たんのだんのブログ

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「自分探し」受難の時代の自分探し: 完結編

前回の記事はこちら



女性面接官 「あなたの自分探しにつきあってるヒマはないわ。」
と言われ、
D (いやあ、ほんとそうですよねえ・・・)
と、妙に納得してしまいました。



面接ですから、もちろんこんなことは言いませんが、当時の僕のホンネはこんな感じ:

D 「自分でも、自分が何やりたいのか全然分かんないんです。
いずれは起業したいなあ、みたいなのはあるんですけど、どの分野で、ってのも決まってないし。
とにかく、今のままダラダラとやってたらダメになるのは分かってるんで、まずはそれを変えなきゃな、ってことで、
とりあえずなるべく厳しい環境に身を置いてみたら何か変わるんじゃないか、と・・・」


といった具合で、要は思いっきり自分探しのボン・ヴォヤージュ中な感じ。
まさにこの女性の言う通りでした。

(後日談: 結局、この女性はなんとか僕の採用をOKしてくれて、入社後いろいろとお世話になりました。)



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「自分探し」受難の時代です。

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一昔前であれば、
「自分探しのため海外へ」

とか
「自分探しのため転職」

とかもよしとされたかもしれませんが(されてないか?)、今だとなんだかあざけりの対象になりそうで、ちょっと肩身の狭い思いがしますね。

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自分探し = 負け犬

とか。
いつまで自分探しをしてるの?

とか。



そんな時代だからこそ、あえて言いたい。
自分探し礼賛!
自分探し万歳!


なんの気休めにもならなくて申し訳ないけど、オレも引き続き自分探し中です。

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自分探しは確かにカッコ悪い。

でもね、、、
世の中なんでも上があって、カッコ悪い自分探しよりももっとカッコ悪いものがある。
それは、「自分を探そうとしないこと」
自分探しを放棄し、現状に妥協すること。



当たり前ですが、
「自分探し」を嗤う人たちは、自分探しをしていない人たち。

で、なんで自分探しをしていないのかなあというと、
案外 既に自分を見つけたから ではなかったりするからおかしい。



彼らが自分探しをしない理由は、
おっくうだから
めんどくさいから
そして、
恐いから



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この世には、「忍耐」という便利な言葉がある。
そして、得てして
怠惰
とか
妥協
が、「忍耐」とすり替えられて美化される。



自分探しって、要は
自分が本当はどういう人間で、一体何をしたいのか
を考えることだと思う。

そして、それを考えるのってすっっっっっっっごく勇気がいることだと思う。

だって、それって今の自分を疑う、あるいは否定することだから。

そして、それは
自分は、今はまだ勝っていない(=負けている)のを認めることでもあるから。



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仕事でも、人生(プライベート)でも、「忍耐」という美名のもと、
自分探しから逃げまくってる人たちがいかに多いか!(多分)



自分探しをしてる人たちは、それをする勇気があるから自分探しが出来るんであって、
それが出来ない、あるいは恐くて逃げてる人たちからすると、
それが出来る連中は脅威、不可解、そして羨望の対象となる。

だから、人は嗤うんだと思う。



あれと一緒じゃない?
最近CMで流れてる、中島みゆきの「ファイト」と。

ファイト!
闘う君の唄を、
闘わない奴等が笑うだろう


って。



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そんなわけだから、外野のあざけりは一切気にしなくていい。
道を見つけるためには、まずは道を探さないといけないんだから。

むしろ、周りに嗤われれば嗤われるほど
あ、気にしてる、気にしてる
ってことで、自分がやってることが間違ってないことの証明(It proves you're on the right track)でもあるから、それをエネルギーにすればいい。

人は、気にしていないことについては嗤わないものです。



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「自分探しをするやつは負け犬」

上等です。
今は負けててもいいんじゃないの?

「自分の才能・能力」という点については、それに気づいていない世間が悪いんじゃない。
それをまだ証明できていない、自分(オレ・あなた)が悪い。
でも、しゃあないっしょ、まだ完成されてないんだから。まだ途上なんだから。



勝負が最初につき始めるのは、例えば定年前後の歳になった頃だと思う。

昔、自分探しでのたうち回るあなたを嗤ってた人たちが、
「ああ、オレ、仕事あんまおもしろくなかったな。ま、ステキな家族がいるからいっか」
と自分をなぐさめ始める頃。

オレたち「自分探し組」の逆転が始まるはず、っていうか、そうあらなければいけない。



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結局、我々が人生にどう立ち向かい、どう勝負を賭けるか、それを決めるのは、世間ではなく我々自身であるべき。
そして、我々が果たして勝ったのか負けたのか、肝心のそれを決めるのも、これまた「世間」ではなく、「我々自身」であるべき。



自分探しの途上にあるみんな(オレ含む)、
今は「負け」のレッテルを貼られても、全然OK。だって負けてんだから。最後に勝てばいい。

そして、オレたちが果たして勝つかどうか。
それは全部、そっくりそのまま、気持ちいいほど+悲しいほどオレたち次第

羅針盤は、「世間様」ではなく、「未来の自分」に合わせようぜ!

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by dantanno | 2012-11-27 02:59 | 提言・発明 | Comments(0)