たんのだんのブログ

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よく気付いたな、という感じ

「頭がよさ」とは、一見無関係な事柄の間のつながりを見いだす力のことを指す、と言ってた人がいたが、確かにそうだと思う。


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by dantanno | 2017-07-24 13:41 | Comments(0)

AI時代のことばとやさしさ

最近、家族を連れてロンドンに2ヶ月滞在した。

用語の定義は不明確だが、期間が2ヶ月ともなると、これは「旅行」や「出張」ではない。「滞在」であり、あわや「居住」だ。

住むとなると、ことばのやり取り的にはホテルにチェックインするときやタクシーに乗るときのそれだけでなく、「生活」に伴うことばのやり取りが必要になる。床屋に行ったり、クリーニング屋さんに行ったり、マンションの管理人に何かを質問したり、というような。

ーーー

ロンドン市内で滞在するエリアを選ぶ際、なるべく「白人ばかり」ではなく、人種のるつぼ的なエリアを選びたかったし、実際そうした。具体的には、Brixton、Shoreditch、Kilburnなどを選び、家族で転々とした。(日本では残念ながらあまり目にしない黒人の人たち、中東系の人たちをウチの子供らがしげしげと眺めているのを見て、うれしく思った。)

そういうエリアに滞在していると、流暢な英語ではなく、ブロークンな英語を耳にすることが多くなる。「多くなる」というか、耳にする英語のほとんどがブロークンだ。

ーーー

僕が滞在したエリアに限らず、ロンドンではブロークンな英語を耳にする機会が多い。移民が多いからでしょうか。

今回何社かの日本企業に同行したが、その内の一社の社長が
「こっち(ロンドン)の人の英語は結構ブロークンだな。それでもまあ通じる、ってことだよな」
と言っていたが、まさにそうだ。


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ブロークンな英語を話す移民的な人たちと、「チェックインプリーズ」みたいなある意味型どおりなやり取りではなくややこしいことばのやり取りをする。

そうなると、相手が何を言っているのか分からないときがある。

曲がりなりにも通訳を生業としていることもあり、さすがに英語が「分からない」ことは無いわけだが、ちょっと分かりにくいというか、一瞬分からなくてひるむ、という事態が頻発する。

ーーー

相手のことばを聴いただけでは、相手が何を言っているのかが分かりにくい。
となると、ことばの意味を把握する際に音声以外の、何か別の手段/ルートも活用せざるを得なくなってくる。

ーーー

まずは相手の表情・言い方

相手が、優しそうな顔でウチの子供を眺めながら

「#()$’#”(%’」

と言った場合、「かわいいね」とか、何かあやす系の優しいことを言ってくれている可能性が高い。

一方、怒った顔や口調で
「#()$’#”(%’」
と言ったのであれば、何かを注意してくれていたり苦言を呈している可能性が高い。

そんなの当たり前じゃないか、と思うでしょう。自分でもそう思いますが、「相手の言っていることが(視覚ではなく)音だけで完璧に理解出来る」という暮らしを日頃日本で続けていると、相手の表情や言い方に頼った意味の理解をすることはあまり無く、そうした理解方法が必要となる異国での生活は貴重な体験となった。

(片寄った見方かもしれないが、中東系(?)の人たちは怒ったような表情や口調でとても優しいことを言ってたりするのでまぎらわしいことがあると感じた。)

ーーー

分かりにくい発言を理解するもう一つの理解方法は、その発言が発せられた場の状況

駅の改札口付近で、我々家族がベビーカーを押しながらあちこちウロウロしている、という状況のときに駅員さんが

「#()$’#”(%’」

と言った場合、(もしかしたら「こっちの自動改札機の方が広いから、ベビーカーでも通れますよ」と言ってくれたのかもしれない)といった推察がはたらく。

ーーー

(この状況であれば、相手はこう言うかもしれないな)と考えるのは、相手の立場に立つ、相手の気持ちをおもんぱかることにほかならない。

そして、前述の「相手の表情や口調を観察する」のも、(自分の立場ではなく)相手の立場に立ち、相手の気持ちを読み取ろうとする行為だ。

これこそコミュニケーションではないか!

<いったん話をまとめる>
異国に来て、分かりにくい/聴き取りにくいことばのやり取りを日々続けていると、音だけでなく相手の表情や口調、およびその場の状況によって、発せられたことばの意味を考えることを余儀なくされる。そうした「音を越えたコミュニケーション」は、要するに相手の立場に立ち、相手のことを考える、ということである。

ーーー

ちょっと話がそれるが、AI(Artificial Intelligence)について。AIが通訳・翻訳に対して及ぼす影響について。ここのところ、通訳者たちと飲んでいてもよく話題になるトピックだ。

これは要するに我々訳者の代わりに(あるいは訳者のサポート的に)機械が通訳・翻訳してくれる、という話。

そうした「機械による訳」に関する研究・実証と並行して行われているのが、そもそもことばをすっとばしちゃうことに関する研究。

ーーー

通訳は必要悪であるが、通訳の対象となる「ことば」も必要悪である。
僕はことばというものが大好きで、日々通訳をしたり、ブログを書いたりと「ことば」の世界で楽しく生きているが、でもその「ことば」が必要悪であることは認めざるを得ない。

<余談: 「必要悪」という概念について>
通訳・翻訳やことばは「必要悪」と言うと、それがなんだか「悪い」みたいだが決してそういうことではない。
そもそも「必要悪」という言葉がいけない。
この言葉はどうしても聴き手に悪い印象を与えるが、警察も医者も言ってみれば「必要悪」(犯罪を犯す人がいなければ警察は要らない)であり、さらに深く突き詰めれば全ての職業や機能が必要悪、とも言えてしまう。(お腹がすかなければレストランなんて要らない、というように。)
だから僕は「必要悪」であるからといって必ずしも「悪」だとは限らないと思っていて、必要悪という言葉の「悪」ではなくむしろ「必要」という側面に目を当てるべきだと思っている。)

ーーー

必要悪である「ことば」をすっ飛ばし、脳が発する電気信号を活用して「思っていることがそのまま相手に伝わる」方が効率がいいのかもしれない。それが善か悪かについては議論の余地が大きいが、「想いを正確に、効率的に相手に伝える」という意味では、ことばではなく脳の電気信号を使ったコミュニケーションの方が優れているのかもしれない。

<具体的なイメージ>
スマホのようなデバイスを通したコミュニケーションになると思う。
話し手、、、いや、ことばを使わないのでもはや話し手ではないですね、じゃあ発信側。
発信側が、受信側に対して「昨日、こんなおもしろいことがあってさ」という想いを伝えたいとする。発信側が「伝えたい!」と感じている状態でスマホのアプリを開くと、画面に

「昨日、こんなおもしろいことがあった」という想いを相手に伝えますか、Yes or No?」

と表示される。Yesを選ぶと、アプリが発信側の脳の信号を読み取り、それを信号の形でそのまま、あるいは信号を読み取った結果を受信側に伝える。ことばは必要無く、受信側はClear/Vividに「昨日あったおもしろいこと」を理解出来る。

僕の専門であるIRの分野でも同様。
「来年度の設備投資について、相手に伝えますか、Yes or No?」
でYesを選択すればその想いが外国人投資家に自動的に伝わる。通訳は必要無いし、そもそもことばが必要無い。

ーーー

このような「ことばを使わないコミュニケーション」はきっと実現すると思う。

現在の「ことば」を通したコミュニケーションはとてもステキなものだけど、「想いを正確に、効率的に伝える」という観点(そこそこ大事な観点!)からすると、非常に非効率。ことばを操るのが上手な人同士でも誤解が生じることがあるし、世の中にはことばを操るのが上手ではない人も多い。

しかも国・地域によって言語が異なってしまっている、というこれはこれでステキな状況が、その非効率をさらに何倍にも増幅させる。



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<話を再度まとめる>
こちら(受け手側)が一生懸命推察しなくても、相手の想っていることが正確・効率的に伝わるのはとても合理的なことのように思える。それは「相手を理解する」ことに他ならないが、そうなると「相手のことを理解しよう」という我々受け手側の気持ちはどうなるんだろうか。
相手に対するEmpathy/empathizingが不要になると、我々はどうなるのか。


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太郎君は私のことをどう思っているのかしら、はたして好きなのかしら、という大事な問題について考えた場合、「好きなのかどうか」ももちろん大事なのだが、私(花子)が太郎君の気持ちをあれこれ推察する、考える、おもんぱかること、これも結構大事なのではないか。

相手が発することばから、相手が伝えたいメッセージを必死に考える。相手の表情や口調から、どういう想いでそのことばを発したのかを推察する。また、場の状況から判断して、(こういう状況であればこう言いたくなるだろうな)と相手のことをおもんぱかる。

電気信号を介して正確・効率的にコミュニケーション出来るようになると、相手に対するこうした配慮は不要になり、失われてしまうのか。(不要なだけに)必要悪ですらなくなってしまうのか。

コミュニケーションにおいて大事なのは、「思っていることを正確・効率的に伝える」ことであるのは間違い無いが、一方でもっと大事なのかもしれないのが「相手の立場に立つ、相手のことをおもんぱかる」ことであって、異国に滞在・居住することでその重要性に改めて気付いたわけだが、AI時代のコミュニケーションではそうした「相手に対する思いやり」はどうなるのか。不要になるのか、あるいは依然として残るのか。

オチの無い記事で恐縮ですが、思考があれこれ拡散してしまっている当方の今の状況をおもんぱかり、温かく読んでいただければありがたいです。




by dantanno | 2017-07-20 05:02 | Comments(0)

慣れと先見の明

慣れって恐いな、、、というか、慣れってすごいな、と思います。

昔はあんなに不便に感じてたはずのスマホを、今では結構便利に感じる。

ーーー

昔は、スマホでウェブサイトを見るとか、動画を観るとか、あるいは文字入力をするとかがとても煩わしく、出来る限り、なるべくPCを使いたいと感じていました。

そういうPC寄りの気持ちは今でも多少残っていますが、だいぶスマホが追いついてきた気がします。スマホを使うことに慣れたんだと思います。

今では、スマホで動画を観るなんて日常茶飯事。気付けば何時間もYoutubeを観てしまっています。すぐとなりにPCがあるのに、あえてスマホで!不思議。。
また、スマホでの文字入力は単なる不快な作業だったはずが、今ではむしろ楽しく感じることすらあるから驚きです。


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もちろんユーザーである自分の「慣れ」だけでなく、外的要因もあると思います。

昔)「スマホでウェブサイトを見るのは避けたい」 → スマホ向けに作成されたウェブサイトが増えた → 今)スマホでウェブサイトを見るのは不快ではない

昔)「スマホで文字入力なんて面倒」 → スマホでの入力画面の改善。ATOKやGoogle等の文字入力サービスの普及 → 今)スマホで文字入力がラクになった


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そうした外部要因もあるにはありますが、やはり慣れの部分は大きいと思う。
そういえば、電子書籍についても最初は「絶対イヤ」と思ったけど、実際に電子書籍を読んでみるとそれほど悪くない(僕はやはり紙の本の方がまだ好きですが)。

どんなものでも、最初に感じる抵抗感は「慣れ」で乗り切れてしまうものなのかもしれません。

そう考えると、

① 当初の抵抗を乗り越え、自分を別の人間に生まれ変わらせる(re-invent oneself)ことは意外と簡単なのかもしれない。 そして

② 何か新しいサービス、モノ、技術を目にしたとき、自分がそれに抵抗を感じるからといって、それが普及しないとは全く限らないんだな、と思います。

ーーー

だいぶ前、世の一部の経営者が「これからはスマホだ!」と言っていたとき、正直、僕にはスマホの何がこんなにすごいのか分かりませんでした。What's the big deal?って思ってました。でも、今電車に乗ると運転手を含め、、、ってのは冗談ですが乗っている人のほぼ全員がスマホを眺めていたり、自分自身のスマホに対する「慣れ」を感じると、彼ら/彼女ら経営者たちには先見の明があったんだな、と思います。

そう言えば僕は1998年(平成10年)に新卒で会社に入り、生まれて初めて「電子メール」というものに接したとき、「こんなものは絶対普及しない」と一刀両断しました。だってFaxの方がはるかに便利じゃん!と感じたのを覚えています。。。先見の明、ここに極まれり、ですね(汗)。


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表面的かつ一時的な抵抗を越え、物事の本質が見抜ければ、時代の流れといった大事なものが見えるようになるのでしょう。
e-mailとかスマホとか、自分の専門外の分野では見抜けなくてもいいけど、ことばとか通訳とか、専門分野では大きな潮流が見抜けるようになりたいものです。



by dantanno | 2017-07-17 16:37 | Comments(0)

休憩中

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by dantanno | 2017-06-26 17:08 | Comments(0)

早くも反抗期。。

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by dantanno | 2016-08-04 23:52 | Comments(0)

冷珈ソーダ

珍しくジムに行き、ひと泳ぎした帰り道。

途次(みちすがら)、ローソンの前の椅子に座ってビールと柿ピーを楽しもうと思っていたんですが、思いの外スモーカー・エリアみたいな感じになっていたので断念し、そのすぐ隣の上島珈琲店へ。

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店の入り口に、何やら興味を引く看板が。

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冷珈ソーダ?
読み方が分からないけど、なんだかおいしそう。

「あ、あの、コ、コーヒーのソーダを・・・」
「レイコーソーダですね〜」

へー、そう読むんだ。まあ普通に読むとそうなるか。

今ちょうどキャンペーン中で、MからLに無料でサイズアップ可能、とのこと。

早速注文してみました。

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で、でかい!!

なんとかして、このサイズ感を伝えたい。

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まるで、アメリカのファストフード店でコーラを飲む日本人の気分です。ガリバー旅行記みたいな。

味は意外とおいしい。
なぜか、子供の頃に駄菓子屋で買ったコーラアップを思い出します。次回はMサイズにするかも。
by dantanno | 2016-08-01 17:00 | Comments(1)

家族

子。

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父子。

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お母さん。

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by dantanno | 2016-05-06 16:39 | Comments(0)

男の一人合宿

奥さんが「行って来なさい」と言ってくれたので、二泊三日の一人旅に出発。



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今回同行いただく本たち。

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旅に常にたくさんの本を持って行き、結局全然読まないのが常だが、今回は読む!
by dantanno | 2016-04-08 10:16 | Comments(0)

B. B. King's words

"I don't like anybody to be angry with me. I'd rather have friends. If there's any static or whatever that causes somebody to be mad at me about something or to think I'm at fault about something, I'll get on my knees to apologize. I just believe that life is good like that."

by dantanno | 2016-02-29 13:21 | Comments(0)

小さい階段(本人談)

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by dantanno | 2016-02-07 15:40 | Comments(0)