思い込み
2014年 05月 20日
乗り継ぎでしょうか? いいえ。
空港が大好きな人でしょうか? いいえ。
間違えたんです。
出張に行っていたんですが、行きが成田発・帰りが羽田着なのに、行きも帰りも成田と思い込んでしまったんです。
「どの空港から出発するか」を間違えると大変なことになりますが(恐い・・)、
「どの空港に帰ってくるか」は、それほどシビアな問題ではありません。
ましてや、「帰りは成田だと思っていたのが、実は羽田だった」となれば、本来(ラッキー♪)となってもいい話なんですが、悪いことに、今回成田にクルマで行ってしまっていました。。。
今、クルマを回収しにスゴスゴと羽田→成田、というわけです。
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なんで間違えちゃったんだろ。。
行きがBA6便、帰りがBA7便で、なんとなく対になってる感があり、使用する空港が違う、という可能性を考えなかったんですね、きっと。
思い込みが激しいんです。
思い込みの平均値が分からない中、断言は出来ないはずなんですが、
「オレは、きっと思い込みが激しいはず」
と強く思い込んでいます。
言った/言わない、で必ず負けます。
相手が「私はAと言った」と主張し、僕が「いや、あなたは「B」と言った」と主張しているケースを考えましょう。
相手のね、「B」というメールがね、もう、頭の中に見えるんです。
それに基づいて
D 「あなたは「B」と言った」
と主張するわけですが、それが実は「A」だったと判明したときの驚きとバツの悪さといったら・・・。
それと比べ、奥さんは素晴らしいメモリーの持ち主です。
ということで最近では、記憶を奥さんにアウトソースし始めました。
D 「オレ、なんて言ったっけ?」
自分のあやふやな記憶に頼るよりも、プロに任せた方がよっぽど安心です。
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この前観ていたTV番組で、「作られる記憶」というのをやっていました。
事件の目撃者が「確かに白いクルマだった」と言っているのに、実はブルーだったりすることがあるそうです。
こういう記事もありました。
Why does the human brain create false memories?
(オレもそういうとこあるなあ・・)と、納得してる場合じゃないのについつい納得してしまいます。
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僕が思い込みやすいタイプなのは生まれつきですが、通訳者をしていることで、それに拍車がかかっている、ということはないだろうか。
つまり、職業病的な側面もあるのか。
多分無いと思いますが、一瞬そんなことが頭をよぎりました。
なぜそんなことを思うのか。
それは、通訳のプロセスと関係しています。
通訳のプロセス(省略版)
1. 話し手が発言する
2. 通訳者がそれを聞き、理解・解釈(Interpret)する
3. 通訳者が訳す
4. 聞き手がそれを聞き、話し手と想いを共有する
上記プロセスの「2.」のところです。
話し手の使った言葉を手がかりに、話し手がどういう想いで発言しているのか(すなわち、発言の意味)を考えるわけですが、ここで多少の思い込みが必要になると思うんです。
話し手の発言には、無限の、、、はちょっと大袈裟かもしれないけど、実にたくさんの意味が存在し得ます。
「ふざけないでくださいよ」は、マジで言っているのかもしれないし、冗談かもしれないし、その中間かもしれない。
個別の単語の意味も様々です。
例えば、話し手が「よろこび」と言った場合。
この場合、果たして「喜び」でしょうか。
あるいは「悦び」でしょうか。
意外と「歓び」?
おめでたい感じの「慶び」?
一番メジャーな「喜び」という意味である、と解釈したとしましょう。
その先でも、意味はさらに枝分かれします:
joy
delight
glee
gladness
happiness
pleasure
rapture
exultation
ecstasy
gratification
etc.
全部「喜び」だけど、全部意味が違います。
(今の発言には、実にいろいろな意味が存在しうるなあ・・・)
と気付くことが重要です。
でも、そうやって感心するばかりでは訳が進みません。
なるべく多くの解釈・可能性が入るよう、網を出来るだけ拡げたら、
今度は網を引き上げて、
網の中でピチピチうごめいている数々の訳候補の中から、今回の発言内容を表すのにベストな訳を瞬時に選択しないといけません。
(今の発言を通して、きっとこういうことを言いたいんだろう)
と。
網を拡げる方の作業は「思い込み」と逆行しますが、訳候補の中から選択肢を狭めていく作業は、多少「思い込み」のプロセスとかぶる気がします。
まあ、「思い込み」という表現はちょっと違いますね。
解釈・推察・選択・絞り込み。。。
通訳者による解釈をなるべく排除するため、話し手に
「今の発言はどういう意味ですか?」
と確認を入れることも出来るし、実際、現場でよく行われています。
しかし、そうした通訳者の問いかけに対し、話し手から返ってくるのは結局また言葉なわけで、その言葉の意味を通訳者なりに解釈する必要から逃れることはできません。
毎日毎日、現場に行って発言を訳す度に、こうした手順を繰り返しているわけです。
その結果、思い込みやすさに磨きがかかっている、ということは無いだろうか。
どうなんでしょうね。
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「思い込み」にはネガティブなイメージが伴う。
「思い込みが激しい」場合は尚更。
確かに、今回の僕の羽田・成田事件のように、
「事実と異なることを「事実」と思い込んでしまう」
のはよくない。
また、「絶対にこうだ」と決めつけ、他の可能性を排除してしまう、そういう「思い込み」もよくないでしょう。
でも、、、
「きっとこうである」と考え、それに基づいて行動を起こすのはいいことだと思います。
通訳において一定の「思い込み」が必要となるように、
人生においても「思い込み」が大事なときがあります。
「思い込み」、あるいは「思い切り」でしょうか。
「いろんな可能性がありうるから、結局よく分からないよね。もうちょっと様子を見てみようか・・・」と言っているうちに、あっという間に人生は終わります。
それならば、分からないなりに仮説を立て、それを検証するために具体的な行動を起こし、勝負をする方がよっぽどいい。
やってみた結果、結局ただの「思い込み」であることが判明したら、またやり直せばいいんです、きっと。