北欧で、サンタについて考える

ヘルシンキで一日過ごしました。

北欧で、サンタについて考える_d0237270_704723.jpg


この国、この人たちにとっては、船がすごく大事で、かつ身近な存在なんだなあ、、、と感じました。

北欧で、サンタについて考える_d0237270_7102.jpg


北欧で、サンタについて考える_d0237270_711435.jpg


一通り買い物とかして、やることがなくなったので、公園で何時間もボーっとしました。

北欧で、サンタについて考える_d0237270_712178.jpg


いろんな親子がいました。

北欧で、サンタについて考える_d0237270_722892.jpg



(おもしろいなあ・・・)
と思ったのは、親が結構子供に話しかけているということ。



もちろん、どこの国でも「親は子供に話しかける」わけですが、(北欧はちょっと違うなあ・・・)と思ったのは、まるで相手が大人であるかのように、普通に話しかけている、という点。



例えば。。。
子供の
「あれ買って」
に対し、単に
「ダメ」
ではなく、何がどうダメなのか、一体なぜ買わないのかを、滔滔と説明する感じ。

もちろん、全部フィンランド語(?)だから分からないんだけど、たぶんそういう感じ。



---



さらに興味深かったのは・・・

まだ乳母車に横たわっている乳児に対しても、あれこれ説明したり、話しかけたりしている人が多かったこと。

「かわいいでちゅね~」

的なことも言ってるんだけど、それ以外に
「今、僕たちは公園に来ていて、ここでしばらくゆっくりする。その後買い物して、おうちでご飯食べるからね。分かった?」
みたいなことも説明している(気がする)。

もちろん、全部フィンランド語(?)だから分からないんだけど、たぶんそういう感じ。



---



まだバブバブ言っている乳児は、はたして親の話をどの程度分かっているんだろうか。。。
もちろん、全部は分かっていないでしょう。

でも、例えば話し手が愛情たっぷりで話しているのか、あるいはイライラしながら話しているのか、の区別ぐらいは、乳児でもつくでしょう。

現に、フィンランド語(?)が全く分からない僕でも、それをハタから見ていて
(あ、今こんなことを言ってるのかな・・・)
と、多少推測がつきます。

北欧で、サンタについて考える_d0237270_722138.jpg



そう考えると、言葉を通じたコミュニケーションが行われるとき、話し手が伝えたいもの、そして聞き手に伝わるものは「ことばそのもの」ではなく、その背景にある「想い」なんでしょう。
そして、むしろ「想い」のほうが大事なんでしょう。



超怒り気味に
「全然怒ってねーし!!」
と言ってみても怒りは伝わるだろうし、
超ラブラブな口調で
「もう、ヒロシ君なんてキライ♪」

と言ったところで、好きなのはバレバレです。

北欧で、サンタについて考える_d0237270_715662.jpg




ヘルシンキの街をぶらつきながら、確信しました。



「言葉そのもの」は、やはり道具でしかない。
話し手の想いを、聞き手に届けるための。

北欧で、サンタについて考える_d0237270_71416.jpg



だから、我々通訳者は、「言葉そのもの」にとらわれるのではなく、その裏にある想いを探りにいくといい。
そうすれば話し手と一体になれるし、いい通訳ができるし、みんなから喜ばれる。



「言葉を超えた訳」をするのはすごく勇気がいるし、悪くすると「正確に訳していない」とクレームが入ってしまいます。
諸刃の剣で、「言葉を正確に置き換えるの訳」との使い分けが大事ですが、目指すべき王道は「言葉超え」なのかも。



サンタが届けるべきは、実は「箱」ではなく、その中身なんだと思いました。
by dantanno | 2013-08-28 07:25 | 通訳 | Comments(0)

通訳・翻訳者 丹埜 段(たんの だん)のブログです。IRを中心にビジネス・ファイナンス系を専門としています。 通訳会社IRIS経営。http://iris-japan.jp


by dantanno