陽だまりのような法事
2011年 12月 07日
奥さんのおじいちゃん(サブローじいちゃん)の。
僕は、初めて会う親族の方もいたので、最初に紹介してもらいました。
その後、読経・焼香をし、お墓参りを済ませます。
昼食になりました。
この日はよく晴れて、昼食部屋にもお日様がさんさんと降り注いでいました。
サブローじいちゃんに次ぐ、今日の第二の主役であるおばあちゃんは、
窓際の、一番陽が当たる席。
脚がやや悪いので、座布団ではなく、小さい椅子にちょこんと座ります。
食事開始。
ちょっと耳が遠いおばあちゃんは、
すぐ耳元で、かつハッキリしゃべらないと、なかなか聞き取れません。
なので、我々親族一同が交わしている会話のほとんどは、ちゃんと聞こえていないものと推測。
でも、時折おばあちゃんの方をチラ見すると、、、
話し手の方向を向いて、にこやかにほほえんでいます。
きっと、なんとなく伝わってくる音を聞いて、
今日のこの場を楽しんでるんだろうな。
人は、自分が亡くなるとき、
その人が亡くなることによってしか遺せない何かを
遺された人たちに遺す、
と、固く(笑)信じています。
(昔読んだ、フジ子ヘミングさんの本(確か)からの受け売りですが)
そう考えれば、人が亡くなることの寂しさがすこし紛れる気がして。
サブローじいちゃんがいなければ、今日このメンツがこうして集まることはなかったわけだし、
おばあちゃんの、このにこやかな表情も無かったんだなあ。
っていうか、この部屋にいる人たちの多くは、そもそも存在しないわけだ。
今日の、この陽だまりのような場は、サブローじいちゃんが我々に遺してくれたものなんですね。
じいちゃん、ありがとう!会ってみたかったです。