たんのだんのブログ

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「納豆食べれる?」

たまに聞かれます、外国人顔をしてると。

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それに対し、

D 「ハイ、食べれます」

相手 「へー、すごいね」



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相手は、一体何を指して「すごい」と言ってくれているんでしょうか。

僕が納豆を食すことでしょうか。
それとも、ら抜き言葉での問いかけに釣られず、ちゃんと「ら入り」言葉で返した点でしょうか。

恐らく前者でしょう。



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最近はまったく気にならなくなったら抜き言葉ですが、以前はとても気になりました。
自分の周りの人のら抜き言葉を、「それ、違うよ」と直すぐらい。
TV出てる人がら抜き言葉を使うと、「なんでTVでそういう言葉を使うかなあ・・・」とボヤくぐらい。



当時、なんでそんなに気になったのか?

間違った日本語だからです。
言い換えると、正しい日本語ではないから

じゃあ、「正しい日本語」とは何か。

辞書に載ってる日本語ですかね。

じゃあ、仮に
「辞書に載ってる日本語」 VS ***
みたいな、対決の図式にするとしたら、「***」には何が入るでしょうか。



例えば、
人々が実際に使ってる日本語とか?



「辞書に載ってる日本語 VS 人々が実際に使ってる日本語」



せっかくだから、左側はちゃんとしますか。
辞書に載ってる日本語 VS 人々が実際に使ってる日本語



さて。
食べられる VS 食べれる
の対決の構図は、
辞書に載っている日本語 VS 人々(みんなじゃないけど)が実際に使ってる日本語
的に整理できました。



どっちが強いのか。
どっちがエライのか。
どっちがより優れているのか。



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単純に機能面だけに着目すると、
「食べれる」に軍配が上がるような気がします。

「食べれる」=「食べることが出来る」という意味だとすぐ分かるのに対し、
「食べられる」だと、
1. 「食べることが出来る」という意味なのか、あるいは
2. 皇室の方が何かを「食べられる」のか、分からないから。
まあ、2.の場合は「お食べになる」か?いや、「お召し上がりになる」か?議論は尽きません。



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ら入りだと、意味が分からなくて紛らわしいのに対し、
ら抜きだと意味が分かりやすい。

では、単純に言葉の長さで比較した場合はどうでしょうか。



僕が通訳・翻訳をする際、一つのよりどころとしている原則があります。それは、
伝わるメッセージが全く同じであれば、より短い表現の方が優れている
というもの。



食べられる

食べれる



ら抜きだと、20%の減量に成功です(当社比)。

同じ「食べることが出来る」というメッセージを伝えるのであれば、
食べられる
よりも短く簡潔な
食べれる
の方が、(上記原則に則して考えると)優れている、ということになります。

まあ、上記原則はあくまでも僕が勝手にそう思っているだけで、何らかの権威(誰かエライ人とか、それこそ辞書とか)のお墨付きをいただいたわけではないので、全くの根拠レスですが。



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短かい方がいいなら、
じゃあ、いっそのこと、



食べられる

食べれる

食べれ



にしたらどうか。

あ、でもそうしちゃうと、田舎の人に何かを食べるよう勧められてるみたいで、

「まんず食べれ」
D 「ハイ、いただきます」

みたいになっちゃうか。



話を戻します。



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食べられる VS 食べれる

辞書に載っている日本語 VS 人々(みんなじゃないけど)が実際に使ってる日本語

どっちがエライかは微妙なところですが、例えばこの対決を平安時代に持ち込んでみたらどうでしょう。

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平安時代であれば、
食べられる

食べれる
も、どっちも×でしょう、きっと。

当時の言葉じゃないから。



それと同様に、平安時代の
辞書に載っている日本語だろうが、
人々が実際に使ってる日本語だろうが、
現代に持ってきたら、どっちも×です。



なんでそうなっちゃうかというと、
言葉は時代と共に変化していくものだから。



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じゃあ、言葉はどう変化していくのか

推察するに、まずは
人々が実際に使ってる言葉が変化し、
それがある程度メジャーになった時点で、それに釣られて
辞書に載っている言葉が変わっていくんでしょう。

毎年流行語大賞が選ばれて、それが広辞苑に載ったり載らなかったり、というのもその流れでしょうか。



そう考えると、先に変化し、辞書がそれを後追いする
人々が実際に使ってる日本語は、果たしてそれがエライとか優れていると言えるかどうかは分からないけど、間違いなく時代を先取りし、切り拓いているとは言えそうです。

そう考えると、「納豆食べれる?」も案外最先端な日本語に思えてくるから不思議。



ら抜き派のみなさん。

ら抜き言葉に市民権を与えるためには、もっと使って、もっとら抜きをメジャーにすること。
そうすれば、いつか辞書に載せれるかもよ。
by dantanno | 2013-02-19 20:14 | 提言・発明 | Comments(0)