(汗)、たまにありますよね。

あと、本その他何らかの文章を読んでいて、(要は何が言いたいんだろう。。。)が見えなくなることがあります。

特に英語の文章の場合。
日本語であれば、漢字が「絵」のように目に入ってくるので、文章を読まなくてもある程度意味というか、雰囲気をつかめる気がしますが、英語の文章の場合はそうは行きません。

In a brazen attempt to "bring home the bacon," meat producer Oscar Mayer has come up with an iPhone app that doubles as an alarm clock and gives off the sound and scent of sizzling slices of pig loin and belly.
Yes, that would be your bacon-wakin' wake-up call.
According to news reports, bacon lovers can set the alarm within the app, plug an attachment into the iPhone's headphone jack, then lie back and get a good night's sleep -- until, that is, the sizzling starts and the aroma of bacon wafts from the attachment and across their pillows.



ね?
ちゃんと読まないと、「朝、ベーコンを焼く音と香りでユーザーを起こすアプリが開発されました」という話だって分からないでしょ?

d0237270_974082.jpg



---



「テーマ」については、事前に明確になっていることが多いですね。
講演であれば演題、文章であればそのタイトルで。

でも、「オチ」が事前に明確に示されることはあまり無い。



「オチを事前に・・・」のイメージは、論文等でよくある、冒頭のExecutive Summaryです。

本編に入る前のExecutive Summaryで、
「この論文では、これこれこういう内容のことを論じます」
と要約・宣言してしまう、アレです。

Executive Summaryを見れば、その論文が自分の興味の対象かどうかが事前に分かりますが、それが無いと、論文を一通り読まないと果たして自分がその論文を読むべきか否かが分からない、という矛盾が生じます。



---



講演の前に、あるいは文章の冒頭に
「自分がこれからする話のオチは、要はこういうことです」
と開示してしまうのには、とても勇気がいります。



講演の場合、事前にオチを言ってしまうと出席者が減ってしまうのが心配です。

話を聞きに出掛けて行こうかと迷っていた人の中には、事前にオチを聞いて
(なーんだ、そういう話か。じゃあ、聞きに行かなくていいや)
という人もいるでしょう、きっと。

だからこそ、演題の「これからの日本経済」だけを事前に開示し、他は秘密にしておきたいものです。

僕だって、例えば講演やプレゼンをする際、テーマは明確にしつつも、オチは隠しておきたい、という気持ちがあります。
誰も話を聞きに来てくれないと困るし。



本についても同様。

書店で本を買う場合、
「誰々が、何々について書いた本」
という情報を元に、(一体どんなことが書いてあるんだろう・・・)を楽しみに買うこともあるでしょう。

それが、書店で平積みされている帯に「オチはこうです」と書いてあるのを見て、
(そっか。じゃあ、買わなくていいや)
という人もいるでしょう、きっと。



もちろん、お笑いや「金田一少年の事件簿」のように、最初にオチを開示してしまってはいけないジャンルもありますね。
ここでは、そういったジャンル以外について論じます。



---



聞き手・読み手の立場を考えると、テーマとオチの明確化はいいことです。
期待外れがなくなるから。

話し手・書き手が、当日の出席率や本の売上を上げるために事前情報を出さないのはよくない。
失望を先送りしているだけです。



---



「オチを先に言いたくない」理由は、参加者数/本の売上が落ちるかもしれないから、というだけではないと思います。
発表者としての自分を振り返って考えてみると、、、



自分でも分かっていない

「自分が何を言いたいのか」を自分で分かっていないなんて・・・、そんなことがあるのか?
と思うかもしれませんが、大いにあると思います。

人生においても、「自分は自分の生きたい通りに生きている」ような気がしながら、実は自分が本当に求めている人生はどういうものなのか、深く考えずに生きている人は多いと思います。



認めたくない

(たいしたオチは無い)とか、(自分に出来る話は所詮そのレベル)というのを認めたくない、という気持ちもあると思います。



---



テーマとオチをはっきりさせるメリットは大きい。

1. 振り回される聞き手・読み手を無くせる

2. 話し手・書き手自身のフォーカスを高められる

d0237270_9152762.jpg


僕のブログでも、ときどきテーマとオチを冒頭で明確にする練習をしていこうと思います。
by dantanno | 2014-03-07 09:15 | 通訳 | Comments(0)

テーマは?オチは? (前編)

<Introduction>

通訳を教える際、学生たちによく聞くこと。

テーマは?
オチは?




テーマ: 何についての発言か。
オチ : 要は何と言っているのか。


を聞いています。

いくつか例を見てみましょう。



<具体例①>

発言: 「カレー大好き!」

テーマ: カレー
オチ: 大好き!


といった感じです。



ほとんどの場合、テーマはいくつか存在し得ます。

カレー

以外にも、

私(発言者)の、カレーに対する思い

でもいいし、

好きな食べ物

もアリだと思います。



テーマ設定は、どこまで詳しく説明するかや、通訳者がその発言をどう解釈したか次第で変わります。



<具体例②>

発言: 日本経済は、長く続いたデフレをようやく脱しようとしている

テーマ: 日本経済
オチ: デフレが終わりつつある

とか。



テーマが複数存在しうるのと同様、オチもいろいろなものがあり得ます。



発言で使われた言葉に忠実に行こうとすると、

オチ: デフレが終わりつつある

とかがいいかもしれませんが、「要は何か」の度合いを高め、発言の本質に迫ると

デフレ→インフレに

とか、

(日本経済は)今後、いい感じ

でもOK。

直訳から意訳に近づく感じでしょうか。
どちらがいい/悪いという話ではなく、単に「いろいろなオチがありうる」ということかと思います。



---



<学生たちの反応>

話し手の発言を聞き終え、(さあ訳そう!)と意気込んでいる学生に対し、

D 「テーマは?オチは?」

と聞くと、学生は一瞬(え?)となることが多い。

そして、「ウーン・・・」と考えた上で答えてくれるわけですが、よくあるのが「オチ」を「テーマ」とする回答。



例えば上記でいくと、

発言: 日本経済は、長く続いたデフレをようやく脱しようとしている

を受けて、

D 「テーマは?」

学生 「デフレが終わろうとしている」

D 「いや、それはオチでしょ。そうじゃなくて、テーマは?」

というやり取りがよく生じます。

単に僕の聞き方、あるいは質問の意味の説明が不十分だからこうなるのかもしれませんが、もしかしたらもっと本質的な意味もあるかもしれません。



---

<なぜ、テーマとオチを考えるのが大事なのか>

その発言が何についてのものなのか

そして、

要は何と言っているのか

を考えた上で訳すのと、それをあまり考えずに訳すのとでは、大きな違いが出ると思います。



通訳者が、発言のテーマとオチを考え、自分なりの仮説をしっかり立てた上で訳すと、訳に背骨がシャンと通る気がします。

d0237270_345331.jpg


一方の、発言者が用いた言葉(の訳)をなんとなくダラダラと羅列しただけのクラゲ的な訳(No offence to jellyfish...)から、

d0237270_351915.jpg


一本筋の通った、聞き手にとって分かりやすい訳に進化する。



なぜそうなるのかというと、テーマとオチを考えるプロセスを経て、通訳者が話し手になり代わり、話し手の気持ちを代弁するようになるからだと思います。

テーマ: 自分は何について話しているのか
オチ: 自分はどう思うのか


ということですから、それをしっかりと考えるプロセスは、通訳者が話し手の心の中に入っていくプロセスに他ならない。

いい通訳は急がば回れで、そういったプロセスを経た訳と、そうでない訳とでは、段違いの差が出ます。



僕の講義期間が終わったら各学生の自由ですが、せめて僕の講義を受けている間は、訳す度にテーマとオチを考えるよう、学生たちに求めています。



(続く)
by dantanno | 2014-03-03 03:05 | 通訳 | Comments(0)

ダボスとつぼ八

<Executive Summary(当ブログ記事の要旨)>

先月のダボス会議での安倍首相の発言を訳す際、通訳者が使った文言が国際的な波紋を呼んでいます。
日本国内では、通訳者による「誤訳」あるいは「勝手な付け足し」とする批判も起きています。
それに対し、僕が「この通訳者は悪くない」と思う理由を以下で説明します。

目次
1. 本件に関する報道
2. 安倍さんの実際の発言と、その訳は?
3. 通訳に対する批判
4. なぜ僕が「通訳者は悪くない」と思うか
5. 再発防止策

本件の経緯と、その後起きている通訳批判を既にご存じの方は、4.からお読みください。



<1. 本件に関する報道>

Yomiuri Online
ダボス会議報道、安倍首相発言の力点を英紙誤解


Huffington Post
なぜ第一次世界大戦前の英独関係をめぐる安倍首相の発言が、海外メディアの反発を招いているのか


47 News
【ダボス会議の安倍首相発言】 日中のリスク印象付ける  「偶発的衝突」に懸念




<2. 安倍さんの実際の発言と、その訳は?>

Yomiuri Online(読売新聞)の記事によると、安倍さんの実際の発言は:
「日中間で軍事衝突が起きれば、両国にとって大変なダメージになる。
今年は第1次大戦(の勃発)から100年目。
英国とドイツは、戦争前に貿易で相互に関係が深かった。
日本と中国も今、非常に経済的な結びつきが強い。
だからこそ、そうならないよう事態をコントロールすることが大事だ」

だそうです。

一方、Huffington Postの記事によると、菅官房長官曰く、安倍さんの発言は以下の通り:
『今年は第一次世界大戦から100年を迎える年である。当時英独関係は大きな経済関係があったにも関わらず、第一次世界大戦に至ったという歴史的経緯があった。
ご質問のようなことが起こることは、日中双方にとり大きな損失であるのみならず、世界にとり大きな損失になる。このようなことにならないようにしなくてはならない。
中国の経済の発展に伴い、日中の経済関係が拡大している中で、日中間の問題があるときには、相互のコミュニケーションを緊密にすることが必要である。』




どちらが正しいのかよく分かりませんが、いずれにせよ、、、
これを訳す際、通訳者が
"I think we are in the similar situation."
という表現を使ったことが問題になっています。



<3. 通訳に対する批判>

この件に関する日本国内の反応を見ていると、通訳に対する批判が多く見受けられます。
また、通訳を民間委託していた政府(外務省?)に対する批判もなされています。



Blogos
通訳の凡ミスによって波紋広がった安倍首相発言~朝日スクープが事実なら外務省=日本政府の重大なミスだ

産経ニュース
英紙の安倍首相発言報道 通訳の補足説明で誤解!?


同じくBlogos
安倍総理のダボス会議での質疑が誤訳により真意をまげて世界に配信されたが、なんと通訳を民間の会社へ委託したとの事。議員から厳しい批判



「誤訳」、「ミス」と、散々な言われようです。



また、2ちゃんねるのような、一般の人たちが匿名でコメントを書き連ねるようなサイトでも批判が出ています。

上記「誤訳」、「ミス」に加え、多く見受けられたのは

「なんで首相が言っていないことを通訳者が勝手に付け加えているんだ」

といった批判でした。



<4. なぜ僕が「通訳者は悪くない」と思うか>

今回の通訳に対する批判を大きく2グループに分けると、

「誤訳」
「勝手な付け足し」


です。

それに対してまず思うのは、、、



これ、誤訳ですか??
勝手な付け足しですか??




上記2.で引用した「安倍さんが実際に発言した内容」ですが、読売新聞バージョンであれ、Huffington Post(菅官房長官)バージョンであれ、
「第一次世界大戦の頃の英独は、今の日中関係同様、非常に緊密な関係にあった。」
的なことを言っていると思います。

それを訳す際、
"I think we are in the similar situation."
といった表現を用いるのは、「誤訳」でもないし、「勝手な付け足し」でもないと思う。
(なぜ"a"ではなく"the"を用いるのか、というテクニカルな点は置いておいて。)



結果的に、海外のメディアが上記訳を材料に、
「安倍首相、今の日中関係を大戦当時の英独関係になぞらえる!」
と大きく取り上げ、それが国際的な波紋を起こしたのは事実です。

でも、安倍さんの発言がそういった趣旨に基づくものではないことは明らかで、(その訳の全体像が見えないので断言は出来ないのが残念ですが)よほど全体の意味を誤解しない限り、海外メディアが報じたような勘違いは起きないのではないか、と思います。

あくまでも推測ですが、海外メディアは、安倍さんの発言の意図が平和的なものであることは理解したものの、訳の中のワンフレーズに飛びつき、それをセンセーショナルに報道することによってニュースを「作った」のではないか。そんな気がします。

ただ、安倍さんの実際の発言内容と、その訳の全文を見定めないとなんとも言えません。



---



なんとも言えないわけですが、議論を進めるために、仮に、あくまでも仮に、今回通訳者が「誤訳」、あるいは「勝手な付け足し」をしていたとすればどうか、を考えてみます。



まず「誤訳」。

話し手が「1」と言ったのに、「2」と訳してしまう、そういうモロな誤訳は当然よくないので、そういう「誤訳」は置いておいて、ここでは
「話し手の意図はAなのに、通訳者の訳がA'だった」
というようなケースを取り上げます。

A ノットイコール A'
を指して「誤訳」と言うのであれば、まあ確かに誤訳です。

でも、これが通訳です。

通訳は、話し手の発言を機械的に置き換えていく単純作業ではありません。
通訳者によって手法は異なるので一概には言えませんが、おおざっぱに言うと通訳は、話し手の言葉を手がかりに「この人は一体何を言いたいのか、どういう気持ちなのか」を探りに行き、それを別の言語で表現し直す、という遠回りな作業です。

だから、通訳者が人間である以上、通訳者によって話し手の意図をどう解釈し、表現するかが異なるのは当然です。

ある作曲家の作品を弾く際、ピアニストによって解釈や弾き方が異なるのと一緒。



---



一方の「勝手な付け足し」はどうか。

通訳において、通訳者が自身の判断に基づき訳を「付け足す」ことは日常的に行われています。
これは「余計なこと」ではなく、逆に付加価値です。



例えば「つぼ八」。

d0237270_20281266.jpg


日本人が、外国人との会話の中で「つぼ八」と言ったのを訳す場合。
その外国人がよほどの日本通でない限り、"Tsubohachi"と言われても???となるでしょう。

そこで、通訳者が
Tsubohachi, a famous Izakaya chain in Japan
d0237270_20221742.jpg

と「勝手な付け足し」をすることにより、話し手の意図が聞き手に正確に伝わり、コミュニケーションの円滑化に役立ちます。
これは大きな付加価値です。
What's "Izakaya"???という新たな疑問が生まれる可能性も大ですが(笑)。それも付け足して説明すればいいんです(笑)。



ここではあえて単純な例を挙げましたが、もっと高度な通訳になればなるほど、こうした「付け足し」が行われ、それが威力を発揮します。

上記「誤訳」のところで触れた通り、通訳が単純な言葉の置き換えではなく、話し手の想いを別の言語で再表現するプロセスである以上、多少文言を付け加えた方がうまく伝わると判断して付け足したり、「これを訳すとかえって混乱するな・・・」と判断して逆に文言を削ったり、ということが付加価値として行われるわけです。



「そういう編集なんかせず、話し手が言った通りに訳してくれ」
と言われても、そもそもある言語を異言語に変えてしまうほどの大手術をしている中で「言った通りに」訳すなど物理的にあり得ません。

リンゴ → Apple
というレベルであれば確かにあり得ますが、我々通訳者が駆り出されるのはもっともっと高度な発言・会話を訳す必要があるときであり、そういった内容を訳す際、必ず通訳者の解釈を一旦通す必要が出てくるわけです。



---



一つ補足。
批判の中には、「外務省の職員が通訳すべき」というものも多く見受けられました。
これも微妙な問題だと思います。

確かに、首相のこういった内容の発言を訳すのであれば、歴史や外交に詳しい通訳者の方が、そうでない通訳者よりもベターなのは言うまでもありません。

でも、一番適任なのは
「背景知識が豊富な通訳者」
よりも
「通訳が上手な通訳者」
だと思います。

あとは、外務省内で「通訳が上手で、かつ歴史・外交に詳しい通訳者」を抱える必要があるのか無いのか、という話になり、これはいろいろな意見があってしかるべきだと思います。
ただ、民間の通訳会社に外注したことを指して「悪」とするのはやや短絡的な気がします。

皮肉な話ですが、安倍さんがどちらかというとタカ派の政治家であることや、安倍さんが中国という国をどう思っているかを正確に理解している通訳者が訳していたら、その訳は、今回よりもはるかに大きな波紋を国際社会に投げかけていた、そういう可能性だってあるわけです。
結果的にどちらがよかったかは微妙だと思います。



<5. 再発防止策>

・ 元の発言と、その訳の間で齟齬が生じた際のプロトコールを明確にしておく

通訳・翻訳という作業の性質上、どうしても
A ノットイコール A'
ということが発生します。通訳者がどんなに優秀であってもです。

なので、通訳者の訳を聞いて「え?」と思った場合、すぐに大騒ぎを始めてしまうのではなく、まずは元の発言を確認する。
元の発言も「え?」という内容であることが確認できた時点で初めて騒ぎ始めるようにすれば、無駄な騒ぎが無くてすみます。

・ 話し手は、もっとハッキリ意図を説明する

仮に今回誤訳、あるいは通訳者による付け足しに相当するものがあったのであれば、それは
話し手の発言に複数通りの解釈の余地が残っているから
でもあります。

一般的に、政治家の発言は玉虫色のものが多く、通訳者泣かせです。
玉虫色の発言を「ちゃんと」訳そうとすると、通訳者の解釈の出番がいつも以上に増えます。

・ 大事なトピックについて話すのであれば、事前に通訳者とブリーフィングをする

一国の首相が通訳者とブリーフィングなどしていられるか、という向きもあるかもしれませんが、大事な人が大事な話をするからこそ、自分の分身となる通訳者(=大事!)と事前に入念な認識合わせを行う必要があります。
今回、それが十分行われたのかどうか。

・ 火の無いところに煙は立たない

今回これほど大々的に「安倍首相、日中関係を第一次大戦当時の英独関係になぞらえる!」と海外メディアに取り上げられたのは(しかも、実際にはそういうニュアンスのことを言っていないにもかかわらず)、安倍さんがいかにもそういうことを言いそうだと海外メディアが思っているからでもある気が。
で、海外メディアがなぜそう思っているかというと、その背景にはこれまでの安倍さんの言動があるのではないか。

安倍さんのせいにしたいわけではありませんが、誤訳かどうか云々の問題以前に、通訳者一人に責任を押しつけるのはそもそも無理があります。



---



ダボスの通訳者に対する安易な批判は、それが「通訳という作業がいかに高付加価値であるかという事実に対する無知・無関心」に端を発している、という意味で、ダボスの通訳者一人ではなく、我々通訳者全員に対するものと考えるべきです。



そして、後輩として僭越ながら、今回ダボスで通訳を担当した通訳者に対して声を大にして言いたい。

今回、あなたの訳を「ちゃんと」批判するのであれば、以下の条件を全て満たす必要があると思います。
でも、今出ている批判の中で、以下を満たしている批判はきっと1つも無いと思う。

1. 安倍さんの発言と、その訳の正確な全文を手元に用意していること
2. 両者を見比べ、訳の正否を検証する能力を持っていること
3. 通訳、特に高付加価値な通訳が、非常に複雑なプロセスであることを理解していること




だから、今出ているような、こんな浅い批判など気にしなくていいと思います。
ぜひこれからも第一線でがんばってください!!
by dantanno | 2014-02-03 20:50 | 通訳 | Comments(0)