たんのだんのブログ

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テレビが(半分だけ)無い生活

年末の引っ越しに合わせ、テレビをリビングからベッドルームに移してみました。それについての話です。

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自分がテレビを観るシチュエーションを大別すると、
1.ちゃんと、本腰を入れて観る
2.中途半端に観る
3.観ていないのに「観る」

それぞれについて考察しました。

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1.ちゃんと、本腰を入れて観る
お笑いが大好きなんです。だから、「アメトーーク!」とか「ロンドンハーツ」、「すべらない話」などを、ビールとかワイン飲みながら、奥さんとゆっくり観るのが至福なんです。
娯楽として楽しいのはもちろんで、それが主目的です。それに加え、笑うたびに「今のはなんでおもしろいんだろう」を考えるのも楽しい。また、こういう番組を観ることについては、ことばを使う者としての職業的な興味もあります。話し言葉であれ、書き言葉であれ、どうすればもっと分かりやすく、おもしろく話を伝えられるのか、といった勉強になると思うんです。

そんなわけで至福なんですが、お笑いを観始めるのは大抵夜遅くで、冬のちょっと寒い日なんかに、電気じゅうたんの上で寝っ転がりながらそれをやるとほぼ100%そのまま寝てしまい、午前3時ぐらいに僕か奥さん、どっちかがハタと目を覚まし、「もう二度とテレビ観ながら寝ない!」と後悔しながら二階に上がってショボショボとベッドに潜り込む、みたいなことが結構な頻度で起きる。


2.中途半端に観る
食事をしながら観る、というのはなるべく避けていましたが、それでも食事の前後のちょっとした時間とか、ふとしたときになんとなくリモコンに手が伸び、その後は観るともなしになんとなく観る、みたいなことが結構ありました。一人の時はもちろん、家族と一緒のときも。
家族と一緒なら団らんでもすればよさそうなものですが、(別に、あえて今話したいネタとか、今報告・相談すべき事項があるわけでもなし・・・)ということで、なんとなくリモコンに手が伸びる。


3.観ていないのに「観る」
人がテレビを観始めるのはいつからか。それは、リモコンでテレビの電源を入れた直後からです。でも、実はその前からテレビのことを考えている。だからこそリモコンに手が伸びたのだ。つまり、テレビを観ていないときでも、頭の片隅でテレビのことを考えている。テレビに気を取られているという意味では、観ているのと実質的に同じ。

たばこと似ている。
僕も昔、ちょっと吸っていた時期があって、23歳の時にやめた。当時の経験から思ったのは、スモーカーは、今まさにたばこを吸っているときはもちろん「たばこのことを考えている」が、吸っていないときでも頭のどこかで(ああ、たばこ吸いたいな)とか、(次はいつ頃火を付けるか)とか、(たばこ切れてないかな?)とか、(この店はたばこを吸える環境だろう)とか、(これは灰皿?それとも醤油皿?)みたいなことをグルグルと延々とずっと考えている。それは意識的だったり、無意識でだったりする。
僕の場合、健康がどうこうよりも、そういう無駄な思考に脳のキャパを振り向けるのがもったいなくてたばこをやめた、というのも大きい。

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ということで、引っ越した先の家では、テレビをリビングではなく、ベッドルームに置きました。結果は、、、

すばらしい!

何がどう変わったか。上記3シチュエーション毎に分析しました:


1.ちゃんと、本腰を入れて観るとき
そういうときは、寝支度を終え、お酒を持ってベッドルームに行き、ベッドに入ってテレビを観る。そのまま寝てしまってもOK、というのがとてもいい。元々至福だった時間が超至福にレベルアップした。

2.中途半端に観るとき
新しい家に引っ越してからしばらくは、リビングでふと(あ、テレビでも観よっかな)と思ったりしていた。でも、リビングにテレビは無いので、それは現実的な選択肢ではない。観たいなら、ベッドルームに行って見ることが出来るが、そこまでして観たいわけでもない。ということで、中途半端に観ることがなくなった。

3.観ていないのに「観る」
引っ越した当初はリビングにいても心のどこかでテレビのことを考えていて、それは幻肢痛にちょっと似ていたが、今はもう無くなった。無いものは無い。観たければベッドルームに行く。

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リビングからテレビを追い出した結果、最大の成果は「家族との会話が増えた」こと。

前述の通り、元々食事中は観ないようにしていたテレビだが、ちょっとした時間の切れっぱしになんとなく観ることが多かった。でも、今はそれが出来ない。出来ないとなると、家族と何か話すしかない。話すことが思いつかなければ、頭を絞って何か思いつくしかない。結果的に家族との会話が増えた。

引っ越し前後での、頭の中での自問自答の変化を分析すると、

ビフォア: どうせ今話すこと無いよね?ね?ね? よし、テレビつけよっと。

と、せっかくの「有」を「無」にするようなヘンな努力をしていたのが、

アフター: 何か話すこと無いかな・・。何かあるでしょう。。あ、そうだ!アレについて話そう!「あのね、、、」

と、「無」から「有」を生み出すいい努力に変わった。

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テレビを置かない代わりに、以前は僕の部屋に置いていてあまり聴いていなかったオーディオをリビングに置いてみた。朝、昼、晩、これで音楽をかけ、聴くとはなしに聴いている。

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従来無意識に(いつテレビつけよっかな・・・)と脳のキャパを浪費していたのが、今は無意識に(いつオーディオかけよっかな・・・)と脳のキャパを浪費するのに横滑りしているだけのような気もする。でもそれは置いておいて、より本質的な話↓。



朝の日差しの中で、モーツァルトを聴きながら家族と話すのと、

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朝のテレビのニュースで
「昨夜、**県**市で火事があり、焼け跡から二人が遺体で発見されました。この家に住む60代の夫婦とみられます。警察によると・・・」
という、それを観たところで、ネガティブな気持ちになる以外何も打つ手が無いニュースを見聞きさせられるのとでは天と地、、、いや、天国と地獄ほどの違いがある。余談ですが僕は、朝一でこうした「それを知っても何もアクションを起こしようが無く、気が滅入るだけのニュース」を流してはいけない、というルールを制定してもいいのではないか、と昔から思っている。こんなものは「ニュース」ではなく、ただの「ノイズ」だと思う。ついつい観てしまう、こうしたセンセーショナルなノイズに朝一から触れた結果、無駄にストレスフルな状態になって通勤・通学している人もいるのではないか。その結果、世の中は確実に少し「悪く」なっている。

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リビングからテレビがいなくなって、当初はちょっとさみしい気持ちにもなりましたが、今は平気です。ベッドルームでがんばってくれているテレビと、とてもいい距離感が取れている気がします。昔はテレビを付けたり観たりすることに感じていた一抹の罪悪感も薄れました。

我が家では、テレビを家から丸ごと追放してしまうなんてとても無理。だから、家の中での「テレビの引っ越し」をしてみました。テレビの引っ越しは、ウチと同じく、手放しはしたくないけどテレビとの距離感を調整してみたいという家庭に、一つの選択肢としてオススメです。

by dantanno | 2016-01-20 13:41 | プライベート | Comments(0)