好きなだけ食べるキミが好き
2013年 11月 11日
投資家 "I decide whether or not to eat based on whether I want to eat, instead of whether I can eat."
訳例: 「食べる/食べないを決めるときは、「食べられるか」ではなく、「食べたいか」を元に判断するようにしてる。」
D "What do you mean?"
訳例: ハ?
"For example, I would stop eating if I don't want to eat any more, even though I may still be able to eat."
訳例: 「つまり、「まだ食べられる」って思っても、「もう食べたくない」と思ったら、食べるのをやめるんだ。」
(ふうん・・・。)
"Dan, you should do it too♪"
訳例: ダンもやってみたら?
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この人の言ってること、最初よく分からなくて、その後一理あるなあと思ったんだけど、結局以下の2点が気になりました:
1. 摂生感。ガマンしてる感。
2. 「残す」ことについて
1. 摂生感。ガマンしてる感。
健康志向のベジタリアンがマクロビ料理でダイエット、みたいな「摂生してる感」を感じました。
いいことなんだろうけど。
食べたいのに、それをガマンしてる感が気になります。
でも、考えてみればこれは的外れかな、と思いました。
だって、食べたければ食べるわけだから。
食べないのはもう食べたくないと思ったときだけ。
2. 「残す」ことについて
「まだ食べられても、食べたくなければもう食べない」ということは、要は「残す」ということです。
「残す」のって・・・、と思いました。
日本人であればほぼ全員、子供の頃から「残してはいけない」と教育されて育っているでしょう。
僕もそうです。
「好き嫌いは良くない」というのはほぼグローバルに共通するのではないかと思うんですが、「残してはいけない」というのもグローバルな現象なんでしょうか、それとも日本ではそれが特に強いんでしょうか。
いずれにせよ、日本で「料理を残す」と問題になります。
逆に、残さずに全部平らげれば、ジージ、バーバに褒められます。
「いっぱい食べるキミが好き♪」というCMがあったし、
「マルマルモリモリ みんな食べるよ♪」みたいな歌もありました。
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どんなものでもそうですが、「食べ物を残す」ことにもメリット・デメリットがあると思います。
まず、デメリットから考えてみました。
ちなみに、以下で「残す」という場合、好き嫌いをして野菜だけを残す局所的な残しではなく、また、皿にいっぱいよそっておいてそれを残す肩すかし的な残しでもなく、単に「お腹いっぱいだからもう食べたくない」という残しを指します。
デメリット1: 農家のおじさん、料理を作ってくれた人に悪い
これはすごく説得力あります。
子供に対し、「なぜ残してはいけないのか」を説明する際、一番用いられている理由ではないでしょうか。
もっとも、農家の人、料理人さんからすると、自分が作った作物や料理を
・ 残されるのと、
・ 食べたくないのに無理矢理、イヤイヤ食べられるのと、
一体どっちがベターなのかについて、本気で考え始めるとちょっと信念が揺らぎますが。
デメリット2: 世間の目
家で残せば母ちゃんに怒られるし、外で残せば育ちを疑われます。
「残す」ことに対する世間の風当たりがこんなに強いのはなぜか。
おそらく、世間の人たちがみな、子供の頃から「残してはいけない」と言われ続けたのも一因でしょう。
一方、「残す」ことのメリットは何かあるでしょうか。
考えられるとすれば、
メリット: ヘルシー
「食べたくなければ、もう食べなくていい」という国があるとしましょう。
そんな国があるのか知りませんが、仮に。
そういう国では、お腹がいっぱいになった時点で食べるのをストップしていいので、その分無理して食べることが無く、人々はヘルシーになるかもしれません。
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冒頭の投資家の話に戻ります。
「まだ食べられる」と「もっと食べたい」について。
自分に当てはめて、僕がものを食べるときの「まだ食べられる」と「もっと食べたい」の関係を分析してみました。
例えばラーメン。
僕がラーメン屋に入るのは、ラーメン食べたいと思ったからであって、入店時は間違いなく食べたいと思っています。
さて、ラーメンが出されました。
食べたいです。
食べ始めます。
大体、、、そうですね、、、
3分の2ぐらい食べ進めたところで、自問自答してみました。
まだ食べられるか? → 間違いなくYes
もっと食べたいか? → 食べたい気もするけど、やや微妙
空腹には、肉体的なそれと、精神的なそれと、両方あるのではないかと思います。
とりあえず、入店時に感じていた肉体的な空腹は満たされています。
でも、精神的な空腹がはたして満たされているのかどうか、よく分かりません。
もっと食べたい気もするし、もう食べなくてもいい気もします。
食べたいのか食べたくないのか分からないぐらいだったら、わざわざ食べなくてもいいんだけど、でも、
1. まだ食べられる
のと、
2. 残したら、オヤジさんに悪い
ということでがんばって食べ進め、ふう、食った食ったと大きなお腹をさすりながら店を後にしました。
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定量的な根拠ゼロの主観ですが、飲食店で供される食事って、結構量が多いような気がします。
ラーメンはちょっと極端な例でしたが、それ以外の飲食店でも。
日本では、アメリカのように肥満の人はあまり見かけないので大丈夫なのかもしれませんが、カロリー的には、人間が一食で必要としている以上のものを日々食べているような気がします。
でも、飲食店からすると、小さい頃から
「無理してでもいっぱい、全部、残さず食べる」
と訓練されてきた人たちが客として来店するわけですから、当然お店側もそういうお客さんを満足させるべく、量の多い食事を出すことになるんでしょう。
で、日々それを食べる客はさらに「量の多い食事」に慣れていきます。
フォアグラの製造工程にちょっと似ています。
こう書いていると、なんだか「いっぱい食べること」に批判的なように受け取られるかもしれませんが、全くそんなことはありません。
とんかつ和幸に行けば必ずご飯・味噌汁・キャベツをおかわりするし、
「大盛り無料ですが、どうしますか?」と聞かれれば大盛りだし、
マックに行けば必ずビッグマックで、ポテト・コーラはLLセットです。
家で食べるときも、ちょっと遅い時間に食べ始めると、必ず胃がもたれるほど食べてしまいます。
でも、僕はもうどうでもいいとして、自分の子供はそれでいいのか。
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自分の子供には、無理してモノを食べる人にならないでほしい。
無理してモノを食べ続けた結果、量をいっぱい食べるのが習い性の人間にならないでほしい。
でも、その一方で、料理を残す子にもなってほしくないし、
料理を残すのを世間に白い目で見られるのもかわいそう。
では、どうすればいいか。
やっぱ弁当でしょうか。
弁当であれば、自分が「食べたい」と思うだけ持って行くことが出来るので、実に健康的です。
会社とかで、よく弁当を持ってきているのは、やっぱり女性ですね。
女性は賢いんでしょうか。
そういえば、冒頭のアメリカ人投資家も、スタイルのいい美女でした。。。