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長時間、一人で同時通訳することについての考察

今から二年前。

7時間に渡り、一人で同時通訳をする、という案件を経験しました。



その経験に基づき、長時間に渡って同時通訳をすることや、通訳におけるスタミナについてのブログ記事を書いたところ、IRIS内外の通訳者から数多くの批判をいただきました。



批判の内容を、全くもっともだと感じました。
そして、自分の言いたいことが正しく伝わっていないと感じました。

また、自分自身でも考えが整理出来ていないと認めざるを得なかったため、当該ブログ記事を削除しました。



自分が書いたブログ記事によって、多くの通訳者に不快感を与えてしまい、申し訳ありませんでした。



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その後二年間。



同時通訳者としての自分の、同時通訳についての真意はどこにあるのか。

特に、長時間に渡る、一人体制での同時通訳(以下「長時間同通」)について、自分は本当はどう思っているのか、ずっと考えて来ました。

書いた後に考えるのではなく、考えてから記事を書くべきだったと反省しつつ。



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一生懸命考えた結果を、文章にまとめてみました。

目次は以下の通りです:


1.序論
    · 同時通訳についての一般論
    ·「7時間同通案件」の背景
    · 長時間同通の「出来る/出来ない」と、「引き受ける/引き受けない」

2.本論:「Aさん」について
    · Aさんの紹介
    · Aさんの出現は、通訳業界にとっていいことか、悪いことか
    · Aさんの出現を受け、我々一般通訳者はどう対応すればいいのか
    · 結論



1.序論と、2.本論があります。

前提を三点、まずは「1.序論」で整理します。
その上で、「2.本論」において、「Aさん」という通訳者の話をします。



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序論



<序論①: 同時通訳についての一般論>

同時通訳は、世間からある種の憧れや不思議の目で見られることがあります。



「なんで話を聞きながら話せるの?」

「なんで、言ったそばからどんどん訳せるの?」

「(同時通訳者の)頭の中がどうなっているのか見てみたい」



通訳という作業は難しく、じっくり考えてから通訳することだって大変なはず。

なのに、それを同時に・瞬時に行うなんて、一体どういう仕組みなんだろう、と思われても不思議ではありません。



そのようなすごい作業である同時通訳ですから、当然高いスキルが求められます。誰もが出来ることではありません。
そして、大変な集中力を要し、とても疲れる作業でもあります。



ーーー



同時通訳は、大きな疲労を伴う。

だからこそ、通訳者一人が続けて同時通訳出来る時間は「15分程度」とされています。



たった15分で終わる会議はあまり無いため、同時通訳はほとんどの場合、通訳者2名がペアを組み、交代交代で行います。
会議が2時間、3時間、あるいはそれ以上に渡る場合は、通訳者3-4名で分担することもあります。



人によっていろいろな考え方があるでしょうが、同時通訳に対するコンセンサスは概ね上記の通りかと思います。
私自身もこのように考えているし、IRISでも上記考え方に基づく運用をしています。



ーーー



誤解無きよう改めて、同時通訳に対する私(個人)及びIRIS(会社)の考え方は:

・ 同時通訳は大変な集中力を要し、大きな疲労を伴う

・ 通訳者、及び会議の内容によって多少の違いはあるものの、継続して一定のクオリティの同時通訳を提供出来るのは、概ね15分程度

・ 同時通訳は通常2名、あるいはそれ以上の体制で行う

これが私の考え方です。



もう一つ付け加えるとするならば、通訳エージェントは、クライアントに対しExpectation controlを行うべきだと思っています。

通訳というものに対し、クライアントが誤解、あるいは過度な期待(Expectation)を持ってしまい、それに伴い通訳者が現場で大変な想いをすることは極力避けなければいけません。

そのためには、通訳及び同時通訳がどのようなものであって、通訳者に対し長時間の作業を強いてはいけないことや、それがかえってクライアントのためにならないことなどを説明し、クライアントの期待をコントロールする必要があります。

だからこそ、同時通訳に対する誤解をもたらすようなブログ記事は書くべきではなかった、と反省しています。



<序論②: 「7時間同通案件」の背景>

「同時通訳は15分まで」なのに、一体なぜ一人で7時間も同時通訳することになったのか、その背景を説明します。



この案件は、ある会社の社長が、ヨーロッパで行われる国際会議に出席する際、その社長に付いて通訳を行う、というものでした。
会議は、世界各国の大企業のトップが大勢参加してフリーディスカッションするという、通訳者にとって相当チャレンジング、かつやりがいのある案件でした。



元々、クライアントから案件の引き合いが来た時点で

「7時間、一人で同時通訳してもらうのでよろしく」

という話ではありませんでした。仮にそうであれば、当然引き受けません。



元々は、その会議が終日に渡る長い会議であることがそもそもIRIS側には不明だった上、クライアントからは

「社長が会議にどの程度の時間出席するかは分からないが、恐らくちょっと顔を出すだけで、すぐ退席するだろう」

とのことでした。



ーーー


可能性は低いものの、同時通訳が長時間に渡る可能性が完全に排除出来ないのであれば、

「それでは念のため、通訳者を3名、いや、4名手配させてください」

と求めるのが正しかったのかもしれません。ただ、この案件の場合、それを難しくするネックが二つありました。



一つはコストです。

わずか一回の、しかもどれくらいの時間出席するか分からない会議のために、同時通訳が出来る実力の通訳者を4名、日本からヨーロッパまでビジネスクラスで連れて行き、高級ホテルに宿泊させ、通訳料、拘束補償料、日当、etc. etc.を支払うとなると、軽く
単価150万円 X 4人 = 600万円

とか、そのような金額になってしまいます。
たった一日の会議だけで、です。



もう一つのネックは、より物理的なことです。

この通訳案件のクライアント企業は、その国際会議の主催者ではなく、あくまでも一参加者でした。そして、会議に出席しているその他大勢の参加者は、みなEnglish speakerであり、通訳者を引き連れてなどいません。

そのような中で、この会社の社長だけが通訳者を4人現場にゾロゾロと引き連れ、その4人の通訳者が15分おきに入れ替わり立ち替わり交代し、議場を出たり入ったりする、ということは物理的に不可能でした。



ーーー



私からクライアントに対し、

「同時通訳者4名の手配・同行が無理であれば、この会議への出席はあきらめてください」

と言うことも出来たでしょう。

でも私は、それを言ったらこのクライアントはこの国際会議に参加出来ないことが分かっていたし、一定のリスクがあることを承知の上で、この通訳案件を引き受けました。
そして、その判断を批判する方がいても当然だと思います。



決して言い逃れをしたいわけではありませんが、実際問題として、世の通訳者の多くが私と似たような経験を一度はしていると思います。

事前に聞いていた話と異なり、思いのほか長時間に渡って通訳、あるいは同時通訳をするはめに陥った経験を持つ通訳者は多い、、、というか、ほとんどでしょう。

それによって通訳者がつらい想いをすることを防ぐべく、我々通訳エージェントはしっかりと頑張らなければいけないと本当に思いますし、クライアントと緊密に連携を取っていくべきだと思います。

しかし、この仕事が人間対人間のものであり、本番当日、現場で予想外のハプニングやドタバタがほぼ必ず起きる以上、そうした事象を完全にゼロにするのは難しいかもしれない、とも思っています。



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さて、私が経験したこの「7時間同時通訳案件」には、もう一つの疑問が伴います。

「同時通訳は15分まで」なのであれば、では一体なぜ7時間(420分)もの長きに渡って同時通訳し続けることが可能だったのか。



まだ若くて元気だった(当時38才)

とか、

自分の専門分野であるビジネス・経済に関する話題だった

ということもあります。



また、この案件についてはクライアントから

「必ずしも一言一句訳す必要は無く、ある程度要点に絞り、枝葉末節は落としてもいい」

と事前に言われていました。

通訳者によっては「そう言われても困る」という方もいるでしょうが、私はこのようなやり方の方がラクであり、その分助かった、という面もあります。



そして、一番のポイントは通訳のクオリティだと思います。

振り返ってみると、私が7時間、高い通訳クオリティを維持出来たかというと決してそのようなことはなく、後半は多少クオリティが落ちていたと思います。クライアントは満足していたようですが、だからといって通訳者の私が満足していいはずはありません。

そういう意味では、「7時間一人で同時通訳」を試みたのは間違いありませんが、それが本当の意味で出来たかというと、必ずしもそうとは言えません。



<序論③: 長時間同通の「出来る/出来ない」と、「引き受ける/引き受けない」>

まずもって、長時間、一人で同時通訳「出来るのか、出来ないのか」という問題があります。
しかも、一定のクオリティを維持しつつ。

私を含め、多くの通訳者にはそれが出来ません。



では仮に、長時間同通が「出来る」としましょう。


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その上でようやく

「では、長時間同通の案件を引き受けるのか、引き受けないのか」

という、次のステージに移行出来ます。



長時間同通が「出来る」通訳者は少ない。

数少ないそのような通訳者に対し、長時間同通案件を「引き受けるか」と聞けば、私を含め、ほとんどの通訳者が「引き受けない」と答えるでしょう。


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通訳者、あるいは通訳エージェントが長時間同通案件を引き受けないことには、いろいろな理由があります。



出来ないから

に加え、

しんどいから。

とか、

自分の通訳のポリシーに反するから。

また、

たとえ自分はよくても、他の通訳者に迷惑がかかるから。

などなど。



以上が序論です。
ここまでで整理した論点に基づき、以下、本論で「Aさん」という通訳者について考察します。



ーーー



本論


<「Aさん」の紹介>

本論を進めるにあたり、Aさんという、架空の通訳者を想定します。



Aさんは、長時間に渡り、一人体制で同時通訳が出来ます。
しかも、単に長時間出来るというだけでなく、その長きに渡り高い通訳クオリティを維持出来る、と仮定します。

そのような通訳者は、実際にはあまりいません。



さらに珍しいことにAさんは、長時間の同時通訳案件を「出来る」だけでなく、積極的に「引き受けたがっている」とします。
そのような通訳者は、私の知る限り、この世にただの一人もいません。だから、私にとってAさんは架空の通訳者です。



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誤解無きよう、念のため明確にしておきますが、Aさんは私ではありません。

私は、「出来る/出来ない」 「引き受けたい/引き受けたくない」の両面において世の一般通訳者と同じ立場にあり、Aさんと異なります。




<Aさんの出現は、通訳業界にとっていいことなのか、悪いことなのか>

Aさんは、長時間同通を「出来る」し、しかも「引き受けたい」という考えの持ち主です。
もしそのような通訳者が出現したら、我らが通訳業界はどうなるでしょうか。

Aさんの出現は、この業界にとっていいことなのか、あるいは悪いことなのか、を考えてみたいと思います。



ーーー



まず、悪い面から。



悪い面①: 他の通訳者への迷惑

以前、ある通訳者と同時通訳について話していた際、こう言われました:


「私は通訳の大先輩から、『長時間の同時通訳案件を引き受けることは、通訳業界を壊すことにつながるから、絶対にやってはいけないのよ』と教わりました。」
と。



この大先輩の発言は、いろいろな意味を含む、深い発言だと思います。



確かに、Aさんが「自分が引き受けたいから」といって長時間同通案件をどんどん引き受けてしまうと、他の通訳者が迷惑します。

Aさんの抜きん出た通訳パフォーマンスを体感したクライアントは、Aさん以外の我々一般通訳者に対し

「Aさんは出来るのに、あなたは出来ないんですか?」

とか、

「Aさんはやってくれたのに、あなたはやってくれないんですか?」

などと言ってくるかもしれません。

我々一般通訳者が、長時間同通を単純に「出来ない」場合、あるいは「出来るけど引き受けたくない」場合、いずれのケースにおいても厄介です。



私も一通訳者として、Aさんのような通訳者が出現したら面倒だなあ、、、と思います。クライアントから

「ダンさんもAさんみたいにやってよ」

と言われても、「出来ない」あるいは「イヤだ」と言えば済むわけですが、そのやり取りが面倒です。



悪い面②: Expectation controlの破壊

上記①とも関連する点です。

これまで、せっかく先輩通訳者や通訳エージェントが、クライアントに対し一生懸命

「同時通訳は15分までしか出来ません」

という教育 兼 Expectation controlを長年に渡ってして来てくれたのに、そこにAさんが現れ、長時間高いクオリティで同時通訳をしてしまうと、クライアントは

「なんだ、話が違うじゃないか」

と思ってしまうかもしれない。



悪い面③: 通訳業界にとっての収入の減少

単純に考えると、従来例えば

同時通訳者2名 X 単価10万円 = 20万円

だったのが、Aさんのせいで

同時通訳者1名 X 単価10万円 = 10万円

となってしまうかもしれません。

Aさん本人は別にいいのかもしれませんが、通訳業界全体にとっての収入が半減してしまうリスクを感じます。
これは非常に重要な点なので、後ほど詳しく考えてみたいと思います。



悪い面④: 通訳クオリティへの影響

「同時通訳は15分まで」という原則の存在は、もちろん通訳者本人を守るためでもありますが、通訳のクオリティ、ひいてはクライアントや会議参加者を守るためでもあります。

同時通訳が長時間に及ぶと、通訳のクオリティがどんどん下がっていきます。
通訳のクオリティが下がると、その分ミーティングにおける意思疎通が難しくなり、結局クライアント及び会議参加者のためになりません。



もっとも、今回例として挙げているAさんの場合、「長時間、高いクオリティを維持しながら同時通訳出来る」という前提なので、Aさんによる同時通訳は、直接的にはクオリティ低下につながりません。



一方、Aさん出現の結果、もし我々一般通訳者までもが長時間同通を引き受けてしまうようになれば、確かにクオリティ低下の問題が起きるでしょう。

でも、現実的には我々一般通訳者は長時間同通など「出来ない」か、あるいは仮に出来たとしても「引き受けない」わけですから、それに伴うクオリティ低下のリスクは低いかもしれません。

万一、我々一般通訳者の一人が長時間同通を引き受けてしまっても、そのクオリティの低さがすぐに露呈し、単に「Aさんが例外」であったことがクライアントに分かってもらえると思うので、多分大丈夫でしょう。



ーーー



これまで、Aさん出現に伴い通訳業界が受ける悪影響を見てきました。
この他にも悪影響があるかもしれません。

先輩通訳者曰く、
「長時間同通を引き受けることは、通訳業界の「破壊」につながる」
の通りです。



ではその一方で、Aさん出現に伴うプラス面は何かあるのでしょうか。



ーーー



Aさんという通訳者が、長時間に渡る同時通訳を高いクオリティで提供する。

それに伴い、通訳業界に何かプラスの影響があるのかどうかを考えるためには、根本から考える必要があると思います。
そもそも「通訳業界」とは、一体誰のことを指すのでしょうか。



ーーー



「通訳業界」というものに、Aさんを含め、我々「通訳者」はまず間違いなく含まれそうです。

むしろ、我々が主役でしょう。



「通訳エージェント」も含まれそうです。



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それ以外に、誰かいるのでしょうか。



ここでちょっと、他の業界で見られる動きと、その結果のプラス・マイナスにも目を転じてみようと思います。



ーーー



Starbucksの出現は、日本のカフェ業界にとっていいことだったのか。

セブンイレブンの出現は、日本の小売り業界にとっていいことだったのか。

りそな銀行が窓口の営業時間を17:30まで延長するのは、日本の銀行業界にとっていいことだったのか。



いずれも、

i) 新規プレーヤー、あるいは従来のプレーヤーが、
ii) 従来は出来なかった、あるいは「出来たのに提供されてこなかった」、そのようなDisruptiveなモノ・サービスを提供

した例です。



ーーー



少し補足すると、


Starbucksの出現に伴い、既存の喫茶店は「迷惑」を被ったかもしれないが、日本のカフェ業界全体にとって何かプラスはあったのか。

セブンイレブンの出現に伴い、既存の食料品店・雑貨店は「迷惑」を被ったかもしれないが、日本の小売り業界全体にとって何かプラスはあったのか。

りそな銀行が窓口の営業時間を17:30まで延長することにより、その他の銀行は「迷惑」を被ったかもしれないが、日本の銀行業界全体にとって何かプラスはあったのか。



その「業界」が、モノ・サービスの売り手(通訳者及び通訳エージェント)だけを指すのであれば、従来無かったモノ・サービスの提供によるDisruptionはマイナスでしかないかもしれません。

しかし、モノ・サービスの買い手、つまりお客様のことも含めて考えると、風景がガラッと一変します。


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私は、一消費者として、Starbucksやセブンイレブンやりそな銀行がある世の中の方が、それらが無い世の中よりも幸せです。
私の立場からすると、これらのプレーヤーの出現は、それぞれの業界をより良くする方向に作用しています。



では、Aさんが長時間に渡り高いクオリティで同時通訳を引き受けることにより、通訳のクライアント、そしてある意味我々通訳者にとって一番大事な存在であるはずの会議参加者にとって、何かいい影響はあるのか。



・いい影響①: 訳の一貫性

二人体制での同時通訳の場合、15分おきに通訳者が入れ替わり続けます。
例えば90分の会議であれば、その間に5回通訳者が変わることになります。

そして、交代を要するほどですから、当然通訳のスタミナの落ちもあり、それに伴うクオリティの劣化もあります。

時間の経過に伴う通訳クオリティの変化・劣化を図示すると


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このギザギザが、会議参加者にとってのノイズになります。



ーーー



話し手が変わっていないのに、その発言を伝える通訳者が頻繁に入れ替わることに伴うノイズはかなり大きい。

特に、2人の通訳者の間に実力差があったり、訳し方・性別・声質・声量等が異なる場合(つまり、ほとんどの場合)、ノイズはさらに増幅されます。

例えば音楽のコンサートで、同じ作品を演奏している途中に歌手・奏者が突然、そして何度も何度も入れ替わることを想像してみていただければ、聞き手にとっての落ち着かなさがイメージ出来ると思います。



ーーー



それに対し、通訳をAさんに依頼した場合の訳の一貫性(Consistency)は以下の通りです。


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これは、会議参加者にとって、非常に大きなメリットです。

そもそもの付加価値(時間 X 通訳クオリティ、の面積)が大きいことに加え、
「ギザギザが無くなる」ことによるノイズの軽減は、会議の円滑化に大きく役立ちます。



いい影響②: 通訳者手配の手間の軽減

大事なイベントの直前で、イベントの担当者がてんてこ舞いの状態を想定してください。

その際、通訳者が2〜4名必要な場合と、1名で済んでしまうのとでは、通訳者手配や受け入れ準備の手間がだいぶ違います。

特に、同時通訳用のブースがどうしても設営出来ない場合などに、必要な通訳者数が半分、あるいは4分の1で済むのは大きなメリットです。

また、私が担当した国際会議における通訳のように、物理的に複数名の通訳者を同行させられない会議への出席も可能になります。

こうしたメリットも、クライアントにとって大きい。



・ いい影響③: 通訳業界の進歩

この問題について考えていて、ふと思いました。

「同時通訳は15分まで」15分は、一体いつから15分だったのでしょうか。

昔は5分や10分だったのが、少しずつ延びて15分になったのでしょうか。

恐らくそうではなく、「ずっと15分程度」なのだと思います。



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その一方、人間が100メートルを走るのに要する時間は、どんどん短縮(進歩)されています。



男子100m走の世界記録:

1912年 ドナルド・リビンコット 10秒84
1991年 カール・ルイス 9秒84 
2009年 世界陸上ベルリン大会 ウサイン・ボルト 9秒58


2050年頃には、9秒30ぐらいになっているのではないか、とのことです。(明海大学の岡野進教授)


ちなみに女子の100mの記録は、1988年のフローランス・ジョイナーの10秒49が20年以上破られていないそうです。ジョイナーすごいですね。
余談ですが、統計処理の結果「将来は女子が男子を逆転する」という報告もあるようで、とても興味深い。



ーーー



陸上競技におけるこのような進歩の原動力として、ヒトそのものだけでなく、技術や道具の改善も大きな役割を果たしているでしょう。
それは、通訳業界にもそっくりそのまま当てはまります。


同時通訳機材の普及・改善。

電子辞書の登場。

インターネットやYoutube等による予習、及び通訳トレーニング手法の飛躍的広がりなど。



そして、数十年前と比べ、我々通訳者を含む日本人全体の英語力も大幅に向上しています。



そのような中、我々通訳者が同時通訳出来る時間がずっと15分のまま変わらないのだとしたら、それは我々通訳者が相対的に退化していることの現れとも言えます。

そして、クオリティを維持しつつ15分を超えて同時通訳が出来るというAさんの出現は、通訳業界の「進歩」でもある。



ーーー



ここで、冒頭の

「長時間の同時通訳案件を引き受けてしまうことは、通訳業界を壊すことにつながるから、絶対にやってはいけない」

という言い伝えに戻ります。



私はこれを知人の通訳者から聞かされてからずっと、その意味を考えて来ました。

そして、考えれば考えるほど、実は、同時通訳は15分を超えて出来る、という示唆を含んでいるような気がします。

もちろん通訳者全員ではなく、人によって、ですが。



ーーー



これはあくまでも個人的な意見ですが、「同時通訳は15分まで」という原則は、通訳者の負担を考えての面も多分にありますが、それとは別に、通訳業界の収入や仕事量を維持するための取り決め、という面もあるのではないでしょうか。

そういう意味では「価格カルテル」に似ています。



価格カルテルは、文字通り「価格」を縛る取り決めです。

それに対し通訳業界では、継続して同時通訳が出来る「時間」を縛り、同時通訳案件に必要となる通訳者数を維持・増員することによって間接的に価格を維持し、業界の収入を守ろうとしているのではないか。



このような価格統制は必ずしも悪いことではなく、農業やタクシー業界などの業界で、しかも政府主導で、よく行われています。

ただ、同時通訳を15分までに縛るカルテルには問題点があります。



せっかく長時間、高いクオリティで同時通訳が出来、かつそれをやりたいと言っているAさんを妨げることは、通訳者間の悪平等にもつながります。

そして、その悪平等は、Aさんの高い通訳力の恩恵を受けられないクライアントや会議参加者にとってマイナスです。



ーーー



仮に、「同時通訳は15分まで」が一種のカルテルだとしましょう。

そのカルテルの是非以前の問題として私が興味を持つのは、Aさんのような通訳者が出現し、15分を超えた同時通訳を提供した場合、本当に通訳業界の収入が減ってしまうのか、という点です。

以下で考察します。



いい影響④: クライアントにとってのコストの削減??

Aさん出現に伴い、クライアントにとってのコストはどう変わるでしょうか。



同時通訳者が2人 → 1人で済むということは、単純に考えるとコストが半分で済むということであり、クライアントに取って大きなメリットになりそうです。
そしてそれは、世の中全体を考えると「いいこと」なのかもしれませんが、その分、我々通訳者側にとって打撃です。



ここでAさんにぜひともお願いしたいのは、通訳料金の大幅な値上げです。

長時間、高いクオリティの同時通訳を提供出来ること。
それを可能にする通訳力とスタミナを持っていること。

そして何よりも、私のような一般通訳者と異なり、それを「会議参加者のために提供したい」というサービス精神を持っていることは、お客様にとって絶大な付加価値だと思います。

ですので、当然それに見合った高い料金をチャージしてほしいです。



ーーー



例えば、従来は

通訳者2名 X 単価10万円 = 20万円

だったとします。



それを、Aさんが一人で、かつ高いクオリティでこなせるとなると、チャージ出来る料金は10万円どころではありません。
訳の一貫性や、手配やロジ面の負担の軽減を考えると、極端な話、従来よりも高い22万円をチャージしてもいいぐらいです。



通訳者1名 X 単価22万円 = 22万円



増額はやや極端かもしれませんが、クライアントにとってのメリットを考えると、少なくとも従来と同額はチャージ出来るでしょう。

そうすれば通訳業界の収入を維持出来ます。



旧: 通訳者2名 X 単価10万円 = 20万円
新: 通訳者1名 X 単価20万円 = 20万円



特に、私が2年前に経験したヨーロッパでの国際会議のような案件においては、Aさんのような通訳者の付加価値は大きい。

そもそも4人の通訳者を引き連れていくことが物理的に不可能なのですが、仮にそれが出来たとしましょう。
その場合のコストは、フライト代等を含め、例えば

通訳者4名 X 単価150万円 = 600万円

です。



通訳者一人あたりのコスト150万円の内、ざっくり通訳料金が50万円、ビジネスクラスのフライト代等が100万円だとしましょう。

通訳者4名ではなく、Aさんたった1人でこの案件に対応出来るとなると。
フライト代等の実費はAさん一人分、総計100万円で済みますから、極端な話、Aさんは通訳料金を500万円に設定出来るとも言えます。



旧: 通訳者4名 X (通訳料50万円 + 実費100万円) = 600万円
新: 通訳者1名 X (通訳料500万円 + 実費100万円) = 600万円



たった一日通訳をしただけで、通訳料金500万円をチャージするのは非現実的です。
しかし、私がここで言いたいのは、仮にAさんがそのような極端な値段に設定したとしても、クライアントにとってのコスト負担は以前と全く変わらない、ということです。

そして、その一方で、会議参加者にとっての訳の一貫性の高まりや、クライアントにとっての手配やロジ面での負担が大きく削減され、非常に喜ばれるわけですから、大幅な値上げの原資がある、ということです。

正確に言うと、従来は航空業界や宿泊業界に流れていたお金が通訳業界に入ってくるということです。
今後、劇的な収入増が期待出来ない通訳業界にとって、Aさんの貢献に伴う資金の環流は画期的なことでもあります。



ーーー



「通訳料金を今の倍以上に設定するなどありえない」

と思われるかもしれません。

たしかに、これまで長年に渡り提供されてきた通訳レベルにさほど付加価値を付けられなければ、倍はもちろん、わずかな値上げすら無理でしょう。
よくて現状維持か、あるいは値下げしかありません。



でも、Aさんのように、業界に対してDisruptiveなほどの付加価値を付けることが出来れば、料金の倍増など、決して夢ではありません。

Aさんには、ぜひ安易かつ迎合的な料金設定をせず、我々一般通訳者と比べた付加価値の高さを反映したプレミアム料金(少なくとも我々の倍額程度)を設定してほしいと思います。



<いい影響⑤: 架け橋>

「日本と外国との間の架け橋になりたい」

そんな純粋な想いで通訳者になった人も多いと思います。

「長時間、高いクオリティで同時通訳が出来、かつそれを会議参加者のために提供したい」

というAさんは、立派な架け橋です。



<Aさんの出現を受け、我々一般通訳者はどう対応すればいいのか>

少し余談になりますが、Aさんのような通訳者が出現したとして、我々一般通訳者はどう対応するのがいいか、考えました。

いろいろな選択肢があると思います。


1. 何もしない

Aさんのような通訳者がこの業界に多数現れることは、幸か不幸か、当面無いと思います。

そして、仮にAさんが現れたとして、それを見たクライアントが

「もしかしたらBさん(我々一般通訳者)にも同じようなサービスの提供をお願い出来るかもしれない」

と勘違いしたとしても、それが間違いだったことにすぐ気付かされるでしょうから、特に問題無いとも言えます。



また、Aさんが適切な料金設定をしてくれる限り、我々一般通訳者も従来の料金設定を維持出来るでしょう。

いずれにせよ、Aさんのような通訳者の出現が大きなムーブメントになったり、一定の存在感を勝ち取ることはきっと当面無いでしょうから、正直、あまり心配はいらないと思います。



2. 追随する

もしその通訳者が希望するのであれば、自分も長時間高いクオリティの同時通訳を提供出来るよう、努力するという道もあると思います。

私含め、この道を選ぶ通訳者はあまりいないと思いますが。

ただ、個人的には、通訳のスタミナをつけることは訳のクオリティの向上に直結すると考えているので、例え長時間同通を引き受けないにせよ、やろうと思えばそれが出来る状態にはしておきたいと思っています。



3. Aさんとは別の「自分なりの付加価値」を高め、それをクライアントや会議参加者に提供する

Aさんの「高いクオリティを維持した長時間同通」は、非常に強力な武器です。

それに対し私は、長時間同通を引き受けない。
であれば、何かそれ以外の、自分なりの武器を強化しなければ、、、と思います。



Aさん云々にかかわらず、自分は自分なりの付加価値を高めるべく努力する。

それは「通訳のクオリティ」の面かもしれないし、「豊富な背景知識」、あるいは「人柄・対応の良さ」かもしれません。

いずれも通訳者にとって大事な要素で、それが高い水準で提供出来るのであれば、十分Aさんと張り合えるでしょう。



多少なりとも意識の高い通訳者であれば、Aさん云々にかかわらず、日頃から自分の付加価値を高めるべく、具体的な努力をきっと続けているはずです。

このような通訳者にとっては、Aさんの出現は何ら恐れるにたらず、むしろよきライバルとして好感出来るぐらいかもしれません。

Aさんが出現することにより、我々一般通訳者が「自分もがんばろう!」と思うのであれば、その面においては、Aさんの出現はいいことではないでしょうか。

そして、その考え方に基づけば、Aさんの出現に伴う競争は過当競争ではなく、むしろ健全な競争とも言えます。

個人的には、この3.の選択肢が一番魅力的で、そのような通訳者になるようがんばりたいです。



<結論>

自らが書いたブログ記事と、それに対する反応を受け、長時間同通という問題について二年ほど考えて来ました。

そして、Aさんという架空の通訳者を想定し、そんな人が実際に出現した場合の、業界への影響を考えてきました。

その結果思うことは以下の通りです。



<結論①: Aさん出現には、いい面と悪い面、両方ある>

世の中のあらゆる事象が全てそうであるように、Aさんの出現にはいい面と悪い面、両方あります。

そのいい/悪いは、見る人の立場や価値観、そして「通訳業界」をどう定義するかによって大きく異なります。



また、同じ「通訳者」間でもかなり見方が分かれると思います。

そもそもなぜ通訳者になりたいと思ったのか。
生活の糧を得るためなのか、あるいは人の役に立ちたいと思ったからなのか。

日々、誰を意識して通訳をしているのか。
自分なのか、先輩通訳者なのか、あるいは会議参加者なのか。

この辺の目線の違いによって、意見は大きく分かれるでしょう。



だから、Aさん出現のいい面だけを取り上げて「すばらしい!」と喜ぶのは一方的だし、その悪い面だけを取り上げて「通訳業界を壊す!」と嘆いたり怒ったりするのも短絡的な気がします。



<結論②: べき論の危険性>

もしAさんが、我々一般通訳者に対し、

「みなさんも、積極的に長時間同通案件を引き受けるべきですよ」

とか、

「それが出来るようになるために、一生懸命通訳トレーニングをするべきですよ」

などと言って来たらどうなるか。



「ただでさえも総スカン」のAさんに対するバッシングは、さらに苛烈を極めること間違いありません。

Aさん自身がそう思ってそう行動するだけならまだしも、それを人に押しつけようとするのは良くない。

そして、私が2年前に書いたブログ記事でも、「長時間同通を押しつけられた」と感じた通訳者がいたでしょうし、それが批判の一因にもなったのだと思います。



それと全く同様に、我々一般通訳者がAさんに対し

「長時間同通を引き受けるべきではない」

と押しつけるのも、Aさんによる押しつけと全く同程度におかしく、避けるべきなのでしょう。



「長時間同通を引き受けるべきではない」
と信じるのであれば、自分が引き受けなければいいわけで、それを人に押しつけてはいけないと思います。

唯一存在してもいい「べき論」は、自分の考え方を相手に押しつけるべきではない、の「べき」だけでしょう。



——



「自分の考えを人に押しつけない」は、話し手の想いを慮ったり、自分の通訳が聞き手にどう届くかを慮ることを生業とする我々通訳者にとって、特に大事なことだと思います。



日頃、いろいろな考え方、特に自分と異なる考え方を知り、それを尊重して行こうと思っています。

それがなかなか出来ない自分に困り、あきれることもありますが、そういう人間になるよう、がんばっています。

もしそれが出来れば、より魅力的な人間になることに加え、通訳者としての力の向上にもつながり、通訳案件でのパフォーマンス改善に直結すると思っています。

通訳が、話し手や聞き手など、人の気持ちを「慮る(おもんぱかる)」仕事であることを考えると特に。

だからこそ、二年前の自分のブログ記事を反省すると共に、もしAさんのような通訳者が現れても、バッシングに加担したくありません。



<結論③: 進化・進歩は必然>

ヒトは動物です。動物である以上、必ず進化します。


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文明はどんどん発展し、あらゆる業界においてめざましい進歩が遂げられています。

人間も然り。人間が生み出す道具も然り。


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それなのに、我らが通訳業界だけがいつまで経ってもこのままであるはずは無いと思います。



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Aさんは、必ず現れます。



それは人間かもしれないし、あるいは機械なのかもしれませんが、いずれにせよ、Aさんは必ず現れます。
これは「いい/悪い」の問題ではなく、必然です。



「今日」通訳をしている者として私は、昨日までの通訳者、そして従来良しとされて来た通訳を何らかの形で超えていく責任があると思っています。

そして、Aさん出現により、我々通訳者が超えるべきバーが上がるのであれば、通訳者としてのぞむところです。



<結論④: カルテル以外の手段もある>

通訳業界の収入や仕事量を守るためにも、「同時通訳は15分まで」という原則は大事です。
これは実質的に価格カルテルだと思いますが、合法的な、いい価格カルテルです。


でも、こうした「守り」の手法以外にも、業界の収入を維持・向上させていくための手段は存在します。



———



この業界の先行きを考えると、私はどうしても守りに入りたくなります。

自分が専門としているIRの分野もしかり。

英語で対応出来てしまう社長やIR部長がじわりじわりと増えてしまっています。
(ちなみにここでもまた、狭い意味での通訳業界(通訳者+通訳エージェント)と、広い意味での「日本」との間で、明らかな利害の対立が見られます。)



でも、そうした状況だからこそ、守りではなく攻めで物事を考えたい。
農家でいえば、TPPを危機と捉えて断固反対する農家ではなく、TPPをチャンスと捉え、日本の素晴らしい農作物を海外に広めるような農家になりたい。



<結論⑤: Aさんどころではない>

Google翻訳。
NTTドコモやSkypeによる自動同時通訳。

自動翻訳・自動通訳が少しずつ広まっています。



その訳のクオリティは、今はまだ笑えるレベルかもしれませんが、これがいつ我々通訳者を脅かすのか。
私は、そのタイミングは意外と早く来るのではないかと思っています。



我々訳者が文章や発言を訳す際、何をどう考えて訳しているのか。
そのプロセスを仕組み化し、プログラムに落とし込み、かつビッグデータ(?)やプロセッシング能力(?)等を活用すれば、あとわずか数年で、翻訳・通訳業務の一定割合が機械に置き換わる可能性が高いと思います。
我々訳者にとっては残念ながら、今から10年後には、風景はガラッと変わっているでしょう。



機械は、人間と大きく違い、喜んで長時間同通を引き受けます。
そして、その訳のクオリティは飛躍的に向上する可能性があります。それに伴う通訳業界の「破壊」は、Aさんという通訳者の出現に伴うそれの比ではありません。



我々通訳者が意識すべき敵は、「他の通訳者」などでは決してありません。



<結論⑥: ポジティブなExpectation control>

序論でExpectation controlの話をしました。

クライアントや会議参加者に対し、我々通訳エージェントが行うべきExpectation controlは、

「通訳者にはこういうことは出来ません」

とか、

「通訳者にこういうことは求めないでください」

というような、期待を抑える方向のコントロールが一般的です。Expectation controlという言葉通りです。



その重要性は重々承知していますし、これからもIRISではしっかりやっていきます。
しかしその一方で、私は通訳者として、そして通訳エージェントとして、ポジティブなExpectation controlもぜひやっていきたい。



通訳ってこの程度のもの

をぶち壊し、

通訳ってこんなにすごいのか!

と、観客の期待を遥かに超えるような通訳を披露したいし、IRISという通訳エージェントとしても、クライアントを感動させるような通訳サービスを提供していきたいです。

その観点から行くと、私はAさんを糾弾する気にはなれず、むしろ褒め称えたいと思うし、そのような優秀な通訳者がいれば、ぜひIRISに登録してほしいと思います。

そして、自分はAさんと違う方法で観客を感動させていきます。



---



既に現実のものとなりつつある自動翻訳・自動通訳に対抗するためにも、通訳者としてプラス方向でものを考え、自らの付加価値の最大化とそれに伴うプレミアム化を実現していくこと。

これこそが、通訳者にとってはもちろん、クライアントや会議参加者を含む広義の「通訳業界」にとっても、最善の道だと信じています。

by dantanno | 2015-05-13 01:49 | 通訳 | Comments(0)