たんのだんのブログ

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考えれば考えるほど寛容に

ある問題について、
Aさん 「別にいいんじゃん?どうでも・・・」
って言う人と、
Bさん 「その件については、こうじゃないといけない!」

と言っている人。

どっちの人が、その問題について、ちゃんと考えた人だと思いますか?



のっけから意味分かんなくてすいませんね。



なんとなくですが、Bさんの方がこだわりがあって、ちゃんと考えてるような気がしませんか?
一方Aさんは、なんかどうでもよさげで、あまり深く考えてないっぽい気がしませんか?

でも、実は必ずしもそうではないんじゃないか・・・と考えさせられる経験をしました。
みなさんは一体どう感じるか、興味があるので書いてみます。





先日、IRロードショーでロンドンを訪れた際。
最終日に自由時間があったので、市内をぶらぶらしていました。
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なんか、お祭りみたいなのをやってました。
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お祭りの模様(音量注意!)
http://youtu.be/p3_DZEWND8Q



よく見ると、ゲイ・レズビアン、オカマ系のお祭りです。
KABA.ちゃんみたいな人たちがたくさんいました。
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踊ってます(笑)。
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激しく踊ってます(笑)。
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結構あちこちから大音量が流れてきてたり、
みんな昼間っから酔っ払ってたりするんだけど、
印象的だったのが、とてもピースフルな雰囲気が流れていたこと。
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我々ストレートな人たちを排除するでもなく、
何かを押しつけるでもなく、
威圧感を感じさせるでもなく。

ゲイの人。
レズビアンの人。
オカマの人。
よく分からない(?)人。
ストレートの人。

「みんな歓迎」みたいな、
「みんな受け入れます」みたいな、
そういう暖かい雰囲気を感じさせる場でした。



ゲイ・レズビアン、オカマの人たちって、Minorityだし、
世間から斜めに見られている面も残念ながらあるので、ともすれば
ストレートな奴らに対する敵愾心
が芽生えても、別におかしくないと思います。

でも、この人たちはとても寛容な気がする。



「普段はMinorityだけど、今日(お祭りの日)、この場に限っては、俺たちがMajorityだぜ!!!」
的な感じで迫ってきても全然おかしくないと思うんだけど、
そういうのが全く感じられなかったんです。

いたるところで虹色の旗がはためき、
みんな笑顔の、ステキなイベントでした。





話変わって、一瞬僕の話をさせてください。

僕は半分日本人、半分外国人で、世界を転々としながら育ちました。

オレは何人か。
国籍とは何か。
Identityとは何か。

そういう問題について、
D (オレは正解を知っている)
とは思わないし、そんなこと恥ずかしくて(笑)言えませんが、
D (オレは、この問題について、フツーの人以上に考えている
とは、自信を持って言えます。

フツーの日本人の人、あるいはフツーの外国人の人が他のことを考えている間に、
僕はずっと

オレは何人か。
国籍とは何か。
Identityとは何か。


について、考えてきました。

みんなも、きっと自分がハーフだったら、一生懸命考えるでしょ?(笑)



国籍という問題について、人一倍、いや、人二倍ぐらい考えてきた結果思うのは、
D (あまり、国籍というものにこだわる必要は無いんじゃないか)
ということ。

そして、自分の国(国籍)を誇りに思うのはとてもステキなことだけど、
D (ある国籍が、別の国籍よりもエライとか、優れているということはない)
ということ。

その考え方が正解かどうか分からないし、
それをみなさんに押しつけるつもりも全くありません。

実際、世の中にはいろんな考え方の人がいて、
自分達の方が、他の国籍の人たちよりも優れている
と思っている人たちもいます。
もしかしたら、その人たちが正しいのかもしれない。
(そういう人たちに聞いてみたいのは、もし隣国の人たちが、同じように「自分達の方が、他の国籍の人たちよりも優れている」と言っているのを聞いたら、それをどう思いますか?ということ。バカじゃないか、って思うでしょ?もしかしたら、あなたもそう思われてるかもしれませんよ、と言ってみたくなる。)
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僕が言いたいのはただ一つ。
この問題について、人二倍考えてきた結果、僕はとても寛容になった
ということ。





話戻って、ゲイ・レズビアン、オカマの人。

この人たちって、

オレ/ワタシは男なのか、女なのか
性別とは何か
Identityとは何か

という問題について、人二倍考えてきたはずだと思うんです。

僕みたいな「フツー」(いずれ、どっちが「フツー」なのか分からなくなる日が来るかもしれないけど)の男が、
日々のうのうと暮らしてる間、この人たちは、この問題について悶々と考えてきたのかもしれない。

そして、その結果、性別について、
男が男を好きになってもいいんじゃない?
とか、
カラダは女でも、中身は男でもいいんじゃない?
とか、
ストレートでもいいんじゃない?
といったように、とても寛容になっているのかもしれない、と感じました。



一方。
我々ストレートの人たちの中には、
男が好きになる相手は、必ず女でないといけない!

とか、
異性間の結婚は聖書の教えに反する!

とか、
カラダが男だったら、中身も男じゃなきゃダメ!

と言っている人が多々見受けられます。
こういう記事もありましたね。)

案外、そういう人たちが正しいのかもしれない。それは分かりません。

ただ一つ言いたいのは、
我々ストレートの人たち(あまり、性別の問題について考えてきていない)が、
「こうじゃなきゃいけない!」
と、相手に何かを押しつけがちなのに対し、

ゲイ・レズビアン、オカマの人たち(この問題について、超考えて来ている)は
「別にいいんじゃない、人それぞれで」
と、なんだか寛容である、ということ。



別に、
寛容でないといけない
と思わないし、それを押しつけるつもりもありません。
(それをやったら、「自分の国籍の方が優れている」と思っている人や、「男は**じゃないと」を押しつける人たちと同じになってしまう。)


ただ、ある問題について、
考えれば考えるほど寛容になる
という傾向がもしあるとしたら、それはおもしろいし、特筆に値するんじゃないか、と思ったんです。

みなさんはどう思いますか?
by dantanno | 2012-08-05 02:27 | 提言・発明 | Comments(0)