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カテゴリ:プレミアム通訳者への道( 39 )

通訳をする際の「自信」と「不安」のいいバランス

まずは、何はともあれこの3分の動画を観てもらえませんか、とてもいいから。




American Idolという、日本の「スター誕生」みたいな番組の一シーンです。
Joshua Ledetという若手/駆け出しの歌手が「イマジン」を歌っています。

ーーー

音楽は好きなものの歌とか演奏について全く造詣は深くない僕ですが、それでもこの人のこの歌は何度聴いても鳥肌がたちます。

で、なんでなのかな、なんで鳥肌がたつのかな、なにがそんなにすごいのかな、とずっと考えてきたんですが、行き着いた結論は、この人の歌は「いい通訳」に近いんじゃないか、自分の仕事と関係してるんじゃないか、だからグッとくるんじゃないか、という結論でした。

ーーー

何ごとも、自分に甘く、人に厳しくするのが好きです。
自分自身の通訳に対しては評価がとても甘い僕ですが(汗)、人様の通訳、特に「IRISに登録したい」と言ってくださる通訳者の通訳を聴くときは、厳しい外国人投資家、および日本企業の厳しいIR担当者の気持ちになってそれを聴こうとします。実際には厳しく聴く、というよりも楽しみに聴くわけですが。

時折「おおおおお」と感動する通訳を目の当たりにすることがあって、しかもそれがベテランとか大御所な通訳者ではなくごく一般的な、あるいはときにはまだ駆け出しの通訳者による通訳だったりして、その通訳の一体何がそんなに感動を呼び起こすのかな、と考えます。

ーーー

思い至った結論は、その通訳者の 自信(強さ) VS 不安(優しさ)のバランス なのかな、ということです。

ーーー

通訳は英語では"Interpreting"といい、文字通り解釈(Interpret)をする仕事です。
何を解釈するかというと、話し手が話す話の内容です。

話し手が何か言う。それを、「なるほど、きっとこういう意味だな」と解釈し、それを別言語で再表現するわけですが、訳し始めてしまう前に、まずは一旦網を広げる必要がある。



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「今の発言を、私はこういう意味だと思ったが、はたして本当にそうか。もしかしたら別の解釈もあり得るんじゃないか」と、なるべく解釈・理解の網を広げる必要があります。

解釈の網を広げる一方、表現の網も大きく広げます。「今のを説明するのに、この表現を使ったらどうか、それで聴き手に伝わるか、別の表現は無いか」と。

網を広げる上で大事になるのは(自分の解釈および表現ははたして正しいんだろうか・・)という不安であり、優しさだと思います。

ーーー

「こういう解釈もあり得る、ああいう表現もあり得る、etc. etc.」と網を広げきった上で、今度はその網を思いっきり狭めていかないといけない。いつまでも「こうかも、ああかも」と言ってたら訳せないから。

無限の可能性を思い浮かべた上で、「でも、今の発言はきっとこういう意味だ。よし、それをこう表現するぞ!」と、ハラを括って自分の解釈を観客(聴き手)に披露するしかない。

網を広げるときと対称的に、網を狭める上で大事になるのは自信です。表面的にではなく、根底で自分を好きである力です。

つまり、不安と自信が両方大事ということで、いい通訳者はこの自信(強さ)と不安(優しさ)のバランスが優れているんだろうと思うんです。

ちょっと余談になりますが、最近の自分はどうかと言うと、このバランスがやや崩れてしまっている気がします。
自信と不安の黄金比は8:2ぐらいかな、と思っています。9:1だと思い込みが強くなりすぎるし、6:4だと通訳がちょっと弱く、背骨の無い状態になりがちです。
最近の自分は自信:不安が7:3ぐらいで、ちょっと不安側に片寄ってしまっていると感じます。特にいけないのが、訳す際、聴き手ではなく話し手のことばかり意識してしまい、聴き手にちゃんと伝わっているかがおろそかになってしまう点です。これは、例えば企業の社長さん(日本人)の話を英語に訳す際、その社長さんが結構英語が分かる人だったりすると顕著に表れます。自分の英訳が、話し手である社長さんにどう伝わっているかばかり気にしてしまい、外国人投資家にどう聞こえているかはそっちのけになることがあるので、それは改めないといけないと反省しています。でも、それってある程度原文から逸れた訳をする、ということでもあり、かなり勇気がいるんですよね。。

ーーー

冒頭のJoshua Ledetの話に戻ります。

この人のパフォーマンスを観ていると、その軸の強さに心を打たれます。
音楽的に言えば、例えば歌唱力とかリズム感とかがきっとものすごいんでしょうし、確かにそれは間違いなくすごいんですが、僕が一番感銘を受けるのはこの人が自分のことが好きで、自分に自信があり、自分の解釈や表現に誇りを持ち、それを観客の前で披露する勇気を持っている、という点です。

でもその一方で、観客に対する配慮を忘れないし、そして何よりもジョン・レノンの原作に対するリスペクトを保ち続けている気がします。
原作を一度咀嚼し、それを自分なりに解釈し、観客に披露していると思うんです。
To break the rules, you must first master them的な考え方にも少しカブるでしょうか、カブらないでしょうか。

ーーー

通訳の仕事も全くそうで、話し手(原作者)に対するリスペクトを絶対的に保ち、その人の発言に「何も足さない、何も引かない」の原則を忠実に守りつつ、でもそこに自分の解釈、自分の色を出していくのが「いい通訳」なんじゃないかと思います。

通訳という仕事が言語と言語を飛びこえる仕事である以上、どうしても「そのまま機械的に訳す」ということは出来ないと思うんですよね。

リンゴ であれば Apple と機械的に訳すことも出来るでしょうが、"I love you"とか「出前一丁」とか"Just do it"とかになってくると途端に通訳者というフィルターを通して解釈する必要が生じてきて、それが(我々通訳者が日頃相手をしている)より長い発言になればなおさらです。

いい通訳者というのは、根底で自分のことが好きで、自分に対する自信をしっかりと保ちつつ、でもそんな自分を疑ったり、笑ったりする勇気を合わせ持った人のことをいうんだと思います。そしてそれこそが本当の意味で「自分に自信がある」ということの現れだと感じます。

自信と不安、強さと優しさ、プライドと謙虚さ、そうした通訳において必須のバランスに想いを馳せつつ、もう一度動画を観てみてほしいです。




何度観ても、やっぱり「いい通訳」を目の当たりにしたときと同じ感動を覚えます。
この人の目線、間の取り方、全てに強さと優しさの両方を感じます。この場にいた観客はなんと幸せだろう、と思います。

ーーー

いい通訳を通して観客(それは聴き手はもちろん、話し手も含む)を感動させることはきっと可能で、僕もJoshua Ledetのような通訳を目指し続けたいと強く思います。

by dantanno | 2017-07-11 23:44 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

アカパカーフィください!

脳研究者の池谷裕二氏が書いた本を読みました。

日本人が英語を話す際、例えばニューヨークのカフェでコーヒーを飲みたいとして、どうしても
”A cup of coffee”を
「ア・カップ・オブ・コーヒー」と言ってしまいがちなわけですが、それをね、もういっそのこと
「アカパカーフィ」って言っちゃえばいい、むしろその方が通じる!っていう本です、簡単に言うと。

著者自身が留学時代、大変な想いをした経験が本書の元になっていて、実におもしろい。

ーーー

アカパカーフィ以外にもいくつか例を紹介しますね。

I have to do my best.
× アイ・ハフ・トゥー・ドゥー・マイ・ベスト。
◎ アイハフタドゥマイベスッ。

Can you take our picture?
× キャン・ユー・テイク・アワ・ピクチャー?
◎ ケニュテイカワペクチョ?

I got it!
× アイ・ゴット・イット!
◎ アイガーレッ!

一事が万事、この調子。

ーーー

著者がこの本で言っていることは、別にそんなに「新しい」ことではありません。
昔、What time is it now? → 掘った芋いじるな?が流行った時期があったのを覚えている方もいるかもしれません。あれと同じ考え方ですよね。

でも著者が称賛に値するのは、そこに法則性を見出している、という点です。

単に「よく使う英語のフレーズをいくつか持って来て、それらを著者提唱の「カタカナ読み」つまりアカパカーフィ読みした場合どうなるか」を列挙しているだけでもおもしろいんだけど、それだけじゃないんですよ。その裏にある普遍的な法則をいくつか見出し、まとめている点がすばらしい。やっぱり頭いいんですね。

一見それぞれ個別に存在する現象の、その裏にある共通の法則性を見出す、というプロセスは、我々通訳者が行う「ことばの抽象化・概念化」と似ていて、それが上手に出来る人に憧れを感じます。会議の場で、ある人が話した内容が一見○△×と個別バラバラだとしても、それらに共通する点や、それらが向かっている方向を察知し「要はこういうことですよね」を瞬時に見抜き、それを訳の背骨に位置付けた上で訳の構成を考えられる通訳者がたまにいて、そういう通訳を聞いているとすごく意思を感じるし、会議参加者にとってもありがたい存在だろうなあ、と思います。話が逸れました。

ーーー

この本を読んで、僕の感情は
1.(笑)
2.驚き
3.怒り
と三段階で推移しました。

1.最初のリアクションは爆笑でした。著者提唱のカタカナ英語(すなわちアカパカーフィ)がいちいちおかしくて、笑いっぱなし。

2.次に来たのが「でも、確かにアカパカーフィの方が通じる!」という驚きです。実際、この本に書いてあるいろいろなフレーズを口にし、自分の中のスイッチを「外国人」側にして聞いてみると、確かにそっちの方が分かりやすい、というものばかりなんです。

3.怒り。なんで日本の学校では「ア・カップ・オブ・コーヒー」と発音するように教えるんだ!。
言い方を変えると、なんで"A cup of coffee"という英語を(実際の発音方法とかけ離れた)「ア・カップ・オブ・コーヒー」というカタカナに落とし込もう、と決めたのか!

ーーー

この本が指摘しているのは、ローマ字表記の弊害なんですよね、要するに。

Coffeeという英語をカタカナにする際、2つやり方があって、

1.「カーフィ」: 外国人がCoffeeと言う際、実際にどのような発音をしているかを聞き、それを一番近いカタカナに落とし込む方法

2.「コーヒー」: 本場の外国人がCoffeeをどのように発音しているかなんてどうだっていいから、Coffeeという表記を、ローマ字表記のルールに従ってカタカナに落とし込む方法

どう考えても1.の方がいいのに決まってるのに、なんで2.のやり方でやってるんですかね。100年ぐらい前にどこかの会議室で専門家のおじいちゃんたちが決めたルールなんでしょうが、なんでそんなヘンなルールにしたのかをあれこれ考えていてもしょうがないので、この本に書いてある法則に従い、一刻も早く「カーフィ」的な発音に移行した方がいいと思います、日本の人たちは。

実際、日本企業のマネジメントの方々と一緒にIRで海外に行って、その人たちがレストランでがんばって自分で英語で注文するケースもあるんですよ。いいな、すばらしいな、と思って眺めていると、せっかくちゃんと「コーヒー」とか言ってるのに店員さんが???みたいになることが結構あって、これってやっぱり(英語から)カタカナへの落とし込み方がおかしいんだろうなあ、、、と漠然と感じていたところに本書に行き当たったものですから、非常にうれしかった。

ーーー

本書後半の、
バイリンガルの人の頭の中がどうなっているかとか、
日本人の英語下手は関税以上の効果がある、とか、
ことばは外的やり取りだけでなく「内的思考のツールでもある」、
といったセクションも非常に興味深い。

ことばに興味ある人におすすめです。

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by dantanno | 2016-11-21 01:16 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

滝行通訳

先日、一風変わった同時通訳案件を担当しました。IRISの通訳者と2名体制で。

その会社のマネジメントの方々が行うプレゼンを英語に同時通訳したんですが、おもしろいことに、プレゼンが行われているその間は誰も我々の同時通訳を聞いていないんです。係りの人たちが録音をしているだけ。

で、どうするかというと、プレゼン終了後別室に行き、関係者みんなで

1.マネジメントのプレゼン(日本語)と
2.我々の同時通訳の録音(英語)

を聞き比べ、
「社長が言ってる**の箇所が抜けてるよね」とか
**って訳してるけど、ちょっとニュアンス違うかな〜」
みたいに指摘いただいたり、ときには通訳者が自分で
「**の箇所は訳が違いますね、すみません」
みたいに指摘し合う。

で、そこで出た指摘に基づき該当箇所の通訳を録音し直して、それを編集した音声がファイナル版の通訳としてその会社のWebページにアップされる、という案件でした。

ーーー

ややこしいのでプロセスを整理すると、

1.プレゼン本番を英語に同時通訳
2.プレゼン(日本語)と通訳(英語)をみんなで聞き比べ → 修正すべき箇所を指摘
3.その指摘に基づき、通訳し直す。通訳し直した音声を再度録音
4.3.で録音した音声を、元々の同時通訳に上書きし、係りの人が編集
5.編集後の通訳(ファイナル版)をWebにアップ

聞き比べの際に部屋にいる「関係者」は、プレゼンを行った会社の社員の方々と、音声の収録を担当する技術の方々。

ーーー

そういうエグい案件であることは元々分かっていたので、せめて自分がより難しいパートを取ろうと立候補しました。でもフタを開けてみると実は逆で、僕が取った方がラクなパート、もう一人のIRIS通訳者がやってくれたパートの方が難しく、申し訳ないことをしたと反省。。。

でも、難しいパートを担当してくれたからこそ、その通訳者の通訳がすばらしいことを改めて確認出来ました。

ーーー

そしてもう一つ意外な収穫だったのは、収録を伴う通訳案件としてこうした形式もアリで、これはこれでなかなか優れていることを実感出来たことです。

日本企業による発表(例えば決算説明会)の通訳を収録する場合、よくあるやり方は事前に日本語の読み原稿が通訳者に渡され、事前に翻訳した英文を発表当日に通訳者が読み上げ、それを収録する、というもの。
この方法だと、訳の正確性は担保されますが、デメリットとして、訳のライブ感が無くなることや、翻訳をしてくれる通訳者を見つけないといけない、という点があります。まあ翻訳者の方にお願いする、という手もあるのでしょうが。

一方、本番で話される日本語をぶっつけ本番で英語に同時通訳し、それをそのままWebに載せてしまう方法だと、スピードとライブ感は抜群ですが、同時通訳ゆえ、どうしても訳の正確性は落ちます。

でも、一旦同時通訳をした上で修正したい箇所だけを後から上書き修正する方式だと、後述するように通訳者が針のむしろ状態になる、という欠点はあるものの、スピード、ライブ感、そして訳の正確性のバランスがとてもよく保たれると思いました。

ーーー

多くの通訳者が同意してくれるだろうと思うんですが、自分の通訳を録音して後から自分で聞くことは、多大な心理的苦痛(笑)を伴います。いい例えが思い付きませんが、例えばタレントの人が後日自分の出演番組を見返すときのようなものなんでしょうか、分かりません。芸人にとって、自分がスベってるシーンを見返すようなもの?苦痛です。

一人で聞き返すだけでもイヤなのに、それを関係者全員が精一杯耳をこらし、間違いを見つけ指摘する、、、なんて想像しただけでもつらいです。針のむしろ(bed of nails/thorns)です。でも、それをやることで、とてもいい刺激を受けました。


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自分の通訳を改めて冷徹に分析する機会を得て、いいところと悪いところが浮かび上がった気がします。

通訳者になりたての頃はボイスレコーダーを駆使し、こうした心理的苦痛を伴う通訳トレーニングをずいぶんしていたような気がするし、それがとても役に立った記憶があります。

その後何年も経ち、なんとなく仕事に慣れてきて、(少なくとも表面上は)案件が火を噴くことも無く、火消しの必要も感じない日々を送っていると、どうしてもComplacentになりがちです。こんな感じでいっか、と思いがちです。

そんな自己満足しがちな自分に冷や水を浴びせかけるとともに、高い料金を取って通訳しているわけだから、「後から聞き返すのは恥ずかしい」などと言ってられないなと痛感させられる、とても厳しくかつすがすがしい通訳案件でした。



by dantanno | 2016-10-24 23:10 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

サイマルのインターネット講座で「ノートテイキング」を学ぶ

サイマル・アカデミーのインターネット講座で、谷山 有花さんの「通訳のためのノート・テイキング」を受講した。

自分のノート・テイキング(以下「メモ取り」)は、やり方が既にある程度確立されている。特にIR通訳に関しては。
「確立されている」というと聞こえはいいが、悪く言えば「固まってしまっている」ということでもある。それをぶち壊すことで、文字通りブレイクスルー出来るのではないか、というのが今回この講座を受講した動機である。
自分以外の通訳者(谷山さん)がメモ取りについてどのように考え、実際どのようにメモを取っているのか、を学びたかった。また、通訳を教えている者として、他の方の指導法を参考にし、そこから学びたい、という動機もあった。

ーーー

受講してよかった。以下、感想をいくつか。

<いいショートカット>
メモ取りについての、講師役の通訳者による単なる好みの押しつけではなく、このような理論に基づく体系だった指導は、全ての通訳者が初期段階で経るべきだと思う。自分の場合、通訳学校に途中から編入(?)したこともあり、そういうプロセスが抜けてしまっている。

自分が今の時点で受講してもためになったが、駆け出しの頃に受講していたらもっとよかったと思う。メモ取りについてはいろいろ試行錯誤しながら自己流で確立して来た。キャリアの初期の段階でこのような講座を受けていれば、もう少しショートカット出来ただろう。

ショートカットには「いいショートカット」と「悪いショートカット」があると思う。

いいショートカット: 「包丁は危ないから、もう少しお兄ちゃんになるまで触らないようにね。」
悪いショートカット: 「この問題の答えは○○だよ。あ、まだ解いてる途中だった?ゴメン、ゴメン(笑)。」

メモ取りについてのこうした指導は、いいショートカットだと思う。

<絵の多用がすばらしい>
講義では、例えば「話す」というメモを取るときに口の絵を描いたり、「〜と聞いた」をメモするときは耳の絵を描いたり、というように絵が多用されていた。この辺は、もしかしたら女性ならではのセンスなのだろうか。自分からはあまり出ない、いい発想だと感じた。
これは、自分のメモでも取り入れる余地が大きい。さっそく明日の逐次トレーニングの際、絵を使ってメモることを自分に強制してみて、どのような結果になるのか試してみたい。

<ロジックの取り方も参考に>
自分は、例えば「前年比3%増」という発言を「LY比+3%」とメモっている。
一方、講義での参考例は「+3%/前」みたいな感じだった。そっちの方がいいな、と思った。
コンパクトであることに加え、英語の順番になっているから。自分のメモだと、仮にそのままの順番で訳すと
"last year compared to up 3%"
と意味不明になってしまうので、訳す際に順番を入れ替える必要がある。でも、講義の参考例であれば、そのまま訳してしまっても
"up 3% from last year"
と、そのまま訳として使える。下ごしらえが自分よりも一歩進んでいる、いいメモだと思った。

<「メモは縦方向に取る」という原則・・・>
講義の中で谷山さんは、「ノート・テイキングの方法は、講師のやり方が唯一の正解というわけではない。最終的には、各通訳者が自分で考え、自分のやり方を確立していくべきだ」的なことをおっしゃっている。まさにそうだと思う。

その前提があった上で、講義の中で何度も「メモは縦方向に取る」というメッセージが登場する。これは、この講義に限ったことではなく、あらゆる場面で唱えられている「通訳の原則」であり、常識である。自分も、通訳学校で、そしてそれ以外の場面(本など)で何度も繰り返し「メモは縦に取る」と教わり、実際メモを縦に取って来た。

でも、最近は横に取ることも多い。2色で。
青で横にバーッと取り、次の発言は赤でその右側に取っていく。紙の端まで行ったら折り返し、次の行に行く、という感じ。

(色を変えることにあまり深い意味は無いが、これから訳す箇所と既に訳し終えた箇所との区別を付けやすくするためにやっている。1色だけでメモを取ると、訳し終えた箇所のメモをシャーっと消す必要が生じるが、その時間と労力を「戦略的な訳」に振り向けたい。)

もしメモを「縦方向に取る」べきなのであれば、他の取り方(例えば横とか、斜め(?)とか、それ以外の方法)に対し、縦方向のメモが何らかの面で具体的・客観的に優れている必要がある。そうでなければ、「縦でなくてもいい」という指導になるはずだから。でも、少なくとも自分は今まで、「縦方向以外に、どのような取り方があるのか」、そして「それらの各方法と比べ、なぜ縦方向が優れているのか。他はどのような面で劣っているのか」について、教わった記憶は無い。

「メモは縦」の根拠でよく言われるのが「話の展開や、論理の流れを分かりやすく/見やすくするため」という点がある。でも、完全にランダムにあっちこっちにメモってしまうのであれば別だが、例えば「横向き」のメモであっても、話の流れを分かりやすく追うことは出来る。目をスクロールさせる向きが異なるだけのような気もする。

恥ずかしながら自分は、海外の大学院等で通訳を学んだり、外国人の通訳者と接する機会がそれほど多くないので分からないのだが、「メモは縦に」は世界共通なのか、あるいは日本人通訳者特有の話なのか?
日本では文字を縦に読むことに慣れているから、通訳時のメモも縦に取った方が「目で追いやすい」のだろうか。それに対し、例えば欧米の文化であれば、目は縦ではなく「左から右」に動くことに慣れている、という違いがあるのだろうか。今度、内外の通訳者に聞いてみよう。

話を自分に戻すと、メモを横に取ることもあれば、初期の頃のように縦に取ることもある。
でも、一番多いのは、「四角に取る」パターン。

縦でも横でもなく、「縦 X 横 = 四角」に取る。面で取る、という言い方も出来るだろう。
「いい通訳」は、言葉に囚われずに「メッセージ」を訳すことである、という観点からすると、メモを縦でも横でもなく四角に取り、一つのメッセージを一つの「絵」、あるいはパワポのスライドのようなものとして捉える、というのはおもしろい方法だと思っていて、目下多用している。

メモを縦(横でもいいけど)に取る問題点は、一番上の箇所を訳しているとき、「先が見えにくい」という点にあると思う。もちろん目を大きくスクロールして一番下まで行けば「見える」わけだが、本番中、余裕があまり無い状態の中、それを毎回やるのはなかなか難しい。だからこそ、メモを縦に長く取ると、結果的に編集作業があまり行われず、メモの一番上からそのまま順番に訳していくことになりやすい。それ以外の訳し方が難しいからだ。

定量的/客観的に分析したことはないが、通訳学校で「正統派」の通訳教育を何年にも渡って受けてきた通訳者ほど、メモの一番上から順に、悪く言えば機械的に、訳していく傾向があるかもしれない。
それに対し、メモを縦にではなく四角に取ると、全体を一つの絵として把握しやすくなる。そして、発言のロジックの各アイテムがひとまとまりに近寄っていれば、起承転結も把握しやすくなり、自分が好む「戦略的な訳」がしやすくなる。

最近、自分が特によくやるのが、メモを大まかに4つのブロックに分けること。左上、左下、右上、右下と、大きく4象限に分け、それぞれのブロックの間の関係を考えながら訳を構築すると、やりやすい。(例: 左上の部分はイントロダクション、左下の部分が問題提起。右上が裏付けとなるデータで、右下がオチ、みたいな感じ。)

縦、横、四角、その他の方法。。。この辺は好みの問題でもあるだろう。冒頭の「メモ取りに唯一の正解無し」の通りだ。

いずれにせよ、メモは(必ずしも)縦に取らなくてもいい、というのが今のところの自分の実感である。もちろん、どの先生も「縦に取れ」と押しつけてはいない。「メモは縦に」という点に限らずだが、谷山さんのように「自分の指導内容が唯一の正解ではない」とわざわざ前置きしてくれている先生も多いし、仮にその前置きをしていなくても、それは前置きを省略しているだけで、通訳を教える人はほぼ全員そういうつもりで教えている。
そういう大前提があるのはよく分かる。でもそれにしても、どこを向いても「メモは縦」の大合唱の中、駆け出しの通訳者は他のメモ取り方法を試すどころか、それが存在することに気付くのも難しいだろうな、ということで、ちょっと一石を投じさせてもらいました。

by dantanno | 2016-02-09 00:15 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

もし同時通訳が好きなのであれば、それを前面に出してもいいと思う

今まで、いろいろな同時通訳案件を、いろいろな通訳者と組んでおこなってきた。

IRISの通訳者と組んだこともある。一方、他のエージェントから派遣された通訳者と組むことも多く、今日はそれについて書く。

<通訳の分担決め>
ペアで行うことが多い同時通訳においては、通訳をどのように分担するかを決める必要がある。分担は、事前に通訳エージェント等が決めておいてくれることもあるし、その場で通訳者間で決めることもある。決め方は、例えば「15分交替」といったように時間に基づいて決めることもあるし、スピーチが原稿に基づいて行われる場合、原稿の分量(最初の何ページ分を通訳者1が、残りを通訳者2が、など)で決めることもある。

その日組む通訳者と対面し、挨拶を終えた後、相手から
「分担を決めていただけますか?」
と言われることが多い。僕が昔社員をしていた証券会社の仕事のときなど、特にそうだ。

「分担を決めていただけますか?」
の後に
「なるべく多くやってください。」
と言われることがある。今まで数多く同時通訳をして来たが、その内の、恐らく半分以上の案件でこう言われてきた。中には
「なんだったら全部やってもらっても構わないんですけど(笑)。」
のように言われることもある(笑)。

言われるタイミングは、ブースの中で相手の通訳者と二人きりの時もあるし、クライアントを交えた事前打ち合わせの際に言われることもある。

これを言われるとなんだかちょっと萎えるというのが今日のブログ記事のテーマ。

ーーー

まず、相手の通訳者が何を考え、どういう思いでこれを僕に言っているのか、を考える。

<本気?冗談?>
本気で言っていることもあるだろう。
冗談で言っていることもあるだろう。
多分、本気と冗談が入り交じっている場合が多いのではないか。

<上から/下から>
「私の方が上(?)なんだから、あなたが多めにやって、より多く汗をかきなさいよ」という意味なのか。「私はあまり疲れたくないのよ」とか、「午後の案件に向けて、スタミナを温存しておきたいのよ」ということなのか。こういうこともあるにはあるだろうが、多分、ほとんど無いと思う。

「私の方が下(?)なので、(上である)あなたが多めにやってください」という意味なのか。上記証券会社の仕事の場合など、相手の通訳者の方が謙遜/遠慮し、このように下手に出てくださっていることもあるだろう。僕が知らないだけで、もしかしたら通訳学校などで「同時通訳の際、相手通訳者に対する礼儀として「多めにやってください」と言いなさい」と教わるのかもしれない。そんなことはないか。

ーーー

どのような考えや思いがあるかにかかわらず、
「あなたがなるべく多くやってください」
というのは、良くて中立的、ともすれば周囲に対しネガティブなメッセージとして伝わると思う。その言葉を額面通りに受け取れば、「自分はなるべくやりたくない」という意味にも取れてしまうから。

同時通訳の現場に来ている通訳者は、同時通訳を含む「通訳」という仕事がきっと好きなはずだ。だとしたら、それと正反対の印象を残しかねないメッセージを、特にクライアントの前で発するのはもったいない。

ーーー

同時通訳の分担の話から少し離れ、もっと広く「通訳」全般について考える。

他の業界の方からすると信じられないかもしれないが、「通訳がイヤでイヤでしょうがない」という空気をまき散らしながら日々活動している通訳者もいる。


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その対極には「通訳が大好き」というポジティブな雰囲気をいつも醸し出している通訳者もいて、その差は一目瞭然だ。通訳ブース内の雰囲気も、組む相手の通訳者次第で極寒のシベリアからうららかなお花畑ぐらいの振れ幅を行ったり来たりする。

もし本当に通訳がイヤなのであれば、受ける案件の種類とか、仕事の受け方とか、自分の実力とか、レートとか、何かを根本的に見直すのがいいと思うし、そうすれば楽しめるようになる可能性が高いと思う。そして、中には本当に通訳に向いていない人もいるだろう。僕が商社マンに向いていなかったのと同様に。であれば、早く他の道を追及した方がハッピーになれると思う。

一方、実は通訳が好きなのであれば(そうであることを切に願う)、その「好きな気持ち」をもっとストレートに出してしまってもいいと思う。

ーーー

<プロ意識の現れ?>
イヤそうに、、、  より適切な表現もあるのかもしれないが、他の形容のしようが今は思い付かないので引き続きこの表現を使う。イヤそうに通訳している通訳者の中には、
「自分はプロなんだ」
という自負・意識が強い人もいるのではないかと思う。プロなんだから、仕事を紹介されたときに喜びを見せるのはおかしいし、本番中も務めてプロフェッショナリーに粛々と物事を進めようとしているのかもしれない。案件終了後も、「楽しかった」「ありがたい」「ぜひまたやってみたい」といった浮かれたところを見せるのを自制しているのかもしれない。こうした職人気質は、それはそれで理解出来るし、尊重するべきなのも分かる。だから、今後尊重するようにする。

でも、自分の仕事を好きである人こそ「プロフェッショナル」である、という見方もきっと出来て、このような考え方に基づき我々通訳者を評価しているクライアントや通訳エージェントもいるだろう。それを考えると、通訳に関する我々の言動が周囲(特にクライアント)にどう映っているかを意識し、通訳が好きなのであれば時折その一端を覗かせたり、少なくともその逆の印象を与えないようにするということは、プロ意識の高い通訳者こそやるべきことであるとも言える。

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by dantanno | 2016-01-06 13:00 | プレミアム通訳者への道 | Comments(1)

したいのか、したくないのか

翻訳をするため、カフェに。

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作業の合間にボーッとしていると、店員さんが、テイクアウトのお客さんに対し
「お飲み物、袋に入れてもよろしいでしょうか?」
と聞いているのが耳に入る。

その後、クライアントに翻訳対象箇所を確認するメールを出す際、
「**の部分も翻訳するんでしょうか?」
と書きかけ、やっぱりやめて、
「**の部分も翻訳してよろしいでしょうか。」
にしてみた。

by dantanno | 2015-12-17 11:39 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

タイピングと通訳・翻訳の関係

キーボードを打つのが大好きです。



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僕、通訳以外に翻訳もちょいちょいやっているんですが、翻訳をするその動機がなんなのかを考えてみたら、


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なんでそんなにキーボードを打つのが好きなのか。

ボタンを押すのが好きだからだとずっと思っていました。

子供@エレベーター同様、確かにボタンを押すのは好きです。


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でも最近、もう一つキーボード好きの理由があるような気がしてきました。それは、、、

「ミスの無い入力を目指すゲーム」が楽しい

からではないか。



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先日書記通訳をやりました。
その際、タイプ時のスピードと正確性のバランスについて、強く考えさせられました。

早く打つと、ミスが多い。
ミスをしないようにすると、タイプする速度が遅くなる。


当たり前の話ですが、両者間のバランスをどう取るのがいいのか。
また、仮にこれからタイプを学び、練習する人がいるとして、最初はどっちを重視した方がいいのか。



1. とにかくまずはミスが多くてもいいからスピードを重視し、早く打てるようになったら徐々にミスを無くしていく

2. 最初はゆっくりでもいいから、なるべくミスが無いように入力をする。慣れるにつれて、徐々にスピードを上げていく




スキーで言えば、

1. 最初は転んでもいいからとにかくガンガン滑って、徐々に転ばないように/うまく滑れるようにしていく

2. とにかく最初から絶対に転ばないように慎重に滑って、徐々に早く滑れるようにしていく


なんとなく1.の方がいいような気がするけど、タイピングの場合は?



どっちのアプローチがいいのか分かりませんが、僕はずっと2.のやり方で来ています。
タイプにおけるミスは、要するに無駄ですから、極力ミスが無いように心がけ、その上で徐々にスピードを上げるようにしています。

まあ、多くの人がこの2.のアプローチかもしれないですね。
だって、1.のアプローチを取ると

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タイプにおいては、スキーと違い、一度おかしてしまったミスを直せる
そして、ミスを直してる時間を加算すると、結局最初からゆっくり正確に打った方がよかった、ということになるでしょう。



そして、冒頭の話に戻りますが、このミスが無いように入力するプロセスが、まるで一種のゲームのようで、とても楽しいんだと思います、自分にとって。



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タイプ時のスピードと正確性(=ミスの少なさ)のトレードオフの問題は、
通訳と翻訳の違いとも多少共通するのではないか。



翻訳は、締め切りさえ守れれば、ゆっくり考えながら取り組める。
「今の自分には、これ以上うまく訳せません」というところまで訳を練り上げることが出来る(出来てしまう)。

「今の自分には・・・」というところがネックで、人間は完璧ではない以上、「今の自分」が訳した結果も当然完璧ではなく、100点など取れないわけですが、「これが今の自分の自己ベストです(そうでなければまだ納品出来ないはず)」ということを考えると、「100点」と言えなくもない。

翻訳者の一生は、駆け出しの頃は時間をかけてまあまあの訳をしていたのが、ウデが上がるにつれすばらしい翻訳が出来るようになり、かつかかる時間も徐々に短くなっていく、という感じでしょうか。



一方で通訳は、すぐに何かしら出さないといけない。

記者会見で首相が話した後、3分待っていい訳が出てきたのでは時既に遅く、首相が話し終わったらすぐに訳を出さないといけない。

同時通訳の場合はなおさらです。



「すぐに出さないといけない」分、訳の正確性はおろそかにならざるを得ない。

「こんにちは」 であればすぐに"Hello"と訳し、100点を取れるかもしれませんが、

Mandelaさんが 
"We have waited too long for our freedom! We can no longer wait.
Now is the time to intensify the struggle on all fronts.
To relax our efforts now would be a mistake which generations to come will not be able to forgive.
The sight of freedom looming on the horizon should encourage us to redouble our efforts.
It is only through disciplined mass action that our victory can be assured."


と発言したのを
「ハイ、今すぐに訳して!」
と言われて、100点を取れるわけがない。

だからこそ、プロセスとしては、駆け出しの頃は20-30点ぐらいしか取れないのを徐々に点数を上げていき、(通訳者によってその基準は異なるでしょうが)及第点を取れるようになったら現場に出始めてOKで、あとはキャリアが続く限り訳を100点に近づける努力をする、というのが通訳者の一生だと思います。
訳の質はどんどん上がっていきますが、訳を出すスピードは常にすぐにです。



そう考えると、通訳というのは
「ある程度のミスを承知で、とにかくハイ・スピード!そして、そのハイ・スピードを維持しつつ、徐々にミスを減らしていく」
プロセスであるのに対し、翻訳は
「ゆっくりでいいから、とにかくミスが無いように。そして、ノーミスを守りつつ、徐々にスピードを上げられるのであれば上げていく」
というプロセスなのかな、と。

で、ミスの無い入力を目指すのが好きな僕が、翻訳をある程度やりつつ、軸足はあくまでも「不完全な訳をすぐに出す」ことを求められ続ける通訳に置いているのがなんかおもしろいな、と思いました。



訳者によって、通訳が好きな人、翻訳が好きな人、両方好きな人、いろいろいます。
なぜそう分かれるのかについてよく話題になります。
「人と接するのが好きな人」は通訳が好きだったり、本や文章が好きな人は翻訳が好きだったりもするでしょうが、「スピード重視(不完全でもいいから)」が肌に合う人と、「クオリティ重視(遅くてもいいから)」が肌に合う人、という面でも好みが分かれるのかな、と思いました。
by dantanno | 2014-12-16 17:39 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

The Great Gatsbyの村上春樹訳に挑戦

出張に持っていくのを原書にするか訳書にするか相当迷ったあげく、まだちょっとピンと来ない原書を棚に戻し、訳書をスーツケースに入れた。


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出張先で読み始めたが、訳書の本編よりも、村上春樹さんが書いたあとがき「翻訳者として、小説家として ー 訳者あとがき」の方が5億倍おもしろい、今のところ。
本編は読むの超めんどくさいけど、訳者あとがきはページ数が少ないのがくやしい。



訳書あとがきの中に、
「フィッツジェラルドの文章世界には、思い切って懐に飛び込んでいかないことにはその核心を摑みきれないところがある。」
とあって、きっとそうなんだろうなあ、、、と思った。
だから僕はまだ原書を、そして訳書も、十分楽しめていない。

ウォルデンの「森の生活」もそうなのかな。
あれについても、原書がわけ分からないため、とりあえず訳書から読むことにしたのを思い出す。



ーーー



小説について、僕はまだいまひとつ理解出来ていない点がある。

仮に「A」というメッセージを伝えたい場合、なぜわざわざ小説を書き、小説を通してそのメッセージを伝えるのか。
小説を経由せず、シンプルに、そのまま、「A」と言えばいいじゃないか、と思ってしまっているところがある。

実際には、小説というメディアを通した方がいいんだろう。
あるいは、これはいい・悪いの話ではなく、作者としては小説を通さざるを得なくて、だからこそ書かざるを得ないからこそ小説を書いているんだろう。

本業にそれほど情熱を感じられていないサラリーマンが物書きに興味を持ち、「空いた時間に何か書いてみるか・・・」というのでは、きっといい小説は生まれない。
無職でもサラリーマンでもいいけど、やむにやまれず、書かざるを得なくて書く小説がいい小説になるポテンシャルを持っているんだと思う。



ーーー



もう一つの疑問は、「そんなに優秀で賢いのであれば、なぜ分かりやすく書けないのか」ということ。
これは小説に限らず。



昔、誰かが、、、確か小説以外の物書きだったと思うけど、
I have no tolerance/sympathy for the lazy/incompetent reader
みたいなことを言っていて、ふーん、そうなのか、と思った記憶がある。
僕の解釈を交え、「怠惰/無能な読者のためにわざわざ自分の文章を分かりやすくしてあげるための労力を費やすつもりはない」みたいな意味に感じたし、きっとそういうものなんだろう、と思った。



一方、、、
僕のブログでは、伝えたいメッセージをなるべく分かりやすく伝えようとしている。
いい例えがあればそれをあげるし、イメージ画像を活用できればそうする。
投稿する前に何度も何度も推敲し、どうすれば具体的にイメージしやすいか、どうすればより伝わるかを考える。
一度書いた記事を数ヶ月後に読み返し、分かりにくい箇所があるととてもくやしい。

でも、これは小説に限らずだけど、名作とされるものの中には難解で分かりにくいものが多い。
それにはちゃんと理由があるのは分かってるんだけど、それが何なのかが僕にはまだ分かっていない。
一体なぜ「カラマーゾフの兄弟」は難解にならざるを得ないのか。

例えば体操選手が失敗するのと同じ原理なのか。
僕が伝えたいメッセージはレベルが低いから分かりやすく伝えられるけど、それは難しい技にチャレンジしていない選手が技を成功させやすいのと一緒なのか。
そして、偉人(?)たちが伝えたいメッセージは僕のそれよりもはるかに奥が深く複雑だから、分かりやすく伝えようとしてもうまく伝わりにくいのか。

あるいは、子供の遊び道具と同じ原理か。
あまり知識や経験が無いうちは楽しく遊べる道具が限られているけど、成長するにつれて楽しめる道具が増えていく。
だからこそ、将来楽しめるようになるであろう道具を幼いウチはまだ楽しめないけど、その責任は道具ではなく本人にある、ということか。



ーーー



なぜ小説を通さざるを得ないのか
なぜ難解に伝えざるを得ないのか

この2つの疑問については、今後僕が成長する過程できっとカラダで理解し、解決していくと思っていて、今からそれがすごく楽しみ。

by dantanno | 2014-12-11 17:16 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

ほんのちょっとしたこと

通訳って、ほんのちょっとしたことの積み重ねだと思う。



「え、そこ?その程度のこと?」
「うん、そう」

みたいな。



通訳を大きく分けると

・ 本番前
・ 本番中
・ 本番後
・ 全般

なわけだけど、



本番前

・予習
   何をどう予習するか
  (More importantly)何を予習「しない」か

・主催者/クライアント対応
   どの程度協力し、フレキシブルに対応するか
   どの程度自分のスジ(=我)を通し、ワガママを言い、手間をかけさせるか。時にはいいこと(特に、我を通す必要が「自分の無能さ」に端を発していない場合)
   「通訳はこういうものだ」を決めるのは誰か。クライアントか、あるいは通訳者か。両者なんだけど、両者間のバランスをどう取るか
   


本番中

・場の成功
   「場の成功」をどう定義するか
   どの程度主体的にそれに参加するか、あるいはしない方がいいのか
   自分は何のために今日ここにいるのか

・訳し方
   写真のようにそのまま訳すか
   絵のように意訳するか
   うまく、その中間を狙うか

   誰が、どの程度自分の訳を必要としているのか
   誰にとっては、自分の訳は単なるノイズなのか

・空気
   どの程度空気を固めるか
   どの程度空気を和らげるか
   どっちが場の成功につながるのか

・人の立場
   キーマンは誰か
   怒る人は誰か。怒らない人は誰か
   怒らせてもいい人は誰か。絶対に怒らせてはいけない人は誰か。



本番後

・連絡/フィードバック
   誰に何を伝えれば喜ぶのか
   自分が誰かに何かを伝えたことを嫌がる人はいるか

・復習
   くやしい想いを絶対に繰り返さないためには、何をすればいいのか
   「昨日は失敗しちゃったけど、ドンマイドンマイ。今日から気持ち切り替えてがんばろ♪」とかそんなんじゃなくて、昨日の失敗の内容と原因を本気で分析して、今後それを防ぐために、今日具体的に何をするのか。

・酒



全般

・日頃、通訳を好きそうにしているかどうか
   うれしそうに仕事を受け、ありがたそうに通訳しているか
   いやそうに仕事を受け、つらそうにこなしているか



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どれも、ほんのちょっとしたことの積み重ねでしかない。どれか一つをいじっても、すぐにドラスチックな変化が起きるわけではない。
また、肝心の「通訳のウデ」は、すぐには上達しない(と思われている)。

でも、実際には、こうしたほんのちょっとしたことの積み重ねが、3年、1年、半年、いや、たった3ヶ月でも決定的な差を生む。

Day 0 = 100
x Day 1(1.01)
x Day 2(1.01)
x Day 3(1.01)
= 103.03

消費税が3%上がると大騒ぎになるけど、それは通訳者の生活のたった3日分。
3ヶ月(90日)あれば通訳者は倍になれる。



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落ちるのも早い。

ただ惰性で案件をこなすようになると、進歩が止まり、ごく短い横ばい期間を経て、すぐに退化が始まる。

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一日を0.99で過ごせば、あっという間に△3%、あっという間に半減する。



昨日は、僕にとって+1%の日だった。
今朝は△1%だった。ほんとあっという間だな、と思った。
昔、一日バイトして稼いだ7,000円を、夕方30分パチンコしてスっちゃったのを思い出した。

午後〜夜で挽回予定。


by dantanno | 2014-12-03 11:41 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)

書記通訳

この前担当した、一風変わった通訳案件。

ある会社の海外IRで、社長・IR部長・証券会社の担当者(インベストメント・バンカー)と一緒に海外をまわりました。



会社側のメインスピーカーである社長は英語が堪能。
(じゃあ通訳いらないじゃん)って話なんですが、確かに社長は通訳不要でも、同行しているIR部長が英語出来ないため、IR部長のために通訳をしてほしい、ということでした。

ってことは、ミーティング自体は社長と海外投資家間で英語でやるんでしょうから、IR部長の隣に座ってウィスパリング通訳をするんだろうな、、、と思いきや、そうではありませんでした。



企業 「ウィスパリングではなく、PCに打ち込んでほしいんです」とのこと。
Dan 「え、訳をですか?」
企業 「そう。」



要するに、社長と海外投資家が英語でやり取りしているそばから、話されている内容を口頭で訳すのではなく、PCに文字として打ち込んでほしい、という依頼です。
IR部長は、僕のPCの画面を眺めて(なるほど、そう言っているのか・・・)と確認する、ということです。


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おもしろそうです。
ぜひ担当させていただくことにしました。



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準備の段階で(どうしたもんかなあ・・・)と、あれこれ考えました。


多分、これは変換の勝負になるな、と。



「恩赦の強豪はどう言うkakaku設定をしているんですか。
剃れに大使、胴体高しますか?」



だと、仮にうまく「訳」せたとしても、上手にデリバーしたことにならない。

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いろいろ調べて、日本語入力システムであるATOKを有料でPCに入れてみました。

詳細は割愛しますが、これはいいですね。
特にMacユーザーにお勧めです。



ATOKを使いながらのスムーズな入力を練習し、その業界の専門用語(本番で出てきそうなもの)をいくつか単語登録し、準備を終えました。



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さて本番。
予想通り、楽しく「通訳」することが出来ました。

しかも、この方式には思わぬメリットも。



1. 静か(笑)

ウィスパリング通訳だと、ミーティング中、通訳者がずっとつぶやいていることになります。
小さな声ですが、気になると言えば気になります。当たり前ですが、通訳を必要としていない人ほど気になります。

剃れに大使、じゃなくて、、、それに対し、PCに打ち込む方式だと、通訳者が声を発しないで済みます。
もちろんPCにパチパチ打ち込む音はするし、一生懸命会話についていこうとするとややバチバチ気味に打ってしまいましたが、やはり肉声と比べると気にならないでしょう。



2. そのまま議事録になる

普段僕がする通訳は、言ってるそばから消えて無くなってしまいますが、今回は別です。
交わされた会話をほぼ全て、しかも訳された状態でPCに打ち込むので、終わった後、それがそっくりそのまま議事録になります。

これは証券会社から同行しているインベストメント・バンカー(議事録作成担当)にとても喜ばれました。
今後、議事録作成サービスもやろうかしら。

一日一緒に回って、その日の全てのミーティングの議事録を(ちょっと手直しした上で)メール添付して送り、その日の仕事が無事終了。
ビールもなかなかオツな味がしました。



3. 食事しながら通訳できる

いろいろな形態の通訳がありますが、ある意味楽しく、ある意味とてもつらいのが「食事しながらのミーティングの通訳」。
ミーティング中に通訳者も一緒になって食べてしまうと、通訳が出来ません。
だから、基本食べられません。

しかも、こういうミーティングに限って、えてして高級レストランとか、おいしそうな割烹とかで行われて、お腹がギュルギュル言っているのが周りに聞こえるか不安な思いをしながら訳すことになります。

こういう場合、最初から通訳者の分の食事は用意されないか、ミーティングの前にパパッと食べられるサンドイッチ的なものを用意していただけることも多いですが、通訳者の分もしっかり食事が用意されていることもあります。ありがたいんですけどね。

そんなとき、ほとんど手を付けられなかった料理が下げられるのを目で追うときのうらめしそうな僕の顔(笑)。


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ときどき、会議参加者が気を利かせてくれて
「ダンさん、どうぞ食べてください」
みたいに言ってくれることがあって、
Dan 「あ、ありがとうございま・・・」
とフォークをのばしかけると、その人が
「で、今後の戦略ですが、」



会話を止めてくれないと、僕食べられません。。。



その点、「書記通訳」ならサイコーです。
モグモグバクバク食べながらでも、PCにパチパチ訳を打ち込めますから。



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話変わって、ウチの近くの銭湯によく行くんですが、そこでは湯船に入りながらもNHKを見られるよう、壁に埋め込まれた大画面TVがあって、話されている内容はTVに字幕としてほぼ同時に表示される仕組みになっています。
みなさんも、家のTVでNHK観ながら「字幕」って押してみると、もしかしたら日本語の字幕が出るかもしれません。それです。



(お風呂入ってまでTV(しかもNHK)見なくても・・・)
という気もしますが、番組内容がおもしろいと
(ああ、これは便利なサービスだな)
と感じる気まぐれ屋です、僕は。

以前、フロに浸かりながらその字幕を眺めていて、
(よくこんなに早く打ち込めるなあ)
と感心したものですが、がんばってやってみると、意外と出来るものです。しかも訳しながら。



一番のカギは、やはり幹事の返還でした。

by dantanno | 2014-11-21 04:14 | プレミアム通訳者への道 | Comments(0)