たんのだんのブログ

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命と死のデフレ

「命」と「死」は、重みのある概念だと思う。
でも、その重みと裏腹に、こうしたことばの値段はデフレ傾向にある。

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世の中で、本当の本当に自分の生命を危険にさらしているのは、例えば
伝染病を食い止めるために後進国で働く医師とか、
9/11で、倒壊寸前のワールドトレードセンターに突入した消防士だったり、
人道支援のためにシリアに行き、ISISに捕まってしまった人
とか、
そういう人であって、

ラーメン屋を命がけでやる、とか、
今度のワールドカップに命をかける、


といった「命」の使い方は、気持ちは分かるとしても、ちょっとどうかと思う。



まあ、「命」ということばをどの程度デフレさせていいものか、についての正解など無く、好みの問題でもあるから、これは僕が勝手に違和感を感じているだけで、あまり本質的な話ではない気がするけど。


ーーー


「命」と対を成す「死」についても、デフレが著しい。

僕が大好きなお笑いで、笑いを取るために使われる「いっぺん死んでこい(笑)」的なツッコミ。
ネットのいたるところで見受けられる「死ね」というコメント。

それを見聞きして違和感を感じる大人は僕を含め多いと思うけど、そうした「死」の使い方に日常的に接しながら育った子供は、きっとそれを見聞きすること、そして自らも同じ使い方をすることに違和感を感じなくなるだろう。


ーーー


死を身近なこととして受け止め、それについて日頃から考えることは大事なことだと思うし、死は必ずしも怖いもの、イヤなものとは限らず、「生」と同様自然なことで、ある意味ステキなことだとも言える。

でも、人に対して安易に「死ね」と言ってしまうのは、死を身近に、あるいは自然なこととしてとらえるのとは全く異なる、悪いデフレだと思う。


ーーー


例えば、「僕の人生をかけて君を幸せにする」というようなことばの使い方は、確かにデフレと言えばデフレかもしれないけど、話し手がその気持ちを伝えるために最大限の強調を試みた結果であり、かっこよく、微笑ましくもある。
一方、「死ね」には何一つ良さが感じられない。


思っていないことは口にしない、ということなのかもしれない。

「僕の人生をかけて君を幸せにする」と口にする人は、きっと本当にそう思っているんだろう。だったら、それでいいと思う。その使い方が正しいと思う。
一方、「死ね」と口にする人は、きっと本当はそんなこと思っていないんだから、だったらもう少しことば力を発揮して、「自分が思っていないこと」ではなく、自分が本当に思っていることを的確に表現すると一体どうなるのか、考えるといいと思う。

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そうやってことばを選ぶこと自体が楽しいし、かつ、口をついて出てくるのはきっと、もっと愛のある、おもしろいことばになるはず。
by dantanno | 2014-10-14 01:10 | 提言・発明 | Comments(0)